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江戸川教育文化センター https://blog.goo.ne.jp/2012kyoubun

「教育」を中心に社会・政治・文化等の問題を研究実践するとともに、センター内外の人々と広く自由に交流す

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2015/03/15

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  • アンネ・フランクの魂は?

    時々、自宅近くの区立図書館に足を運ぶことがある。購読していない新聞記事で気になったものなどを調べたり、コピーをとったりするのだ。図書館のすぐ隣は区立の中学校だ。おととしの5月に図書館に立ち寄った時、隣の中学校に「アンネのバラ公開中」という看板が出ていた。「アンネのバラ」ってなんだ?と思って校内に入り、花壇に咲いているバラとともに、資料を見学した。すると、今から40年ほど前に当時の中学生たちの「平和学習」がきっかけで、アンネ・フランク財団からバラの苗木3本が贈呈され、それを代々の中学生が大事に育て、株を増やしてきたものだとわかった。(詳しくは「高井戸中のホームページを見てください。)(高井戸中学校ホームページより)この中学校には、ずっと昔に組合の教育研究集会で行ったこともあるのだが、そのころは全くこの事実を...アンネ・フランクの魂は?

  • NEWS江戸川区教組 No.2403

    自らの労働条件は自らの手で!教え子を再び戦場に送るな!日教組・東京教組と共に闘おう!NEWS江戸川区教組2024/5/28No.2403江戸川区教職員組合(江戸川区中央3-7-11-102江戸川区平和運動センター)5月22日定期大会を開催!~第35回区教組定期大会報告~5月22日(水)、タワーホール船堀において第35回区教組定期大会を開催しました。来賓の江戸川区平和運動センター、江戸川区職員労働組合、江戸川生活者ネットワーク、労働金庫、東京教組委員長から連帯の挨拶をいただいたのち、議案書の討論に入りました。経過報告では、長時間労働や教員不足等の課題に取り組んできたことと共に、2月の東部ブロック教研にふれて、「“『天井のない牢獄』ガザで今起っていること”は、若い方たちも具体的に知ることができたよい教研集会だ...NEWS江戸川区教組No.2403

  • 健康保険証が12月に廃止される③

    《マイナ保険証利用促進に1800億円の予算》政府は23年度補正予算に「マイナ保険証利用促進・環境整備」として887億円、「マイナンバーカード取得環境整備」として899億円を計上した。河野デジ大臣の肝いりの予算計上と思われるが、税金の無駄遣いも甚だしい。900億円をかけても利用率が上がるとは考えにくく、未だに利用率は4~5%から一向に上がっていない。2023/11/13日河野デジ大臣と武見厚労相は東京慈恵医大付属病院を訪問し、マイナ保険証をアピールするチラシを配布した。来秋の紙の保険証を廃止してマイナ保険証の移行を強引に進める一方、広報活動はチラシ配りとは、超がつくアナログ。まるでコントだ。(日刊ゲンダイ11/16付)と揶揄していたが全くその通りだ。《保険証限定の暗証番号なしマイナカードとは》悪あがきは続く...健康保険証が12月に廃止される③

  • 私と「道」の関係(5) ー セットバック② ー

    セットバックを念頭に、あらためて自宅付近を歩いてみると、けっこう多くのセットバックが見られる。場所によって様々だが、概して公道として有効に使われている所は少ないようだ。中には電柱が取り残されたまま残っている所もある。古くからの住宅街であっても、一斉に建て替えがなされるわけではないので、道をまっすぐ進んでも右側がセットバックされていたり左側にセットバックがあったりと一様ではない。たまに一定の地域が全て更地化されて新しい道路ができることがあるが、これはセットバックではなく再開発である。しかし、この場合は道路の位置も以前とは大きく変化してしまう。ところが、これに似た現象が私の家の前で発生したのだ。以前の道が残ったまま大きく拡幅されたのである。あの2mあまりの擁壁に囲まれていた小高い丘がブルトーザーで切り崩され、...私と「道」の関係(5)ーセットバック②ー

  • 健康保険証が12月に廃止される ② ーマイナ保険証のデタラメ政策ー

    🔷国家公務員の利用率と国民の利用率はどっちが高いの?今年2月朝日新聞は、国家公務員とその家族が利用する国家公務員共済組合の「マイナ保険証」の利用率が記載された厚労省の文書を入手した。これには、総務省など12の省庁の2023/11月の利用率が記載され、高いのは総務省の6.26%と財務省の5.57%、低いのは防衛省の2.5%と外務省の3.77%だ。防衛省と外務省の利用率が低いのは、「危機管理に長けている」かな?と云う気もするが…。はたしてどうなのか。12省庁の平均利用率は4.34%で、利用を国民に訴える厚労省は4.88%だった。決して高い数値ではなく、低さを競うドングリの背比べレベルである。ちなみに、1月厚労省が公表した国民の「マイナ保険証」利用率は4.29%で、年代別では「65~69才」の7.09%で、一番...健康保険証が12月に廃止される②ーマイナ保険証のデタラメ政策ー

  • 雨に映えるショウブとアヤメの花

    五月初旬からショウブとアヤメの花が咲きだした。ショウブには強い香りと刀のような葉には、邪気を払う力があるとされ、5月5日の端午の節句は「菖蒲の節句」とも云われている。武家時代はショウブを「勝負」「尚武」(武道・軍事を重んじること)にかけて、男子がたくましく育つことを願う節句だった。(西東社発行「花の歳時記」より)この花は「ショウブ」として売っていたものを買ったのだが香りは全くしない。花丈は80㎝もある。これは「アヤメ」のわい性種で商品名は「三寸アヤメ」。実際の花丈は30~40㎝だ。さて、ショウブとアヤメの花の違いはどこなのだろうか。アヤメは花弁の付け根に、黄色に青紫の網目の模様が入るのが特徴とある。ショウブは花の付け根が黄色く網目はないとある。違いはどこか良く観察したが、庭の『ショウブ』の花は付け根が黄色...雨に映えるショウブとアヤメの花

  • 私と「道」の関係(4) ー セットバック①ー

    私の住んでいる付近は古くからの住宅地で、狭い道路が縦横に入り込んだ地域だ。ところが近年、世代交代による土地の分筆なども進み、新しく住宅が建つケースが増えてきた。それに伴い道路の形状も変わり始めている。それは、「セットバック」という制度が適用されることによる道幅の拡幅である。建築基準法で、「都市計画区域で建物が建っている土地は、道路に2m以上接していなければならない」という規程(接道義務)がある。さらに、接道義務を果たすためには原則として幅員4m以上の正式な道路に土地が接している必要がある。こうした条件をクリアするために、新たに家屋を建てる際にはセットバックするわけである。因みにこのセットバックが必要になる建築基準法が施行されたのは、1950年11月23日以降ということだ。イメージとしては以下の図の通りだ。...私と「道」の関係(4)ーセットバック①ー

  • NEWS 江戸川区教組 No.2402

    自らの労働条件は自らの手で!教え子を再び戦場に送るな!日教組・東京教組と共に闘おう!NEWS江戸川区教組2024/5/7No.2402江戸川区教職員組合(江戸川区中央3-7-11-102江戸川区平和運動センター)“教育の現状を出し合い、今年度の活動を考える”江戸川区教組第35回定期大会を成功させましょう!下記の日程で定期大会を開催します。昨年度の報告、今年度の活動方針と予算、各分会の実情等を話し合う大切な大会です。日々多忙とは思いますが、職場の子どもたちや教職員の状況、今後の課題などを出し合い、私たちにできることは何か、知恵を出し合っていきましょう。その他、職場環境等でくすぶっている気持ち、教育のあり方で思うところ、江戸川区教育委員会に働きかけたいことなど、何でもかまいません。様々な体験や考え、意見を出し...NEWS江戸川区教組No.2402

  • 健康保険証が12月に廃止される ①

    Abeの政治哲学・国民はバカである・ものすごく怒っていても時間がたてば忘れる・他にテーマを与えれば気がそれる・うそでも繰り返し断定口調で叫べば信じてしまうと言ったそうだが、国民の心理を突いている気がする。デジタル相である河野がマイナカード取得者やマイナ保険証にポイントを付けて普及を急がせたのは、「何年前のことだったのだろうか」と記憶をたどるのに、確かに私は手間取っていた。時間がたてば他の課題に気を取られて忘れてしまうものだ。また、調べ直すことにした。2023/6月に成立したマイナ法令は、24年12月8日までに現行の「健康保険証」の発行を廃止することを規定した。23年12/12日岸田は紙の保険証を24年秋までに廃止し、「マイナ保険証」の利用率に関わらず一本化することを表明した。マイナ保険証の利用率は23/1...健康保険証が12月に廃止される①

  • 「Z世代・・・若者からの反戦の声」ーTBSサンデーモーニングよりー

    5月5日のTBSテレビ「サンデーモーニング」を視聴した。番組最後の「風をよむ」コーナーでは、アメリカを中心とした学生たち若者の反戦の動きを特集していた。題して、「Z世代・・・若者からの反戦の声」テレビ画面から写し取った画像を順番に掲げて紹介にかえる。この後に、各コメンテーターからのコメントがされた。正確ではないかもしれないが、凡そこのような発言だった。かいつまんで紹介する。(田中優子)・1960年代ベトナム反戦運動がアメリカから起こった。その後、フランス、ドイツ、イタリアに広がり、日本にもやって来た。当時の日本の4年制大学への進学率が15%ほどの頃、全国の大学の80%が反戦運動に関わるという広がりを見せた。東大や日大の学生たちは自分たちの身近な問題と合わせてベトナム反戦運動に立ち上がった。この運動は実を結...「Z世代・・・若者からの反戦の声」ーTBSサンデーモーニングよりー

  • 私と「道」との関係(3)―鉄道―

    子どもの頃、私も例にもれず自動車や電車(といっても地元を走るのはSLや気動車)という乗り物に興味関心があった。一度だけだが、危険な悪戯に参加したこともある。いや、正確に言うと、先輩たちの悪戯を一緒になって見学したことがあった。田んぼの中を一直線に延びる線路上を疾走する国鉄の気動車を眺めるのは楽しかった。私たちが、田んぼより一段高くなっている線路を下から見上げるようにしていると、ブーンという警笛を鳴らして気動車は通り過ぎて行った。きっと、運転士は悪ガキどもに不信感を抱き警告を発したに違いない。蒸気機関車の時は、その迫力と言ったら半端ない凄さで身震いするほどだった。ちょうど列車が短いトンネルを抜けてしばらく走った辺りに私たちは陣取っていた。ポーッ!と鳴る機関車の警笛音は、その蒸気の白さと合わせて脳裏にしみ込ん...私と「道」との関係(3)―鉄道―

  • 道と言えば思い出したこと(すばるさんにインスパイアされて)

    自分が子どもだったころ、近所の道は「遊び場」だった。家の前がアスファルト舗装になったのは小学校に入学するかしないかのことだから、あっちこっち未舗装の道も多かった。断わっておくが、子どものころに住んでいたのはれっきとした東京都内、それも「区内」なのだが。1960年ころの東京都世田谷区の西部の、道路状況はそんなものだった。家の前や近所には畑が広がり、畑の中の道や、雑木林の中の獣道のようなところは、格好の遊び場だった。家と家の間の路地なんかも、かくれんぼや缶蹴りにはうってつけだった。さて、以前勤務していた学校で、新年度のPTA便りに載せる記事のためにアンケートがあった。子どものころどんな場所で遊んでいたか?というような質問だったと思う。この質問に、自分が小学校高学年の頃の思い出を書いた。そのころ、子どもたちの間...道と言えば思い出したこと(すばるさんにインスパイアされて)

  • 私と「道」の関係(2) ー 道普請ー

    幼い頃の道にまつわる話はまだまだ沢山あるが、もう一つだけ紹介するとしたら「道普請」のことだ。今でも地域によってはこの地域協働活動とも言うべき「道普請」はあるようだが、私の子どもの頃は頻繁に行われていたのを記憶している。現代においてはこうした活動には、申請することによって何がしかの便宜を図る自治体もあると聞くが、少なくともあの時代の我が集落にはなかったと思う。何故、そう考えるかと言うと、その活動に参加できない家庭は「出不足金」として労働力の代わりに金銭を拠出する制度になっていたからだ。私の家は大家族なので主に祖父が出ていたが、母の実家は当時では珍しいサラリーマン一家だったので毎回「出不足金」を支払っていた。私はその「道普請」に興味があり、よく作業を見学したことがあるが、道端に延びた雑木を切ったり草を刈ったり...私と「道」の関係(2)ー道普請ー

  • 歴史学習にも科学を!

    学生だった頃はあまり勉強しなかったので、今になって不勉強を反省することが多い。とはいえ、学び直しをしてみると、かつては気にもならなかったことが気になってくる。そんなことを一つ述べてみたい。世界史を学ぶと初期の文明の発展は、人間の使っていた道具とその素材が関係していると教わる。石器時代(打製石器~磨製石器)から青銅器時代、そして鉄器時代へと変わり、鉄は今でも重要な素材であり続けている。さてここで、打製石器や磨製石器は、どう作ったのかイメージすることはたやすい。地域によっては、実際に作って、二つの違いを知ることも可能だろう。ところが、青銅器~鉄器となるとそうはいかなくなる。そもそも、なぜ青銅器が先で鉄器が後なのか?また、青銅は、銅と錫の合金だが、これは偶然に合金になったのだろうか?それとも、それぞれ単体の銅と...歴史学習にも科学を!

  • 私と「道」の関係(1) ー遊び場だった道路ー

    私は道路や鉄道に、幼い頃から興味関心が強かった気がする。田舎で生まれ育った私の家の前は今でこそ舗装されているが、子どもの頃は砂利道と言うより砂道であった。その道は、北から南にかけて緩い傾斜の坂道の終点の様な位置にあり、雨が降る度に上から流れて来る砂が堆積したのだ。私たちは、そこで砂遊びをしたり相撲をしたり、陸上競技会ごっこで走り幅跳びや三段跳びをして楽しんでいた。ローマオリンピックから東京オリンピックに続く頃だったように思う。当時は車など滅多に通ることはなく、時々馬車がやって来るのどかな田舎道だった。道の両側は生垣があり、その幅は3メートルにも満たないものだった。因みにその道路が緩いカーブを描く場所に木製の黒塗り電柱があり、電気工事をする際に切り落とされた銅線を拾い集めるのも楽しかった。こうした工事は結構...私と「道」の関係(1)ー遊び場だった道路ー

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