新河鹿沢通信
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住所
秋田県
出身
秋田県
ハンドル名
kajikazawaさん
ブログタイトル
新河鹿沢通信
ブログURL
https://blog.goo.ne.jp/kajikazawa_1942
ブログ紹介文
暮らしの中から 足跡 集落 身辺雑記 跳躍
自由文
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kajikazawaさん
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新河鹿沢通信
  • 川連城址散策記

    川連城が築かれたのは源義家東征の「後三年の役」のころ、寛治年間(1089~1093)野武士の一団が国見山の中腹に城を築き始めた。当時奥羽一円に威勢を張っていた清原武衡、家衡の一党「梶美作守」が首領。当時陸奥に乱をなす清原一族の平定のため、朝廷の命を受けて東征してきた源義家の大軍に国見の堅城といわれた「梶美作守」の砦(川連城)が無残に敗れた。廃城となった川連城に長い年月が流れ稲庭城に小野寺氏が居城する頃に、小野寺道基が川連城に居館して築城したとされる。「稲川今昔記いなかわのむかしっこ」平成12年11月15日刊佐藤公二郎著引用稲川町史昭和59年(1984)3月31日刊によれば「川連城は嘉慶二年(1388)に小野寺左京蔵人道兼・黒滝に城を築いて隠居すと「大舘村創村記」などに見える」。とある。「大舘村創村記」は、享保十...川連城址散策記

  • 田植えの終わった田んぼ

    2019年田植えが終わり約20日が経過した。順調な気温の推移で田んぼの稲も順調な生育に見える。この頃の気温の高低差が大きく心配なところもある。「春、田圃に稲を植え、秋に実りを収穫する」ことは稲作農家の大きな作業。一つ一つの作業の終わりは次への作業が始まるまでホッとした気分が漂う。田植え作業の終わった田んぼにある種の異常を感じたのはつい最近にことだ。2年ほど前の6月末、由利本荘の友人と富山の友人宅訪問を企画し、私は奥羽本線経由で秋田に向かい羽越線で新潟に向かった。秋田駅を出発し車窓に田植え後の景色を見て唖然とした。田植え後の田んぼが雑然としていたのに気づいた。現在の田植え作業はすべて機械作業。田植え機が畦畔でターンした場所に稲苗の姿がないのだ。由利駅から乗車した友人に聞くと近年由利地方で田植えの終わった後田んぼに...田植えの終わった田んぼ

  • 薪伐採の顛末記

    薪ストーブを利用の多くの人は伐採作業は3月、4月の雪のある時期に終わっている。5月になると薪割り作業も終わり、乾燥促進のためきれいに積んだ薪が方々にみられる。私の場合は田植が終わり田んぼ作業が一段落してからの時期に集中している。林道側の自家の雑木林での作業。軽トラ横付けの作業をモットーとしてるのでこの時期になってしまう。自家の雑木林の主流はミズナラ。樹齢が80年前後。薪材としては最良だが数年前から「ナラ枯レ」に侵されている。今年の薪材は昨年来「ナラ枯レ」とまだ枯れてはいないが衰弱したミズナラの伐採を決め込んだ。今年の素人のナラの木伐採は失敗だらけ。初めの一本は予定の方向に倒すことができ、滑り出しが上々で作業の開始となったが、二本目の直径40センチのミズナラ伐採は予測した方角から大きく外れ側の杉林にもろに倒れてし...薪伐採の顛末記

  • 人形送りと鹿島様

    2010年5月2日に「人形送り」を次のように書いた。「岩手県西和賀町左草地区の「左草人形送り」。ネットで調べたら下記の記事であった。「ショウキサマ」と呼んで、昭和28年頃まで続けられていたようですが、何らかの事情で中断されました。そして昭和62年から再開し、今年で24回目となりました。男女2体のわら人形には、病がソバに寄らないようにとして、ソバ粉で作った団子を持たせます。その他に穴の開いたお金を持たせ村はずれまで、送って道端の木に結わえて無病息災をお祈りします。通りすがり初めての対面。ミズナラの木高さ4㍍程にワラ人形二体。地域の伝統行事に何かしら新鮮な感動を覚えた。岩手県西和賀町左草2010.5.2西和賀町の左草地区を通る度にミズナラの木の人形を思い浮かべていた。今回鮮やかな晴天に久しぶりのドライブ。コースは西...人形送りと鹿島様

  • 陽が当たらなかった「春蘭」

    「陽の当たらない春蘭」は自家の雑木林から移植したものだ。この場所は集落のすぐ傍で毎年9月の第二日曜日に「麓ぼんぼら大会」の会場になっている。我が家の持地になった記録として「山分け証文」がある。持ち主麓村掃部、武右衛門、立会川連村、兵左衛門宝暦3年(1753)8月8日とある。現在の字名は「東天王」になっているが古文書には「天王社外杦雑木立」川上治衛、黒沢治右衛門の「御先分」となっている。天王社は八坂神社のこと、神社の境内、社地以外の山林をいう。現在は天王山といい、ほとんどが杉林、一部にミズナラ、クリ等の雑木林になっている。地目、東天王は神社社地の東部に当たる。当時から我が家の持地になっていて、文政5年(1822)に「極立杦」等300本植栽の「書上覚」を肝煎当てに出している。「極立杦」とあるのは普通の植樹と違って意...陽が当たらなかった「春蘭」

  • パソコンの解体

    1978年(昭和53年)、東芝が初の日本語ワードプロセッサJM-10を発表した。これはワープロ専用機で630万円の価格報道に驚いたことを覚えている。当時和製タイプライターが出ていた時代で超価格のワープロ専用機のニュースは報道で知った。1980年代後半には、ワープロ専用機は、持ち運びが可能な大きさまで小型化されたパーソナルワープロとして、中小企業等への導入が始りだした。そのような背景の中で1989年(平成元年)私はやっとのことでワープロを手に入れた。富士通のデスクトップで当時の新しい型だった。21万ほどだで当時の自分にとっては高価な買い物だった。富士通にしたのは変換が親指も使いローマ字変換な苦手な自分にピッタリと思ったように思う。パソコンはまだまだ高価でパソコンのパの字も話題に上ることはなかった。電子計算機の名が...パソコンの解体

  • 江戸の人々と外国人

    江戸時代の人々は外国人をどう見ていたのだろう。そのように思いめぐらしたのは前回のブログ「地震、大火、北の黒船」を書いた時からだった。今から約200年前、文化4年(1807)大館村の肝煎高橋喜右ヱ門の覚書、「文化四年卯年五月松前国へどじん赤人陳舟移多見へ候」にあった。「大辞林第三版」に赤人(あかひと)「江戸後期、蝦夷(えぞ)の択捉(えとろふ)・得撫(うるつぷ)などに来航したロシア人を、日本人が呼んだ呼称。赤蝦夷(あかえぞ)。赤ら顔、あるいは赤い服を着ていたからという」と書かれている。肝煎高橋喜右ヱ門は松前国に赤人が押し寄せ、秋田藩の要請に「横手湯沢のお侍久保田まで具足、武具、馬疋杯仰せつけられ百姓まで難儀迷惑至極」とあった。帝国ロシアの松前藩侵入に大舘村の侍、百姓が大きな犠牲を払ったことがしるされている。このこと...江戸の人々と外国人

  • お稲荷さんとキツネの闊歩

    稲荷神社の稲荷は「稲成り」の意味だったものが、稲を荷なう神像の姿から後に「稲荷」の字が当てられたとされる。稲荷神を祀る神社を稲荷神社と呼ばれている。稲荷神社は穀物・農業の神だが、現在は商工業を含め産業全体の神として商売繁昌・産業興隆・家内安全・交通安全・芸能上達の守護神として信仰されている。京都市伏見にある伏見稲荷大社が日本各所にある稲荷神社の総本宮。伏見稲荷大社では、キツネは稲荷神の神使とされる。朱の鳥居と神使の白いキツネがシンボルとなっている。伏見稲荷神社の白いキツネ像2018.10.17平成2年秋田県が悠紀の国に選ばれた。秋田県神社庁は大嘗祭と同趣旨の新嘗祭に新穀を伊勢神宮、県内神社に奉納するために「新嘗祭献穀田」を設け、平成3年より県内13支部持ちまわりで実施している。平成最後の献穀田は湯沢市川連町が選...お稲荷さんとキツネの闊歩

  • 地震、大火、北の黒船と大館村

    「象潟地震、江戸の大火、北の黒船と大館村」は、寛政拾年(1798)二月から天保十一年(1840)二月までの大館村麓、肝煎喜右ヱ門の記録(覚書)。昭和42年3月発行「稲川町史史料集第三集小松久編」で紹介された。寛政拾年以降(一)覚書川連高橋喜右ヱ門氏蔵とある。その覚書から象潟地震、江戸の大火、松前藩択捉島ヘロシア帝国侵入を追ってみた。稲川町史史料集第三集小松久編「寛政拾年以降(一)覚書川連高橋喜右ヱ門氏蔵」象潟地震について「文化元年甲子年より中だんひるなり、同元年子年六月四日よる4ツ半頃に大地震なり、五日には暮六つには地震、六日には朝六つには地震。三日之間〇〇やめずにゆるなり、近国大きに家蔵揺り崩れ、庄内三百と坂田(酒田)家蔵大きにひきつぶれ、志を越(塩越)かんまん寺大寺もひきつぶれ、かた(潟)も島もゆれ候、近国...地震、大火、北の黒船と大館村

  • 第42回雄勝野草の会山野草写真展

    今年の湯沢市雄勝野草の会主催、第42回山野草写真展は11月13日から22日まで湯沢市生涯学習センターロビーで開かれています。雄勝野草の会の会員は40名。今年は自然観察の中で7名の会員が撮った66点の写真が展示されます。私の写真展参加は第39回からで4回目になります。第42回山野草写真展に以下の7点、クルマユリ(川連町坪漆)、オオミスミソウ(美郷町真昼岳)、スカシユリ(鶴岡市白山島)、フジバカマ(京都府龍安寺)、ミズバショウとエゾリュウキンカ(奥小安三本杉湿原)、タニワタリノキ(川連町麓)、ヤブカンゾウ(川連町麓)の写真を出展することにしました。以下はその詳細です。クルマユリ(川連町外坪漆)外坪漆の杉林の林道に咲いていた。この林道は国見岳の山麓で登っていくとかつて三梨城から川連城への古道があった場所に通じていた。...第42回雄勝野草の会山野草写真展

  • 2018 紅葉の栗駒山

    栗駒山は、紅葉狩りの名所として、全国的にに知られ紅葉が見事な奥羽山脈の中でも、とりわけ栗駒山が美しく日本一とも言われる、紅葉、黄葉、褐葉が同時に進み、緑葉との絶妙な組み合わせと配色にある。栗駒山の高度と緯度、気象条件は、多様な植生を同時に紅葉(紅葉、黄葉、褐葉)させ、昼夜の寒暖差が大きいことなど美しい紅葉になるための条件を満たしている。稲刈りが終わった9月28日紅葉盛りの栗駒登山をした。この日の午前9時には300台駐車可能の須川温泉前東北はもとより関東ナンバーの自動車はほぼ満車状態。名残が原周辺は始まったばかり頂上はガスがかかって見えない。昭和湖で休憩。大勢の登山客がいた。昭和湖からの登り狭い階段状の登山道は登りと下りの人でごった返しの状況。前日の雨で階段状の登山道は水が音を立てて流れる。低木帯で見通しは悪くひ...2018紅葉の栗駒山

  • 追想 「米を作る若者」と 皆川嘉左ヱ門

    2018年4月4日の朝、秋田魁新報電子版で皆川嘉左ヱ門の逝去を知った。秋田魁新報は4月7日付「北斗星」で次のように追悼した。「横手市十文字町の国道342号を東成瀬村方向に進むと、右側の休耕田に彫刻作品が並ぶ一角がある。今月3日、76歳で亡くなった皆川嘉左ヱ門さんが23年前に開設した「減反画廊」だ▼皆川さん自身も農家だった。立ち尽くす老農夫、吹雪の朝市に店を出すおばあさん、田植えの女性といったテーマの作品で知られる。減反に翻弄(ほんろう)される農民像を繰り返し彫った▼平成の初め、40代後半の皆川さんは東京・銀座のど真ん中で不動明王を彫るパフォーマンスを繰り広げた。羽後町の農家・高橋良蔵さん(故人)と共に、コメ市場開放反対を大都市の消費者に訴えたのだ▼4年前、皆川さんが横手市で個展を開いた折に再会し、そんな昔の話を...追想「米を作る若者」と皆川嘉左ヱ門

  • 田んぼと坪池の「トンボ」達

    7月に入ると田んぼでは赤とんぼの羽化が始まる。赤とんぼとは正確に言うとナツアカネ、アキアカネ、ノシメトンボの3種類のトンボが水の張られた水田で一斉に誕生する。今年最初に確認できたのが7月3日だった。約15日間が最盛期。ナツアカネは田んぼ周辺や住宅地に移動、アキアカネやノシメトンボは近くの山に向かい、産卵期の9月になると田んぼに戻ってくる。朝の田んぼで畦畔を歩くとこれらのトンボは慌てて飛び立って又すぐ止まる。羽化直後ノシメトンボの和名は、成虫の腹部の黒い斑紋が熨斗目模様に似ていることに由来する。羽の先が濃色でわかりやすいが、今年はノシメトンボはいつもの年よりやや少ない。ノシメトンボ引用羽化早々のナツアカネ、アキアカネの区別は難しい。「翅胸第1側縫線に沿う黒条の先端が、アキアカネが尖るのに対して、ナツアカネは角状に...田んぼと坪池の「トンボ」達

  • 400年前の大舘村の名請人

    大館村は現在の湯沢市川連町大舘、合併前は稲川町大舘。大館村は江戸期から明治22年の村名。大舘は大字で麓と大館部落で構成されている。そして名請け人とは江戸時代、検地により田畑、屋敷の所持者として認定され、検地帳に記載された百姓。耕作する権利と義務があり年貢、諸役を負担した。大館村の東に小野寺一族の川連城があり、天正18年(1590)豊臣の太閤検地に仙北地方(現在の雄平仙)と由利地方に検地反対の一揆が勃発した。この検地騒動は「川連一揆」ともいわれる。豊臣秀吉の太閤検地を越後の大名上杉景勝を命じた。秀吉家臣大谷吉継をが庄内、最上、由利、仙北の検地を行った。この検地の過酷な所業に諸給人、百姓が蜂起した。一揆勢力は各地に放火、追い詰められた一揆勢は増田、山田、川連に2万4000余名が籠城し抵抗したが圧倒的な大谷勢に鎮圧さ...400年前の大舘村の名請人

  • オオミスミソウ(雪割草)

    先日和賀山塊にオオミスミソウ(大三角草)に会いに行ってきた。雪割草ともいわれる。オオミスミソウは、キンポウゲ科ミスミソウ属の常緑の多年草。オオミスミソウは、名前の通りミスミソウよりも葉や花が大きい上に花色も白色、淡紅色、濃紫色、淡紫色などの変異があるといわれている。4月10日になっても林道はまだ積雪があり車から降り歩くこと約30分で目的地についた。南東斜面で陽あたりよさそうな地形。傾斜50度近いブナ、ミズナラの林は歩くことが少しきつかった。這うようにして小さな雑木を手繰り寄せながらの観察となった。春先の斜面が滑りやすく一歩一歩確かめながらの移動もことさら慎重にならざるをえなかった。白花、淡紅色の花、濃紫色のものはまだ見ることが出来なかった。花期の後半になるとみられるという。オオミスミソウの花びらが6枚、7枚、8...オオミスミソウ(雪割草)

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