川連 江戸の絵師 2 滕亮昌
川連の江戸の絵師「亮昌」は謎に包まれていた。昨年まで絵師「亮昌」、「チセン」についての詳細はほとんど手がかりなしできた。2019年暮れ稲川文化財保護協会顧問、T氏との懇談で「日野亮昌」の名が出てきた。「稲川町史」資料篇第八集で松迺舎佐藤信敏「稲庭古今事蹟誌」稲庭画工家ノ事、「佐藤信成ノ事」に寛保3年(1744)生、宝暦10年(1757)14歳に川連村の人日野亮昌に隋て学ぶ」とあった。川連の「日野亮昌」の消息を尋ねられた。とっさに姓の「日野」ではなく「亮昌」の名にくぎ付けとなった。自家に「亮昌」の掛軸があったからだ。隣家「キエモン」(喜右衛門)宅で「鍾馗」の掛け軸が話題となり比較したことがあった。「キエモン」(喜右衛門)宅訪問は2015年春、豪雪で壊れた内沢の「山神社」の修復で募金活動していたら「山神社」の建立時...川連江戸の絵師2滕亮昌
2020/03/07 18:35