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  • 龍護山 千光寺(福岡県久留米市山本町豊田)

    訪問日令和元年6月3日龍護山千光寺車中泊した道の駅「くるめ」で得た情報でこの寺の存在を知った。「アジサイ寺」と呼ばれているらしい。寺でなぜ入園料なのか疑問に思ったが、後になって納得した。建久3年(1192年)に栄西が創建。日本最古の禅寺であるとの記載がある。気軽な気持ちで立ち寄ったが、凄い歴史を持つ寺院であることに驚いた。鐘楼梵鐘(福岡県指定有形文化財)祠の中の石仏「文殊菩薩」「水子地蔵尊」本堂にはこの玄関から入ることになる。額の「欲少」慎ましい生き方でも満足出来る=心の豊かさ=には程遠い私である。堂内には陶地蔵と住職が描かれたと思われるユニークな仏画が展示されている。本堂内の様子外に出る。一風変わった建物だが何だろう。祠が二つ並んでいる。右側には「弁財天」が祀られている。途中で話を交わしたが、地元テレビ局の女...龍護山千光寺(福岡県久留米市山本町豊田)

  • 佐賀競馬場(佐賀県鳥栖市江島町字西谷)

    訪問日令和元年6月2日佐賀競馬場九州に渡ろうと考えた時から、佐賀競馬場の開催日程を調べていた。北海道を離れて車中泊の旅もちょうど3週間、遊びとはいえ心身の疲れに加え懐具合も悪くなる時期である。全国の中央競馬・地方競馬巡りも私の旅の目的の一つである。前日、競馬場前の道路を通過し駐車場を確認したところ満車に近い状態で、この日は早めに行動した。門が開いていたので中に入り写真を撮る。コースもスタンドも立派で驚いた。忘れ物をしたので車に戻ろうとすると、入り口で警備員に呼び止められた。「勝手に入られたら困る」との内容だった。客が誰もいないと思っていたら開門前らしく謝罪して車に戻った。開門時間まで2時間以上もあることを知らされ、写真の整理と車内の清掃をすることにした。コーヒーを飲みながらボッとしていると開門時間になった。それ...佐賀競馬場(佐賀県鳥栖市江島町字西谷)

  • 国営吉野ヶ里歴史公園(佐賀県神埼郡吉野ヶ里町田手)

    訪問日令和元年6月1日特別史跡国営吉野ヶ里歴史公園私が最後に勤めていた職場では退職者の希望を優先し旅をする習慣がある。私の退職時、九州旅行と、ここ「吉野ヶ里遺跡」を希望した。その後、訪れる機会はあったが叶わず、今回が2回目になる。以前との違いは年齢を重ね、半額以下のシルバー料金となったことだ。逆茂木(乱杭)米作りが盛んになるにつれて、水や土地を奪い合う争いが起こるようになった。自分たちの集落を守るため、集落の入り口など特に重要な区域には、尖った木の枝や幹でバリケードを築き厳重に守っていた。巧く作っている。順路に従い「南内郭」から歩き始める。南の守り南門の「守り」には、正門と脇門があり兵士が待機。「正門」は監視を厳重にするため、楼門になっている。櫓門櫓の四方に盾が置かれ、出入りする人を見張っている。物見櫓ここの物...国営吉野ヶ里歴史公園(佐賀県神埼郡吉野ヶ里町田手)

  • 屏風山 鎮国寺(福岡県宗像市吉田)

    訪問日令和元年6月1日屏風山鎮国寺道の駅「むなかた館」に置かれていたパンフによりこの寺の存在を知った。境内には多様な花木が植えられており、「花の寺」とも呼ばれている。金剛力士像いつもは苦労して撮るのだが、障害物もなく楽だ。足下にオモシロイ注意書き。これだけでこの寺が好きになった。本堂前に数人の参拝者がいたので周辺を歩く。目の前に見知らぬ顔の石像が置かれている。「武丸正助像」江戸前中期頃の宗像武丸の農民で、道徳生活を遵守した真摯な他力本願念仏の実践者で、浄土真宗で「妙好人」(在俗篤信者)と称された。像の鞍は、牛馬への愛情から自らかつぎゲタとゾウリは、雨を予想する父と晴れると思う母の言い分を聞き、片方ずつはいた姿だという。手水舎文殊堂「ぼけ封じいきいき観音」次は小さなお堂(名称不明)堂内の仏様大師堂「弘法大師像」「...屏風山鎮国寺(福岡県宗像市吉田)

  • 宗像大社(福岡県宗像市田島)

    訪問日令和元年5月31日関門トンネルを抜けて九州に入る。世界遺産宗像大社宗像大社は、沖ノ島の沖津宮、筑前大島の中津宮、宗像市田島の辺津宮(総社)の三社の総称。「神宿る島」沖ノ島は、古来より島に立ち入り見聞きした事を口外してはならず「お不言さま(おいわずさま)」と呼ばれ、島全体が御神体になっている。今回、訪れたのは、宗像市の「辺津宮(総社)」である。祈祷殿800台収容できるという駐車場から視界に入る近代的な建物である。最初、祈祷殿を拝殿・本殿と思いこみ、期待していたものとは違っていたため、がっかりして駐車場でしばらく過ごす。参拝せず、トイレに寄ってから帰ろう歩いていると境内絵図があり、鳥居も見えてきた。急ぎ、カメラを取りに車に戻った。(上部が薄くて判別できないが)社号標には「官幣大社宗像神社」と彫られている。鳥居...宗像大社(福岡県宗像市田島)

  • 角島大橋・角島灯台(山口県下関市豊北町神田)

    訪問日令和元年5月30日角島大橋・角島灯台退職後にキャンピングカーを購入し、最初の旅で山口県に住む学生時代の友人に案内されたのが始まりである。自然の美しさにはあまり興味がない私だが、案内された「青海島と角島」はトリハダものであった。特に「角島大橋」の約2Kmの距離は運転をしていて極めて楽しい時間となる。6年間で4回目になるので、かなり気に入っている場所になる。人気スポットのためか駐車場はいつもいっぱいで観光客で賑わっている。横断歩道通行中に撮ったものである。橋の左側にある展望台に移動する。晴れてはいるがいつもと違い青空がない。干潮の時間帯に訪れたのも初めてとなる。角島大橋からゆっくり周囲の景色を楽しみながら10分ほど走ると「角島灯台」に着く。灯台付近から若者たちの甲高い声が聞こえていたので、海の方へ向かうことに...角島大橋・角島灯台(山口県下関市豊北町神田)

  • 龍伏山 天請寺 二尊院(山口県長門市油谷向津具下)

    訪問日令和元年5月30日龍伏山天請寺二尊院「楊貴妃の墓がある」という二尊院に(本当なのかという)興味を持ち車を走らせた。途中、「むかつく」というお店か何かの看板があり車を止めたが、この地域の地名「向津具」だということが後になって分かった。民家に許可を得て車を置かせてもらったが、階段を上ってきたこの場所の近くに大きな駐車場があった。手水鉢本堂堂内では祈祷が行われていたので周辺を散策する。大同2年(807)創建の古刹、最澄の開基という。これだけでも楊貴妃伝説の真実味が増す。「宝篋印塔」少し離れた場所に「楊貴妃の墓」がある。二尊院五輪塔(山口県指定有形文化財)これが「楊貴妃の墓」といわれている。「盃状穴」艶めかしい「楊貴妃の絵馬」本堂の方へ戻る。作品「双葉」「楊貴妃像」二尊院に2冊の古文書が残されている。今から約23...龍伏山天請寺二尊院(山口県長門市油谷向津具下)

  • 金子みすゞ記念館(山口県長門市仙崎)

    訪問日令和元年5月30日道の駅「センザキッチン」で「今日で3回目ですね」と旅人に声を掛けられた。鳥取県・島根県の道の駅でも一緒だったらしい。30分ほど旅について話をした。その後温泉施設でも一緒になった。金子みすゞ記念館以前この地を訪れた時、山口県に住む友人から「金子みすゞ記念館」を勧められた。その時は興味がないと断ったが、頭の片隅に申し訳ないという気持ちがあったので、この日は自分の意思で訪ねることにした。金子みすゞについては、全く知識が無かった。受付の女性に北海道から来たというと、行ってみたい土地だということで話が弾み楽しい時間となった。この建物は金子みすゞの実家で書籍や文具の販売をしていた。2階に上がる。裕福な家庭に育ったようだ。所々に作品の一部が展示されている。金子みすゞの部屋金子みすゞは、明治36年現在の...金子みすゞ記念館(山口県長門市仙崎)

  • 護国山 東光寺(山口県萩市大字椿東字椎原)

    訪問日令和元年5月29日護国山東光寺元禄4年(1691年)萩藩3代藩主毛利吉就が建立。吉就は黄檗宗に帰依して、本山黄檗万福寺に範を求めて広壮な堂を建立。萩出身の高僧・慧極道明禅師を開山に迎えた。吉就の死後、ここを墓所とし毛利氏の菩提寺となった。総門(重要文化財)三間二戸八脚門、一重切妻造段違本瓦葺きで、棟の端には鯱の代わりに摩伽羅を飾る、中央持ち上げの棟式屋根は黄檗風の様式。総門正面には慧極筆の「護国山」の額。「元禄癸酉六年孟春吉日(西暦1693年)」と年期が記されている。「乳鋲(ちびょう)」寺院の門の扉などに打ちつけてあるオッパイのような金具。門をくぐると右手に受付所がある。参道を真っ直ぐ進むと大きな三門が見えてくる。三門(重要文化財)この門は、東光寺が創建されて121年後の文化9年(1812年)に竣工した。...護国山東光寺(山口県萩市大字椿東字椎原)

  • 松陰神社・松下村塾(山口県萩市椿東)

    訪問日令和元年5月29日松陰神社・松下村塾数年前の「萩・津和野巡り」以来、萩市は二度目の訪問になる。その後、大河ドラマもあり賑わいを避けての再訪。由緒を読むが拝殿に着くまでには忘れてしまう。石碑「明治維新胎動之地」昭和43年(1968)、明治維新100年を記念して建立。揮毫は故佐藤栄作元首相。石碑「親思ふ・・・」松陰が安政6年(1859)家族に宛てた遺書の中で詠われた有名な和歌が彫られている。世界遺産・史跡松下村塾平成27年7月5日、ユネスコの世界文化遺産に登録。松陰が安政4年(1857)年主宰した私塾。ここで、明治維新を成し遂げた、数多くの人材が育った。品川弥二郎の写真に変な人物が写っている……当時からこの位置に建っていた。“自立学習”故に、わずか2年で多くの人材が育ったと想像する。学問は須(すべか)らく己が...松陰神社・松下村塾(山口県萩市椿東)

  • 補蛇山 大覺寺(山口県阿武郡阿武町奈古)

    訪問日令和元年5月29日補蛇山大覺寺尼子義久の墓があるということで訪れたが、この武将については全く知識がない。駐車場が見当たらなかったので、近くのホームセンターの駐車場に車を駐めた。山門近くにある石仏。山門山門には、「曹洞宗補蛇山大覺寺」の札。左右の祠に安置されている石仏。緑に囲まれた参道を歩く。階段を上がると本堂が見えてくる。本堂位牌堂周辺に安置されている石仏。風雨により石仏も風化して形を変えている。山口県指定天然記念物ビャクシン巨樹写真を撮っていると住職から声をかけられ、本堂内に入る許可をいただいた。扁額には寺号の「大覺寺」堂内の様子平山郁夫氏とどのような縁があったのだろうか。法起寺の塔もしばらく見ていない。「涅槃図」「達磨大師」「開基尼子義久公」尼子義久が永禄9年(1566)に毛利氏の軍門に降り、安芸長田...補蛇山大覺寺(山口県阿武郡阿武町奈古)

  • 須佐ホルンフェルス (山口県萩市須佐高山北海岸)

    訪問日令和元年5月29日名勝天然記念物須佐ホルンフェルス朝、道の駅で訪問先の予定を立てているとき、初めて見た横文字が気になり訪れることにした。「ホルンフェルス」とは何だろう……駐車場の案内板を見てボンヤリだが見当がついた。海を眺めながら、遊歩道を歩くことになる。海側は崖になっているが柵により安全は確保されている。人の姿が見えているので、この場所が目的地のようだ。来た道を振り返ると、駐車場のあるハウスが見える。近づいてきた。高所恐怖症なので少し嫌な感じがしてきた。壁面にペンキを塗ったような岩が見えてきた。頭に浮かんできたのが北海道銘菓の「三方六」(柳月)。北海道住民の多くは理解できると思う。大岩の端にいる男性が飛び込むのではないかと不安になる。「ホルンフェルス」の語源はドイツ語で「角の岩」の意味で、硬く緻密な組織...須佐ホルンフェルス(山口県萩市須佐高山北海岸)

  • 湧出山 西堂寺(山口県萩市大字江崎)

    訪問日令和元年5月29日湧出山西堂寺朝から天気に恵まれた。初めて訪れる西堂寺、駐車場を探し民家の狭い道をさまよったが、少し離れた道路沿いにあった。風光明媚な場所にある寺院だ。仁王門何処からやってきたのか小さな犬が尻尾を振って迎えてくれた。扁額には寺号の「西堂寺」の文字が輝いている。曹洞宗寺院仁王像湾内にある寺のため塩がガラスにこびりついていて、ピントが合わない。仁王門から境内を眺めると四方海に囲まれていることが理解できる。本堂応永年間(1394~1428)に創建された曹洞宗の寺院で、当時は、済度寺といわれていたが、後に西堂寺と称されるようになった。大内から毛利の時代にかけて祈願所として世の信仰があつく、海の中の寺「浮島西堂寺」とも呼ばれ、広くその名を知られている。西堂寺六角堂(山口県指定有形文化財)海に落ちそう...湧出山西堂寺(山口県萩市大字江崎)

  • 亀甲山 無量院 初午観音 多陀寺(島根県浜田市生湯町)

    訪問日令和元年5月28日亀甲山無量院初午観音多陀寺最近、記憶力の低下が著しく、半年前に訪れた、この寺のことをあまり覚えていない。写真を見ながらネットで調べ記載していく。狭い山道を走り階段下に車を駐めたが、階段を上がると大きな駐車場と広い道路があった。仁王門(山門)両脇に仁王像が安置されているがガードが固く諦めた……仁王像帰り際になるが、横の隙間から撮ったもの。ネットでもこのアングルからの写真が多い。本堂が見える。全国に多くの寺院があるが、「多陀寺」というお寺はここだけだという。「摩尼車」手水舎本堂開山の流世上人は、弘法大師の相弟子で、共に遣唐使船で唐に渡り、恵果阿闍梨より密法の直伝を受ける。唐から持ち帰った金色観音像を本尊として安置したのが始まり。扁額には山号の「亀甲山」堂内の様子本尊は「十一面観世音菩薩」(秘...亀甲山無量院初午観音多陀寺(島根県浜田市生湯町)

  • 物部神社(島根県大田市川合町川合)

    訪問日令和元年5月28日物部神社(石見国一宮)初めて訪れる場所だけに気持ちが高ぶってくる。駐車場の前に大きな鳥居が見える。大鳥居神社の多い島根県内でも木造としては最大の大きさだという。境内の左側から散策する。「納札所」の奥に大好きな動物の姿が……神馬(種牡馬パーソロン号)これまで多くの神馬を見てきたが、この神馬は他とは違い、競走馬だとすぐ感じた。日本競馬史上最強馬といわれた「皇帝シンボリルドルフ号」を誕生させた。参道に戻る。狛犬手水舎「富金石」という砂金を含んだ石で作られた珍しい手水舎。石の上には「浄」「勝」「財」「健」「徳」の御利益のある曲玉が彫られている。触れるとそれぞれの神徳を授かれるといわれている。拝殿社殿は入母屋造、屋根は銅板葺。扁額には「物部神社」勝石宇摩志麻遅命が石見の地に降臨された際に腰を掛けた...物部神社(島根県大田市川合町川合)

  • 馬木不動尊 光明寺(島根県出雲市馬木町)

    訪問日令和元年5月27日馬木不動尊光明寺私の寺社巡りは、車中泊した道の駅で「最寄りの有名寺社」をスマホで検索し決定している。候補の一つに挙がるまで、その存在すら知らなかっただけに新鮮な気持ちで参拝できる。不動山山門存在感のある朱色の山門。山門には「不動山」「光明寺」「出雲真木不動尊」と書かれている。正式名称は「不動山光明寺」かなと思っていたが、ホームページでは「馬木不動尊光明寺」との記載があった。こちらにも個性的な石灯籠奉賛会員寄贈の「お不動さん」綺麗な花が手向けられている。参道を進むとお堂が見えてくる。緑に囲まれていて、いい雰囲気だ。本堂当山の草創は『出雲国風土記(733年)』に記載されている、朝山郷内の新造院(新しく造ったお寺)に遡るものとされている。中世初頭は真言宗であり、後に禅宗に転じ、更に江戸時代初期...馬木不動尊光明寺(島根県出雲市馬木町)

  • 島根県立古代出雲歴史博物館( 島根県出雲市大社町杵築東)

    訪問日令和元年5月27日島根県立古代出雲歴史博物館旅に出て雨天の際は地元の博物館や美術館を訪れるようにしている。大分前になるが、出雲大社参拝予定が雨に降られ、たまたま立ち寄ったのがこの博物館である。それ以後、展示物や受付や学芸員の親切な対応に魅了され、たびたび訪れている。「古事記・日本書紀・出雲国風土記」「出土銅戈・勾玉のレプリカ(真名井遺跡)」「神像(青木遺跡出土)」「巨大本殿の頃を描いた絵図」鎌倉時代(13~14世紀)朱塗りの柱の本殿は、現在の本殿よりも床がとても高く、ほかの建物よりも大きく描かれている。「平安時代の出雲大社本殿(1/10模型)」「実物大の千木」「宇豆柱」八足門前にある大きな3つの円。宇豆柱が発見された場所だという。古代には3本の大木を鉄輪で束ねて1本の柱とし、高さ16丈(48メートル)の御...島根県立古代出雲歴史博物館(島根県出雲市大社町杵築東)

  • 出雲大社(島根県出雲市大社町杵築東)

    訪問日令和元年5月27日出雲大社出雲大社周辺に来ると何故か雲行きが怪しくなり、どしゃ降りの雨で過去に三度ほど参拝を諦めたことがある。昨日までの青空は消えたが雨の予報はなく、式年遷宮以来の再訪となる。勢溜(せいだまり)の鳥居「下り参道」祓社(はらえのやしろ)神前に至る前にここで身を清める。「水辺を歩く像」奥に「相撲場」が見える。野見宿禰神社(のみのすくねじんじゃ)相撲の始祖とされる野見宿禰を祀る。「松の参道」中央は進入禁止。参拝者は左右の参道を歩く。私は左側を選択。この広場は初めてだ。「縁むすびの碑」「勅使館・斎館・社務所」と続く「大黒様」女性のグループがやってきて、「こんな歌詞だった?」といいながら、突然、歌い出した。YouTubeで「大黒様」を聴きながら、当時の情景を辿った。不思議だが、神話や童謡・唱歌は年齢...出雲大社(島根県出雲市大社町杵築東)

  • 日御碕神社(島根県出雲市大社町日御碕)

    訪問日令和元年5月26日鰐淵寺から日御碕神社に向かう途中「東京優駿(ダービー)」の馬券を購入しスマホで中継を聴く。いつものように予想外の馬が飛び込んできて、残念な結果となった。日御碕神社(ひのみさきじんじゃ)途中、海岸線の風景が美しくドライブコースとしても楽しむことができる。この神社の存在を知ってから、何故か天候に恵まれず、今回やっと実現した。「和布刈(めかり)神事」ワカメを刈り取り神前に供える儀式日御碕神社(建造物)12棟2基が重要文化財に指定されている。手水舎日沈宮(下の宮)楼門(重要文化財)神社は下の宮「日沉宮(ひしずみのみや)」と上の宮「神の宮」の上下二社からなり、両本社を総称して「日御碕神社」と呼ばれている。「蟇股の彫刻」境内の楼門や社殿に多種多様の彫刻があしらわれている。「狛犬」か楼門内部の彫刻末社...日御碕神社(島根県出雲市大社町日御碕)

  • 浮浪山 一乗院 鰐淵寺(島根県出雲市別所町)

    訪問日令和元年5月26日浮浪山一乗院鰐淵寺平成26年10月に初めて訪れ、機会があったら再訪しようと思っていた魅力ある寺院だ。この場所は駐車場でしばらく歩くことになるが、二回目なので不安はない。昨夜は弁慶の生誕地である、道の駅「本庄」に車中泊した。3年間「鰐淵寺」で修行し、比叡山に登ったという。鳥のさえずりと水の流れる音が記憶に残っていたが……仁王門息が切れる頃に仁王門が見えてくる。注意書きの看板が目につく。「仁王像」いつものように格子の隙間にレンズを入れて、適当にシャッターを切る。私が考えて撮るより迫力ある画像になることが多い。案内板の内容に目を通すが、数メートル後には忘れてしまう。受付にて入山料を納める。滝の方を先に訪れることを住職に伝えて出発する。ずっと雨が降っていないので滝の水が涸れているかも知れないと言...浮浪山一乗院鰐淵寺(島根県出雲市別所町)

  • 醫王山 一畑寺<一畑薬師>その2(島根県出雲市小境町)

    訪問日令和元年5月26日醫王山一畑寺<通称:一畑薬師>1300段余りの石段(参道)でも有名と書いたが、駐車場からの参拝ではここが最初の石段となる。仁王門巨大な額には山号の「醫王山」「金剛力士」右が口を開けて「阿」をあらわす密迹金剛、左が口を閉じて「吽」をあらわす那羅延金剛。「阿」がサンスクリットの最初の音、「吽」が最後の音で、生命や宇宙の「はじめ」と「おわり」を象徴するとされている。鐘楼堂鐘は明治24年鋳造。第二次世界大戦の昭和19年10月軍へ供出され、岡山県玉島市の製鉄所に送られた。溶鉱炉へ入れようとすると、急に停電になったり、吊り下げるチェーンが切れたり、係りが病気で休んだり、どうしても作業がはかどらずそのうちに終戦を迎えた。観音堂中国観音霊場第26番札所/百八観音霊場第31番札所正面には、中国の観音聖地・...醫王山一畑寺<一畑薬師>その2(島根県出雲市小境町)

  • 醫王山 一畑寺<一畑薬師>その1(島根県出雲市小境町)

    訪問日令和元年5月26日醫王山一畑寺<通称:一畑薬師>一度訪れたことのある寺院で、調べてみると平成21年7月、10年前になる。私の好きな俳優の中井貴一氏が参拝に来ていて、今でも、当時の情景を鮮明に記憶している。この寺院は、禅宗(臨済宗妙心寺派)、一畑薬師教団の総本山。長い参道をしばらく歩くことになる。標高200メートルの一畑山上にあり、1300段余りの石段(参道)でも有名。「足るを知る者は富み、強(つと)めて行なう者は志有り」私の好きな言葉の一つだ。緩い坂道を歩いて行く。運動不足に加え肥満の老体には厳しいものがある。石仏を撮り呼吸を整え、また歩く。「狛犬」山門本坊書院、法堂へと続く門。本坊書院山門の正面に書院が見える。作務衣姿て清掃をしていた2人の女性に元気の良い挨拶をされた。法堂(坐禅堂)平素は坐禅や研修にも...醫王山一畑寺<一畑薬師>その1(島根県出雲市小境町)

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