宿泊したホテル朋泉草加は大きな看板もなく、派手なところのない自分たちにはとても好ましいホテルだった。ロビーで無料のコーヒーを頂き、ほっと一息ついた。無料のバナナも置かれていた。基本的にはビジネスホテルだが、男性用の風呂場があった。5人も入ればいっぱいだが、ユニットバスが苦手の自分にはありがたい。朝食付き、ツィンベッドの部屋で5,550円。とてもリーズナブル。朝食がとても素晴らしかった。作りたての暖かい丁寧に作られた和食。このほかにも別に好きなものを持ってこられる料理も用意されている。観光ホテルのバイキングに比べればこんなにうれしいことはない。ホテルの中にある居酒屋ならぬ居食屋で、夕食もここで食べられるらしい。古の旅人もこのような和食に舌鼓を打ったのであろう。この旅に先立って、宿泊処を色々調べた。街道筋で、...旅立ち日光街道2日目
日本橋の地に立つのは何度目だろう。江戸の旧街道の起点。我家は信州。日本橋まで行くのが一苦労。今回はマイカーで高崎。そこから電車で東京駅まで行き、徒歩で日本橋を選択。新幹線は貧民にはつらいし、そもそもこの旅にふさわしくない。トコトコ電車は軽井沢~横川間で分断されてしまった。24時間400円の駐車場も見つかったし、湘南新宿ラインを使えば安く行ける。生憎の小雨模様だが、江戸時代の旅人も雨の日だってあったし、これも風情。川のある風景。良きかな。浅草橋の先のお茶屋さんで休憩。これぞ浅草。これも浅草。インバウンドとか言うらしい。よくわからんけど。自分たちが、よその国に来たようだ。スカイツリーとか言うらしい。ワタシャ、東京タワーの方が好き。北千住の街。芭蕉の像。同じものでもワタシャこちらの方が好き。奥の細道ということは...旅立ち奥の細道へ
『月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり。舟の上に生涯を浮かべ、馬の口とらへて老を迎ふる者は、日々旅にして、旅をすみかとす。古人も多く旅に死せるあり。予も、いづれの年よりか、片雲の風にさそはれて、漂泊の思ひやまず、海浜にさすらへ、去年の秋、江上の破屋に蜘の古巣をはらひて、やゝ年も暮れ、春立てる霞の空に、白川の関越えんと、そぞろ神の物につきて心を狂はせ、道祖神の招きにあひて取るもの手につかず、もも引の破をつづり、笠の緒付けかへて、三里に灸据うるより、松島の月まづ心にかかりて、住める方は人に譲り、杉風が別墅に移るに、』奥の細道の冒頭、『旅立ち』の一節。思い起こせば軽井沢追分から出雲崎までの北国街道を歩き、その後五街道の街道歩きを始めた。中山道を京都三条大橋まで完歩した感動は忘れられない。東海道は箱根...旅立ち
「ブログリーダー」を活用して、nobさんをフォローしませんか?
願わくは花の下にて春死なんその如月の望月の頃先日、内科で聴診器を当てられたとき、心音がおかしいと言われ、心電図とエコーの検査。脈が120あると言われ、不整脈も見られるし、心臓の弁からの逆流もある。このままでは脳梗塞の恐れがある。長嶋さんのようになると脅された。一日平均13,000歩ほど歩き、ハードなランニングもしていた。低山の山歩きもしていた。検査の前夜かなりの夜更かしもしていた。多分そんなことも影響していたと思うのだが、とにかく予防のために薬を処方するということになった。とりあえず行動は制限しないという。そんなことで、ハードなランニングは中断した。そして歩く際にも最大心拍数を気にするようになった。自然治癒力があるので、次第に良くなると信じているので、悲観はしていない。花の季節、穴場の花見処に。花の下で敷...花の下にて春死なん
松代町東条、あんず祭りが開かれていた。この辺りでは、更埴の森のあんずが有名だが、僕は30年近く前から、こちらのあんずの花を見に来ていた。祭も行われていなくて、一面にピンクのじゅうたんのようなあんず畑が広がっていた。尼飾松代町東条、あんず祭りが開かれていた。この辺りでは、更埴の森のあんずが有名だが、僕は30年近く前から、こちらのあんずの花を見に来ていた。祭も行われていなくて、一面にピンクのじゅうたんのようなあんず畑が広がっていた。尼巌(あまかざり)山と奇妙山という山が近くにあって、山に登りがてら花を見ていた。遠くに残雪の後立山連峰、特に秀麗な双耳峰、鹿島槍と、名主五竜岳が背景にある。ずいぶんあんずの畑が減ってしまったけれど、桜に先駆けて咲くあんずの花は大好きだ。あんずの花
待ちに待った春の妖精たちスプリングエフェメラル
前日の朝、重い雪が降った。暑さ寒さも彼岸までというが、最近の気象は油断が出来ない。打って変わって今日は、風は冷たいが、暖かい陽光が降り注いだ。あれから30年。新築の家の引き渡しの日。娘の卒園式の日。そして地下鉄サリン事件の日。色々な記憶がよみがえる。ともかくもあれから30年、何とか生きてきた。これから先、持ち時間はどれくらいあるのだろう。同年代の知り合いたちが次第に欠けていく。そういう年齢になったのだな。毎日が同じように見えても、いつの間にか世の中も人も変っていく。方丈記の世界。安かった野菜、コメを始め諸式が著しく値上がりした。珈琲豆も例外ではない。およそ1.5倍~2倍近くなった。それでも朝、夕には飲みたい。比較的安い豆を取り寄せた。5日分位づつ自家焙煎する。酒は飲まない、タバコも吸わない、パチンコもしな...春分の日
少し北に行くとまだ深い雪がある。これは飯山からの高社山。散歩コースに雪が解け始めた北斜面があって、そこでフキノトウを見つけた。これはもう散歩どころではない。両ポケット一杯になるまで採って持ち帰った。『そんなにいっぱいあればそばだな』カミさんが言った。今年初めてのフキノトウだ。天ぷらにしよう。異論はない。春の使者がこうして訪れた。春の使者に捧げるそば。これは気張らねばなるまい。このそば粉は手引きメッシュという超粗挽きのそば粉。これと『縄文』を1対3の割合で混ぜ、ここに繋ぎの小麦粉を1加えた。これはオリジナルブレンド。加水率が分からないので、勘で47.4パーセントで打ってみた。良きかな。こんな感じ。拡大写真。これからまた寒の戻りもあるだろう。春の来ない冬は無い。(だが、冬の来ない秋もないといつものように言うの...春の使者
体育の時間。毎日の時間割にある。1時間程度のウォーキング&ランニング。これは雪だろうが雨だろうが変更はない。わが村は西傾斜の村で扇状地なのでほぼ平らな道はほどんどない。我家から2キロほど坂道を登っていくとこんな景色がある。この地域は嘗て山持ちの家が多くてとても裕福だった。だが、輸入材が使われだして、林業は廃れていった。雪も多く、学校も遠くて、村に商店もほとんどなくなり、街への買い物も不便で、もっと街に近い場所に出ていく人が増えた。最近この場所で、横浜ナンバーの車が停車して村を見下ろしていた。都会では見れない風景。雪が降り出し風が吹いた。雪道だが、下りなのでここからランニング。凍ってはいないので滑ることはない。一息つくにはもってこいの場所。今では便もずいぶん減ってしまったけれどバス停だけは立派だ。避難小屋の...山村の冬景色
恒例の味噌作り。大豆は西山大豆。4キログラム。甘味噌仕立てにするので、工事は.5倍の6キログラム。塩は減塩で40%の1.6キログラム。ミンサーをセット。以前は足踏みでつぶしていたが、文明の利器を使用。麹と塩を合わせる。捏ねて団子にする。そば打ちの時の丸のしの技法で、手の平で強く押し付けながら中の空気を抜いて行く。上に塩を振り、和紙を乗せ、焼酎を吹いて完了。これで16キロの味噌が出来る予定。味噌の寒仕込みが終わったので、夜はそばでという要望が。丁寧に水回しをした。この時期のそば粉は、寒さに耐えながら甘さを増し、一番おいしいと思われる。なかなかおいしそうに撮れない。盛り付けがちょっと雑だったかな。この数日、大雪が降って、ネギはその下になってしまったので無し。代わりに長いもでとろろを作った。掛け値なしでおいしか...味噌の寒仕込み
テレビでソロキャンプなどの放映をしていることがある。『ぼっちキャンプ』などと呼ばれることもある。だが、この『ぼっち』という言葉が、一年半ほど前に中野市で起きたあの四人殺害事件のキッカケとなったことを考えると、これはもう禁句だなと思う。少なくとも自分では使わない。今の社会ではジェンダー平等とやらで、使えない言葉や使いにくい言葉がやたらと増えた。相手の人格や尊厳を傷付けないことが一番大事なことだと思うけれど、時と場合、相手との関係性によるところも大きいと思っている。そば打ちをしていて捏ねた生地の状態を瑞々しい柔肌と(恐る恐る)言ってみる。「あたしんのはまだ七十代だな」とご婦人が言う。「これが十八歳」と自分の生地を見せる。「それじゃ触れないな」と老紳士が言う。多分、時と場合によっては立派なセクハラなのだろうなあ...禁句
メディアの在り方が鋭く問われている。物事の真実よりSNSやメディアを上手く操った方が選挙に勝ってしまう。テレビ局の姿勢の問題も問われている。何よりも自分の信念を持ち、科学的な知見や常識を持ち、批判的に物事を見る事を忘れてはならない、と自分に言い聞かせる日々。長野駅前で通り魔事件が起きた。亡くなられた犠牲者の方にはご冥福を祈る。この田舎で事件が起きる怖さ。社会が酷く病んでいる。庭先にエサ台を設えてある。いつもはスズメやシジュウカラが主だが、最近はメジロも来てくれる。心癒されるひと時。そばの写真を旨そうに撮る、というのが今年のテーマ。粗挽きそば粉を打ったものだが、少しは旨そうに見えるだろうか。リタイアした身は自由で悠々自適の暮らしができると思っていたが、それはぼくらの世代の10年位前までのことだ。年金は減らさ...心癒されるひと時
味噌の寒仕込みの時期になった。材料の大豆の買い出しに西山地域へ出かけた。西山とは長野市の西側に広がる里山。そこは良い大豆が採れるので西山大豆と呼ばれている。この地域の代表的な山、虫倉山。山姥伝説の里。唐松から五竜へ続く稜線。遠見尾根の奥に後立山の盟主、五竜岳。双耳峰、鹿島槍。山村と後立山連峰。小さな縄文遺跡公園がある。住居跡。竪穴式住居。縄文。なんて魅力的な時代。一万五千年前から二千七百年前。弥生時代になり生産力が上がり、貧富の格差が出来始めた。それが現代では極限まで膨れ上がっている。現代は極めて野蛮な時代だ。目的の大豆は、昨年の天候不良で品薄だという。温暖化の影響がここにも。値段も一キロ百円位上がっている。昨年は五キロ購入したが、今回は四キロ。西山大豆はこれしか無かった。大豆は数年前まで栽培していたが、...西山大豆
山一つ越えた向こうの里に小さな山がある。名前は離山。少し離れたところにある臥竜山と対になる山で、こちらはあまり有名ではない。晴れた日、気軽に歩きに行くには格好の山。登り口。北側には雪が残って、近所の保育園の子供たちがそり遊びをしている。のどかな、のどかな山村の風景。尾根には雪があり、踏み跡はない。そうそう物好きはいない。子供たちの遊ぶ風景は平和そのもの。ここのほうがいいな。冬枯れの山は明るい。北アルプスの展望台。奥にはお宮(神社よりはお宮がふさわしい)一応お賽銭を入れて参拝。今では上流にダムが出来たが、かつては暴れ川であったであろう百々川(どどがわ)は頻繁に氾濫を起こしたのだろう。百々川の流域にできた二つの小さな山を、このような民話にしたご先祖様にはただただ感嘆するのみ。今はもう寒村としか言いようがないこ...里山に遊ぶ
「えーと、175-110、。念のためもう一度測ってみましょう。うーん、183-114、高血圧ですね。」いつも繰り返される村の健康診断風景。自宅では130-80以下がほとんど。最近でこそ家庭血圧が優先となってきたが、以前はそうではなかった。それでも、一応精密検査を受けてくださいと言われ、受けてきた。診断名白衣高血圧。そういうお墨付きを頂いて村の保健予防課に提出してきた。自分は精神修養がなっていないせいで、病院などで測ると高くなるのではないかとへこんでいる。気が弱かったり緊張しいの原因もそこにあるのではないかと。先日、高血圧予防教室があるので参加するようお達しが。3回あり、2回参加してきた。高齢者の9割が高血圧とか。色々怖い話も聞いてきた。その中で?と思ったこと。高血圧の基準がコロコロ変わり、今の値が信じるに...精神修養がなってない
サイバー攻撃とやらで、2日からGooblogにログインできなくなり、5日ころから繋がったが、いいねとか応援などのボタンが反応しなくなっていた。今日やっと復旧。さほどネット依存体質でもないので構わないと言えば構わないのだが、他の方がいいねなどを付けてくれていたので局所的な不具合だったのだろうか。そばの雑誌などで見る蕎麦の写真はとても旨そうに見える。もちろんそばそのものもすばらしいのだが、写真の撮り方にもよるのではないかと最近思っている。これは正月に打った粗挽きそばを拡大した写真。全体像の時はそばのみずみずしさや光沢、ブツブツ感、黒い斑点等がはっきり写らず、あまりおいしそうに感じない。これは食べても我田引水だが、最高級に旨かった。粗挽きのそば粉に他のそば粉をブレンドしたオリジナル。珈琲のブレンドと同じではとん...ブログ復旧&そばの写真
明けましておめでとうございます。昨夜の紅白の途中で、突然テレビの放送が途切れた。同時にネットも繋がらなくなり、電話も不通になった。みんな地域の通信情報会社経由。そこで不具合が起きたに違いない。自分はさほど興味もなく見るともなく見ていたに過ぎないが、カミさんはかなり怒っていた。1時間ほどして復旧したが、多くの家庭で見たい紅白が見れなくて困ったに違いない。復旧した後ネットのNHK+で紅白を再生してあげた。年初めの能登地震に始まり、冬場にボイラーが壊れ、初夏に冷蔵庫が壊れ、年末に紅白が見れない事態に見舞われた2024年が終わった。恒例の飯縄山登山。近年にすれば雪が多かった。ミッションの赤い前掛けをお地蔵さんに着ける作業は断念。フルにまた来よう。生憎富士山や北アルプスは見えなかったが、妙高、黒姫、戸隠の山々は良く...46年目の飯縄元旦登山
時代遅れの男になりたいという河島英五の歌がある。時には僕もそんな気持ちになることがある。東京都知事選で二位になった候補者、兵庫県知事選で再選された候補者、ともに僕には異星人のような違和感がある。共にSNSを駆使して票を集めた。当事者ではない僕が何を感じたか少しだけ記そう。真実が何なのか少し離れているだけによく見えていた気がする。だが、そのことに関しては黙していよう。多分気分を害する人もいよう。ただ、僕はデジタル社会の今の在り様がどうにもしっくりこないところがある。今から四十六年前、初めてマイコンというコンピユーターに触れた。日本語はカタカナしか打てなかった。記憶媒体もカセットテープだった。新しい技術というのは面白かったし、その後の進化に目をみはったりもした。それが、今やスマホに結実し、持っていないことで驚...時代遅れ
冷たい風が吹いた。山が美しく化粧した。吸い寄せられるように安曇野を目指す。鹿島槍爺ヶ岳五竜岳穂高神社七五三で賑わう人形の展示が面白い菊花展も開かれている安曇野行の目的の一つはわさび漬けを買うこと穂高神社の前の小笠原わさび店は一番のお気に入りの店松本から上高地に向かう途中に山の店、カモシカスポーツがあり、10日までガラクタ市が開かれている。定価の半額なので取り敢えず見に行く。これが第二の目的。定価18,480円のフリースが半額の9,240円で売られていた。ずいぶん軽くて、フード付き。汗が抜けやすいのでこれからの季節に活躍してくれると、ややためらいつつ購入。穂高神社は福岡あたりの海の民、安曇族がここに住み着いたのが起源だという。穂高岳という日本で有数の山岳が海と関わりがあるというのは面白い。安曇野
芸術の秋、食欲の秋、物思う秋、色々な秋がある。暑い日々の中をヨタヨタと走り続けてふと気づけば空気が乾き、樹々の葉が濃い緑色を失い始めている。この春から夏、僕は何を実らせてきたのだろう?無心に柔らかい葉を食し続けていた青虫がふと頭を上げて不安げに辺りを見回すように、心の中の深いところの湖を覗き見る。実りの秋とは言うもののつまるところひとつ歳をとったというだけのことではないのか。というように妙にシニカルでセンチメンタルな気持ちになったとき、ふとそば博物館に行ってみようと突然思った。『うん、秋の博物館、いいじゃないか』秋に博物館は妙によく似合う。戸隠にあるそば博物館とんくるりんは戸隠のメイン通りへ行く途中にある。いつもは横眼で見て通り過ぎるだけだった。今回は違う。じっくりとそばと戸隠の歴史について深く学ぼう。と...とんくるりん
さあ、日本政府もいよいよ核兵器禁止条約を批准する時だ。何かを選考するというのは、選考する側の見識も問われる。佐藤栄作元総理が受賞したときはまさか?と思ったが、今回はもろ手を挙げて歓迎する。日本被団協ノーベル平和賞おめでとう!
検察が上告を断念といううれしいニュースが飛び込んできた。弟の無罪を信じて戦い続けた秀子さんには本当に頭が下がる。人生の半分以上を費やして支え続けたことに最大の敬意とおめでとう!の言葉を贈ります。秀子さん長い間お疲れさまでした
東日本大震災の翌日に信州の北部でも地震があり、栄村でも大きな被害があった。隣接する飯山市の西大滝地区にある地蔵七体のうち、台座を固めていない六体が南から東の栄村の方に向きを変えた。幸い大きな被害はなく「お地蔵さんが守ってくれた」と話題になった。その話は聞いたことがあるが、まだ見たことはなかった。今日それを見た。普通お地蔵さまはみんな前を向いて並んでいるものだが、端の一体を除いて一列縦隊に並んでいた。不思議な光景だった。もう二十三年前になるが、そのままだった。ただ、赤い帽子と前掛けは新しかった。それは知らなかったのだが、もう一つの不思議があった。それがこれだ。何と馬頭観音も同じく栄村の方を向いていたのである。ここは飯山市の北のはずれ、西大滝地区。西大滝ダムがある。JRの西大滝駅がある。そして『ばったり』があ...ばったり
漢字で書くと何とも優雅である。珈琲。coffeeともコーヒーともカフィとも違う。今ではコンビニでも安くておいしい珈琲が飲めるようになった。贔屓の引き倒しかもしれないが、1日に数杯飲むとががんや高血圧が抑制されたり健康増進に効果があるらしい。精神的にもリラックス効果があるし、飲み過ぎさえしなければ飲んだ方が良いらしい。これは珈琲の生豆。上はモカ。少し小粒。下はタンザニア。この豆を200gずつ、手回し式の焙煎器で焙煎している。焙煎後1週間くらいでフレーバーが抜ける。こまめにやるに限る。焙煎の度合いはミディアム。喫茶店で飲む珈琲もおいしいが、値段もばかにならない。その点、自家焙煎は格安で済む。確かに手間は掛かるが定職を持たない身、時間はある。何より楽しい。次はどの豆にしようか。珈琲
本日は4月のそば会。色々重なり参加者は3人。3人なら自分も打てる。そば粉は『縄文』。2人は二八で打ちたいという。もうかなりうまく打てる人たちなので十割で打ってみないかと勧めた。だが、まだ早い、自信がないという。そこで今回は自分が十割そばを打つことにした。2人が打った二八と食べ比べてもらうために、1人前ずつ持って帰ってもらった。『茹で時間は10~15秒。決して茹で過ぎないように!水で冷やした後氷水で締めて腰を出すように。十割は繊細なので雑に扱わないように。茹でたらすぐにたっべる様に。』細かい注文を出した。夜、自宅で十割そばを手繰った。(そばをたぐるという表現は粋だな)人にあげた蕎麦がどんなものか確かめる必要があるからね。問題なくうまかった。多分、その辺のそば屋では味わえない。コシがしっかりとある。濃厚なそば...たかが十割されど十割
山菜の天ぷらと手打ちそば。お店のように美しく盛り付けられてはいないが旨い。桜番付、西の小結。坪井の桜。樹齢600年以上。おやきと桜茶。坪井の桜(2)江戸時代初期の黒部のエドヒガン桜。いよいよ農園ライフが始まる。ザ・春!大分色あせてしまったけれど今も元気に泳ぐ手作りこいのぼり。春の端切れ
その集落には二世帯しか住んでいない。そのうちの一世帯はおばあさんの1人暮らし。もう一世帯が田んぼの会の会長さん宅でご夫婦の二人暮らし。田んぼの会は中山間地というよりもうまったくの山地にある田んぼを拠点にオーナーを募って活動している。田んぼからは見えないが、村の一部からは鹿島槍が見える。この村は桜が花盛り。会長さんはこの5月で92歳になり、奥さんは一つ年下だ。今年も田んぼをやるというので箱並べに行った。ここに籾を播いて芽を出させる。ここは大西の棚田といい、棚田百選にも選ばれている。『耕して天に至る』と刻まれた碑がある。棚田なので下から上まで耕すという意味と生涯耕し続けるという二つの意味があると思っている。苗は35日育てて田植えになる。少しずれるが5月25日に田植えと決まった。作業後の昼食は奥さんの手作り。懐...日本昔ばなしのような村で
昔から年賀状を書かないヒトだった。もらってもこちらからは出さなかった。そんなことが続くと、次第にもらう枚数も減ってきた。何も儀礼で出す必要もないし、年明けにすぐ会うような人に出しても仕方がない。そんな中で、こちらから出さなくても毎年必ず年賀状をくれる人が数人いた。根負けしてその人たちだけには出すようになった。それも書くのは年が明けた後だ。箱根駅伝を見終わった後、昨日休業していた温泉に行った。今年は辰のタオル。毎年干支のタオルがもらえる。お正月仕様の天ぷらうどん。これを食べるのが恒例。夜、年賀状を書いた。おめでとうと掛ける状況ではなくて、工夫がいった。昨日の能登の大地震。今日の羽田の航空機事故。新年に立て続けに起きた。どんな年になってしまうのだろう。『心配し過ぎない。頑張り過ぎない。自分にできることをやる。...年賀状
年明け早々の大地震。びっくりしました。被害に遭われた方にお見舞い申し上げます。明けましておめでとうとはとても言える状況ではありません。当地でも、緊急地震警報が突然鳴り響き、ややあって振幅の大きな横揺れがしばらく続きました。為す術もなく固まっておりました。今年で45年目になる飯縄登山に行ってきました。例年になく積雪が少なく、比例するように人影も少なかった。標識の飯の字がやっと出ているのが普通だったのに、暖冬、温暖化もここまで来たかとこれからの地球を案じざるを得ませんでした。お地蔵さんの前掛けも2枚取り替えてきました。下山後恒例の温泉に行きましたが、今年は31日、1日と休業。少し前サウナ小屋が火事になってしまったことも影響しているのかも知れません。明日明後日は箱根駅伝の観戦。終わった後は自分でもできるだけ動こ...45年目の飯縄登山
この三日間、そばを打っていた。そば会で年越しそばの指導をし、自宅で皆さんに配るそばを打った。新しく大きめのそば打ち台を作った。五人前でも余裕の大きさ。そば粉は高山製粉の最難関と言われる「玄挽」という粗挽き粉。太すぎず細すぎず、程よい切り方を心掛ける。ちなみに、カミさんは細い方が好き、私はやや太めが好き。全部で三十九三人前を打った。毎年楽しみにしてくれる人がけっこういる。簡単にヤメルわけにはいかない。午前中にそばを配り終え、ほっとひと息。静かな大晦日だ。年越しそば。おめでとう、タイガース。今年は孫たちも来なくて落ち着いた大晦日の夜。そばの会便りの新年号を作っている。編集長がいつか偏執長と脳内変換され、こだわり過ぎるなと警報音が鳴り響く。編集後記も編集後期と何やら後期高齢者を想起させるような言葉に変換。何しろ...静かに一年が終わっていく
朝に夕に眺める山がある。左と右がほぼ対称の優美な山。山頂が白くなっているのが飯縄山。右のピークは霊仙寺山。その中腹にスキー場がある。そこの白い雪形が、天空の城ラピュタの庭園で花や小鳥の世話をするロボットに見える。更に見ていると色々なものが浮かんでくる。今度は黒が主役だ。ロボットの顔と左腕の間に魚がいる。右腕と胴の間にニワトリがいる。左腕と胴の間にはペンギン。その右には蝶がいる。一度解析してしまうとそのようにしか見えなくなる。ひとつの場所にこんなにもたくさん潜んでいる場所が他にあるだろうか。それにしても今年は雪が少ない。元日はあの頂に登る予定だが、過去最少の積雪になりそうだ。自分へのプレゼント。普段履きの靴。山に行くときも、ランニングをするときも、街道歩きをするときも履いているのはトレランシューズ。二万円近...雪形
2018年1月4日、信州下諏訪からそれは始まった。信州から越後の北国街道、日本橋から京都三条大橋への中山道、そして東海道を歩き終え、次に選んだのは甲州街道。約210キロの旅。何回か歩き継ぎ、相模湖まで歩いた時、代風18号による小仏峠の通行止めで1年待機。そしてコロナ化による県外への外出禁止令。ようやく再開できたのは今年の春。小仏峠を超え、高尾の駅まで歩いた。次いで高尾から府中が前回。今度は府中から新宿駅まで。なお新宿から日本橋までは前回の東海道歩きで踏破してあるので、今回が最終章。距離は約18キロ。今回は青春18切符で立ヶ花から高尾経由で京王線飛田給駅までがアプローチ。5時55分の長野行はまだ明けない夜の中を律儀にやってくる。ここは飯山線。わさびそば。松本駅で乗り換え待ちの時間。ほっと一息つく。車窓から甲...甲州街道最終章
慈雨のような雨が降っています。心の中に沁み込むような雨です。もう冬枯れと言っていいような庭ですが、山茶花やビオラが咲いています。少し遅めに播いた白菜やキャベツも活き活きしているようです。本来ならこの季節、雪になっていてもおかしくはないのに。ミニハウスにキンギョソウとビオラを植えました。小松菜のタネも播いてみました。もちろん暖房などありません。ここにはキャベツ、ニンジン、ニンニク、タマネギ、小さな温州ミカンの木、イチゴなどが育っています。北信濃では、無暖房のハウスではミカンなど無理だと思っていたのですが、この温暖化でもしかするとイケルのでは、とも思っています。一冬で数度、氷点下七度くらいになる日があります。その時は何か対策をしようと思います。長いこと投稿をしませんでした。また具合でも悪いのかと心配してくださ...近況報告
Gooblogから一年前に投稿した記事はこれですというお知らせが届いた。『七十一歳の挑戦』という記事。何気なく読んでいたら、誤字があることに気づいた。仮装と書くべきところを仮想と書いていた。恥ずかしい誤字をそのままにしておくのも嫌なので修正した。それを公開するのボタンを押したら、現在の記事のような形で一番上に表示されてしまった。自分の中では一年前の位置に修正されて収まるものと思い込んでいた。これではまるで一歳サバを読んでいるようで後味が悪い。これは一年前の記事です!あのレースを引退レースと決めてその後はどうしてるの?とお思いの向きもあるかもしれない。そこで少々その後の一年間を記そう。今年は自治会の役員になり、時間はともかく気持ちに余裕がなくなった。ブログの更新もサボり勝ち。それでも最低週三回はランニングを...一年前
残り一キロ、猛然とスパートをかける人がいる。釣られて付いていく。ほどなくして並ぶ。次々と周囲の人を置き去りにする。五百メートルほど併走し、少し前に出る。次第に引き離しゴール前十五メートル、持っていたカメラでゴール風景を撮る。その隙にあとから来たライバル(知らない人だけど)がゴールを駆け抜けていた。黒い服装の人。ここだけ書けば、すごいレースをしたようだけど、実は途中色々な写真を撮りまくり、給水所ではゆっくりとリンゴやどら焼きを食べ、真剣には走っていなかったのだ。息子に強引に誘われ、『わかほとびっくらん』という大会でハーフマラソンを走る羽目になった。関門がある。第一六キロ地点四十五分第二十二キロ地点一時間半第三十八キロ地点二時間半ゴール三時間今回は時間内に走れれば良しと目標を立てた。息子に半ば強引に誘われて出...七十一歳の挑戦