新・ひろかずのブログ(14) 播磨町編(6) 喜瀬川を歩く(5) 播磨町に多い住吉神社
善福寺のすぐ北に喜瀬川に沿って住吉神社があります。播磨町を歩いているとたくさんの住吉神社に出会います。播磨町に多い住吉神社播磨町内には、摂津住吉神の子神である阿閇神を祭紀した阿閉神社があります。阿閇神社は、字「阿閇ノ元(あえのもと)」に鎮座しています。阿閇神を首位として、当町内には次の地に住吉神社(村社)が鎮座しています。▽住吉神社大中字大増東▽住吉神社古田字宮ノ谷▽住吉神社古宮字才田▽住吉神社野添字宮山▽阿閉神社二子字宮ノ辻また、付近には、明石市魚住町中尾字城山や加古川市別府町字東所など海岸近くに多くの住吉神社がまつられています。住吉の神は、航海の安全を守る神様です。阿閇の村々は、海の村です。海の抗海の安全を祈るものとしてあつい信仰をうけたのでしょう。*写真:大中住吉神社*『阿閇の里』参照新・ひろかずのブログ(14)播磨町編(6)喜瀬川を歩く(5)播磨町に多い住吉神社
新・ひろかずのブログ(13) 播磨町編(5) 喜瀬川を歩く(4) 新井用水の逆サイホン
今日も善福寺の駐車場に車を止めて、散策をします。北へ少し歩くと歩くことにします。喜瀬川の下を水を通すサイフォンの取り入れ口があります。新井用水は、播磨町の大池へ明暦2年(1656)3月に今里伝兵衛によって開発された新井用水は、約1年と言う短期間で完成させましたが、すべてが順調に進んだのではありません。加古川大堰(加古川市神野町西条)のところで取りこまれた水は、現在の播磨南中学のところの大池まで13キロの難工事の連続でした。(加古川市)野口で東に向きを変えた新井用水は、播磨町の大池を目指し伸びています。新井用水の逆サイホンそうすると、途中、喜瀬川を越えなければなりません。そのため、当時としては驚くべき技術が採用されています。喜瀬川の下に樋を埋めて、水を対岸に流そうとするサイホンの技術です。大中遺跡から喜瀬川の右岸...新・ひろかずのブログ(13)播磨町編(5)喜瀬川を歩く(4)新井用水の逆サイホン
新・ひろかずのブログ(12) 播磨町編(4) 喜瀬川を歩く(3) T 先 生
T先生善福寺は、喜瀬川のそばのお寺です。善福寺の駐車場をお借りして、喜瀬川の土手にでました。以前にも何回も来た場所です。が、風景がちがって見えるんです。河原の草がきれいに刈られていたせいかもしれません。明るくて、沢山の人が散歩を楽しんでおられました。しゃれた都会的な感じがする場所に変身したみたいです。気分で、土手を南の方に歩くことにしました。少しずつ、散歩の人がすくなくなりましたが、私の新しい散歩道が増えました。南へ少し歩くと、播磨中学校の付近へ出ました。私が25歳の頃ですからもう50年も以前、この学校に務めておられたT先生のことを思い出しました。先生は、古代史、特に『播磨風土記』の研究家でした。最後は、播磨町郷土資料館の館長で終わられたはずです。先生が急に亡くなられたのを知ったのは7年前。先生は、私より5・6...新・ひろかずのブログ(12)播磨町編(4)喜瀬川を歩く(3)T先生
新・ひろかずのブログ 播磨町編 黄瀬川を歩く(2) 大澤小学校(だいたくしょうがっこう)
さっそく喜瀬川の散策に出かけました。善福寺の駐車場場をお借りしました。善福寺は喜瀬川のそばのお寺です。善福寺の寄りました。学制(がくせい)時代は、江戸時代から明治へとバトンタッチされました。世界に目を開いた日本は、その遅れを取りもどすために、まず教育に力を注ぎます。明治5年(1872)8月「・・・・一般の人民は、必ず不学の戸なく、家に不学の人がいないようにする・・・」という大目標をかかげて教育の普及につとめました。これが「学制」です。この学制が実施された3年後の明治8年には、全国に24,225の小学校がつくられました。しかし、実質就学率は3割程度であったといわれています。大澤小学校(だいたくしょうがっこう)この、学制により、播磨町域で最初につくられたのが大澤(だいたく)小学校でした。大澤小学校は、大澤(おおざわ...新・ひろかずのブログ播磨町編黄瀬川を歩く(2)大澤小学校(だいたくしょうがっこう)
新・ひろかずのブログ 播磨町編(2) 黄瀬川を歩く(1)・源流はどこ
喜瀬川を歩く(1)クイズです。質問:播磨町を流れる喜瀬川の源流はどこでしょうか。ほとんどの人は、当然のように「天満大池」と答えるのではないでしょうか。残念ながら喜瀬川の源流は、稲美町の天満大池ではありません。喜瀬川の源流は、天満大池に水を供給しながら、さらに天満大池の南を横を沿うように流れて、長法池(ながのりいけ)が喜瀬川の源流です。天満大池から長法池まで歩いたことがあります。「長法池の源流あたりは、きっと細流だろう」との思い込みがあったのですが、最後まで幅の広い、深い谷の川でした。これは、印南野台地を流れる川の特徴で、この辺りは130㍍で1㍍低くなる勾配をつくって流れています。急流が、河幅を広げ、谷を削っているのです。長法池は「流(りゅう)」と呼ばれる、幾筋かの小さな流れがら水を集めています。長法池の場所は、...新・ひろかずのブログ播磨町編(2)黄瀬川を歩く(1)・源流はどこ
新・ひろかずのブログ 稲美町編(3) オマーン国王夫人秘話、読売テレビで、今日放映 PM4:30~
読売テレビで、今日放映PM4:30~今日、4:30分より読売テレビの「ほんわかテレビSP」で「なぜ関西にこんな所に・こんなものがあるの!?」という番組で「オマーン国王夫人秘話」(1時間番組)が放映されます。「こんなもの」とは、稲美町にある「オマーン国王夫人の墓碑」のことです。お時間がございましたら、ご覧ください。〈番組放映〉読売テレビ番組名「大阪ほんわかテレビ」*番組のタイトル「オマーン国王夫人秘話(副題)」*撮影場所稲美町役場、私の(自宅の)書斎、ブサイナ姫の母・清子さん(稲美町)の墓地*写真:清子さん(オマーン国王夫人)(no9)新・ひろかずのブログ稲美町編(3)オマーン国王夫人秘話、読売テレビで、今日放映PM4:30~
加古川を照らす夕日今日のFBは神戸新聞(三木版)の一部をお借りしました。夕日で加古川が黄金色に染まる景色を見ようと、正法寺山山頂にある展望広場(兵庫県三木市別所町正法寺)を多くの人が訪れている。絶景は沈みゆく太陽と川が重なることで生み出され、見られるのはわずかな期間。天候によっては見られないこともあり、貴重な瞬間を逃すまいと愛好家らがシャッターを切った。(神戸新聞・三木版より)(写真の手前の橋は、加古川を横切る加古川線、その向こうの橋は上荘橋)〈番組放映のお知らせ〉読売テレビ番組名「大阪ほんわかテレビ」*番組のタイトル「オマーン国王夫人秘話(副題)」*11月8日(日)4:30~(1時間番組)*撮影場所稲美町役場、私の(自宅の)書斎等(no8)新・ひろかずのブログ加古川市編(3)加古川を照らす夕日
新・ひろかずのブログ 稲美町編(2)・オマーン王族 稲美町訪問
きのうのブログで、8日(日)に読売テレビで放映される「オマーン国王夫人秘話」についてお知らせしましたが、それに関する記事が去年、10月25日神戸新聞に掲載されました。(以下の分は神戸新聞からの転載です。記事は一部省略)オマーン王族稲美町訪問・天皇陛下が即位を宣言する「即位礼正殿の儀」に出席するため来日した、中東・オマーンのアスファイド副首相兼国王特別代理らが25日、王族ゆかりの地である稲美町を訪問した。元国王夫人で、神戸でブサイナ王女を生んだ清子・アルサイド(旧姓大山)さんの墓に、同国関係者10人が花を供えた。約40年前には同王女が来町しており今回は副首相が墓参した。清子さんは1935年(昭和10)、カーブース現国王の祖父であるタイムール元国王と神戸で出会った。恋に落ちた2人は翌年結婚式挙げ、ブサイナ女王(日本...新・ひろかずのブログ稲美町編(2)・オマーン王族稲美町訪問
新・ひろかずのブログ 稲美町編(1) 読売テレビで「オマーン国王夫人秘話」放映
今日は「オマーン国王夫人秘話」の宣伝をさせていただきます。読売テレビで放映・11月8日(日)PM4:30~=読売テレビ「大阪ほんわかテレビ」をご覧ください=先日、自宅で取材がありました。(1時間番組です)*取材は、ディレクター・アナウンサー・カメラマン等5人が大型バスでこられました。取材の前に連絡はあったのですが、大がかりな取材でビックリしました。時間がありましたらご覧ください。内容ですが、稲美町出身の方で、オマーン国王(タイムール国王)と結婚された方(清子さん)とその子供(ブサイナ妃)の秘話です。写真は、ブサイナ姫のお母さん(清子さん:結婚当時・19歳)です。その秘話を説明させていただきました。〈番組放映〉読売テレビ番組名「大阪ほんわかテレビ」*番組のタイトル「オマーン国王夫人秘話(副題)」*11月8日(日)...新・ひろかずのブログ稲美町編(1)読売テレビで「オマーン国王夫人秘話」放映
新・ひろかずのブログ 加古川編(2) 高御位山(304メートル)に挑戦します
高御位山(304メートル)に挑戦します昨日、志方の綿祭りに参加しました。会場から見上げる高御位山は、私を拒絶しているようでした。最後に高御位山に登ったのは9年前の6月19日です。その時のようすを記録しています。・・・・・「四丁目」の丁目石のところまでは、順調だったが、その後、急に心臓が高鳴り始めました。七丁目辺りで、完全にダウン。それでも、山頂まで10回ぐらい、長めの休憩をとり、やっとのこと「征服」することができました。私にとって、まさに征服がぴったりとする登山となりました。これを最後の、高御位山登山にします。このように、最後の登山宣言をしましたが、きのう目の前に高御位山をま近にかに仰ぐと、また挑戦したくなりました。今月の天気のいい日に挑戦してみようと思います。(こう宣言しておかないと絶対に登れません)体力は9...新・ひろかずのブログ加古川編(2)高御位山(304メートル)に挑戦します
新・ひろかずのブログ高砂編(1) ダルマ太陽(高砂市荒井町浜風公園)
ダルマ太陽(高砂市荒井町浜風公園)10月20日(火)、荒井の浜風公園へ夕日の撮影に出かけました。沢山の人がスマホで、小型カメラで、望遠で、多くのカメラマンが夕日を待ち構えていました。私は、安物の小型カメラでしたが、みごとなダルマ太陽が撮れました。レンズ越しの夕日は、より引き立つようです。カモメが飛んでいるのも見えますか。「太陽に向かって飛び・・・」って、という感じです。それに、水平線にゴミのような黒い点が沢山映っています。レンズのゴミではなさそうです。とすると、もしや蜃気楼では?先日、二匹目のドジョウを狙って出かけました。太陽が沈む場所は家島の向こうで、今年の「ダルマ太陽」はもう終わっていました。季節と時間がつくる一瞬の風景でした。(no4)新・ひろかずのブログ高砂編(1)ダルマ太陽(高砂市荒井町浜風公園)
タコ、風にゆらゆら8月の初旬の午後でした。午後、古宮(播磨町)の浜に出かけたんです。人は、タコの天日干しを「夏の風物詩」といいますが、この姿をタコが見たら、どう思うでしょうね。まさにタコの葬列です。この風物詩を見ていると、詩人・金子みすゞの次の詩が浮かんできました。大漁金子みすゞ朝やけ小やけだ大漁だ大ばいわしの大漁だ。はまは祭りのようだけど海のなかでは何万のいわしのとむらいするだろう。でも、タコの干乾は、うまいんです。(no3)新・ひろかずのブログ播磨町編(1)タコ、風にゆらゆら
花の寺・円照寺東志方広尾に浄土真宗の小さなお寺(円照寺)があります。1年を通して、見事な花が楽しめます。新聞でもよく紹介されています。近くへ行かれましたらお寄りください。住職とお話しください。住職は、花をこよなく愛しておられます。円照寺は明るく、癒しのお寺です。「わが町加古川60選」で紹介円照寺は「花の寺」として、2010年に「わがまち加古川60選」に選ばれました。そして、DVD「わがまち加古川60選」(制作:BAN・BANネットワーク株式会社)が製作され、52番に円照寺が紹介されています。加古川市観光協会のHPでもご覧になれます。里山にあるお寺です。でも、「これは、本当にお寺かな?」と「ふと」頭をよぎります。それは、まず「お寺のいかめしい伽藍」がありません。そして、墓地が集落の共同墓地に別にあり、円照寺に付属...新・ひろかずのブログ加古川市編(1)花の寺・円照寺
「新・ひろかずのブログ」を始めます今年で77歳になりました。退職して17年目が済んでしまいました。老人の時間は、なぜこんなに早くすぎるのでしょうね。退職後2年間は、ある大学の大学院で英語を勉強しました。能力が伴いませんでしたが、お情けでなんとか卒業させてもらいました。修士論文の内容をまとめた小冊子が『AHistoryofKakogawaCity』(写真)です。英語で加古川市の歴史を紹介しました。3年目から始めたのが「ひろかずのブログ」(加古川市・高砂市・稲美町・播磨町の歴史)でした。最初は、1~50程度のアクセスだったのがいつの間にか一日1,000を超え、やがて一日2,000の読者ができました。こうなると止められません。アクセスに励まされて、いつのまにかブログは5,000号を超えてしまいました。が、最近は少しだ...「新・ひろかずのブログ」を始めます
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