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  • 2023年放浪の旅 思い出の情景 その5

    2023年放浪の旅思い出の情景その521平戸城・亀岡神社(長崎県平戸市岩の上町)訪問日令和5年5月24日平戸城(別名:亀岡城)初めて訪れる場所は駐車場探しに苦労する困っていると、地元の親切な女性が城に一番近い場所を教えてくれた天守閣慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いの頃、徳川家康からの嫌疑を晴らすため、城の一部を破却したと伝わる豊臣氏と親交が厚かったことによる江戸幕府の嫌疑から逃れるためともいわれている元禄15年(1702年)松浦鎮信(隠居により改名)は幕府に平戸城の再築城を願い出て、翌元禄16年(1703年)に許可されたこれは徳川家との姻戚関係と、東シナ海警備の必要性によるものといわれている城からの景色が美しい遠くに見える朱色の「平戸大橋」を渡り平戸城へやってきた橋からの眺めは高所恐怖症ということも忘...2023年放浪の旅思い出の情景その5

  • 2023年放浪の旅 思い出の情景 その4

    2023年放浪の旅思い出の情景その416筥崎宮(福岡県福岡市東区箱崎1丁目22番地1号)訪問日令和5年5月22日筥崎宮は筥崎八幡宮とも称し、宇佐、石清水両宮とともに日本三大八幡宮に数えられている大都市福岡市にあることから駐車場の有無を確認してからの出発となった石造一ノ鳥居(重要文化財)鳥居の柱は三段に切れ、下肥りに台石に続いている笠木と島木は1つの石材で造られている貫と笠木の長さが同じ異色の鳥居であり「筥崎鳥居」と呼ばれている楼門(重要文化財)文禄3年(1594年)筑前領主小早川隆景が建立元寇の際に亀山上皇が「敵国降伏」を祈願し、神門に「敵国降伏」の扁額が掲げられた以来、海上交通・海外防護の神として信仰されている亀山上皇御尊像(福岡県指定文化財)鎌倉時代中期の元寇(蒙古襲来)に際し「我が身を以て国難にかわ...2023年放浪の旅思い出の情景その4

  • 2023年放浪の旅 思い出の情景 その3

    2023年放浪の旅思い出の情景その311元乃隅神社(山口県長門市油谷津黄498)訪問日令和5年5月20日外国人観光客が日本に凄い神社があるとインスタで紹介し外国で話題になった神社であるそのことが日本でも紹介され人気となり、訪れてみたいと思っていたその頃、地元の方からは渋滞で3~4時間はかかる、道が狭くUターンもできないハイエースでは離合困難であるなど云われ決断できないでいた前日、道の駅の案内所で確認すると最近はそれほど混雑していないと話してくれた確かに拍子抜けするほど順調で駐車場に着いたアメリカのCNNが平成27年(2015年)3月に発表した日本の最も美しい場所31選の一つとして選ばれた昭和30年(1955年)地元の網元であった岡村斉の枕元に白狐が現れた「吾をこの地に鎮祭せよ」というお告げがあり「元乃隅稲...2023年放浪の旅思い出の情景その3

  • 2023年放浪の旅 思い出の情景 その2

    2023年放浪の旅思い出の情景その206八重垣神社(島根県松江市佐草町227)訪問日令和5年6月17日日本神話に登場する「ヤマタノオロチ」を退治した素戔嗚尊とその妻になった櫛稲田姫縁の神社である訪れてみたい神社の一つでもあり、楽しみにしていた素戔嗚尊は天より降って出雲の國の簸の川上に到った。その時、川上で泣き声が聞こえた素戔嗚尊は泣いていた理由を尋ねた老夫婦にはもともと八人の娘がいたが、毎年一人ずつ八岐大蛇という怪物に食べられてしまい、末娘の奇稲田姫だけになってしまった素戔嗚尊は、「八岐大蛇を退治する代わりに奇稲田姫を嫁に欲しい」と申し出た素戔嗚尊は八回醸した酒を作らせ、八面に塀を立て、各々一つずつ樽を置き、酒を盛らして待った大蛇が現れ酒を飲もうとして、頭を各1つの樽に入れて飲み、酔って眠ってしまったそこ...2023年放浪の旅思い出の情景その2

  • 2023年放浪の旅 思い出の情景 その1

    2023年放浪の旅思い出の情景その101国宝犬山城(愛知県犬山市犬山北古券65-2)訪問日令和4年5月12日この年の春、あと2年、車中泊による放浪の旅を継続しようと決めた時、最初に頭に浮かんだのが犬山城であった全国唯一の個人所有の城として保存されてきたが、平成16年(2004年)「財団法人犬山城白帝文庫」の所有となって現在にいたっている若い女性が所有している国宝の城というのを雑誌か何かで知って訪れたのが最初である調べてみると6年ぶり4回目の訪問になる自分の意思で訪れた最初の城ということもあり思いいれが深い犬山駅から木曽川沿いを城を眺めながら徒歩で訪れた時の記憶が今でも鮮明に残っている成瀬家12代城主「成瀬正俊」周囲のものとは違う写真写真家篠山紀信氏が撮影したというこの写真を選んだのが13代城主「成瀬淳子(...2023年放浪の旅思い出の情景その1

  • 萬固山 天徳寺(秋田県秋田市泉三嶽根10-1)

    訪問日令和5年10月19日萬固山天徳寺曹洞宗の寺院寛正3年(1462年)当時の佐竹家当主佐竹義人が夫人を弔うため、常陸国久慈郡太田村(茨城県常陸太田市)に創建佐竹氏の秋田への国替えに伴って秋田に移された寛永元年(1624年)総門を残して全焼したため、翌年、現在地である秋田郡泉村の泉山に移されたその後、延宝4年(1676年)に再び火災が起こり、総門と山門を残して全焼9年の月日をかけて再建され、現在に至る総門(重要文化財)切妻造瓦葺きの四脚門延宝4年(1676年)の火災をまぬがれ、現在地に移築された扁額には山号の「萬固山(まんごさん)」参道には古い石畳が敷かれ、その両脇には約120本もの松が生い茂っている天徳寺に向かう途中、予報通り雨が降り出し駐車場で小雨になるまで待機していた総門には一番楽しみにしていた茅葺...萬固山天徳寺(秋田県秋田市泉三嶽根10-1)

  • 太平山三吉神社(秋田県秋田市広面字赤沼3-2)

    訪問日令和5年10月19日太平山三吉神社(たいへいざんみよしじんじゃ)天武天皇の白鳳2年(673年)5月、役の行者小角の創建と伝えられている桓武天皇の延暦20年(801年)征夷大将軍坂上田村麻呂東夷征討の際、戦勝を祈願して堂宇を建立したと伝えられている社号標狛犬1鳥居古くからある神社正参道額には社号の「太平山三吉神社」拡大してみると「元帥伯爵東郷平八郎謹書」「天気晴朗なれども波高し」当時無敵のバルチック艦隊に連合艦隊司令長官東郷平八郎が勝利東郷の名を見ると、高校時代日本史の授業で熱く語ってくれた元特攻隊員だった恩師のことを思い出す狛犬2案内板説明文を読むと「奥宮」と「里宮」があるかつて女人禁制だった太平山は、非常に険しい山であり、また11月から5月にかけては雪に覆われ登拝が出来なかったそこで年間を通して老...太平山三吉神社(秋田県秋田市広面字赤沼3-2)

  • 皇宮山 蚶満寺・九十九島(秋田県にかほ市象潟町象潟島)

    訪問日令和5年10月19日皇宮山蚶満寺近くに道の駅「象潟」があり、展望温泉も併設されていることからよく利用している坩満寺もその都度訪れているので、今回はやめようかと思ったがやはり足が向いた「象潟」九十九島の案内を見て、今日はここからスタートすることにした春に訪れた長崎県の「九十九島」は、平戸藩主松浦静山が、出羽国(秋田県)の「象潟九十九島」に倣い名づけたという松尾芭蕉像元禄2年(1689年)俳人・松尾芭蕉が「おくのほそ道」の旅で訪れた最北の地として広く知られている芭蕉は、西行ゆかりの桜の老木、神功皇后のお墓などを訪ねている西施像西施(せいし)は、古代中国の四大美女の一人(他の3人は王昭君・貂蝉・楊貴妃)越王勾践が、呉王夫差に、復讐のための策謀として献上した美女たちの中に、西施がいた策略は見事にはまり、夫差...皇宮山蚶満寺・九十九島(秋田県にかほ市象潟町象潟島)

  • 鳥海山大物忌神社(山形県飽海郡遊佐町吹浦布倉1)

    訪問日令和5年10月18日鳥海山大物忌神社(史跡)出羽国一宮創祀は欽明天皇25年(564年)の御代と伝えられている本社は山頂に鎮座し、麓に「口の宮」と呼ばれる里宮が「吹浦と蕨岡」の二ヶ所に鎮座している社号標と一の鳥居以前、同じ遊佐町にある「十六羅漢岩」で写真を撮っていると、地元の方から声をかけられた寺社巡りをしていると話すと、地元では有名な神社だとここを強く勧められた二の鳥居岩の上を歩いた後なのでかなり疲れていたが、地元の方の熱意に応えて訪れたのが最初で、今回が再訪となる境内図下拝殿由緒(略誌)前回訪れた時には、疲れもあったこともあり、この石段を見て直ぐに「諦めてしまった」その事が頭の片隅にあり、ずっと気になっていた狛犬顔面部分が欠損している遅くなったが、ここは、麓にある「口の宮」と呼ばれる2カ所の里宮の...鳥海山大物忌神社(山形県飽海郡遊佐町吹浦布倉1)

  • 遊佐蒸溜所(山形県飽海郡遊佐町吉出字 カクジ田20番地)

    訪問日令和5年10月18日遊佐蒸溜所2018年10月に「世界が憧れる酒を、ここ山形から」を目標に設立された蒸溜所「コストや手間ひまを厭わず、あくまでも品質を追求して高みを目指す」という基本姿勢を貫いているBSフジの「ウイスキペディア」で放映されたことで、その存在を知った残念ながら、蒸溜所の一般見学はされていないので、道路から建物を眺めその雰囲気を感じていたTV番組で興味を持ったのは、素人の理系女子2人がウイスキー造りをしているということだったその後、3年の熟成を経た記念すべきボトルYUZAシングルモルトジャパニーズウイスキーファーストエディション2022が「インターナショナル・スピリッツ・チャレンジ(ISC)2022」テイスティングアワードで「GOLD」を受賞した私の住む北海道では数量限定のボトルは入手困...遊佐蒸溜所(山形県飽海郡遊佐町吉出字カクジ田20番地)

  • 山居倉庫(山形県酒田市山居町1丁目)

    訪問日令和5年10月18日山居倉庫(国指定史跡)明治26年(1893年)旧藩主酒井家によって建てられた米保管倉庫NHK朝の連続テレビ小説「おしん」のロケーション舞台にもなった今回は倉庫の正面から回ってみた小鵜飼船倉庫から舟までは、女丁持(おんなちょうもち)と呼ばれる女性によって運ばれた一俵60kgの米俵を5つ(300kg)背中に担いだという記録(写真)が残っている平成30年(2018年)時点で12棟が残り、このうち9棟は現役の米蔵として使用されていた山居倉庫は令和3年(2021年)国の史跡に指定され、米倉庫としての使用は2022年度末で終えた倉庫の中央に通路があり、その先に神社が見える東宮殿下行啓記念館東宮(後の昭和天皇)の山居倉庫行啓を記念して建てられた昭和元年(1926年)に建てられた米穀貯蔵の研究施...山居倉庫(山形県酒田市山居町1丁目)

  • 土門拳記念館(山形県酒田市飯森山二丁目13)

    訪問日令和5年10月18日土門拳記念館昭和49年(1974年)酒田市名誉市民第1号となった土門拳は、自分の全作品を郷里酒田市に贈りたいと語った酒田市はそれに応え、昭和58年(1983年)写真専門の美術館「土門拳記念館」を開館した20年ほど前に最初に訪れた時には400円だった入館料も現在は1,200円になっている(昨年は800円)入館者も1時間ほど滞在したが、ほんの数人程度でかなり減っているような感じがしている昔は、旅の始めに土門拳の写真を観て、感動した写真の寺や仏像を巡る旅をしていた近頃は足が遠のいていたが、久し振りに寄ってみたいと思った入館料は高騰したが、いつの間にか「写真撮影可」になっていたこれは、土門拳ファンとしては大変嬉しい出来事だ記念館には、土門拳の写真を約13万5千点を収蔵しているライフワーク...土門拳記念館(山形県酒田市飯森山二丁目13)

  • 鳥越八幡神社(山形県新庄市鳥越1224)

    訪問日令和5年10月18日鳥越八幡神社正式名称は「八幡神社」「鳥越八幡宮」とも称す社伝によれば、寛喜元年(1229年)に鳥越義宣が相模国から鶴岡八幡宮を勧請、これを「新八幡宮」と称したことに始まるという鳥居社殿が重要文化財に指定されているということで訪れた初めて訪れる神社である案内板社務所社務所周辺で清掃をしている女性に元気な声で挨拶をされた朝からとてもいい気持ちになった手水舎御神木「夫婦杉」新庄のパワースポットらしい参道を歩く(左側の胸像については後述)鳥居額には社号の「八幡宮」拝殿(重要文化財)新庄藩2代藩主戸沢正誠による元禄4年(1691年)の建立桁行3間梁間2間、入母屋造平入、銅板葺で、正面に1間の向拝背面からは幣殿を突出させて本殿に接続している総素木(しらき)造で江戸時代中期の堅実な特色を示す拝...鳥越八幡神社(山形県新庄市鳥越1224)

  • 居合神社(山形県村山市林崎85)

    訪問日令和5年10月17日この神社を訪れる前夜、車中でパソコンを開きながらダラダラしていたその時、高校時代に部活動でご指導頂いた恩師から突然Facebookの友達申請の連絡があった反射的に背筋が伸び両手は膝の上にのっていた(一瞬高校生に戻っていた)居合神社その恩師が現在、居合道の師範をされていると高校時代の友人から聞いていた翌朝になり、居合道について気になったため、調べていくうちに「居合神社」があることを知ったこの日は宮城県の道の駅にいたが、仙台市を経由して向かうことにした鳥居の額には「熊野居合両神社」古くは熊野明神、林崎明神とも呼ばれていた社号標社号標には「日本一社居合神社」と刻まれている居合道発祥の地として全国で唯一の「居合神社」である狛犬手水舎由緒・沿革拝殿額には「林崎大明神」いつものように、隙間か...居合神社(山形県村山市林崎85)

  • 仙台東照宮(宮城県仙台市青葉区東照宮一丁目6-1)

    訪問日令和5年10月17日仙台東照宮正式名称は「東照宮」だが、他の東照宮と区別するために仙台東照宮と呼ばれている承応3年(1654年)仙台藩の2代藩主「伊達忠宗」によって創建された石鳥居(重要文化財)明神鳥居形式の美しい白色の鳥居で、宮城県最古の石鳥居である主な部材である花崗岩は伊達忠宗夫人振姫の郷里である岡山県犬島から海路で運んだもの実は、東照宮を訪れようと1週間ほど前に、仙台市内にいたのだが雨天のため参拝を諦めていた前日に「相馬中村神社」で声を掛けられた男性から「仙台にもいい神社がありますよ」と言われたことも気になっていた悔いを残すのも嫌なので、道の駅から車を走らせた狛犬境内図石段(仙台市登録文化財)参道の石段にも工夫があるという説明によると、緩やかな勾配で、階段と踊り場が交互に配置されている階段も4...仙台東照宮(宮城県仙台市青葉区東照宮一丁目6-1)

  • 勝楽山 高蔵寺(宮城県角田市高倉字寺前49)

    訪問日令和5年10月16日勝楽山高蔵寺嵯峨天皇の弘仁10年(819年)に「徳一(とくいつ)」が開創したと伝わる真言宗智山派の寺寺号標山門石碑には「高蔵寺阿弥陀堂」と刻まれている参道横の細身の「観音様」手水舎阿弥陀堂(重要文化財)高蔵寺阿弥陀堂は平泉文化の流れを汲んでおり、奥州藤原氏3代目藤原秀衡の妻により治承元年(1177年)に創建された現存する宮城県最古の木造建築である阿弥陀堂は飛騨工の手よるもので鎖釘を全く使用していないという茅葺き屋根から植物が垂れ下がっている平安時代の建造物は全国でも26箇所しか残っておらず、阿弥陀堂としては7箇所だけ岩手県平泉町の「中尊寺金色堂」、福島県いわき市の「白水阿弥陀堂」と並ぶ東北三大阿弥陀堂の一つとなっている高蔵寺の大杉(宮城県指定天然記念物)推定樹齢800年樹高35m...勝楽山高蔵寺(宮城県角田市高倉字寺前49)

  • 相馬中村神社(福島県相馬市中村字北町140)

    訪問日令和5年10月16日相馬中村神社<別名:妙見中村神社>相馬氏の始祖である「平将門」が承平年間(931年-937年)に下総国猿島郡に妙見社を建立したことに始まるといわれる別名「妙見中村神社」と呼ばれ、南相馬市の「相馬太田神社」「相馬小高神社」とともに「相馬三妙見社」の一つとして知られている社号標神馬狛犬神橋から境内に入る鳥居額には社号の「相馬中村神社」皇大神宮遥拝所この遙か先に伊勢神宮がある神楽殿北野天満宮社務所相馬野馬追(国の重要無形民俗文化財)平将門公ゆかりの伝統的な神事「相馬野馬追」では、出陣式の舞台となっている伝説によれば、相馬野馬追は今から一千年以上もの昔、相馬氏の遠祖とされる平将門が下総国小金ヶ原(現在の千葉県北西部)に放した野馬を敵兵に見立てて軍事演習に応用したことにはじまったと伝えられ...相馬中村神社(福島県相馬市中村字北町140)

  • 瑠璃光山 医王寺(福島県福島市飯坂町平野字寺前45)

    訪問日令和5年10月16日瑠璃光山医王寺東北地方を巡る旅のなかで、芭蕉ゆかりの地を訪れてみたいと考えていた滞在していた場所の近くにその寺があった「おくのほそ道」で芭蕉が感涙をおさえきれなかったという寺である寺号標「醫王密寺」と刻まれている薬師如来の別称「医王」を寺号としている平安時代の天長3年(826年)「空海」による開山とされている貴船神社奥州藤原氏の一門であり飯坂をおさめていた「佐藤一族」の菩提寺である宝篋印塔初めて訪れる寺で案内標示に従って歩く始めに「本堂・芭蕉句碑」正面に本堂慈母観世音菩薩親子地蔵南無大師遍照金剛(弘法大師空海)本堂入口入り口前の階段には「眠り猫」が扁額には山号の「瑠璃光山」堂内に入ると「佐藤一族位牌殿」と書かれた文字が目に入ってくる義経に関する小説は読んだことがあるが、このときは...瑠璃光山医王寺(福島県福島市飯坂町平野字寺前45)

  • 中野不動尊<中野山 大正寺>(福島県福島市飯坂町中野字堰坂28)

    訪問日令和5年10月16日中野不動尊(中野山大正寺)前日からの雨が朝方まで降っていたが、急に天気が良くなった道の駅「ふくしま」の車中で「最寄りの有名寺社」で検索したところ近くにこの寺があった寺号標寺号標には「中野不動尊」とあるが、正式名称は「中野山大正寺」である明治36年(1903年)に永平寺64世貫首の森田悟由が、中野不動尊本堂の「大正寺」を建立した曹洞宗の寺院狛犬祈祷殿総欅造りのお堂祈祷殿周囲の彫刻「眼守不動明王」が祀られている眼にかかわる霊験あらたかとのこと初めて訪れるため案内に従って歩く納札堂総ステンレスで造られたお堂注連飾りや松飾りなどを納める場所「毘沙門天」が祀られているアニメに出てくるようなユーモラスな像だ先に進むと朱色のお堂が見えてくる眼下のお堂は「寂光門」大日堂昭和54年(1976年)に...中野不動尊<中野山大正寺>(福島県福島市飯坂町中野字堰坂28)

  • 堂山王子神社(福島県田村市船引町門沢東ノ前)

    訪問日令和5年10月15日堂山王子神社堂山王子神社は大同2年(807年)に坂上田村麻呂が創建したと伝わる神社朝からの強い雨が降り止まず、駐車場にて待機する終日雨予報ということもあり、あきらめて目の前にある石段を駆け上がる坂上田村麻呂伝説東北の寺社巡りをしていて気付くことだが「坂上田村麻呂」という名をよく目にする各寺社の創建に係わり、大同2年(807年)が共通する年号になる平安時代この一帯には修験僧が宿泊する施設が13カ所あった本殿はそれらをまとめる大きな寺院、「龍頭山堂山寺」の観音堂として建てられたものと伝えられている鐘楼明治初期に全国で起こった神仏分離による廃仏毀釈運動から逃れるために「堂山王子神社」と改称した山門(旧仁王門)旧仁王門と思われる神社山門文化2年(1805年)に再建した棟札あり内部には青色...堂山王子神社(福島県田村市船引町門沢東ノ前)

  • 梅福山 報恩院 専称寺(福島県いわき市平山崎字梅福山5)

    訪問日令和5年10月14日梅福山報恩院専称寺浄土宗の寺院応永2年(1395年)に良就十聲(りょうしゅうじゅっしょう)が開創した寺院東北地方を中心とした浄土宗名越派総本山的寺院であった細い坂道を上り、カーナビの案内する駐車場らしき場所に着いただが、駐車スペースもなく幹から伸びた小枝が車体を擦りUターンもできない状況であった鐘楼堂(いわき市指定文化財)とりあえず車を置き、急いで階段を上がり記録用の写真を撮りに行くことにした階段の途中にあったのが鐘楼堂だった階段の途中から撮るとこのようになっている上に上がると、かなり低い位置に、鐘を撞く棒(撞木<しゅもく>)がある本堂(重要文化財)寛文8年(1668年)の焼失後、寛文11年(1671年)に再建されたと伝える入母屋造、瓦形鉄板葺き本尊:阿弥陀如来2011年の東日本...梅福山報恩院専称寺(福島県いわき市平山崎字梅福山5)

  • 飯野八幡宮(福島県いわき市平字八幡小路84)

    訪問日令和5年10月14日飯野八幡宮(いいのはちまんぐう)平安時代の康平6年(1063年)源頼義が奥州討伐の際、源家が崇敬している石清水八幡を磐城の地に勧請し、戦勝を祈願したのが始まりと伝えられている9月15日の例大祭直前の土・日曜日に400年も続いている古式大祭及び流鏑馬神事が執り行われている鳥居額には「八幡宮」楼門(重要文化財)楼門の建立は、二階柱墨書より万治元年(1658年)である一階は、柱は八角造柱で礎石建ち桁行三間、梁間二間で、両側面前端間に随身像を安置している二階は、円柱で、中央間二本の柱は一階からの通し柱とし八角造桁行三間、梁間二問、内部は一室で、仲哀天皇社を安置している扁額を拡大してみると「八幡宮」と書かれているその額を、前面がガラスのような額で覆っているところから貴重なものと想像できる随...飯野八幡宮(福島県いわき市平字八幡小路84)

  • 白水阿弥陀堂(福島県いわき市内郷白水町広畑221)

    訪問日令和5年10月14日白水阿弥陀堂東北6県を巡る旅が今回が最後と決めていたので、訪れたことのない場所を選んできたこの旅に出る前、9月の台風13号から変わった熱帯低気圧による大雨で阿弥陀堂が被害に遭ったということをニュースで知ったどのような状態になっているのか、気になっての再訪である福島民報YouTube「ドローンによる空撮いわき豪雨」<下記をクリック>白水阿弥陀堂+台風による被害-Google検索公園駐車場には車は駐まっていたが、参拝者は私一人であったこれは、豪雨から一ヶ月後の様子である鯉が元気よく泳ぎ口を開けて餌をまっていた池もこのような状態である真言宗智山派の寺院・願成寺が「阿弥陀堂」を所有する受付所から阿弥陀堂への道は以前と変わらないと思っていたが、汚泥を除去し砂利を敷き詰めたそうだ橋の床板がく...白水阿弥陀堂(福島県いわき市内郷白水町広畑221)

  • 八槻都々古別神社(福島県東白川郡棚倉町八槻大宮 224)

    訪問日令和5年10月13日八槻都々古別神社(やつきつつこわけじんじゃ)「陸奥国一宮」ということで訪れた社号標「国幣中社都都古別神社」と刻まれている鳥居第12代景行天皇の時に皇子の日本武尊が奥羽に至り八溝山の東夷を討った日本武尊を守護した3神が建鉾山に隠れたので、尊は東方に箭(や)を放ち箭の着いた地(箭津幾:やつき)に神社を創建したという「境内図」参道の正面に随身門が見えてくる社務所狛犬個性的な風貌をしている手水舎随身門(福島県指定文化財)正徳元年(1711年)に焼失した後、享保年間(1716~36年)に再建されたとみられている八脚門形式で、彫刻や彩色などの装飾も細部までまとまっている扁額には「奥州一宮」「陸奥国一宮」ということで訪れたが、境内図と随身門には「奥州一宮」と調べていくと陸奥国の別称で奥州と陸州...八槻都々古別神社(福島県東白川郡棚倉町八槻大宮224)

  • 馬場都々古別神社(東白川郡棚倉町大字棚倉字馬場39)

    訪問日令和5年10月13日馬場都々古別神社(ばばつつこわけじんじゃ)陸奥国一宮ということで訪れた江戸時代から、久慈川沿いに並んで鎮座する「八槻都々古別神社・近津神社(茨城県久慈郡大子町」と合わせて「近津三社」と呼ばれているこの馬場都々古別神社は、そのうちの上之宮にあたる二の鳥居先に訪れた「石都々古和気神社」、現在訪れている「馬場都々古別神社」、次に訪れる「八槻都々古別神社」いずれも陸奥国一宮であり、社号も似ている参道の正面に随神門らしき建物が見えてくる手水舎社務所随神門額には「陸奥國一宮」随神像更に先に進むと社殿が見えてくる参道や社殿は高い木に囲まれている始めて訪れる神社なので周辺の社などを確認しながら参道を進む寅卯神社三の鳥居社殿前の鳥居周辺は塀によって囲まれている甲山天満宮神明社拝殿その昔、日本武尊が...馬場都々古別神社(東白川郡棚倉町大字棚倉字馬場39)

  • 石都々古和気神社(福島県石川郡石川町下泉269)

    訪問日令和5年10月13日石都々古和気神社(いわつつこわけじんじゃ)社号標陸奥国一宮ということで訪れた駐車場の傍に社号標と社務所はあるが社殿の姿が見えない(嫌な予感がする)狛犬(石川町指定文化財)「飛翔獅子」と呼ばれる構図の作品で「高遠石工」の技術を受け継いだ作品高遠石工とは、高遠藩領内(現在の長野県伊那市)出身の石材加工の職人集団昭和の時代の作品であるが、高遠藩の石工文化の伝承による貴重な作品「境内図」神社まで250mはいいが、(徒歩9分)っていうのは……嫌な予感というものは高確率で当たるもので、目の前には先の見えない階段が待っていた胡桃下意成神社(くるみしたいなりじんじゃ)立派な案内板があるここで神に祈ると近いうちに願い事が叶うという「いなり」といえば、稲荷・稲成だが「意成」なら確かに願いが叶いそうだ...石都々古和気神社(福島県石川郡石川町下泉269)

  • 文殊院 清龍寺(福島県大沼郡会津美里町字文殊西3611)

    訪問日令和5年10月13日文殊院清龍寺清龍寺はもとは伊佐須美神社境内だった寛文年間(1661~73)に、社地から分離し、伊佐須美神社奥の院別当を司っていた寺号標寺号標には「文殊院」文殊院清龍寺の文殊菩薩は「筆の文殊」として信仰を集めている「紙の文殊」(天の橋立て)、「硯墨の文殊」(大和桜井)と並び日本三文殊に数えられている仁王門仁王像東北地方にはユニークな仁王像が多いと感じている縄と藁を用いている像は珍しい過去に撮ったなかでも記憶に残っている像の一つだ文殊堂清龍寺は暦応2年(1339年年、円済法師がこの地に立ち、独鈷等(仏具の一種)を投げたところ光を放ったので、土を盛り、堂を建てたことから始まる天海大僧正はこのお堂に祈願して授かったといわれている「天海大僧正とは」戦国時代の末期から江戸初期にかけて活躍した...文殊院清龍寺(福島県大沼郡会津美里町字文殊西3611)

  • 伊佐須美神社(福島県大沼郡会津美里町字宮林甲4377)

    訪問日令和5年10月13日伊佐須美神社(いさすみじんじゃ)岩代国一之宮(福島県西半部)会津総鎮守2000年を越える歴史を誇り、「会津」地名発祥の由来を伝える神社鳥居末社菅原神社祭神:菅原道真学問成就・出世開運の守護神参道の先に楼門が見える手水舎末社道主命神社(みちぬしのみことじんじゃ)祭神:道主命交通安全の祈願所楼門楼門は平成元年(1989年)の造営、高さは約14m神像獅子像仮社殿主要社殿は平成20年(2008年)の火災で焼失したため、現在は拝殿跡に建てられた仮社殿をして祀られている火災後、新社殿として、古代の出雲大社を連想させる高さ32㍍の「天空にそびえ立つ神殿」を計画していたが頓挫拝殿内部数年前に一度訪れたことがあるが、本格的な再建が進んでいないようだ拝殿前に供えられた花がやけに目に入ってくる祭神:伊...伊佐須美神社(福島県大沼郡会津美里町字宮林甲4377)

  • 新宮熊野神社(福島県喜多方市慶徳町新宮字熊野2258)

    訪問日令和5年10月12日新宮熊野神社平安時代後期の永承6年(1051年)、前九年合戦の折り源頼義、義家父子が紀州にある熊野権現に武運を祈願し見事勝利した神意に感謝し、天喜3年(1055年)熊野堂村(福島県会津若松市)に分霊を勧請したのが始まり鳥居案内板額には社号の「熊野神社」鳥居の注連縄としてはかなり大きい神社で拝観料:大人300円は珍しいが宝物殿入館料と思えば納得できる初めて訪れる場所で周囲を確認しながら参道を進む手水舎御神木「大イチョウ」(喜多方市指定天然記念物)樹高37m樹齢800年以上晩秋になると落ち葉が黄色い絨毯のように境内を美しく彩る11月中旬~下旬の見頃の時期にはライトアップが行われ、大イチョウが幻想的な雰囲気を醸し出す狛犬熊野神社長床(重要文化財)「大イチョウ」と巨大な長床寄棟造、茅葺、...新宮熊野神社(福島県喜多方市慶徳町新宮字熊野2258)

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