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hikaze
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2014/11/07

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  • 薩英戦争の笑話(奈良原家に砲弾が当たった話など)——市来四郎談(史談会速記録)

    生麦事件、またそれに引き続く薩英戦争によって薩摩藩は「攘夷の先鋒」や「攘夷のチャンピオン(芳即正氏の表現)」とみなされ、攘夷急進派からもてはやされたのであるがそれは実態のともなわないものであった。そうした藩内の情況については市来四郎が詳しく語っているので、前回と同じく『史談会速記録』から紹介したい。 市来四郎が母に謝罪した話 市来四郎は、斉彬に抜擢され集成館事業に携わったほどの有能な人材であり、生麦事件以来の攘夷派の熱狂には苦々しい思いを抱いていた開明的な思想の持ち主であった。しかし、その市来ですら、イギリスが砲撃したとしても市街地にまで被害が及ぶとは想定していなかったようで、開戦の前々夜、母…

  • 薩英戦争前の薩摩側の奇襲作戦

    文久2年8月21日、生麦事件が起きた。これは大名行列の前を騎乗したまま横切ろうとしたイギリス人数名を衛士が斬りつけ、そのイギリス人のうちの一人リチャードソンが奈良原清*1によって斬殺された事件である。 イギリス政府は、幕府に謝罪書と賠償金10万ポンド、薩摩藩に下手人の逮捕処分と慰謝料2万5000ポンドを要求した。幕府はその要求に応じたが、薩摩藩は拒絶。そのため生麦事件から10ヶ月経った文久3年6月27日、英艦七隻が鹿児島湾に侵入した。無論これは戦争を目的としたものではなく、交渉を有利にすすめるための威嚇にすぎなかったが、英艦の戦備は当時攘夷の熱狂にとりつかれていた薩摩藩士は大いに刺激した。 後…

  • 示現流について——東郷実政談(史談会速記録)

    今回は『史談会速記録 合本22』の第151輯「東郷実政君の示現流剣法の由来附十六話」から、示現流にかかわる逸話を紹介したい。 東郷実政君略履歴 東郷実政君は通称六郎兵衛鹿児島県出身にして祖先以来旧藩主島津侯に仕へ世々示現流の武術師範たり君少壮家流の技に達し長して藩内子弟を教導し藩職を歴事して勤労多し維新の戦役に当たっては一隊の監軍となり越後口に向かはれ戦後江戸に凱戦せられ朝兵の指揮を掌とられしか後帰国あり尋て朝に仕へ警察の職を歴任せらるゝこと十数年に垂んとす又鹿児島警察部長に進み幾もなく官を辞せられ今健在年六十七 島津家久と示現流 示現流は、古くは”自顕流”と書いていたが島津家久(初代藩主)に…

  • 西郷隆盛と折田要蔵の乱闘——渋谷直武談(史談会速記録)

    『近世日本国民史』のなかで徳富蘇峰は、西郷隆盛が高潔な人格とユーモラスな人柄を併せ持っていたこと述べ、くわえて「西郷はことさら恭謙、士に下って、もって人心を収攬せんことを力(つと)めた王莽一流の偽君子ではない。彼はその人の悪事に対しては、もしくはその人の過失に対しては、これを詰責するに決して憚らなかったが、自ら大人として他に誇るがごとき態度は、いかなる場合でもなかった」と記している。 その例証となるような逸話を渋谷直武*1が語っているので紹介したい。 流刑地へ西郷を迎えにいった渋谷直武 渋谷直武の語るところでは、「西郷が大島へ流されて居りました時、吉井幸助(友実)使として島へ迎えに往きました、…

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