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  • エジッレス城塞

    エジッレス城塞も、北イタリアに攻め入ろうとするフランス軍に対抗するために建造されたスーザ渓谷にある城塞のひとつです。前からの遠景・後ろからの遠景この城塞は14世紀の前半に初めて歴史書に記され、その後フランス軍に取られたり取り戻したりのせめぎ合いが続きますが、ナポレオンI世の末弟ボナパルトの軍がイタリアを征服した19世紀の初頭に破壊されました。そして比較的早く19世紀前半に再建されたときに原型の建築様式は近代的な軍事理念に沿うようにアップグレードされて第2次世界大戦終了までイタリア軍に属した後、捨て置かれていました。そして20世紀後半に地方自治体が入手して修復のプログラムを始めたのです。西暦2000年から国立山岳博物館として公開されており、時折展覧会も開かれるようです。前方の部分・後方の部分長い登城路の一部...エジッレス城塞

  • スーザ渓谷

    イタリアのトリノから西の山岳地帯にスーザ渓谷があります。ワインで有名なピエモンテ州に属する渓谷です。この谷にも遺跡がたくさんあるのです。妻と私が10日間過ごしたのは、2006年のトリノ冬季オリンピックのときにスキーの会場であったサウゼ・ドゥルクスという町です。ここを基地にトレッキングや遺跡めぐりをしました。さて、スーザ渓谷の中央部に位置するのが人口約6600人のスーザという町です。この町の歴史は古代ローマ以前までさかのぼり、中世に生きたある歴史家は「アルプスで最も古い都市」と記しているそうです。中世から近代にかけて、スーザは南フランスと北イタリアを結ぶ交通路の要衝として重要な役割を担いました。19世紀初頭にナポレオン・ボナパルトはモン・スニ峠(モンチェニージオ峠)越えの交通路を整備し、新たに今日〈ナポレオ...スーザ渓谷

  • バール城塞

    現在バール城塞が立つ位置に5世紀にはもう建造物があったようで、それが10世紀に拡充されて何世紀もの間フランスとイタリアを結ぶ歴史的ルートであるアオスタ渓谷を管理する役目を負ってきました。西暦1800年にイタリア軍がフランスの大軍をこの地で迎え撃ってこの地方とトリノを守ったのですが、バール城塞はその時に大破してしまい、19世紀の前半にこの地域を支配していたサヴォイア家によって再建築されました。その後19世紀末にはその軍事的重要性を失いましたが、引き続きイタリア軍が弾薬庫として使用していました。そして1975年に弾薬庫が閉鎖された後アオスタ渓谷自治区に所有権が移り、1980年代に呼び物として観光客に解放されましたが、建物の損傷がひどいことが明らかになりました。それで1990年代に長期にわたる大規模な修復を施し...バール城塞

  • サール城

    アオスタ渓谷から派生してフランスとの国境に沿って走るヴェニー谷を、モンブランの真下の約二千メートルのところにある小さな湖まで登りましたが、小雨と風が強い悪天候のせいでモンブランは残念ながら見えませんでした。湖・その隣の湖湖から10分くらい下ったところにある山小屋で、父親が日本人だというイタリア人の青年アルバイトが片言の日本語でサーヴィスをしてくれました。この地方のスープを注文して、恐る恐る、私たちが持ってきた弁当をここで食べてもいいかと聞くとOKが出たので昼食にしました。スープにはたくさんの高菜のような野菜と人参およびジャガイモが少しだけ入っています。山小屋がある場所は約10度Cだったので、温かいスープが五臓六腑に染み渡って美味しかったのです。スープ・ちらし寿司とおかず弁当は〈すし太郎〉で作ったちらし寿司...サール城

  • フェーニス城

    アオスタ渓谷で最も有名な城の一つ、フェーニス城は多くの塔と戦闘に適した建築が魅力です。この城は13世紀中頃の文献に初めて現れ、15世紀になる前後に今の規模に拡張されたそうです。18世紀ごろから傷みがひどくなってきたので、19世紀の末と20世紀の前半に修復されて今日の外見になりました。現在はアオスタ渓谷自治区の所有で、博物館になっています。遠景・近景入り口2013年に来た時の経験からイタリア語のガイド付きでないと中を見学できないのを知っていたので、外観を見ただけで終わりました。さて、アパートメントで夕食です。妻が前菜として5種類の料理を用意しました。5種の前菜左がオイルサーディンとほうれん草に似た菜っ葉のしょうゆ味炒め物です。菜っ葉に少し癖がありますが、全体として結構いけます。その横にこんにゃくの鰹節炒め。...フェーニス城

  • アオスタ渓谷のサン ・ ピエール村にあるふたつのお城

    サン・ピエール城12世紀後半に建てられた元々の城は、基本となる城壁と2本の城塔だけの小さな建物でした。サヴォイア家をはじめとする多くの所有者の手を経て、17世紀に購入したロンカス家によって防備を強化した大きな邸宅に拡張されました。その後も何回か所有者がかわり、20世紀に博物館になりました。すぐ横には19世紀の前半に建てられた付属の教会があります。サン・ピエール城1&2サン・ピエール城3サン・ピエール城と教会1&2サッリオド・デ・ラ・ツア城オリジナルの城は10世紀と12世紀の間に、当時のこの地方の典型的なスタイルで建てられたそうです。15世紀の初めにサッリオド家の父が、そして同世紀の終わりにその息子が拡張して、さらに16世紀にも17世紀にもサッリオド家によって建て増しされ、20世紀前半まで同家族の居城であり...アオスタ渓谷のサン・ピエール村にあるふたつのお城

  • ブリッソーニュ城砦

    イタリア北西部のアオスタ渓谷には、城砦や城館が多数点在します。そのひとつブリッソーニュ城砦は13世紀に戦略的に重要な位置に建てられましたが、18世紀になるとその重要性は失われてしまいました。それゆえに18世紀後半には廃墟になり、その後再建されることはありませんでした。今は円柱形の城塔と建物の壁の一部が残るのみです。城塔の遠景城塔の上部・その下部ここにはトレッキングの途中で立ち寄りました。それで本日のグルメ昼食は、もちろん妻が作った弁当です。弁当私の好きなおいなりさん。皮は出来合いの真空パックです。少し甘すぎるかもしれないけれども美味しいのです。何よりも便利ですね。おかずのタコと鞘いんげんとニンニクの炒め物は昨晩の残り物です。あとはオムレツと昆布巻き。飲み物は麦茶と近くの村の泉で汲んだ水です。アオスタ渓谷か...ブリッソーニュ城砦

  • アオスタ渓谷

    イタリア北西部の山岳地帯に、東西に走っていて小さな谷がいくつも流れ込むアオスタ渓谷があります。アルプス越えのための二本の交通路をもつ重要な戦略的位置にあり、昔から交通の要所です。この地域には先史時代から人が住んでいて、紀元前25年から支配を始めたローマ帝国が州都のアオスタ市をはじめとする町をつくりました。今も残るローマ街道・この地域の典型的な村カトリック教会11世紀から第2次世界大戦直後までアオスタ渓谷はサヴォイア家が統治する地域で、この間断続的にごく短い年数フランスに支配されたこともありますが、19世紀の中頃イタリア王国の一部となりました。昔はフランス語を話す地域でしたが20世紀にイタリア語が母国語である人々が大量に移り住み、特にファシズムの時代にはフランス語が禁止されるなどしてイタリア化が強引に進めら...アオスタ渓谷

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