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  • 増位山 随願寺(兵庫県姫路市白国三丁目)

    訪問日令和2年10月3日増位山随願寺初めて訪れる寺院で大きな駐車場に着いたが寺の姿が見えず、周囲を歩いていたハイカーに聞いた山道を少し歩くと堂宇の姿が見えてきた開山堂(重要文化財)現存する随願寺の建造物のなかで最古の建築解体修理の際に、承応3年(1654年)と寛永18年(1641年)の墨書が発見された開山堂近くにある「山王社」唐門(重要文化財)開山堂から少し歩くと左手に墓地が見えてくる瓦銘から享保16年(1731年)の建立桁行一間、梁間一間、向唐門、本瓦葺「榊原忠次墓所(姫路市指定文化財)」本堂(重要文化財)寺伝によれば、厩戸皇子(聖徳太子)が高麗僧の慧便(えべん)に命じ開基した「増位寺」が前身、後に行基によって中興された当初は「法相宗」寺院であったが、承和元年(834年)仁明天皇の命により「天台宗」寺院へ本尊...増位山随願寺(兵庫県姫路市白国三丁目)

  • 姫路城<白鷺城>その2(兵庫県姫路市本町)

    訪問日令和2年10月3日世界遺産姫路城その2城外に出た。正直な話し城内では何処を歩いているかも分からなかった国宝の大天守は外から眺めると5階建てに見えるが、内部の造りは地上6階、地下1階の7階構成になっているこの場所は休憩用のベンチもありゆっくり眺めるには良い場所だ石垣の形状を眺めながら下に下りて行く石垣の積み方や加工は、羽柴氏時代は「野面積み」池田氏時代は「打ち込み接ぎ」「算木積み」になっている修理を終えたばかりの建物遠くからは白が強調して見えるようになっている「お菊井戸」私の前を歩いていた若い女性が真剣に何かを覗いている気になり近寄ってみるとあの有名な「播州皿屋敷」の井戸らしい『番町(ばんちょう)皿屋敷』と覚えていたので、最初は聞き違いだったのかと思っていたが……日本各地に「いちまーい、にまーい……」の怪談...姫路城<白鷺城>その2(兵庫県姫路市本町)

  • 姫路城<白鷺城>その1(兵庫県姫路市本町)

    訪問日令和2年10月3日世界遺産姫路城その1遠くから眺めたり、車で近くを通り横目で見たりしてきたが何故か姫路城には一度も訪れたことがない桜門橋駐車場に駐めたが入り口がどこにあるか分からないとりあえず、それらしい人の歩いている方向について行く天守の姿が見えてきた国宝の城は現在全国に5つある訪れた順でいうと、犬山城・彦根城・松江城・松本城そして姫路城となる門扉も立派だ「世界遺産姫路城」人の流れについて行くと、多くの人がここで記念写真を撮っている美しい城だ城を見ながら歩き、撮影場所を探す青空だったらいいのにと思うが仕方がない菱の門櫓門と呼ばれる型式の二の丸の入口を固めた門でここから有料になる両柱の上の冠木に木彫りの菱の紋(花菱)のあることから、この名前が付いている門全体に安土桃山時代の様式を残しており、城内で最も大き...姫路城<白鷺城>その1(兵庫県姫路市本町)

  • 斑鳩山 斑鳩寺(兵庫県揖保郡太子町鵤)

    訪問日令和2年10月3日斑鳩山斑鳩寺聖徳太子開基の天台宗寺院。数年ぶりの再訪となる仁王門仁王像歌舞伎役者の隈取のような表情臍が×印になっているがいたずらのような気がする三重塔(重要文化財)室町時代後期、永禄8年(1565年)赤松政秀によって建立この日境内で骨董市が開催されるらしくその準備をしている私にとって大切な場所に骨董品を積んだ軽トラやワゴンが駐まっていて正直がっかりした法隆寺創建から斑鳩寺が法隆寺を経済的に支えてきたと以前住職から聞いたことがある鐘楼講堂(太子町指定文化財)弘治2年(1556年)に再建、明和6年再修造、平成3年屋根葺き替え推古天皇14年(606年)、聖徳太子が推古天皇から播磨国揖保郡の土地360町歩を賜る大和国斑鳩宮から移住し当地を斑鳩荘(鵤荘)と命名、伽藍を建立したとされ、これを斑鳩寺の...斑鳩山斑鳩寺(兵庫県揖保郡太子町鵤)

  • 旧 閑谷学校 その2(岡山県備前市閑谷)

    訪問日令和2年10月2日特別史跡旧閑谷(しずたに)学校その2公門(重要文化財)藩主臨学の際に使用した門で御成門ともいう左から「飲室」「習芸斎」飲室(重要文化財)教師と生徒たちが、湯茶を喫した休憩室中央の炉のふちには「斯爐中炭火之外不許薪火」と彫り込まれており、火の使用に厳重な注意がはらわれていた習芸斎(重要文化財)農民たちも学んだ、教室として使われた施設毎月三と八の付く日は「五経」と「小学」朔日(ついたち)には農民も聴講することができる「朱文公学規」の講釈が行われた女子中学生が修学旅行で訪れていた遠くから様子を見ていたがTPOをわきまえる行動には感心した石塀(重要文化財)かまぼこ型の石塀は、石と石との隙間を無くしているため土が入らず雑草がはえない工夫がされている女子中学生が講義を受けるため講堂に移動している資料...旧閑谷学校その2(岡山県備前市閑谷)

  • 旧 閑谷学校 その1(岡山県備前市閑谷)

    訪問日令和2年10月2日特別史跡旧閑谷(しずたに)学校その1歴史など詳細は分かってはいないが、一度訪れてみたいと思っていた車から気になる案内板が目に入ってきたので止めて確認した旧閑谷学校石門石門は18世紀初めの建築で、主要施設から約1km離れた所にある現在は1m余りしか見えていないが、江戸時代には約3.3mの高さであった主要施設にある駐車場についた「案内板」は文字数が多くその場ではあまり読む気にならない「手水舎」この門から入り右手に受付所がある門の正面奥に見えているのは「閑谷神社」受付の方のアドバイスで最初に資料館で知識を身につけた方がいいとのこと講堂と小斎石塀と石垣の間を通り資料館へ向かう閑谷学校資料館(登録有形文化財)「薇山西先生顕彰碑」閑谷学校校長を20年あまりつとめて岡山県の文教に貢献した館内の様子講堂...旧閑谷学校その1(岡山県備前市閑谷)

  • 神遊山 神宮寺 遍照院(岡山県倉敷市西阿知町)

    訪問日令和2年10月1日神遊山神宮寺遍照院倉敷市内にある寺院で狭い生活道路などを抜けて駐車場についたこの寺院を訪れた目的は重文の三重塔山門「真言宗御室派別格本山遍照院」と記されている三重塔(重要文化財)駐車場の目の前に三重塔があり何故か万国旗がたなびいている塔の前は併設している幼稚園のグラウンドになっているので何かの行事があるのだろう三重塔は開山智空上人が寛和元年(985年)に創立後、応永23年(1416年)に智海僧正が再建したものである建物は和様形式を主体とした方三間(=四方三間)本瓦葺きで屋根の相輪は青銅製柱は総て円柱、高さは22.25m内陣の須弥壇上には、本尊として金剛界の大日如来を祀るこの塔は、大正14年に国宝に指定、制度の改正に伴い、昭和25年に重要文化財に指定された「忠魂碑」満州事変・日支事変・大東...神遊山神宮寺遍照院(岡山県倉敷市西阿知町)

  • 井山 宝福禅寺(岡山県総社市井尻野)

    訪問日令和2年10月1日井山宝福禅寺初めて訪れる寺で目的は重文の三重塔。ナビの案内により第1駐車場に到着境内配置図で塔の位置を確認する訪問日から投稿日まで3ヶ月以上もあり、この配置図は後に投稿するときの参考になる三重塔(重要文化財)最初に目に入ってきたのはこの寺を訪れた目的の三重塔天気にも恵まれたこのまま進むと山門が最後になってしまうので、訪れた順とは異なるが山門から紹介していきたい山門(登録有形文化財)寺号標には「寶福禪寺」第2駐車場に駐めると参拝順序としては流れがいい現存する伽藍は東面し、山門・仏殿・三重塔を一直線に配し仏殿の北方に庫裏・方丈を配している山門の先に見えるのが「仏殿」山門の後ろ姿仏殿(登録有形文化財)私の他にもう一人の参拝者がいた案内板本尊:虚空蔵菩薩知恵の菩薩として、人々に知恵を授けるともい...井山宝福禅寺(岡山県総社市井尻野)

  • 日照山 国分寺<備中国分寺跡>(岡山県総社市上林)

    訪問日令和2年10月1日日照山国分寺<備中国分寺跡>五重塔(重要文化財)備中国分寺に重文の五重塔があることを知り車を走らせた五重塔の姿がかなり遠くから運転席からも目視できる嬉しすぎて我を見失い、そこが遊歩道だとも知らずに五重塔に向かって車で走ってしまった多くの人に迷惑をかけてしまった。道路を挟んで反対側に大きな駐車場がある気を取り直して出発。私の前を歩いていた女性が花の中から写真を撮っていた私にはこのような感性はなく、とても参考になった岡山県内唯一の五重塔南北朝時代に奈良時代の七重塔(推定高さ50m)を焼失したのち、1821年(文政4年)に位置を変えて再建弘化元年(1844年)ごろに完成、高さは34.32mこの塔は、屋根の上層と下層がほぼ同じ大きさの細長い造りで相輪も短い当初は三重塔で計画されたのを五重塔に変更...日照山国分寺<備中国分寺跡>(岡山県総社市上林)

  • 吉備津神社(岡山県岡山市北区吉備津)

    訪問日令和2年10月1日吉備津神社備中国一宮。平日の早い時間にもかかわらず駐車場は混み合っていた社号標旧社格は官幣中社社号標は「五・一五事件」で暗殺された、内閣総理大臣(第29代)犬養毅書「話せば分かる」は有名な文句写真では緩やかな階段に見えるが結構きつい上から見るとこのようになっている北随神門(重要文化財)北随神門は北の参道に位置し、室町中期天文11年(1542年)に再建された単層入母屋造檜皮葺。神社正面からの参道途中に建てられているさらに階段が続く上から見ると急階段参拝者が並んでいたので近くにあった「奉納額」を撮る拝殿(国宝)階段を上りきったところに拝殿がある本殿・拝殿合わせて1棟として国宝に指定されている神馬廻廊(岡山県指定文化財)天正7年(1579年)再建、全長360m自然の地形そのままに一直線に建てら...吉備津神社(岡山県岡山市北区吉備津)

  • 栃社山 誕生寺(岡山県久米郡久米南町誕生寺里方)

    訪問日令和2年9月30日栃社山(とちこそさん)誕生寺山門(重要文化財)正徳5年(1716年)建造筋塀は安政4年(1857年)伏見宮家より寄進されたもの誕生寺という寺の名に以前から興味を持っていたが、この説明文を読んで納得した公孫樹(岡山県天然記念物)久安3年(1147年)15歳の勢至丸(法然上人)は比叡山に旅立つ際、杖とされた銀杏の枝をこの地にさした根が上に伸び「逆木の公孫樹(いちょう)」ともいわれている宝物館「阿弥陀如来像」や安土法論の拝領品である「太閤釜」など数点の宝物が展示されている阿弥陀堂実心大徳によって元禄年間(1688~1704年)に建立現在の阿弥陀堂(瑞應殿)は平成15年(2003年)に再建された御影堂(重要文化財)坂東武者・熊谷直実は法然の弟子となり出家し法力房蓮生と名乗った蓮生は建久4年(11...栃社山誕生寺(岡山県久米郡久米南町誕生寺里方)

  • 岩間山 本山寺(岡山県久米郡美咲町定宗)

    訪問日令和2年9月30日岩間山本山寺仁王門(岡山県指定文化財)貞享3年(1686年)建造、檜皮葺扁額には山号の「岩間山」仁王像仁王門の奥まった場所に安置されている寺侍長屋(岡山県指定文化財)殿様が馬に乗って登られるよう広い階段になっているそうで、馬階段ともいう弘化2年(1845年)建造城郭のような石垣上にあり、門は石垣に囲まれた埋門(うずみもん)となっている観光寺院でないため案内はここだけ雰囲気のいい参道を進む聖天堂本堂の後ろ姿が見えてくる山王堂石仏手水舎本堂(重要文化財)南北朝時代の正平5年/観応元年(1350年)創建、檜皮葺大宝元年(701年)佐伯有頼(後の頼観上人)によって現在地より南方の山頂に創建され「新山寺」と名付けられた創建より約50年後に、唐の高僧「鑑真和上」により現在の「本山寺」に改められたとさ...岩間山本山寺(岡山県久米郡美咲町定宗)

  • 2020 砂の美術館(鳥取県鳥取市福部町湯山)

    訪問日令和2年9月30日砂の美術館「砂で世界旅行・チェコ&スロバキア編」その1*紹介文は配付資料から引用総合プロデューサー:茶圓勝彦世界10カ国17名の砂像彫刻家この美術館を訪れるのが旅の目的の一つになっている現在は今回紹介する砂像は既に壊されていて、新しい砂像つくりの準備に入っている作品01「チェスキー・クルムロフ」制作者:ケビン・クロフォード/オーストラリア展示室に入ると最初に目に入ってきたのがこの砂像だチェスキー・クルムロフは、チェコ・南ボヘミア州の小さな都市モルダウ川(ヴルタヴァ川)に囲まれた世界遺産の街「世界で一番美しい街」と評されている作品02「ボヘミアン・パラダイス」制作者:セザンヌ・ルセラ/オランダ風化や浸食により独特の地形に削られた奇岩の景勝地ボヘミアン・パラダイス広大な自然の中に人々の営みが...2020砂の美術館(鳥取県鳥取市福部町湯山)

  • 2020 砂の美術館 最終回(鳥取県鳥取市福部町湯山)

    訪問日令和2年9月30日砂の美術館「砂で世界旅行・チェコ&スロバキア編」最終回*紹介文は配付資料から引用作品13「中欧の野生動物」制作者:ダン・ベルチャー/アメリカ中央ヨーロッパには広大な自然が広がり、国立公園に指定され沢山の動物が生息している作品14「プラハ窓外投擲事件」制作者:メイネイジ・ビュリガード/カナダプラハでは窓から人を投げ落とすという奇異な事件が度々起きているこの窓外投擲事件はカトリックによる弾圧に対するプロテスタントの抗議活動として行われた1618年の2回目の事件はヨーロッパ全土を巻き込んだ30年戦争のきっかけとして有名作品15「文学フランツ・カフカ」制作者:ヤコブ・ジマチェク/チェコチェコ出身の小説家フランツ・カフカユダヤ人の家庭に生まれ、会社に勤めながら小説を執筆した代表作の「変身」「審判」...2020砂の美術館最終回(鳥取県鳥取市福部町湯山)

  • 2020 砂の美術館 その3(鳥取県鳥取市福部町湯山)

    訪問日令和2年9月30日砂の美術館「砂で世界旅行・チェコ&スロバキア編」その3*紹介文は配付資料から引用コロナの影響で入館者が少ない時にしか撮れない写真正面奥にはいつも大規模な砂像2つが配置されている作品09「カレル橋とヴァルタヴァ川の風景」制作者:ディビット・ドウシャーム/カナダ制作者:スー・マクグリュー/アメリカプラハ城と旧市街地を結ぶ世界遺産のカレル橋現在のプラハの基礎を創ったカレル1世の命令で14世紀に建造された左右の欄干には聖ヤン・ネポムツキーやフランシスコ・ザビエルなど30体のキリスト教の聖人像が並んでいる橋が架けられているヴルタヴァ川はチェコ人にとって馴染みの深い川チェコ出身の音楽家スメタナも交響詩「我が祖国(モルダウ)」の中にテーマとして取り上げた作品10「プラハ城」制作者:レオナルド・ウゴリニ...2020砂の美術館その3(鳥取県鳥取市福部町湯山)

  • 2020 砂の美術館 その2(鳥取県鳥取市福部町湯山)

    訪問日令和2年9月30日砂の美術館「砂で世界旅行・チェコ&スロバキア編」その2*紹介文は配付資料から引用作品05「天文時計とセドレツ納骨堂」制作者:トーマス・クォート/アメリカ作品01「チェスキー・クルムロフ」の裏面にある作品15世紀に完成したプラハ旧市街にある時計塔上部には太陽や月の位置、時刻を示す天文図文字盤、下部には星座と農村における四季の作業分かる暦盤が作られている時計盤の左右や上部にキリスト教の聖人や人間の大罪を擬人化した彫像が置かれたこの天文時計はプラハの名物となっているチェコには人骨を装飾に使用している協会がいくつかある大きな砂の塊の表面と裏面に2つの作品が制作されている作品06「ヤン・フスと火刑」制作者:マリエレ・ヒーセルス/オランダチェコの宗教改革者ヤン・フス彼は教会が政治においても絶対的な権...2020砂の美術館その2(鳥取県鳥取市福部町湯山)

  • 2020 砂の美術館 その1(鳥取県鳥取市福部町湯山)

    訪問日令和2年9月30日砂の美術館「砂で世界旅行・チェコ&スロバキア編」その1*紹介文は配付資料から引用総合プロデューサー:茶圓勝彦世界10カ国17名の砂像彫刻家この美術館を訪れるのが旅の目的の一つになっている現在は今回紹介する砂像は既に壊されていて、新しい砂像つくりの準備に入っている作品01「チェスキー・クルムロフ」制作者:ケビン・クロフォード/オーストラリア展示室に入ると最初に目に入ってきたのがこの砂像だチェスキー・クルムロフは、チェコ・南ボヘミア州の小さな都市モルダウ川(ヴルタヴァ川)に囲まれた世界遺産の街「世界で一番美しい街」と評されている作品02「ボヘミアン・パラダイス」制作者:セザンヌ・ルセラ/オランダ風化や浸食により独特の地形に削られた奇岩の景勝地ボヘミアン・パラダイス広大な自然の中に人々の営みが...2020砂の美術館その1(鳥取県鳥取市福部町湯山)

  • 豊受大神社 元伊勢外宮(京都府福知山市大江町天田内字東平)

    訪問日令和2年9月29日豊受大神社(元伊勢外宮)皇大神社(元伊勢内宮)に続き「元伊勢外宮」を訪れた元伊勢伝承地の一つで、豊受大神宮(伊勢神宮外宮)の元宮である目の前の急な階段を見て躊躇したが、神様が与えた試練だと思い上った「参拝順路」を参考に参拝する①手水舎黒木鳥居日本最古の鳥居形式(樹皮のついた丸太材)神楽殿「龍のつくりもの」は、ワラやススキなどを使って、空を泳ぐ迫力ある姿に仕上げている「龍燈まつり」は、強い風雨で落下した神社本殿屋根のふき替え完成を記念して開催した②本宮拝殿拝殿内部本殿主祭神:豊受姫命-伊勢の豊受大神宮(外宮)祭神衣食住を始め広く産業の守護神とされている桁行3間梁間2間の神明造茅葺。外削ぎの千木を持ち、棟に鰹木を置く現在の本殿は明治7年(1874年)の造替境内社殿左に「多賀宮」、右に「土宮」...豊受大神社元伊勢外宮(京都府福知山市大江町天田内字東平)

  • 皇大神社 元伊勢内宮(京都府福知山市大江町内宮字宮山)

    訪問日令和2年9月29日皇大神社元伊勢内宮伝承によれば、第10代崇神天皇39年(紀元前59年)に、「別に大宮地を求めて鎮め祭れ」との皇大神の教えに従い鎮座地を求めて各地を転々とした垂仁天皇26年(紀元前4年)に、伊勢の五十鈴川上の聖地(今の伊勢神宮)にお鎮まりになった鳥居それまでの間に訪れた一時遷座地は、各地で「元伊勢」として語り継がれた最初に但波(丹波)へお遷りなり、その由緒により皇大神社が創建されたと伝えられている先の見えない長い階段が続く途中、スマホで確認したところ、表参道は300m、220段の石段が続くとある麻呂子杉聖徳太子の弟麻呂子親王が、3人の凶賊を追討された時に、当社に詣でて御手植えになった杉といわれている樹齢千年以上と伝える古木で参道に聳え立っている御門神社奇岩窓神(くしいわまどのかみ)・豊岩窓...皇大神社元伊勢内宮(京都府福知山市大江町内宮字宮山)

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