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  • 二上山 當麻寺(奈良県葛城市當麻)

    訪問日令和2年9月24日二上山當麻寺(たいまでら)今回が二度目の参拝になる。車中泊していた道の駅から近いこともあり立ち寄ることにした国宝の三重塔が2基(東塔・西塔)ある、唯一の寺としても知られる「仁王門<東大門>(奈良県指定文化財)」「仁王像」當麻寺由緒境内図梵鐘(国宝)日本最古級の梵鐘で、當麻寺創建当時の遺物と推定在銘で国内最古の妙心寺鐘(698年)よりも古い日本最古の梵鐘として知られている「日本最古」と「国宝」の案内がなければ通りすぎてしまうほど目立たない「中之坊」當麻寺最古の塔頭で、熊野権現が現れた場所に役行者が道場として開いたもとは「中院」とよばれ、中将姫の師である實雅や、弘法大師の弟子の實弁などの高僧が住房とした中将姫剃髪の地と伝承されている参道左手に国宝の東塔が見える本堂<曼荼羅堂>(国宝)参道の左...二上山當麻寺(奈良県葛城市當麻)

  • 鳥形山 飛鳥寺(奈良県高市郡明日香村飛鳥)

    訪問日令和2年9月23日鳥形山飛鳥寺先に訪れた岡寺からは10分程度と聞いたので歩いて移動することにした途中、方向音痴であることと歩幅が短いことに気付き30分以上もかかってしまった疲れ気味で到着、水分補給をしつつ休憩フランケンシュタインのような飛鳥大仏の姿が無性に見たくなる「飛鳥大佛標石」寛政4年(1792年)飛鳥寺参拝の道しるべとして彫刻された文字「山門」今回が4回目の参拝になる。前回は女子高校の修学旅行生で賑わっていたが、今は静かだ最近になって飛鳥大仏の撮影ができることを知ったため受付でその確認をする今回、明日香村を訪れたのはこの仏像を撮りたいと思ったからだ銅造釈迦如来坐像(重要文化財)「日本最古の仏像」であることは、よく知られている推古天皇17年(609年)に鞍作鳥(止利仏師)によって、高さ3mで、当時銅1...鳥形山飛鳥寺(奈良県高市郡明日香村飛鳥)

  • 東光山 岡寺<龍蓋寺>(奈良県高市郡明日香村岡)

    訪問日令和2年9月23日東光山岡寺<龍蓋寺>岡寺周辺には何度か訪れているのに何故か縁のない寺であった岡寺駐車場に車を駐め、係の女性に寺の場所を聞いたしばらく歩くと山門らしきものが見えてきた受付所で拝観料を納める仁王門(重要文化財)慶長17年(1612)建立明日香村において建造物で唯一、重要文化財に指定されているのは、岡寺のこの仁王門と書院だけ扁額には寺号の「龍蓋寺(りゅうがいじ)」「岡寺」「龍蓋寺」の2つの寺号がある「岡寺」は地名に由来する寺号、「龍蓋寺」は建立当初の正式名「仁王像」金網が障害となり片方のみ「手水舎」コロナ禍で使用できない寺社も多い手水鉢には花がいっぱい浮かんでいて心が和む「歌碑」君が目に永遠に消ざらむふるさとのあすかの岡の夕日の月<利文>初めての寺では散策がてら周囲を記録していく境内図によると...東光山岡寺<龍蓋寺>(奈良県高市郡明日香村岡)

  • キトラ古墳(奈良県高市郡明日香村)

    訪問日令和2年9月23日キトラ古墳LINE仲間(悪巧みの会)に高松塚古墳にいると知らせると「キトラは…」という返信があったキトラ古墳はこの日の予定になかったが、今後の(酒を飲むという)付き合いのために行かねばならぬと思ったキトラ古墳壁画体験館四神の館キトラ古墳に行くにはこの施設内を通らなければならない漫画家里中満智子さんはNHKの歴史番組ではよく顔をみる初めて訪れる場所で勝手が分からず受付所に行く。親切な女性が対応してくれ明日香村の資料もどうぞと渡された展示室も無料と聞いて気持ちが動いた。昔から親切な女性と無料と言う言葉には弱い展示内容について紹介していくキトラ古墳とはキトラ古墳の断面石室全体正面左側面右側面獣頭人身十二支像四神像石室天文図「キトラ」という名前の由来高松塚古墳とキトラ古墳の比較を繰り返し大型テレ...キトラ古墳(奈良県高市郡明日香村)

  • 高松塚古墳・鬼の雪隠・猿石・酒船石(奈良県高市郡明日香村)

    訪問日令和2年9月23日特別史跡高松塚古墳学生時代に極彩色の壁画が発見されたことを鮮明に覚えている世紀の発見と報道されていたため、いつか見てみたいと思っていた46歳の頃だと思うが三重県に出張になり、空いた時間を利用して訪れたのが最初だ飛鳥駅に着いたのが閉館30分前ミッション・イン・ポッシブルのトムクルーズのように走り高松塚古墳を目指した15分前に現在の壁画館に到着、石棺の中の「女子群像」を見た時には心底感動した(本物と思っていた)数分後、何か変だと思い係の人に尋ねると古墳は外にあると教えてくれたこんもりと盛り上がった所が古墳で、その時はブルーシートで全体が覆われていたその後は退職した年に訪れ、今回が3回目になる今は遊歩道もでき、近くから見ることができるようになったこの場に立つと、初めて訪れた時のことを思い出すこ...高松塚古墳・鬼の雪隠・猿石・酒船石(奈良県高市郡明日香村)

  • 霊禅山 久米寺(奈良県橿原市久米町)

    訪問日令和2年9月22日霊禅山久米寺LINE仲間に「橿原神宮・神武天皇陵」にいると伝えると、近くに久米寺という、いい寺があると連絡がきた心身とも疲れていたが、今後の付き合い(笑)もあるので行くことにした橿原神宮からすぐ近くあるはずだが方向音痴のため30分も要してやっとたどり着いた「山門」別格本山霊禅山久米寺とある「虫塚」初めての寺院は歩いた順に撮っていくようにしている五体の石仏金ピカの仏像は「大日如来」「観音堂」「本堂」この日、この寺が5つ目の訪問地となり、疲労で立っているのが辛くなり、しばし休憩をとる「久米仙人像」吉野・龍門寺の久米仙人は仙術で空を飛べるようになった空を飛んでいる時、川で洗濯をしている女のふくらはぎに見とれて法力を失い、地上に落ちてしまった久米仙人はその女とめでたく結婚。その後は普通の俗人とし...霊禅山久米寺(奈良県橿原市久米町)

  • 神武天皇 畝傍山東北陵(奈良県橿原市大久保町)

    訪問日令和2年9月22日神武天皇畝傍山東北陵(うねびやまのうしとらのすみのみささぎ)橿原神宮から1.2kmの距離を徒歩にて移動この日の4カ所目の訪問地である「神武天皇陵」入り口付近に着いたこれまでかなりの距離を歩き、疲れ気味の肥満老人には玉砂利の参道は辛い今回が二度目の参拝で、先は見えないがおおよその距離感はある遠くに鳥居が見えてきた神橋をこえると間もなく到着する「手水鉢」「鳥居」正面に参拝者がいたので待つことにする現在神武天皇の史学的立ち位置は「神武天皇の史的実在は、これを確認することも困難であるが、これを否認することも、より以上に困難なのである」であるとされる三つの鳥居がある一般参拝者は一つ目の鳥居の前から、その先は入ることはできない令和元年11月、天皇皇后両陛下は「即位の礼」「大嘗祭」を終えられたことを報...神武天皇畝傍山東北陵(奈良県橿原市大久保町)

  • 橿原神宮(奈良県橿原市久米町)

    訪問日令和2年9月22日橿原神宮(かしはらじんぐう)二度目の参拝になる。印象に残っている神社なので参拝順序は頭に入っている「第一鳥居」橿原神宮の鳥居は南参道(表参道)に二基、北・西参道に各一基の計四基ある鳥居の形状は「明神鳥居」高さ9.77m、幅約7.5m「第二鳥居」高さ10.51m、幅約8.1m手前には「神橋」手前を横切る宮川を渡る反り橋として架かっている「南手水舎」「南神門」第一鳥居から南神門までの距離は300m程ある素木建の八脚門で屋根は切妻造の銅板葺参集所・受付所と続く「神楽殿」本殿とともに安政2年に建造された元京都御所の神嘉殿で、明治23年当神宮創建の際、明治天皇から下賜されたもの火災により消失し、現在の建物は平成8年6月に竣工された外拝殿が見えてくる「外拝殿(げはいでん)」畝傍山を背景に、両脇に長い...橿原神宮(奈良県橿原市久米町)

  • 壺阪山 南法華寺<壺阪寺>その2(奈良県高市郡高取町壺阪)

    訪問日令和2年9月22日壺阪山南法華寺<通称:壺阪寺>その2三重塔(重要文化財)塔の姿は遠くから見えてはいたが、重文に指定されているとは知らなかった室町時代の明応6年(1497年)再建礼堂(重要文化財)本尊を礼拝するために建てられたお堂で、創建当初から、建てられていたと伝わっている昭和解体修理時に室町時代の「禮堂」の姿が判明し、お堂の大きさ等を室町時代に戻して、建てられている参拝者入り口はお堂の横にある「普照堂」と読めるが確かではない扁額には寺号の「南法華寺」壺阪寺は通称「不動明王立像」鎌倉時代13世紀「開山弁基上人像」伝承によれば大宝3年(703年)に元興寺の弁基上人により開かれた「本尊:十一面千手観世音菩薩坐像」室町時代の樫材の寄せ木造り「眼の佛」として広く信仰を蒐めている四十の慈手をひろげ、その一手に二十...壺阪山南法華寺<壺阪寺>その2(奈良県高市郡高取町壺阪)

  • 壺阪山 南法華寺<壺阪寺>その1(奈良県高市郡高取町壺阪)

    訪問日令和2年9月22日壺阪山南法華寺<通称:壺阪寺>その1この寺も道路地図を見て選んだ。初めて訪れる寺で予備知識もない駐車場は2つあり、運良く寺に近い場所に駐める事ができた受付を済まし境内に入る壷阪寺は昔から眼の不自由な人々にとっての聖地として知られている昭和36年日本で最初の「養護盲老人ホーム慈母園」が誕生した個性ある石仏が置かれている「大講堂」堂内に入る。500人以上収容できるという「弘法大師像」「薬師如来坐像」堂外に出る「仁王門」建暦2年(1212年)建立「仁王像」「多宝塔」平成14年4月落慶本尊:大日如来(平安時代)灌頂堂平成17年4月落慶堂内の様子本尊:十一面千手観音菩薩(室町時代)豊臣秀長公像・本多俊政公像安置(安土・桃山時代)十一面千手観音菩薩(室町時代)「手水舎」「大石仏群」天竺渡来大釈迦如来...壺阪山南法華寺<壺阪寺>その1(奈良県高市郡高取町壺阪)

  • 学晶山 榮山寺(奈良県五條市小島町)

    訪問日令和2年9月22日学晶山榮山寺道路地図を眺めずっと気になっていた寺である開門の1時間前に到着。狭い駐車場で車内の整理をしながら待っていた受付所には10分前に、開門の時間になっても人の気配がない……梵鐘(国宝)いきなり国宝の梵鐘の収蔵庫が目の前に、残念ながら梵鐘は見えない京都の神護寺、宇治の平等院の鐘と共に「平安三絶の鐘」として知られている七重石塔(重要文化財)塔之堂<大日堂>(重要文化財)大日如来像を安置扉の中央にレンズが入る程の空間がある堂内の様子少し歩くと本堂らしき建物が見えてくる本堂<薬師堂>(重要文化財)養老3年(719年)に藤原不比等の長男藤原武智麻呂が菩提寺として創建したと伝えられる天文22年(1553年)の再建山号「學晶山」の扁額堂内の拝観はできなかった本尊の木造薬師如来坐像(重文)、脇侍の...学晶山榮山寺(奈良県五條市小島町)

  • 一乗山 大伝法院 根来寺(和歌山県岩出市根来)

    訪問日令和2年9月21日一乗山大伝法院根来寺秋の旅では重文の多宝塔を持つ寺をいくつか回ってきた根来寺はこれまで拝観した多宝塔のなかでは一番大きく、全国に6基ある国宝の多宝塔の一つでもある大門(重要文化財)根来寺の参拝は二度目になるが、この「大門(仁王門)」の存在は知らなかった道の駅「ねごろ歴史の丘」の敷地内に「ねごろ歴史資料館」があり、その資料により存在を知ったこの日は日差しが強く正面からは逆光で撮れず、木陰からねらう根來一山の総門で嘉永3年(1850年)に再建、左右に仁王像を配している「仁王像」上層には釈迦三尊と十六羅漢像が安置されている高さ16.88m横幅17.63m奥行6m大門横にある「不動明王」大門駐車場から不動堂近くの駐車場へ移動する「新義真言宗総本山根来寺」の石柱前回訪れた時はこの門は閉ざされていた...一乗山大伝法院根来寺(和歌山県岩出市根来)

  • 旧和歌山県会議事堂(和歌山県岩出市根来)

    訪問日令和2年9月21日旧和歌山県会議事堂(重要文化財)和歌山城の東側に明治31年(1898)に建設された和歌山県会(現県議会)の議事堂道の駅「ねごろ歴史の丘」の近くに移築復元された現存する唯一の和風意匠の府県会議事堂で、平成29年に国の重要文化財に指定された車寄せ正面車寄せには華麗な彫刻が施され県会議事堂の正面玄関を引き締めている写真上兎の毛通し「鳳凰」中央笈形「波」下蟇股「雲」これら彫刻群は棟札にある彫工「大窪嘉輔」の手になるものとみられる議場間口18m奥行23m高さ6m正面奥に唐破風付き「床の間」唐破風付き「床の間」上部には唐破風が設けられ、鬼板をはじめ、鶴や亀をあしらった彫刻で飾る写真上「鬼板」中央笈形「亀」下蟇股「鶴」中央笈形「亀」下蟇股「鶴」を拡大「議場の天井」中央部を折上格天井、周囲を鏡天井とした...旧和歌山県会議事堂(和歌山県岩出市根来)

  • 紀州東照宮(和歌山県和歌山市和歌浦西)

    訪問日令和2年9月20日紀州東照宮徳川御三家の一つである紀州にある「東照宮」ということでかなり期待してきた駐車場(300円)を利用した参拝者は拝観料が無料になる「鳥居」扁額には「東照宮」と書かれている「境内案内図」数ヶ月後、ブログを作成する時に、この境内図が大変役に立つ初めて訪れる場所なので周囲を眺めながら参道を歩く木々に囲まれ爽快な気分になり、自然大きく息を吸い込んでしまう先に鳥居が見えてくるさらに先に進むと石段が見えてくる「侍坂」約400年前紀州藩祖徳川頼宣が指揮をとり、石組などは「士分」以上のものに運ばせたこれは源頼朝の鶴岡八幡宮造営の古例にならったもの毎年5月の「和歌祭」では、御輿をかついだ男衆が108段の階段(侍坂)を勇壮に練り下りる(神輿おろし)上から見るとこのような感じだ若い頃は煩悩などなくスイス...紀州東照宮(和歌山県和歌山市和歌浦西)

  • 宝遊山 善福院 釈迦堂(和歌山県海南市下津町梅田)

    訪問日令和2年9月20日宝遊山善福院釈迦堂国宝の釈迦堂があるということで訪れた初めての場所には駐車場探しにいつも苦労する。カーナビが案内したのはいつもの狭い道目的地が近くなった時に案内された場所をみるとそこは階段だった(笑)善福院釈迦堂(国宝)善福院は健保2年(1214年)栄西禅師によって創設されたといわれる「広福寺五ヶ院」の一つである広福禅寺は古くは七堂伽藍を備えていたといわれたが、加茂氏の没落にともない荒廃したその後、高野山に頼り真言宗に転宗し伽藍を修復し、更に紀州藩となってからは天台宗になった釈迦堂は広福禅寺の本堂で「釈迦如来(和歌山県指定文化財)」は広福禅寺の本尊であった明治に入り山内全ての管理を子院であった善福院が管理。それ以後「善福院」と呼ぶようになった釈迦堂の前で写真を撮っていると、お堂の内部を拝...宝遊山善福院釈迦堂(和歌山県海南市下津町梅田)

  • 慶徳山 長保寺(和歌山県海南市下津町)

    訪問日令和元年9月20日慶徳山長保寺(ちょうほうじ)一条天皇の勅願によって、円仁(慈覚大師)の弟子である性空が創建長保2年(1000年)だったことから年号より「長保寺」と名付けた一条天皇には二人の皇后がいた定子皇后-お付きの女官が「枕草子」を書いた清少納言彰子皇后-お付きの女官が「源氏物語」を書いた紫式部大門(国宝)南北朝時代の嘉慶2年(1388年)の建築三間一戸楼門、入母屋造、本瓦葺扁額(国宝)は「妙法院堯仁親王」筆「木造金剛力士立像(和歌山県指定文化財)」弘安8年(1285年)作「境内図」己を忘れて他を利するは慈悲の極みなり緑のトンネルの参道を歩く「元三大師堂」現在は天台宗の寺院宗派は、当初天台宗であったと思われるが、後に「法相宗」「真言宗」に改宗し、紀州徳川家の菩提寺となってから天台宗に復した5年前になる...慶徳山長保寺(和歌山県海南市下津町)

  • 醫王山 浄妙寺(和歌山県有田市宮崎町)

    訪問日令和2年9月19日醫王山浄妙寺大好物のみかんで有名な有田市に移動。重文の多宝塔を持つ「浄妙寺」を目指すナビの案内する道路では狭くて通る事ができず、500m程離れたコンビニに駐め徒歩にて移動寺の近くまで来ると小さな文字で駐車場の案内があり、また車の場所に戻る多宝塔(重要文化財)汗だくになりながら駐車場の階段を上ると左手に「多宝塔」が見えてきた「何と美しい多宝塔だろう」が第一印象いつもと同じように一番美しく見える場所を探すため歩き出す時には木の中の隙間から撮ることもある塔の相輪を必ず入れるというのが私のこだわっているところだ薬師堂(重要文化財)大同元年(806年)平城天皇の御母「乙牟漏(おとむろ)皇太后」の勅願により創建開山は唐招提寺第四世の如宝律師本尊:木造薬師如来と脇侍(日光・月光両菩薩)が重文に指定この...醫王山浄妙寺(和歌山県有田市宮崎町)

  • 天音山 道成寺(和歌山県日高郡日高川町鐘巻)

    訪問日令和2年9月19日天音山道成寺和歌山県に入ると道成寺に足が向く「安珍清姫」の絵巻物を見せながらの絵説き説法は何度聞いても面白い仁王門(重要文化財)元禄4年(1691)建立昔能楽「道成寺」の乱拍子を生んだとされる62段の石段と仁王門「天音山道成寺」の扁額「仁王像」「本堂(重文)」本堂と、その中央に祀られている千手観音と、仁王門の開口部、石段、参道が一直線に配置されている「千手観音」千手観音は、参道を1300年近く見つめてきたことになる「謡曲と道成寺」「鐘巻之跡」「十王堂」「二代目鐘楼跡」道成寺といえば釣鐘で有名であるが、釣鐘がない寺としても有名羽柴秀吉軍の全山焼き討ちに遭い、梵鐘は仙石秀久に奪い取られて京都の妙満寺に安置されている「安珍塚」安珍と釣鐘を葬った場所「三重塔(和歌山県指定文化財)」塔は大好きだが...天音山道成寺(和歌山県日高郡日高川町鐘巻)

  • 千畳敷 (和歌山県西牟婁郡白浜町)

    訪問日令和2年9月19日名勝千畳敷「三段壁」から数分の場所にある土曜日ということもあり、家族連れやカップルなどの姿も多い南紀白浜の「千畳敷」は、その名の通り岩の畳を千枚敷いたような大きな岩盤を指す新第三紀層の砂岩からなる、太平洋に面したスロープ状の岩盤である空を見上げると近くの飛行場から旅客機が飛び去っていく足元を見ると変わった形の岩がある砂岩は非常に柔らかいため、打ち寄せる波の浸食を受け、複雑な地形を形成している砂岩は柔らかく、硬貨などで簡単に削れるため落書き被害が多いようだ「都市公園の損壊行為は10万円以下の罰金」との注意を促す看板があった観光客の多くは波打ち際に向かって歩いて行ったり、高い岩の上を上ったりしている釣り人の姿も大物が潜んでいるような感じがする白波が千畳敷にぶつかって、水しぶきを上げる様子も美...千畳敷(和歌山県西牟婁郡白浜町)

  • 三段壁(和歌山県西牟婁郡白浜町三段)

    訪問日令和2年9月19日名勝三段壁(さんだんべき)魚の群れ(鯨との説もある)を見つけるための監視場(見段・みだん)が転じて三段壁と呼ばれる様になった長さ2km、高さ50m-60mに及ぶ柱状節理の大岩壁で、断崖絶壁の名勝として知られている1950年許されぬ結婚と病苦から岩に「白浜の海は、今日も荒れてゐる」と口紅で書き遺し、若い男女が青い海に身を投じた「口紅の碑」は二人の思いが成就するようにと、友人が翌年同日に岩に刻みこんだといわれている2016年4月には、プロポーズにふさわしいロマンチックな場所として「恋人の聖地」に認定されている平安時代、源平合戦で知られる熊野水軍が船を隠したという伝説が残る洞窟の入口「観る価値はある?」と尋ねると返答に困った様子。受付に行くと入場料が何と1,300円と高い受付が女性でなかったら...三段壁(和歌山県西牟婁郡白浜町三段)

  • 潮岬灯台・トルコ軍艦遭難慰霊碑他(和歌山県)

    訪問日令和2年9月18日潮岬灯台(和歌山県東牟婁郡串本町潮岬)数カ所の灯台巡りをしているが、駐車料金と入場料(参観寄付金)を請求されたのは初めてである明治6年の初点灯以来、100余年もの間、海上交通の要所として沖行く船を照らし続ける30mの断崖に建つ白亜の灯台幕末の慶応2年(1866年)米・英・仏・蘭の4か国と結んだ「改税条約(江戸条約)」によって建設することを約束した8か所の灯台の1つ他の7カ所は観音埼、野島埼、樫野埼、神子元島、剱埼、伊王島、佐多岬この灯台は高さ20mの灯塔まで68段の石造りのらせん階段等を利用して上ることができる最後は狭くて急な梯子を上る灯塔からは、眼下には太平洋の大海原が広がる本州最南端の風景である「痩せなければダメだな」と思うほど下りの階段は狭い「資料展示室」「鳥瞰図」を見て「串本と大...潮岬灯台・トルコ軍艦遭難慰霊碑他(和歌山県)

  • 錦江山 無量寺(和歌山県東牟婁郡串本町串本)

    訪問日令和2年9月18日錦江山無量寺元同僚だが、絵を描く知人(今年度、日展で特選受賞)がいて、その影響もあり美術館などにも足を向けるようになったこの無量寺に「円山応挙」の作品があるということを知り訪れることにした「山門」国道から脇道に入る道路が狭く、更に先に行くほど細くなっていく戻ろうにもバックでは無理で、これほど狭い道を通行したのは初めてだ奇跡的に駐車場にたどり着いたが、頭はかなり混乱していて、帰りのことばかり考えていた山門の札には「紀州串本無量寺」「本堂」虎関禅師の開山による臨済宗東福寺派の別格寺院宝永4年(1707年)10月の宝永地震による大津波で全壊・流失した無量寺の再建の使命を帯びた「愚海和尚」が天明6年(1786)現在の位置に本堂を再建した愚海和尚は京都の東福寺に留錫中、「円山応挙」と親交があった「...錦江山無量寺(和歌山県東牟婁郡串本町串本)

  • 橋杭岩(和歌山県東牟婁郡串本町)

    訪問日令和2年9月18日名勝天然記念物橋杭岩(はしぐいいわ)国道42号を走り赤信号で止まっていると、左手に変わった形の岩が見えた観光で訪れる場所の幅を広げようと考えていたので、立ち寄ることにしたこの道路を通行するのは4回目になる。運転席から見える景色で気になっていた場所があったが……それがここだったとは思わなかった(この日は干潮だったためか)幼い頃から海の近くで生活してきたので潮の香りや波の音は心地よい就職した場所もオホーツク海、太平洋、日本海と海の近くばかりだった本州最南端の道の駅「くしもと橋杭岩」道の駅とは知らずに車を駐めていた利用した道の駅では買い物をするように心がけている「案内板」橋杭岩の成り立ちについて科学的に説明されている「橋杭の立岩伝説」伝説には夢があり面白い昔弘法大師が天の邪鬼と串本から沖合いの...橋杭岩(和歌山県東牟婁郡串本町)

  • 飛瀧神社<那智御瀧>(和歌山県那智勝浦町那智山)

    訪問日令和2年9月18日世界遺産名勝飛瀧神社<那智御瀧>この日も朝から雨模様。雨で濡れるのも滝の飛沫で濡れるのも同じだと思い「那智の滝」を目指す飛瀧神社は「熊野那智大社」の別宮となる「鳥居」額には「熊野那智大社別宮飛瀧神社」案内板遙拝所はこの階段を下りた場所にある「光ケ峯遙拝石」光ケ峯は熊野の神様が降臨したと伝えられる山で那智山熊野信仰の原点となっているこの石は光ケ峯に通じていて遙拝所として重要な場所となっている那智の奥、大雲取連山から流れている流水が大滝となっている全山に那智48滝と呼ばれる数多の滝があり、一番高いのが那智御瀧御祭神は大己貴神(大国主命の異称)那智滝自体が大己貴神が現れた御神体となっている水は那智山信仰の根元であり、古来、延命長寿の信仰が篤い数多の滝修行者や参拝の人々が詣で、今日もこの御瀧の水...飛瀧神社<那智御瀧>(和歌山県那智勝浦町那智山)

  • 熊野山 補陀洛山寺(和歌山県東牟婁郡那智勝浦町大字浜の宮)

    訪問日令和2年9月18日世界遺産熊野山補陀洛山寺(ふだらくさんじ)平成26年に訪れて以来になる当時、興味関心を持っていたことがあり住職に尋ね解説してもらった事を思い出す境内は国の史跡「熊野三山」の一部で、『紀伊山地の霊場と参詣道』の構成資産の一部として世界遺産に登録されている補陀洛山寺は仁徳天皇の治世にインドから熊野の海岸に漂着した裸行上人が開山したという伝承のある古刹堂内に入る扁額には寺号の「補陀洛山寺」中央には、本尊「三貌十一面千手千眼観音(重文)」以前訪れた時に、秘仏ではあるが仏像に興味があると話すと扉を開けて拝観させてくれた堂内には2体の四天王像、あとの2体は盗難に遭ったと聞いた石碑に「補陀洛渡海発祥の地」と小さな文字で刻まれている補陀洛山寺は補陀洛渡海の出発点として知られている補陀洛渡海とは、小さな船...熊野山補陀洛山寺(和歌山県東牟婁郡那智勝浦町大字浜の宮)

  • 熊野山 補陀洛山寺(和歌山県東牟婁郡那智勝浦町大字浜の宮)

    訪問日令和2年9月18日世界遺産熊野山補陀洛山寺(ふだらくさんじ)平成26年に訪れて以来になる当時、興味関心を持っていたことがあり住職に尋ね解説してもらった事を思い出す境内は国の史跡「熊野三山」の一部で、『紀伊山地の霊場と参詣道』の構成資産の一部として世界遺産に登録されている補陀洛山寺は仁徳天皇の治世にインドから熊野の海岸に漂着した裸行上人が開山したという伝承のある古刹堂内に入る扁額には寺号の「補陀洛山寺」中央には、本尊「三貌十一面千手千眼観音(重文)」以前訪れた時に、秘仏ではあるが仏像に興味があると話すと扉を開けて拝観させてくれた堂内には2体の四天王像、あとの2体は盗難に遭ったと聞いた石碑に「補陀洛渡海発祥の地」と小さな文字で刻まれている補陀洛山寺は補陀洛渡海の出発点として知られている補陀洛渡海とは、小さな船...熊野山補陀洛山寺(和歌山県東牟婁郡那智勝浦町大字浜の宮)

  • 熊野速玉大社(和歌山県新宮市新宮)

    訪問日令和2年9月17日世界文化遺産熊野速玉大社道の駅に向かっている途中、道路沿いにある「熊野速玉大社」を思い出し立ち寄ることにした「鳥居」熊野三山のひとつとして、本宮、那智とともに全国に祀る数千社の熊野神社の総本宮熊野信仰の中心として世に名高い古社である神代の頃に、神倉山の磐座であるゴトビキ岩に熊野速玉大神と熊野夫須美大神が降り立ち、祀られることとなった「八咫烏神社・鑰宮手力男神社」「奉八度の記念碑」熊野速玉大社参詣曼荼羅「神宝館」また、雨が強くなってきた「武蔵坊弁慶の像」熊野速玉神社のナギ(天然記念物)社殿の落成において熊野三山造営奉行であった平重盛の手植と伝えられる「大禮殿」「手水社」「神門」扁額には「全国熊野神社総本宮」「参集殿」「拝殿」中央の額には「日本第一大霊験所根本熊野権現拝殿」結霊宮(第一殿)-...熊野速玉大社(和歌山県新宮市新宮)

  • 花窟神社(三重県熊野市有馬町上地)

    訪問日令和2年9月17日前日は四日市で、この日は紀北町で学生時代の朋友と再会した風貌は大きく変わっていても青春時代を過ごした絆の強さを感じた観光の幅を広げようと「鬼ヶ城」という景勝地に向かったが激しい雨で車外には出ることができずに断念世界遺産花窟神社(はなのいわや)紀北町に住む友人の奥様に薦められたのが「花窟神社」駐車場に着いたが、雨脚が強く小雨になるまで車内で待機していた様子を見ていると、参拝者が数分で戻ってくるので不安になる「参道」また、雨が強くなってきたので急いで建物の中に避難する「手水舎」「参籠殿」しばらくここで雨宿り。神社に関する簡単な資料に目を通す「神門」雨宿りをしていた参籠殿から見ても社殿らしきものはない祭神:伊弉冉尊(いざなみのみこと)神々の母である伊弉冉尊が火神・軻遇突智尊(かぐつちのみこと)...花窟神社(三重県熊野市有馬町上地)

  • 伊雜宮(三重県志摩市磯部町上之郷)

    訪問日令和2年9月16日皇大神宮別宮伊雜宮(いざわのみや)創立は約2000年前、第11代垂仁天皇の御代倭姫命が神宮への神饌を奉納する御贄地(みにえどころ)を定めるため、志摩国を巡行された後、伊佐波登美命がこの地に神殿を創建したと伝えられている「手水舎」「忌火屋殿」「祓所」古くから「遙宮(とおのみや)」として崇敬を集め、地元の人々によって海の幸、山の幸の豊饒が祈られてきた毎年6月に行われる「磯部の御神田」の神事は、国の重要無形民俗文化財に登録され、日本三大田植祭の一つとされる「伊雜宮」祭神:天照大御神御魂伊勢神宮別宮14社のうち伊勢国外のものは「伊雑宮(志摩国)」のみ神田を持つ唯一の別宮である10社ある内宮別宮の中で荒祭宮、月讀宮、瀧原宮に次ぐ順位とされる式年遷宮のためのお木曳行事が伊勢神宮に準じ20年に一度行わ...伊雜宮(三重県志摩市磯部町上之郷)

  • 二見興玉神社<夫婦岩>(三重県伊勢市二見町江)

    訪問日令和2年9月16日二見興玉神社<夫婦岩>神宮参拝を終え寺社以外の観光地を巡ろうと「夫婦岩」立ち寄った海岸沿いにある無料観光駐車場に運良く駐めることができた「社号標」「二見興玉神社(ふたみおきたまじんじゃ)」と彫られた社号標「何故神社なの」と思考の整理ができずにいた先には鳥居も見える「由緒」を読んで、恥ずかしながら夫婦岩と神社の関係を知る古くより神宮参拝の前に二見浦の海水で心身を清める禊をする「浜参宮」という習わしがある現在でもまず神社に参拝し、お祓いを受けてから神宮へ向かう参拝者も多いという旅先で何らかの知識を得たり、発見したりする事は楽しいが……私の場合は自宅で写真を見ながら調べるのでタイムラグがある「案内板」境内には、猿田彦大神のお使いとされる「二見蛙(無事にかえる、貸したものがかえる)」が多数奉納さ...二見興玉神社<夫婦岩>(三重県伊勢市二見町江)

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