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まほろばの泉 https://blog.goo.ne.jp/greendoor-t

亜細亜人、孫景文の交遊録にある酔譚、清談、独語、粋話など、人の吐息が感じられる無名でかつ有力な残像集

まほろばの泉
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2015/01/13

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  • 「人間考学」より 自己憲章のすすめ (再掲載)10/6

    「歴史は人から人への精神の流れ」東京工大芳賀教授産経正論欄より「人間考学」たかだか人間の問題である。また、そう考えることが此処でいう「人間考学」の端緒でもある聴き慣れないことだろうが筆者の奨めである。とくに「伸ばす」「省く」を目標として掲げ習慣化することへの薦めである。たとえば理想とすべき人物の座右を借用するもよし、感度とオンが馴染むと造語するもよし、それを自己流に、しかも能力の足らないところの目標でもよし、気の付くところへ掲げる薦めである。よく心に銘記すればいいとはいうが、さしずめ携帯の待ちうけ画面に芸能人やペットを添付するように人生針路として活用したらどうだろう安岡正篤氏の「六然訓」を借用して掲げる方もあるが、難しいことを簡易に自分勝手に解釈するより、「あがるな落ち着け」「怯むな」「競うな」「あげつら...「人間考学」より自己憲章のすすめ(再掲載)10/6

  • 安岡正篤氏も驚嘆した佐藤慎一郎という人物 再

    杉並区の荻窪住宅23楼301号の住人、佐藤慎一郎宅には多くの客人が訪れる。さて、幾人が荻窪南口から経由する団地行きのバスに思い出を乗せたことだろう文章定かではないが梅里先生(徳川光圀)の碑文にこんな刻文がある「第宅器物その奇を用せず。有れば有るに随い、無ければなきに任せてまた安如たり」書棚に囲まれた部屋に、まるで帰宅するような厚かましさで拝聴する無恥と無学の懇請は、まさに附属性価値を排して、無名で有力であれと諭す佐藤先生と懇意な碩学の言に沿ったものでもあろう。はじめは異質、異文化の世界かと伺っていると、浮俗にまみれていた自分に気付く。驚くほどに透明感のある率直な欲望を鳥瞰して、そのコントロールの術を自得する人間学の存在を認識する。いわゆる自ずから然りという(自然)と人間の同化と循環、そして離反に表われる歴...安岡正篤氏も驚嘆した佐藤慎一郎という人物再

  • デモ・クレージーと人物を得ない議会 再々掲載

    ある日のこと白山の自宅書斎で碩学は紫煙をくゆらせて呟いた。「デモクラシー変じてデモ・クレージーになると人物二流でしか議員になれない」古典(昔の格言や栄枯盛衰の逸話)を活学することによって世の中の表れる関係性が幾らか解かるようになるが、単なる知った、覚えた類の数値評価や選別では本質は見えない。もともと人が群れあう中では様々な現象が表れるが、単なる客観的評価や論理では事は動かないばかりか、問題発生に於いての解決はおぼつかない。標記のデモ・クレージーだが、多くは欲望を誘引し虚栄や競争を促すものに安易に乗じ、かつ受益があると錯覚する人間によって起こされる姿だが、ことに一義的にマスコミや政治のせいにするが、自他循環からすれば、それは生きること、活かすこと、死ぬことを基とする人生観を亡失した自意識の内観に因を求めない...デモ・クレージーと人物を得ない議会再々掲載

  • 「五寒」 生じて国家無し

    「五寒」生じて国家無しと言われる現象亡国の兆候顕著になって現れる姿は、政治、宗教、法律によるものばかりではなく、民族そのものの経年劣化、あるいは循環の妙ともいえるものである。分かり易くいえば、成功価値や幸福感の錯誤のようなものが人間と複合的社会の関係を考察する座標や、人そのものを観る「観人則」の亡失であるといってよい。宰相、荀悦が憂いた偽、私、放、奢を表す「四患」もその例である。以下「五寒」を照らして世俗の現象をみると、普段の情報知識とは異なる切り口でそり問題の本質が浮かび上がる。つまり自身の置所を変えた新たな感覚による考察が浮かび上がることでもある。《政外》政治のピントが外れる。《内外》国外に危機を煽るなど内外のバランスが取れない《敬重》敬われる人物の欠如敬う意味の欠落《謀弛》謀が漏れるゆるむ《女レイ》...「五寒」生じて国家無し

  • 大相撲は「清規」には馴染まない 08 10/19 あの頃

    清規(成文法)と陋規(掟、習慣等)についての放談だが好奇心の誘導なのか、相撲が八百長論議で騒がしい。゛そもそも゛になるが、いつから国技と呼ぶようになったのだろうか。また、数多のスポーツと称されるものと同様に、歪なコンプライアンス、つまり成文法の机上に乗せられるようになったのだろうか。「我国の・・・」と振りかざす相撲だが、農耕神事から豪族、大名のタニマチ興行となり、近代では競馬などに冠されるように天皇杯が下賜され、形式的には法人化され国家のお墨付きを戴いている団体だが、だからといって全てが清規(成文法)に属する問題ではないと考える。他のスポーツでもそうだが、猛特訓やシゴキが趣を変えればリンチ(私刑)になり虐めになる。それも先輩後輩や段階序列に処をかえれば、いつ加害者になるか判らない問題でもある。それを清規に...大相撲は「清規」には馴染まない0810/19あの頃

  • 小学に観る 習慣学習と、その活学 Ⅴ 7 12,20

    ある日の大学講話【鬼平犯科帳の頃】歴史でいえば、このような時代がありましたじつは私は18歳からボランティアでBBSという少年のためのケースワークを行ってきました問題になっている保護観察の子供たちですそのとき過去にもこんな歴史がなかったかな、と考え江戸時代を調べました鬼平犯科帳というテレビがありましたか゛あの頃です考え方では平和な時代でしたが、政治も驕り、それにつれて人々の生活も乱れていましたいわゆる贅沢な時代でした今みたいに、「いいんじゃなぃ」、という時代でした若者が集えば持ち物のや流行の話題で、当時はグッチだとかシャネルとかないけど、かんざしは何処どこの店、刀のつばは誰々の作、江戸は滅ぶべきして滅んだ、その兆候があったのです犯罪は犯さないが昼間から遊びまわり、仕事に就かない人が増え、風紀も乱れましたいま...小学に観る習慣学習と、その活学Ⅴ712,20

  • 外交における応答辞令 あの頃も

    あの時は岸田さんがバイデン大統領と、麻生氏がトランプ元大統領と会った。今は関税交渉とやらで、石破さんのご指名で数少ないお友達の中で赤沢議員が交渉に渡米した。何を話題にしたのかわからない。毎度のことと国民も諦めているが、売文の輩や商業新聞はお決まりの覗きと予想記事で紙面を埋めている。問題はアメリカ国民が現と元に朝貢と迎合を繰り返す日本の媚態政治家を人物としてどのようにみているのか気になるところだ。政治的背景や経済的事情はあるとしても、国民の代表として説明や営業、加え信頼確認のために米国民のみならず、遣いに出す日本国民の軽重すら測られる姿であろうか憂慮がある。中国共産党の党学では歴史、古典の科目があるという。いま日本では受験科目にも忌避され、企業でも採用には無用の能力として顧みられることが少なくなった。それで...外交における応答辞令あの頃も

  • 安岡正篤と参議院選挙 あの頃も 10 5/31再

    このコラムに多くの読者が訪れている一人は『君、議員になるのか?」と訊かれ、もう一人は『安岡が入れるからおやりなさい」と・・・衆議員議員の秘書を永年勤め郷学研修所々長であった柳橋由雄氏の笑談だった。「先生には参った・・、あるとき議員に立候補しようと慎重にも機会を見つけ先生にお話したら、「君、議員になるのかね…?」でやめた。それから新しい気持ちで学問したものですよ」もう一人は前ブログに登場した岡本義雄である或る時、近所の在日韓国人が『近頃の日本人はおかしくなった。選挙公約だって守られたことなど無い。国民はだまされているのに怒らない。岡本さん出たらいい』地盤、看板、かばん(資金)もない岡本だが頭には百万の援軍を思い描いた。世情では宰相のご意見番として持てはやされているが、岡本にとっては公憤の烈行を思い切りぶつけ...安岡正篤と参議院選挙あの頃も105/31再

  • 人間考学「五寒」 生じて国家無し その四

    文佐藤慎一郎氏「五寒」とは《政外》政治のピントが外れる。《内外》国外に危機を煽るなど内外のバランスが取れない《敬重》敬われる人物の欠如敬う意味の欠落《謀弛》謀(はかりごと)が漏れる弛(ゆるむ)《女レイ》女性が烈しくなる。荒々しくなる。孫文夫妻[両性の調和]娘、嫁、姑、姥、と変化する女性の表現文字は、男性から見ると、その積み重ねた経験の変化に、尊敬と慶び、あるいは慈愛にあふれた母性に感謝が込められています。言葉のニュアンスを論ずるものではありませんが、「女厲」にある女の烈しさと、母の剛さはその意味において大きな隔たりがあります。「強さ」と「剛さ」、「烈しさ」と「激しさ」も同様に似て非なるものです。女性には元々、性における特質があります。表現方法も男性とは違います。一つ一つの問題に互いの劣性、優性を争うもので...人間考学「五寒」生じて国家無しその四

  • 「五寒」 生じて国家無し その二

    果たして我国の現状は・・・《五寒》中国は漢代のころ、当時の識者は国家社会を衰亡させる要因に五つの兆候があると説いている。其の一「敬重」ケイチョウ敬われる人物がいなくなる敬う対象がなくなるのか、あるいは敬意の心そのものを無くしてしまうものなのか、閨閥、学閥、財力、名誉、地位など人格以前の属性価値の変化から生ずる無秩序な社会の一過性の現象とも考えられる。いわゆる民心の混乱でもある。其の二「謀弛」謀(はかりごと)が弛(ゆるむ)大切な問題が筒抜けになる。相互信頼の欠如によって心の動揺が生まれ、公私の分別がつかなくなり我欲が際立つ社会構成になってしまう。また国家の重要な問題が他国に漏洩したりして、国家の維持機能が軟弱になったりします。また、綱紀が弛むなど自己規制がなくなる状態である。其の三「内外」ナイガイ内面の欠点...「五寒」生じて国家無しその二

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