理系博士課程中退男子が営業の仕事をしながら読書、書評、科学解説、アニメ評などするブログ
はじめまして!自己紹介はこちらから↓ はじめに(自己紹介/ブログでやってること) - たらんてら http://bibibi-sasa-1205.hatenablog.com/entry/2012/05/24/044344 小説の創作や、同人誌作りもしてます。
「黒い森見登美彦」としての佐川恭一 ── 名もなき男たちの肖像
作成:悪循環画像ジェネレータ 昨年の秋ごろだったか、かねてから仲良くしていた小説を書く友人たちが偶然東京で集まれる日があった。知人の結婚式に出席したのちに合流した佐川恭一(もんもん文学賞受賞)はそのときもうすでにいい感じに酔っ払っていて、ほぼ文章でしかかれの存在を認知していなかった友人たちは「実在したんですね!」と歓喜の声をあげた── 目次 「黒い森見登美彦」として 名前を与えられない男たち 三島由紀夫と佐川恭一 おわりに
SFの領分――SFアンソロジー『Genesis 一万年の午後』(東京創元社)書評
いろんな幸運にめぐまれた2018年で、ありがたくも拙作『コロニアルタイム』が日本SF大賞のエントリー作品としてご推薦いただいたのだけれど、実のところSFをこれまでたくさん読んできたわけじゃなかった。というか、そもその小説自体を20代前半まではほとんど読まずに過ごしてきていて、小説を読んだからこそ小説を書きはじめたという事実の一方で、小説をたくさん読むようになったのは小説を書きはじめてからだった。 小説のことはまだぜんぜんよくわかっていないのだけれど、ひとつ掴んだ革新的なこととして、「小説を読まなければ小説を読めるようにはならない」というものがある。なんらかの前提知識がなければたのしめない小説ば…
さくらももこのエッセイ漫画「ひとりずもう」には彼女が漫画家になる前のことが描かれている。静岡で、家族にもなかば呆れられながら漫画家になる未来を信じて漫画を描き、「りぼん」に投稿していた高校の終わりから短大時代のエピソードがとても印象に残っている。 創作という行為は苦しい。すくなくとも楽じゃないとぼくはおもう。しかしながらそれは決して創作の「たのしさ」に反するものじゃない。創作はたのしい。しかし、その創作がじぶんの手を離れたところに届く確信のなさが苦しい。 出版社に投稿した原稿に返事があることはひとまず確率的にみてとても低く、だからこそ雑誌にじぶんの名前が載ったり、主催側から電話がかかってきたり…
柴崎友香『公園へ行かないか? 火曜日に』書評/今年はこれを読めたらかもう問題ない。
先日、ピッツバーグで銃乱射事件が起こり、11人の犠牲者が出た。テレビのニュースでそれを知った。ユダヤ教礼拝所に男がやってきて発砲し、拘束時にはユダヤ人排斥の罵倒を繰り返していたと報じられていた。2012年の春から夏にかけての5ヶ月間、ぼくはこのピッツバーグという街で暮らしていた。 博士課程2年生のとき、さまざまな幸運が重なって運良く研究留学でこの地を訪れたぼくは、カーネギーメロン大学というところに籍を置かせてもらっていた。全身のカーネギー工科大学はポップアートの巨匠であるアンディ・ウォーフォルの出身校で、科学と芸術についての評価が世界的に高く、世界各地から人種も国籍もさまざまなひとが集まってい…
山本ゆり『スターバックスで普通のコーヒーを頼む人を尊敬する件』/前職の会社のこと
料理本を多数出している料理ブロガーの山本ゆりさんからTwitterでDMをいただいた。 ameblo.jp 実は山本さんの前職というのがぼくが務めていた会社とおなじであり、そのことをツイートしたのがきっかけだった。ぼくは山本さんとおなじ86年生まれなのだけれど、大学院に進学したこともあり在職時期は被っていない。ぼくは2014年4月に5つ歳下の学部卒のひとたちと一緒に新卒で入社して、その頃にはもう山本さんはいまの仕事をされていた。 管理職のひとたちは営業研修のときによく山本さんの話をして、「文章にユーモアのある奴だった」「あいつの書く○○(媒体名)の原稿は光っていた」など、故人をしのぶ眼差しをし…
何もない集落に生まれたことも、田舎者丸出しのなりふり構わない暮らしも、大人になってそれを隠しながら生きていたことも、教員を続けられなかったことも、病気も、経験してきた数々の恥ずかしい出来事すべてが書くことに繋がるのなら、それでいいじゃないか。そこに着地させたい。私の中の「おしまいの地」を否定せずに受け止めたい。そう思うようになった。 ──こだま『ここは、おしまいの地』 先月から文章を書く基礎体力の維持と、これまでのぼくの身辺で起きたことなどの整理を目的として、noteで「サッカー部がきらい。」というエッセイをほそぼそと書きはじめた。 note.mu 文章じたいは仕事の兼ね合いで毎日それなりの量…
地続きの異世界を目指して──現実と虚構の濃度、その位置関係をめぐる金子薫試論
結末を決めてから書き始めたわけではなかったが、本間にとってモイパラシアとは、その純粋さが昂じて死に魅せられることはあっても、必ずや生の側に踏みとどまり、何があろうと懸命に生きてゆくことを望むような少年であった。 ところが、かつて本間がその身に命を吹き込んだモイパラシアは、ソナスィクセム砂漠の南西部を走る貨物列車に轢かれ、いまや、ずたずたの轢死体と成り果てた。おそらくは線路に飛び込んだか、あるいは横になり列車が来るのを待っていたのであろう。原稿用紙の上には、列車によって切断されたと思われる少年の左腕が、無造作に投げ出されていた。切断面からは黒インクが血液の如く流れ続けており、もはや執筆など続けら…
紗倉まな『春、死なん』(群像2018年10月号)感想/奪われた死に場所
近況『たべるのがおそいvol.6』掲載 たべるのがおそいvol.6(書肆侃侃房)に『誘い笑い』という原稿用紙30枚ほどの短編小説を掲載していただきました。 文学ムック たべるのがおそい vol.6 posted with ヨメレバ 谷崎 由依,酉島 伝法,佐藤 究,深緑 野分,林 由紀子,前田 司郎,吉野 仁,我妻 俊樹,石川 美南,斎藤 見咲子,中山 俊一,メアリー・エリザベス・カウンセルマン,ホルへ・ルイス・ボルヘス,大滝 瓶太,北野 勇作 書肆侃侃房 2018-10-11 Amazonで見る Kindleで見る なし崩し的に就活をはじめることになった大学生が、YouTubeでむかしの漫才…
「メルヘン翁」をもう一度/さくらももこ『もものかんづめ』書評
祖父が死んだのは私が高二の時である。 祖父は全くろくでもないジジィであった。ズルくてイジワルで怠け者で、嫁イビリはするし、母も私も姉も散々な目に遭った。 さくらももこ『もものかんづめ』収録、「メルヘン翁」 妻はマンガこそ大量に読むが、活字はまったくといっていいほど読まない人間だ。付き合いはじめた当初のぼくも活字などまったく読まない人間だったのもあり、その数年後には共に暮らす家が字ばかりの本で埋まるとはゆめゆめおもってもみなかっただろう。特に最近は本を読むことが不可欠な仕事をするようになったこともあり、2LDKの我が家の一室は書庫と呼ぶには機能性を著しく損なった物置と化している。本の山に阻まれて…
WEBメディアで小説を公開することについて/小説『娘のトースト(狩野ワカ)』書評
妻の高校時代の友人が、卒業して何年か経ったのち自身がゲイであることを仲間に告白したという。そのとき妻らは、「は?」といった。そしてこう続けた。「なにをいまさら。高校のときからしっとったで」 いわゆるLGBTについて、良くも悪くも非常に多く見かけるようになった。「悪くも」についてはいうまでもなく杉田水脈や小川榮太郎の発言をめぐるものであり、ぼくとしても可能な限り触れたくはない。 しかし一連の騒動について、LGBTという概念やそうしたひとたちに特化した問題というわけではないとぼくはおもう。ひとの感情やアイデンティティと政治というシステムというものは、はたしてどの次元まで同列に語ることができ、また語…
あこがれの「受賞のことば」〜エメーリャエンコ・モロゾフに学んだこと
小説を書いていて文学賞に応募したことがあるひとなら、きっといちばん書きたい文章は「受賞のことば」なんじゃないか、とおもう。ぼくはそうだ。ちょっとそれっぽい、エッセイというにはみじかめの気の利いた文章をサクッと書いてみたい。そんなもんはブログでやれって話なのだけど、「受賞」という注目をあびながら読まれる「気の利いたみじかい文章」なんて、どんな作家でも人生にそんなにたくさんあることじゃないとおもう。 友人である町屋良平さんの受賞のことばは受賞作「青が破れる」とはうってかわっての硬派な読書家系文章でゴリっといったし、樋口恭介さんは笠井康平さん(現いぬのせなか座メンバー)をはじめとする友人たち感謝をし…
2011年3月11日、東日本大震災が発生した瞬間、ぼくは淡路島の実家にいた。バラエティ番組の再放送を家族と見ていて、その上部に震災速報が映し出された。実家は阪神大震災のときに震源のほぼ真上にあったのもあり両親や祖母は地震には敏感で、震度やマグニチュードのことをとても心配した。Twitter上でさまざまな情報や感嘆符と同義のことばがTLにあふれ、それからまもなく番組はとつぜん臨時ニュースに切り替わったと記憶している。そこからのことはよくおぼえていないけれど、それから何日ものあいだ、さまざまなテレビ局が東北の地に押し寄せる津波の映像を何度も放送した。 澤西祐典『文字の消息』はこの時期に書かれた小説…
はじめてできた小説を書く友だちは「たつひこさん」というひとで、「たつひこ」という名前は旦那さんの名前なんだと教えてもらったのは、小説投稿サイトで何回かコメントをつけたあとだった。 いまでこそ小説を書く友だちというのは増えたのだけれども、いまもむかしも変わらないのは「書く」という営みだけが生命線ということ。書くのをやめたひとはたぶん自分でも気がつかないうちに小説を書くのをやめてしまっていて、いつの間にかいなくなってしまう。大学を卒業して会社勤めになって日々忙殺されるうちに書かなくなる、みたいなわかりやすい話もあれば、新人賞で結果を出せずに疲れ切ったようにふっと消えていくひともいて、一時的にモーレ…
『金田一少年の事件簿』でまったく気づけなかったトリックについておもうこと
はじめておこづかいで買ったマンガといえば魔法陣グルグルか金田一少年の事件簿で、このふたつをひたすら読み続けて小・中学生時代を過ごしてきた記憶がある。しかし、グルグルを連載していたガンガンは月刊誌で単行本化も遅く、主に読んでいたのは金田一少年の事件簿だった。30歳を超えたいまになってみると5年や6年なんてほんとうにあっというまに過ぎちゃうのだけどむかしはそうじゃなかった。18歳になるまではとにかく月日はなかなか過ぎてはくれず、中学の3年間がとくに長かった。いまじゃだれも信じてくれないけれど中学のときは野球部で、それもけっこうきびしいかんじの部活だったのだが、アホみたいな量の練習があってこれはもう…
日常に埋め込まれた「微エロ」の波紋──マンガ『彼女のやりかた(田所コウ)』
じぶんから苦手なことを選んでやっていたのだけれども、とにかく会社員の頃というのはもうそれはそれは仕事が嫌で嫌で、その嫌さにどうやったら耐えられるかを毎日考えていたものだった。営業をしていたのだけれど、お客さんの多くを好きになれなかった。すぐに値切ろうとしてくるババアや、営業とはなんぞやを語りたがる経営者、保身のことしか考えない管理職などがとても多かった。会社員をするまで社会のひとびとというのはすくなくともじぶんよりは有能だとおもっていて、それゆえにずっと恐怖していたところもあったけれどこうした出会いが多いと幻滅することも多く、いかに社会がテキトーに回っているのかという一面を知った。そんなもんだ…
なぜ文芸メディアじゃないWEBメディアで「文学」をするのか?──多数派じゃないと生きられないわたしたち
地震のすこしまえに目が覚めた。阪神大震災のときは地震の直前に目が覚めた。8歳だったぼくは31歳になったけれど、6面そろったルービックキューブを人生ではじめてみた口をぽかんと開けっ放した息子はまだ2歳半だ。 今日のいちばん朝の時間にはほんとうにうれしい知らせがあって、かねてからの友人の町屋良平が芥川賞候補になった。候補作『しき』についてはもう過去のブログで書いたのでなにかをいまさらいうつもりはない。ふつうに、ほんとうに「ふつう」に、かれのことばや物語において代表作と呼びたくなるこの作品が受賞して欲しい感情しかぼくにはないので、受賞予想もするつもりはない。 www.waka-macha.com ま…
「作家になる」とはどういうことか?──マンガ「ものするひと(オカヤイヅミ)」
「ぼくも小説、書いてみたいんですよ」 飲み屋かなにかでたまたま話すことになった男性にこう言われたある作家はこう返したという。「じゃあ、あなたが持っているそのiPhoneで今から書き始めたらいいじゃないですか」 今日の話は、いってしまえばこのやりとりのことを何度も繰り返すだけだとはじめに書いておく。 ***** 気がつけば作家の友人・知人・恩人、ともあれ世に言うところの「作家」という人種のひととの交流がいろいろと多くなるなかで、まがりなりにも「文章を書く」という仕事をしていると、書けば書くほどに「肩書き」というものがわからなくなってくる。 昨年、インディーズレーベルとはいえ、「惑星と口笛ブックス…
読書のことを「インプット」とかいっちゃう連中は眼から血が出るまで読み返せ──乗代雄介『生き方の問題』(群像2018年6月号)
※このエントリーには乗代雄介『生き方の問題』のネタバレが含まれています 一つ口惜しいのは、貴方が覚えていて僕が覚えていなかったことを、今は書くわけにはいかないということだ。それらは一年前に貴方が僕に話してくれた出来事として、左に無限に続く余白──もうそこは文字で埋まっているんだろう──に書かれなければ、僕にとって嘘になる。僕は今この余白を埋めるごとに、貴方に近づくような遠ざかるようなもどかしい心持ちでいるけど、この宙吊りがまた僕に絶望的な歓びをもたらすみたいだ。僕の書きつつの切迫が、そっくりそのまま貴方の読みつつの切迫になることを夢想しながら僕は書いている。貴方がそのように読むことをほとんど祈…
結婚して今年で5年になる。 結婚当初、ぼくは博士課程の学生で同い年の妻は会社員3年目だったが、お互いに田舎の長男長女だったこともあり「結婚式ぐらいは挙げとくか」ということになった。 ぼく個人としては結婚式なんてただ面倒くさいという印象しかなかったのが本音だ。金もかかるし準備も大変、披露宴に誰を呼び二次会には誰を呼ぶとかで気疲れもする。それに我々の人生は見せもんじゃない。が、結婚式をやってみるとこれはこれで良い思い出になった。大学時代の先輩が式場で泣きじゃくりながら親族にウザ絡みしたり、「あ、我々って意外と友だち多かったんだ!」という発見もあったし、恩師には英語が下手くそなことを公衆の面前でバラ…
ぼくらがセックスできなければ結婚していただろうか?──こだま『夫のちんぽが入らない』書評
※このエントリーにはこだま『夫のちんぽが入らない』のネタバレを含みます。 昨日の夜、ゴールデンウィークに登山に出かけて遭難してしまった親子が発見されたというニュースをみた。県警のヘリコプターが見つけたそのとき、親子は覆いかぶさるようにして山の斜面でうつ伏せになった状態だった。午後2時35分、ふたりの死亡が確認された。こうしたニュースを聞くのが非常につらくなったのは、ぼく自身が父親になってからのことだった。もっとも息子が生まれた瞬間にじぶんのなかに父性が芽生えるなんてことはなくて、生後3ヶ月は妻の実家で育てていて会うのは週末だけで、義母に教えられながら恐る恐る抱く我が子がほんとうに我が子であると…
弱い恋愛と絶対化されるアマチュアリズム──町屋良平『しき』(文藝2018年夏号)
もうじきぼく自身が小説を書きはじめて10年くらい経ち、それでもまだたかだか10年程度でしかないとはいえ、いわゆる筆歴がながくなってくると「いつまで小説を書けるんだろう」みたいな疑問がふと脳裏をよぎる。小説を書ける、というのは小説でまともなお金をつくれていない状況からすると実生活上の問題によるものがほとんどで、じっさいに小説を書くという共通点で仲良くなった友だちのいくらかはそうした事情で小説を書くことをやめてしまった。このことはけっこうつらい。ぼくが知っている小説を書くひとのほぼ全員は大なり小なり「文学賞」というものを視野に入れて実作に取り組んでいる。やめてしまうひとたちはその結果に翻弄されなが…
「エモい」という記号化された感情とWEBメディアの文章/『でも、ふりかえれば甘ったるく(PAPER PAPER)』
「これエモくないすか?」 ということをいわれ、 「なにそれ?」 と返したのは、たぶん2年か3年かまえのことだったとおもう。 ことばはいつも知らないうちに次々とどこかから生まれ、ある程度パッケージ化された状態で情弱のぼくの手元に届くわけだけれど、「草食系」とか「まじ卍」とか、それらがたくさんのひとに使われるなかで意味は固定されていく。特定の意味を指し示す記号としてこれは言語本来のありかたで、しかしこうした語彙の氾濫は認知や描写の粗雑化を招いているような心許なさを、わりと強めにぼくはかんじている。 はじめにいっておくと、「エモい」ということばの厳密な意味やら由来について、ぼくの興味は皆無だ。なにに…
フリーライターの「てめぇには1分の価値すらねぇよ」問題について
これまで「業務は発生した瞬間になにをいつまでにするかを即座に決め、先方と共有する」ということが働く人間の嗜みだと洗脳されてきたが、フリーライターになって世の人々は「なにをいつまでにするかを絶対に明言しないようにして、決して弱みを軽々しく先方に見せない」ことを嗜みとしていると知った — まちゃひこ(大滝瓶太) (@macha_hiko) 2018年4月3日 にわかに信じがたいことだが、さいきんぼくの意識が高い。 もともとはいわゆる意識高い系についてネチネチ因縁をつけて意味不明なdisをおこなうクソみたいな陰湿ネクラなのだけれど、フリーライターとして生計を立てようとすると、そういうスタンスではとて…
さきにまず今週の寄稿の紹介を。 『リキッド・サーベイランス』についての怪文書 まずテクノロジーやカルチャー系の話題を多く取り扱っているWEBメディア『UNLEASH』さんに社会学者の対談本の書評(?)らしき怪文書を掲載していただきました。 unleash.tokyo ぜんぜんトレンドでもなんでもない、ちょっと前に出た本なのだけれど、最近になってslackやTrelloといったツールを使うようになって、組織が「液体みたい」に振る舞うことを実感して、こういうことをちゃんと書いておきたいとおもった。ダメ元で提案したら快諾していただけてとてもうれしい反面、このような話題に興味を持ってくれるひとってどれ…
さいきんは書きたいことをほぼ寄稿記事に書かせていただいていて宣伝ばかりで恐縮なのだけれど、就活サイト『ワンキャリア』さまに、コラムを掲載していただいた。 www.onecareer.jp 一部、話を盛っている箇所もあるのだけれど、ほぼ実話をこのコラムで書いた。 学歴の話でいい思い出はほとんどないのであんまり触れたくはなかったのだけれども、しかし事実として「高学歴のくせに!」というイジりはジョークであれマジであれたくさんあって、しかしそんなこと改めていわれなくても、「高学歴」と呼ばれるキャリアを歩んできたひとほど「学歴」なんて能力を保証してくれるものじゃないことぐらいよくわかっている。 そのこと…
文学作品の書評寄稿についておもうこと/「名前があるひと」になること
UNLEASHさまに、コルソン・ホワイトヘッド『地下鉄道』の書評を寄稿しました。 unleash.tokyo 地下鉄道 posted with ヨメレバ コルソン ホワイトヘッド,Colson Whitehead 早川書房 2017-12-06 Amazonで見る Kindleで見る 2月中になんとしてでもこの書評の受け入れ先を見つけようと決意して、けっこう必死に(半ばムキになって)提案をしまくっているなか、運良くUNLEASHさんに受け入れていただけた。 文芸書評について、ぼくはここ数年このブログでひとりゴリゴリと書き続けてきて、そして「めんどうくさい」内容であるにもかかわらず、一部の小説好…
蓼食う本の虫さんに吉村萬壱氏の作品について、批評のような文章を掲載していただきました。 tadeku.net 吉村さんとは大阪の文学バー『リズール』で5年ほどいっしょに朗読会イベントの受付をしていた間柄(!?)というかんじで仲良くさせてもらっていたけれど、じつはかれの作品についてちゃんと言及したことは去年になるまでなかった。 これはぼく自身が「知っているひとの作品を客観的に、じぶんのおもう正しさで言及する」ということができるかどうか自身が持てなかったり、また、知り合いの作品となるとどうしても個人的に良いとおもえなかったことについて特にいいにくい「もやっと感」がどうしても拭えなかったからだ。それ…
この一週間で2本、遠藤周作の作品の書評を寄稿した(『海と毒薬』、『沈黙』)。 ■海と毒薬/遠藤周作:あらすじ&書評『<何が>彼らを殺したか』 ■沈黙/遠藤周作:あらすじ&書評「奇跡なきこの世界で我々が考えうること」 遠藤周作で記憶に残っていることといえば実はセンター試験で、ぼくが麗しの(?)受験生だった2005年の国語で、『肉親再会』が出題された。非常に短い小説で、たしか本文が全文掲載されたらしく、こういう出題をするのはなかなか粋だ、などと入学したあと塾講師をしている友だちがいっていた。 『肉親再会』は芸術家に憧れを抱いている「私」が、パリにいる妹を訪れるお話で、いろいろと貧しい生活をしながら…
ライトノベルのタイトルに使われている単語を統計分析でぶん回してみた(ウォーミングアップ編)
普段は自宅でキーワードライティングとかそういうやつを書く「記事ドカタ」をしているのだけど、「キーワード3つで40字以内でタイトルつけろ!」という注文がめっちゃ多い。 www.waka-macha.com でも、常識的に考えて40字の中に指定情報3つって割合的に多すぎて、出来上がったものをみると「ラノベ感」がすごいある。 そこでぼくはピーンときたわけで、次の瞬間「ライトノベルはSEO対策的な発想でタイトルや作品案をひねり出しているんじゃないか」と考えていた。 実際に「SEO的想像力」が駆動力となっているかを確認することは難しいけれど、統計をとり語彙の関係性を視覚化することで計量的な観点からの仮説…
「クソアニメ」とは何か?――表現形式としての「クソアニメ」/アニメ『ポプテピピック』評
今日はひさびさにアニメの話をします。 目次 『聖剣伝説レジェンド・オブ・マナ』とアニメ『ポプテピピック』 アニメを「クソアニメ」にするものとは 変化する「クソ」という評価 「クソ」への偏愛 アニメ『ポプテピピック』の「わたし性」の喪失 創作物の「わたし性」 ポプ子とピピ美って「誰」なのか? まとめ/結局「クソアニメ」とは何か? 『聖剣伝説レジェンド・オブ・マナ』とアニメ『ポプテピピック』 そういえば、最近は任天堂から昨年秋に発売されたちっちゃいスーパーファミコンにはまっていて、FF6のラスボス「ケフカ」をロックのバリアントナイフ×ライトブリンガー8回攻撃で辱めるのもそろそろ飽きてきたので聖剣伝…
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