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アートプラス京めぐり https://blog.goo.ne.jp/korede193

京都の探索中、記事数5200、まち歩き・寺院神社・石碑道標・陵墓・看板 京都府南部も始めました

アートプラス京めぐり
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2015/02/19

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  • ニュース015 100歳以上の人口 都道府県別

    2018年9月15日現在男性は1万人で1人から0.4人男性は女性の9分の1都道府県100歳以上人口(人)人口10万人あたり(人)男女比(%)総人口(千人)男女計男女男女計男女男女1島根県69279613101.011.589.511.488.66852鳥取県5535649797.99.988.010.189.95653高知県6898560496.511.984.612.387.77144鹿児島県1557173138495.810.685.111.188.916265香川県81810271684.610.574.012.587.59676山口県1157135102283.79.873.911.788.313837宮崎県9119381883.78.575.110.289.810898愛媛県1140124101683...ニュース015100歳以上の人口都道府県別

  • 史跡八幡079 女郎花 塚

    関連記事⇒史跡八幡045小野頼風塚史跡前回の記事⇒史跡八幡080松花堂庭園下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せます史跡八幡079女郎花塚

  • ニュース014 60歳以上の 死亡原因

    死亡率は人口10万人に対する数値死因死亡数死亡率割合(%)死因死亡数死亡率割合(%)死因死亡数死亡率割合(%)死因死亡数死亡率割合(%)死因死亡数死亡率割合(%)60~64悪性新生物2985831949心疾患74508012脳血管疾患5074548自殺3050335不慮の事故226224465~69悪性新生物3936047248心疾患1008912112脳血管疾患6763818肺炎3264394不慮の事故273333370~74悪性新生物4786669644心疾患1422620713脳血管疾患101281479肺炎6477946不慮の事故362553375~79悪性新生物59945103538心疾患2261139114脳血管疾患1688729211肺炎132062288不慮の事故511788380~84悪性新生...ニュース01460歳以上の死亡原因

  • 史跡八幡080 松花堂庭園

    八幡と吉井勇放浪の歌人吉井勇は、昭和20年10月(60歳)から23年8月まで、孝子夫人とともに八幡月夜田にある宝青庵(通称紅葉寺)で暮らした。勇は八幡での2年10ケ月を「人世行路にようやく光明が射し始めてきた時期」であったと回想している。終戦による文学上の自由の回復と、出版界の活況が勇の文筆意欲を高め、この期間に雑誌などの原稿を多く書くほか、歌集を9集、小説3編を出版しており、23年1月に宮中歌会始の選者に、8月には日本芸術院会員となり、歌壇の頂点に到達した感があった。その歌境は、人生の幾多の起伏を経て沈潜した枯淡味が増し、日常の生活詠には自然と人間に対する勇の深い愛情を読み取ることができる。とくに、歌集「残夢」には松花堂庭園をはじめとして、八幡の風物と人々の暮らしを詠んだ五百余首が収められた。勇の足跡は、その...史跡八幡080松花堂庭園

  • ポスター0111 地下鉄に乗るっ 京都市地下鉄

    ポスター前回の記事⇒ポスター0110仁和寺372年、秘められた時を越え、五躰の明王初公開ポスター0111地下鉄に乗るっ京都市地下鉄

  • ニュース013 「じゅず」 京都は 「珠数」

    珠数数珠どちらでしょう京都では珠数があります。仁丹看板に通り名で書かれています下京区下珠数屋通仁丹下京区正面通仁丹まち歩き下0056京都は珠数京都以外は数珠何を売っている店か、よくわかります今日のニュース・昔のニュースニュース013「じゅず」京都は「珠数」

  • まち歩き八幡1163 石清水八幡宮 胸像 ボーイスカウト

    まち歩き前回の記事⇒まち歩き八幡1162石清水八幡宮ケーブル駅・山上下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せますまち歩き八幡1163石清水八幡宮胸像ボーイスカウト

  • 史跡八幡078 石清水八幡宮 小塔跡

    西谷・小塔跡当初より、神仏習合の宮寺であった石清水八幡宮の御本社西側、「西谷」には、早くも平安時代中期から仏堂建立が始まった地区です。今から900年程前の平安時代後期、白河法皇が大塔の建立を発願したことをきっかけに、谷を埋めた大規模な整地が行われ、大塔に続き小塔、鎌倉時代には八角堂など、数々の仏塔や仏堂が建立されました。小塔は鳥羽天皇の皇后である待賢門院(藤原璋子)の発願により、長承元年(1132)にこの付近に建てられ、文禄5年(慶長元年・1596)の「慶長の大地震」で倒壊したまま再建されませんでした。大塔より小型の「多宝塔」と呼ばれる形式の塔でした。関連記事⇒史跡八幡077石清水八幡宮大塔跡下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せます史跡八幡078石清水八幡宮小塔跡

  • 神社八幡0223 石清水八幡宮 供御所井

    神社前回の記事⇒神社八幡0222石清水八幡宮古びた建物下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せます神社八幡0223石清水八幡宮供御所井

  • ニュース012 清水の舞台から飛び降りる 江戸時代

    「清水の舞台から飛び降りたつもりで...○○する!」という、決心の言葉は聞いたことがあるのでは?本当に飛び降りた人々がいたから生まれた言葉。成就院に残る記録によれば、江戸時代の中期・元禄7年(1694)から明治維新直前の元治元年(1864)までの間に、未遂を含めてなんと235件もの飛び降り(当時の記録では「飛び落ち」)があったとか。ほとほと困った寺では、「防止柵をつけるとか、人々に飛び落ちないよう指導してください」と、京都町奉行所へ何度もお願いしたという記録も残っています。明治時代に入って、ようやく舞台の周りに竹矢来が組まれ、京都府から禁止令が発令されて終息したのです。明治時代中ごろに写された清水寺の写真には飛び降り防止の柵が写っています。地上約12メートル、4階建てのビルに相当する清水の舞台。この高さから飛び...ニュース012清水の舞台から飛び降りる江戸時代

  • 史跡八幡077 石清水八幡宮 大塔跡

    大塔は、天永2年(1111)に完成した巨大な仏塔です。平安時代後期、初めて院政を開き権勢を振るった白河法皇の御願により建てられました。慶長10年(1603)には豊臣秀吉の子・秀頼が再建します。その絵図面によると、現存する和歌山県岩出市根来寺の大塔(国宝)とほぼ同規模の、日本最大級の真言形式の大塔でした。側柱一辺14.9m、高さ27.1mもありましたが、今から約150年前の明治の初め、神仏分離令のため取り除かれました。平成22年(2010)の発掘調査で、塔の周りに四角く巡らせた雨落ち溝と、柱を支えた礎石やその抜き取られた穴が確認されたことから、大塔の位置と大きさが正確にわかりました。現在、生垣の通路に見えている丸い花崗岩は、落ち縁の礎石です。神社前回の記事⇒史跡八幡076石清水八幡宮八角堂跡下の地図のユーザー地図...史跡八幡077石清水八幡宮大塔跡

  • ニュース111 アイスクロス スポーツです

    都市型のウインタースポーツ氷上を駆けるRedBullIceCrossWorldChampionship2020年2月15日横浜市・臨港パーク特設会場ニュース111アイスクロススポーツです

  • 神社八幡0222 石清水八幡宮 古びた建物

    関連記事⇒神社八幡0221石清水八幡宮三女神社下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せます神社八幡0222石清水八幡宮古びた建物

  • 人物046 岩倉槇子

    病床に伏した維新の元勲・岩倉具視を、明治天皇が見舞う絵がある。床から起き上がり、手を合わす具視。そのそばに介添えする女性と、少し離れてひれ伏す女性がいる。介添えの人は具視の先妻の長女増子。ひれ伏す女性は正妻槇子である。「私は後妻の身。ここは、先妻の子を立てる場面です」と槇子自らが一歩ひいた。翌日、具視は波乱に満ちた59歳の生涯を閉じる。葬儀は、日本最初の国葬だった。槇子は膳所藩の武士の娘。若くして京都の御所の前(現在の京都地裁あたり)にあった岩倉邸に兄賀柔と奉公に上がった。兄は具視の身辺警護に当たり、槇子は身の回りの世話をした。この兄妹の献身的な陰の支えがなかったら、岩倉具視は明治維新の表舞台に立つことはなかったといわれています。具視は下級公家の子として京都に生まれたが、まもなく洛北の岩倉花園村に里子に出された...人物046岩倉槇子

  • ニュース011 高齢者の 平均余命 厚生労働省

    平成29年の資料から男性女性60歳23.7228.9765歳19.5724.4370歳15.7320.0375歳12.1815.7980歳8.9511.8485歳6.268.3990歳4.255.61今日のニュース・昔のニュースニュース011高齢者の平均余命厚生労働省

  • 神社八幡0221 石清水八幡宮 三女神社

    関連記事⇒神社八幡0220石清水八幡宮十三重塔下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せます神社八幡0221石清水八幡宮三女神社

  • 史跡八幡076 石清水八幡宮 八角堂跡

    鎌倉時代の初め、順徳天皇の御願により建てられた隅切り八角形の仏堂の跡で、堂内には像高約3mの金色に輝く阿弥陀如来坐像が納められました。その後、慶長12年(1607)には、豊臣秀頼により再建されました。明治になり、神仏分離令にため撤去されることとなり、正法寺の住職・志水円阿が、明治3年(1870)に所有地であった、西車塚古墳の後円部上に移築しました。西車塚古墳は、墳長約120mの木津川左岸最大級の前方後円墳で、山麓の東高野街道を約1.5㎞南に位置する、松花堂庭園の北西にあります。八角堂は、廃仏毀釈をまぬがれ市内に唯一現存する仏堂です。古墳の上に建つその姿は、八幡に生きた人々が、当時の文化を守ろうとした気持ちを今に伝えています。史跡前回の記事⇒史跡八幡075石清水八幡宮表参道愛染堂関連記事⇒寺院八幡0600正法寺浄...史跡八幡076石清水八幡宮八角堂跡

  • ニュース111 全国の自殺者 厚生労働省の資料

    第1章平成30年中における自殺の概況○平成30年の自殺者数は20,840人となり、対前年比481人(約2.3%)減。平成22年以降、9年連続の減少となり、昭和56年以来、37年ぶりに2万1,000人を下回った。また、男性の自殺者数は、女性の約2.2倍となっている(男性68.6%、女性31.4%)第3章平成30年における自殺の内訳○平成30年は、3月が最も多く、12月が最も少ない。平成29年及び30年における都道府県別の年間自殺死亡率○自殺死亡率が最も低かったのは徳島県で12.0、次いで神奈川県で12.4、京都府で13.2の順となった。ニュース111全国の自殺者厚生労働省の資料

  • まち歩き八幡1162 石清水八幡宮 ケーブル駅・山上

    まち歩き前回の記事⇒まち歩き八幡1161石清水八幡宮からの眺め下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せますまち歩き八幡1162石清水八幡宮ケーブル駅・山上

  • 人物045 新島 八重

    同志社の創立者、新島襄の妻・八重(通称・八重子)のゆかりの新島旧邸。この屋敷に50年以上八重は住んでいた。京都でキリスト教の学校を作る新島の難事業を助け、また欧米流の生活を実行した彼女への、世間の逆風はすごかったでしょうが、自分を失わず筋を通した。すごい女性だった。八重の一生は青春時代から幕末維新の動乱に巻き込まれるなど、波乱に満ちていた。1845年(弘化2年)、現在の福島県・会津若松市の鶴ヶ城ほ本拠とする会津藩の砲術指南山本家の長女として生まれた。17歳上の兄に、後に京都府顧問となり、また同志社創立を助けた覚馬がいた。この覚馬が佐久間象山に砲術、蘭学を学ぶなど進取と科学的精神にあふれていた。京都守護職を命じられた藩主・松平容保に従って覚馬は京都入りし、禁門の変では大砲隊を指揮して活躍した。この兄の影響を強く受...人物045新島八重

  • ニュース009 カラスの種類

    代表的なのはハシブトガラス、ハシボソガラス太い細い1ハシブトガラスハシブトガラスは日本で最もよく見掛けることのあるカラスで、名前からも推測できる通り、くちばしが太いのが特徴です。上部のくちばしがアーチ状にカーブしており、その大きなくちばしで様々なものをくわえることが可能となっています。また、くちばし以外にも頭の毛が特徴的で、羽毛が逆立ち、まるでモヒカンのようなシルエットをしています。好奇心が強い性格で人にも簡単に寄り付いて来て、凶暴な個体だと人間に襲いかかってくることも珍しくありません。鳴き声は聞き慣れた「カァーカァー」と言う、ごくごく一般的な鳴き声です。ハシブトガラスの特徴生息地:都心部性格:好奇心が強い鳴き声:「カァーカァー」見分け方:くちばしが太い・頭部の逆毛2ハシボソガラスハシブトガラスに次いで見かける...ニュース009カラスの種類

  • 石碑八幡0218 谷崎潤一郎 文学碑 石清水八幡宮

    石碑前回の記事⇒石碑井手0217宮本水車跡下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せます石碑八幡0218谷崎潤一郎文学碑石清水八幡宮

  • ニュース111 健康寿命 全国 一覧表

    2016年の健康寿命の都道府県別ランキングは次の通りです。左が男性で右が女性です。1山梨73.21愛知76.322埼玉73.10三重76.303愛知73.0山梨76.224岐阜72.89富山75.775石川72.67島根75.746静岡72.63栃木75.737山形72.61岐阜75.658富山72.58茨城75.529茨城72.50鹿児島75.5110新潟72.45沖縄75.4610福井72.45新潟75.4412宮城72.39大分75.3813千葉72.37静岡75.3713香川72.37福井75.2615鹿児島72.31群馬75.2016神奈川72.30石川75.1816滋賀72.30山口75.1818山口72.18千葉75.1719栃木72.12高知75.1720長野72.11青森75.1421兵庫72...ニュース111健康寿命全国一覧表

  • まち歩き八幡1161 石清水八幡宮からの眺め

    北西方向北方向赤い橋は京阪電車の鉄橋北西方向北東方向ここは京の都の裏鬼門に当たりますまち歩き前回の記事⇒まち歩き八幡1160石清水八幡宮神馬舎下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せますまち歩き八幡1161石清水八幡宮からの眺め

  • 神社八幡0220 石清水八幡宮 十三重塔

    十三重塔⇒まち歩き宇治0945浮島十三重石塔日本で現存最大の15メートル前回の記事⇒神社八幡0219石清水八幡大西坊跡下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せます神社八幡0220石清水八幡宮十三重塔

  • ニュース007 本物を見てみたい アイスバブル

    北海道の冬の阿寒湖で見られるそうだ「アイスバブル」ニュース007本物を見てみたいアイスバブル

  • 神社八幡0219 石清水八幡 大西坊跡

    北谷太西坊(大西坊)跡神と仏を合せ祀っていた石清水八幡宮には、江戸時代までたくさんの坊(小さな寺院)があり、「男山四十八坊」と呼ばれていました。男山展望台とその周辺にも、僧侶の住む坊が立ち並んでおり、その西奥にあったのが「忠臣蔵」とのゆかりで知られる「大西坊」です。太西坊の住職、専貞は赤穂藩家老・大石内蔵助の実弟で、専貞の跡を継いだ覚運は内蔵助の養子でした。元禄14年(1701)、江戸城で内蔵助の主君・浅野内匠頭が、吉良上野介の侮辱に絶えかね刃傷におよんだ「松の廊下事件」。その7日後、内蔵助は大西坊に手紙を書き「赤穂城を明け渡したのち、14~15人で仮住まいできるところを上方で探してほしい」と依頼しています。討ち入り後には、覚運が仇討を手伝ったことが評判となり、たくさんの寄付が集まり、坊を再興したと伝えられ、現...神社八幡0219石清水八幡大西坊跡

  • 神社八幡0218 石清水八幡宮 社号標 三宅石碑

    石清水八幡宮昭和3年10月京都三宅安兵衛建立神社前回の記事⇒神社八幡0217石清水八幡宮本社重文関連記事⇒関連0022三宅安兵衛石碑その2下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せます神社八幡0218石清水八幡宮社号標三宅石碑

  • 神社八幡0217 石清水八幡宮 本社 重文

    西総門重要文化財住吉社重要文化財北総門重要文化財水若社重要文化財おがたまの木東総門重要文化財信長塀神社前回の記事⇒神社八幡0216石清水八幡宮石燈籠重文下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せます神社八幡0217石清水八幡宮本社重文

  • 神社八幡0216 石清水八幡宮 石燈籠 重文

    神社前回の記事⇒神社八幡0215石清水八幡宮灯籠がたくさん並ぶ関連記事⇒まとめ045京都府の重要文化財・国宝建物下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せます神社八幡0216石清水八幡宮石燈籠重文

  • 神社八幡0215 石清水八幡宮 灯籠がたくさん並ぶ

    神社前回の記事⇒神社八幡0214石清水八幡宮御羽車舎下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せます神社八幡0215石清水八幡宮灯籠がたくさん並ぶ

  • ニュース007 京都市の過去の桜 開花日 ~2019年

    京都の標本木は二条城にあります。2000年:4月3日2001年:3月24日2002年:3月18日2003年:3月28日2004年:3月24日2005年:4月2日2006年:3月27日2007年:3月25日2008年:3月24日2009年:3月19日2010年:3月19日2011年:3月28日2012年:4月3日2013年:3月22日2014年:3月27日2015年:3月27日2016年:3月23日2017年:3月31日2018年:3月22日2019年:3月27日2020年:ここかな今日のニュース・昔のニュースニュース007京都市の過去の桜開花日~2019年

  • 神社八幡0214 石清水八幡宮 御羽車舎

    神社前回の記事⇒神社八幡0213石清水八幡宮一ツ石関連記事⇒49八幡地区記事検索一覧その2下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せます神社八幡0214石清水八幡宮御羽車舎

  • 神社八幡0213 石清水八幡宮 一ツ石

    一ツ石(ひとついし)この石から本殿までの間でお百度参りやお千度参りを行った神社前回の記事⇒神社八幡0212石清水八幡宮表参道第3鳥居と鳩峯寮の庭下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せます神社八幡0213石清水八幡宮一ツ石

  • 神社八幡0212 石清水八幡宮 表参道 第3鳥居 と 鳩峯寮の庭

    鳩峯寮の庭重森三玲作この石庭は昭和を代表する作庭家である重森三玲翁により、昭和36年9月16日に当地方を襲った第2室戸台風で倒壊した三之鳥居(正保2年・1645建立)の石材を用いて、昭和41年5月11日に作庭されました。参道の石畳を含めた東西にわたり一貫する直線と斜線の繊細な組み合わせと、力強い石組との対比によって構成された珍しい石庭で、生涯にわたって月参りを続けられた翁の深い敬神崇祖の心が大変見事に表現されています。関連記事⇒49八幡地区記事検索一覧その2神社前回の記事⇒神社八幡0211石清水八幡宮表参道第2鳥居下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せます神社八幡0212石清水八幡宮表参道第3鳥居と鳩峯寮の庭

  • ニュース006 京都にもある 忍者からくり屋敷

    二条城の南、二条陣屋とよばれています。●大座敷の天井裏に武者隠しがある。●中仕切りの戸は段襖というもので、明かり障子と襖が段々になっている。盗聴のために近寄ると影が映る。●釣り上げると天井の一部になってしまう梯子。●上部二段ほど段がなく、知らずに踏み出すと転げ落ちる趣向の階段。●7つの棟が迷路のように連なり、外側はすべて土蔵造り。いざというとき窓はみんな外面に壁土を塗りこめた土戸が閉まる。●屋敷内に12の井戸があり、地中に銅の桶を隠し、すべての井戸につながっている。どれか1つで水を汲むと、他の井戸から水が補給される。●大座敷の隣、八畳の間の畳をあげると、能舞台に変わる。●二階の苫舟の間から釣瓶で水を汲める。文化財中003二条陣屋は迷路のよう関連記事⇒今日のニュース・昔のニュースニュース006京都にもある忍者からくり屋敷

  • まち歩き八幡1160 石清水八幡宮 神馬舎

    まち歩き前回の記事⇒まち歩き八幡1159石清水八幡宮表参道鳩茶屋下馬石柱下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せますまち歩き八幡1160石清水八幡宮神馬舎

  • ニュース005 全国 梅の開花日 2020年2月12日現在

    -マイナスが多い例年よりも早く咲いている暖冬だうめの開花日(2019年-2020年)-は早い+は遅い2019年2020年地点名観測日平年差昨年差観測日平年差昨年差代替種目による観測札幌4月22日-9-4-//////室蘭4月28日-6+1-//////函館4月22日-7-3-//////青森4月18日-3-1-//////ぶんごうめ秋田4月6日-3-6-//////盛岡3月20日-23+1-//////山形3月26日-10-5-//////仙台3月6日+7-10-//////福島2月21日-14-15-//////新潟3月1日-14-242月2日-41-27金沢2月18日-8-192月3日-23-15富山2月25日-5-10-//////長野3月21日+4-7-//////宇都宮2月8日-6-7-//////福...ニュース005全国梅の開花日2020年2月12日現在

  • 道標八幡0291 石清水八幡宮 表参道

    道標前回の記事⇒道標八幡0290いわし水下り坂下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せます道標八幡0291石清水八幡宮表参道

  • ニュース004 京都府の高い山 ベスト 12

    赤字クリックでジャンプします赤字は京都市内の山1皆子山みなこやま971m○琵琶湖周辺2愛宕山あたごやま924m○丹波高地3長老ヶ岳ちょうろうがだけ917m○丹波高地4桟敷ヶ岳さじきがだけ896m○丹波高地5頭巾山とうきんざん871m○丹波高地6比叡山<大比叡>ひえいざん<だいひえい>848m○琵琶湖周辺7大江山(千丈ヶ嶽)おおえやま(せんじょうがたけ)832m○丹波高地8太鼓山たいこやま683m○丹波高地9鷲峰山じゅうぶざん682m○笠置山地10ポンポン山ぽんぽんやま679m○丹波高地11磯砂山いさなごさん661m○丹波高地12音羽山おとわやま593m○琵琶湖周辺関連記事⇒今日のニュース・昔のニュースニュース004京都府の高い山ベスト12

  • 史跡八幡075 石清水八幡宮 表参道 愛染堂

    愛染堂と南谷の坊跡石清水八幡宮の三の鳥居から東へ階段を下るルートを「表参道」といいます。表参道の石垣は、「坊」という小さな寺院の跡です。神と仏を合せ祀った八幡宮には坊が数多くあったことから、「男山四十八坊」と呼ばれていました。「南谷」といわれたこの周辺にも坊や仏堂が建ち並んでいましたたが、明治時代の神仏分離令により失われました。三の鳥居周辺には、平安時代に栄華を極めた藤原道長が建てた仏塔もあり、鳥居のすぐ南には、天治3年(1126)に平宗実が建てた「駿河三昧堂」という多宝塔がありました。さらに現在地周辺には、愛染堂(盛輪院)がありました。石清水八幡宮長官であった檀棟清により、寛元4年(1246)に建てられたものです。かつて本殿の南西、西谷にあり、八幡市内の古墳の上に移築された八角堂と同じ、隅切り八角形の仏堂だっ...史跡八幡075石清水八幡宮表参道愛染堂

  • まち歩き八幡1159 石清水八幡宮 表参道 鳩茶屋 下馬石柱

    関連記事⇒49八幡地区記事検索一覧その2まち歩き前回の記事⇒まち歩き八幡1158石清水八幡宮表参道下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せますまち歩き八幡1159石清水八幡宮表参道鳩茶屋下馬石柱

  • ニュース003 日本で一番高い所にある 野趣あふれる露天風呂

    長野県の本沢温泉です。標高2150m、日本最高所にある野天風呂八ヶ岳の東側、硫黄岳の中腹の「本沢温泉」たどり着くためには1時間以上は歩くことになります。京都市内には野趣あふれる露天風呂はなさそうに思うのですが・・・・ニュース003日本で一番高い所にある野趣あふれる露天風呂

  • 史跡八幡074 石清水八幡宮 表参道 豊蔵坊 三宅石碑

    豊蔵坊跡昭和2年10月京都三宅安兵衛依遺志南谷豊蔵坊跡江戸に幕府を開いた徳川家康が早くから祈願所とし、徳川将軍家の坊として江戸時代もっとも栄え、文久3年(1863)に孝明天皇が攘夷祈願を行った場所としても有名です。石高は男山四十八坊といわれた坊のなか随一でした。正法寺の開祖である志水家の娘で、家康の側室となったお亀の方(相応院)のおかげで、江戸幕府の手厚い保護があったともいわれています。お亀の方の子は初代尾張藩主となり、母の菩提寺である正法寺を厚く庇護しました。豊蔵坊は、江戸幕府が直接修理や築造を行ったので、詳しい絵図が複数現存しています。客殿や庭を備え、湯殿が2ケ所、蔵が3棟あり、敷地全体に所狭しと建てられていました。明治初めに建物は全て取り除かれましたが、豊蔵坊にあった徳川家康の像(東照神君像)は、京都市の...史跡八幡074石清水八幡宮表参道豊蔵坊三宅石碑

  • 史跡八幡073 石清水八幡宮 表参道 中坊と椿坊跡

    中坊と椿坊の坊跡神仏習合の宮寺・石清水八幡宮では、江戸時代末まで山内に数々の坊があり、「男山四十八坊」と呼ばれました。この周辺は「中谷」といわれ、現在の社務所周辺まで、所狭しと坊が建てられていました。明治の初めに神仏分離令によって取り除かれ、現在は石垣を残すだけですが、詳細な絵図が残されており、坊の名前もわかっています。四角い切り石が積み上げられたのは「中坊」の門があった場所です。中坊は平安時代中期にはすでに記録があり、鎌倉時代以降に増える石清水八幡宮の坊の中でも古くからありました。現在の社務所のあたりにあった「椿坊」には、平安時代末期の女流歌人で有名な小侍従が住んでいたといられています。小侍従の父は石清水八幡宮第25代別当の光清、姉妹は鳥羽天皇に嫁ぎ、八幡市の地名・美濃山の由来として語られる美濃局。「待つ宵に...史跡八幡073石清水八幡宮表参道中坊と椿坊跡

  • 史跡八幡072 石清水八幡宮 表参道 橘本坊跡

    橋本坊は足利氏の祈願所でした。足利氏は、平安時代後期に石清水八幡宮社頭で元服し、「八幡太郎」と呼ばれた源義家の孫・義康を祖とする武家の名門で、室町幕府を開いた足利尊氏から約240年間のわたり日本を統治しました。室町幕府3代将軍である足利義満の母、良子は、石清水八幡宮寺の長官を務めた家である「善法律家」の出身であったことからゆかりが深く、足利将軍の多くは生涯に何度も参詣し、放生会(現在の勅祭・石清水祭、9月15日)も執り行いました。橋本坊には世に名高い八幡太郎義家の産衣や甲冑がありましたが、宝暦9年(1759)の火事で焼失し、今は石垣だけが残されています。関連記事⇒寺院八幡0583善法律寺三宅石碑慰霊碑紀元2600年碑史跡前回の記事⇒史跡八幡071石清水八幡宮萩坊跡三宅石碑下の地図のユーザー地図の囲みをクリックす...史跡八幡072石清水八幡宮表参道橘本坊跡

  • まち歩き八幡1158 石清水八幡宮 表参道

    関連記事⇒49八幡地区記事検索一覧その2まち歩き前回の記事⇒まち歩き八幡1157石清水八幡宮裏参道燈籠下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せますまち歩き八幡1158石清水八幡宮表参道

  • まち歩き八幡1157 石清水八幡宮 裏参道 燈籠

    明和9年(1772年)まち歩き前回の記事⇒まち歩き八幡1156石清水八幡宮裏参道三町下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せますまち歩き八幡1157石清水八幡宮裏参道燈籠

  • ニュース002 全国の銭湯の料金

    (令和2年)都道府県大人料金中人・小学生小人・未就学児軒数北海道45014070270青森45015060297秋田4601309013山形300120801岩手4301507020宮城440140807福島4501509010栃木420180908群馬4001808022茨城350130703千葉4501707046埼玉4301807051東京47018080542神奈川470200100141山梨4301707021長野4001507039新潟4201407026静岡4501809011愛知4401507091岐阜4601608022三重4001507033石川4601305074富山4401406085福井4301506018滋賀43015010017京都45015060170大阪45015060517兵...ニュース002全国の銭湯の料金

  • まち歩き八幡1156 石清水八幡宮 裏参道 三町

    まち歩き前回の記事⇒まち歩き八幡1155石清水八幡宮裏参道二町関連記事⇒49八幡地区記事検索一覧その2下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せますまち歩き八幡1156石清水八幡宮裏参道三町

  • 史跡八幡071 石清水八幡宮 萩坊跡 三宅石碑

    太子坂・萩坊跡二の鳥居の北に至る「裏参道」は、江戸時代まで「太子坂」といい、古くは約700年前、鎌倉時代の上皇が参詣の帰りにこの道を通った記録があります。坂の途中を造成して造られた坊のひとつ、「萩坊」は、安土桃山時代の高名な画家・狩野山楽が、豊臣秀吉に追われ隠れ住んだことでも知られ、客殿は山楽が描いた金張付極彩色の図で飾られていました。山楽の子・狩野山雪の襖絵は八幡宮の北側にある神応寺に所蔵されています。坂を下ると、聖徳太子3歳の像を祀った「太子堂」があり、室町時代には他に丈六(一丈六尺)という像高3m程の巨大な阿弥陀仏を安置した行願院もありました。明治時代の初めの神仏分離令ですべて破却されましたが、難を逃れた太子堂は、現在も滋賀県お大津市の国分聖徳太子会で大切に守られています。萩坊跡昭和3年建立京都三宅安兵衛...史跡八幡071石清水八幡宮萩坊跡三宅石碑

  • まち歩き八幡1155 石清水八幡宮 裏参道 二町

    関連記事⇒49八幡地区記事検索一覧その2まち歩き前回の記事⇒まち歩き八幡1154石清水八幡宮裏参道竹雨水下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せますまち歩き八幡1155石清水八幡宮裏参道二町

  • まち歩き八幡1154 石清水八幡宮 裏参道 竹雨水

    関連記事⇒49八幡地区記事検索一覧その2まち歩き前回の記事⇒まち歩き八幡1153石清水八幡宮裏参道一町植物の絵画かな下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せますまち歩き八幡1154石清水八幡宮裏参道竹雨水

  • 今日のニュース・昔のニュース

    ニュース001「京都」の京の字ニュース002今日のニュース・昔のニュース

  • ニュース001 亰都の亰の字は 京に 統一された

    学校歴史博物館の展示から小学校の教員免許状京に統一されたニュース001亰都の亰の字は京に統一された

  • 問題021 3辺の長さ 13、14、15の三角形

    3辺の長さが13㎝、14cm、15cmの三角形で、14cmを底辺とすると高さは何㎝でしょう。過去問⇒問題の検索どれにしますか問題0213辺の長さ13、14、15の三角形

  • まち歩き八幡1153 石清水八幡宮 裏参道 一町 植物の絵画かな

    何だろう関連記事⇒49八幡地区記事検索一覧その2まち歩き前回の記事⇒まち歩き八幡1152石清水八幡宮裏参道登リ口下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せますまち歩き八幡1153石清水八幡宮裏参道一町植物の絵画かな

  • まち歩き八幡1152 石清水八幡宮 裏参道 登リ口

    関連記事⇒49八幡地区記事検索一覧その1まち歩き前回の記事⇒まち歩き八幡1151石清水八幡宮表参道下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せますまち歩き八幡1152石清水八幡宮裏参道登リ口

  • まち歩き八幡1152 カナヘビ

    尻尾が切れたようだまち歩き前回の記事⇒まち歩き八幡1151石清水八幡宮表参道下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せますまち歩き八幡1152カナヘビ

  • 神社八幡0211 石清水八幡宮 表参道 第2鳥居

    神社前回の記事⇒神社長0210走田神社(はしりだ)下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せます神社八幡0211石清水八幡宮表参道第2鳥居

  • まち歩き八幡1151 石清水八幡宮 表参道

    まち歩き前回の記事⇒まち歩き八幡1150石清水八幡宮表参道分岐点下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せますまち歩き八幡1151石清水八幡宮表参道

  • 史跡八幡070 石清水八幡宮 影清塚

    平家の侍大将悪七兵衛影清が主君のあだを討とうとしてこのところにかくれ、当宮参詣の源頼朝をねらったところと伝わる。一説にはここは石清水の下流にあたるので、参詣人がこの流れに影をうつし、不浄を洗い清めたとこだともつたわる。史跡前回の記事⇒史跡八幡069石清水八幡宮泉坊跡三宅石碑下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せます史跡八幡070石清水八幡宮影清塚

  • 祠八幡060 石清水八幡宮 大扉稲荷社

    その昔、このあたりに狐の住む穴があり、柴草を刈りに来る人にいたずらをするので、小祠を建て崇めたそうです。文政12年(1829)に至って、杉本坊と泉坊が八幡宮に願い出て、現在の場所にあった荒垣を取り除き、鳥居、玉垣を作り、建立したと伝えられています。また、稲荷社に祈った人が、その霊験によって富くじに当たったことが伝わると信者を増やし、その人たちの寄進で完成したといわれています。さらに、稲荷社の祭神の名を知る人がなく、また古記にも伝えられていないため、京都七条の高瀬川傍で神降しや吉凶占いなどの神告を業とし、稲荷を信仰する石井巳之助という人により、「我は相槌稲荷の子、名を登毘良明神と申す」とのお告げがあり、神の名を知ることになったそうです。こうして下京にはこの大扉稲荷社を信仰する人が多く、参拝者が多かったと「男山考古...祠八幡060石清水八幡宮大扉稲荷社

  • 人物034 まとめ017 道元禅師

    1200年京都に生まれる宇治市木幡で生まれたと推定される。3歳父(内大臣、久我通親)亡くなる8歳母(藤原基房の娘)亡くなる。母は死を前に「仏門にはいれ」と諭している。13歳比叡山に登る。18歳建仁寺に入る栄西禅師の門をたたく。24歳中国へ渡る。26歳中国で天童山如浄和尚と会い、やがて如浄和尚のもとで大悟する。28歳中国から帰る。31歳深草安養院(現欣浄寺)に閑居。ここで「正法眼蔵」を書き始める。34歳深草興聖寺を開く。いま日蓮宗の宝塔寺がある深草宝塔寺山町は道元が本格的な弘法救生活動に乗り出すため建てた深草興聖寺がかつて建っていたところと伝わる。36歳宇治に興聖寺僧堂を建立。44歳京都を去って福井へ。越前の武将波多野義重の招きに応じる。永平寺を創建した。名利に捉われず、理論を捨てて体験による行の宗教を強く主張し...人物034まとめ017道元禅師

  • 人物018 まとめ018 元三大師 (慈恵大師)

    元三大師良源(慈恵)良源延喜12年(912)9月3日、近江国(滋賀県)浅井郡虎姫で生まれる。父は饗場重頼、母は物部憲興の娘月子といい、幼名を日吉丸あるいは観音丸という。延長元年(923)12歳の時仏門に入り理仙大徳に師事する。良源は得度し、正式の僧となる時期目前に来て、師理仙の突然の死に遭遇し、後に伊勢国朝明ぐんの郡領船木良見の尽力により得度を許されたため良見の一字を得て僧名を良源し名乗り、修行を重ねる。良源55歳で第18世天台座主となり叡山の諸堂を復興し、山侶2700人に及び中興の祖と号せられる。その間累進して僧正に任ぜられ、つづいて行基以来の大僧正に任ぜられる。名声は高く当時並ぶ者がなかったといわれる。慈恵大師(912~985)は第18世天台座主良源の号で、正月3日に死んだことから元三大師ともいわれる。尊意...人物018まとめ018元三大師(慈恵大師)

  • 人物032 まとめ019 最澄

    唐で仏教を学び、天台宗をつたえた平安時代の僧空海(弘法大師)と並び称される平安初期の高僧で、天台宗の開祖。清和天皇の貞観8年(866)贈られた「伝教大師」の諡(おくりな)は、わが国最初の大師号である。767年、近江国滋賀郡の人で、俗称は三津首(みつのおびと)広野。ほくろがく首の左に1つ、左ひじの上に1つあったという。三津首家は、当時の村長クラスの家柄で祖先は中国からの帰化人とされる。12歳で近江国分寺へ入り、19歳で東大寺で受戒、その直後比叡山に入る。12年間一人で修業した。延暦7年(788)比叡山根本中堂を建立し、30歳、宮中の仏事に奉仕する内供奉十禅師の一人に選ばれる。延暦23年勅を奉じて入唐、天台山に学んだ。空海も同年入唐して長安に学び、大同元年(806)帰国しているが、最澄は1年間の滞在で帰国し天台宗を...人物032まとめ019最澄

  • 人物031 まとめ021 九条武子

    まち歩き左0728大原女彫刻ポスター0073九絛武子ポスター0020如月の華九条武子ものがたり寺院左0440釈迦堂境内の掲示物法然上人人物031まとめ021九条武子

  • 人物030 まとめ022 法然上人

    石の唐櫃に納められて知恩院勢至堂の門内右手に埋められたのだが、比叡山の荒法師たちによって遺骸が掘り出されようとしたので、一時嵯峨の二尊院に移したものの、ここも天台僧によって危険になったので、今度は太秦のの大藪の中(今日の西光寺)に隠し、さらに西山粟野の光明寺へと移してここで荼毘にふしたという。激しい宗派の動きの中で、死後もつねに荒波の中に立った法然であった。大谷本廟とともに光明寺にも廟堂があるのは、そのためであって、また、知恩院の古門前参道の白川橋にかかる石の太鼓橋は、「忠臣蔵」の天川屋儀兵衛とよく混同されやすい大阪の豪商・天野屋利兵衛の寄進による江戸初期の石像美術品だが、そこを少し入った所の華頂幼稚園前にある幼児の合掌姿の銅像は幼児の法然上人を現した「勢至丸」の像である。法然上人は美作国久米の時国の子で、幼名...人物030まとめ022法然上人

  • まち歩き八幡1150 石清水八幡宮 表参道分岐点

    まち歩き前回の記事⇒まち歩き八幡1149石清水八幡宮駒返し橋下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せますまち歩き八幡1150石清水八幡宮表参道分岐点

  • 人物029 まとめ023 円山応挙

    関連記事悟眞寺・應攀寺円山応挙地蔵尊寺院中0182休務寺浄土宗西山禅林寺派画家石田幽汀墓所人物029まとめ023円山応挙

  • まち歩き八幡1149 石清水八幡宮 駒返し橋

    むかしはこの辺は道が険しく、登山しにくかったので、ここより馬を返したところといわれています。まち歩き前回の記事⇒まち歩き八幡1148石清水八幡宮細橋(ささやきばし)下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せますまち歩き八幡1149石清水八幡宮駒返し橋

  • 問題020 どこに 誰が 住んでいますか

    一郎、二郎、三郎、四郎、五郎、六郎があるアパートの下の図のように1号室から6号室のどれかに住んでいます。6人の名字は月岡、火野、水原、木田、金子、土井のどれかです次の各文はその住人についての話です。㋐月岡三郎の部屋の両隣りには、土井と金子が住んでいる㋑一郎の向かいには四郎、火野の向かいには土井が住んでいる㋒木田一郎、1号室の二郎、2号室の水原の3人は同じ大学に通っている。㋓土井と五郎は幼なじみである。このとき、6つの部屋の住人はそれぞれ誰でしょう。今までの問題問題の検索どれにしますか問題020どこに誰が住んでいますか

  • 史跡八幡069 石清水八幡宮 泉坊跡 三宅石碑

    今から約400年前の江戸時代初期、「寛永の三筆」の一人で、当代一の文化人であった僧侶・松花堂昭乗がこの坊で晩年を過ごしました。昭乗は石清水社の隣の「瀧本坊」の住職でしたが、引退したのち泉坊に庵を建て、「松花堂」と名付けました。明治時代の神仏分離令で、男山からすべての坊が撤去されることになり、今ではここから約2㎞南にある「松花堂庭園」に、草庵松花堂と書院が移築されました。泉坊松花堂跡昭和2年建立京都三宅安兵衛依遺志関連記事⇒関連0022三宅安兵衛石碑その2史跡前回の記事⇒史跡八幡068石清水八幡宮松花堂およびその跡下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せます史跡八幡069石清水八幡宮泉坊跡三宅石碑

  • 史跡八幡068 石清水八幡宮 松花堂およびその跡

    江戸時代前期の文化人松花堂昭乗が晩年庵を結んで隠棲した跡地で、その庵の建物は明治の廃仏毀釈で撤去されましたが、現在、八幡市松花堂庭園の一画に茅葺宝形造りの茶室松花堂等が移築されています。松花堂昭乗は、真言宗の学僧で、小堀遠州や近衛信尋、沢庵宗彭などと交遊を結び、書や画を能くし、茶人としても著名です。寛永三筆の一人に数えられ、松花堂流(瀧本流)の開祖となりました。史跡松花堂およびその跡文部省昭和32年7月石清水八幡宮鎮座する男山には、『男山四十八坊』と総称されるほど数多くの宿坊が立ち並んでいた。この地は、これらの宿坊の1つで泉坊跡で、江戸時代初期、松花堂昭乗(1582~1639)が、その晩年に一宇の庵(松花堂)を結んだことで有名である。石清水八幡宮の社僧であった昭乗は高名な茶人・画家であるとともに、寛永の三筆にも...史跡八幡068石清水八幡宮松花堂およびその跡

  • 史跡八幡067 石清水八幡宮 瀧本坊 三宅石碑 松花堂昭乗 「空中茶室」

    東谷瀧本坊跡江戸時代初期に「寛永の三筆」の一人と称された松花堂昭乗が住職をつとめた坊です。現代では「松花堂弁当」の由来としても有名ですが、書画だけでなく茶の大成者でもありました。江戸城など幕府の数々の建築を手掛け、将軍の茶道師範でもあった小堀遠州は昭乗の親友で、この瀧本坊には遠州と共に造った茶室「閑雲軒」があり、詳しい絵図面も残されています。平成22年(2010)の発掘調査では、坊跡の地面の上に、南にあった客殿の礎石と、北には漆喰作りの瓢箪型の池が見つかりました。さらに、絵図をもとに東の崖の斜面を調査したところ、建物の柱を支えた礎石の列が30m以上に渡って見つかり、環雲軒の北に懸け造りの書院があったことがわかりました。茶室「閑雲軒」は7mもの柱で支えられ、床面のほとんどが空中に迫り出した「空中茶室」ともいうべき...史跡八幡067石清水八幡宮瀧本坊三宅石碑松花堂昭乗「空中茶室」

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