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  • 皇大神宮<内宮>(三重県伊勢市宇治館町)

    訪問日令和2年9月16日皇大神宮<内宮>昼近くにもなっていたので内宮の有料駐車場は無理かなと思っていたが、何とか駐めることができた「宇治橋」五十鈴川にかかる宇治橋は内宮の入口日常の世界から神聖な世界を結ぶ架け橋といわれている宇治橋からの眺望内宮では外宮とは反対の右側通行になっている宇治橋を渡って玉砂利の敷き詰められた参道を歩き正宮を目指す参道の距離は、片道約800m、往復で1.6km(外宮の倍の距離)途中、右手に「五十鈴川」が流れている景色も美しいが参拝者は別の目的で立ち寄る倭姫命が、御裳のすその汚れを濯いだという伝説があり、御裳濯川(みもすそがわ)という別名をもつ神路山を源流とし、皇大神宮内宮の西端を流れており「御手洗場(みたらしば)」になっている普段歩く習慣のない私にとってこの距離は長い遠くに鳥居が見えてく...皇大神宮<内宮>(三重県伊勢市宇治館町)

  • 豊受大神宮<外宮>(三重県伊勢市豊川町)

    訪問日令和2年9月16日豊受大神宮<外宮>外宮に入るもう一つの入口(裏参道)がある「北御門」近くの無料駐車場に車を駐める駐車場からは少し歩くが、表参道から入る「火除橋」神域の入口には防火のためにつくられた掘川が流れ、火除橋がかけられている左手に雰囲気のいい休憩所がある博物館である「せんぐう館」前に位置し、ゆっくりと「勾玉池」を眺めることができる「手水舎」参拝の前にお清めをする場所になる「鳥居」中央は神様の通り道、伊勢神宮では参拝者は左側通行が遵守されている「社務所」いつもは通過するだけだが、今回は「御守り」を購入した「神楽殿」御饌、御神楽などのご祈祷の奉仕や、お神札やお守りを授与している「四至神(手前)と五丈殿・九丈殿(奥)」「古殿地」からの眺望正宮と同じ広さの敷地を持ち、前回の遷宮まで御殿が立っていた場所にな...豊受大神宮<外宮>(三重県伊勢市豊川町)

  • 恵日山 観音寺 大宝院(三重県津市大門32番)

    訪問日令和2年9月15日恵日山観音寺大宝院(津観音)現在の建物は昭和・平成のものだが、その歴史は古い創建は奈良時代の初め、和銅2年(709年)に伊勢阿漕ヶ浦の漁夫の網に聖観音立像がかかり、これを本尊として開山したのが始まり本尊は聖観音菩薩。浅草観音、大須観音と並んで日本三大観音の一つとされる「仁王門」度重なる災害に遭った寺院だが決定的だったのは、昭和20年(1945年)7月28日の夜アメリカ軍が投下した焼夷弾によって、市街建造物の大半と共に観音寺の堂宇も一夜にして灰となった観音寺の山内寺院7か寺、旧国宝の観音寺本堂と大宝院本堂を含む41棟が全焼し消失、総坪数900坪に及んだ昭和55年(1980年)本格的な再建事業が始まり仁王門が完成した「仁王像」「撫で石」「横峰寺」は西日本最高峰「石鎚山」の中腹に位置し、お寺ま...恵日山観音寺大宝院(三重県津市大門32番)

  • 高田山 専修寺 その2(三重県津市一身田町)

    訪問日令和2年9月15日「太子堂」前回訪れた時、寺の行事の一つである「納骨堂法会」開催日と重なり、入ることができなかった場所に向かう厳かな雰囲気の建物が並ぶ広場があったので歩いて遠くから建物正面を眺める御廟唐門(重要文化財)正面は平入りの唐門扉の隅々まで装飾彫刻で埋めつくし、工芸品のような美しさを見せている透塀(重要文化財)瑞垣は唐門の両脇から東西に長くつらなっている「透塀と唐門(重文)」拝堂(重要文化財)屋根の正面と背面に大きな千鳥破風、正面の軒に唐破風をつける唐門、瑞垣、拝堂とも幕末の建造であって、拝堂の瓦に安政5年(1858年)の銘がある外観は見事な彫刻で装飾されているが、内部は構造材を露出させている拝堂の横を通り奥を眺めると石造の橋があり、その奥に「御廟」がある「御廟」築地塀に囲まれた区域が「親鸞聖人」...高田山専修寺その2(三重県津市一身田町)

  • 高田山 専修寺 その1(三重県津市一身田町)

    訪問日令和2年9月15日高田山専修寺(別称:本山専修寺)前回訪れた十数日後に「如来堂と御影堂」が国宝に、また、多くの堂宇が重要文化財に指定された唐門(重要文化財)駐車場から歩いて行くと最初に唐門が目に入ってくる唐門の先に見える建物が国宝の如来堂山門(重要文化財)2階建で、間口20m、奥行9m、高さ15.5mの大きな門明治天皇行幸の際のご休息の場所となった扁額には山号の「高田山」2階内部には釈迦三尊像を安置している正面には国宝の「御影堂」「手水舎」遠くに歩いていた専修寺が運営する幼稚園児たちに大きな声で挨拶され気持ちよく迎えられた感じがした「境内案内図」この案内図はとてもわかりやすいこの日は気温が高く休憩所で水分を補給唐門(重要文化財)四脚門良質の欅を用い、豪華な装飾で空間を埋め尽くしている天保15年(1844)...高田山専修寺その1(三重県津市一身田町)

  • 長沼山 萬徳寺(愛知県稲沢市長野3丁目)

    訪問日令和2年9月14日長沼山萬徳寺旅の目的の一つに、国宝と重要文化財の塔巡りがある愛知県には、重要文化財の三重塔2・五重塔1・多宝塔7があり、その全てを回ることができた「山門」駐車場がなかったので近くのコンビニに車を駐め、駆け足の参拝となった「鐘楼」「楊柳観音」三十三観音の一つで病苦からの救済を使命とする右手に柳の枝を持つことにより楊柳観音と呼ばれる「本堂」神護景雲(768)に、称徳天皇の勅願によって慈眼上人が創建し、草堂に阿弥陀三尊を安置したというその後、木曽川の決壊などにより本堂は荒廃し、承和元年(834)に弘法大師空海が当地へ巡歴したおり、真言の道場として再興した天暦年中(947〜956)には火災、永祚元年(989)の風難で伽藍は破滅。常円上人は建長6年(1254)に本堂、鎮守堂等を建立した本堂左手に重...長沼山萬徳寺(愛知県稲沢市長野3丁目)

  • 大塚山 性海寺(愛知県稲沢市大塚南)

    訪問日令和2年9月14日大塚山性海寺(しょうかいじ)間違って近くの「西福寺」という寺に入ってしまった。「ボケ」にも効くというのでついでにお参りをしてきた性海寺を「しょうかいじ」とは読めず「せいかいじ」は何処ですかと、そこで尋ねたが分からないと言われた「あじさい寺」と呼ばれてといるというと、そこなら近くだと道を教えてくれた周辺は、「大塚性海寺歴史公園」になっている「案内板」で内容を理解したつもりでも数十秒後には忘れてしまう「山門(稲沢市指定文化財)」山門を入ると正面に多宝塔拝殿、左手に手水舎と鐘楼がある「手水舎」「鐘楼」「多宝塔拝殿(愛染堂)」多宝塔に拝殿があるのは初めてだと思う。中には愛染明王が納められている耳の病の信仰があり、この拝殿には全部底抜けのひしゃくが奉納されているコロナ過での参拝だけにマスク着用を呼...大塚山性海寺(愛知県稲沢市大塚南)

  • 鳳凰山 甚目寺(愛知県あま市甚目寺東門前)

    訪問日令和2年9月14日鳳凰山甚目寺(通称:甚目寺観音)この日、最初に訪れたのは、重文の三重塔を持つ甚目寺(じもくじ)、数年前に訪れた事がある南大門(重要文化財)鎌倉時代初め建久7年(西暦1196年)の建築聖観上人が寺の再興をはかった折、源頼朝の命で梶原景時が奉行となり普請したもの柿葺、三間一戸楼門、入母屋造街中にある寺だけに視界に電柱や電線が入ってくる「木造金剛力士像(愛知県指定文化財)」寺のホームページによると、仁王像は運慶作と伝えられているとのこと境内には人馴れした鳩がいる。以前訪れた時には本堂で餌を売っていた餌を貰うため女性の周りに集まる鳩南大門側にある「手水舎」三重塔(重要文化財)この塔を拝観するためにこの寺を訪れた高さ28mで、三重塔としては日本有数の高さを誇る江戸時代の初め寛永4年(1623年)9...鳳凰山甚目寺(愛知県あま市甚目寺東門前)

  • 廣澤山 天恩寺(愛知県岡崎市片寄町字山下)

    訪問日令和2年9月13日廣澤山天恩寺朝から降り続いていた雨もあがり、気持ちが高揚してきたので、この日4カ所目となる天恩寺を目指した駐車場に車を置き5分ほど歩くと石段が見えてきた「総門」伝説の「見返り大杉」を見たいと思い訪れた長篠の戦いに出向く徳川家康が泊まった寺院として知られている「案内板」あまり下調べをせず訪れているため案内板を見て重文の建物があることを初めて知る総門から中に入ると眼前に整備された境内が目に入る「見返りの大杉(岡崎市指定天然記念物)」ただの大きな杉だが歴史(伝説)を知ると価値あるものに見えるから不思議だ天正3(1575)年に武田の軍が長篠城を包囲し、落城目前にして城主奥平信昌は鳥居強右衛門に命じ、岡崎の家康に事の急を報告した家康は急ぎ出陣し、天恩寺に一泊した。翌日、大杉のところで延命地蔵に呼び...廣澤山天恩寺(愛知県岡崎市片寄町字山下)

  • 陀羅尼山 蘇悉地院 財賀寺(愛知県豊川市財賀町観音山)

    訪問日令和2年9月13日陀羅尼山蘇悉地院財賀寺仁王像が重文に指定されていることを知り、運が良ければ写真を撮る事ができると思い訪れた<バス利用拝観案内によると>①仁王門・仁王像(P有)→②本堂(文殊堂P駐車徒歩移動)→③文殊堂観音山の中腹から山麓にかけて伽藍があるため、カーブの多い山道でを走る初めて訪れるため何処に何があるかも分からず、仁王門を見逃し、文殊堂近くの駐車場に着く「手水舎」文殊堂(登録有形文化財)平安中期の三河守大江定基は三河国に赴任中、愛妾力寿と死別したことをきっかけに世の無常を感じ出家し寂照と号した大江定基の念持仏が財賀寺文殊堂に伝わる文殊菩薩(秘仏)であるとされる大江定基ゆかりの文殊菩薩(秘仏)のほか、五大明王像、地蔵菩薩立像を安置安政6年(1859年)の再建。木造平屋建、瓦葺花の名前は知らない...陀羅尼山蘇悉地院財賀寺(愛知県豊川市財賀町観音山)

  • 円福山 豊川閣 妙厳寺<豊川稲荷>(愛知県豊川市豊川町)

    訪問日令和2年9月13日円福山豊川閣妙厳寺<豊川稲荷>朝からの強い雨が止む気配もなく、豊川稲荷の有料駐車場で様子をみることにしたこの日の予定にはなかったが急遽変更して参拝することに前回訪れた時はガイド付きで丁寧に回ったこともあり、今回は駆け足での参拝となる「総門」現在のものは明治17年(1884年)に改築したもの門扉は「如輪目」の欅一枚板で造られている柱の金具には鯉が龍に変化していく様子が刻まれている向かって右側の扉の表面が浮き出ており、触れると幸運がくるらしい左側の扉は反対に窪んでいる「鎮守堂」別名龍天堂。祭神は白山妙理大権現、曹洞宗の寺院では守護神として祀られている「鐘楼」昭和12年春、本殿落慶記念に寄進された「山門」総門の正面にあるのが山門入母屋造楼門。天文5年(1536年)、今川義元により寄進される扁額...円福山豊川閣妙厳寺<豊川稲荷>(愛知県豊川市豊川町)

  • 龍雲山 妙音閣 三明禅寺(愛知県豊川市豊川町波通)

    訪問日令和2年9月13日龍雲山妙音閣三明禅寺(通称:豊川弁財天)今回の旅で愛知県にある重要文化財の塔(三重・五重・多宝塔)を事前に調べ、その全てを訪れようと考えていた「豊川稲荷」には参拝したことがあるが、近くにある「三明寺」の存在には気付かずにいた「鳥居」駐車場は本堂横にあったため、山門の方に移動するが山門はなく鳥居が立っていたため不思議に思った近くの妙厳寺(豊川稲荷)にも鳥居があるので調べてみた<豊川閣妙厳寺山主本宮顯道によると>釈迦が亡くなって五百年たった頃、釈迦を敬うための塔が建てられるようになったそうすると、門が必要になる。門というのは結界東西南北につくったその門が、石を二重にかけた鳥居のようなかたちであったそうしたものがチベットから中国、朝鮮、そして日本に伝わったそれが山門であり、鳥居で、寺に鳥居があ...龍雲山妙音閣三明禅寺(愛知県豊川市豊川町波通)

  • 成道山 松安院 大樹寺(愛知県岡崎市鴨田町広元)

    訪問日令和2年9月12日成道山松安院大樹寺この日の予定にはなかった急遽訪れることにした徳川家の祖先である松平家の菩提寺である「三門(愛知県指定文化財)」寛永18年(1641)三代将軍徳川家光が建立した応仁元年(1467年)松平親忠が井田野合戦の死者を弔うために千人塚を築いたしかし、塚が振動し、悪病が蔓延するなどの事態となり、増上寺開山聖聡の孫弟子勢誉愚底(のちに知恩院23世)に念仏をさせて、抑えた「大樹」とは征夷大将軍の唐名であり、松平氏から将軍が誕生することを祈願して、勢誉愚底により命名されたと伝わる勅額「大樹寺」(重要文化財)楼上に後奈良天皇の勅額「大樹寺」<ビスタライン(大樹寺から岡崎城を望む歴史的眺望)>三門の正面には「本堂」本堂から見た「山門」近くにいた参拝者が見つけてくれた「眺望点」その先には大樹寺...成道山松安院大樹寺(愛知県岡崎市鴨田町広元)

  • 滝山東照宮(愛知県岡崎市滝町山籠)

    訪問日令和2年9月12日滝山東照宮東照宮のある岡崎市には以前訪れたことがある自宅に戻って調べているうちに「三大東照宮」の一つを見逃したことに悔いが残っていた鳥居(重要文化財)「瀧山東照宮」の額境内の一番高い場所に白いシートで覆われた建物があった実際は「日吉山王社」だったのだが、社殿の修復だと勝手に思い込み、落胆し帰ろうと階段を降り始めた鳥居だけでは寂しいと思い戻ることにした思い込みというのは恐ろしいもので、案内板を見ても目の前にある建物が社殿と認識していない水屋(重要文化財)拝殿(重要文化財)正保元年(1644年)徳川家光は家康が生まれた岡崎城の近くにも東照宮を観請したいと考え、酒井忠勝、松平正綱らに命じてその場所の選定を行わせた古跡であり家康もよく訪れていた「滝山寺」に観請するのが良いということになり、正保3...滝山東照宮(愛知県岡崎市滝町山籠)

  • 吉祥陀羅尼山 薬樹王院 瀧山寺(愛知県岡崎市滝町山籠)

    訪問日令和2年9月12日吉祥陀羅尼山薬樹王院瀧山寺「滝山東照宮」を目指してきたのだが、迷いながらも着いたのが「瀧山寺」の駐車場だった駐車場を使用している関係で寺門から中に入り「宝物殿」に向かった瀧山寺縁起によれば、朱鳥元年(686年)役行者が青木川の滝壺から薬師如来を拾い上げ、安置するために「吉祥寺」という一堂を建てたのに始まる保安年間(1120〜24年)仏泉上人永救が、仏法興隆のためこの地に来住荒廃した吉祥寺跡に物部氏の外護により本堂を造営した境内には360もの寺院が建立され、官府の命によって寺名を「瀧山寺」と改めた江戸時代には「青龍院・玉泉院・常心院・浄蓮院・観量院・密厳院」の六坊があった現在「浄蓮院」のみが瀧山寺本坊として残っている「宝物殿」源頼朝の従兄弟にあたる寛伝上人は瀧山寺僧侶となり、縁故から頼朝の...吉祥陀羅尼山薬樹王院瀧山寺(愛知県岡崎市滝町山籠)

  • 弘法山 遍照院(愛知県知立市弘法町弘法山)

    訪問日令和2年9月11日弘法山遍照院知立神社休憩所に置いてあったパンフレットを見て近くにある寺ということで立ち寄った山門横の駐車場で基礎知識を得るためスマホにて検索したが理解するまでには至らなかった「山門」旅の初日で足跡を記録するだけではなく、良い写真をとの思いがあったのかローアングルになっている(笑)扁額には院号の「遍照院(へんじょういん)」案内板の必要部分を切り取る石碑「念ずれば花ひらく」いい言葉だと思い調べてみた(仏教詩人坂村真民)苦しいとき母がいつも口にしていたこのことばをわたしはいつのころからかとなえるようになったそうしてそのたびわたしの花がふしぎとひとつひとつひらいていった釋昇空法話集・第34話によると「念ずれば、花ひらく」それは、自分の願いが実現することではなく、仏の願いが実現することと説いている...弘法山遍照院(愛知県知立市弘法町弘法山)

  • 知立神社(愛知県知立市西町神田)

    訪問日令和2年9月11日知立神社<別名:池鯉鮒(ちりゅう)大明神>重文の多宝塔拝観が目的であったが、調べてみると千年以上の歴史を持つ三河国二宮三河国一宮は、愛知県豊川市にある砥鹿神社(とがじんじゃ)「大鳥居」「知立神社由緒」社伝では、第12代景行天皇の時に東国平定に赴いた日本武尊が当地で戦勝を祈願平定後の帰途に感謝して建国祖神の4柱を祀ったのが創建という「祖風歌碑」井村祖風の句碑『行戻り小川に暮る小鴨可南(かな)』「手水舎」多宝塔(重要文化財)社伝では、嘉祥3年(850年)に慈覚大師円仁が神宮寺を建立した際に2層の塔を建立現在の遺構は室町時代後期の永正6年(1509年)重原城主山岡伝兵衛によって再建されたもの廃仏毀釈を生き延びた神社における仏塔は全国的にも数少ない塔の前が参拝者駐車場になっていて、車が入り込まな...知立神社(愛知県知立市西町神田)

  • 熱田神宮(愛知県名古屋市熱田区神宮)

    訪問日令和2年9月11日熱田神宮フェリーで名古屋港に着岸。何故かいつも天気に恵まれず、この日も神宮へ向かう途中に突然の豪雨となり駐車場でしばらく待機していたH25以来(この時も台風が上陸)の参拝となるため、案内板にて境内の確認をする「東門鳥居」東門鳥居近くにある神宮の無料駐車場を利用した小雨になったので行動を開始する緑の木々に囲まれ、約6万坪の境内を持つ参道を歩いていると、ここが大都市名古屋の中心部であることを忘れさせてくれる「別宮八剣宮(はっけんぐう)」前回訪れた時、気になった場所の八剣宮を最初に訪れた他の社とは違い、警備員の監視の目が厳しく、写真を撮ることさえも制限されそうな感じだったからだ神宮のHPによると元明天皇和銅元年(708)9月9日に勅命により神剣をつくり、境内に社を建てて、祀ったことが創祀との歴...熱田神宮(愛知県名古屋市熱田区神宮)

  • 2020秋 放浪の旅 24日目<最終日>(兵庫県)

    2020秋放浪の旅日記24日目<10/4最終日>(兵庫県)道の駅・海の駅「みき」昨日、鶴林寺で解説してくれたボランティアの男性から「浄土寺」を薦められた過去に訪れた事があり巨大な仏像に驚いたことを思いだし気持ちが動いた次に訪れる予定の寺院が「舞鶴港」に近く、突然だが本日で旅を終えることにした浄土寺駐車場に近づくにつれ前回の失敗した記憶がよみがえってきた浄土堂(国宝)堂内には仏師快慶作国宝の「阿弥陀三尊」が安置されている建物と堂内の仏像が国宝というのは兵庫県ではここだけと聞いた堂内は現在でもこの壁一面の小さな窓からの自然光による照明のみ夕陽が射すと堂内は朱色に輝き極楽浄土の世界が広がるとの説明があった「鐘楼(兵庫県指定文化財)」薬師堂(重要文化財)「開山堂」朝光寺国宝の本堂があるということで訪れたが、この仁王門を...2020秋放浪の旅24日目<最終日>(兵庫県)

  • 2020秋 放浪の旅 23日目(兵庫県)

    2020秋放浪の旅日記23日目<10/3>(兵庫県)道の駅・海の駅「あいおい白龍城」車を駐めている場所の2~3m後ろは海。海の駅との記載もある早朝、車から出てみると良い風景が目に入ってくる斑鳩寺最初に訪れたのが何年前になるか忘れたが、今回が2度目となる「仁王門」の奥に数台の車が駐まっている。嫌な予感がする「仁王像」三重塔(重要文化財)以前訪れた時は天気が良く陽射しが強すぎで上手く撮れなかったという残念な思いがあった今日は「骨董市」が開催されるようで、その準備中であったしかも、塔の一番良い場所に車があり、今日も残念な思いが残った姫路城姫路城の近くを車で通過したことがあり遠くから眺めたことは3度ほどある朝起きて今日は何故か「姫路城」に行きたいと思った初めてなので案内板や周囲の観光客の動きを観察しながら行動することに...2020秋放浪の旅23日目(兵庫県)

  • 2020秋 放浪の旅 23日目(兵庫県)

    2020秋放浪の旅日記23日目<10/3>(兵庫県)道の駅・海の駅「あいおい白龍城」車を駐めている場所の2~3m後ろは海。海の駅との記載もある早朝、車から出てみると良い風景が目に入ってくる斑鳩寺最初に訪れたのが何年前になるか忘れたが、今回が2度目となる「仁王門」の奥に数台の車が駐まっている。嫌な予感がする「仁王像」三重塔(重要文化財)以前訪れた時は天気が良く陽射しが強すぎで上手く撮れなかったという残念な思いがあった今日は「骨董市」が開催されるようで、その準備中であったしかも、塔の一番良い場所に車があり、今日も残念な思いが残った姫路城姫路城の近くを車で通過したことがあり遠くから眺めたことは3度ほどある朝起きて今日は何故か「姫路城」に行きたいと思った初めてなので案内板や周囲の観光客の動きを観察しながら行動することに...2020秋放浪の旅23日目(兵庫県)

  • 2020秋 放浪の旅 22日目(岡山県)

    2020秋放浪の旅日記22日目<10/2>(岡山県)道の駅「みやま公園」道の駅を早めに出発したが、岡山市内に近づくにつれ渋滞が始まった最初予定していた「真光寺」には車の入り方がわからずに直ぐに断念、次の目的地に向かった旧閑谷学校詳細はわからないが、一度訪れてみたいと思っていた場所だった簡単に云うと、江戸時代前期に岡山藩によって開かれた庶民のための学校受付門の正面には「聖廟」最も重要な施設で孔子像が安置されている受付の方のアドバイスで最初に資料館で知識を身につけた方がいいとのこと資料館を目指し歩いている右手に国宝の「講堂」(左側にある)かまぼこ型の「石塀」は昔から草が生えない工夫がされているという「資料館(登録有形文化財)」では民法で放映された番組が流れていて、これがとても参考になる資料館には同世代の女性がいた。...2020秋放浪の旅22日目(岡山県)

  • 2020秋 放浪の旅 21日目(岡山県)

    2020秋放浪の旅日記21日目<10/1>(岡山県)道の駅「くめなん」初めて利用する道の駅で山中の交通量の多い道路横にある夜に雨が降ったのか地面が濡れていた。道の駅の裏側には朝霧が降り幻想的な風景であった吉備津神社備中国一宮。平日の午前中にもかかわらず参拝者が多い初めての参拝なので様子もわからない北随神門(重要文化財)さらに石段が続く拝殿(国宝)石段を上がると目の前に拝殿があらわれる御釜殿(重要文化財)中に入ると釜でお湯をわかしていた。神事に使われるようだ本殿(国宝)足利義満造営とされる本殿は独特の比翼入母屋造(吉備津造)で、拝殿とともに国宝に指定拝殿と本殿備中国分寺本日の塔巡りのたびの最初は、遠くからでも存在感抜群の「五重塔(重要文化財)」柄にもなく、コスモスと五重塔正面から「客殿」「勅使門」「本堂」宝福寺駐...2020秋放浪の旅21日目(岡山県)

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