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矢嶋武弘の部屋 https://blog.goo.ne.jp/yajimatakehiro

沖縄は独立せよ!

941年生まれ。早大仏文科卒、フジテレビに就職、定年退職後、自由な思想生活に入る。 好きなもの⇒孫、美人、空想(妄想)、歴史、映画、音楽、インターネット、旅行、散歩

矢嶋武弘の部屋
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2015/04/12

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  • 年寄りの昔と今(ざれ言)

    年寄りは今やろうとしていたことをもう忘れる年寄りは昔美人によろめいたのに、今は足元がよろめく年寄りは昔駅などの階段を勢いよく駆け上ったのに、今はエレベーターにすぐに乗り込む年寄りは昔恋人に会って喜んだのに、今は孫に会って喜ぶ年寄りは昔若妻の顔にキスしたのに、今は老妻から顔をそむける(笑)年寄りは昔ラブレターを心待ちにしていたのに、今は「年金通知」を待ち望む<蛇足>俺の入れ歯がない、見つからない!入れ歯はどこだ!?(あとで見つかる)年寄りの昔と今(ざれ言)

  • 小泉純一郎さんのこと

    <以下の記事は2002年2月に書いたものですが、原発の無責任な推進に警鐘を鳴らす小泉純一郎元首相に敬意を表し、復刻します。>1)今をときめく内閣総理大臣・小泉純一郎氏について語りたい。一言でいうと、彼は剛直で分かりやすく、親しみやすい人である。私が某テレビ局の政治部記者をしていた昭和49年(1974年)2月、自民党の福田派(清和会)を担当することになった。当時、小泉氏は衆議院当選一回の初々しい代議士であった。名前と顔だけは知っていたが、まったく面識はなかった。それは当然のことで、我々記者は福田派の会長である福田赳夫氏、派閥の幹部である園田直氏、松野頼三氏ら有力議員を取材するわけで、一年生議員の所には滅多なことでは行かないからだ。ある時、福田派の有力議員と我々記者との間で懇親会が催された。料理店で一次会をし...小泉純一郎さんのこと

  • 『青春時代』

    1976年(昭和51年)にリリースされた曲で、作詞は阿久悠、作曲は森田公一で、森田自身とトップギャランが歌った。発売から半年でミリオンセラーになったという。メロディーもいいが、阿久悠の歌詞が素晴らしい。「青春時代の真ん中は道に迷っているばかり」「胸に刺(とげ)さすことばかり」だと聞くと、自分の青春時代をつい思い出してしまう。青春には大いに失恋や挫折などがあるだろう。しかし、それを乗り越えて前に進むしかないのだ。今の若い人たちは、この曲を聴いたらなんと思うだろうか。森田公一とトップギャラン《青春時代》1976年(原音)『青春時代』

  • 秋瑾(しゅうきん)・・・中国で最も魅力的な女性

    <以下の記事を復刻します。>『秋瑾~競雄女侠~』という映画(DVD)を観たが、これは中国の清朝末期の女性革命家・秋瑾(しゅうきん)の物語である。やたらに“カンフーシーン”が多いのを除けば、史実に忠実な映画なのだろう。秋瑾については、有名な「秋風秋雨人を愁殺す」という最期の詩ぐらいしか知らなかったが、今度初めて、彼女の人となりや人生が分かり満足している。良家の子女に生まれた秋瑾は大金持ちと結婚し、2人の子供にも恵まれ幸せな前半生を送る。しかし、19世紀から20世紀にかけての清朝は、外国の侵攻を受けて苦難の連続だった。また、どこの国もそうだったろうが、中国でも男尊女卑、女性差別が非常に根強かった。纏足(てんそく)などの風習がそうである。これらの矛盾に我慢できなくなった秋瑾はついに出奔を決意し、単身で日本へ渡る...秋瑾(しゅうきん)・・・中国で最も魅力的な女性

  • 「死の商人」とアメリカの軍需産業

    <2009年1月30日に書いた以下の記事を復刻します>昔から「死の商人」という言葉がある。嫌な言葉だ。死の商人とは、軍需品を製造・販売して大儲けをする資本家や会社のことだが、彼らにとっては戦争、ないしは戦争の危機がないと商売にならない。したがって、いつでもこの世を戦争状態に持っていこうとする。要するに“ハゲタカ”のような連中なのだ。「死の商人」の定義はこのくらいにして、オルタナティブ通信の今日の記事によると、アメリカの軍需産業の兵器販売総額は2008年度で、公式には340億ドル、闇取引を含めると2700億ドル余り(約27兆円)に達するという。この売上高は対前年度比で45%増という物凄いもので、大不況に喘ぐ他の産業を尻目に好景気を謳歌しているのだ。正にアメリカ最大の成長産業なのである。アメリカに限らず、世界...「死の商人」とアメリカの軍需産業

  • 『この広い野原いっぱい』

    1967年のフォークソングで、森山良子が歌ってヒットした。これほど“乙女心”が伝わる歌はないだろう。最後の「だから私に手紙を書いて~~」のフレーズは忘れられない。作詞:小薗江圭子、作曲・唄:森山良子1この広い野原いっぱい咲く花をひとつ残らずあなたにあげる赤いリボンの花束にして2この広い夜空いっぱい咲く星をひとつ残らずあなたにあげる虹に輝くガラスにつめて3この広い海いっぱい咲く舟をひとつ残らずあなたにあげる青い帆にイニシャルつけて4この広い世界中の何もかもひとつ残らずあなたにあげるだから私に手紙を書いて手紙を書いて(「二木絋三のうた物語」より)https://www.youtube.com/watch?v=BZBbi7bUa3M『この広い野原いっぱい』

  • 『天安門は見ていた』第1部① “四人組”の権勢と周恩来の死

    <まえがき>このレーゼドラマ(読むための戯曲)は、40年前に書いた中国現代史劇『文化大革命』の続編である。対象の期間は1975年12月末から1989年6月(第2次天安門事件)にかけてだ。史実に基づいてはいるが、戯曲のため創作・フィクションであることをご了解願いたい。なお、登場人物や参考文献などについては、後日まとめて表示する予定である。(2020年10月12日)第1幕・・・“四人組”の権勢と周恩来の死第1場<1975年12月の某日。北京・中南海にある江青の居室。江青(61歳)のほかに、張春橋(58歳)、王洪文(40歳)、姚文元(44歳)が集まっている。4人はテーブルを囲んで歓談中>江青「この冬は特に寒いわね。みなさん、お体に気をつけてくださいよ」張春橋「私たちは大丈夫です。江青同志こそお体に気をつけてくだ...『天安門は見ていた』第1部①“四人組”の権勢と周恩来の死

  • 鉄道は「開通」と言おう。「開業」は業者の言い方ではないか

    <2015年4月24日に書いた以下の記事を復刻します>書こうかどうか迷っていたが、やはり書こう。先月(3月)のことだが、北陸新幹線が金沢まで「開業」したことをテレビ、新聞などが大々的に報道していた。それを聞いた時、開業ではなく「開通」が正しい表現ではないかと思ったものだ。それで、新幹線が初めて開通した1964年(昭和39年)10月当時の新聞記事などを調べてみると、ほとんどが「開業」という表現になっていた。私が調べたかぎり、講談社の『20世紀全記録』だけが「開通」となっていたが(さすが講談社である)、あとは全て「開業」という表現だった。正直言って、私はがっかりしたのである。別に開業でも開通でも、間違ってはいない。そんなことはどうでも良いではないかと言われるかもしれないが、私は表現の違いにこだわるのだ。端的に...鉄道は「開通」と言おう。「開業」は業者の言い方ではないか

  • 私の主な創作活動・年表(未完などを含む)

    1979年(昭和54年)小説『青春流転』(自費出版)1980年(昭和55年)戯曲『文化大革命』(自費出版)1981年(昭和56年)戯曲『血にまみれたハンガリー』(自費出版)小説『リビドーの果てに』⇒某出版社に送るが不明)1983年(昭和58年)小説『ある中年記者の一日』⇒紛失?)2005年(平成17年)小説『青春の苦しみ』2006年(平成18年)戯曲『明治17年・秩父革命』2013年(平成25年)小説『サハリン物語』小説『かぐや姫物語』2014年(平成26年)小説『新・安珍と清姫』2015年(平成27年)小説『老人=SNS=美人』2016年(平成28年)小説『啓太がゆく』第1部・仕事と恋とレジャー2017年(平成29年)小説『啓太がゆく』第2部・労働組合騒動小説『落城』2018年(平成30年)戯曲小説『藤...私の主な創作活動・年表(未完などを含む)

  • 辻元清美さん“ドタバタ劇”に思う(復刻)

    <以下の記事は2002年3月28日に書いたものですが、原文のまま復刻します。>辻元清美さん(2009年当時)1)これほどパフォーマンスが豊かで、これほど自分勝手な、また往生際の悪い政治家も珍しい。社民党の辻元清美さんが、元政策秘書の給与不正流用疑惑の責任を取って、議員辞職した。疑惑が発覚してから1週間、テレビ、新聞などマスコミは完全に彼女に振り回されていた。また、社民党自体も、最後の方は彼女にキリキリ舞いさせられていたようだ。予定されていた記者会見はすっぽかすし、土井党首ら党幹部の説得も蹴飛ばして、自分勝手にテレビに二度も出て、言いたい放題なのだ。こう言うと叱られそうだが、テレビを見ている方としては、おもしろいと言うか、痛快と言うか、“笑劇”を見ているようだった。さぞや、関係者は苦労しただろうと察する。議...辻元清美さん“ドタバタ劇”に思う(復刻)

  • 毒性・抵抗力・免疫(後編)

    <後編>人体が丈夫で健康なことは素晴らしい。また、摂生して体を鍛えるのも良い。しかし、これが長生きに繋がるかといえば必ずしもそうではない。「一病息災」と言って、一つぐらい持病がある方が健康に気を使い、かえって長生きする例もある。また、見るからに弱々しくて、痩せ細っていても長生きする人が大勢いる。人さまざまだ。ところで、つい先日まで元気一杯だった人が急に亡くなったり、人間ドックで何の異常もないと診断された人が急逝することがある。あれは何なのか。こういう例を私は何度も見てきた。前置きが長くなったが、要は病気に対して「抵抗力」があるかないかの問題だろう。抵抗力がなければ、どんなに丈夫な人でもアッと言う間に亡くなる。この場合の「抵抗力」とは、病気や病原菌に耐える力のことである。そこで、最も一般的な抵抗力の話をしよ...毒性・抵抗力・免疫(後編)

  • 毒性・抵抗力・免疫(前編)

    <2012年6月23日に書いた以下の文を復刻します。><前編>先日、喫煙と肺がんの関係について一文を書いていたら、人体の「抵抗力」とは何かと考えるようになった。私は医師や科学者ではないから、もちろん専門的なことは分からない。しかし、病気と人体の抵抗力について考えるのは自由である。私は科学者ではないが、一人の自由な思想家なのだ。以下、独断と偏見を交えて人体の抵抗力を考えていきたい。この場合の「抵抗力」とは、病気や病原菌に耐える力のことである。タバコは人体にとって有害である。これは臨床医学で明らかになっているし、ニコチンやタールが健康に良いわけがない。非喫煙者は知らないだろうが、今のタバコの箱には肺がん、心筋梗塞、脳卒中、肺気腫などの原因になったり、それらの病気を悪化させる危険性があると、くどいように書いてあ...毒性・抵抗力・免疫(前編)

  • 政治家たちの印象

    記者時代、何百人もの政治家や秘書たちに接したが、その中で印象に残る人たちを列挙してみた。☆最も心優しく円満だった人・・・谷垣禎一さん☆話が最も面白かった人・・・園田直さんと竹入義勝さん☆小柄だが最も迫力のあった人・・・野中広務さん☆大柄で怖い感じがした人・・・黒柳明さん☆態度が大きくて参った人・・・藤尾正行氏☆最も人間的な幅があると思った人・・・金丸信さん☆何がなんでも行動する人・・・浜田幸一さん(ハマコーさん)☆とても無口で居づらくなった人・・・石橋政嗣さん☆とてもせっかちで早口だった人・・・田中角栄さん☆最も礼儀正しく好印象だった人・・・石破茂さん☆最もインテリ風だった人・・・宮澤喜一さん☆最も貫録と風格があった人・・・佐藤栄作さん☆とにかく格好がよかった人・・・中曽根康弘さんと小泉純一郎さん☆初の女...政治家たちの印象

  • 『ブルー・ライト・ヨコハマ』

    1968年(昭和43年)12月にリリースされた曲で、横浜市の“ご当地ソング”ではナンバーワンの人気を誇る。作詞は橋本淳、作曲は筒美京平、歌ったのはいしだあゆみ(本名・石田良子)で当時20歳だった。発売されるやいなやすぐにミリオンセラーとなり、いしだあゆみはまたたく間に人気者になった。とても歌いやすい曲で、自分も新宿・歌舞伎町界隈のスナックバーなどでよく歌ったものだ。海なし県の埼玉にいると、海がある横浜は憧れの地だ。何度も横浜には行ったが、今でも友人や知人がいて親しく付き合っている。この歌を聴いていると、また遊びにでも行くか・・・(笑)いしだあゆみブルーライトヨコハマ『ブルー・ライト・ヨコハマ』

  • 一言集(12・最終回)

    ☆命長ければ恥多し☆育児こそ最も崇高な行為である。そこに“愛”があるから☆デジタルは知性アナログは感性その調和が大切だと思う☆旧統一教会などの邪悪な「反日宗教」は許せない!良い宗教は残すこと、悪い宗教はぶっつぶせ!☆疫病と戦争は決してなくならない。残念だが・・・☆女性がマスクをしていると、みんな美人に見える(笑)。いや、美人に思える。これは“想像力”の問題だろう☆日本は全ての国から愛される国であってほしい☆SNSが歴史をつくる、SNSの時代がやって来た!☆AIに今日も負けたかへぼ将棋、AIにたまには勝つよへぼ将棋☆浦和(うらわ)の逆は「わらう」「笑う」である☆革命家か俳優になりたいと思っていたが、なれなかった。生まれ変わったら、最も苦手な『物理学者』にでもなりたい。一言集(12・最終回)

  • 一言集(11)

    ☆平和な時代に、英雄は要らない。むしろ邪魔だ。凡人だけで良い。乱世の時代にこそ、英雄は必要である☆一瞬=永遠☆上には上があり、下には下がある☆今の皇居を国民に開放し、皇室は『京都御所』に戻ろう☆愛は大切だが、正義も忘れてはならない☆自衛隊は「国土警備隊」「国土防衛部隊」になれ!もちろん、尖閣諸島も守るんだ!専守防衛で進め!☆ある日突然、世界中に平和がやってきたら・・・と夢想する、妄想する☆スピノザはレンズ磨きで、ルソーは譜面づくりで生計を立てたという。大天才でもそうなら、凡人はどんな「仕事」でも文句はないはずだ☆人間には“意地”というものがある☆お世辞や冗談を言えるのも、一つの才能だ☆地球への感謝父母への感謝先祖への感謝☆孫は最も可愛い一言集(11)

  • 一言集(10)

    ☆生涯一記者真実を後世に伝える☆「老兵は死なずただ消え去るのみ」(マッカーサー)。老兵は消えるだがまだ生きてるぞ~っ!☆人間には必ず運不運がある☆間違った劣等感や優越感は持たないように注意しよう☆われ戦う故にわれあり生は戦いだ☆人類の歴史ほど面白いものはない☆“満ち足りる”のを知ることが幸福につながる☆人間も生き物もみんな死ぬということでは「平等」である☆闘争本能は生物が生きていく上での絶対条件である☆年を取ると、何かをするのに早すぎるということはない。一日も早く何かをしよう。放っておくと、だいたい遅すぎてしまうのだ☆「ベートーヴェン」を「ベートーベン」と表記するなら、「こんにちは、こんばんは」は、これから『こんにちわ、こんばんわ』と表記してやるぞ!☆映画館の座席のヘッドレストはまったく邪魔だ。首や肩が疲...一言集(10)

  • <詩> ある日本兵の死

    ここは一体どこの島だインドネシア方面に送られてきて名前も知らない島を転々とさせられいま俺はヤシの木陰の下息を引き取ろうとしているこれが運命なのかなんと哀れな運命だこれが戦争なのかアメリカ兵と一度も戦うこともなくいま俺は朽ち果てようとしている食うものもなく飢え死にしそうだその上マラリアにかかったのか高熱が退かない栄養失調と熱病に弱り果てた俺には立ち上がる気力もないああ恵子よ今どうしているのかお前と結婚してからわずか2年二人の間に生まれた百合子は元気に育っているのか幼な子もようやく一歳になったはずだ百合子の顔を見たいヨチヨチと歩き始めただろうか出征する時生まれたばかりのお前は母の胸に抱かれてスヤスヤと眠っていたな軍用列車に乗って出発する時万歳の声や「勝ってくるぞと勇ましく」の軍歌が湧き起こるとお前はびっくりし...<詩>ある日本兵の死

  • アメリカこそ世界最大の“戦争国家”ではないか

    <以下の文は2009年10月9日に書いたものですが、一部修正して復刻します。>昨日の記事で私は、アメリカの軍需産業が不況の中でも好景気に沸いている話をしたが、よく考えるとそれは当然ではないかと思ってしまう。なぜならアメリカの経済自体が、戦争と軍需産業に頼っている面が大きいからそうなるのだ。アメリカは絶えず「戦争」に頼ってきた。19世紀のことはよく知らないが、20世紀に入ると第1次世界大戦が起き、アメリカは一気に景気を回復し、大戦が終わると一転して不況に陥った。そして、第2次世界大戦の時も参戦して不況を乗り切り“戦争特需”にあずかったのである。その戦争経済体質は非常に明らかで、「軍産複合体」というのは、アイゼンハワー元大統領が、1961年1月の退任演説で指摘したものである(末尾にウィキペディアの記事をリンク...アメリカこそ世界最大の“戦争国家”ではないか

  • 『琵琶湖周航の歌』

    多くの歌手がこの唄を歌ったそうだが、1971年(昭和46年)に加藤登紀子がカバーしたレコードが大ヒットした。個人的には50年以上も昔、某テレビ局の先輩Yさん(滋賀県出身・27歳ぐらい)が若くして不慮の死を遂げた際、葬儀・告別式の最後にこの唄をみんなで歌ったことを思い出す。Yさんも生前、この唄を愛唱していたのだろう。私がよくお邪魔する『二木絋三のうた物語』から、以下に歌詞を引用させてもらいあの頃を偲びたい。作詞・小口太郎、原曲・吉田千秋1われは湖(うみ)の子さすらいの旅にしあればしみじみとのぼる狭霧(さぎり)やさざなみの志賀の都よいざさらば2松は緑に砂白き雄松が里の乙女子(おとめご)は赤い椿の森蔭にはかない恋に泣くとかや3浪のまにまに漂えば赤い泊火(とまりび)なつかしみ行方定めぬ浪枕今日は今津か長浜か4瑠璃...『琵琶湖周航の歌』

  • 一言集(9)

    ☆英雄は“いざという時”にしか姿を現わさない☆人生を肯定的に見よう!☆どんなに売国奴、非国民と罵倒されようとも、戦争に反対するべきだ。しかし、本当に「正義」のための戦争なら・・・?☆戦争が「合法的殺人行為」なら、テロは「非合法的殺人行為」なのだろう。しかし、どれほどの違いがあるのか☆街中で1人殺すと“殺人犯”になるが、戦場で100人殺すと“英雄”になるんだって!?☆年を取ると体力や能力が衰えるが、同時に精神力も衰える。意欲はあっても「まあ、いいや~」「あとでなんとかなるだろう」と思ってしまう☆人生とは燃焼すること、だから完全燃焼しよう☆愛とは“炎への憧れ”である(ゲーテ)☆老眼が進んで、文字が読みにくい!一言集(9)

  • JASRACよ、歌詞の引用がなぜ悪いのか!?

    <JASRACの“被害者”として、以下の文を復刻します。>「音楽著作権」によれば、歌詞の引用は原則的に禁じられているという。私も以前のヤフーブログに、良かれと思って大いに歌詞を引用し紹介したのだが、それらが著作権を侵害したとのことでブログが“全面削除”された。しかし、これははなはだ疑問である。著作権法第32条にも「引用利用権」が明記されている。歌詞を引用・紹介して音楽を大いに称賛したというのに、それがどのような“実害”を与えたのだろうか。CDの売り上げが減ったとでも言うのだろうか。そんな事はあり得ないだろう。むしろ、素晴らしい歌詞を紹介することによって、読者から歓迎されたと思う。そして、その音楽への関心や共感を高め、良い方向へ進んだものと信じている。音楽著作権の事でブログが全面削除され、私は音楽そのものへ...JASRACよ、歌詞の引用がなぜ悪いのか!?

  • 一言集(8)

    ☆やれる時にやるやれるうちにやるやるのは今だ!行ける時に行く行けるうちに行く行くのは今だ!人生は二度とない☆高額納税者にも生活保護者にもなれるわけはないが、どちらかと言えば高額納税者になりたい。でも、無理だ(笑)☆賢者も1票・馬鹿も1票、善人も1票・悪人も1票、天才も1票・阿呆も1票・・・それが民主主義なのか。しかし、基本的人権に、差別があってはならない☆民主主義の基本は“多様性”である☆小さなこと、些細なことに喜びを感じるのは幸せである。身近なことに“やりがい”を感じるのも幸せである☆雨にも負けず風にも負けず・・・みんなにでくのぼーと呼ばれ褒められもせず苦にもされずそういうものにわたしはなりたい(宮沢賢治の詩)☆平和な時代には英雄は要らない。かえって邪魔だ。不幸な乱世の時代にこそ英雄が必要だ☆負けるのは...一言集(8)

  • 世界の“4大悪妻”か

    〈以下の記事を復刻します〉先日、S・スピルバーグ監督の映画『リンカーン』をDVDで見ていたら、いかにも“悪妻”といった雰囲気のリンカーン夫人が出てきた。それでふと思い出したが、昔、リンカーン夫人のメアリー・トッドの伝記が評判になったことがあるが、それも彼女が稀に見る悪妻という話であった。メアリー・トッドはたしか嫉妬深くヒステリーな女だという話だったが、映画『リンカーン』でもそういう感じだった。しかし、人は偉人や天才などの夫人を概して“悪妻”に見立てるものだ。それは夫が余りにも偉大なため、妻が脇役となって悪く見られるケースが多い。3大悪妻だと、ギリシャの哲学者ソクラテスの妻・クサンティッペ、大音楽家モーツァルトの妻・コンスタンツェ、文豪トルストイの妻・ソフィアと言われるが、それが4人目となると、やはりリンカ...世界の“4大悪妻”か

  • 回転ドアは大嫌い!

    <以下の記事は2004年3月31日に書いたものですが、復刻します>1)先日、東京の六本木ヒルズ「森タワー」で、6歳の男の子が回転ドアに頭を挟まれて死亡するという痛ましい事故が起きた。このタワーでは昨年4月の開業以来、丸1年も経たないのにそれまでに32件もの回転ドア事故が起き、救急車が11回も出動したというから驚く。警視庁は業務上過失致死容疑で、森ビルなど関係7カ所の家宅捜索に入った。安全対策など、いろいろな面で問題点があると思う。しかし、私がここで問題にしたいのは、「回転ドア」そのものについてである。このドアは、人間にとって本当に好ましいものなのか。今回の死亡事故がなかったなら考えようともしなかったが、この回転ドアは実に忌々しいものだと思っていた。一体、回転ドアの利点は何なのか。冷暖房の保温のためには有効...回転ドアは大嫌い!

  • 『ダイアナ』

    16歳のポール・アンカが1957年に発表したデビュー曲で、一躍彼は世界的に有名になった。日本でも、ロカビリー歌手の山下敬二郎や平尾昌晃がこの曲をカバーしたほどだ。少年の切ない恋心に、同じ年の私も夢中になった。未熟な英語を必死に調べ、もちろん歌詞を全部覚えたが、それが“思春期”の始まりだったのだろうか。あの時の衝撃が今でも忘れられない。ポール・アンカは現在83歳です(1941年7月30日生まれ)。PAULANKA-DIANAHD『ダイアナ』

  • 一言集(6)

    ☆愛と平和が全てである☆人は、後世の人に全てを伝える使命がある☆SNS(ブログなど)は私の“命”☆自民党の憲法改正草案に断固反対!☆理想や夢がなくなったら、この世は終りだ☆革新陣営こそ、国民主権の「憲法改正」を訴えるべきである☆“銃規制”ができないアメリカは、最も危険で野蛮な国なのか?☆ご先祖ほど尊いものはない☆人間は努力する限り迷う一言集(6)

  • ドン・キホーテよ、現われよ!

    <昔、書いた記事を一部修正して復刻します。念のため、2002年8月に書いたものです。>1)真夏の暑い日が続くので、家の中で何か本でも読もうと思い、図書館へ行って本を借りることにした。いろいろ物色していたら、スペインの作家・セルバンテスの「ドン・キホーテ」が目に付いたので借りてきた。50年ほど昔の少年時代に、たしか子供向けの「ドン・キホーテ物語」というのを読んだ記憶があるが、本物を読むのは初めてである。「ドン・キホーテ」(岩波書店発行・牛島信明訳)は膨大な分量があり、涼しいエアコンの下でじっくりと読むには相応しい大長編小説である。今から400年ほど前に書かれたこの小説は、世界文学の中でも最も有名な作品の一つに挙げられている。ストーリーは、“騎士道物語”を読み過ぎて頭がおかしくなった初老の男が、自分も騎士にな...ドン・キホーテよ、現われよ!

  • <過去の記事> 「道州制」の導入を望む

    <はじめに>今から30年ほど前には、地方分権の推進や首都機能移転、道州制の導入などが盛んに論じられていた。ところが、今はそういう声がほとんど聞こえてこない。一方、その間に日本の人口はどんどん減りつつある。それでも良いという人もいるだろうが、21世紀中に日本がさらに発展し生まれ変わるには、私は「道州制」の導入が必要だと考える。以下に、2002年と2008年に書いた拙文を一部修正して載せておくので、少々長めになりますが、ご一読願えれば幸いに存じます。(2024年2月2日)「道州制」の導入で『大日本連邦国』の誕生へ1)東京への一極集中の弊害を除去するため、地方分権の推進が叫ばれるようになって久しい。今から9年前(平成5年)には、国会の衆参両院で「地方分権の推進に関する決議」が、全会一致で採択された。その後、19...<過去の記事>「道州制」の導入を望む

  • 『二人の世界』

    〈2018年11月に書いた文を一部修正して復刻します〉今日、たまたまCSテレビを見たら、47年前のドラマを放送をしていたからビックリ!われわれ老夫婦も47年前は新婚ホヤホヤで、この『二人の世界』は忘れられないものだ。TBSの人気ドラマで竹脇無我、栗原小巻が主演、あおい輝彦が歌っている。感動したからもう一度見よう!(2018年11月14日)竹脇無我&栗原小巻(二人世界)『二人の世界』

  • 一言集(5)

    ☆本当に「公僕」になりたいと思う人が役人になるべきだ☆我々の「命」は、祖先から受け継いだ“灯火”を子や孫へ、さらに次の世代へと引き継ぐものでしかない☆「もし勇気去らば、全てのもの汝より去る」(ゲーテ)☆ネット文化を確立しなければならない。自分もネット文化の“端くれ”として生きていきたい☆思い込みと思い上がりは、最も危うい精神状況である☆天才と狂人は紙一重だというが、英雄と馬鹿も紙一重の差だ。恋人とストーカーも紙一重の差だ☆命長ければ恥多し(人間だから仕方がないじゃないか!)☆大杉栄は生まれるのが100年早かった!☆みずから逆境に入るのが真の“英雄”である一言集(5)

  • 一言集(4)

    ☆文は人なり、文は命なり☆言葉は魂である。言霊(ことだま)とも言う☆弱肉強食から相互扶助へ◇いろいろな正義が地球を支配しているが、いつの日か“人類愛”がそれに取って代わる時が来るだろうか。そういう夢想をしても良いと思う◇朝8時前、小学生の一団がわが家の前の歩道を足早に登校していく。一日の中で最も微笑ましい光景だ◇口では“愛国”を唱えながら、日本を“亡国”の淵に陥れたあの「軍国主義」の罪悪を、絶対に忘れてはならない。自由と人権と幸福を踏みにじった、あの「軍国主義」の罪悪を決して忘れてはならない◇イラク戦争は、アメリカのブッシュ元大統領による“仇討ち”でしかなかった。仇討ちとは、実父(父もブッシュ元大統領)の敵であるサダム・フセインを討ったということだ。後世の歴史はそのように評価するだろう◇名優とは、演技が上...一言集(4)

  • 日本人はルールの変更に弱いのか?

    <2010年2月10日に書いた以下の記事を復刻します。>日本人は一定の「ルール」の中では、非常に優秀な成績を残す。それは勤勉でありよく努力するからだろう。その点は大いに誇ってよい。しかし、ルールを絶対視する傾向があるから、ルールの変更に慣れない面がある。ルールとは何か。平たく言えば、国の憲法だったりスポーツ競技の規則(ルール)などだ。憲法が現実社会とどんなに矛盾しようとも、それを変えたがらない。むしろその“ルール”に縛られようとする。無理をしてでもそのルールを守ろうとする。つまり、ルールを絶対視するのだ。それは日本人の性格だから仕方がないが、あまりにもルールを絶対視すると、とんでもない事態になることも想定すべきだ。スポーツ競技のルールはよく変わる。例えば水泳のバックストローク(背泳)でも、スキーのジャンプ...日本人はルールの変更に弱いのか?

  • 長嶋亜希子さんとの電話

    <この記事は長嶋亜希子さんが急逝された翌日、2007年9月19日に書いたものですが、ここに復刻します>長嶋亜希子(あきこ)さんが昨日、心不全で急逝した。まだ64歳の若さである。亜希子さんは、プロ野球の読売巨人軍終身名誉監督である長嶋茂雄氏の奥さんとして有名だが、彼女が1965年(42年前)に、当時巨人軍の“スーパースター”であった長嶋選手と結婚した時は、日本中の話題をさらった。それは報道が伝えているように、前年の東京オリンピックが機縁となったもので、その時、報知新聞の五輪特別リポーターを務めていた長嶋氏が、コンパニオンをしていた美しくも賢い亜希子さんに“一目惚れ”をして、結婚に至ったのである。これは「東京オリンピック」に花を添えるような慶事だった。ところで、日本一の若夫婦の誕生から2年半ほどたった頃だろう...長嶋亜希子さんとの電話

  • 一言集(3)

    ◇8月15日を「平和の日」にしよう◇原発に“天罰”がくだった!(2011年3月11日)◇テロリストに最も狙われやすいのが原発だ◇「原発推進組」は“防護服”を着て、福島の事故現場で働け!もっとも素人は役に立たないか!?(少し過激な言い方で失礼)◇原発事故がなければ、小出氏ら「熊取6人組」の事は全く知らなかっただろう◇ブログは私のレゾン・デートル、存在理由である◇われ書く、故にわれあり◇アナーキズムこそ“人類愛”である◇偶然であればあるほど、その「偶然」は「必然」に思われてくる。あり得ないことが起きるのは、それがあり得ないが故に、(客観的に見て)かえって必然的である。物理学的見地から見れば、すべての「偶然」は「必然」となる。◇戦争とは「勝てば官軍、負ければ賊軍」と言われるが、ひどい時は「勝てば征服者、負ければ...一言集(3)

  • 一言集(2)

    ☆戦争は人類にとって最悪の行為である☆脳死状態そのものが、人間の「尊厳」を冒涜するものではないか?☆戦争とは、一部の人間(“死の商人”や軍需産業など)の利益にはなる。しかし、大多数の人間の利益にはならない。いや、大多数の人に損害をもたらすものだ☆理想=夢がなくなったら、この世は終りだ☆謙虚さは良いが、卑屈になってはいけない☆礼の中に心あり☆言葉は“全人格”である☆世論とは、マスコミによって作られるものなのか・・・☆真理は時々「少数」の中にある一言集(2)

  • ド・ゴールと毛沢東・・・右と左の“核武装”主義者

    <この記事は2004年9月21日に書いたものですが、一部修正して復刻します。>ド・ゴール毛沢東1)ド・ゴール(1890年生れ)と毛沢東(1893年生れ)・・・共に20世紀を代表する世界的な政治家だが、両者の生い立ちや経歴、活躍した環境などは余りにも違いがある。フランスのド・ゴールは軍人出身で、右派の代表のような存在だが、中国の毛沢東はマルクス主義者で、左派の代表のような革命家である。しかし、この二人には妙に似通う点があるように思われる。それは何だろうか?まったく異質に見える二人なのに、共通項が大いにあると思えてならない。ド・ゴールは第二次大戦中に、ナチスドイツに対して徹底的な抵抗(レジスタンス)を呼びかけて戦った。毛沢東も同じく大戦中に、大日本帝国に対する徹底抗戦を完遂した。そこには、思想・信条を乗り越え...ド・ゴールと毛沢東・・・右と左の“核武装”主義者

  • 野中広務さんのこと

    (2002年11月に書いた以下の記事を、原文のまま復刻します。)1)私は自分の半生において、仕事上何百人という政治家と付き合う機会があったが、野中広務さん(自民党元幹事長)ほど印象に残っている政治家も珍しい。この人の“親分”である故金丸信さんも実に印象深かったが、両人は対照的な雰囲気を持っていた。金丸さんは今時の政治家には稀だが、ほのぼのとした春風のような雰囲気があった。これに対して野中さんは、非常に鋭い刃物のような趣(おもむき)があった。印象は極めて対照的だが、両人とも気配り(心遣い)の面では、どんな政治家にも優るものを持っていたと思う。また二人とも温情家であった。さて、両人の人柄のことはともかくとして、最近、北朝鮮問題について二人は厳しい批判にさらされている。金丸さんは既に他界されているので、ここであ...野中広務さんのこと

  • フジテレビの『スター千一夜』に90回も出演した吉永小百合さんはスターの中のスターだ!

    <以下の記事を復刻します>フジテレビの昔の番組に『スター千一夜』というのがあった。だいたい月~金の帯番組(1週間5回)だったが、これに出れば、あの人はまあスターだと評価されていた。始まったのはフジテレビ開局の1959年3月、終わったのが1981年9月だからまあ長寿番組と言える。略して“スタ千”と呼んでいたが、旭化成の一社提供だったからフジと旭化成の看板番組だったと言えよう。実はこの番組、フジテレビ採用内定者の研修(1963年)で手伝ったことがある。この時は、プロレス界の大スター・力道山が花嫁と一緒に出演したので忘れることができない。それ以来、この番組が好きになったが・・・どうも前置きが長くなってごめんなさい(笑)。お前は何が言いたいのかって??要は、このスタ千に吉永小百合が通算90回も出演したのである。こ...フジテレビの『スター千一夜』に90回も出演した吉永小百合さんはスターの中のスターだ!

  • 一言集(1)

    ◇国家とは「税金」である。「税金」で成り立っている◇日一日の命、命の火を燃やせ!◇言葉は“生きもの”である言葉よありがとう◇全てが必然である☆不完全燃焼の人ほど、命に執着する。完全燃焼の人ほど命に執着しない☆役人がのさばると、国が滅ぶ◇むかし軍人、いま官僚◇一筆入魂◇いつの時代にもどこにでも、税金を食い物にする輩(やから)がいる◇資本主義と社会主義は、コインの“裏表”と同じようなものだ◇恋人とストーカーは“紙一重”の差だ☆歴史は「勝者」がつくる。「敗者」から見た歴史は抹殺されていく◇一手の違いは、千手の違い◇この世の原点はただ一つ、人道主義・ヒューマニズムしかない一言集(1)

  • 『およげ!たいやきくん 』

    1975年(昭和50年)にフジテレビの子供向け番組「ひらけ!ポンキッキ」で発表された童謡だ。作詞は高田ひろお、作曲は佐瀬寿一で、子門真人が歌った。リリースされた直後から大ヒットし、今までにオリコン市場最高の450万枚以上を売り上げたといわれる。歌詞の内容は「たいやきくんが店のおじさんとケンカして、海へ逃げ込む」という幼児向けのものだ。余談だが、この歌が発表されたころ、ちょうど国鉄労組などが“スト権スト”という大規模な闘争に入っていた。国電などが10日間もストップしたため、サラリーマンの諸君はやむを得ず自宅待機になったりして、家で幼児らと一緒にテレビを見ることになった。すると、毎日のように『およげ!たいやきくん』の曲が流れたため、これが大ヒットにつながったという。およげ!たいやきくん/子門真人『およげ!たいやきくん』

  • 狐狸庵(こりあん)先生・遠藤周作さんのこと

    〈2019年6月に書いた以下の文を復刻します。〉1)作家の遠藤周作さんについて書きたい。と言っても、私は彼と話したことはないし、その著作を数冊しか読んでいない。『海と毒薬』『沈黙』『イエスの生涯』『宿敵』などか。だから、遠藤さんについて語る資格はほとんどないが、妙に彼について書きたくなるのはどうしたことか。それは遠藤さんの子息(龍之介氏)が、昔私がいた某テレビ局の社長に就任すると聞いたからだろう。よって、思うままに気楽に書くのでお許し願いたい。遠藤周作さんとは面識はないが、一度だけ、後輩の結婚披露宴に彼と同席したことがある。あれは30年余り前だったか、後輩の女子アナ・NさんがA新聞の記者と結婚した時だった。遠藤さんは新婦側の主賓で出席していたが、やがて挨拶の番がやってきた。有名な作家の挨拶ということで皆が...狐狸庵(こりあん)先生・遠藤周作さんのこと

  • 昔の公明党の幹部たち

    <以下の記事は2020年6月~7月にかけてまとめたものです>〈前書き〉前書きが長くなるかもしれないが、お許し願いたい。コロナ禍で国民に1人当たり『10万円の給付』が行われているが、これは公明党の山口代表が安倍首相に強く要請したのが大きな要因だったという。これによって、先の「閣議決定」が覆(くつがえ)ったのだ!こんなことは滅多にない。もしこれが実施されなければ、公明党は自民党との連立政権を解消するかのような覚悟で、山口代表は詰め寄ったと言われている。その詳しいことは分からないが、私は公明党の決意と態度を高く評価したい。私自身、国民の1人として10万円の給付を“ありがたく”受け取ったのだ。(受け取らない人も一部にいるが)そんなことを考えていると、私は50年前(1970年)、フジテレビの記者として初めて公明党を...昔の公明党の幹部たち

  • 世界の鉄道を愛する素晴らしいブログ

    〈2018年6月に書いた以下の記事を復刻します〉2年ほど前、サハリン(樺太)へ旅行する前に偶然見つけた素晴らしいブログがある。私は鉄道にはまったく素人だが、面白くて素晴らしいのでよくお邪魔したものだ。参考までにご紹介しておきたい。『鐡旅』と言う。(2018年6月3日)http://www2u.biglobe.ne.jp/~kokuden/tetu.htm世界の鉄道を愛する素晴らしいブログ

  • <まとめ> 青春の苦しみ

    過去の作品をまとめる必要が出てきたので、この場を借ります。ご了承ください。早稲田大学のキャンパス(2018年6月に撮影)http://blog.goo.ne.jp/yajimatakehiro/e/cb7cbb5f0cfe671b27fafb95ed9f5de5http://blog.goo.ne.jp/yajimatakehiro/e/e3f7dd4e546e21f8c1d84438730f995ahttp://blog.goo.ne.jp/yajimatakehiro/e/c6d74ec776254d65c7cf1d8b15e592a9http://blog.goo.ne.jp/yajimatakehiro/e/a40ef95503093d9372a3b9439096e6a6http://blog.g...<まとめ>青春の苦しみ

  • 青春の苦しみ(16・最終回)

    17)エピローグ外気の寒さがまだ残る日々だったが、冬は一歩ずつ遠のき、すぐそこに春の訪れが近づいている。行雄は全ての学業から解放され、後は春の到来を待つだけという気分になった。やがて試験の結果が発表され、彼はほとんどの課目で「優」を取ったが、そんなことより卒論の「優」の方が何よりも嬉しかった。そして、卒業式を前にした3月中旬、大学近くのS蕎麦店で仏文科のお別れ会が開かれた。A、B両クラスの合同コンパだったので40人以上の学生が出席し、中山教授やO教授ら5人の教官も同席した。大人数だったので、二階の大広間もぎゅうぎゅう詰めの状態である。初めはおおむねクラス別に座っていた学生も、宴がたけなわになってくると席を移したりして交歓した。行雄も初めは高村や徳田らと一緒だったが、気持良く酔ってくるとAクラスの片山順一ら...青春の苦しみ(16・最終回)

  • 映画『塩狩峠』とセウォル号事故

    <2018年4月ごろに書いた以下の文を復刻します。>ユーチューブの動画を見ていたら、たまたま『塩狩峠』という映画に出会った。興味をひかれたので適当に飛ばしながら見たら、最後にあまりにも劇的なシーンが出てきたので衝撃を受けた。自分は不勉強なので、これが作家・三浦綾子さんの小説を映画化したものだということを初めて知ったのである。三浦さんの作品は多くの人に読まれているので『塩狩峠』について詳しく説明するのは控えるが、私のように初耳の人もいるので、簡単に説明する。これは明治時代の北海道の実話だが、ある日、主人公の鉄道職員(本名は長野政雄さん・当時32歳)が乗った宗谷本線の列車が、塩狩峠という所に差しかかったところ、最後尾の列車の連結器が外れ客車が逆走するという事故が起きる。車両はどんどんスピードを増し、このままで...映画『塩狩峠』とセウォル号事故

  • <復刻> 日本共産党はなぜ伸びないのか

    <日本共産党は2022年7月に創立100周年を迎えたが、2010年7月29日に書いた以下の記事を一部修正して復刻します。>日本共産党の本部ビル私は日本共産党(以下、共産党or日共も)の研究家でも何でもないが、この党について思っていること、感じていることなどを率直に書いていきたい。共産党は1922年(大正11年)に創立されたから、現存する日本の政党の中では最も古い歴史と伝統を持っていることになる。ちなみに、後で紹介する中国共産党(以下、中共も)は、それより1年前の1921年に結成されたから、日中両国の共産党はほぼ同じ時期に誕生したことになる。戦前の共産党は、天皇制廃止や私有財産制の否定を主張し、また日本の侵略戦争に反対したから、非合法政党として当局から徹底的に弾圧された。しかし、敗戦後は合法政党として再出発...<復刻>日本共産党はなぜ伸びないのか

  • 『涙(なだ)そうそう』

    「涙そうそう」は、沖縄の方言で「涙がぽろぽろこぼれ落ちる」という意味だそうだが、これを知った歌手の森山良子が、23歳の若さで急死した兄を偲んでこの曲の歌詞を作ったという。作曲は沖縄県石垣島出身のバンド・BEGINで、1998年(平成10年)にリリースされた。はじめは森山良子自身が歌っていたが、その後、石垣島出身の夏川りみが歌って大いにヒットした。また、多くの歌手がカバーしている。愛する亡き人を偲ぶ想いが切々と伝わってくる曲で、のちに「日本の歌百選」にも選ばれた。私自身はつい最近、映画『涙そうそう』をDVDで観たためか、どうしてもこの曲を載せたくなった。追記・・・夏川りみの“節回し”は絶品である。涙そうそう/夏川りみ(歌詞入り)『涙(なだ)そうそう』

  • 青春の苦しみ(15)

    16)卒業論文冬休みに入ると、彼は遅れがちだった卒業論文の作業を進めようとしたが、まだどうも気乗りがしなかった。そこで、近所に住む向井弘道の家へ遊びに行ったり、彼の方が行雄を訪ねてきたりして雑談を交わしていたが、向井も某石油化学会社への就職を決めていたため、将来の仕事や生活ぶりが話題の中心になった。彼は親元を離れ、会社の独身寮に入るということが相当に嬉しいようだった。日頃は温和で控え目な性格だったが、彼は独立心のある芯の強い人間なのだろう。行雄が「独身寮とは羨ましいね」と言うと、向井は「うん、親からいろいろ言われることもないしね」と明るい声で答えた。彼と話していると、自分も早く親元から離れたいと思うのだが、月給3万円では都内のアパートを借りることはとても無理だ。当分は浦和の自宅からFテレビに通うしかないが...青春の苦しみ(15)

  • 『トラジ(桔梗)』

    「トラジ」とは朝鮮語で「桔梗(キキョウ)」のことだという。その白い花に寄せる恋心を歌ったのがこの曲で、北朝鮮版の「トラジ」は愛くるしく微笑ましいものがある。その明るい歌声が私は好きだ。白いキキョウhttps://www.youtube.com/watch?v=ujEVGiGxlyg『トラジ(桔梗)』

  • 『熱き心に』

    きのう、ある曲のメロディーがやたらに頭の中をめぐるので気になっていたが、調べたら『熱き心に』だった。これは1985年(昭和60年)にリリースされた小林旭の歌で、作詞は阿久悠、作曲は大瀧詠一である。大好きな旭の歌声、新年早々にふさわしい歌ではないか。早速聴いてみよう。(2025年1月3日)熱き心に小林旭『熱き心に』

  • 皇室が「京都御所」に戻るべき理由

    <以下の記事を復刻します>私は天皇家・皇室は「京都御所」に戻るべきだと主張しているが、これにはもちろん理由がある。今の皇居は国民に開放されるべきだと言ったが、これは私の願望に過ぎない。問題は「首都」という概念である。私は日本の首都は「東京」だと思ってきたし、今でもそう思っている。しかし、そうではないとか、そう断定するのは間違っていると言う人がかなりいることが分かった。そこで少し調べたら、今でも「京都」が正統な首都だと主張している人がいるのだ。首都・都(みやこ)とは、一般に中央政府があって国家元首がいる所を指すのだが、それから言うと、日本の首都は間違いなく東京のはずである。ところが、ここで問題なのは「国家元首」の意味だ。元首とは一般に、国家を代表する資格を持った首長と理解されているが、今の日本国憲法には元首...皇室が「京都御所」に戻るべき理由

  • 皇居を国民に開放し、天皇家は「京都御所」に戻ろう!

    2016年4月に書いた以下の記事を復刻します。<はじめに>憲法改正の議論が高まってきたが、それならまず、天皇の地位、役割などを論議する必要があると思う。ここで個人的なことを言わせてもらうが、私は子供のころから、今の「皇居」は国民に開放されたら良いと強く願ってきた。徳川家がかつて江戸城から去っていったように、皇室も今の皇居から移っていくことを願う。しかも、皇室には別に「京都御所」という歴史的な場所が現存するのだ。そこへ移られた方が良い。そこで以下に、天皇家の移転について、あらゆる角度からざっくばらんに論じていきたいと思う。また、皆さんにもぜひ考えてもらいたい。「京都御所」は大変な歴史と伝統のある場所である。正式には南北朝が合一した明徳3年(1392年)から明治2年(1869年)、明治天皇の東京行幸時までここ...皇居を国民に開放し、天皇家は「京都御所」に戻ろう!

  • 青春の苦しみ(13)

    秋も深まり11月を迎えると、Fテレビで就職内定者の職場研修が始まった。一日目の午前中、まず総務局の河野人事部長から、23人の内定者に対して研修の目的や日程などの説明があり、そのあと研修生は7つの班に分けられ各職場へと配置された。制作関係を希望していた行雄は、同じようにドラマのディレクターを志望する他の3人と一緒に、まず制作現場に回された。テレビ局のスタジオを見るのは初めてなので、興味津々覗いてみると、何とそこには「クレージー・キャッツ」のメンバーがいるではないか!ハナ肇はむっつりとして怖そうな顔をしており、植木等はテレビで見るとおり軽薄で“お調子者”といった感じだ。谷啓は何を考えているのか分からないといった風情で、ぼんやりと椅子に腰かけている。これまで会ったこともない芸能人を間近に見て、行雄は“別世界”に...青春の苦しみ(13)

  • 精通率の急落について

    <少子化の問題を考えていたら、日本男児の精通率の急落を思い出した。これも少子化と無縁ではなかろう。2014年4月に書いた以下の記事を復刻する>テレビを見ていたら、精通率の低下について伝えていた。なに?精通率ってなんだ・・・側にいた妻に聞いてみると「アレよ」と答える。アレってなんだと思いながら聞いていると、男の子の“射精”のことではないか。その15歳での割合が急激に落ちているというのだ。日本性教育協会の「青少年の性行動全国調査報告(2011年度)」によると、中学卒業時の15歳男子の場合、1981年に約80%だった精通率が、1999年には73%に、2011年にはなんと50%に落ち込んだというのだ。つまり、2人に1人は射精の経験がない。これには驚いた。世の中、こんなに性の情報が氾濫し、また青少年の体の発育が昔よ...精通率の急落について

  • 北方領土・・・2島でも3島でも、返還されれば御(おん)の字だ

    <以下の記事は2013年1月10日に書いたものですが、参考までに復刻します>森喜朗元首相が2月にロシアを訪問しプーチン大統領と会談するそうだが、それを前に民放テレビの番組で、択捉以外の国後、色丹、歯舞諸島の返還を求めるべきだとの考えを示したという。要するに択捉島を除く3島返還論だ。北方領土問題をここであれこれ言うつもりはないが、結論から言えば、2島でも3島でも返ってくれば御の字ではないか。原則論から言えば最低でも4島、いや千島列島全部だとか南サハリン(南樺太)も含むとか際限がなくなる。そうなると、交渉事だから1島も返ってこない場合がある。いや、現に戦後67年以上たっても1島も返ってこないではないか!理想論や原則論ばかり振りかざしていたら、一つも前に進まないのだ。それとも、日露関係を改善したくないとか、ロシ...北方領土・・・2島でも3島でも、返還されれば御(おん)の字だ

  • 青春の苦しみ(12)

    14)研修就職が決まって一安心していると、歌舞伎研究会が夏休み中に長野県の蓼科で合宿を行なうということが分かった。行雄は以前ほど歌舞伎に関心は持っていなかったが、面倒臭い就職問題も片付いて気が楽になったせいか、気分転換も兼ねて合宿に参加しようと思った。また、蓼科高原の自然の中で、百合子と一緒に合宿生活を送るのは、他に多くの学生が参加していようとも何か“淡い期待”を抱かせるものがある。彼はこれまでの百合子との諍(いさか)いのことなどは忘れてしまい、歌舞研の幹事に合宿への参加を伝えた。ところが、その翌日(夏休みに入る直前だったが)、一学期の最後の講義に出席した後、教室を出た所で行雄は待ち構えていた百合子から声をかけられた。彼女の方から話しかけてくるのは滅多にないことなので、何事かと思ってしまう。「あなたが歌舞...青春の苦しみ(12)

  • 青春の苦しみ(11)

    13)就職戦線大学4年の新学期が始まって一週間ほど経ったある日、高村宗男が声をかけてきた。「おい、就職説明会があさって開かれるというが、一緒に聞きに行かないか?」と言う。新学年がスタートしたばかりだというのに、もう就職の話しが出てくるのかと行雄は“せっつかれる”思いがした。彼が志望していた出版関係の就職試験は、秋口にならないと始まらないので“のんびり”していたが、高村の目指す新聞社などはもっと早く試験を行なうというのだ。高村が誘ってきたのと、何か就職の参考になれば良いかと考え、行雄は彼と一緒に説明会に出てみることにした。当日の午後、就職説明会は本校舎の大教室で開かれたが、出席してみると驚いたことに、超満員の学生で会場は溢れ返っていた。両脇の通路にも学生がぎっしりと詰めかけて身動きが取れないほどだ。何か熱気...青春の苦しみ(11)

  • 反動的で時代錯誤か、自民党の憲法“改悪”草案

    <以下の記事を復刻します。>自民党は2012年4月に「日本国憲法改正草案」を発表したが、根本的な立法精神が完全に間違っている。末尾にその草案をリンクしておくが、主権在民・国民主権の精神が完全に失われている。要するに、民主主義を否定する“反動右翼”そのものの憲法草案なのだ。21世紀に、こんな反動的な草案が出てくるとは、驚きと言うよりも呆れ返るばかりだ。特に第1章が問題だ。第1章というのは憲法の「根本精神」を表わすものである。例えば、戦前の大日本帝国憲法では「大日本帝國ハ萬世一系ノ天皇之ヲ統治ス」となっている。つまり、大日本帝国は万世一系の天皇がこれを統治する、という意味である。明治以来の天皇制絶対主義の時代では、これは当然だろう。しかし、日本は戦後の“新憲法”のもと民主主義国家として再生し、今日に至っている...反動的で時代錯誤か、自民党の憲法“改悪”草案

  • “フェイスブックの天使”だった田中荘子さん

    <2024年1月28日に書いた以下の記事をそのまま復刻します>1)田中荘子(しょうこ)さんと言ってもあまり知らない人が多いと思うが、不肖・私がフェイスブック(facebook)で大変にお世話になった人である。私がフェイスブックを始めたのは11年前ぐらい前だったが、それから暫くして、田中さんがよくコメントを寄せてくれるようになった。初めはたしか「支離滅裂なことを言う田中です」といった挨拶から始まったように思う。ところが、交友が進むにつれて、彼女の広い見識や的確な意見に、私はだんだん“田中荘子ファン”になっていったのである。田中さんはアメリカ・カリフォルニア州在住で、主に1947年から1952年の間に日本からアメリカなどへ輸出された陶磁器やアンティーク美術品、人形類などを扱っているのが仕事だった。経歴によると...“フェイスブックの天使”だった田中荘子さん

  • 『鐘の鳴る丘(とんがり帽子)』

    アメリカ軍の空襲で家や親を失った子供たちを“戦災孤児”と呼んだが、終戦直後、そういう浮浪児が街にあふれていた。当然、社会問題化したため、その子たちを収容する施設が各地に作られた。そこで、昭和22年(1947年)、NHKが『鐘の鳴る丘』というラジオドラマを始めて、そういう子供たちの日常生活を描いたが、その主題歌が『とんがり帽子』である。そして、翌年には映画化もされた。歌の作詞は菊田一夫、作曲は古関裕而で、川田正子と音羽ゆりかご会が歌った。厳しい逆境の中でも、負けずに育っていく子供たちである。1947(昭和22)川田正子が歌う古関裕而の名曲『とんがり帽子』戦災孤児を描いたNHKラジオドラマ『鐘の鳴る丘』主題歌『鐘の鳴る丘(とんがり帽子)』

  • 青春の苦しみ(10)

    12)1963年・昭和38年新しい年・昭和38年を迎えた。行雄は気持も改まる思いで、今年中に自分の進路を決めなければと考えているうちに、にわかに百合子を誘って歌舞伎を見に行こうと思い立った。各劇場の正月公演を調べてみると、歌舞伎座では「助六」などの出し物が予定されていた。彼は以前、歌舞伎研究会の資料で「助六」のカラー写真を見たことがある。その中で、女形役の最高峰と言われる揚巻の打掛け衣装は豪華けんらんを極め、ぜひ一度まぢかで見たいと思っていた。それは歌舞伎の美しさの頂点を極めるものであった。その時、行雄は、大柄で色白の百合子が揚巻を演じたらどうなるだろうかと、勝手に空想したものだ。それは恍惚とした艶やかさの極致を想わせるものであった。それ以来、百合子と二人だけで「助六」を見るのが彼の夢となっていたのだが、...青春の苦しみ(10)

  • 青春の苦しみ(9)

    11)艶・・・妄想11月も半ばに差しかかると、歌舞伎研究会は早稲田祭の準備に追われていた。百合子は長唄の発表会があるのでその練習に余念がなかったようだが、行雄はまだ“新入り”なので大したことをやるわけでもなく、展示会場の手伝いをする程度だった。そんなある日、徳田誠一郎が久しぶりに行雄に声をかけてきたので、二人は仏文科の講義が終ったあとS喫茶店に入った。「家庭教師の方は順調にいっている?」と徳田が聞いてきたので、行雄は「問題ないよ」と答えた。「君に代ってもらって助かったよ、僕の方もどうにか上手くいっている」徳田はそう言うと、某商社のフランス製品販売促進キャンペーンのアルバイトについて、おおむね順調に取り組んでいることを説明するのだった。初めのうちはそのアルバイトも大変だったようだが、慣れてくるとスムーズに“...青春の苦しみ(9)

  • 名優・望月優子さんのこと

    <以下の文を復刻します。>右端が望月優子(映画『カルメン故郷に帰る』より)古いDVDを見ていたら、名優・望月優子(本名は鈴木美枝子さん)が出てきた。年配の人なら知っていると思うが、彼女は庶民的な“母親役”をやると天下一品の味が出ていた。歳に似ず、母親役が似合っていたのだと思う。調べてみると、1977年12月に60歳で亡くなっているから、若すぎる死だと言えよう。そこで望月優子にまつわる話を少ししたいのだが、彼女は54歳の時、なんと日本社会党から参議院議員に当選し政治家になったのである。いわゆる“タレント議員”だ。これが彼女にとって幸せだったかどうか分からないが、ブルーリボン主演女優賞を受賞した人にしては思い切った転身である。望月優子の政治家としての活動はまったく知らないが、ただ一つ、彼女の記者会見だけは覚え...名優・望月優子さんのこと

  • 政治とは権謀術数、もともと次元の低いものか?

    <2002年6月に書いた以下の記事を一部修正して復刻します。>1)我々が「政治」にいろいろの事を期待し、また善いものであって欲しいと願うのは当然のことである。政治は我々国民の生活、安全、生存にとって重要な要素となっているからだ。しかし、政治に“幻想”を抱くのは止めよう。何故なら、政治の根本とは“利害得失”であり、国内政治においては“税金の分捕り合戦”と言ってよいからだ。対外的には「国益」という言葉をよく使う。これも、他国との関係の中で、自国の利益や権限を守ったり、それを追求することを意味しているものだ。根本は他国との間の“利害得失”ということである。古来、善政とか徳治とか、理想の政治についていろいろ言われてきた。これは大体、人民(国民)の側から見て善い政治かどうかということである。要するに、人民の利益・福...政治とは権謀術数、もともと次元の低いものか?

  • 『恋人よ』

    1980年(昭和55年)の大ヒット曲で、五輪真弓が作詞・作曲し彼女自身が歌ったものだ。ある人が、これは「アクティブな生き方をしているインテリ女性の失恋というイメージがある」と語っているが、私もそのような印象を受ける。ちょうどこの頃は、男女間の雇用機会均等が叫ばれ、女性の社会進出が当然のことのように言われた時期だ。現実に5年後に「男女雇用機会均等法」が制定された。そうした背景の中で、インテリ女性の“痛切な失恋”を思わせるこの曲が世の中に広まったのだろう。五輪真弓の硬質な歌声とメロディーによって、切々たる哀感が伝わってくるようだ。しかし、アクティブな女性は挫けない。失恋という挫折を乗り越えて前へ進んでいくに違いない。なお、この曲は韓国やベトナムなど、アジア各国でも大いにヒットしたという。五輪真弓「恋人よ」/M...『恋人よ』

  • 青春の苦しみ(8)

    10)1周年行雄が歌舞伎研究会に入ってから半月ほど経った日曜日、浦和の自宅に森戸敦子の母である敏子が訪ねてきた。埼玉県・川口市の知人に用があったついでに立ち寄ったものだが、彼女は村上家を久しぶりに訪れたこともあって、行雄の父や母と歓談していった。敏子は最近の森戸家の写真も持ってきたが、特に娘の敦子のものを見せたかったらしい。同席した行雄が驚いたのは、敦子が大学の先輩とすでに婚約しており、その記念写真などを見せてくれたことだ。敦子と先輩のO氏は、翌年の3月に国際基督教大学のチャペルで結婚式を挙げることになっているという。二人が写っているカラー写真を見ると、O氏は背が高くてスポーツマンタイプだが理知的な感じのする好青年で、隣にいる敦子は花のような美しい笑顔を浮かべている。父の国義が「敦子ちゃんはまだ大学生だと...青春の苦しみ(8)

  • 青春の苦しみ(7)

    8)屈辱それから一週間ほど経っただろうか、春の陽光がまぶしく輝くある日の午後、行雄は文学部の生協食堂で軽食をとった後、たまには演劇博物館でも覗いてみようと本校舎の方へ歩いていった。学生会館の前を通り過ぎてキャンパスに入ってすぐ、20メートルほど前方から歩いてくる男女3人の姿を見て、彼はハッとして立ちすくんだ。徳田が中野百合子ともう一人の女子大生と連れ立って、こちらの方へ向ってくるところだった。一瞬、姿を隠そうかと思ったがもう遅い。見通しが良いので、徳田は行雄とほぼ同時に相手に気付いた。「やあ、村上君、先日はどうも。ちょうど良いところで出会ったね、お茶でもどうかな」徳田が人なつこい笑顔を浮かべて近づいてきた。仏頂面の百合子がいるので戸惑ったが、行雄は覚悟を決めた。「この間はありがとう、ずいぶん飲んだから酔っ...青春の苦しみ(7)

  • 三途の川を渡る

    三途の川(土佐光信の画)「川の中ほどに来たけどこのまま行っていいんだな?」年老いた船頭さんが棹を手元に置いて聞いてきた「ああいいよこのまま行って」と僕は答える「ここを過ぎたらもう帰れないんだぞあの世へ行くだけだがそれでいいんだな」船頭さんが念を押してきた「ああいいとも僕はもうこの世を去るだけだ」「そうかお前はよく観念しとるぞここまで来ると急に帰りたがる輩がけっこういるもんだよし行くぞ」船頭さんはふたたび棹を川に入れた「もう少し行くとお前が乗ったこの舟は三つの流れに身を任せる悪い奴は激流に良い者は穏やかな流れに良くも悪くもない輩はその間の流れに身を任せるのだ」「えっそれはどういうことなの?」と僕は聞いた「分かっておらんのかこの世の所業が良いか悪いかで舟の進む流れがおのずと決まるのだだからお前は自分がしてきた...三途の川を渡る

  • 福田赳夫元首相の回顧録

    (以下の文は2010年9月10日に書いたものですが、復刻します。)2階の書棚を眺めていたら、まだ読んでいない福田赳夫氏(元首相)の『回顧九十年』という本が目に留まった。この本は15年ほど前、福田氏の卒寿(90歳)を記念して岩波書店から発行されたものだが、その記念パーティーでもらったまま中身はほとんど読んでいなかった。昔、福田さんの番記者を3年やったので記念に取って置いたのだが、少し興味を持ったので読み始めた。すると、旧大蔵省に入省してからの若い頃の福田氏の話が面白かった。戦後の福田氏の政治歴はだいたい分かっているが、戦前の彼の仕事のことなどはほとんど知らなかったからだ。興味を持ったのは、世界大恐慌(1929年)のあと彼がロンドンに赴任していた頃の話だ。ニューヨーク・ウォール街での株価の大暴落のあと世界経済...福田赳夫元首相の回顧録

  • (復刻) ヤフーの“暴虐行為”を弾劾する!

    <以下の文を復刻します>私はいまgooのブログを使っているが、実は2012年2月23日にヤフー(Yahoo!)のマイブログを「全面削除」されたのでこちらに移ってきたのである。ヤフーのブログを全面削除されたのは、私の記事が音楽著作権を侵害したという理由からだ。この件について、Yahoo!ブログカスタマーサービスより以下のようなメールが届いた。参考になると思うので、紹介しておきたい。「Yahoo!ブログカスタマーサービス竹光です。お問い合わせの「『マイブログ』のページが表示されない」件について、ご案内いたします。お客様のブログにつきまして、以下のとおり通知を受け、弊社でコミュニティーサービスガイドラインに照らし確認を行い、削除措置を行いました。[通知者]一般社団法人日本音楽著作権協会調査部部長?野勝彦電話番号...(復刻)ヤフーの“暴虐行為”を弾劾する!

  • 青春の苦しみ(5)

    5)恋文冬休みに入ると、行雄は百合子との関係をなんとか打開しなければと焦ってきた。しかし、妙案があるわけではない。電話で話しても、自分の気持を十分に伝えることは極めて難しい。思い切って彼女の自宅を訪れようかと考えたが、そうする勇気もないし、彼女だって自宅に来られるのは断るに違いない。どうしてよいか分からず、行雄は悶々たる気持で数日を過ごしたが、そのうちにある考えが固まってきた。百合子に心から謝罪し、自分の真心を伝える手紙を出すということだった。それ以外に良い方法はないだろう。行雄は決意を固め、クリスマスの二日後に百合子宛の手紙を書いた。それは敗軍の将が全面降伏し、勝った敵将の許しと憐れみをひたすら懇願するような内容のものとなった。「・・・十一月七日、僕は登校時に君の天使の微笑みを見てから、頭がフラフラにな...青春の苦しみ(5)

  • 海外に“ワイフ・ビーター”として紹介された佐藤栄作元首相(でも、佐藤さんはノーベル平和賞を受賞したんだぞ!)

    <以下の記事を復刻しますが、場合によっては削除します。>今日は女性に叱られることを覚悟の上で、話をしたい。ワイフ・ビーター(Wifebeater)とは「妻を殴る夫」のことである。こんな言葉は今や死語だろうが、昔、佐藤栄作さんという総理大臣がいた。7年8カ月の長期政権と沖縄返還の実現、ノーベル平和賞受賞などで有名だが、実は佐藤氏は総理に就任した直後、アメリカなど外国に「ワイフ・ビーター」として知れ渡ってしまった。これは芳しいことではない。日本の首相は妻を殴るのかということだが、逆に言えば、佐藤さんご夫妻は正直に告白したということだ。明治生まれれの日本男児は妻をよく殴った。私の父も佐藤さんより少し年上だが、母をよく殴っていたようだ。まあ、亭主関白を示す行為だろうが、もちろん良いわけではない。佐藤氏の次男・信二...海外に“ワイフ・ビーター”として紹介された佐藤栄作元首相(でも、佐藤さんはノーベル平和賞を受賞したんだぞ!)

  • レーニンの“永遠の恋人”イネッサ・アルマンド

    <以下の文を復刻します>イネッサ・アルマンド20世紀最大の革命家レーニンの恋人について語りたい。といっても、私はその人、イネッサ・アルマンドのことをよく知らない。よく知らないくせに書くとは不謹慎この上ないのだが、どうしても書きたいので始めにお許しを願いたい。それほど、レーニンの“永遠の恋人”に関心があるのだ。レーニンは亡命中の1909年にイネッサと知り合ったそうだが、それが事実なら当時彼は39歳、彼女は35歳ぐらいの年齢だった。イネッサはすでに結婚し5人の子持ちだったが、政治や社会活動に目覚めボリシェビキの党員になっていた。やがてレーニンと親交を結び、その交友は彼女が死ぬ1920年まで続くことになる。写真を見る限り、イネッサは知的でとても美しい女性という印象を受ける。多分、そうだったのだろう。レーニンは彼...レーニンの“永遠の恋人”イネッサ・アルマンド

  • 『森の水車』

    〈以下の文を復刻します。〉荒井恵子さんと言っても若い人は知らないだろうが、1950年代に活躍した歌手である。その彼女が80歳で亡くなった(2010年6月18日)のをつい最近知ったが、荒井さんの最も有名な歌『森の水車』を思い出した。早速ネットで調べてみたら、彼女の歌声よりも他の歌手の方が多く出ており、この中に大女優・高峰秀子が映画『秀子の車掌さん』で歌うものがあった。この映画は1941年(昭和16年・小生が生まれた年)の作品で、高峰はまだ17歳とういういしい。懐かしくなったので『森の水車』をアップしてみる。https://www.youtube.com/watch?v=6F9c_Wlk0nE『森の水車』

  • 青春の苦しみ(4)

    4)白昼夢十一月下旬の早稲田祭が近づいた頃、行雄は、中野百合子が歌舞伎研究会のサークル活動をしていることを思い出した。彼女は入学した時からサークル活動をしていたようで、教室でも時々、歌舞伎の話しをしていたことを行雄は覚えている。彼は歌舞伎にそれほど興味はなかったが、歌舞研(歌舞伎研究会)ももちろん早稲田祭に参加しているので、それを縁にぜひ百合子に接近したいと考えた。早稲田祭が始まる前日、行雄は意を決して荻窪の彼女の自宅に電話をかけた。大きな期待と小さな不安で心臓がドキドキしたが、電話口に出た百合子の母親の声は明るく、とても感じが良かったので行雄は胸をなで下ろした。百合子を呼び出してもらうと、彼女の弾んだ声が受話器の向うから流れてきた。「まあ、村上さん、なんの御用でしょうか」「うん、どうも。あしたから早稲田...青春の苦しみ(4)

  • 青春の苦しみ(3)

    3)中野百合子九月の二学期が始まって一週間ほど経ったある日、行雄は授業に出た後、甘泉園の方へ散歩してみることになった。大学の裏門を通り抜けて商店街に出たが、夏の蒸し暑さが残っていて、歩いていると汗がにじみ出てくる。商店街から路地に入ると人通りもほとんどなくなり、日影になったので行雄はほっとした。いつまでこの蒸し暑さが続くのだろうかと思いながら、彼は狭い路地から甘泉園前の広い通りに出た。その通りを横切ろうと、行き交う車や自転車に注意しながら前方を見ると、小柄な男がうつむきながら右の方向へとぼとぼと歩いていた。学生でもないようだし、さりとて社会人という風体でもない。青白い顔をしたその男は元気のない様子で、歩き方も弱々しく一見して浮浪者のような印象を与える。彼の横顔を見ているうちに、行雄は背筋がすう~っと寒くな...青春の苦しみ(3)

  • 『1914年夏』

    <2014年1月に書いた以下の記事を復刻します>フランスの作家ロジェ・マルタン・デュ・ガールの長編小説『チボー家の人々』を読みたくて書棚から出した。何十年ぶりだろうか(笑)。そのうち「1914年夏」という部分がメインだが、ちょうど100年前の第1次世界大戦勃発の前後のことが詳しく描かれている。私は高校時代にこの小説を読んで大いに感動した。主人公のジャック・チボーというフランスの青年が、戦争反対に立ち上がるのだが悲惨な最期を遂げる。読んでおられる方も多いと思うが、まことに劇的な半生を描いているのだ。作者のマルタン・デュ・ガールは、この「1914年夏」でノーベル文学賞を受賞した(1937年)。いかに当時の人たちを感動させたかが分かる。戦争と平和・・・人類の永遠の課題である。100年前の出来事はわれわれに必ず何...『1914年夏』

  • 徘徊老人は「名札」ぐらい付けろ!

    <徘徊老人が多いので、過去の文を一部修正して復刻します。>認知症にもいろいろあるようだが、NHKによれば全国で800万人はいるそうだ。特に“徘徊老人”は深刻な問題で、行方不明者が1万人もいるという。高齢化社会の日本、これからますます大きな問題になっていくだろう。私はまだ認知症ではないが、80歳を過ぎたから何時(いつ)そうなってもおかしくはない。妻によく言っていることだが、徘徊老人になったら必ず「名札」を付けろと言ってある。これは基本だ。あとは冗談半分に、赤や黄色の目立つ名札に、出来るだけ花模様をあしらった綺麗なものにして欲しいと言ってある。そうでないと、気に入らなくて勝手に捨て去るかもしれない(笑)。とにかく、徘徊老人は大きな問題だ。トラブルを起こして裁判沙汰になることもある。介護する家族も大変だが、巻き...徘徊老人は「名札」ぐらい付けろ!

  • ベートーヴェンへの感謝 ・Durch Leiden Freude!

    <2002年11月に書いた以下の文を復刻します。>ルートヴィッヒ・ヴァン・ベートーヴェン1)音楽に関心がない人も、ベートーヴェンの名前は知っている。この不世出の大作曲家については、余りに多くのことが語られ、余りに多くのことが伝えられている。ほとんどの人が、この“楽聖”の断片的なことを知っているだろう。フランスの文豪であるロマン・ロランは、一方では偉大な音楽評論家であったが、ベートーヴェンへの感謝の言葉を残している。その内容を逐一紹介することは控えるが、多くの人がこの大作曲家に感謝の念を抱いているのではなかろうか。ベートーヴェンの音楽には、人を魅了すると同時に、「生きること」への何らかの啓示が発現されている気がしてならない。喜びも苦悩も、悲哀も勇気も、慰みも激情も全ての「生命」が込められているようだ。どのよ...ベートーヴェンへの感謝・DurchLeidenFreude!

  • ベートーヴェンの『田園』第5楽章

    ベートーヴェン若いころ“学生運動”に挫折し、絶望的な気持ちになっていた自分を救ってくれたのはこの曲だ。そのころ、自殺や他殺(テロ)まで考えていたのだ。そんなある日、学生街をさまよっていた私は、誰かが(たぶん、学生だろう)口ずさんでいたメロディーを聞いて、不思議にも「生きよう」という前向きな気分になった。それがこの曲であり、その時の体験は一生忘れられない。ベートーヴェン:「田園」第5楽章ベートーヴェンの『田園』第5楽章

  • 青春の苦しみ(1)

    第2部1)安らぎ三学期の期末試験が目前に迫ってきたが、行雄はほとんど講義を聴いていなかったので、不安ばかりが募った。最初の試験の前日になって教材に目を通してみたが、内容が良く理解できないので、苛立ちが高じてくるばかりである。学生運動だけにのめり込んでいたのだから、仕方がないと半ば諦めたが、どうにでもなれ、なるようになれと思った途端、気持が少し楽になってきた。どんな出題であろうとも、分からないものは分からないのだ。彼は教材を大ざっぱに斜め読みしただけで、初日の試験に臨んだ。結果の感触はまったく自信のないものだった。不可でなく、可が取れれば上出来というもので、次の試験課目も更にその次も同様であった。どのくらいの課目で落第するか見当も付かなかったが、行雄はとっくに開き直っていたので、それほど苦にならなかった。と...青春の苦しみ(1)

  • 参議院は必要か?

    <6年ほど前に書いた以下の記事を復刻します。>最近、大阪維新の会が現代版「船中八策」の骨子を発表して話題になっているが、その中に、一院制を目指して参議院の廃止というのがあった。私はこれに大賛成である。今日は維新の会の政策面の話は止めて、参議院問題だけを取り上げたい。戦前、日本には衆議院と貴族院があったが、敗戦後、GHQ(連合軍総司令部)が日本国憲法の草案を作った時には、新しい日本は一院制が好ましいという方針が打ち出された。マッカーサー元帥もそういう意向だったという。これは「史録日本国憲法」(児島襄著文春文庫)に出ている話だ。ところが、GHQが日本側と折衝すると、日本側は二院制が良いと主張した。折衝の詳しいことは分からないが、結局、GHQの方が妥協して、新憲法の案文では二院制が採用されることになった。それで...参議院は必要か?

  • 映画あれこれ

    <2021年11月4日に書いた記事を復刻します>最近見た映画(DVD)のことを話してみたいが、かなり古いものもある。その中で印象に残った面白いものは『罪の声』『新聞記者』『スパイの妻』、そして『舟を編む』だった。『罪の声』などはすでに説明したと思うので省略、『舟を編(あ)む』は8年前の映画で、辞書作りに悪戦苦闘するさまがよく描かれている。国語辞典に取り組むメンバーの物語だが、主人公(松田龍平の役)の人柄がユニークで面白い。それ以外に印象に残ったのは『天外者(てんがらもん)』という映画だ。これは2年前のもので、幕末から明治初期にかけて活躍した実業家・五代友厚(ごだい・ともあつ)の人生を描いている。五代を演じたのが、去年自殺した三浦春馬(30歳)だったから、余計に印象に残ったのか、熱演を繰り広げていた。黙祷(...映画あれこれ

  • 『道(ジェルソミーナ)』

    1954年のイタリア映画で、ニーノ・ロータ作曲のテーマ音楽は、のちに日本で「ジェルソミーナ」として歌われるようになった。人間の“悲しみ”を象徴するかのようなメロディーで心に残る。ストーリーは旅芸人のザンパノという男と、少し頭のおかしいジェルソミーナという女が繰り広げる物語だが、人間の優しさと醜(みにく)さが随所に交錯して現われている。ジェルソミーナに扮したジュリエッタ・マシーナは、この映画の監督であるフェデリコ・フェリーニの奥さんだが、道化にぴったりの愛嬌のある演技はとても印象に残るものだった。戦後のイタリア映画の秀作と言えるだろう。「道LaStrada~ジェルソミーナGelsomina」ニーノ・ロータNinoRota『道(ジェルソミーナ)』

  • <まとめ> 青春流転

    過去の小説をまとめる必要が出てきたので、この場を借ります。ご了承ください。早稲田大学のキャンパス(2018年6月撮影)http://blog.goo.ne.jp/yajimatakehiro/e/0a92fcbf70cde312f68d5e282d742bc8http://blog.goo.ne.jp/yajimatakehiro/e/564060ae124cff08c99eda50356f1cf0http://blog.goo.ne.jp/yajimatakehiro/e/1f0bc47dd1c0b2407c8c9f9a46b05a55http://blog.goo.ne.jp/yajimatakehiro/e/51bb23997be14f3968d8401554f181d7http://blog.go...<まとめ>青春流転

  • 青春流転(17・第1部完)

    彼は精神的にも肉体的にも疲れ切っていたが、その日の午後、渋谷の東急プラネタリウムに出かけた。(その当時、ここは最新の天文博物館として人気を集めていた。)プラネタリウムに着くと、小学生のグループが教師に引率されて見学に来ていた。大勢の小学生の中に、青白い顔をしてやつれ切った行雄がいるのは、なんとも異様な光景だったかもしれない。しかし、彼はそんなことには構っていられなかった。小学生と一緒に天文博物館に入る。やがて場内が暗くなると、丸天井のスクリーンにいろいろな星座が映し出され、解説者の声が聞こえてきた。「わあ~、きれい」と子供達の歓声が上がる。北極星を中心に小熊、大熊、カシオペヤなどの星座が光を放つ。美しい。宇宙の生命と神秘の中に引きずり込まれていくようだ。季節ごとに、次々と星座が映し出されていく。うっとりと...青春流転(17・第1部完)

  • 青春流転(16)

    13)死から生へ一九六一年の元旦は、行雄にとってこの上もなく暗いうつろな幕開けとなった。彼は家族ともろくに口もきかず、ほとんど部屋に閉じこもって物思いに沈んでいた。時の流れが、これほど長く切ないものに感じられたことはなかった。全ての苦悩が、なんの仮借もなく彼の心を蝕んでいくようである。唯一の喜びは、森戸敦子から“ありきたり”の年賀状が届いたことだった。それは、神からも人間からも見捨てられた、哀れな孤児に届いた福音のようなものであった。行雄は嬉しさのあまり神経が高ぶり、その年賀状に口づけして涙ぐんだ。そして、無性に敦子に会いたいと思った。しかし、挫折した自分の惨めな様を、どうして彼女に見せることができるだろうか。こうして不様に虫けらのように生きている自分には、彼女に会う資格はないのだと思う。この哀れな男にも...青春流転(16)

  • 青春流転(15)

    12)挫折文学部自治会での主流派の敗退、池田内閣打倒デモの末期的な衰退と、行雄にとっては周りの学生運動が何もかも上手くいっていなかった。アナーキズムに賛同してくれる学生も皆無と言ってよかった。左膝の負傷はその後回復してきたが、痛みはなお残っていたので、歩く時に気になって仕方がなかった。加えて、彼は時たましか家に帰らず、クラスメートのアパートに泊まり込んだりしていたため、家族との交流も途絶えがちになっていた。そんなある日、行雄にとって信じがたい出来事が起きた。自宅で療養中の大川勇が自殺を図り、未遂に終ったというのだ。その情報を笹塚から聞いた時、彼は脳天をハンマーで打たれたようなショックを受けた。あの大川が・・・いつも毅然として自信に満ちあふれていた、あの大川が自殺を図るとは・・・行雄はすぐに、三ヵ月ほど前に...青春流転(15)

  • 青春流転(14)

    淺沼委員長を刺殺した少年が十七歳だと分かると、行雄はますます敗北感に似たものを感じた。十九歳の自分は行動力でも情熱や度胸でも、年下の者にはよもや負けないと思っていたから、なおさらショックだった。しかし、笹塚が言うように、テロだけでは革命運動を成就することはできないことも分かっていた。淺沼刺殺事件の後、全学連は直ちに抗議集会とデモを行なったが、集まった学生はわずかに三百人程度だった。“沼さん”と呼ばれて親しまれ、“人間機関車”と言われて国民的な人気があった淺沼委員長だったではないか。その人の暗殺に抗議する集会に、たった三百人の学生しか集まらないとは、全学連も見捨てられたものだと行雄は思った。これが学生運動の現実なのか。あの安保闘争の時の、潮のような盛り上がりを見せた学生運動はどこに消えてしまったのか。デモ行...青春流転(14)

  • 青春流転(13)

    11)暗雲九月。行雄は大いなる希望を持ってこの月を迎えた。夏休みを自分の故郷などで過ごした学生達が再び大学に姿を現わし、キャンパスに活気が蘇った。そんなある日、大川勇が警官隊の警棒で殴られ、相当な重傷を負ったという情報が耳に入った。大川は三井三池炭鉱の労働争議を支援するため、七月末から福岡県の大牟田市に行っていたが、警官隊と衝突した際に警棒で頭皮を割られ、鼻硬骨を砕かれたというのである。三池争議は前年の十一月から始まったが、この労働争議は「総労働」対「総資本」の対決と言われ、第一組合、第二組合、警察、右翼などが激突し、死傷者が出る流血の大闘争となっていた。当然、日本中の関心を集めていたが、全学連も第一組合を支援するため闘争に参加したのである。大川はこの三池闘争に参加して重傷を負い、東京に戻って新宿のK病院...青春流転(13)

  • おふくろの味

    <以下の文を復刻します。>年配の人はほとんどが「おふくろの味」を覚えているだろう。おふくろの味とは一般に、子供の頃の家庭料理と言ってよい。ところが、今ではインスタント食品、冷凍食品、レトルト食品などの普及で、子供たちがおふくろの味を覚える機会が減っているのではないか。いや、そんなことはないと言う人がいれば幸いだが、何か「おふくろの味」が失われていくような気がしてならない。そうでなければ良いのだが・・・私の母はとっくに亡くなっているが、今でもおふくろの味というと幾つか挙げることができる。おふくろの味を想うと、母の面影が浮かんできてほのぼのとした気持になる。自分がいくら年を取っても母は母なのだ。私の「おふくろの味」を挙げろと言われれば(昨夜から考えていた)、朝鮮漬けと肉巻き、寒天の3つだ。どれも実にうまかった...おふくろの味

  • マトリョーシカと私

    <以下の文と写真を再録します。>娘の家に遊びに行ったら、久しぶりに「マトリョーシカ」を見つけた。孫にやったものだが、嬉しくなって暫く戯れる。大好きな「マトリョーシカ」と一緒で上機嫌な自分(笑)マトリョーシカと私

  • 『君といつまでも』

    おととし引退を表明した加山雄三さん、彼の『君といつまでも』は300万枚を超える大ヒット曲だったが、この歌に青春の思い出を持つ人は多いだろう。不肖・私もある女性に想いを寄せながらよく歌ったものだ。弾厚作(加山雄三)作曲で1965年(昭和40年)末にリリースされたもので、この世で、最も幸せな歌である。http://www.youtube.com/watch?v=Lmm2qCOui1A『君といつまでも』

  • 青春流転(12)

    10)アナーキズム六月二三日。日米新安保条約が、両国の批准書交換によって発効した。同じその日、岸信介首相も臨時閣議で「人心を一新し、政局を転換するため」退陣の決意を表明した。これを機に、史上空前の規模で行なわれた安保反対闘争は、ようやく収束されていくのである。七月に入ると初旬に、全学連の第十六回全国大会が東京で開かれたが、日共系の反主流派は大会をボイコットし、独自に全自連(全国自治会連絡会議)を結成、全学連は事実上分裂した。また主流派内部でも安保闘争の総括をめぐって、闘争を高く評価するグループと、これを敗北と見るグループに分かれ、総括論争は混迷を深めていった。そして、安保闘争を終始リードしてきたブント(共産主義者同盟)は三つの派に分裂し、事実上“解体”していくことになる。こうした左翼学生戦線の混迷の中で、...青春流転(12)

  • 消費税とは、弱肉強食の“悪魔の税”なのか

    〈だいぶ前に書いた以下の記事を復刻します〉消費増税法案が衆議院で可決され参議院に送られた。現行の5%を10%に引き上げていくのだが、日本経団連などは段階的に17%への増税を提言しているほどだ。いずれも、将来の社会保障制度を維持するためには、消費税の増税が必要だといったことを主張している。たしかに、年金や医療などの社会保障制度は重要だが、われわれ庶民はすぐに物価高になることを心配する。これは当然だろう。賃金も年金も増えないのだから、消費税の増税で物価高になるのは困るからだ。ところが、われわれ庶民が困るよりも、はるかに打撃をこうむる人たちがいることをご存知だろうか。それは中小・零細企業の事業者たちである。あるブログでそうした話が本当だと聞き、私は紹介のあった『消費税のカラクリ』(講談社現代新書)という本を買っ...消費税とは、弱肉強食の“悪魔の税”なのか

  • ラーメンあれこれ

    <以下の記事は2010年3月11日に書いたものですが、原文のまま復刻します>ラーメンは日本の“国民食”と言われる。ほとんどの人がラーメンを食べたことがあるだろう。私もラーメンが好きだ。学生時代(もう50年ほど昔だが)、早稲田や高田馬場あたりで食べたラーメンは普通、一杯35円だったことをはっきりと覚えている。少し上品な中華料理店だと40円、場末のラーメン店だと30円というのもあった。他の物の値段はすっかり忘れたのに、ラーメンの値段だけははっきり覚えているということは、ラーメンがいかに身近な食べ物だったかという証だろう。ちなみに、早稲田の30円の某ラーメン店は味が落ちるのだが、私好みの可愛い女店員がいたのでよく通ったものだ。就職して暫くすると、インスタントラーメンがもの凄い勢いで普及し始めた。「日清」だったか...ラーメンあれこれ

  • 『喫茶店の片隅で』

    先日、地元のレトロな喫茶店に入り、コーヒーを飲んだ。店の新聞を読みながらゆっくりとくつろいでいたら、ふと昔の歌を思い出した。それが『喫茶店の片隅で』である。調べてみると、昭和30年に松島詩子(うたこ)さんが歌ってヒットしたそうで、何人もの歌手がこの歌をカバーしている。“昭和レトロ”を偲ばせるこの曲を、倍賞千恵子さんの歌声で聴いてみよう。倍賞千恵子/喫茶店の片隅で『喫茶店の片隅で』

  • 青春流転(11)

    「四機(よんき)にやられた!」「だいぶ、ケガ人が出てるぞ!」「もう一度、スクラムを組み直せ!」学生達のわめき声が広がる。いつの間にか、けたたましいサイレンの音とともに、救急車がひっきりなしに駆けつけてきた。前方のデモ隊から多数の負傷者が出ていたのだ。四機とは第四機動隊のことで、警視庁の中で最も勇猛な部隊であり、常づね学生達から“鬼の四機”と恐れられていたが、その三千人が先頭のデモ隊に襲いかかったのだ。負傷者の続出に、中段から後段に控えていた学生達は一様に憤激した。ますます激しく石やビンが機動隊に投げ込まれていく。この頃には夜の帳(とばり)がすっかりおりて、八時ぐらいになっていただろうか。取材に来ていたテレビなどのライトが、眩しいほどに光を放っていた。デモ隊は再び隊列を整えて、じりじりと前進を始める。しかし...青春流転(11)

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