今日ニイニイゼミが鳴きました。東京下町も梅雨が明けました。お昼時です。サラリーマンが食事に出てきました。ショッピングモールの飲食店が集まっている場所です。[千成りもなか]も在ります。今年も氷は販売しないそうです。ポツンと魚屋が在ります。振り返る商店街です。突き当りは都電が走る坂です。お昼時の大塚ショッピングモール
南小岩で迷っていたら、商店街に出逢いました。今にも雨が降りそうな寂しい景色です。八百屋です。どんなに寂れた商店街でも、絶対必ず八百屋は在ります。廃業していません。いつも不思議に思っています。利益率が高いのでしょうか?アーチを潜って、商店街を行きます。立派なアーチです。賑やか繁盛商店街だったのでしょうね。「商品券まつり」のバナーが街頭に出ていますが、商店が在りません。井戸端会議が寒そうです。瀬戸物屋が在りました。すぐに終点です。正面に学校が在ります。多分あれが○○五中(確認に行きません。億劫です)で、そこから命名した商店街だと思います。振り返ります。・・・ここからでは民家しか見えません。五中通り商店街に出逢った。
韓国で事故がありました。日本の今夜はどうでしょう?一日早くハロウィーンです。カヌーでハロウィーン
ホッコリする自販機です。この工場に有ります。現役の鉛筆工場です。いつも忙しそうです。ここには社名看板が見当たりません。自販機が看板です。私の水分補給の場でもあります。金子鉛筆製作所の自販機
「お化け階段」は各地に在ると思います。東京は根津と弥生の間の石段が有名です。上りと下りの階段の数が違うのです。丁度良い公園が在りました。この場所は、手前と左に下っている地形です。そこに階段が在ります。一番右の階段は4段です。一番左は、6段です。右側通行すると、上がる時は4段で、下がる時は6段です。これがお化け階段の正体です。斜面に造られた階段は、踏み外しのないよう歩幅に合わせて、水平を保つ為に段数を調節します。街路灯など無く手持ちの照明も乏しい時代に根津と弥生の階段を往復した時、日没後の階段は地面の傾斜がよく見えず、「お化け」に出逢ったと思ったのでしょうね。余談ですが、この階段、真ん中を使うと5段です。「大お化け階段」です。お化け階段の正体は、
本郷菊坂から金魚坂を上がります。自転車を押して上がります。こんな場所に、金魚屋です。坂が狭くなります。自転車を押し難いです。軽食喫茶店も経営しています。壁の掲示板には「金魚すくい大会」の告知が出されています。老舗店です。本物の金魚屋です。創業350年です。本郷菊坂に在ります。金魚坂の秋
菊坂の底です。木造3階建住居を見ながら石段を上がります。菊坂の路です。住宅を眺めます。・・・秋の陽に向かって石段を下ります。菊坂の底です。樋口一葉が住んだ街です。本郷4丁目木造3階建住居
成城石井に立寄ったら、もうクリスマスの飾り付けです!驚いていたら、隣の店が目に入りました。まだハロウィーンが終わってないんだよ。もうMerryXmas⁉
樋口一葉の使った井戸の上の路地は陽が当らない路地です。そこにも石垣に挟まれた路地が在ります。鐙坂方面です。反対側です。木造3階建の2階部分がここの玄関です。初めて住人を見ました。木造3階建に挟まれた空間です。釘貫門を降りて行きます。別空間へ境界のようです。樋口一葉が暮らした路地を行きます。光の世界へ行く人を見送ります。さて、私も光の中へ行きます。こちらの釘貫門の向こうは鐙坂です。光の中を人が上がります。振り返る釘貫門です。あそこから出て来ました。井戸の上の路地です。鐙坂を下ります。坂を下りながら右手を見ます。樋口一葉の井戸の所在地を探します。正面の白い住宅とクリーム色の間辺りです。あそこの辺りに井戸が有ります。あんな所です。樋口一葉の井戸の上の風景
秋の陽が射す路地を入ります。樋口一葉が使った井戸が有ります。菊坂の底の一角です。石段を上がろうと思います。見上げます。井戸が有る広場を振り返ります。両側の木造3階建住宅が創り出した空間を見上げます。石段の上です。やってきた路地を眺めます。秋の路地です。ちょっと下がって、釘貫門を通して眺めます。門は境界を示します。集落の境であり、世界の境であり、時空の境のように見えます。異空間のように見える空です。秋の青さです。秋の本郷4丁目樋口一葉の井戸
地名本郷は、本郷台地の上に在ります。坂の街です。鳳明館別館は、今日は休みのようです。別館前から鳳明館の本館が見えます。路地の向い側です。路地の奥にも看板が有ります。ここが本館の玄関です。良く手入れされています。今の本郷は高級住宅街ですが、昔は旅館街でした。どの旅館かは不明ですが、修学旅行で本郷に泊まりました。大宮に住んでいた叔父一家に来て貰って、銀座を案内して貰いました。食事の後、ACB(アシベ、確かこんな表記だったと思います)に連れて行って貰って、大興奮したのを今でも鮮明に覚えています。グループサウンズ全盛の頃です。そんな記憶が蘇って、秋の空を見上げました。あのとき泊まった大きな旅館は何処だったのか、見当も付きません。ひょっとしたら、現在でも3箇所で旅館を営んでいる、鳳明館の何処かだったのでしょうか?そ...本郷に鳳明館の在る風景
「解体工事のお知らせ」が有りました。もう工事用のネットが張られています。ちょっと建物が見えます。既に解体中です。ここは千住駅北口の「きたろーど1010商店街」の一角です。館内の様子写真も展示されています。そしてこんなポスターも貼られています。「東京の下町、足立区北千住のランドマークとして長きに渡って地域に愛された『大橋眼科』。『『アーケードの一角に、まるで映画のセットのような洋館がある』とSNSでも話題になったアンティーク洋館の取り壊しが2022年夏決定しました。“レトロ建築を、どうにかして遺したい”その思いのもと、本プロジェクトが立ち上がりました。」「クラファン限定!大橋眼科グッズ」+「移転再建される大橋眼科にあなたの名前を掲示できる権利」「資材高騰で膨大な移転再建費が必要です、、、どうか、ご支援をお願...大橋眼科移築再建計画推進中
木洩れ陽の遊歩道を行きます。時々池を覗きます。時々振り返ります。思ったより水位が低いです。あの先端の石まで行きます。光の中の三四郎池です。鯉がいます。こんなに寄って来ました。空腹なんだろうか?逃げました。秋の陽射しの三四郎池です。赤門を見て移動します。良~い天気です。散策を続けます。三四郎池を歩く
木洩れ陽の東京大学キャンパスです。自転車を停めます。この石段を降りて行きます。木洩れ陽の中に現れました。三四郎池です。あの橋へ行きます。水面に秋が映ります。池畔を歩きます。秋酣の三四郎池
空が青いです。東京大学の秋です。毎年ここの黄金の景色を楽しみにしていました。今年はキャンパスが開放されています。下見に来ました。木洩れ陽の銀杏並木です。正門を振り返ります。散策します。工学部の名物銀杏です。木陰で秋を楽しんでいます。戻ります。正門方向です。文学部を抜けます。三四郎池へ行きます。東京大学の銀杏並木
東京大学農学部キャンパスのレストランです。陽射しが素敵です。今日のメニューです。どれを注文してもお得感があります。その前に庭に降ります。庭からアブルボアを観賞します。庭に扉が有ります。ここから街と繋がります。外から入りたい時はインターホンを押して解錠してもらいます。出る時は勝手に扉を開けます。扉の正面の路は、異人坂に続きます。さて、何を食べましょうか?アブルボアの秋
木洩れ陽の下のハチ公と上野博士像です。渋谷駅頭の出迎え風景です。秋酣の東京大学農学部キャンパスです。本郷の秋です。木洩れ陽の下のハチ公
根津神社の西参道へ行きます。乙女稲荷神社です。秋の陽射しが注ぎます。賑わっています。七五三の撮影中です。透かし塀にも陽が注ぎます。透かし塀を覗きます。木洩れ陽の本殿です。いつものアングルです。視線を上げます。秋酣です。そして、やっと人が居なくなった瞬間の乙女稲荷です。乙女稲荷と透かし塀の秋景
空は高いし、気温は穏やかだし、絶好の散策日和です。やって来たのはいつもの根津神社です。千本鳥居です。見上げれば抜ける空です。楼門です。舞殿から観ます。拝殿も。秋酣です。秋酣の根津神社
浅草寺が賑わっていました。外国人が半分以上居るのじゃないか?と思っていたかつての賑わいには遠いけど、全く人が歩いていなかった時を知っている私には、驚きの光景です。ふと思ったのですが、外国人を除いた正味の日本人観光客って、こんなものではないのでしょうか?参道が狭くなる光景が蘇りました。皆さんコロナとコロナの谷間と思っているのでしょうね。今のうちに、ですね。浅草の賑わい
大塚のおにぎりぼんごが移転して営業を再会していました。店内は元の店と全く同様で違和感がありません。店先には整理員が居ます。凄いね!と最後尾へ行きました。案内板が有ります。えっ!?最後尾はここじゃない??店の前の道路の向こうに人が並んだ絵があります。えっ、あそこ?あの進入禁止の標識のところ?凄いね!?たかが「おにぎり」なのに?されど「おにぎり」なんですね。1時間待ちかな?おにぎりぼんご長蛇の列
すっかり陽が低くなった池之端の路地です。もうバスケットゴールの影を色濃く落とす夏の陽射しはありません。ここの主人と約束しました。柘榴が割れたら、取って食べて良いと。割れていません。おかしいなあ?あの人は、9月末には割れると言っていました。西洋柘榴じゃないから酸っぱくて美味しいよ、とも言っていました。裏側を覗いたら、割れています!柘榴って、陽の当たらない側が割れるのですか?柘榴の生態に疎いです。・・・取って良いと言ってたけど、そうは言ってもなあ。あの人現れないかなあ?家の中からは、尺八の音が聞こえるだけです。あの人の息子さんが教えているのだと思います。現れないので井戸へ行きます。狭い路地の半分だけ陽が射しています。初めて見る光景です。面白そうです。路地の上の空は、青く明るい秋の空です。半分日が射す井戸を観賞...池之端の井戸と柘榴
下校時間の砂町銀座商店街です。曇り空だし、夕方は肌寒いです。これからお惣菜屋が賑わいます。大きな揚げ物です。ジャンボミンチカツです。やっぱりここが賑わっています。寒くなったらおでんです。これから行列が長くなります。寒くなったら必ずTVに登場する店です。今年ももう何度かTVで観ました。お父さん達も買い物です。単身赴任者でしょうか?お使いでしょうか?こういうのって、出勤前に頼まれるのでしょうか?それとも勤務中にLINEで指示が来る?暖かい夜になりますね。下校時間の砂町銀座商店街
前回の続きです。長屋に来ました。部屋の正面に大きな鋸が有ります。大木を縦に轢いて板を作る道具です。深川には木場が在ります。木挽職人大吉の部屋です。小さな部屋です。向かいは松次郎の部屋です。部屋には網が有ります。漁師のようです。部屋の奥の囲いの中は寝具です。松次郎の斜め向かい、大吉の隣はおしずさんの部屋です。大吉と松次郎の部屋の倍の広さです。三味線の師匠のようです。広い部屋は稽古場を兼ねています。その斜め向い、松次郎の隣は正助の部屋です。剥き身が商売です。浅草丼屋に売るのでしょうか?部屋の中は貝殻が有ります。その他は筵ゴザと食器だけです。質素な暮しです。どぶ板の路地です。長屋の中央です。住民共同のインフラです。左下はごみ箱です。その向こうは共同トイレです。共同井戸です。井戸端会議の賑わいが目に浮かびます。お...深川江戸資料館/長屋
随分久し振りになります。深川江戸資料館にやって来ました。「みゃあ〜」とのんびり、屋根の上のバイオリン弾きならぬ猫が迎えてくれました。あ!昔と変わっていません。ボランティアガイドが説明しています。お馴染みの光景です。江戸の商店街です。八百屋です。暗いです。こんな光量だったのでしょうね。隣は米屋です。精米機です。足踏み式です。ついてみました。「踏むのは3回までです」と書いていました。見上げるとニワトリです。餌はくず米です。店から表を見ます。商店街の突き当りは堀です。今で言う運河です。ここには船宿が在ります。堀には舟です。広場には屋台が有ります。天麩羅屋です。蕎麦と同様、急ぐ時に軽く摘まむ食品でした。こちらには蕎麦屋です。真ん中の竿を担いで移動していました。担ごうとしたら、江戸の町を歩いています。深川江戸資料館/商店
小名木川の扇橋閘門の中に居ます。今日は隅田川へ行きます。現在の小名木川の水位です。海抜ゼロメートル地帯です。閘門の壁に囲まれて居ます。今現在、―70cmの場所です。操作室から「2,2m水位を上げる」とのアナウンスがあります。底から水が湧いて来ます。カヌーが流される勢いです。こんなに高くなりました。これが隅田川の水位です。前方の扉が上がりました。隅田川に向かって漕ぎ出します。今日は波が静かです。萬年橋に来ました。運河の街なので多くの橋が架かっています。その中でも有名な橋です。葛飾北斎は「富嶽三十六景」で、萬年橋の橋桁の下に富士山を描きました。丁度この位置です。当時は、今見えるアーチのような橋が架かっていて、半月状の橋下に左側に富士山が見えました。北斎は舟から富士山を眺めましたが、今はビルしか見えません。萬年...扇橋閘門を通って隅田川へ
国立競技場前の五輪マークです。オリンピック開催中は観戦できないジレンマと日本人選手の活躍と相まって、多くの人が行列をなして、ここで写真を撮っていました。今は、訪れる人は居ません。オリンピックミュージアムにも人が居ません。ミュージアム前からの風景です。当初のデザインから替わった建てた競技場です。コロナ禍で開催が1年遅れ、招致合戦時の賄賂事件が発覚し、森大会委員会長が舌禍で辞任し等々、紆余曲折を経て無観客で開催されました。日本人選手の活躍で盛りあがりました。「やって良かったのかな」の雰囲気が国民の間に定着しかかった頃、元電通専務の大会理事のオリンピックスポンサー決定時の贈収賄事件が発覚しました。今日も新たな贈賄事件が発覚しています。まだ出てくる予感がします。元総理まで到達できるか?完全に興醒めです。「何をやっ...「TOKYO2020」を振り返えらされる場所
カラーマンホールに出逢いました。千駄ヶ谷大通り商店街です。商店街を行きます。その先に烏森八幡神社が在ります。ここに将棋堂が在ります。中が見えにくいので写真を展示しています。そして、烏森八幡神社の隣に、将棋会館が在ります。ここは秋の到来が早いです。千駄ヶ谷は将棋の街
松本楼に陽が陰ります。オープンテラスでは会話が弾んでいます。松本楼の夕景です。灯りが暖かいです。秋夕の松本楼
尾久の商店街に非系列のガソリンスタンドが在りました。非系列なので、地域住民が主な顧客だと思います。ガソリン需要が減退している世相です。経営は大変だろうな、とみていました。<2021年11月>偶然、解体工事に遭遇しました。やっぱり廃業しました。でも駅に近い立地なので、住宅需要があると思っていました。<2021年12月>この店とは偶然のタイミングがよくありました。地下タンクの掘り出し工事に遭遇しました。<2022年3月>更地になりました。<2022年4月>建築工事が始まりました。共同住宅が14戸も経つ計画です。この面積で?マンションだろうか?<2022年7月>あっという間に建物ができました。<2022年8>月外観が現れました。戸建てです。これで14戸?裏のマンションも併せてでしょうか?<2022年10月>戸建...山崎屋油店の変遷
深川の路地でいきなり出逢いました。圧巻です。圧倒されました。なんだ、このビル?富岡八幡宮祭りのラッピングです。流石は江戸っ子!やることが派手です。気合が入っています。折角の「富岡八幡宮祭りLOVE」なのに、人通りが少ないのが残念です。富岡八幡宮祭りビルに遭遇した。
今年は猛暑でした。季節の感覚に異常を来していたのか、深川かかし祭りを見逃していました。名残を楽しみます。先ずは「ヤマンバギャル」です。懐かしい!こんな少女が居ましたねえ。「メロンパンナちゃん」「とけたアイス」です。発想が面白いけど、、アイスには見えない・・・。この一角に複数のかかしが残されていました。「折り鶴(レッドヘア)」です。これも「ノーモアヒロシマ」です。黒い雨です。ここ一帯のかかしには前後に顔が有ります。前出の(レッドヘア)と同じデザインです。そしてこちらは(バイオレットヘア)です。なるほど意図して残したかかしですね。見逃した「深川かかし祭り」の名残り
清澄の路地で解体工事中です。マンションができるようです。解体中の中を覗いてみます。広い1階です。・・・ここは元「尾車部屋」でした。師匠は元大関であり相撲協会の副理事長だった琴風でした。おそらく最上階に住んで、マンション経営をするのだと思います。彼は定年した今、参与として「下町人情キラキラ橘商店街」の押尾川部屋に居ます。弟子の豪風の世話になって(世話して?)います。2軒隣のビルを見上げます。ここに高田川部屋が在ります。2つ目の路地です。ここは「横綱通り」呼ばれています。あのビルが、元「北の湖部屋」です。もうとっくに看板は有りません。もう1つの路地には「錣山部屋」が在ります。心を入れ替えた「阿炎」の出世を期待しています。体があるので大関を狙えます。横綱通りに戻ります。1代親方の栄誉を受けた、北の湖と大鵬の興し...清澄界隈相撲部屋の変遷
深川江戸資料館通りにこんなオブジェが有りました。馬の三輪車です。後ろは白馬です。鼻の洗濯ばさみが痛々しい!隣はもっと派手です。自転車に馬ですか!「ぼくたちわたしたちの地球~みんなで笑おう平和を祈ろう~」元加賀幼稚園の作品です。そうか~!9月に終わった「深川かかし祭り」の名残りですね。「日吉屋」の蕎麦が好きでよく行っていました。もう、2年くらい店が閉まったままになっていました。店の中で人が動いていました。聞くと、テーブルを搬入中です。蕎麦屋が再開されるらしいです。嬉しいニュースに遭遇です。あの野趣に富んだ蕎麦に再会できます。大正6年創業の老舗ですもの。簡単に無くして貰っては困ります。深川めし屋が賑わっています。街はすっかり秋の粧いです。深川散歩
江東区の千石を走っていました。そう言えば昔「千石イエス」なる人物が居て、信者の女性たちが共同生活をしながら、キャバレー勤務で生計を立てている宗教団体がありました。博多まで進出したように記憶しています。彼女たちは教祖を「おっちゃん」と呼んでいました。あれは文京区千石です。今でもあるのだろうか?なんて思いながら走っていました。突然、こんなグループに遭遇しました。栄養食の研究をしているらしいです。学校給食でも研究しているのだろうか?こちらが玄関です。掲示板が有ります。「食育カレンダー」が有ります。へえ~10月4日は「イワシの日」だったんだ!?そんな日があるのか?秋はサンマじゃないのか?そして、10月13日は「さつまいもの日」らしい!?この研究所が制定したのだろうか?すると、隣に会社が有りました。たぶん、栄養食グ...千石は食品系地区
根津の街に「あんぱちや」が在りました。総合雑貨屋です。2021年に閉店告知が店頭に出されました。いつもよりお客が来ているように見えます。2021年11月に更地になりました。建物が無くなると、思ったより狭い土地です。2022年4月に建築工事が始まりました。6月の様子です。順調に工事が進みます。7月です。概要が分かりました。8月です。9月です。そして、完成しました。こうして街が変りました。根津「あんぱちや」の変遷
帰り道、永代橋から見る佃島です。隅田川に浮かびます。今日も一日泣かずに良く遊びました。永代橋からの秋景
秋の風情の鬼子母神です。久し振りの晴れ間だし、七五三の参拝も始まっていて、平日でも賑わっています。例によって、ラムネとあられを買います。「TV見たよ」で会話が始まりました。「久し振りで緊張したわよ。ウチにTVが無いので分からないのよ」「いつもの自然体でしたよ。毎朝ピアノを弾いているんですね」奥のピアノを見せてくれます。「毎朝決まった時間に弾いているとね、住民や、通勤の人や通学の人が聴いていてね。偶に弾かなかったら、『お婆ちゃん大丈夫か?』と見に来てくれるのよ」「あのTVねえ、3回も撮影に来たのよ。インタビューとピアノの撮影と、もう一回。大変よ」「そういえば、昔、有吉さんの『正直さんぽ』にも出ましたよね」「それがねえ、こういう事は続くのかねえ、有吉さんが先週来たのよ」「誰が一緒に来たんですか?」「ほら、ウチ...上川口屋TV出演話で盛りあがる。
都電荒川線は今は「さくらトラム」と言いますが、その踏切に捕まりました。向こうにけやき並木が見えます。鬼子母神前停留場に都電が停まっています。ゴトンゴトンと通り過ぎます。参道へ行きます。秋の風情です。いつもは出ていない掲示板が出ていました。「御礼式慶祝本殿開堂350年」だそうです。木洩れ陽が秋の風情です。見上げるけやきが秋の風情です。木洩れ陽の参道を行きます。振り返ります。また歩きます。秋らしくなった鬼子母神参道
先々週の「アド街」で紹介していた紙芝居をやっている雑司が谷の路地です。まだ開催告知が残っていました。「雑二ストアー」の入り口前広場です。「雑二」は、「雑司が谷二丁目」の略だと思います。TVでは最後の店だった八百屋が閉店したと紹介されていました。このストアーを確認に来ました。アーケードを入ります。この場所で、お年寄りの八百屋が1軒だけ営業していました。時々休む八百屋です。その際は、このように整然と片付けられており、何度か閉店したのかと思わせられました。店内には明かりが灯っています。ホントに閉店したのだろうか?いつもの休みのように見えます。このアーケードに数件の店舗が有りました。今は民家に変わっています。イベントポスターが貼られています。人が住んでいる証です。都電荒川線の写真も有ります。アーケードを振り返りま...「雑二ストアー」はホントに閉店?
副題は「少年少女魅了した挿絵」です。東京大学弥生門です。明るい秋の陽射しです。前面道路は「暗闇坂」です。明るい暗闇坂です。「弥生美術館竹下夢二美術館」へ行きます。門を入ります。入った左手に喫茶レストランが在ります。「港や」です。黒猫は居ません。代りに店の女主人に呼び止められました。「今日は休館ですよ」「展示入れ替えで臨時休館です」塀のレリーフを眺めます。高島華宵です。彼は宇和島出身です。ついつい故郷贔屓になります。竹下夢二です。こんな散策でした。新聞記事「弥生かいわい」−3
やって来たのは「弥生式土器発掘ゆかりの地」です。正面は東京大学農学部の農園です。前面道路は言問通り弥生坂です。こちらは下り坂、根津方面です。上り方面は「東京大学ドーバー海峡」を通って本郷通りに繋がります。さて、石碑の背面に説明板が有ります。アップで見ます。地図の右端に「浅野侯爵邸跡地」が在ります。前回報告の、異人坂の上に書かれていた、異人坂を整備した「浅野侯爵」の自宅です。こんな距離感に在ります。以下推測です。異人坂を整備した浅野侯爵とは、忠臣蔵で有名な播州赤穂浅野家の本家、広島浅野家の、「最後の大名」と呼ばれた「浅野長勲」氏だと思います。彼は昭和12年まで生きて、96歳で亡くなりました。坂の建設は、昭和6年2月です。彼は浅田次郎著短編小説「安藝守様御難事」の主人公です。幕府への賄賂届けの作法を面白おかし...新聞記事「弥生かいわい」ー2
先日の夕刊にこんな記事が載っていました。気になる記事はスクラップにしておいて、折を見て訪ねます。この界隈はいつもの行動範囲のど真ん中です。地図を見ます。先ずは、「弥生土器第一号出土候補地」を訪ねます。この坂が目的地です。新聞の副題は、「『第一号』出土場所の謎」です。つまり、現在建っている「弥生式土器発掘ゆかりの地」碑のある場所が出土地では無い、との記事です。面白そうです。新聞の写真の場所に来ました。ここへ来るには3つのルートが有ります。先ずは「おばけ階段」です。上りと下りの階段の数が違うとか?数えたことはありませんが、現実的に途中で階段が消えます。この階段を上がった丘の上にあの場所が在ります。2つ目のルートはこちらの坂です。お雇い外国人教師が住んでいた場所に続く坂です。「ベルツ水」で有名なドイツ人ベルツ博...新聞記事「弥生かいわい」ー1
最近よく撮影中に出逢います。新築ホテル1階での撮影のようです。2週間くらい前もここで撮影していました。同じドラマかなにかでしょうね。あの左の資材を超えた所で立ち止まって店内を眺めていたら、スタッフがやって来ました。「ご主人、中から映っているので移動してください」「ご主人」と呼ばれたのは初めてです。「旦那さん」はよく言われます。「お父さん」と呼ばれた事もあります。何にしても、呼ばれにくいし、呼びにくいと思います。この年になると、呼称は何が良いのだろう?・・・そのうち「お爺さん」と呼ばれるか。撮影中の人に「ご主人」と呼ばれて
東京は台風が続いて暑い日が続いています。ふと思い出して探しに来ました。なるほど、緑です。コインランドリー併設の大きな銭湯です。隣が玄関です。こちらにもコインランドリーです。玄関の左右にコインランドリーが有ります。路地の奥へ行きます。路地から覗けるコインランドリーです。ガラス窓が綺麗に掃除されています。湯船と煙突です。正面が自宅のようです。しげしげと煙突を見上げます。新しい煙突に見えます。昨今の台風来襲で、一昨年の台風15号で煙突が倒壊したニュースを思い出してやって来た次第です。この狭い路地なのに、他所の家に被害を及ぼすことがありませんでした。倒れたのは昔ながらの大きくて高い、コンクリートの煙突でした。利用者が減っている銭湯業界です。新たな投資は二の足を踏む処ですが、事故になったら大変でした。改めて眺めます...北千住に「美登利湯」の在る風景
スーパーマーケットが完成しました。「下町人情キラキラ橘商店街」の北口です。もうすぐオープンです。店頭ではオープンに先行して会員を募集中です。客はポイントが欲しいです。自転車でポイントカードの発行にやって来ます。賑わっています。集客体制を整えて、準備万端です。ポイントカードを発行する賑わいを向こうに見る商店街です。この店舗達がスーパーマーケットの進出を容認しました。自分達個々の店の商品は、全てスーパーマーケット1店で賄えます。八百屋も、パン屋も、顧客を取られます。それでもスーパーマーケットの出店を容認しました。まあ、今よく見る商店街の風景になったと言えます。・・・この商店街に、5月場所前に押尾川部屋がやって来ました。白鳳の宮城野部屋の転出と入れ代わりです。街が変遷していきます。商店街にスーパーマーケットが開店する。
前の店舗が閉鎖されて1ヶ月近くになりました。新しい店舗が工事中です。店内は前の店がそのまま移転したようです。再開はもうすぐです。開店時間も変わりません。3,4回しか行っていないのに気になる店です。おにぎりなんて、ご飯粒を沢山食べる工夫に過ぎないと思っているのに、です。大塚の「おにぎりぼんご」再開間近
谷中の路地で芸術作品に出逢いました。最近路地に落書きを描くのは珍しいです。谷中銀座へ抜ける路地です。こちらが正面のようです。題名は「ほしのせかい☆」です。散歩するワンコと飼い主が通り過ぎました。作者は、この家の子だと思います。近所には本物の芸術家が住んでいるそうです。芸術家目指して楽しく頑張れ!谷中の路地の芸術
愛車を置いてみました。夏に、秋が楽しみだと思っていた石垣の蔦が刈られていました。曇りがちの柔らかな陽射しです。石段を上がります。陽射しは弱いけど、思いの外の逆光です。今日は営業中です。このレリーフも好きです。蔦が色づくのが楽しみです。玄関が開いていますが入りません。石段を振り返ります。レリーフを眺めます。猫の行列が微笑ましいです。秋の猫町です。秋の「ギャラリー猫町」
前回訪問時に約束しました。「柘榴が割れたら取って食べて良いよ」この家の主人とです。真夏には黒く落としていたバスケットゴールの影がありません。秋の風情です。まだ割れていないので井戸へ行きます。秋の陽射しが優しいです。秋の光の下の井戸です。意外とフウセンカズラが元気です。季節の変化がゆっくりな路地です。反対側からも眺めます。日が陰りました。元の位置に戻ります。どうも今日はこちらからは陽射しに恵まれません。でも、その風情も好きです。柘榴が割れた頃また来ます。秋到来の池之端の井戸
立石で蕎麦を食べて、平和橋を新小岩に向かっていました。大きな艀が現れて、慌ててスマホを取り出しました。大きいです!通常の4〜5倍はありそうです。スピードもあります。グングン近づいて来ます。迫力満点です。積み荷は有りません。右後ろに人が立っています。危なそうです。勝手に緊張しました。船長と目が合いました。手を振る暇もありません。あっという間に通り過ぎていきました。中川の秋景が残りました。平和橋の秋景
新宿通りを走っていました。えっ!?と急停車しました。少し戻って見上げた看板です。在る、とは聞いていました。看板はあぶさんと今井雄太郎さんですか?彼は阪急ブレーブスでした。では、ダイエーホークスの誰?ホントに在るんですね。おお〜、狭い階段です。この雰囲気好いです。ああっ、そそります。入ってみたい!私、「あぶさん」全巻持っています!四谷三丁目駅からすぐです。一見でも入れてもらえるのだろうか?「居酒屋あぶさん」に遭遇した!?
キバナコスモスの路地です。都電が行きます。停留場で停まりました。都電が来ます。西ヶ原4丁目の路地です。秋の陽射しがちょっと眩しい午後です。都電とキバナコスモスの路地
佃小橋の上です。高層マンション郡を眺めます。船溜りは干潮です。例大祭で幟を立てる竿を埋設した場所が露出しています。塩水に漬けておくと長持ちするんでしょうか?江戸時代からそうしているようです。高層マンションと銭湯日の出湯です。新旧が共存する街です。聖路加タワーを見ます。橋の上です。店頭の植木が色づいていました。秋の風情です。暖簾に「豊月」の文字が見えます。ちょうど昼食時です。マグロ刺身定食が美味しかったです。佃小橋から
佃島は新旧が共存する街です。小さな記念公園が在ります。「つくだに丸久」の隣です。そこに石碑が有ります。劇団新派の「佃の渡し」記念碑です。公園の隣は隅田川の土手です。対岸の聖路加タワーがよく見えます。佃島渡船跡碑です。ここに実際の「佃の渡し」が営業していました。説明板です。丸久と聖路加タワーです。丸久の先に朱鳥居が目立ちます。住吉神社の参道です。隅田川から来る参道です。例大祭時は神輿が隅田川を渡御します。参道を行きます。玄関先に井戸が有ります。佃島は小さな島です。従って塩分が多い水だと思います。おそらく飲料に使用できません。佃島は江戸開幕に際して、徳川家康に大阪から付いてきた漁師の街です。多分仕事が終わった漁具を洗ったり、家に入る前に手足の汚れを落とす為の井戸だったと思います。朱鳥居を振り返ります。こんな立...「つくだに丸久」から
佃島の佃煮屋です。本家佃煮田中屋です。2軒左に天安が並んでいます。元祖つくだに天安です。今日は双方紺の日除けなので分かり辛いです。その先は高層マンション郡です。私はいつも田中屋です。天安を眺めます。老舗が共存する佃煮ストリートです。田中屋と天安の在る風景
月島の路地を時々訪ねます。お変わりないですか?枝路地の突き当りはマンションです。路地を抜けた新たな路地です。南は高層マンションがそびえます。北も高層マンションがそびえます。適当に新たな路地に入ります。もんじゃ焼き屋です。突き当たりにアーケードが見えます。アーケード街はもんじゃストリートです。アーケードの左右にも高層マンションです。三番街の交差点です。交番の向こうは、隅田川の対岸に立つ聖路加国際病院のタワーです。もんじゃストリートに在るメロンパン屋です。けっこう人気店です。この路地は外せません。渡り廊下の有る路地です。渡り廊下を潜ります。振り返ります。見上げる高層マンションです。竣工して1年を過ぎたでしょうか?もう見慣れた景色になりました。路地を行きます。新たな路地です。路地裏散歩は飽きることがありません。月島の路地
小石川植物園通りの看板が秋の陽射しに照らされています。こんな暖簾に遭遇しました。「白山浴場」です。こんな共同住宅の1階です。銭湯の奥行きは深そうです。お約束のコインランドリーを併設しています。改めて玄関を見ます。好い感じの暖簾です。玄関は地下です。内部の紹介です。「心もからだも“幸せ”になれる銭湯」とも書いています。入浴料は値上げされています。向かい側の店です。風呂上がりに1杯飲んだら旨いでしょうね。ちょっと離れたら煙突が見えます。前面道路を行くと小石川植物園です。白山に「白山浴場」の在る風景
神保町の路地に居ます。正面の景色が前と違います。工事中の壁が有ります。古い文化が残っている界隈です。正面の壁の告知です。見上げる三省堂です。工事シートにすっぽり覆われています。ちょっと路地を移動して見上げます。ここには住所と「三省堂書店ビル」の表示が残されています。屋上には「三省堂大辞林」の看板が残されています。三省堂のプライドでしょうか?表通りに出ました。フェンスの奥ではショベルカーが解体工事を遂行しています。靖国通りはこんな状況です。見守るしかありません。三省堂の今
セピア色の思い出が蘇る路地です。さぼうるです。ラドリオです。そして、その奥にミロンガです。振り返ってラドリオを見ます。もう数十年変わらない路地です。再び振り向いて見上げる先に、そこに三省堂が、無い!この路地は、変わってほしくなかったです。「さぼうる」と「ラドリオ」と「ミロンガ」と「三省堂」
昨日の事です。大塚の人気店「おにぎりぼんご」の移転先を探しにやって来ました。言われていたとおり、確かに前の場所から徒歩1分でした。「大塚の『いろはにほへと』」の一角です。店の前を都電が通ります。踏み切りを渡ります。大塚方面です。西庚申塚方面です。今日10/1オープンと聞いていますが、こんな状態で大丈夫だったのでしょうか?眼の前は大塚に新築したホテルです。正面は大塚北口です。抜群のロケーションです。眼の前を都電が行きます。看板は元の物だと思います。豆電球が外されています。LEDに取り替えるのでしょうか?2階が有るようです。都電が来ます。ウクライナ色です。この近さです。都電が行きます。良い風景です。新たに、この場所に行列ができます。大塚「おにぎりぼんご」の移転先は素敵
先日の新聞記事です。「キングオブ銭湯」と呼ばれていた千住の「大黒屋」が閉店したのは弊ブログ既報の通りです。その時に取り壊されたと思っていた唐破風屋根が残っている、との記事です。銭湯ファン達のクラウドファンディングで、千住で最も古い寺である「安養院」の大玄関に移築されて残っているらしいです。(私が「大黒湯」の存在を知った2018年11月)「湯入る」を知りました。「ぬ」板を知りました。裏が「わ」板だと教えられました。猿が煙突に昇る銭湯でした。「キングオブ銭湯」の異名をとった唐破風屋根の玄関です。その上に三角の千鳥破風が重なって威容を誇っていました。唐破風には鳳凰の彫刻があしらわれていました。2022年2月のことです。玄関にシートが掛けられてクレーンが作業をしてる現場に遭遇しました。唐破風屋根が無くなっていまし...「キングオブ銭湯」唐破風残った
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今日ニイニイゼミが鳴きました。東京下町も梅雨が明けました。お昼時です。サラリーマンが食事に出てきました。ショッピングモールの飲食店が集まっている場所です。[千成りもなか]も在ります。今年も氷は販売しないそうです。ポツンと魚屋が在ります。振り返る商店街です。突き当りは都電が走る坂です。お昼時の大塚ショッピングモール
駅の脇道にこれがありました。現在の駅正面は「キャプテン翼」の絵です。ずっと前工事が始まった頃に、近隣の懐かしい風景を描いた水彩画が正面にありました。幾つか当ブログで紹介しました。それと新しく、こんなのも有りました。この絵のように古い姿も残るのでしょうか?この右側に有ります。好いです。このように変わるなら、再開発が楽しみになります。久しぶりに懐かしい水彩画の現場です。いくつかの中で、好きな3点を再登場させます。・京成本線の高架・居酒屋下町・立石駅東踏み切り京成立石駅の水彩画がこちらに有った。
真夏日の根津です。今年はまだ芋甚でかき氷を食べていません。あれっ⁉︎シャッターが閉まっています?貼り紙を見て、スマホで更に確認して、名残惜しそうに去る人が居ました。こんな貼り紙です。こりゃあ長引きそうです。「黒蜜きなこ」を食べに来たのですが・・・。昨年食べた黒蜜きなこはこちら。「芋甚」でかき氷
約300m続く商店街の西端です。真っ直ぐスカイツリーが見通せる商店街です。街灯にも有るように、「下町七夕まつり」が有名な商店街です。七夕飾りが並ぶ商店街を行きます。童謡で「笹の葉サラサラ♫」と歌いましたが、軟プラなのでシャラシャラと揺れます。もう笹を飾る「軒端」はありませんが、歩道脇で揺れています。「合羽橋商店街」を行きます。国際通りに来ました。振り返ります。準備完了!です。7月6〜8日に開催されます。「入谷朝顔市」と同じ日です。「下町七夕まつり」準備完了!
今日も猛暑日の東京は人形町です。丁度11時になって、時計台が動きました。景色が白っぽいです。見上げる人も暑そうです。水辺が恋しいですが、隅田川の照り返しが厳しいです。正面は佃島の超高層マンション群です。ちょっと上流から見ると景色が変わります。隅田川に浮かぶ島とは思えません。猛暑日の人形町時計台
交差点の向こうに好い感じの店が在ります。ちょっと左には田中角栄邸が在る目白通りです。「鳳山酒店」です。よく見ると、二階の窓の所にも看板が有ります。「鳳」の文字が無くなっています。店の隣の路地です。その先は坂です。こんな急坂です。自転車で下るのが怖いくらいの坂です。東京には「富士見坂」があちこちに在ります。山坂が多い土地であると同時に、高層ビルなど無かったので、あちこちから富士山が遠望できたのでしょうね。すぐ先の古い家屋の所で坂が二つに分かれています。いわゆる車道と歩道です。今日は左側の石段を行くことにしました。初めて通ります。それにしても凄い蔦屋敷です。自転車を押して坂を下ります。正面に、新宿のドコモビルが見えます。相当の高低差です。坂を下りました。目白台の下の路地です。銭湯がある町です。鳳山酒店と目白富士見坂の風景
この路地は約20年間、私の散策路でした。週に1回は通っていますが、伊勢ヶ濱部屋が在ったらばこその散策路でした。シーサーしか残っていません。ここでは稽古後の相撲取りが屯して居ました。7人も関取が居ました。自動車も有りません。もっとも、今は名古屋場所前なので、普通なら名古屋に行っているのを知っていますが、やっぱり寂しい景色です。看板が有りません。伊勢ヶ濱親方が元横綱照ノ富士に代わって、伊勢ヶ濱親方は、元横綱白鵬が持っていた宮城野親方に代わりました。この家は、もう相撲部屋じゃなくて、杉野森さん(宮城野親方の本名)の自宅なんですね。ところが、親方が丹精して育てていた盆栽も有りません。どうしたんだろう?国技館の掲示板です。もうすぐ名古屋場所が始まります。両国は真夏です。商売に熱心な(成功した)大相撲関係者も居ます。...伊勢ヶ濱部屋の移転
毎日暑い東京です。墨田区を走っていて遭遇しました。立派な蔵を持っています。これは大店です。商店街を初めとする古いものが好きです。質店もその一つです。でも、こんな大きな質店は初めてです。私が知っている質店は、路地裏でしっとりと営んでいたりします。じっくり眺めました。こちらは、いわゆる「質流れ品」を販売するセクションみたいです。ショーウインドウです。硝子が反射してちょと見難いですが、これらはマイセンですね。お宝です。角に看板が有ります。角を曲がっても店です。こちらが質入れ口のようです。見上げる看板は「元禄2年」の創業です。西暦1689年です。これは、老舗だ!300年以上の歴史があります。そして、驚きました。広くて写真1枚に収まりません。良く見ると、大きな蔵が2棟在ります。こちらが住居でしょうか?とんでもない家...緑1丁目の「質フクシマ」
両国橋から隅田川が見えます。水上警察の船が居ました。その先を見ると、沢山の屋形船が川下に向かっています。何だろう?推測します。夏のイベントの準備だと思います。東京の夏と言えば花火大会です。だとしたら、「隅田川花火大会」ではないように思います。あれって、ここ両国より上流で行われるもの。7月の初めであり、隅田川の下流で行われるのであれば、「東京湾花火大会」です。そうに違いありません。そしてこれは、屋形船の「今年の陣割り」、つまり誰がどの位置で係留するかを決める日だったのではないでしょうか?東京の夏祭りが始まっています。はてなblogでは、駄菓子屋のお婆ちゃんTV出演の話です。⇒荒川三歩東京に夏祭りが始まる予兆
羽二重団子にかき氷の幟暖簾が出ました!いつもの席に座ります。愛車が見えます。客は私だけだったのですが、かき氷を食べ始めたら満席及び空席待ちになりました。私は「福の神」・「幸せ配達人」です。今年初めてのかき氷です。掘り進めると、ほんのりと黄色が現れました。「氷ゆず」を食べています。ふと気が付きました。私、ここでは「氷ゆず」しか食べておらず、他の店でも同じものしか食べていません。しかも、夫々別のものを食べているのです。あの店ではこれ、と決めている訳ではないけど、そうなっています。同じ店で食べ比べて、その店の一番美味しいものを決めれば良いのに、と思いました。往来する人々を眺めながら食べます。食べている処を眺められています。薄く小さくスライスしたゆずの皮も入っていて、上品な甘さにちょっと苦味もあって、好みの味です...「羽二重団子」で「かき氷」
南千住は、松尾芭蕉が「おくのほそ道」への旅立ちの際に、隅田川から上陸した地です。矢印に従って、行きます。現在の「千住大橋」です。「せんじゅこばし」です。この先が「お上がり場」です。大橋の真下です。徳川家康と伊達政宗の工事の痕跡が残っているようです。大橋を抜けた場所が「お上がり場」です。松尾芭蕉だけでなく、大名や将軍家、日光門主等々が、隅田川から上陸した場所です。戻りましょう。・・・こちら側は「千住小橋」の表記になっています。何かの機会に読んだ記憶があります。橋に書かれた土地を含む名称は、その集落への入り口は漢字で、出口はひらがなで表記したそうです。ここが千住への入り口です(他の橋も気にして見ていますが、現在は左右に漢字とひらがなの表記が多いです)。上流側の堤防です。縁の多い場所のようです。現在は高層マンシ...「おくのほそ道」矢立始めの地
上品な茅の輪ではなく、なんかこう「荒ぶる神」らしい茅の輪を見たい、と思いました。思い付いたのが、南千住の「スサノオ(漢字転換ができません)神社」です。太い!根津神社や日枝神社などの3倍はあろうか、という太さです。スサノオ命はヤマタノオロチを退治した神です。武骨な茅の輪です。下町らしい、とも言えます。作法に従って参拝します。・・・ここに来ると、神楽殿が気になります。東日本大地震の時に、神楽殿いっぱいに千羽鶴を吊しました。荒ぶる地震を鎮める祈りの千羽鶴に心を打たれました。今日は「つきなみ祭昇殿参拝」です。神職が頭を垂れて通り過ぎて行きます。猛暑日の午後です。スサノオ神社夏越の大祓
拝殿が工事中の亀戸天神です。夏越の大祓にやって来ました。祀られている菅原道真公には不似合いの荒々しい茅の輪とお思いでしょうが、菅原道真公の先祖は、当麻蹴速を蹴殺して「相撲の神様」になった、野見宿禰なんです。そう言われたら、納得の荒々しい茅の輪です。工事中の拝殿を参拝します。工事の理由です。勉学の神様です。下町の人気神社です。猛暑日です。茹るような暑さです。草いきれがします。濃い緑が暑苦しいです。紫陽花の清々しさが清涼剤です。夏越の大祓「亀戸天神」
ずっと前に、同じ街で瓢箪だらけの家に遭遇しました。登録読者さんに教わったところ、瓢箪作りの名人だったらしいです。あれからこの街に来るたびにそれとなく探していましたが、遭遇しません。突然、遭遇しました。凄いです。色付きです。前に遭遇した家とは違いますが、同じ町内なのでお互いに知っていると思います。同好者と認識しているのか、ライバル視しているのかは分かりませんが、同じ趣味の方だと意識しているのではないでしょうか?これはこれで凄いです。前の人の家に出逢いたいなあ。前の人の記事はこちら。東四つ木の瓢箪の家の2軒目
綺麗だと思いました。いえ、枯れかけたアロエではありません。この苔です。菊坂下の路地に生えていました。見上げると、木造三階建の家です。菊坂に上がると郵便局とレストランです。本郷への急坂へ向かいます。谷底と丘上の街です。梅雨時の菊坂下
ふと、樋口一葉の井戸が有るあそこへ行こうと思いました。いつも変わらぬ風景です。梅雨だとこの石段の苔類が生き生きしているのではなかろうか?と思った次第です。あまり変わらないですね。石段を見上げます。振り返る、樋口一葉が井戸端会議をしたであろう路地です。せっかく来たので石段を上がります。シダの元気が良いように思います。振り返ります。見上げる梅雨空です。九州・四国が梅雨明けしたそうです。梅雨時の樋口一葉の井戸
池の端に在った「鷗外荘」の移転工事が進んで、池や植栽の概要が分かるようになりました。夏越しの大祓の準備が終わった根津神社の庭です。ここから覗きます。家の外観が分かる状態になりました。完成が待ち遠しいです。「鷗外荘」移転工事進捗中
やっぱり告知が出ていました。母子がお詣りに来ていました。作法どおり潜って、拝殿へ向かいます。重要文化財の銅灯籠と西門です。参拝を終えて振り返る茅の輪と楼門です。やっぱり真円は、信心が増すように思います。こんな所を告知板に使う、贅沢な神社です。そして、いつもの西参道からの風景です。帰京して初めての参拝です。厳かな夏越しの大祓催行の様子はこちら根津神社夏越しの大祓
三菱一号館へ立ち寄ります。まあ!ジューンブライドも大変ですね。梅雨の晴れ間の蒸し暑い午後です。思った以上に沢山の人が涼を求めて来ていました。梅雨明けはまだでしょうか?明けても暑いか?三菱一号館の中庭の午後
丸の内仲通りの午後の風景が好いです。丸の内仲通りの午後
いつの間にか、先っちょの赤い部分が無くなっていました。何度目かの輪っかが取り付けられています。何らかの工事が行われていると思います。今日はいつもと違う場所から眺めます。工場団地の駐車場が有りました。そうしたら、てっぺんの赤い部分の最後のパーツが外される処です!まだ赤い部分が残っていたのです!こんな瞬間が見られました!ここ良いです。観測地の一つにしましょう。煙突の解体/赤い部分が無くなった。
伊勢ヶ浜部屋の近くに西濃運輸が在ります。部屋を覗くと、自然に事務所兼社宅兼出荷場兼駐車場を通ります。改装工事の経緯の記録です。<2021年1月>正月休みの姿は壮観です!左右の社宅の下にびっしりと、整然と並んでいます。この景色が素敵で、時々写真を撮っていました。<2021年11月>工事フェンスが張られました。こちらは事務所部分です。社宅とL字型に建築されています。ここも工事対象のようです。<2023年7月>社宅部分がほぼ出来上がりました。<2024年5月>事務所棟もほぼ完成のようです。基本的な構造は変わってないように見ます。<2024年6月末>いよいよ最後の仕上げ段階です。竣工間近。こちらが事務所入り口のようです。出荷場の内部が完成したようです。西濃運輸に「クロネコヤマト」のクール宅急便が届きました。新しい...西濃運輸の改築工事
もうすぐ東京都知事選挙です。全く静かです。50数人も立候補しているのに、1度も選挙カーに会いません。でも、候補者看板は凄いです。これ、探しに行った訳じゃないです。散策すると出遇えます。政策に関係なく私の目を引いたのを紹介します。この候補者が「看板ジャック」を考え出しました。そしてこうなりました。散髪の帰りに目に付きました。こんなもの。でもね。有権者も褒められたもんじゃない。この看板、入り口に近いんです。都知事選挙/候補者看板ジャック
前回「花本社」の記事を掲載しました。その時に、東京大空襲で鳥居の上部が崩れ落ちた歴史を紹介しました。富岡八幡宮は大被害を受けたのに、松尾芭蕉命を祀る「花本社」の左右に在る「永昌五社稲荷神社」と「合末社」が無事だった話の中で、もう一社「七渡神社」も無事だったのです。気になっていた人もいらっしゃるでしょうから紹介します。えっ、気にならない?まあ聞きなさい。七渡神社へは、合末社の鳥居前を、この橋を渡って行きます。橋の左右は遊水池です。水を配した立派な造りです。右奥に七渡神社が見えます。縁日だったとは知らなかったです。それ以上に、何の神かも知りません。小さいけどお神輿みたいに艶やかな神社です。ここらは海に近いです。昔はもっと近くて、漁業や「木場の角乗り」の文化が今も残っているように材木の集積地です。そういった水に...七渡神社
例祭日じゃないけど、「花本社」へ行きます。地元出身の松尾芭蕉を祀っています。神となって「松尾芭蕉命」です。「俳聖」と謳われ、「奥の細道」を残し、住居跡が「芭蕉稲荷神社」となって、その近くには「芭蕉庵史跡庭園」や「松尾芭蕉記念館」が在ります。ここでも祀られて当然の人物です。・・・ここです。左右は神社です。この隙間には祠も有りません。どうやってお参りするんだよ!松尾芭蕉命をよ!右側は「合末社」です。立派です。左に「花本社」の立札が見えます。鳥居の上部が欠落しています。こんな謂れがあります。左は朱鳥居を潜ってお参りします。立派です。「永昌五社稲荷神社」です。その間に、鎮座する、祠も無い「花本社」です。...松尾芭蕉命を祀っています。誰かが何とかしませんか?俳句協会とか江東区とか?「花本社」にお参りしたいです。
白い幟が涼やかです。富岡八幡宮の夏詣です。この時期主な神社は何処でも夏詣を行って、茅の輪潜りを催行します。そもそもは、蒸し暑い梅雨時なので、食あたりとかも含めた、疫病避けの行事だったのだと思います。例年以上に暑いです。ちょっと涼を求めたいです。木陰が有りました。「大関力士碑」他、相撲に関する石碑が有る一角です。あそこで休憩します。ここは「勧進相撲発祥の地」と言われており、その縁で相撲関係の石碑が有ります。新しいところでは、「琴欧州」「琴奨菊」「豪栄道」が刻まれて居ます。現役で元大関の「正代」や「御嶽海」、「朝の山」、「高安」らは刻まれていません。「横綱」になる可能性があるから、引退するまでは刻まれません。「ない無い」って言ったの誰?そして「強豪関脇力士碑」です。「力道山」の名前がやけに白くて目立ちます。関...富岡八幡宮の夏詣
帰省中ずっと気になっていました。煙突に輪っかが付いています。見に行きます。輪っかは作業用足場のようです。輪っかが取れた後暫くしたら、知らない間に煙突が低くなっているように思います。クレーンと煙突の姿を眺めます。周囲は工場地帯です。新たな場所からも眺めます。けっこうな存在感が在りますが、煙突はその高さに必要な大きさがあるように思います。ズングリムックリになりました。輪っかが有る煙突の存在感
浅草が外国人にジャックされていました!暫く留守にしていたら
離陸します。蜜柑の島です。すぐに佐田岬です。飛行機は四国山脈を越えます。桂浜です。室戸岬です。太平洋の島です。房総半島です。波が海岸を洗って白波が立っています。九十九里浜です。千葉のベットタウンです。千葉港とロッテマリン(たぶんネーミングライツの名前があると思います)球場です。東京ディズニーリゾートです。左に江戸川です。葛西臨海公園と左に荒川です。ゲートブリッジです。東京のビル群です。これらが見たくていつも右側の席を取ります。羽田です。帰って来ました。東京と田舎と両方ともが自宅です。従って、両方とも「帰って来ました」です。飛行機で帰りました。
いつもちょっと早めの昼食にします。そしていつもこの店です。メニューです。いつもこれです。こんなのも有りました。参考まで。いつも鯛めしと、いつもビールです。ビールは美味しいものを食べる時の大人の作法です。商品説明と食べ方が付いています。要は、卵を軽く溶いて、鯛型の器に乗っている刺身と海藻と大葉を入れて軽く混ぜます。1膳目です。ご飯に卵にひたした刺身と海藻を乗っけます。その上から溶いた卵を掛けます。要は「刺身乗せ卵かけご飯」です。先ずかっ込んで、ビールで「ふう」と息を吐きます。「ああ」の感嘆でも良いです。ひと口ずつお箸で口に運ぶのでなくて、卵かけご飯と同じくかっ込むのが作法です。海賊の食事ですから。そのように食べて酒で流し込みます。しつこいですが、それが作法です。2杯目です。一気に完食しました。ふう~、食った...松山空港「かどや」の鯛めし
松山空港です。故郷は「かんきつ王国」です。名前を覚えられないくらい、或いはいつの間にかできていた新種など沢山の柑橘類があります。・・ずっと以前に、「愛媛県では蛇口からみかんジュースが出る」との地方伝説があって、それならと、実際にここ松山空港に作りました。そしてウケたので、それならと改良して、その後これも。ホストクラブなんかでよくやる「シャンパンタワー」ならぬ「みかんジュースタワー」です。やっぱり愛媛では蛇口からみかんジュースです。今も有りますアレ。私もできた時は嬉しくて飲みました。写真を撮っています。その気持ち分かります。最初皆んな撮っていたもの。「蛇口からみかんジュース」です。コップ1杯400円(高くなったね)です。お金を払ったら紙コップをくれて、自分で蛇口を捻ってジュースを出して飲みます。ちょっとした...蛇口からみかんジュース
帰郷してからうどんばっかり食べています。何処で食べても美味しいですが、私の好みはここです。ちなみに、故郷で蕎麦は食べません。そして、東京でうどんは食べません。メニューです。兎に角安いです。入ります。今日は「冷やし肉おろしぶっかけ」に、オクラとカボチャの天ぷらのトッピングです。生姜とネギを取り放題入れます。すりゴマを沢山まぶして頂きます。美味い!丼ものもありますが、うどん以外食べたことありません。旧国道沿いの繁盛店です。讃岐うどん/つるベえー
四国で暮らしているといつもお遍路さんを見掛けます。歩き遍路が目に付きますが、目に付かない多くの人はツアー遍路です。やって来たのは西条市の香園寺です。うどんを食べに来たついでにやって来ました。初めて来るお寺です。お寺らしくない造りです。まだ四国八十八ヶ所巡りをしたことがありません。・・・この歳だし、東京在住だし、もうしないと思います。18歳で生家を出たっきりの人生だったので、四国八十八箇所巡りの機会がありませんでした。年を取ったら行くのが億劫です。2階に上がります。ここ香園寺は、本堂の弘法太子像が有名らしいです。なるほど・・・。立派です。弘法大師像は右なんですが、お遍路さんが一心不乱に読経していたので、ここからお参りしました。隣に、お寺らしいお寺を建設中でした。貸切バスが来ました。ガイドが先頭に立って、沢山...四国霊場61番札所香園寺
玉川町に美味しいうどん屋ができているので食べに行こうと妹と従妹が言います。結構流行っています。昨年食べた波止浜の店の支店です。本店も混んでいましたので味の想像はつきます。他の地元の店とは趣が異なります。お洒落です。若者に好かれますね。おお、混んでいます。若者が多いです。ひょっとしたら今日は休日か?あ、仕事をしている従妹が居るんだら、土曜日か!仕事をしない一人暮らしに曜日の必要性はありません。美味しかったです。っていうか、四国のうどんは何処で食べても美味しいです。慌てて食い付くのでいつも食レポを忘れます。美味しかったので雰囲気だけでも紹介しました。讃岐うどん/松製麺所
今治銀座商店街が賑やかだった頃にはあまり気にならなかったけど、ちょっと気になっていた店舗裏です。商店街と並行して川が流れています。今は綺麗な水の流れです。小学校で習った「今治のくらし」では、「タオルの街『今治』の中央部の川は、染料で赤や緑に染まってとても綺麗」と教わりました。実際は染料が混じり合って紫から黒い川でした。中学生になって、美術の時間に「絵具が混じると『黒』に近づいていく。光は『白』になっていく」と習いました。なるほど、と認識した川です。ベニスの街角みたいです。所々に私設の橋が架かっています。公設の橋まで行かなくても川の反対側に行けます。橋は直接家と家が結ばれています。これが各所に有ります。両家は親戚なんだろうか?そして、川に下りる石段も有ります。もうお気付きだと思います。殆どの家が川に張り出し...改めて見てみた今治銀座裏
今治銀座の東端です。アーケードの中に江戸時代の名残を留める石柱です。さて、今治銀座を行きます。前回より明るくなりました。閉店した店舗が取り払われて、太陽光が差し込んだせいです。寂しい風景ですね。営業している店舗がまた少なくなっています。この店は、数年前から「閉店セール」を行っていました。まだ営業しているじゃないか⁈との感想です。おやおや、いつもの看板が店内に有りました。どっこい、生きています。今治市の中心部でした。人が居ないとポストや電話ボックスが寂しいです。学生の頃から有ったシャッターアートが変わらず素敵です。閉店した場所を地上げして集合住宅が増えています。こうなるとアーケードが邪魔です。本屋「マス屋」でした。今は教育図書を売っているんですね。お金は無いけど暇はたっぷりあった高校生が沢山立ち読みしていま...今治銀座の今
かつて港に着いた人達は、港の前の商店街に流れて行きました。その「新町商店街」の今の姿です。一番手前のお土産屋です。今も商店らしい店ですが、往時を偲ぶよすがはありません。他の店の多くは閉店しました。港に一番近い喫茶店でした。港の前にバス停があって、早朝に港に着くと、ここでモーニングサービスを食べながら、始発のバスの運行を待ったものです。ずいぶん賑わった店でした。商店街を歩きます・・・。昔から界隈は、蒲鉾屋と魚屋が多いです。この店なんか何度も何度も表彰された店でした。今も経営しているだけ立派です。今は人より幟が目立ちます。サッカーを町おこしにしよと元全日本監督が頑張って居ます。道続きの「今治銀座」へ足を進めます。ここも寂しいです。今治新町商店街
今治港湾事務所です。数年前に竣工した船の形の建物です。確か「ハーバリー」と呼んでいたと思います。ハーバーと今治の合成語です。桟橋へ行きます。港の向こうに大島が煙ります。「しまなみ海道」ができる前は、島嶼部を繋ぐ連絡船の出入りで賑わった港でした。しまなみ海道とバーバリーができて、昔の面影が全く無くなりました。今は寂れた港でしかありません。おっ⁉︎偶々フェリーがやって来ました。こちらに向かって来ます。着桟します。先ほど何処からか自転車で現れたシルバー世代の人が綱どりを行います。「せきぜん」の文字が見えます。確か「レモンの島・岩城島」からの船です。かの島は「しまなみ海道」が繋がっていません。こうやって、昔ながらの交通機関で、買い物等にやって来ます。殆どの島は車で「しまなみ海道」を走ってやって来ます。行き先はここ...今治港
あれっ!蛇池に水が有りません。この池は昔から水を枯らしてはいけないとの伝説があります。どうしたんだろう?罰当たりな!土手が新しいです。唐突ですが、あの山が、竜神が越えていった山です。土手を調べてみます。その前に、ここは竜神伝説の地で、池の奥は湿地帯で小さな観光地であり、遍路路でもあります。従って、昔からあそこにトイレが在りました。田舎の「便所」です。汚なかったです。ところが、ドアを開けたら便座の蓋が自動で上がりました!我が家より凄い!凄く綺麗になっています!外国人の歩き遍路が多いそうです。さて、余談はそこそこに、土手へ行きます。空っからの池です。こんな事をしたら池ません。龍神の祟りがあります。ショベルカーが動いています。土手がここで切られています。バチが当たるぞお前ら!池の向こうは「医王山」です。西暦66...蛇池の土手を壊していた。
今年というか今週2度目の訪問です。先日暑い中を自転車でやって来たら臨時休業でした。今日は営業中です。民家の庭に屋台を建てて、テーブルを置いて、週5日やっています。「先日休んだな!」って言ったら、「すみません田植えの準備で・・・」と答えます。年に1度の訪問です。それでも覚えていてくれます。地元の人間と違って、ちょっと標準語っぽいので、覚えやすかったのだと思います。こうして7〜8年の付き合いになります。いつものとおり「冷やしうどん『中』」を注文して、おでんを取ります。昨年より20円と30円(すじ肉)の値上げをしていました。しょうがないです。何でも上がっているもの。夫婦二人でやっている店です。「孫兵衞作」に在ります。何とか孫兵衞さんが開拓した村です。ちょっと時間が早いので客はまだ私だけです。いつも流行っています...「いなか屋台うどん村」商い中