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まほろばの泉 https://blog.goo.ne.jp/greendoor-t

亜細亜人、孫景文の交遊録にある酔譚、清談、独語、粋話など、人の吐息が感じられる無名でかつ有力な残像集

まほろばの泉
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2015/01/13

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  • 「人間考学」 聞くか、聞かんかは、我が知るところなし 2022再

    要は、口は軽くても、重くても問題ではない、信と実の忠恕の気概がなくては詭弁でしかない。写真は関連サイトより転載2011再掲載筆者は御懇嘱をいただく諸分野での講話で、「やりたい事より、やるべきこと」と伝えます。それは70数億人の地球人が存在する中で、2人として同じ特徴(特質)はないが、多くは他人と異なることを恐れ、情報なるものに翻弄され己の特徴を埋没させている。成長は特徴を自身で発見して伸ばす、もしグランドが狭ければ、たとえ孤独でも広い世界に進出して天与の特徴を伸ばす、それが、為すべきこと、やるべきことだと一考拙意を伝える。ときに「狂」の境地と他は嘲るが、内心を探れば似たものと勝手に察している。それゆえ小楠のように、ハナシではなく語る。(吾を言う)また先師に倣って駄賃は遠慮する。懐中ねじ込まれれば依頼人の呑...「人間考学」聞くか、聞かんかは、我が知るところなし2022再

  • 「教員の待遇を良くして給料を上げよ」と、北野たけしさんは言うが・・ 15 8/8 再

    北野武さん20248/28東京新聞≪3/10また教員が頭を下げている。≫筆者がガキの頃、毎月爺さんと浅草に行った。本堂の足場が架かっていた頃だが、普段は教えもしなかった爺さんは「あの瓦の裏には名前が書いてある」とぼそぼそ語っていた。どこに行くのも、いつも、゛なっぱ服゛を着ていたせいか、本堂から六区に行く途中の路地の呑み屋で一杯入れていくが、店の婆さんが『税金の都合でお銚子一本になっているんで・・』と、浅草でも着なりをみるのかと不思議になった。爺さんは孫の前で恥かしそうだったが、余分にスズメという串刺しの小魚をたのんでくれた。六区では石井きん、大江美智子、浅香光代、大宮デンスケの人気者が看板を掛けていたが、総なめした。そのうち明治座で曾我廼家五郎八まで連れて行ってくれた。ロック座があったようだが、爺さんは早...「教員の待遇を良くして給料を上げよ」と、北野たけしさんは言うが・・158/8再

  • 秘録 邦おもえば、国賊 08 再

    秩父の瑞穂長文恐縮ですが明治以降の武装集団である軍及び軍官吏の姿に、国の綱維が融解してしまう危惧を推考し、立場ゆえ言葉も少なく、かつ憂慮する人々がいた。あの大西郷をして「こんな国にするつもりは無かった」と言わしめた維新の姿は、その後の国家経営にある教育や外交、あるいは武家社会の人格陶冶にみる武士道とは異なる戦闘集団の武断的志向の残滓を抱えた武装集団の専横が際立ってきた。文武両道といわれるが、その文にいう文官も名目的学校歴にみる立身出世型官吏の増殖と相まって、議会の権能すら有名無実な状態に堕し、そこに棲む伴食議員の群れがその風潮を進捗させ、国家を方向を誤らせている。これを憂慮する人々がいた。しかし、彼等は肉体的衝撃を厭わぬ勇に乏しかった。力のある者に抗するのは謀と、対抗者たる他国の力を借用するしかない、また...秘録邦おもえば、国賊08再

  • 「Hong Kong」 より 満洲人脈との邂逅

    「HongKong」より抜粋新橋駅の土橋側、整形美容で有名な十仁病院の並びに国際善隣ビルがある。8階建ての古びた建物だが、大家である国際善隣協会が上層階、階下は事務所テナントである。協会は満蒙援護と中国との善隣友好を掲げ、その資産は満州国の在外資産、つまり内地日本にあったものを戦後のドサクサで取得したとか、しないとか。これには秘話がある。戦後の満州は国民党の勢力圏にあった。領袖である蒋介石は辛亥革命の先輩である山田純三郎に対外財産、つまり内地資産の処理を山田に委ねていた。その一つがあの堀端にある幸徳会館た。それがどのような経過をたどったのか三井の所有になっている。酔譚に佐藤慎一郎氏が語るに「満州国の財産は日本国内にもあった、土や建物も債券や物資もあった。みなどさくさで掠め取られたが、これにはワケがあって、...「HongKong」より満洲人脈との邂逅

  • 聖徳太子の心配事は当たったか 09 3/06 再

    「「紐帯の結びの重し」皇居内お休み処20年前の稿だが、あの当時と変わらない政情である。当時は、こと勿れ、ヒラメのような政官の徒だったが、今回は首取り、椅子取りの下剋上の様相である。2024年岸田首相の再選の道を閉ざされると、今までにない多くの議員が手を挙げた。だが、ことここに至っても立候補の声明までは無い。若者はビジョン、政策が大事と広言するが、一国の総理が無念のうちに退任する原因は支援の数ではなく、政策、ビジョンの前提にある「信」が国民から得られない事による挫折とみるべきだ。候補者は、ヤリタイことでなく、信を取り戻すヤルベキことを思い起こしてほしい。見た目、口達者、愛嬌、は大衆には好まれるが、歴史上、数多の国に現れる衰亡期の姿だ。以下旧稿このところ中央地方を問わず金と異性と失言などの問題で毎日のように紙...聖徳太子の心配事は当たったか093/06再

  • 日本型 官僚社会主義の呪縛 そのⅡ 2018・4

    広州平成30年我が国の政官界の実態は、隣国の官吏に同化するように極似してきた。それは欲望の同化であろう。政、官、経、加えて報道界もつづく。総ては虚を実と装い、本(もと)の無い知は大偽のために用いて、隠し、恫喝さえする。俯瞰して眺めてみると、旧時代の人間科学ともいえる隣国の事象データーにことごとく符合するものがある。それは本姓として是認された世界なのか。それとも人間の自傷行為のような欲望なのか。清濁は併せ呑むと聞くが、欲望から自噴した毒は止め処なく社会を覆っている。あえて、寒山寺の拾得和尚のように愚者をあざけ哂うつもりはないが、行き着くところくらいはオセッカイしてみたい。昇(しょう)官(かん)発(はつ)財(ざい)官吏は昇進するたび財を発する、また民はそれを嘲りつつも倣うものだ己れ自身を正すことなくして、天下...日本型官僚社会主義の呪縛そのⅡ2018・4

  • 再読を請う 宰相に観る「四患」と民癖 再編

    満州新京での家族提供佐藤慎一郎氏自民党の総裁選挙は立法府の党派の問題である。多くの議員を集めた政党が党の総裁を選出し、行政府の総理(首相)となり、中央政府を統率監理する。当然の理解整理だが、以下に記す弛緩(綱紀がゆるむ)や怠惰、腐敗、は、政策目標の停滞だけでなく、国なるものの構成者であるべき国民の意識まで変質させてしまう憂慮がある。2024年、数多の候補者が名乗りを上げる総裁選に耳目が集まっている。よく『誰がなっても変わらない・・』と聞くが、今の情況で゛なりたい゛と思っている候補者の為すべき必須の問題意識に、どこかピント外れに思えるのは何だろうかと、腑に落ちない部分を拙くも記してみたい。要は熱狂と偏見の世情が落ち着いて後、浮上する根源的要因を逆賭してみると、先ずは綱紀粛正から信の回復であると考える。「逆賭...再読を請う宰相に観る「四患」と民癖再編

  • 選挙は議員失業対策のプレゼンの如く あの頃も

    どうしたらと嘆いても、自分そのものが解らない時節だ。自分とは全体の一部分としての自覚だが、それを基とした思索と観照、そして精霊への畏敬を無意味なものとして考えられている現状では、ついつい依頼心のみが増幅してしまうようだ。多くは政治に求めるが毎度のこと信が乏しくなる。それゆえに信あるところを探すが、大声で信じてくださいと言われるほど昨今の選挙は鼻白む思いがする。ここで言わんとするところはアカデミックな政治論ではない。つまるところ何に感動し、倣いとして畏敬するか。そこから比して政治の信を観るのか。どこに行こうが、゛寄らば大樹゛、当選しそうなところに貼り付け膏薬のように右往左往しているのが近ごろの選挙のようだ。いずれも命懸けで国の行く末を靖んじているという。浮俗の不特定多数も然り、あの特有の津軽選挙のように落選...選挙は議員失業対策のプレゼンの如くあの頃も

  • もう一人の自分の安心は、己を知る人の存在 2021再

    ときに己にも問いかけることもある内容ですが・・・・武士(モノノフ)は己を知る者のために死ぬ、と聴く。現代社会は、相手に知ってもらいたいと、なかには「見て!見て!」と、性別にかかわらず料理なり技芸を見せたがるが、人品や人柄とは何ら関係のない附属性ともいえる、たかだかの特技を誇ったり、身体表層を飾り、ときには偽装するような目に見える姿は、ここでは「己を知る」とは言わない。もともと己を知らないままに生命を遂げるようだが、碩学安岡正篤氏の講堂の掲額には「我、何人(ワレナニビトゾ)」と記されていた。ゴーギャンは南太平洋のタヒチに渡った。毛沢東は革命を通じて己を知った。孫文は中国近代革命の魁となり、西洋列強の植民地主義の膨張政策がみえた日本および日本人に「日本は東洋王道の干城となるか、西洋覇道の狗となるか慎重に考える...もう一人の自分の安心は、己を知る人の存在2021再

  • 政治・行政・教育 要は綱紀粛正からだ 2018 10 あの頃も

    文字と詭弁の「乗数効果」、そして後藤は「超数的能率」いっとき管直人君がこれでやられた。ただアカデミックな言葉は知らなかっただけで、政治家の離合集散における乗数効果はお手のものである。100万投資すれば1000万の経済効果かあるというが、オリンピックは政官財の汚職、腐敗、弛緩を生んだ。「小人、利に集い、利薄ければ散ず」小者は利の臭いに目ざとく、利(力)が衰えれば離れる、考えれば選挙制度なども政権側の継続的維持のために図った仕組みだが、浮気性の国民はその仕組みさえ別の要因でひっくり返す。年金とスキャンダルだ。突き詰めれば大きな勢力による専制、つまり同じ党でも思惑がバラバラで纏まりがつかなくなり外交や税制すら決められなく、終には候補者の選任を党が行うという、国民にとっては推戴の選択すらなくなった小選挙区制による...政治・行政・教育要は綱紀粛正からだ201810あの頃も

  • 189連勝 アニマルといわれた男への手紙 2007 再

    友人が拙宅に同伴した渡辺さん、当時は中国レスリングのコーチ招請があった頃だ。189連勝、オリンピック金メダル。それでもずい分と昔のことだった。今どきのスポーツ選手と違って、当時は目の前に賞金やCM収入も無かった。純朴さと忍耐力、世間慣れもなく、ゆえに騙されることもあった。だが、流行りごとのように、騒いでいた人たちは、飽きると散る。※故事「小人、利に集い、利薄ければ散ず」幾度か連絡を頂いた。そんな頃の手紙だった。渡辺長武さんへ69連勝だった横綱双葉山は敗れたとき、外遊中だった安岡正篤氏に打電している。「我、いまだ木鶏にいたらず」それは、騒がず、うろたえず、無闇に競わず、といった境地になかなかなれません、と報告しています。勝った負けた、あるいは言い負かした、叱った、と言ってもすべて自分の至らなさだと双葉山は悟...189連勝アニマルといわれた男への手紙2007再

  • 国家の応答辞令 あの頃も 2018

    平成23年12月17日津軽弘前城「三億失っても、五億は残る」金の話ではない人の数の話だきっとこんな会話だったと推察する「いつでも(言うことを聴かなければ)核を打ちこめる・・」「なに、三億死んでも五億は残る」これは余りにも有名なスターリンと毛沢東のエピソードである。これは地図中の大きさと人口の数が「力」となった例で、しかも「生命と財産を・・・」と謳う我国の指導者には到底まねのできない応答でもある。外交は先ず言葉の切り合いから始まる。その先は戦争である。小国日本は日露戦争の軍費を調達するに国債を売った。引き受けてはユダヤ人の資本家である。ロシア国内のユダヤ人保護という大義があったが、もし負けて国債が紙切れになったら資本家も困る。普通は担保を取る。土地をとっても民衆もついでに付いてくる。食わせるのに大変だから、...国家の応答辞令あの頃も2018

  • オリンピックは地球のドサ周り 2013 3/1あの頃

    あの頃も・・・旧竹田宮、JOC会長がオリンピック招致に絡んだ贈収賄でフランスの捜査機関に聴取されたと伝わった。竹田宮家は高輪にあり、今はプリンスホテルの関連施設になっている広大な敷地だ。その西武の創業者は堤康次郎、あとを継いだのは次男義明氏だが、永年オリンピックに関係し、竹田氏も充て職であるJOC会長に就任したのも、皇室縁戚ブランドの為せることだと大方は承知している。康次郎氏は空襲のさなか困窮した旧皇族の敷地を買いまくったことは伝記にもあるが、プリンスホテルの多くは皇族関係の土地が多い。長野五輪までは西武グループの影響が大きかった。その後の事業頓挫に加えて、長野五輪の会計を含む関係書類の廃棄など、今回同様の招致に絡む金銭贈与については、大方の国民は察していた。都市博や万博など政治がらみの誘致には、必ずとい...オリンピックは地球のドサ周り20133/1あの頃

  • 受刑者にサン付けで戸惑う 府中刑務所 12 7/5 あの頃

    府中刑務所あの大国魂神社や競馬場で有名な府中市は東洋一といわける威容を誇る?刑務所でも有名な場所だ。三億円事件の舞台となった刑務所の塀に沿う道路は東芝府中工場が隣接し、その広大な敷地を囲う施設は、さほどの興味を持たなければ内部の様子など知る由もない。昔、八王子や府中近辺は甲州と江戸の境目にあたり、神社の祭りにはそれぞれの勢力が角突き合い、露店の売り物だった鎌や鍬などを喧嘩道具にして亡くなったものも少なくなかった。また神社の掲額に和算が記されているほど農閑期には学問も盛んだった。ちなみに芦ノ湖からの導水建設も和算である。つまり斜面を上下から掘り進んで合致する計算である。ちなみに近鉄の生駒山トンネルは近代工法で行ったが合致点ではずれが有ったという。西洋方程式と和算は計算方法も異なるが、その慣性に馴染んだ発想も...受刑者にサン付けで戸惑う府中刑務所127/5あの頃

  • 滅ぼすのは悪ではなく、愚かさである 2010 5 あの頃

    まさに標題のごとくの世相である。何をして悪党と呼ぶのかは様々だが、ならば小悪党でなく大悪党のほうが解りやすい古には石川五右衛門や鼠小僧もいた。平将門も関東の悪党と西では云われていた。悪党ではないが、清水次郎長やその配下も当時はヤクザ侠客といわれたが、山岡鉄舟や勝海舟との交遊は面白い。人のことではないが、悪所といわれた遊び場が至るところにある。浅草や通天閣あたりのことだが、別に悪人が屯っていたわけではない。かえって潤いのある遊び場だった。屁理屈だが偽善者は有っても偽悪者とは言わない。それは、往々にして善を表わすのは偽なる装いであり、真意は意味も解らず習慣化された善なる姿に、隠れた己が見えなくなるからなのだろう。翻って、無礼とざっくばらんは紙一重という。これこそ真の自由であり、あけっぴろげの姿だと勝手な振る舞...滅ぼすのは悪ではなく、愚かさである20105あの頃

  • 天涯孤児の人情と許容 10・9/4再

    アカデミックに考えるものではないが・・・。人間は産む本能と備わった器官、あるいは性欲にいう男女交接の歓喜は、なかなか口舌に挙がることは無いが、まつわるハナシや五感を触発する成果物(著作、映像)は数多創造されている。人生の潤いにおいても大切なことではあるが、秘めた心情はより増幅した想像を生んでいる。斯様にもってまわった言い回しだが、あからさまに性交の誘惑や歓喜にまつわる話題を秘めた仲間以外には話すことはない。ただ、視界に思いがけずに飛び込む異性の衣服の乱れや、誘惑されるわけでもないが勝手に妄想してしまう欲望の衝動は男女を問わず覚える程好い緩みの一時であろう。そこまでは至極よくある秘めた情感だが、同棲、結婚、生活、離婚という状況に置かれると、飽き、抵抗、排除と動物のバーバリズムというべき理性とかけ離れた自身に...天涯孤児の人情と許容10・9/4再

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