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  • ホテル フライホフ ・ アム ・ ローラント

    先日ハンブルクの小さな隣町ヴェーデルにあるトヨタ自動車の販売店で行われた〈日本デー〉という催しで、妻が自作の陶器を展示し、私が〈和陶器〉をテーマに講演をしました。陶器の展示その際に宿泊したホテルが思いのほか面白かったのです。ホテルの名前は〈ローラント像の脇にあるフライホフ〉といいます。まずローラント像。ローラント像この、むき出しの剣を持った騎士の立像は北ドイツや東ドイツの中央広場や市役所の前に比較的頻繁に見られ、都市権(都市およびその市民に与えられる特権)のシンボルです。フライホフというのは中世において貴族または聖職者が所有する中庭のある邸宅で、納税義務やその他の市民としての義務を免除されていました。このホテルの建物はヴェーデルの町で最初にできたフライホフのひとつで、16世紀前半のことだそうです。18世紀...ホテルフライホフ・アム・ローラント

  • ロックム修道院 と 湯治場

    ハノーファーから半日の遠足で行けるところにロックム修道院があります。ここは昔カトリックのシトー会修道士の修道院だったところです。現在残っている後期ロマン派の教会は13世紀に建立されました。この修道院の管轄区域では16世紀半ばから17世紀の半ばまで全部で54の魔女裁判が開かれ、33人が死刑になったとのことです。敷地内の建物はこんにち神学校、会議場、音楽祭の会場、そして図書館などとして利用されているようです。修道院の入り口・聖地巡礼者の宿泊所教会・教会の内部ところで、ロックム修道院の前にある喫茶店でお茶を飲みました。いつものようにアールグレイです。お茶請けはワッフルでした。チョコレートソースが少しかかっていて生クリームとバニラアイスが添えてあります。まぁ、ふつうのそれなりの味でした。アールグレイ・ワッフルその...ロックム修道院と湯治場

  • アルテンハウゼン城

    私の住むハノーファーと首都ベルリンのちょうど中間地点にアルテンハウゼン村があります。旧東ドイツの地域です。その村にあるのがアルテンハウゼン城なのです。城は何度も改増築されたのでルネッサンス、新ゴシック、後期ゴシック、バロック、そして歴史主義の様式が共存していて、まわりは中世の環状壁に囲まれています。こんにち残っている最も古い建物の部分は15世紀と16世紀に建築されたそうです。村から城内には、17世紀後半30年戦争後の再建時に建造されたアレキサンダー門をくぐって入ります。アレキサンダー門さて、アルテンハウゼン城の起源ですが、11または12世紀に造られたニーデルンク城砦がその基になっています。その城砦ももともとそこにあった建物から発したのではないか、と思われています。アルテンハウゼン城が最初に古文書に現れるの...アルテンハウゼン城

  • ヒュルゼデ水城

    ハイデ(Heide)という単語を辞書で引くと、〔平坦で立ち木のない原野や砂地であって、ヒースやネズミが生育していることが多い荒野、荒地〕とあります。ここ北ドイツにリューネブルガー・ハイデという広大な地域があって、ヒースが生えているのです。2週間ほど前、ヒースが満開の時にそこでハイキングをしました。適当な起伏があり、高い地点からの遠景が見事でした。リューネブルガー・ハイデのごく一部・ヒースの花リューネブルガー・ハイデにはハイキングやトレッキングの拠点となる村がいくつもあるのですが、そのうちのひとつで午後のお茶をしました。農家を改造したカフェで、〈地方独特〉と〈有機栽培〉をうたっています。開店時間が短くて、土・日・月の午後2時から6時までしか開いていません。冬などのシーズンオフには完全に閉まっているのだと思い...ヒュルゼデ水城

  • レンツェン城塞

    ハノーファーから北東に進むとエルベ河にぶつかります。そのエルベ河を越えてすぐのところにあるレンツェン村の南端に、この城塞はあります。すでに8世紀には、この地に土砂による防壁が造られました。防壁は数世紀にわたって何度も破壊され、そのつど再造成されたそうです。そして13世紀の初めにやっと、その防壁の中に最初の城塞が建造されたのです。14世紀にいち度破壊されて15世紀に再建されましたが、30年戦争でまたしても損壊しました。20世紀初頭に城塔が見物客に解放されるまで、お城施設では順次、新築、増築、修復、そして造園が行われ、さらなる修理修復が20世紀前半に行われました。レンツェン城塞は第2次世界大戦では破壊をまぬがれ、戦後は出産も可能な病院として使われたのですが、1953年に所有者から没収されて当時の東ドイツ国の財...レンツェン城塞

  • レンツェン村

    レンツェン村は2.200人余りの住民が住む、かつては東ドイツの静かな村です。歴史のある村のようで、昔は結構栄えたと思われます。村役場と警察がはいる建物教会の内部1&2ところが現在は、旧東独の町によくあるように村の中心部を含めていたるところに廃屋が目立ちます。廃屋・エルべ河と渡しフェリーこの村のすぐ近くにあるエルベ河の辺りはかつて東西ドイツの国境でした。その当時の監視塔が河沿いの土手に残されていて見ることが出来ます。河の土手はかなりの距離のサイクリングロードです。監視塔・中は約2畳半この辺は自然環境保全に力を入れている広大な河川景観地域で、ユネスコの〈生物圏保護地区〉に指定されています。レンツェン村から10㎞ほど離れたところにある湿原地帯には、毎年数千羽の鶴が飛来するそうです。湿原地帯の一部・鶴(掲示板より...レンツェン村

  • フェネストレッレ城塞

    イタリア北西部のスーザ渓谷から南の谷に入っていくと、フェネストレッレ城塞があります。この地域の他の城塞と同様に、侵攻して来るフランス軍を押しとどめるために建造された強大な城塞です。この城塞は巨大な多段式の滝のように、約2000メートルの高さから山の尾根づたいに高低差635メートルの位置まで降りている建造物で、実は3つの城塞の集合体なのです。城塞の模型・博物館に掛かっていた航空写真1727年に上の城塞から造られ始め、1837年に下の城塞で建築が終了し、その間全長1500メートルは4000段以上の階段でつながっています。この建造物は19世紀後半に捕虜の兵士と宗教的罪人の強制収容所となり、20世紀の前半頃まで国事犯用監獄と軍用刑務所として役立っていました。その後砲兵隊の宿営地やパルチザンの隠れ家になって絶え間な...フェネストレッレ城塞

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