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まほろばの泉 https://blog.goo.ne.jp/greendoor-t

亜細亜人、孫景文の交遊録にある酔譚、清談、独語、粋話など、人の吐息が感じられる無名でかつ有力な残像集

まほろばの泉
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2015/01/13

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  • 人間考学講話 ある隊士の所感、 2022/7 あの時

    数次にわたる空自幹部講話ですが、懇嘱を受けて教授案の作成に取り掛かります。近隣のパワーバランス変化が危機感となり、特異な職掌ある隊員諸士の講話については技術や知識の類ではない内実が必要となります、しかし、此の全体を包み込む言辞は、コネまわした付け焼刃で適わないことは当然のこととの受任でした。この章は、講話後に送付された隊員の所感への、感じたままの応答ですよく、統御(組織マネージメントなど)には、人間の問題として「観人則」を伝えます。今回、教場の一隅で虚ろに聴いていた隊士の所感は講者の人物そのものを観る洞察がありました。洞察力とは、対象となるものの本質に潜在するものや、その奥底まで見透す醇なる観察眼です。まさに驚愕し講者も学ばせていただいた所感でした。数次にわたった講話で継続課題としたのは「統御」・縦横無尽...人間考学講話ある隊士の所感、2022/7あの時

  • 安岡正篤の「六然」と「官吏十戒」 08. 6/14. 再

    安岡正篤氏は数々の金言、人生マニュアルを遺している。漢学古典を氏の曰く「活学」したものだが、「臨機応変」(機会のタイミング)に、人を観察して言葉を発している。とくに歴史の位置づけへの考察力は、その時々の社会情勢を読み込んで大向うを唸らせる。それは活躍の機会を発した頃に、時の内大臣牧野伸顕氏への大量の提言書簡にも観ることができる。その論は「天子論及官吏論」である。戦後は数多の増幅されたエピソードによって、また一般庶民に不得意な漢籍のもつ簡潔性、かつ漢字一字のもつ膨大な情報量と多岐な意味を縦横に活用して各界要路に特異な発言をしている。その中で「六然」がある。隣国では養生訓の「五医」、国家の病弊を記した「四患」、共産党の四つの近代化「四化」など、数字を以って解りやすく取りまとめ周知する方法が伝統的にある。「何々...安岡正篤の「六然」と「官吏十戒」08.6/14.再

  • 安岡正篤氏は「六然」と掲げるが・・・

    碩学と謳われた安岡正篤氏は古典を引用した数々の格言を提示した。多くは著作権などない中国の古典にある昔話や逸話からだが、それを応用する「活学」もその一つだ。※碩学・・・学問が広く深い超然、泰然に代表される「六然」も先に付く文字によって「然り」が感覚で解る容易な処世の自覚ではあるが、浮俗時世にはマニュアル格言として挨拶や上司の訓話に用いるにはホドよい引用だ。語る方も聴く側も何となく納得するが、どのような姿を具体的に表すのかは不明のようだ。手とり足とりで隣国の古典(昔話)をひいて説明しても、もともと国柄、民癖も似て非なる地域ゆえ、ときに錯誤珍奇な受け取り方をしてしまうこともある。ただ、明治以降のフランス革命の前段仕込み思想のようだった啓蒙思想によって、これも我が国の民癖である好奇心、阿諛迎合でカブレ取り入れた官...安岡正篤氏は「六然」と掲げるが・・・

  • 異なることを恐れない意志 08,8再

    粛軍演説で国会を除名された斉藤隆夫氏国際主義、平和主義、平等主義耳障りのよい文字配列だが、そこに自由主義、民主主義、はたまた経済構成を消費資本主義と管理社会、それらをミックスすると現代社会のようになり、茫洋としたなかで目標を描こうとしても、情報という便利魔物にかき回され、確かな答えがうっすらとモザイクを掛けられたような、まさに混沌とした状態が導き出される。そもそも「主義」なるものをみるに一例がある。戦前の碩学といわれた大川周明の日記の一章に、「近頃、主義と冠するものが増えたが、往々にして主義業のようなもの・・・」とある。つまり食い扶持を賭して主義を唱えていたのである。国際の云うところ、ボーダレス。平和が謳われると戦争への道程。平等は特徴を無くし却って不平を生ずる。自由は放埓、民主は分裂、消費は贅沢を生じ、...異なることを恐れない意志08,8再

  • 安岡正篤が親しんだ郷学

    佐藤慎一郎氏新京にて以下は郷学作興の提唱者である教育者安岡正篤氏の生地である地域の郷学の形態である。現在の郷学研修所の前身であった日本農士学校の趣にあるアカデミックな学問とは異なり、しかも志願、推薦の類ではなく普遍的かつ地域特性を活かした場面であった。その後の師範学校にある官制学校の硬直性と比べると、まずはその教育過程において人を選別の具にしない、つまり時習学(情報、知識)の習得優劣によって人物の評価はしない、あくまで人格の涵養に重きをおき、その後の必然的欲求による科目志願の本(もと)としての本質学(人間学)が行われていた。なるほど、陸羯南、児玉源太郎、後藤新平、南方熊楠、らの英傑が輩出された驚嘆する当時の教育である。以下参考に掲載する田原小学校では秋山好古も教師に名を残している【以下、田原小学校の資料よ...安岡正篤が親しんだ郷学

  • 人間考学の提唱 小学より「潜在するものを観る」

    冠位褒章歴ナシ、記すべき官制学校歴ナシ、数多の成文あれど商業著作ナシ世俗無名に座し、と教えられればそれに随い、貪るな、と諭されれば貧を悦こび、枯木寒岩を装いつつも、浮俗に浸ることを一片の学として朋と遊び、時として独り逍遥しつつ清風の至るを悦しみ、齢を重ねている処士なり。頑迷の誹りあるも、学ぶ処、唯、先人万師の追隋なり寳田時雄著「天下為公」自歴より致知出版社所沢木鶏倶楽部依頼講話https://www.youtube.com/watch?v=UO0lQkpPk94(財)郷学研修所安岡正篤記念館寳田時雄講話https://www.youtube.com/watch?v=V-KOP9uItA8郷学研修会当初の構成http://kyougakuken.wixsite.com/kyougaku/blank-1売文で...人間考学の提唱小学より「潜在するものを観る」

  • 君が在る世を鎮考する

    このような気概と忠恕心をもった人物が存在する意義、それは政治権力や財の所有多寡にはない長(オサ)のような存在でもあろう。明治天皇は在任中に10万部に届こうとする和歌を詠んでいる勅語とは異なり、真情が表れている。なかには国民をおもう御心や、重臣、官吏、教育者に諭すような詠み歌がある。これを別位置の客観性と見る向きもあろうが、なかなか届くことのない境地である。詠み歌は国民には直接届くことのないことだが、為政者を越えて繋がる太い綱がある。あの被災地の歴訪も多くの為政者が訪れたが、陛下のなす自然の動きと言葉に多くの国民は感動した。そして選良といわれる為政者の言の葉と比べたりもした。歌会始でも御心を詠まれ、皇族もそれに倣った。中学校でも和歌の授業が行なわれ、多くの生徒が和歌に心模様を託している。ここでは、明治天皇の...君が在る世を鎮考する

  • 疑問の源泉 柔軟剤?

    秋山真之氏このままでいい、いや変えなくては、との様々な世俗の評を観る時、直すべき対象を吾が身に振り返るときがある。ものを書き、ものを云ってみたところで、その技量の乏しさの為か余計に滞留するものが滲み出ることがある。それは衣服を伝って表面に染み出るように、云い難い匂いを漂わせている。若い頃、よく古老から「問題意識を持ちなさい」と言われた。また、それを素朴で純粋に観察する為に「無名かつ有力に」と付け加えられた。力を抜くことでもあろう。近頃は懐中の厚みや、食い扶持となる釜の蓋を開け加減を横目で見ながら、自分にとっての人生の仕事の住処について譬えられる、蟹の甲羅に合った穴探しに没頭している。掘ったと思えば狭く、あるいはユルイ、下手な穴掘りでもあるが、身を休めるつもりは無い。気は阿修羅だが、お人好しの気弱で、お節介...疑問の源泉柔軟剤?

  • 人間考学 君は手を差し出して貰えるか 8 11/20 あの頃も

    孤立無援、国会で粛軍演説を行なった斉藤隆夫タダでくれるものには、意味がある。それが乗数効果という国民を相手にした投資なのだ出したら回収することは銀行も同じ手法だ。以前、別枠信用保証があった。中小商工業者は競って借りた。借りた途端、金融機関は今までの負債と相殺した。数兆円の資金は真水といわれる使える資金ではなくなった。しかも金融機関は日銀に還流したが政府保障貸出金より多くの資金が日銀の金庫に回収された。エサを撒いて大魚を釣ったのだ。流動資金は枯渇してサラ金、商工ローンへ追いやることになった。この政策で助かったのは金融機関だ。だが貸借バランスは良くなったが、国債は買わされ、これもエサになった。天邪鬼の屁理屈だが、金をくれると云われた時の人間の姿を考えてみた。まずは、民主の時代の政府と国民の関係におかしいと思わ...人間考学君は手を差し出して貰えるか811/20あの頃も

  • 《或る法律家の節操》 ラダ・ビノード・パル 07 7/8 再

    清瀬一郎氏パル博士岸信介氏パル博士と日本人の関係では、箱根のパル・下中記念館という名もあるとおり平凡社創業の下中弥三郎氏が特筆される存在でもある。また「パル判事の日本無罪論」を著し、晩年は南京虐殺の欺瞞を英書にして配布した田中正明氏は松井岩根大将の側近として、かつ下中氏の傍にいてパル・下中厚誼を観てきた市井の証言者でもある。筆者はふとした縁で下中氏の子息で平凡社の相談役であった邦彦氏との好誼によって多くのエピソードを遺しかつ願望を託されている。よく業界では、゛社会に為すべき仕事゛をする独特な社風をもつ平凡社ではあが、邦彦氏から託された下中弥三郎辞典にある膨大かつ有意な事跡を観ると、なぜパル博士との交流がこれほど深甚になったのかを下中氏の人物像をとおして現代に語りかけてくれるものがある。このほどベンガルのパ...《或る法律家の節操》ラダ・ビノード・パル077/8再

  • よく、相手の立場になってと教えるが・・ 2014 再

    銀座某風呂屋にてもし、あの太平洋戦争がアジア民族解放のための聖戦と考えるなら・・・・いまでも国内に膨大な面積を占領(領土を占める)している米軍基地の諸問題に難儀している日本を中国が開放名目として企てたら・・・稚拙な問答だが、たしかに日本は独立国の態をなしていないと考える人間もいるだろう。少しは考える人間は、行動を起す前に理屈の立つことを考える。あなたがやったことなら,オレもいいだろうと・・・あなたはアジア解放を旗印に進軍した。それに倣ってオレも解放軍とした。要は資源と人間の支配だ。オレは金で白人の棄てた世界に傀儡政権をつくる。ところで、精神が確かな日本人は、「聖戦の美名に隠れ・・」と議会で唱えたが、国民の代表と地位も名誉も保全された議員の多くは大勢に迎合して野次を飛ばして除名した。だが、次は最高得票で議会...よく、相手の立場になってと教えるが・・2014再

  • 後藤に見る人物と器量 〈観人則〉

    後藤新平児玉源太郎寶田時雄著「天下為公」より◆ユング教師の伝えたアメリカとリンゴ津軽を懐かしむ佐藤の言葉は"人間至る所、青山あり"といった地球上のどこにわが身を置いても時流に迎合せず自らを見失わず、しかも衆を頼まぬ「孤高の憂国」といったものを感じさせるものだ。「ユングという教師がいた。ユングが語学授業の合間に語る米国の思想や民情は、生徒の感動を呼び起こし、ときに忠孝の話になると、一同、感涙し戦慄といった状態がしばしばあった。山田と孫文☆りんごの原木来日のときに大切にもってきた米国リンゴの苗木は、その後の津軽の殖産事業として立派に役立っている。その原木はわが家の前にある。余談だがそのリンゴの育成方法を教えてくれと長野から来たが、なかには小心者がいて『せっかく儲けられるものを教えられない]』と追い返してしまっ...後藤に見る人物と器量〈観人則〉

  • あの頃も、いまも屈原にも成れなかったー

    《ドジョウは目が泳ぎ、溝(ドブ)に潜るのか》ことさら目くじらを立てることではないが・・・・以前、日中友好交渉の訪中の際、周総理から論語の一章を田中総理が貰ってきたことがある。その内容について当ブログで紹介したが、揮毫されていた文は「言必信行必果」で、まさに実行力を謳われた田中総理に適した内容だった。内包されている意味は『守って実行しなさいよ』という事だ。問題は、そのあとに続く章だ。「硜々然として小人なるかな」(小石のような小者)という章が前の色紙の語と一つになって意味となる。孔子に弟子が質問した逸話である。弟子が問う「言うことが信用できて、行うことに必ず結果が出る、このような人物は?」孔子が応えて「それでも一等な人物ではない。せいぜい小石の様な小者だ」「ならば、どのような人物が・」「君主の命を受けて他国に...あの頃も、いまも屈原にも成れなかったー

  • 麻生氏はあの時「さもしい」と賢察した。いまは騒がしく、かつ卑しくなっている 10 6/19 再

    以前、大相撲は清規(成文法)に馴染まないと書いた。つまり、おなじ社会の、同次元のことだが、ここでは狭い特殊社会の特別な人たちの同様には扱われない考え方と行いだと考えるのである。法人として優遇を受け公器としての役割が必要とはいうが、人が違えば公器等は看板の類であり、大義を謳うメディアにとっては何でも言い募る絶好なターゲットでもある。人の棲みわけられた世で、これが無くなれば清河百年を待つ、つまり元通りになるには百年三代かかるというものがある。仕草では「食三代」があるが、各々の家庭の味覚もあるが、食べ方、ここでは喰い方もある。これは作法だが民族が異なれば違うというような屁理屈ではなく、ことに色、食、財に関することは我国の人の所作に基づく問題でもある。昨今の就職活動(就活)や婚活の重要な部分を占めるであろう共通の...麻生氏はあの時「さもしい」と賢察した。いまは騒がしく、かつ卑しくなっている106/19再

  • まちづくりに外国人の発想をという初夢

    桂林の子供たち弟子(役人)が孔子に尋ねています新たな「まち造り」の根本的要諦は・・?「外の人、来たる。内の人,説こぶ(よろこぶ)」2008年の伴氏の章ですが、今と変わりませんね萬晩報主宰伴武澄(共同通信経済部,現高知市議)昨年来考えていることは、日本の物価水準が世界的に安くなっているのではないかということでした。日本経済新聞の新年企画は「YEN」から始まりました。アジアの人たちが日本で買い物天国を楽しむさ風景はまさに20年前の金満ニッポン人が欧米で繰り返したビヘイビアでした。日本の物価が高い、人件費が高いといっていた時代はとうの昔に終わっていたのです。47ニュースの編集で頻繁に目にする地方紙の記事はアジアからの観光客誘致です。正月にも山形新聞は蔵王での韓国からのスキー客誘致の話題がトップでした。日本の半分...まちづくりに外国人の発想をという初夢

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