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まほろばの泉 https://blog.goo.ne.jp/greendoor-t

亜細亜人、孫景文の交遊録にある酔譚、清談、独語、粋話など、人の吐息が感じられる無名でかつ有力な残像集

まほろばの泉
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2015/01/13

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  • 贅沢をするものに憧れ近づき、妬み、そして不幸を待ち望む 2021再

    極東軍事裁判ラダ・ビノード・バル判事の椅子東條家の人たちとパル博士標題は、ロシュフーコのいう自己愛の観察の類なのだろうが、どうも、「そもそも人間は・・」、との問いに頓首せざるを得ない。まだ頭を傾げる姿ならまだしも、悲しいかなおおよそは当てはまる心の深層だろう。筆者もその風はあるのだろうと、内心を探ってみた。当てはまる現象を取り上げることも野暮な思索だが、表記を逆に考えれば、己が幸せの羨望を集め、嫉妬されるような幸福感を求めていることなのだろうそんなことを考えることも思想ゲームの類だと一笑されそうだが、いくら聖書や古い経典を振り回さなくても、己の内心を探れば口に出さなくても大方は得心している。ところが、幾らか人生を重ねると、その時々に錯覚していた、あるいは今考えると、゛あれさえなければ゛と、悔やむことがある...贅沢をするものに憧れ近づき、妬み、そして不幸を待ち望む2021再

  • 警備から民生に 警察官僚との不思議な邂逅

    陛下の祷りに恥じない権力の姿とは・・・・世の中は目的は定かではないが縁によって逍遥することが多い。逍遥とはそぞろ歩きのようだが、地位や名利などの利得などに関知しなけれは縁は多くの果実を運んでくる。つまり成した人物との邂逅(出会い)が不思議と巡り合い、また己次第では多岐にわたる交流も波のように寄せてくる。利得に関知しなければと記したが、ここでは不特定多数の利福に役立つ知力なり威力が積層され、組織にも、組織の持つ意義にも有効性を持つ関係がある。ここでは様々な交流の一端において縁があった治安関係者を想いだして、備忘録としたい。また、面前権力としての治安関係者が、公務員として上部権力や組織維持に指向することなく、国民の不特定多数の安寧を守護する存在として具現できるか否かを、諸々の交流や人物観の座標を保持しつつ、浮...警備から民生に警察官僚との不思議な邂逅

  • 台湾憧憬 異邦に残置すること

    南方のサクラことは、今まで使っていた言葉を禁止され、流入してきた人たちに生活語や行動の自由を制約され、かつ今までの既存の社会の仕組みまで解体され、まるで残置されたように数十年も苦渋な生活を強いられる人々の姿を黙視する憐憫の情は、我が身を刺すように心魂を揺るがすのである。それは歴史の隘路に取り残されたかのように我が国の情感を大切に維持し、且つそれを生計の座標として、覚え習った佳き習慣性を心に抱き、まるで客分のように控えめに営みをもつような、ここでは残置されたかのような元邦人の姿であった。まさに狭く困難な路を歩んだ善人の轍(わだち)が明確に遺されているのが台湾というところだ。中山老人住宅元邦人と記したが、清国から割譲され殖産事業に邁進した時から生を享け、幼少期、思春期を経て、反面教師のごとく混乱を巻き起こした...台湾憧憬異邦に残置すること

  • 脅されたり、揉み手ですり寄る関係 08 あの頃

    中曽根・胡耀邦による青年3000人交流のために作られたホテル、ホール、体育施設などの複合施設中日青年友好中心(センター)暴力団のミカジメに嫌々つき合わせられる飲食店の女将の関係でもないが、よく似ている。昔の行きがかりで物騒なものは持たされず、それゆえに従わされ、言うことを聞かなければ敵の敵は味方よろしく、物騒な飛び道具で脅しをかけ、ミカジメ量の増額を図る、どこかアメリカと日本の関係に似た仕組みだが、戦後70年たってもその関係は変わらない。ドイツは、第一次大戦は皇帝のせいにした。第二次はヒットラーのせいにした。日本の戦いはそれと違うというが、敗けた後の始末はドイツの方が一枚上手だ。しかも戦勝国からの要求に一々反駁している。教育、憲法などは勝手にさせないと口出しを拒否。それに比べて日本の当事者は満州事変や日中...脅されたり、揉み手ですり寄る関係08あの頃

  • 衰亡の歴史を感知する習近平氏の国内政策 ②

    虎視眈々と清朝の利権獲得を狙う列強諸国≪毛沢東主席はスターリンとの緊張した会談で原爆のことに触れて、『たとえ落とされても、人民の半分四億は残る』と応えたと逸話がある≫ここでは昨今の米中、中台の情勢や、中国の威武(経済力、軍事力)を現示的行動として伸長する問題から離れて、経国内治について簡記したい。それは、たかだか人間の努力次第で数値があがる経済力、軍事力ではなく、人心の統御(人民の放埓を防ぐ)が真の国力の基盤として表層の経済、軍事を支える深層の国力として民情について考えてみたい。それは、銘酒の名でわが国でも知れ渡った老子の「上善如水」にいう最善な人間の生き方にもよく表れている。その擬人化した水の生き方だが、本(もと)は循環であり形の定まらないものだ。だが、方円や四角の器(環境)に順って納まり、渓流は平地に...衰亡の歴史を感知する習近平氏の国内政策②

  • マスコミ考 存在と分の弁え 2008 あの頃

    郷学にて右端卜部氏安岡正明氏産経新聞の一面に掲載され、かつ紙面の縦軸を掌る産経抄が陛下のお言葉に触れている。ことは、米国のチェイニー副大統領が宮中参殿のおりの会話であった。チェイニー氏がイラク派遣の自衛隊を評価するにおよび、陛下は「自衛隊は給水活動や医療活動など、復興支援のために派遣されたものであり、無事にイラクの人のために貢献することを願っている」と発言されたことを受け筆者は、「なんと、陛下は自衛隊のイラク派遣が人道支援であることを明言された」と続き、「小欄の知る限り始めてのこと、すごいことである・・」と感動で結んでいる。ことさら、戦前の天皇制は、などと言い募ることでもないが、小生にもこれに似た望念に駆られたことがある。それはいまも慙愧の念を抱く言辞だった。一つは、皇太后御用係であった故卜部亮吾氏との回...マスコミ考存在と分の弁え2008あの頃

  • 官吏の懐疑的対応 あの頃

    面前権力には税と治安があるが、成文にある法をもとに普遍的対応をしているという。国民はその姿に、国なるものの税の公平、治安機関の正義の如何を敏感に察している。それも、生身の人間が執行することだが、こと運用においてはどこか懐疑的、恣意的な印象がある。それは経営的行政の謳い文句の基となる数値的評価に、何の問題意識もなく踊る官吏の姿なのではないだろうか。しかも課題を提示されると、課題の内容を吟味することなく、唯一の世界のように数値成果に邁進する牧民官となり、唯、国民は羊のように無抵抗な群れとなっている。その課題となるものは、税は徴収の迅速化と量の確保であり、治安機関は出先においては数値の確保、内部においては、やはり収納金の多寡である。彼等は国民に有無を言わせない負託権力を持ち、その収納を図るために煩雑とした多くの...官吏の懐疑的対応あの頃

  • 明治天皇が直感した人間教育の欠如 10/7再

    明治天皇は帝大(東京大学)の巡察で現代の教育についての混迷を逆賭するかのように賢察を侍従に諭している。これは天皇でありながら独りの英明なる人間としての直感である。明治創成期、国家、国民という名ではじめて呼称され、国家経営のための諸制度がつくられた。そのなかで一番重要視されたのは教育であり、さらに国民の人間としての尊厳を護るために任用される各部署要員と共に、それらの人員を用いて有用にプロデュースする「相」の育成だった。その様子は天皇の慧眼というべき指摘であり、以後、立身出世主義から形式的組織となり、ついには臨機の応用に応えられないような状態が起こり、あたかも国家の暗雲となり惨禍を誘引してしまったことを観透すような憂いでもあった。それは結果として今もつづく教育の在りように添えられる数多の枝論、ここでは文部省官...明治天皇が直感した人間教育の欠如10/7再

  • 人心、惟(コレ)微かなり 10 1/8 再

    師走の富士S氏とN氏のTV漫談対談のこと・・・双方、善人である。かつ人生経過において常に問題意識をもち、゛考える゛ということを怠りなく行なってきた。また遭遇した人の縁によるものなのか、あるいは身の置所の縁ゆえか人師より経師の縁が多かったようだ。それとも、人には天爵と人爵があるというが、それかもしれない。それゆえか、世俗ではごく普通な経過であっても、彼等の観た挫折反抗が反骨という特徴ある気概を生み、味のある口舌のオンが滲み出ている。その意味では洒脱でもある。ただ、吸い取り紙と皮肉屋の言いっ放しといってよい談でも論でもないハナシのようでだが、これらが「壇」や「界」を形成し、錯覚した「威」をもつと国家は弛緩する。吸い取り紙とは、なんでも頭に入れ珍奇な切り口で、切り絵貼り付けを成す論を高邁に語るが座標がなく責任言...人心、惟(コレ)微かなり101/8再

  • 碩学に世襲はないが風韻はある 09・06/03 再

    風韻・・・品格、趣き近頃、世襲問題が騒がしいが、一つ切り口を変えて線引きをしたらどうだろうか。それは食い扶持収入の安定の為にすることと、安岡氏の謂う地方郷村のリーダーの人成りを涵養する習慣的学習と環境に則した特異にもみえる人格の有り様である。ここでは財があるだけの豪農ではなく、篤農家と呼ばれる人々である。その昔、名字帯刀を許され、徴税、裁判(掟、習慣による陋規)や,一旦危機が訪れたら米蔵を開け、時に権力者と対峙する。そのような気概が果たして瞬時に出来るだろうか。ここでは覚悟と潔さと貪りのない精神だろう。あるいは「今年は涼しくていいですね」との侍従の言葉に「東北は冷害で大変だろう・・」。あるいは「雑草を刈りました」には「雑草とてそこで生きている、無闇に刈らないように・・」とは昭和天皇のエピソードである。巷で...碩学に世襲はないが風韻はある09・06/03再

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