chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
arrow_drop_down
  • 中世石仏・地蔵 神奈川県厚木市飯山・龍蔵神社

    里山の石神端書158厚木市飯山・龍蔵神社の地蔵坂東札所第六番飯山観音の入口左手にあるのが龍蔵神社。神社の案内によると祭神は級長津彦(しなつひこ)命、級長戸辺(しなとべ)命、風の神です。『新編相模国風土記稿』に、龍蔵神社の「本尊は石一顆を神體とす、本地弥彌陀薬師十一面」とあり、別当は本山修験の龍蔵院と記されています。また神社の案内では「神亀二丑年(725)僧行基勧請すると云伝えられる。古昔は井山神社龍蔵大権現と称した」とあります。平安時代から仏教が別当(神宮寺)を設けて神社を支配する神仏習合は江戸時代まで続きました。しかし明治維新の神仏判然令で解体されたのを機に、寺と神社はわけられ廃仏毀釈にまで暴走し、寺院・仏像の廃棄にまで進んで神社から仏教色は一掃されました。ただこれには地域差があり、今も神社に鐘楼や石仏...中世石仏・地蔵神奈川県厚木市飯山・龍蔵神社

  • 昭和の石仏写真館(119)大田区の寺社⑥

    伊藤介二・昭和の石仏写真館・東京都大田区蒲田妙典寺石仏梅屋敷公園蒲田八幡神社妙安寺北野神社昭和の石仏写真館(119)大田区の寺社⑥

  • 六地蔵 神奈川県厚木市飯山・金剛寺

    里山の石神端書157厚木市飯山・金剛寺飯山観音入口の庫裏橋を渡った右手奥に建つのが金剛寺。参道入口に「禁葷酒入門」銘の結界石が立ち、山門左手に建つ大師堂に並ぶ百体地蔵は里山の石神端書156で案内しました。金剛寺に大師堂があるのはかつて真言宗だったため、入口に禅宗特有の結界石があるのは室町時代後期に曹洞宗に改めたため。寺の案内によると、寺宝の木彫地蔵菩薩はかつて庫裏橋の側にあったもので、院慶の作。別名「身代わり地蔵・黒地蔵」といわれていたそうです。この地蔵があって、大師堂の百体地蔵につながったように思います。院慶は平安末期から鎌倉時代の仏師の円派、院派、慶派の院派に所属していた仏師です。質素な境内に一石に3尊ずつのあまり見ない六地蔵があります。台座にある「六道能化」の六道は、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天...六地蔵神奈川県厚木市飯山・金剛寺

  • 百体地蔵 神奈川県厚木市飯山・大師堂

    里山の石神端書156厚木市飯山・大師堂丹沢の東山麓にある飯山は中世に仏教文化が栄えたところで、飯山観音の他に金剛寺やかつては寺院も兼ねていた龍蔵神社が今に続いています。大師堂は坂東札第六番の飯山観音・長谷寺の入口、金剛寺の参道に建つ古いお堂です。そのお堂の左脇と裏側に取り付けた庇の中に沢山の地蔵が並んでいるのが百体地蔵。厚木市の『野だちの石造物』(注)によると、その数は台座だけの地蔵も含めて108体で、さまざまな像容が並ぶ光景は壮観です。造立年は元文五年(1740)~文化四年(1807)の約50年間。そのほとんどが近隣の人たちが造立した供養塔ですが、中には江戸の人の銘もありますから、供養のための地蔵奉納は遠方にも知られていたようです。その地蔵たちの写真を紹介します。(注)『野だちの石造物』1972年、厚木...百体地蔵神奈川県厚木市飯山・大師堂

  • 昭和の石仏写真館(118)大田区の寺社⑤

    伊藤介二・昭和の石仏写真館・東京都大田区蒲田榮林寺開山供養塔案内椿神社圓頓寺本堂行方直清供養塔案内昭和の石仏写真館(118)大田区の寺社⑤

  • 里山の石仏端書・埼玉県越生町越辺川

    越生町越辺川・龍ヶ谷山中の太田道灌生地越生町越辺川・龍ヶ谷龍穏寺の結界石越生町越辺川・龍ヶ谷の山神宮越生町越辺川・下ヶ戸の薬師堂越生町越辺川・黒山全洞院の澁澤平九郎越生町越辺川・大満大満寺の板碑里山の石仏端書・埼玉県越生町越辺川

  • 板碑 埼玉県越生町越辺川・大満

    里山の石神端書155越生町越辺川・大満の大満寺大満集落の奥に建つ大満寺は曹洞宗の寺、六地蔵が迎えてくれます。境内から墓地に入るところに板碑が立っています。頭に阿弥陀如来の種字キリークを入れた高さ138センチの板碑です。銘は「十佛土中唯有一乗法/崇性禅門延文五庚子(1360)七月二日/無二亦無三除佛方便」。板碑は死者の追善供養、生前の逆修供養のため、鎌倉期から戦国期まで造立された石卒塔婆です。「十佛土中…無三除佛方便」は法華経方便品第二にある偈頌(げじゅ)で、板碑に刻まれた偈頌では多い文言です。その理由として小花波平六氏は「板碑造立の趣旨によく合致しており、通常人々に親しまれ、誦され、また、死者の供養をはじめ諸種の回向や諷誦・敬白などに、多く用いられているから」(注1)としています。意味は「十方仏土中には、...板碑埼玉県越生町越辺川・大満

  • 澁澤平九郎 埼玉県越生町越辺川・黒山

    里山の石神端書154越生町越辺川・黒山の全洞院澁澤平九郎(1847~1862)こと尾高平九郎は埼玉県深谷の名主の子。寺にある案内によると、平九郎の姉は明治の実業家澁澤栄一の妻で、栄一が渡欧する際に三九郎は澁澤の養子となって澁澤を名乗ります。しかし幕末に旧幕府軍の先鋒となり、官軍と衝突した飯能戦争に敗れて自害、22歳でした。全洞院は古くは修験の寺。中世に近くにある曹洞宗の古刹龍穏寺の末寺となった小さなお寺です。平九郎の首は生越の法恩寺、骸はこの全洞院に葬られました。墓石には「明治元歳五月廿三日為所事戦/不克屠腹死時貮拾貳」とありました。(地図は国土地理院ホームページより)澁澤平九郎埼玉県越生町越辺川・黒山

  • 昭和の石仏写真館(117)大田区の寺社④

    伊藤介二・昭和の石仏写真館・大田区大森大林寺三輪神社三輪神社富士猿密乗寺密乗寺板碑薭田神社稗田神社案内昭和の石仏写真館(117)大田区の寺社④

  • 屋上菜園2023-01闘病日記9

    年末、屋上の仕事納めは散らばっていたプランターの並べ替えでした。タマネギ、ニンニクは元気です。キヌサヤも芽を出して成長しています。*担当医は、体調と相談して好きなことをやっていいですよと言います。私には、元気なうちにやりたいことをやっておきなさい、そのうちやりたくても出来なくなりますと聞こえます。抗がん剤治療を始めてから4か月、体重は7キロ減りました。登山で鍛えた自慢の足はめっきり細くなって淋しいかぎりです。病気は受け入れることができました。しかし体力の低下はまだ受け入れることができないでいます。治験にも参加していて日に2回血圧を計っています。抗がん剤治療後5日目ごろから体調は良くなるので、11月下旬早起きして埼玉の生越の里山へ車で出かけました。京葉・外環・関越と走りなれた道ですが結構混んでいて頭がボーっ...屋上菜園2023-01闘病日記9

  • 薬師堂 埼玉県越生町越辺川・下ヶ戸

    里山の石神端書153越生町越辺川・下ヶ戸薬師堂古いお堂の下ヶ戸薬師堂。境内の石燈籠に「武刕入間郡黒山村/薬師堂/村々心信竒進/文政十二年丑(1829)」銘があります。この薬師を黒山の人たちがどれほど信心していたかは、本堂の長押(なげし)に貼り付けられた寄進者名からもわかります。そのお堂も、いまは立ち寄る人も少ない様子で、古い薬師如来と十二神将があるというお堂内を見ることができません。石仏は薬師堂脇に胸中央に両手宝珠を持つ地蔵菩薩が一つ。銘から尼僧の墓石のように見えます。ここまで越辺川周辺の寺社には町で立てた案内がありました。しかしこの薬師堂には何もなく、お堂そのものが荒れるにまかせているようにみえました。この薬師堂に来る前に訪ねた平倉の菩提寺(地図の青丸)は見つからず、地元の人に訪ねると、とうの昔に廃寺と...薬師堂埼玉県越生町越辺川・下ヶ戸

  • 道標 埼玉県越生町越辺川・龍ヶ谷

    里山の石神端書152越生町越辺川・龍ヶ谷の山神宮龍ヶ谷の奥、川沿いの道が二俣になる所に道標が立っています。苔むした自然石に「右ちゝ婦みち/左たかや□」銘、年期銘江戸時代の道標とみました。右へ行けば、飯盛峠に出て尾根通しに秩父札所1番の四万部に出ますが、江戸からの秩父巡礼はこの龍ヶ谷のだいぶ北にある東秩父から入っていますから、この「ちゝ婦」は巡礼の道ではなく、単に秩父方面ということなのでしょう。「左のたかや□」は高山不動尊への道です。奥武蔵の山中には古くから多くの寺院が点在し、不動明王を本尊とする高山不動もその一つです。奥武蔵は黒山にあった本山派の山本坊をはじめ、天台・真言の修験の山でした。二俣の右手には山神宮があります。案内よると祭神は大山衹、江戸時代初期の創建で明和と天保に再建されています。(地図は国土...道標埼玉県越生町越辺川・龍ヶ谷

  • 昭和の石仏写真館(115)大田区の寺社③

    伊藤介二・昭和の石仏写真館(115)大田区大森厳正寺不入斗稲荷神社徳淨寺貴船神社貴船神社狛犬昭和の石仏写真館(115)大田区の寺社③

  • 結界石 埼玉県越生町越辺川・龍ヶ谷

    里山の石神端書151越生町越辺川・龍ヶ谷の龍穏寺龍穏寺は曹洞宗の古刹。寺の案内によると、太田道真(1411~1492)・道灌(1432~1486)親子により中興され、江戸時代に曹洞宗寺院を統括する僧録司に任じられ、下総市川の総寧寺と下野栃木の大中寺とともに〝関三刹〟と呼ばれ、本山江永平寺の貫主の多くがこの三ヶ寺から昇山したそうです。龍穏寺の入口に造立されたのが「禁葷酒」の結界石。葷はネギ・ニラ・ニンニクなどの臭いの強い野菜。僧侶が修行をする寺に、葷酒の臭いがする俗人の入山を禁じたものと解釈さてらいます。結界石の多くは角柱に銘が入ったものですが、龍ヶ寺の結界石は高さ170センチの自然石の彫られた古刹に相応しい堂々たるものです。境内奥に太田道灌の墓所もありました。案内に、道灌の「戦功と高潔な人柄は、かえって主...結界石埼玉県越生町越辺川・龍ヶ谷

  • 太田道灌生地 埼玉県越生町越辺川・龍ヶ谷

    里山の石神端書150越生町越辺川・龍ヶ谷の山中越辺川上流の龍ヶ谷に、江戸城を築いた太田道灌(1432~1486)の生地「三技庵」がります。現地に立つ案内には、三技庵は道灌の父道真(1411~1492)が築いて自得軒砦と名付けたそうです。また案内には『新編武蔵風土記稿』の龍穏寺の項に「寺中三技庵門前の小高き所にあり、此所古へ道真入道が居住せし所ならんといへり」とあります。龍穏寺は曹洞宗の古刹で、道新・道灌親子により再興された寺です。三技庵は龍穏寺の東に山中で一帯は杉林の中。中世の砦跡ですから、この時代の城跡の見方に慣れていないと、単なる山の中の平坦地にしか見えません。かろうじて生越町の案内が立っているので砦跡とわかります。砦跡の傍らに石仏が一体。「松室良樹禅定尼/天和二年壬戌(1683)」銘のある如意輪観音...太田道灌生地埼玉県越生町越辺川・龍ヶ谷

  • 里山の石仏端書・千葉県富津市白狐川流域

    里山の石神端書145富津市竹岡・仲村のお堂のショケラ里山の石神端書146富津市竹岡・金山の大日寺の岩屋里山の石神端書147富津市竹岡・観音堂の遍照金剛里山の石神端書148富津市竹岡・稲荷神社の狐里山の石神端書149富津市竹岡・上白狐の石仏覆屋里山の石仏端書・千葉県富津市白狐川流域

  • 里山の石仏端書・千葉県富津市白狐川流域

    里山の石神端書145富津市竹岡・仲村のお堂の庚申塔里山の石神端書146富津市竹岡・金山の大日寺の岩屋里山の石神端書147富津市竹岡・観音堂の遍照金剛里山の石神端書148富津市竹岡・稲荷神社の狐里山の石神端書149富津市竹岡・上白狐の石仏覆屋里山の石仏端書・千葉県富津市白狐川流域

  • 里山の石仏端書・千葉県富津市白狐川流域

    里山の石神端書145富津市竹岡・仲村のお堂の庚申塔里山の石神端書146富津市竹岡・金山の大日寺の岩屋里山の石神端書147富津市竹岡・観音堂の遍照金剛里山の石神端書148富津市竹岡・稲荷神社の狐里山の石神端書149富津市竹岡・上白狐の石仏覆屋里山の石仏端書・千葉県富津市白狐川流域

  • 里山の石仏端書・千葉県富津市白狐川流域

    里山の石神端書145富津市竹岡・仲村のお堂の庚申塔里山の石神端書146富津市竹岡・金山の大日寺の岩屋里山の石神端書147富津市竹岡・観音堂の遍照金剛里山の石神端書148富津市竹岡・稲荷神社の狐里山の石神端書149富津市竹岡・上白狐の石仏覆屋里山の石仏端書・千葉県富津市白狐川流域

  • 里山の石仏端書・千葉県富津市白狐川流域

    里山の石神端書145富津市竹岡・仲村のお堂の庚申塔里山の石神端書146富津市竹岡・金山の大日寺の岩屋里山の石神端書147富津市竹岡・観音堂の遍照金剛里山の石神端書148富津市竹岡・稲荷神社の狐里山の石神端書149富津市竹岡・上白狐の石仏覆屋里山の石仏端書・千葉県富津市白狐川流域

  • 里山の石仏端書・千葉県富津市白狐川流域

    里山の石神端書145富津市竹岡・仲村のお堂の庚申塔里山の石神端書146富津市竹岡・金山の大日寺の岩屋里山の石神端書147富津市竹岡・観音堂の遍照金剛里山の石神端書148富津市竹岡・稲荷神社の狐里山の石神端書149富津市竹岡・上白狐の石仏覆屋里山の石仏端書・千葉県富津市白狐川流域

  • 2023年石仏写真展

    日本石仏協会2023年石仏写真展期日1月17日(火)~22日(日)会場東京都千代田区一番町25JCBビル地下1F日本カメラ財団JCⅡクラブ25フォトサロン時間午前10時~午後5時最寄駅東京メトロ半蔵門線・半蔵門駅④出口偏平足の作品「限界集落の神仏」群馬県下仁田町西牧野中野・山神神社の山の神群馬県桐生市黒保根町・楡沢の石祠新潟県上越市柿崎区平沢・光宗寺の阿弥陀如来群馬県片品村針山・針山穴観音の狐東京都八王子市上恩方町・枠山神社の狛犬2023年石仏写真展

  • 昭和の石仏写真館(115)大田区の寺社②

    伊藤介二・昭和の石仏写真館(115)大田区大森最徳寺題目寺東貫森稲荷大森神社浅間神社諏訪神社昭和の石仏写真館(115)大田区の寺社②

  • 屋上菜園2023-01闘病日記8

    2023年、屋上の野菜も食道がんの私も新年を迎えることができました。*おみくじを引くのは年1回、千葉・船橋大神宮の初詣だけです。そのおみくじは財布に入れ、前年のおみくじを神社に返します。昨年のおみくじを見ましたら「大吉」でした。旅行のところには「さわりなし病用心」とあり、病気のところには「なおる信心が第一」とありました。10月より抗がん剤治療中の身としては、このおみくじ当たっているような、いないような一年でした。今年は4日から入院しての治療なので、初詣は退院してからにします。屋上菜園2023-01闘病日記8

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、偏平足さんをフォローしませんか?

ハンドル名
偏平足さん
ブログタイトル
偏平足
フォロー
偏平足

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用