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  • 白井鳥酔 千葉県長南町地引・正善寺

    里山の石仏端書166長南町地引・正善寺の白井鳥酔碑正善寺の入口に「鳥酔の/露柱庵」に石碑があり、寺の裏山に白井鳥酔の墓がありました。現地の案内に、白井(1701~1769)は地引の代官を務めた白井家に生まれ。代官も務めたが俳諧を志し、芭蕉没後に低調卑俗化した俳諧の復興に貢献したことが記されています。墓の中央に三基から成る碑があり、その中央に「露柱塚/涼志さ也む/可しへ毛登類/夢乃橋」銘。露柱塚は正善寺に造った庵で、俳号でもあった露柱庵から名付けられたものです。このような塚と石碑が、鳥酔の弟子たちにより各地に建てられたようです。(地図は国土地理院ホームページより)白井鳥酔千葉県長南町地引・正善寺

  • 延命地蔵 千葉県長南町地引・妙覚寺

    里山の石仏端書165長南町地引・妙覚寺の延命地蔵妙覚寺の参道に品の良い地蔵が座しています。右手は錫杖を持つ形、右手は宝珠、右足を台座から下げた半跏座の地蔵です。この半跏座の地蔵こそ、仏説延命地蔵経に「右の膝を曲げて、臂を立て、掌に耳を承け、左の膝を申べ下し、手に錫杖を持して」と説かれた延命地蔵です。妙覚寺参道の地蔵と経典の地蔵像では若干違いますが、半跏像で足を下げている姿は延命地蔵として間違いありません。石仏の延命地蔵を見ると、立ち上がった地蔵や足を下ろしていない地蔵も延命地蔵と紹介されている例が沢山ありますがそれも間違いではなく、とげぬき・しばられ・子抱・水子ほか経典にない異名地蔵は五万とあります。これも釈迦亡き後56億7千万年後に弥勒菩薩が登場するまでの無仏の時代、衆生を救う仏として地蔵菩薩に与えられ...延命地蔵千葉県長南町地引・妙覚寺

  • 行堂、百八社参り札 千葉県長南町地引・八坂行堂

    里山の石仏端書164長南町地引・八坂行堂の行堂、百八社参り札ここに案内する行堂(ぎょうどう)は、出羽三山を参りする人たちが集落に建てたお堂です。房総には出羽三山に出かける前のお籠りや、八日講などと呼ぶ行事を続けているところが沢山あり、長南町地引の八坂行堂もその一つです。お籠りは行屋に泊り飲食や行動を慎み、心身を清めること。八日講は出羽三山の登拝する講の呼びかたで、三山講、奥州講などするところもあります。集落内の狭い路地を登った先に建つ行堂は民家風ですが、室内に祭壇を作り出羽三山を御祀りしています。出羽三山に出かける前にはここに籠って身体を清め、毎月の8日にはここで地域の安全や五穀豊穣を祈願するそうです。行堂の先には出羽三山の供養塔が3基立っています。いずれも中央に「月山」脇に「羽黒山/湯殿山」銘。「大神」...行堂、百八社参り札千葉県長南町地引・八坂行堂

  • 昭和の石仏写真館(122)大田区の寺社⑨

    伊藤介二・昭和の石仏写真館・東京都大田区羽田羽田神社自性院牛頭天王堂牛頭天王案内羽田囃子①羽田囃子②玉川弁才天弁才天前の六郷川昭和の石仏写真館(122)大田区の寺社⑨

  • 里山の石仏端書・神奈川県厚木市飯山、煤ケ谷

    里山の石神端書156厚木市飯山・大師堂の地蔵群里山の石神端書157厚木市飯山・金剛寺の六地蔵里山の石神端書158厚木市飯山・龍蔵神社の地蔵里山の石神端書159厚木市飯山・飯山観音の坂東札所石仏里山の石神端書160厚木市飯山・白山の龍里山の石神端書161厚木市飯山・熊野神社の道祖神里山の石神端書162清川村煤ケ谷・蓮久寺の宝篋印塔里山の石神端書163清川村煤ケ谷・八幡神社の額束里山の石仏端書・神奈川県厚木市飯山、煤ケ谷

  • 額束 神奈川県清川村煤ケ谷・八幡神社

    里山の石神端書163清川村煤ケ谷・八幡神社の額束金翅集落を見下ろす高台に建つ八幡神社の社殿横に、かつて鳥居に付いていた額束(がくつか)が置かれていました。地面に置かれた額束を眺めていて、石にしては構造の複雑さに気づきました。普通額束は鳥居の中間、笠木と貫の間に挟むきょうに置かれますが、八幡神社の額束は人を見下ろすように傾きをつけて置くように作られています。額束をよく見ると一石が出来ていて、鳥居に取りつける部分に笠木にはめ込むような突起がついています。石鳥居ならではの固定される構造です。こういう造り方がいつごろから始まったのでしょうか。鳥居の調査・研究の報告はありますが、額束を研究したものはあるようでしょうか。この傾きを付けた石造額束の報告もまだ見ていません。手元にある『鳥居』(注)に額束についての何も記載...額束神奈川県清川村煤ケ谷・八幡神社

  • 宝筐院塔 神奈川県清川村煤ケ谷・蓮久寺

    里山の石神端書162清川村煤ケ谷・蓮久寺の宝篋印塔丹沢東山麓の里にある煤ケ谷の金翅、この小さな集落に建つのが蓮久寺。蓮久寺の境内に大きな隅飾りの宝筐院塔が立っています。宝筐院塔は宝筐院陀羅尼経を納める塔で、笠の部分の四隅の突起が隅飾り。石造宝篋印塔は鎌倉時代中期に関西で始まり、後期に関東での造立が始まり、宝治二年(1248)の鎌倉やぐら出土宝篋印塔が最古の塔です(注)。隅飾りは垂直に立つほど古いものとされていて、徐々に傾きが出て、江戸時代の関東に墓石として造立されるとこの隅飾りが大きくなり、蓮久寺のように四方に広がる宝篋印塔も造られました。蓮久寺の塔は高さも250センチと大型です。相輪があれば3メートルを超えているはず。寛延三年(1750)の造立。宝篋印塔の塔身には阿閦(ウーン)宝生(タラーク)阿弥陀(キ...宝筐院塔神奈川県清川村煤ケ谷・蓮久寺

  • 昭和の石仏写真館(121)大田区の寺社⑧

    伊藤介二・昭和の石仏写真館・東京都大田区羽田長照神社海岸寺久宝寺本羽田公園天祖神社正蔵院正蔵院石仏昭和の石仏写真館(121)大田区の寺社⑧

  • 道祖神 神奈川県厚木市飯山・熊野神社

    里山の石神端書161厚木市飯山・熊野神社の道祖神神奈川県は双体道祖神の多いところで、とくに丹沢山麓で目にします。飯山の熊野神社は住宅造成のため新しく建立された神社。その片隅の稲荷神社脇に道祖神などの石造物が集められていました。道祖神の一つ、双体道祖神は「寛政三年(1791)」の造立。風化が進んでいて全体像はよくわかりません。丹沢山麓の道祖神について松村雄介氏の『相模の石仏』(注)によると、相模に道祖神塔がはじめにあらわれるのは寛文年間(1661~1673)で、僧形の双体像。この形は近世前期の特徴で山梨や群馬にもあるが、男女の祝言像などに変化するのに対し、相模では中期になっても続いたのが特徴と指摘しています。熊野神社の道祖神は江戸後期のもので、僧形ではなく男女双体像です。土地の神である「地神」も神奈川に多い...道祖神神奈川県厚木市飯山・熊野神社

  • 龍 神奈川県厚木市飯山・白山

    里山の石神端書160厚木市飯山・白山の龍飯山観音入口の小鮎川にかかる庫裏橋の下流の土手に飯山七不思議が描かれています。その一つが「白山池の霊水」。白山山頂の池は、飯山観光協会の案内に「白山山頂にある池は日照のときも水がかれることがない」とある雨乞い信仰がある池です。この池には白龍がいるという伝承もあります。飯山観音から白山山頂までは約30分、白山神社の前にある小さな水たまりが龍の住むという池で、青銅の龍が池を覗いていました。池を護るように立つのは山岳信仰の祖と仰がれた役行者。かたわらの石碑に「勅諡神変大菩薩/役行者千百遠忌/文化四丁卯年(1807)」銘があります。勅諡(ちょくし)は天皇が諡(おくりな)を与えることで、役行者は没後1100年の寛政11年(1799)に、光格天皇から神変大菩薩の勅諡をいただいて...龍神奈川県厚木市飯山・白山

  • 昭和の石仏写真館(120)大田区の寺社⑦

    伊藤介二・昭和の石仏写真館・東京都大田区糀谷子安八幡神社天祖神社糀谷神社十王堂十王堂天祖神社三徳稲荷糀谷観音昭和の石仏写真館(120)大田区の寺社⑦

  • 坂東札所石仏 神奈川県厚木市飯山・飯山観音

    里山の石神端書159厚木市飯山・飯山観音の坂東札所石仏飯山観音は坂東札所第六番です。坂東札所の成立には諸説あり、鎌倉時代成立説が有力です。その根拠の一つは札所の多くが鎌倉幕府の御家人の領地にあるということ。この六番飯山観音は、安達義景が堂宇を建立した寺です。第九番埼玉の慈光寺は、頼朝が奥州藤原氏追悼の戦勝祈願をした寺。県内に二か所しかない群馬の第15番白岩観音と16番水沢観音も、御家人になった里見氏の領地でした。里見は鎌倉の動きを静観していた新田氏の一族でしたが、頼朝と親しくしていたことが坂東札所に選ばれたと推測しています。飯山観音の境内に坂東札所各寺院の本尊石仏を巡るコースがあります。置かれた石仏は新しいもので、簡単な像容の観音が並んでいます。千手観音の持物がない手が奇妙で、十一面観音の頭部の面が雑に彫...坂東札所石仏神奈川県厚木市飯山・飯山観音

  • 屋上菜園2023-02闘病日記10

    1月末暖かくなってきたので、タマネギとニンニクに追肥しました。ただ雨が降らないので、追肥は溶けることなく野菜の根元に残ったままです。今年こそ大きく育ったタマネギとニンニクを見たいものです。インゲンも育ち始めました。*抗がん剤に副作用はいろいろあります。特に治験薬の副作用は50もの症例が報告されています。いま苦労している一つが鼻血です。鼻血はいつも少しずつ出ているようで、鼻のなかで固まります。鼻をかむと大きな血の固まりが出てきてビックリすることもあります。この固まりが大きくなると鼻づまり状態になり、気になって鼻ほじりをはじめ、最近はこれが癖になりました。ただあまりいじると血が流れ出し、止まらなくなるので慌ててテッシュを鼻に押し込みますが、こうなるとなかなか止まりません。以前にシャックリが出たときは担当医に話...屋上菜園2023-02闘病日記10

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