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まほろばの泉 https://blog.goo.ne.jp/greendoor-t

亜細亜人、孫景文の交遊録にある酔譚、清談、独語、粋話など、人の吐息が感じられる無名でかつ有力な残像集

まほろばの泉
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2015/01/13

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  • 台湾民主主義 消費者から見た日本ブランドの偽装問題 15 4 改題

    子供たちは幼稚園から常に手を洗うことを習慣としている。日本以上に健康生活には敏感である。台北市中山記念小学校20249月25日台湾は日本からの輸入農産物の全面解禁を決定した。本稿307/25「日本産食品の解禁を問う」台湾11月に住民投票野党国民党は消費者の不安を煽り、解禁を目指す政権を攻撃してきた。国民党は、政権が日本の機嫌を取って核被災食品の解禁をしようとしていると攻撃。どちらの側に立つものではない。また与野党の政治的目的から離れて以下に記した。201702/9の掲載先日、台湾外交部関係の高官と食事を共にしながら懇談した。それは青森県平川市で行われた台湾シンポジューム招請の返礼の意もあった。場所は都内のホテル内の飯店、円席を共にしたのが某高官と秘書官である。その高官は我が国のキャリア官吏の様子とは異なり...台湾民主主義消費者から見た日本ブランドの偽装問題154改題

  • 安岡正明の説く 税務署長の心得

    郷学研修会安岡正明講頭ある日の講話「税(公平)と警察(正義)が国民に表す姿によって、民情はいかようにも変化する。以下はご尊父安岡正篤氏の督励ではじめた小会(郷学研修会)の講頭を務めていただいたご長男の正明先生の国税勤務当時にご縁のあった五十目寿男氏のブログ「芋沢日記」よりご紹介させていただきます。地方行政官(税務署長)の心得昭和天皇の終戦の詔勅を刪修(さんしゅう=手を入れて調える)したことで知られる思想家安岡正篤の長男安岡正明氏(1927~2003年)は、大蔵省入省後、国税の世界にも長く身を置かれた。税務署長は仙台国税局管内の水沢税務署(岩手県)で1年経験されている。筆者が初めて税務署長になった際に、何か署長の心の持ち方として参考になるようなものがないか探して行き着いたのが、この「地方行政官の心得」である...安岡正明の説く税務署長の心得

  • 「人間考学」 選挙、その笛を吹く人たち 9 1/11 あの頃も

    林檎の花2024年、大勢の笛吹が聴き飽きた音色で笛を吹いている。話は上手いが、立派とは思えない容と像と体、そして音声だ。音声は知性を表すとは古人の覚りだが、政治家は人を騙して雄弁家ともいう。いかに国家経営の影の主役である役人の教えたとおり腹話術ができるか、役人の不始末を国会で上手く謝ってくれるか。嘘、改ざん、隠蔽、の言い訳、あるいは国家経営の証であるが、都合の悪い公文書の廃棄すら許し、謝罪、言い訳、はたまた辞任までしてくれるか、上手く踊れば足もすくわず政権に協力する、そんな舞台レースに観客も騒いでいる。「笛吹き」といえばハーメルンの鼠捕りが思いつく。色とりどりの服装で鼠捕りを請け負う笛吹きの物語だ。笛に浮かれ誘き寄せられた鼠が川で溺れ死ぬが、市民は笛吹きに報酬を支払うことをためらったために、子供達(130...「人間考学」選挙、その笛を吹く人たち91/11あの頃も

  • 可愛い女傑たち 2017 2 再

    可愛いか、可哀いのかはそれぞれだが、事と次第によっては熱狂と偏見、悲壮感さえ漂う雰囲気がある。街中では歩けないような原色スーツで身を装い、赤絨毯を闊歩する女性閣僚たちの予備軍のような方々であった俗人は「贅沢をするものに憧れ近づき、妬み、そして不幸を待ち望む」という。しょせんロシュフーコのいう自己愛の観察なのだろうが、どうも、そもそも人間は・・・との問いに頓首せざるを得ない。まだ頭を傾げる姿ならまだしも、おおよそは当てはまる心の深層だろう。まして逆に考えれば、己が幸せの羨望を集め、嫉妬されるような幸福感を求めていることなのだろう。以前、政治評論家の板垣英憲氏の主催で「可愛い女傑たち」というパーティーに誘われた。普段は政治の裏側や政策評論などを生業としていた板垣氏の呼びかけだったが、参加者はそれなりの女性だが...可愛い女傑たち20172再

  • 永田町と霞が関の毒まんじゅうは美味いか? 2018あの頃も・・

    終わることなく、変化すらない・・・安倍くんもおめでたく三選となり、茶坊主だのチルドレンの猟官も騒がしいが、ここまでヤルと、次は、゛江戸の仇は長崎゛で、かたき討ちにあうのは分かっているのか、今のうちに愚にもならない肩書や地位をレッテル貼りに勤しんでいるという。反社(暴力団)と名付けられた任侠も薄くなり義理や人情、狭い範囲の掟も厳しい分別があるが、議員の失業対策となった騒がしい選挙は、めでたく当選すれば寄らば大樹とばかり、政策是非はともかく親鳥の餌を巣待ちしている幼鳥のようにもみえる。エサは派閥や党、見栄えが良ければ行政府の充て職に納まるだけなのだが、多くの国民は怨嗟を通り越し、政治家観の諦観(あきらめ)として、ときに政治に対して怠惰にもなっている。なによりも、あの御方の大御心を煩わせる無頼の徒のようにも映っ...永田町と霞が関の毒まんじゅうは美味いか?2018あの頃も・・

  • あえて田中真紀子氏の言に耳を傾ける・ 12 11/14

    ・田中角栄氏の子女真紀子氏は教育行政について独特な考えがあった。父は教科書無償、教員の給与を含めた待遇改善を多くの反対を押し切って立法した。今は、言葉には混乱もあるが官制の教育制度にある大学校の設置基準について政治家としての言を述べた。角栄氏は戦後の教育行政へ勢力を伸ばしてきた日教組の構成員である教員の待遇を改善し、公務員なかでも厚遇というべき施策をおこなった。その理由は子供たちに教育の機会拡大する枠組みとサポートする教員への援護だった。要は、角栄氏の許容量と見るべきだろう。思想も施策も人間のなせること。複雑多岐な要因を以て構成されている国家を俯瞰すれば与党も野党もその協力者も当然な意味を含んだ存在だ。与党為政者といえど、欲望交差点に騒ぐ陣傘代議士とはことなる位置に居たことは確かだ。当時、教員の多くは日教...あえて田中真紀子氏の言に耳を傾ける・1211/14

  • 慎みの乏しくなった権力 2015 あの頃

    自民党をぶち壊す!と吠えた小泉氏のワンフレーズに酔った有権者だったが、しばらくして現れたのは、非正規雇用という、まさに正規の雇用ではない、いつでも解雇できる臨時雇だった。狂ったように叫び、争った郵政改革なるものは保険、貯金の虎の子を株や為替の博打まがいの世界に流動させる手立てだった。規制改革は非効率な役人世界の手から離し、ハゲタカのような新興成金に安売りしたが、言い分は不良債権の切り離しという簡便な会計操作で、正常化を装ったが、ついでにリストラで従業員を解雇し、まるで垢落としでスッキリした気分になったようだが、要は見た目の変化の如く、本当に自民党だけではなく、社会構造や人心までぶち壊されてしまったようだ。今までは非正規と正規に分離だが、今度は効率的とか働きがいなどと言葉を変え、正規まで雇用の流動化を図り、...慎みの乏しくなった権力2015あの頃

  • この有様は「五寒」の政外、内外の表れである 10 9 月 再

    あの頃も平成29年、現下の情況は五寒にある「謀弛」、政治のユルミであり、隠していることが漏れる現象である。また、政府を取り巻く諮問会議など、都度に国会の審議を得ることもなく、為政者にフリーハンドを与えたシステムではある。だか、邪な意図をもった為政者なり側近が運用すると恣意的(思いのまま)に政策が遂行されてしまう。つまり、官邸と一部の迎合官僚と業者の関係のみで国会のチェックもない。面倒な争論を省き改革するには重宝だが、緩み(ゆるみ)と漏れ(もれ」は、必ず起きる。現下の騒動はその結果であり「五寒」に示す、謀弛の現象だ。再三にわたりブログで記すが、「四患」から「五寒」になる過程は、人心の劣化と国家の衰亡である。また、五寒にある「敬重」は、天皇、いや「天皇家」の意志にもかかわる問題である。そもそも、天皇といわれる...この有様は「五寒」の政外、内外の表れである109月再

  • 人間考学 人の世はこれに尽きる 2014 11再

    人心は微かになっている。人物になじまない知識は、教養が乏しければ、一過性の、゛物知り゛でしかない。浮俗では食い扶持(収入)や優越性(地位)のための知学てはあるが、運や縁を渇望する不思議さもある。以下は我欲を抑制して、ためらわず、惜しまず、補い合う、まさに「小学」(小学校ではない)の良き習慣性でもあり、忠恕心の涵養の勧めである。力ある者は疾(と)く以て人を助け、(すばやく)財ある者は勉めて以て人に分かち、(譲る)道(教養)ある者は勧めて以て人に教う(伝える・教える)数多の宗教家や政治家がこれに類似したものを説くが、私心がある。官吏はこれを黙殺することで職に安住する、それが昨今のようだ。なぜ、このような言辞が掲げられるのか、それは人心が微かになったからである。力や財や道には人を経過することで排他性を生ずること...人間考学人の世はこれに尽きる201411再

  • 総理候補は、陛下の大御心を忖度できるのか 2019 2 改再

    ここでは民主主義社会のなかで、四角四面に天皇の存在意義や権能を、あれこれと論ずるものではない。また、哀願に似た依頼を抱くものではない。ただ、人々が垣間見た行動や、その表現となり発するお言葉や、その元となるものをたどって推察する「大御心(オオミココロ)」と、それを忖度して具現するであろう、宰相としての姿をトレースしたとき、実感として感ずる乖離観の疑問でもある。また、保守とか保守系と自らを称する候補者の言辞に、同民族に推戴され長い年月を経て畏敬の存在に高められた民族の長(おさ)の存在が、自ら行うであろう施政にどのような位置づけにあるのか明確な意思はないようだ。赤尾敏氏に筆者は尋ねた。「いつも演説の最後に、天皇陛下万歳を唱えますが・・」『本当は日本国万歳だ。だが今の政治家の体たらくでは日本国万歳はなじまない。天...総理候補は、陛下の大御心を忖度できるのか20192改再

  • 宰相として為すべき学問の特殊性 其の三 2009 7・22R

    《美しい国》とはあるが、通常、至るところで「清く」、「正しく」、「美しく」が三拍子のように日本人の生き方として唱和されていた。美しいものには前提がある。ちなみに可愛い童子が「ハイ」と応える様子が隣国の「美」の意味と聞く。素直で、清く、正しく、が美しい姿なのだろう。つまり清く、正しくを人の姿として、国民に人倫の道を表わすことが政治家に課せられた最低限の勤めだということである。それが説明、解釈もなき美しい姿ではないだろうか以下本文【人としての日本民族】学問といえば家庭の躾、朋友との練磨、伝統歴史の自習といった郷学、藩校での学習,海外での見分など゛成長に沿った多面的な学問習得から,真に頭の良いといわれる「直観力」「先見性」「勇気」を涵養,自得している。歴史の機会や時に委ねても、同じ国土に、単に時を違えて輩出され...宰相として為すべき学問の特殊性其の三20097・22R

  • 宰相として為すべき学問の特殊性 其の二 09 7/22再

    八景称名寺《国家百年の大計は人を樹る事にあり》国家、国民という呼称が出来上がった創成期に国家リーダーであった天皇の憂慮は、大正昭和の立身出世、学閥、或いは軍閥など、エリートの堕落によって現実のものになった。それは競争なり発展を否定するものではなく、その収穫を利他(国内外)に効あるものにするために、地位、名誉.権勢といった欲望に恬淡とした人物の養成、つまり国家のリーダーには人類普遍的な精神の涵養が教育の根本に据えなければならないという天皇の意志でもあり、西洋合理主義との関係において調和すべきもの、あるいは、堅持すべきものの峻別を促したものでもあった。ここに教育面において『相』の養成に心を砕き、当時(明治初頭の大学教育とその学制)の教育に憂慮を抱いた天皇のエピソードがある。深層の憂慮に添う「聖喩記」明治天皇の...宰相として為すべき学問の特殊性其の二097/22再

  • 教員の庇いと足の引っ張り 2013 あの頃

    「正」は、一に止まると書く、美は羊が大きいと書く。だから親は正美と名づけをする。名前をみれば親の見識が判るというが、見識の「識」は道理の如何だ。バラバラにすれば一止羊大だ。じつはこの章を書きはじめたら産経で一止氏の「教頭が・・・」というコラムが載った。偶然か、この一行を書きはじめたら朝刊が目に入った次第。このようなペンネームも珍しいが、意味解きも簡易な名前も面白い。ただ、正美だと考えれば、よく唱える三連がある。「正しく、美しい」の先頭に「清く」がなくては正しくも、美しくもない。清一止(清正)の方が呼び方はともかく、教員くらいにはなじむ。その「教頭が・・」だが、職場の愚痴は子供には関係ない。まして民間校長を入れると折角期待していた校長の椅子が狭き門になると、本人は真剣だが国民にとっては失礼千万のことだ。こど...教員の庇いと足の引っ張り2013あの頃

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