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  • 叶山 三宝院 願成寺(福島県喜多方市上三宮町上三宮字籬山833)

    訪問日令和5年10月12日叶山三宝院願成寺浄土宗の寺院嘉禄3年(1227年)法然上人の高弟隆寛律師の開山、開基はその弟子實成房上人表門願成寺縁起山門(福島県指定文化財)元禄11年(1698年)に竣工した楼門造りで、禅宗様と和様を混ぜた建築扁額には山号の「叶山」鐘楼鐘楼から本堂を眺める本堂(福島県指定文化財)慶長16年(1611年)慶長三陸地震による震災で現在の場所に移転会津藩主初代保科正之、正経、正容(正信)三代を通じて大施主となったもの時代が流れ明治初年(1868年)以降、廃佛のことあって寺勢衰え、無住の時代もあった昭和の時代になり、63世映譽上人は、大戦後の混乱の中で幼児教育園を興し、寺域の整備につとめた本堂、庫裡及び大佛殿の屋根大修理さらに三門、鐘楼の銅板ふき替え、新阿弥陀堂を建立した扁額には社号の...叶山三宝院願成寺(福島県喜多方市上三宮町上三宮字籬山833)

  • 長命山 幸徳院 笹野寺<笹野観音堂>(山形県米沢市笹野本町5686-5)

    訪問日令和5年10月12日長命山幸徳院笹野寺<笹野観音堂>真言宗豊山派の寺院坂上田村麿呂が国家鎮護を願って観音菩薩を勧請弘仁元年(810年)、現在の地に観音堂が落成し観音菩薩と羽黒権現を祀り、会津の高僧「徳一上人」により入仏供養が行われた仁王門天保11年(1840年)に民家より出火して仁王門が焼失明治6年(1873年)、米沢の豪商が南原の「常慶院」より金10両で買い受け移築して再建健康や足が丈夫になるようにと願って、下駄やわらじなどの履き物が奉納されている仁王像仁王像の前には格子か柵状の木材、または金網などにより像が護られているここの仁王像は、格子の奥にさらに金網があり二重に護られている境内一面に植えられたあじさいは七月中咲き誇るという紫陽花の名所として別名「あじさい寺」と呼ばれている千体地蔵堂嘉永3年(...長命山幸徳院笹野寺<笹野観音堂>(山形県米沢市笹野本町5686-5)

  • 松心山 善光寺<堂森善光寺>(山形県米沢市万世町堂森山下375)

    訪問日令和5年10月12日松心山善光寺(堂森善光寺)道の駅「米沢」の屋内にある大きな看板である前田慶次は趣味だったパチンコ台「花の慶次」で随分愉しませてもらったその後、NHKの歴史ドラマでも扱われ、毎週、視聴していた道の駅近くに「天下の傾奇者(かぶきもの)」と称された前田慶次の供養塔が建立されているということを知った上杉家には謙信を筆頭に直江兼続など魅力的な武将がいるが前田慶次もその一人だ駐車場に車を駐め、周辺を散策する案内板には寺の歴史が記されている真言宗豊山派の寺院伝承によると善光寺阿弥陀堂の別当として大同2年(807年)に開山されたとある仁王門仁王像仁王像の前には細かな金網があり鳥類などの侵入を防いでいる写真を撮る側としてはこれが難敵でいつも苦労している手水鉢仁王門の正面に見えるのが阿弥陀堂阿弥陀堂...松心山善光寺<堂森善光寺>(山形県米沢市万世町堂森山下375)

  • 松高山 大聖寺<亀岡文殊>(山形県東置賜郡高畠町亀岡41)

    訪問日令和5年10月11日松高山大聖寺<通称:亀岡文殊>真言宗智山派の寺院「亀岡文殊」は、奈良県桜井市の「安倍文殊院」、京都府宮津市の「切戸の文殊」とともに、日本三文殊の一つに数えられる関ヶ原の戦い後、上杉家は米沢30万石の大名として会津から米沢へ移転した慶長7年(1602年)上杉家執政「直江兼続」が主催者として亀岡文殊堂で詩歌の会が開催された直江兼続の漢詩をはじめ前田慶次、大国実頼ら有名な武将の詩歌「亀岡文殊堂奉納詩歌百首(高畠町指定文化財)」が残されている石中に彫られた石仏独国和尚宮城県女川町出身の僧亀岡文殊で修業を積み、女川町や福島市、いわき市を拠点に布教活動をしていたこの石像は、独国和尚を慕う高畠の人々の寄進筏舟(がっしゅう)和尚越後・草水観音寺の住職で、ここから続く十六羅漢は自身の顔に似せ造立し...松高山大聖寺<亀岡文殊>(山形県東置賜郡高畠町亀岡41)

  • 熊野大社(山形県南陽市宮内3476-1)

    訪問日令和5年10月11日熊野大社熊野大社は、大同元年(806年)平城天皇の勅命により再建されたと伝えられている実際にはそれより前の国分寺建立(741年)のときに創建されたものと推定されている手水舎熊野大社境内とその周辺で「南陽菊まつり」が開催されていたため、手水舎周辺は作品で飾られていた手水鉢にも菊が浮かんでいて美しいお御坂(おみさか)46段の石段馬に乗り参拝する方がいたことから通常の石段よりも大きな造りとなっている狛犬1幸神社(さいわいじんじゃ)大社神社(おおやしろじんじゃ)湯殿山神社(右)、月山神社(左)狛犬2顔面部分が欠損している鐘楼洪鐘(南陽市指定文化財)寛永3年(1626年)阿部右馬助から寄進された第二次世界大戦中に金属の回収を命じられたが、文化的な価値から免除されたおみくじ掛け(花結び)階段...熊野大社(山形県南陽市宮内3476-1)

  • 南陽菊まつり(山形県南陽市宮内3476-1)

    訪問日令和5年10月11日第111回南陽菊まつり熊野大社境内とその周辺で「南陽菊まつり」が開催されていた南陽の菊づくりの歴史は上杉藩時代から始まった菊人形を飾る「菊まつり」としては全国一の歴史を誇る作品1「菊華屏風絵図」斎藤哲裕「南陽菊まつり」は宮内会場(10/6-10/16)と花公園会場(10/17-11/5)の2カ所で約1ヶ月間の開催幸運にもこの期間に訪れることとなった作品2「メルヘンの森」野口俊明例年、この時期に神社などを訪れると「菊花展」に巡り合うことがあるここ南陽市は、菊以外の要素も加わり、作品を黒色の箱に入れるなどして芸術性を高めている作品3「枯山水と菊の出会い」大沼尚嗣作品の横には制作者名と経歴等が記載されている作品4「梅欄竹菊」鈴木悠介「全国一の歴史と技と文化を誇る南陽の菊まつり」のタイト...南陽菊まつり(山形県南陽市宮内3476-1)

  • 守國山 吉祥院(山形県山形市大字千手堂509)

    訪問日令和5年10月11日守國山(しゅこくざん)吉祥院(きちじょういん)前夜は土砂降りの中、道の駅「寒河江」に到着、朝まで雨が降り続いていた近くの慈恩寺は何度も訪れているので、この日は一度も訪れたことのない場所を選んでみた重要文化財の「木造千手観世音菩薩立像」を拝観したいと思い訪れた石柱には「國寶千手観世音菩薩」とある境内では落ち葉などの清掃作業をしている男女の老人がいた地域の檀家さんと思い「お疲れさまです」と挨拶をしたが、後に住職だということがわかったカメラを縦にして少し離れてやっと高い木が画角に収まった参道の正面に観音堂創建から1280有余年の歴史を刻む天台宗寺院である延命曼荼羅塔復元建立趣旨門の額には「抜苦殿」五輪塔抜苦(ばっく)」は、仏教の用語で、衆生の苦しみを除くことを意味する観音堂(山形市指定...守國山吉祥院(山形県山形市大字千手堂509)

  • ニッカウヰスキー宮城峡蒸溜所(宮城県仙台市青葉区ニッカ1番地)

    訪問日令和5年10月10日ニッカウヰスキー宮城峡蒸溜所NHKの「マッサン」視聴後から、ウイスキー蒸溜所巡りも旅の目的の一つに加わった春の旅では、鹿児島県の「嘉之助と津貫蒸溜所」、広島県の「桜尾蒸留所」を巡りウイスキーを購入してきたこの秋の旅の最初の訪問地は「余市蒸溜所」の売店であったが、望むものを入手することができなかったこの日、宮城峡蒸溜所を訪れる予定ではなかったが、大崎八幡宮拝観後に雨が強くなり予定していた寺社を諦めた仙台市内から20km程度で雨でも大丈夫な場所で、思い浮かんできたのがこの蒸溜所であった旅に出る前から宮城県でなければ購入できない「伊達」というウイスキー入手が目的である蒸溜所到着後、雨が止み青空が見えてきたので蒸溜所見学を申し込む9時から30分毎にツアーがあるためとても便利だ(無料)時間...ニッカウヰスキー宮城峡蒸溜所(宮城県仙台市青葉区ニッカ1番地)

  • 大崎八幡宮(宮城県仙台市青葉区八幡四丁目6番1号)

    訪問日令和5年10月10日大崎八幡宮国宝の社殿があるということで訪れたカーナビが案内した国道46号線沿いには鳥居は見えたが車の入る場所がない駐車場の検索してみると社殿の裏側にあることが分かった北参道鳥居御鎮座400年奉祝事業の一環として平成17年に建造された木材には樹齢250~300年の青森ヒバ、袴石には茨城県産の御影石を使用駐車場からは緩やかな坂の北参道を進んで行くことになる長床(重要文化財)長床(ながとこ)とは、神社の本殿の前方の細長い建物拝殿のみならず、修験者の宿泊、参籠場所としても使われることがあった額には社号の「大崎八幡宮」拝殿・石の間・本殿(国宝)東夷征伐に際して坂上田村麻呂は、武運長久を祈念すべく武門の守護神である「宇佐八幡宮」を現在の岩手県水沢市に勧請、「鎮守府八幡宮」を創祀その後、室町時...大崎八幡宮(宮城県仙台市青葉区八幡四丁目6番1号)

  • 鹽竈神社・志波彦神社(宮城県塩竈市一森山1番1号)

    訪問日令和5年10月10日陸奥国一宮鹽竈神社(しおがまじんじゃ)鹽竈神社は、全国にある鹽竈(鹽竃・塩竈・塩竃・塩釜・塩釡)神社の総本社正式名称は「志波彦神社・鹽竈神社」鳥居(重要文化財)初めて訪れる場所なのでこの境内図を頭に入れる普通は表参道を目指すのであるが事情があって止めた額には寺号の「鹽竈神社」「しおがま」という地名は「塩竈」「塩釜」「鹽竈」「鹽釜」と表記されてきた市は1941年の市制施行より表記を「塩竈(塩釜可)」に統一している狛犬1女川の道の駅から鹽竈神社までずっと強い雨が降っていた到着後、雨は止んだが階段の昇降には注意が必要だった社号標境内図奉納額「唐獅子(昭和5年)」「騎馬武者(文久2年)」「尾長鶏と太鼓(弘化5年)」「騎馬武者(慶応5年)」舞殿仙台藩主伊達綱村公顕彰碑「塩竈の礎を築いた恩人...鹽竈神社・志波彦神社(宮城県塩竈市一森山1番1号)

  • 大金山 陽山寺(宮城県石巻市十八成浜寺山31)

    訪問日令和5年10月8日大金山陽山寺重要文化財の「十一面観音立像」があるということで訪れたが、調べて見ると予約制であることを後に知った近くのコンビニから電話にて拝観できるかと確認すると、2時間後に予約があり、その時間帯なら可能だと……普段なら、すぐ諦めるのだが大好きな「十一面観音」の為なら待とうと、拝観をお願いした待ち時間を使い比較的近くにある「おしか御番所公園」で美しい景色を楽しんだ山門30分ほど前に寺に着き、時間がくるまで写真を撮っていた観光寺院でないのか、案内板が設置されていなかった山門の額には山号の「大金山」本堂本堂の額には寺号の「陽山寺」この本堂に「十一面観音」があるものと、この時は思っていた……10分程前に住職らしき人が車で出ていき5分前になっても予約らしき人の姿もない(不安になる)時間になっ...大金山陽山寺(宮城県石巻市十八成浜寺山31)

  • おしか御番所公園(宮城県石巻市鮎川浜黒崎1番地)

    訪問日令和5年10月8日おしか御番所公園南三陸金華山国定公園の中にあったが、2015年3月31日、南三陸金華山国定公園が「三陸復興国立公園」に編入された宮城県道220号牡鹿半島公園線(牡鹿コバルトライン)の南端にあるこの橋を渡ろうと近寄ってみると、老朽化の為なのか通行禁止になっていた公園中央の一番高い位置には、六角形の「展望棟」があり、360度パノラマの眺望が楽しめるようだ周辺には高い木がないため陸前高田市の「奇跡の一本松」のことを思い出した金華山今回の東北6県を巡る旅では「函館ー大間」のフェリーを利用したが、利用回数では「苫小牧ー名古屋」が圧倒的に多い利用する太平洋フェリーでは「金華山沖を航行」との船内放送が入り、いつも船内から眺めていた今回は牡鹿半島からの眺望になる金華山は、島全域が山であり、最高点は...おしか御番所公園(宮城県石巻市鮎川浜黒崎1番地)

  • 無夷山 箟峯寺(宮城県遠田郡涌谷町箟岳字神楽岡1)

    訪問日令和5年10月7日無夷山(むいさん)箟峯寺(こんぽうじ)天台宗の寺院宝亀元年(770年)鎮守府将軍大伴駿河麻呂の草創大同2年(807年)坂上田村麻呂の創建と伝えられる案内板によると、箟峯寺とは観音堂、白山社などを中心に24坊からなる一山寺院(総称)当初、「霧岳山正福寺」と称していたが、嘉祥2年(849年)に円仁が中興し、「無夷山箟峯寺」と改称したこの寺を選択したのは武光誠著「地図でめぐる神社とお寺」に「笑みを浮かべたように見える仁王像がある」の記載があったからだこれまで訪れた寺院の仁王像を地域別に発信した際に「笑顔の仁王像はないのか」とコメントを頂いたことがある仁王像なので「ありませんよ」と応えただけに確かめたいと思った仁王門長い階段を上がっていくと、仁王門が見えてみた仁王像の事ばかり頭にあり、狛犬...無夷山箟峯寺(宮城県遠田郡涌谷町箟岳字神楽岡1)

  • 竹峰山 華足寺(宮城県登米市東和町米川字小山下2)

    訪問日令和5年10月7日竹峰山華足寺(けそくじ)真言宗智山派の寺院大同2年(807年)坂上田村麻呂が蝦夷征討で当地を訪れた際、戦没者の霊と戦死した愛馬を慰める為に馬頭観音(馬頭明王)を勧請愛馬を埋めた塚の上に堂を造営したのが始まりとされる山門(宮城県指定文化財)寛政11年(1799年)に仙台藩9代藩主伊達周宗から寄進された屋根は、過去数回修理され更に吹き替えられたが、その他は創建時(225年前)のままの姿2階には十二支の守り「本尊八神像」を安置案内板二天像「増長天」南方を護る守護神青い顔で宝剣を持った姿で表される「多聞天」北方を護る守護神二天像のピントが合っていない格子の中央に(高い場所にある)空間があるが、そこにレンズを突っ込み、背伸びして腕を伸ばして震えながら撮っている堂内は暗く、目視できない状態でシ...竹峰山華足寺(宮城県登米市東和町米川字小山下2)

  • 妙見山 黒石寺(岩手県奥州市水沢黒石町字山内17)

    訪問日令和5年10月6日妙見山黒石寺(こくせきじ)強風警報が発令されていたようで、途中、倒木により道路の半分が塞がれていた場所もあった平成28年(2016年)5月に重要文化財の仏像拝観を目的に一度訪れたことがある寺号標その時は残念ながら受付が開いていなくて拝観することができなかった東北6県を巡る旅は今回が最後になると思い再訪することにした黒石寺蘇民祭今回、投稿するためにホームページを検索していたところ千年以上続くとされる奇祭「黒石寺蘇民祭」は、2月17日黒石寺で開かれ、惜しまれながら歴史に幕を下ろすことになったその理由は、現在祭りの中心を担っている人の高齢化と、担い手不足により、祭りを維持していくことが困難な状況となったためとのこと御供所・鐘楼1階は御供所(ごくしょ)といって、本尊に供える供物を準備すると...妙見山黒石寺(岩手県奥州市水沢黒石町字山内17)

  • 駒形神社(岩手県奥州市水沢中上野町1-83)

    訪問日令和5年10月6日駒形神社あてのない放浪旅といえども、いくつかの目的を持って各地を訪れている昨年春の旅から、全国の「一宮神社」を巡る旅も追加してみた駒形神社は「陸中一宮」ということで訪れた大鳥居鳥居の奥に駐車場があり入ってみたが満車状態、特に長い車体の車には厳しいものがあった狛犬手水舎神門女の子は3歳と7歳、男の子は5歳を迎えた年に神社にお参りする「七五三」の時期だった5・6組の家族と言っても、最近ではカメラマンを含めると狭い境内では賑やかな状態になっている絵馬掛け拝殿特に拝殿前は撮影スポットになるため混雑し、この写真を撮るのに20分程度待った駒形神社は、約1500年前に駒ケ岳山頂に奉斎された山頂への参詣が厳しかった為、北上市、金ヶ崎町に各里宮を造営した明治36年(1903年)山頂より現鎮座地(旧鹽...駒形神社(岩手県奥州市水沢中上野町1-83)

  • 日高神社(岩手県奥州市水沢字日高小路13)

    訪問日令和5年10月6日日高神社本殿が重要文化財に指定されているということで訪れた社号標創建は弘仁元年(810年)に第52代嵯峨天皇の勅命によりこの地に勧請した事が始まりとされる征夷大将軍源頼義・義家父子が前九年と後三年両度の役で戦勝祈願に訪れた嘉応2年(1170年)に藤原秀衡が再造させている慶長年間(16世紀末)には伊達政宗が再興させ、社領の寄進と社殿の造営を行い、参拝の記録も残る狛犬1姥杉(奥州市指定文化財)別名「義家杉」前九年の役で安倍一族を征討した事を祝す宴が開かれた際に、源義家が使った杉の箸を地面に刺したものが根付いて巨木になったという伝説留守宗利公留守宗利(るすむねとし)は、陸奥国仙台藩一門第三席・水沢伊達家2代(留守氏19代)当主父・政景は小田原征伐に参陣しなかったため領地を没収され、以降は...日高神社(岩手県奥州市水沢字日高小路13)

  • 丹内山神社(岩手県花巻市東和町谷内2-303)

    訪問日令和5年10月6日丹内山神社(たんないさんじんじゃ)最初に訪れた「三熊野神社」で、会話を交わした地元の方に、社殿が美しいと強く勧められた神社である毎朝、その日の訪問場所の候補を4~7程検索しているのだが、この神社は入っていなかった参拝案内図参拝順路が記されているが、他に参拝者もいなく自分の歩いた順に写真を掲載した案内板駒形神社爺杉の根(花巻市指定文化財)観音堂案内板では「相殿・祖霊社・観音堂」となっている丹内山神社は、かつて「大聖寺」と呼ばれていたが、明治維新のときに神社となり現在の名に改めたこの建物はその名残をとどめている感じがする木造十一面観音菩薩立像(岩手県指定文化財)平安時代、平泉藤原氏から寄進されたもの丹内山神社仏像<不動明王立像>(花巻市指定文化財)廃仏毀釈により「凌雲寺」に移されていた...丹内山神社(岩手県花巻市東和町谷内2-303)

  • 三熊野神社・成島毘沙門堂(岩手県花巻市東和町北成島5区1)

    訪問日令和5年10月6日三熊野神社三熊野(みくまの)神社の正式名称は「熊野神社」鳥居前の二つの石柱には「熊野神社」「毘沙門堂」とある鳥居の近くに駐車場があるが、一般道路から徒歩により参拝する場合は長い階段を上がらなければならない鳥居の額には「毘沙門天」「熊野神社」と並記されているこの写真付きの参拝順路はとても分かりやすい鳥居鳥居の前には社務所、総合案内がある手水舎手水舎の先に「拝殿」が見える幼児成長祈願石像神社といえば狛犬だが、ここには一対の幼児の石像がある拝殿社伝によれば、坂上田村麻呂が対蝦夷戦争に際して、征矢立の森に登って紀伊の熊野三山に戦勝を祈願戦勝後の延暦21年(802年)にこの地に熊野三山の神を勧請して創祀したという康平5年(1062年)に源義家が前九年の役で安倍貞任を追撃した際には鏑矢を奉納し...三熊野神社・成島毘沙門堂(岩手県花巻市東和町北成島5区1)

  • 盛岡八幡宮(岩手県盛岡市八幡町13-1)

    訪問日令和5年10月5日盛岡八幡宮康平5年(1062年)源頼義が安倍氏討伐の際に、戦勝を祈願して石清水八幡を勧請したのに始まる社号標「盛岡鎮守」皇后陛下の曾祖父にあたる、盛岡出身の海軍大将山屋他人の揮毫鳥居額には社号の「盛岡八幡宮」南部家第四十六代当主南部利文謹書とある青銅燈籠二基(盛岡市指定文化財)手水舎この手水石は、滝壺のなかにあり、流水により自然にくぼみができた「水掘石」神馬舎社殿側から鳥居を眺める正面の階段を上がるごとに社殿の姿が見えてくる狛犬1拝殿現在の社殿は平成9年(1997年)12月に新八幡宮として建て直されたもの美しい拝殿の前では若い女性グループが個性的なポーズで写真を撮っていた撮り方も撮られ方も良く知っている若者の写真は爺の記録写真とは異なり面白い正面扉の上には旧拝殿から引き継がれた「八...盛岡八幡宮(岩手県盛岡市八幡町13-1)

  • 不動の滝・桜松神社(岩手県八幡平市高畑)

    訪問日令和5年10月5日不動の滝八幡平安代地区にあるのどかな桜松公園駐車場に車を駐め「不動の滝」を目指す歩いて10分程の距離というが、雨予報ということもあり急ぎ足で向かった高さ15mの滝三段からなる名滝・不動の滝は「日本の滝百選」の一つに数えられている「岩手の名水二十選」にも認定されている滝では若いカップルに気持ちのよい挨拶をされた女性が滝の写真を撮り、その女性を男性が撮っているこの男女と少し会話をしたが、言葉遣いを含め礼儀作法が素晴らしく、印象に残ったこちらから声をかけ、橋の上で滝を背景に二人の写真を撮ってあげたかつて修験道僧の修行の場だった不動の滝修験道というのは、神道と仏教が習合した山岳信仰の伝統のひとつ不動は知恵の王である5五大明王の中心となる尊格で、その猛々しさで怒りを救済へと変えるさて、不動の...不動の滝・桜松神社(岩手県八幡平市高畑)

  • 大日霊貴神社(秋田県鹿角市八幡平堂の上16)

    訪問日令和5年10月5日大日霊貴神社(おおひるめむちじんじゃ)その日の訪問地を決める際、スマホに「最寄りの観光地」「最寄りの有名寺社」と囁き決めることが多い車中泊した道の駅に近い場所にあり向かった鳥居鳥居横の社号標から「おおひるめむち」神社とは読めなかった由緒継体天皇(26代)の御代を調べて見ると507~531年になる1500年の歴史を持つ古社ということになる「姥杉ノ柵奉納」と刻まれている神門神仏混交の名残を見せる神社山門板碑(鹿角市指定文化財)鎌倉後期の記年銘をもつ、秋田県内では最古に属する高さ80cmの五角柱の自然石の板碑江戸時代にはその梵字が「阿弥陀三尊」であることから「三尊石」と呼ばれていた手水舎石柱には「鹿角厄除大日堂」「大日堂」とも称されている牛のようにも見えるが、参道両脇に置かれている昭和2...大日霊貴神社(秋田県鹿角市八幡平堂の上16)

  • 十和田神社(青森県十和田市奥瀬十和田湖畔休屋486)

    訪問日令和5年10月4日十和田神社乙女の像に至る道程、「開運の小径」と名付けられた分岐に入ると「十和田神社」の参道につながる明治初年の神仏分離以前は「額田嶽熊野山十灣寺」を号する十和田湖畔に建つ神仏習合の寺院であった鳥居鳥居の額には、社号の「十和田神社」かつては、熊野や日光に比すべき北東北最大の山岳霊場であった僧侶や修験者の山岳修行の場であり、民衆の信仰登山、山岳修行の山であった正面に手水舎、右手の石鳥居の階段を上がると社殿が見えてくる手水舎石鳥居狛犬1石鳥居前の狛犬拝殿前の狛犬との比較も面白い階段の途中から木々に囲まれた社殿が目に入ってくる拝殿神仏分離以前は、十和田青龍権現を祀っていた現在の拝殿の場所に観音を本地仏として安置する仏堂「十和田御堂」が建っていた明治維新後に、十和田信仰は神仏分離と廃仏毀釈の...十和田神社(青森県十和田市奥瀬十和田湖畔休屋486)

  • 乙女の像(青森県十和田市奥瀬十和田湖畔休屋)

    訪問日令和5年10月4日乙女の像<高村光太郎>20年ほど前に一度訪れたことがある数年前、福島県二本松市で「智恵子の生家・智恵子記念館」を訪れたことがきっかけとななり、再び訪れようと思った駐車場から「乙女の像」まで少し歩くことになるが、木道が設置されていてとても歩きやすい「智恵子の生家・智恵子記念館」は下記で発信済智恵子の生家・智恵子記念館(福島県二本松市油井字漆原町)-今、出発の刻(たびだちのとき)訪問日令和元年11月6日走行中「智恵子の生家」の案内板が突然目に入ってきた「高村光太郎」との関係に興味をもっていたので立ち寄ることにした智恵子の生家・智恵子記念館明...gooblog 「智恵子の生家・智恵子記念館」では智恵子本人よりも高村光太郎の方に興味を持った昨夜、記念館で購入した「智恵子抄」を読み直してみ...乙女の像(青森県十和田市奥瀬十和田湖畔休屋)

  • 奥入瀬渓流(青森県十和田市奥瀬)

    訪問日令和5年10月4日奥入瀬渓流(特別名勝、天然記念物)十和田湖東岸の子ノ口(ねのくち)から北東に、焼山までの約14kmにわたる奥入瀬川の渓流十和田八幡平国立公園に属する渓流に沿って流れとほぼ同じ高さに車道と歩道がつくられている銚子大滝奥入瀬渓流本流にかかる随一の滝、銚子大滝は高さ7m、幅20m十和田湖への魚の遡上を妨げ、魚止の滝とも呼ばれている長い間、十和田湖には魚が住めないといわれてきた奥入瀬渓流はミシュラン・グリーンガイドで二つ星に選ばれた観光名所約14km続く渓流は絶景の連続私は駐車スペースのある場所に車を駐め周辺を巡ったが、多くの人は歩いていた雲井の滝森林にかこまれた断崖から、三段になって落下するこの雲井の滝の高さは20mこの滝は、岩を少しずつ浸食しながら上流に向かって後退し、いつかは消える運...奥入瀬渓流(青森県十和田市奥瀬)

  • 櫛引八幡宮(青森県八戸市八幡字八幡丁3-2)

    訪問日令和5年10月3日櫛引八幡宮本殿など5棟の社殿が重要文化財に指定されているということで訪れた一の鳥居社号標社務所二の鳥居手水舎コロナ対策と思われるが柄杓(ひしゃく)がない参拝前に手や口を清める場所であるが美しい花で心も清らかになる由緒由緒等が大きな石に刻まれている八幡馬(やわたうま)「御神馬」と刻まれた台座の上に、注連縄をまとった花崗岩の八幡馬が置かれている八幡馬は、八戸市を中心とする南部地方で古くから作られている、子供や家族の幸せを願う愛情溢れる木彫り馬の郷土玩具・民芸品これまで多くの「御神馬」を観てきているが、この形は初めてである太鼓橋正門<南門>(重要文化財)慶安元年(1648年)盛岡藩2代藩主(南部氏28代)南部重直の命で造営された平屋の門のなかで最も格式の高い形式の切妻造銅板葺の四脚門狛犬...櫛引八幡宮(青森県八戸市八幡字八幡丁3-2)

  • 楞巌山 清水寺(青森県八戸市 是川字中居18-2)

    訪問日令和5年10月3日楞巌山清水寺青森県八戸市にある清水寺であるが「きよみずでら」ではなく「せいすいじ」と読む山号は楞巌山(りょうごんざん)真宗大谷派の寺院であるこの寺を訪れた目的は、重要文化財の観音堂の拝観である寺社巡りを中心に車旅をしているが、訪れた地域にある国宝や重要文化財の建築物や仏像を可能な限り観たいと思っている山門「真宗大谷派」の札があるが、明治2年(1869年)天台宗から改宗した山門を進むと正面に本堂が見えてくる鐘楼本堂扁額には寺号の「清水寺(せいすいじ)」観音堂(重要文化財)本堂裏の高い木々に囲まれた場所に観音堂は建っていたカメラを構え、ゆっくり前に進みながら写真を撮っていった茅葺屋根というのも嬉しい案内板堂内に残されている棟札から、天正9年(1581年)に建立されたことが分かっている靑...楞巌山清水寺(青森県八戸市是川字中居18-2)

  • 龗神社(青森県八戸市内丸2丁目1-51)

    訪問日令和5年10月3日法霊山龗神社社号標には、法霊山龗神社(ほうりょうさんおがみじんじゃ)と刻まれている旧陸奥國八戸藩総鎮守にして、八戸市内最古と言われる神社鳥居訪れるきっかけとなったのは、この案内板の内容を旅行雑誌か何かで知ったからだ頼朝に追われた義経は平泉「高館」にて、文治5年(1189年)閏4月頼朝の圧迫に耐えかねた泰衡の急襲にあい、この地で妻子とともに自害したと伝えられている平成28年(2016年)5月に平泉の「高館義経堂」を訪れた時、面白い案内板(下記写真)があったことを覚えていた「平泉を脱し北へ向かった」とあり、龗神社の案内板と結びついたのだ若い頃、高木彬光の推理小説「成吉思汗の秘密」を夢中になって読んだことがあり、今でも義経の名が出てくると興味を持ってしまう手水舎お御籤掛け社務所義経に関係...龗神社(青森県八戸市内丸2丁目1-51)

  • 尻屋埼灯台と寒立馬(青森県下北郡東通村尻屋字尻屋崎1-1)

    訪問日令和5年10月2日尻屋埼灯台(しりやざきとうだい)と寒立馬(かんだちめ)尻屋埼灯台の周辺に寒立馬が放牧されている観光雑誌の写真に興味を持ち訪れた灯台に向かう道路には門があり、滞在時間が決められている(9:00-16:00)尻屋埼灯台(重要文化財)尻屋埼灯台は、工事期間3年4ヶ月を費やし明治9年(1876年)10月20日に点灯開始した「日本の灯台の父」と称されるブラントンによって設計された、二重のレンガ壁による複層構造の灯台となっている高さ30mを誇る日本一高いレンガ灯台である日本最初の霧笛が設置された灯台でもあるのぼれる灯台16のうちの一つで、日本の灯台50選に選ばれている参観期間は、令和6年4月6日(土)から令和6年11月10日(日)まで参観寄付金300円(中学生以上)訪れた日は風が強く、体重があ...尻屋埼灯台と寒立馬(青森県下北郡東通村尻屋字尻屋崎1-1)

  • 恐山 菩提寺(青森県むつ市田名部字宇曽利山3-2)

    訪問日令和5年10月2日恐山菩提寺高校時代から霊感が強かったのか、本来なら見えないものが見えるし、話しかけてもくる就職して間もない頃、大学の先輩と旅先である小樽市の焼鳥屋に入った時の話しだが、若くて美人の女将がいたところが、目と目が合うと妙な感じになり全身に鳥肌がたつしばらくして、また視線が合うと同じ感じになる不思議に感じていたが、先輩が席を外したときにその女将から「霊感が強いですね」と言われた店に入ったときから向こうも感じていたらしく、話しをしたいと思っていたそうだその女将は夕張出身で幼い頃から炭鉱事故で亡くなった人がよく出てきて一緒に遊んでもらったという経験をたくさん持つというその女将から言われたのは「恐山に行きなさい。あなたの人生が変わるかもしれない」とこの言葉は常に頭から離れず、その時から30年後...恐山菩提寺(青森県むつ市田名部字宇曽利山3-2)

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