昨年、「大山街道」を歩いたが今年は思い立ち「鎌倉街道」を歩き始めた。鎌倉街道は、鎌倉と各地とを結ぶ道路の総称で、主要な幹線道(上道・中道・下道)は3本。取敢えず、東山道から分岐して鎌倉に通じていたと言われている「上道」のうち、府中から鎌倉までを何回かに分けて歩くことにした。今回は、府中市「分倍河原駅」から多摩市「永山駅」までの約6㎞。今でも「鎌倉街道」の名を残し幹線道路として利用されおり、古戦場跡等が見られた。歴史散歩:鎌倉街道1(分倍河原~京王永山)(2025/4/17)
東北/乗り鉄旅(3日目 八戸-久慈-宮古-盛岡-東京)(2024/11/27)
旅の三日目は、八戸駅からJR八戸線(各駅停車:八戸09:29-11:10久慈)、久慈からは三陸鉄道リアス線(レトロ列車:久慈12:07-13:50宮古)で、三陸海岸沿いを南下し三陸海岸の景色を堪能。八戸線も三陸海岸沿い走るので三陸鉄道同様綺麗な海岸が楽しめた。更に、地震前2009年8月に訪れた時、唯一途中下車し昼食を取った思い出深い「島袋駅」周辺の変化に驚いた。当時は、海側の洒落た近代的な建物の二階からホームに出られた思ったが、今は久慈側に寄ったトンネルを出て直ぐ場所に海と反対側にクラシックな建物に変わっていた。地震の影響を感じたのは、この場所と数か所で見られた以前より強大な防潮堤だった。宮古からは予定した山田線が、大雨災害により途中運転休止なので、代替の岩手県北バスの「106特急バス」により、閉伊(へい...東北/乗り鉄旅(3日目八戸-久慈-宮古-盛岡-東京)(2024/11/27)
東北/乗り鉄旅(2日目 秋田-青森-八戸)(2024/11/26)
この日は、五能線(リゾートしらかみ1号:秋田08:19→12:48弘前12:54→13:54青森)で、日本海岸傍を北上し岩肌の海岸・海越しの北海道・岩木山と八甲田等の雪景色等を、楽しんだ(五能線は2012年10月に”リゾートしらかみ”で弘前から秋田に回って以来二度目)。青森駅では、乗り継ぎ時間を利用して、「青函連絡船メモリアルシップ八甲田丸」、「ねぶたの家”ワ・ラッセ”」、「縄文ステーション”じょもじょも”」を覗き見。青森からは、青い森鉄道(各駅停車)で八戸に移動。途中の小湊駅で、この先の線路沿いに傾斜木の影響で約二時間に停車。2時間遅れで八戸に無事到着。東北/乗り鉄旅(2日目秋田-青森-八戸)(2024/11/26)
東北/乗り鉄旅(1日目 東京-新潟-秋田)(2024/11/25)
旅行会社のツアを利用して、二泊三日の東北”乗り鉄”旅に出かけた。初日は東京から、上越新幹線(とき315:東京10:15→12:17新潟)で新潟へ、新潟から、羽越本線(特急いなほ7号:新潟14:49→18:30秋田)で秋田まで。上毛・越後の山々と紅葉、日本海の景色を車内から堪能。残念ながら、鶴岡手前で日没で、鳥海山や男鹿半島寒風山等を拝むことが出来なかった(鳥海山はホテルの窓から、寒風山はリゾートしらかみの車内から翌日拝めた)。東北/乗り鉄旅(1日目東京-新潟-秋田)(2024/11/25)
「広重の江戸」を訪ねる歴史散歩(その三)(目黒・大森界隈)(2024/11/21)
今回、最初の訪問駅に着いたとき雨。そのため急遽予定を縮小し、訪問予定地の内、比較的駅に近い場所のみと計画を変更。その結果、訪問地は、地下鉄白金高輪駅近くの古川(上流は渋谷川)に架かる「四の橋」、大田区の「洗足池」公園、JR大森駅前の「八景坂」の三か所。当初予定していた5カ所は別の機会に。「広重の江戸」を訪ねる歴史散歩(その三)(目黒・大森界隈)(2024/11/21)
「広重の江戸」を訪ねる歴史散歩(その二)(新宿界隈)(2024/11/14)
「広重の江戸」二回目は新宿界隈の七か所(井の頭・高田馬場・新宿)と、途中の古跡の散歩。JR三鷹駅・JR中野駅・地下鉄早稲田駅・JR高田馬場駅・JR新宿駅と交通機関を乗り継いで散策。相変わらず道を間違え、あっちこっちウロウロの散歩で疲れた。「広重の江戸」を訪ねる歴史散歩(その二)(新宿界隈)(2024/11/14)
「広重の江戸」を訪ねる歴史散歩(赤羽・王子近辺)(2024/11/07)
都内の富士塚は大体訪れたので、今後は、「広重の見た江戸(浮世絵)」の”今”を歩いてみたいと思い出かけた。119枚ある浮世絵「名所江戸百景」から、第一回は赤羽・王子(北区)界隈。具体的には、地下鉄赤羽岩淵駅近くの新荒川大橋傍とJR王子駅周辺の六ケ所。序に、近隣の未訪問の寺社(赤羽岩淵駅近くの宝幢院と赤羽八幡神社)も参詣。(参考:「広重TOKYO:名所江戸百景」2017年小池・池田共著講談社)「広重の江戸」を訪ねる歴史散歩(赤羽・王子近辺)(2024/11/07)
「北斎の江戸」を訪ねる歴史散歩(赤羽・王子近辺)(2024/11/07)
都内の富士塚は大体訪れたので、今後は、「北斎の見た江戸(浮世絵)」の”今”を歩いてみたいと思い出かけた。119枚ある浮世絵「名所江戸百景」から、第一回は赤羽・王子(北区)界隈。具体的には、地下鉄赤羽岩淵駅近くの新荒川大橋傍とJR王子駅周辺の六ケ所。序に、近隣の未訪問の寺社(赤羽岩淵駅近くの宝幢院と赤羽八幡神社)も参詣。(参考:「広重TOKYO:名所江戸百景」2017年小池・池田共著講談社)「北斎の江戸」を訪ねる歴史散歩(赤羽・王子近辺)(2024/11/07)
都内の富士塚巡りも区内では残り僅かになった。今回は、区内で未訪の四か所の富士塚とその周辺の史跡を訪れた。場所は、文京区「護国寺の音羽富士」、「清土(せいど)鬼子母神」、「腰掛稲荷神社」、練馬区地下鉄赤塚駅近くの「大松氷川神社の富士塚」、中野区地下鉄新中野駅近くの「五柱五成(いなり)神社の富士塚」、JR西大井駅近くの「瀧王子稲荷神社の富士塚」、最後は浅草神社の兼務社の「浅草富士浅間神社の富士塚」の7カ所。場所的に離れているので、地下鉄・JR線の効率的な乗り継ぎの計画を立て実行した積りだが予想以上に時間が掛かった。今回で区内の富士塚は大体訪れたことになる。次回からは新たな目的の歴史散歩を考えたい。都内富士塚等歴史散歩(2024/10/31)
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昨年、「大山街道」を歩いたが今年は思い立ち「鎌倉街道」を歩き始めた。鎌倉街道は、鎌倉と各地とを結ぶ道路の総称で、主要な幹線道(上道・中道・下道)は3本。取敢えず、東山道から分岐して鎌倉に通じていたと言われている「上道」のうち、府中から鎌倉までを何回かに分けて歩くことにした。今回は、府中市「分倍河原駅」から多摩市「永山駅」までの約6㎞。今でも「鎌倉街道」の名を残し幹線道路として利用されおり、古戦場跡等が見られた。歴史散歩:鎌倉街道1(分倍河原~京王永山)(2025/4/17)
新宿区の記念館巡りの後、「府中市美術館」を訪れた。目的は開催中の「司馬江漢と亜欧堂田善かっこいい油絵展」を鑑賞すること。司馬江漢は知っていたが、亜欧堂田善(あおうどうでんぜん)を知る良い機会だった。十分な知識のない江戸時代に銅版画・油絵など西洋絵画の手法を取り入れた絵を描いた画家二人の作品展示。少々運営等気になることはあったが、ローカルの美術館にしては、これだけの絵画を集めて開催運営できるのは素晴らしい。同時に常設展示も見ることが出来たが、色んな分野の絵画が所蔵されているようだった。美術館の周囲は「府中の森公園」で桜が満開だった。府中市美術館保問記(2025/3/10)
新宿区落合に保存されている画家・作家の記念館を巡る散策に出掛けた。山手線目白駅を出発し、先ず「中村彝(つね)アトリエ記念館」を手始めに「佐伯祐三アトリエ記念館」、「林芙美子記念館」を巡り、地下鉄大江戸線中井駅までの行程。二人の画家のアトリエの共通点は採光用の大窓。画家と結婚した林芙美子は、借家からこの家を造るときの努力執念は凄いものが感じられた。何となく持っていた貧乏という言葉が消えてしまった。東京都新宿区落合地区の画家作家の記念館巡りに出掛けた(2025/4/10)
何時もより一時間ほど遅らせての早朝散歩。県立相模三川公園の桜も略満開。桜も良いけど花桃も綺麗。花桃を突くメジロ。何時もは暗くて気付かなかった土筆も目を出していた。本日の早朝散歩から(2025/4/5)
都下の富士塚は大体全て訪れたので、神奈川県内未訪の富士塚巡り歴主旅を再開。今回は、「山田富士」(都筑区)、「新池辺富士」(都筑区)、「中村富士」(神奈川区)の三か所。後の二か所は。残念ながら近くまではいけるが登ることは出来なかった。更に「山田富士」は、以前(2023/6/21)近くまで行ったが、登山口が見つからなかった富士塚。何れの富士塚も、溶岩等は見当たらず自然地形を利用した富士塚のようだ。このような形の富士塚は神奈川県内富士塚の特徴のようだ。横浜の富士塚巡り歴史散歩(都筑・神奈川区)(2025/3/27)
日本橋界隈の散策中に見かけた景色。「広重の江戸」の今を訪ねる歴史散歩(日本橋界隈)(2025/3/20)その2
「広重の江戸」の今を訪ねる歴史散歩、最後は日本橋界隈の13か所。歩いたのは、JR神田駅から東北方向に浅草橋までと、地下鉄日本橋駅から、兜町、日本橋経由で銀座通りを南下、地下鉄有楽町一丁目駅まで。途中の他の景色は別途。これで、広重の描いた江戸の119カ所、全てを訪問完了。「広重の江戸」の今を訪ねる歴史散歩(日本橋界隈)(2025/3/20)その1
市川、浦安散策途中で興味深った場所。江戸の外れの市川、駅周辺には江戸時代には栄えた跡が多い。昔漁村の浦安は、漁師の心意気が感じられる場所だった。今回で「広重の江戸の今を訪ねる旅」も9割方終了。次回は最後の日本橋界隈。「広重の江戸」の今を訪ねる歴史旅(江戸川界隈)(2025/3/13)その2
広重の江戸名所百景118カ所の内、東京都以外三か所(何れも千葉県)で、描かれている。今回はこの三か所を中心に、途中の歴史的な場所を歩いた。出発はJR市川駅。バスで10分ほどの「里見公園・国府(こうの)台城址」から、南下し「真間山弘法寺」「市川関所跡」まで歩き、電車を乗り継いで、浦安駅へ移動。浦安では、市内を流れる境川沿いの富士塚のある神社などを見て歩いた。今回は、広重名所百景の三か所を報告。その他の場所は次回。「広重の江戸」の今を訪ねる歴史旅(江戸川界隈)(2025/3/13)その1
行程は、亀有駅~堀切菖蒲園駅~千住大橋駅~白髭橋~日暮里駅までの間、歩いたり電車・バスを利用したりの歴史旅、途中で見かけた景色。「広重の江戸」の今を訪ねる歴史旅(隅田川上流)(2025/3/6)その2
今回の歴史旅は隅田川上流の9カ所。常磐線亀有駅から京成本線堀切菖蒲園駅間の3カ所、次に京成線で千住大橋駅に移動し、千住大橋から下流の白髭橋までの6か所。予定では、亀有からお花茶屋まで路線バスを利用する予定であったが、何故か、路線が休止中とのことで、仕方なく歩いたので、約2.5万歩になった。途中に見かけた景色は別途報告。「広重の江戸」の今を訪ねる歴史旅(隅田川上流)(2025/3/6)
今回の歴史散歩で見かけた景色を纏めて。「広重の江戸」の今を訪ねる歴史散歩(品川・大森界隈)(2025/2/27)その2
今回の歴史散歩は、品川・大森界隈の七か所。出発は、京浜急行線「泉岳寺駅」近く、その後、京急線を乗り継ぎ、「北品川駅」(三か所)・「立会川駅」(一か所)、「梅屋敷駅」近くの一か所の計五ケ所、最後は、京急バスで多摩川河口の弁天橋で、この日の歴史散歩は終了。途中、北品川の旧東海道品川宿や多摩川河口近くの神社などは別途。「広重の江戸」の今を訪ねる歴史散歩(品川・大森界隈)(2025/2/27)その1
前回の続きで、散歩途中気になった場所で、富賀岡八幡宮、震災復興橋梁、三十三間堂跡、旧弾正橋、逆井の渡し跡、旧中川に架かる橋、小名木川橋脇の碑について。今回の散歩は鉄道駅に比較的近い場所が多かったのだが、歩数は約25,000歩と今年最高の歩数になった。「広重の江戸」の今を訪ねる歴史散歩(深川界隈)2025/2/20その2
今回の歴史散歩は「深川界隈」の9カ所。訪れた場所は地下鉄東西線、新宿線の駅から比較的近い場所に点在。利用した駅は、東西線「南砂町駅」「東陽町駅」「門前仲町駅」、新宿線「東大島駅」「西大島駅」「住吉駅」。興味ある場所その他は次回。「広重の江戸」の今を訪ねる歴史散歩(深川界隈)2025/2/20その1
途中見かけた景色など「広重の江戸」を巡る歴史散歩(向島界隈:2025/2/13)その2
「広重の描いた江戸」の今を歩く散歩、今回は墨田・江東区の五か所で、東京スカイツリー駅近くの2カ所と東武亀戸線東あずま駅からJR亀戸駅まで北十間川沿いに4カ所の計6か所。この日、ビル近くを歩くときは非常の強風で、危険を感じながらの散歩になった。その他の風景は次回に。「広重の江戸」を巡る歴史散歩(向島界隈:2025/2/13)その1
広重が描いた「名所江戸百景」の今を訪ねる歴史散歩、築地・月島から人形町までで見かけた景色など。「広重の江戸」歴史散歩(佃島界隈:築地・月島駅から人形町駅まで)その2
広重が描いた「名所江戸百景」(実際は119景か)の今を訪ねる歴史散歩、今回は地下鉄築地駅近くの一か所訪れた後、地下鉄で月島駅まで移動し、佃島から隅田川沿いを上流日本橋浜町までの六カ所を歩いた。途中で見かけた場所は次に紹介。これで、119カ所中70カ所を巡ったことになる。残りは49カ所。「広重の江戸」歴史散歩(佃島界隈:築地・月島駅から人形町駅まで2025/2/6))その1
「広重の描いた江戸の今」を探して、入谷から浅草までの途中で見かけた景色。「広重の江戸」(入谷から浅草)(2025/1/30)その2
久し振りの歴史散歩。今回は、神奈川県藤沢市北西部の城址・富士塚等。経路は、小田急江ノ島線湘南台駅→バスで、「舟地蔵」と「大庭城址公園」→バス・小田急線を乗継ぎで藤沢本町駅・湘南台駅へ戻り学バス(?)で慶応大学湘南藤沢キャンパス→偶然見つけた「古代住居跡」→「遠藤富士浅間神社」→「縄文時代早期末の炉穴群」→「宇都母知神社」→慶応大学バス停から湘南台駅へ戻り、本日の散歩終了。12世紀、関東平氏大庭氏による「大庭の舘(たて)」跡に、15世紀に太田道灌が砦を築造、その後小田原北条氏が改修したと伝えられている山(丘?)城跡。大庭氏は石橋山の戦いで源頼朝に勝ったものの、その後滅ぼされた。今回、細い階段の南口登り口、公園として整備された庭園を歩き、空堀・掘立て柱建物跡などを見、東口から下山。南口・東口の道は、中途半端整...歴史散歩:藤沢市北西部城址・富士塚等(2024/6/13)
都内北部の富士塚を中心とした歴史散歩に出かけた。行程は、JR武蔵野線東所沢駅→清瀬市の「中里富士」→バス移動→清瀬市の「三角山下里富士」と「下里本邑遺跡公園」→バスと電車移動→杉並区の「上井草八幡宮と富士塚」→バスと電車移動→西新宿の「成子天神社と成子富士」→JR新宿駅で終了。今回の行程は、飛地なのでバスを最大限に利用。バスに乗って何時も感じるのは、老人パス利用者の多いこと。後期高齢者の一人としては、地域優先の老人パスを全国一律にして欲しいものだが。富士塚(清瀬・杉並・新宿)等歴史散歩(2024/5/30)
今回の目的の一つは、日暮里から見沼親水公園駅まで、コンピューター制御による自動運転で走っている「舎人ライナー」に乗車すること。眺めは良いのだが、乗り心地は今一つで、長時間乗るのは辛い。前線高架なので交通渋滞に強い近距離輸送用かな。歴史散歩の行程は、◎舎人ライナー「見沼親水公園駅」近くの「舎人氷川神社」(本殿の彫刻が面白いとのことだがフェンスで囲われ見えづ残念)◎円墳の上に本殿が建っている「入谷氷川神社」◎西新井大師西駅近くの「押部八幡神社」(昭和初期に造られた小さい富士塚)◎足立小台駅から荒川沿いを上った「宮城氷川神社」(鎌倉時代後期の宮城氏居館之址で、富士塚は小振り)(この後バス移動)◎JR田端駅近くの「田端八幡神社」(急峻な崖沿いの富士塚)、隣は以前訪れた谷中七福神の一つ「東覚寺」(赤紙仁王等)◎都立...都内(足立・北・文京区)富士塚等歴史散歩(2024/5/23)
所用で川崎市登戸近くに出かけた序に、「生田緑地バラ苑」に出掛けた。バラ苑は多摩川右岸の段丘上にあるため、可成りの坂道・階段を登った上にあった。平日にも関わらず沢山の入園者、殆どが高齢者と女性。登り道からは、スカイツリーなども望めた。川崎市「生田緑地バラ苑」(2024/5/17)
風邪で一か月間静養の後、歴史散歩を再開。今回は江戸末期の外国領事館跡を中心に東京都港区の歴史遺跡を散策した。経路は、都営三田線芝公園駅から「西應寺」(蘭領事館跡)→「元和キリシタン遺跡」→御田八幡神社→亀塚公園→「済海寺」(仏領事館跡)→幽霊坂・玉鳳凰寺(化粧延命地蔵(おしろい地蔵):ここは2度目)→「長松寺」(荻生徂徠の墓)→「立行寺」(大久保彦左衛門の墓)→「覚林寺」(加藤清正関連)→明治学院大学(「インブリー館」等の建物)→「東禅寺」(英国領事館跡)まで。この後、JR品川駅から帰路。計画では、約6㎞の行程だが、相変わらず道に迷ったりで10㎞弱に。この他、地下鉄麻布十番駅近くに、アメリカ領事館のあった善福寺があるが、このお寺は以前訪れたことがあるので、今回はパスした(参考までに、写真を最後に追加)。旧外国領事館跡等東京港区の歴史散歩(2024/5/16)
桜と神社仏閣を訪ねる二泊三日の京都旅行に出掛けた。初日は「「嵐山周辺(嵐電桜のトンネル、嵐山公園等)」と「教王護国寺(東寺)の夜間特別拝観(夜桜)」。嵐山周辺は相変わらず、和服姿の外国人等で溢れていたが、東寺は比較的外人は少ない印象。東寺の「夜桜と五重塔」、講堂の「立体曼荼羅」は、圧巻。二日目午前中に、洛北の「原谷苑」と山科の「毘沙門堂」、午後は、再び洛北に戻り、「二条城」から「北野天満宮・平野神社」、序に「旧京都府庁舎」を回った。二条城では、観光客の9割以上は外国人の様だ。三日目は、醍醐寺周辺のお寺散策(「勸修寺」・「随心院」と「醍醐寺」)、最後は、帰りの新幹線の待ち時間を利用した京都駅近く、東本願寺の庭園である「渉成園(枳殻亭)」の散策で終了。一日目は時々小雨、二日目は曇り、三日目は晴れと先ず先ずの天...桜を求めて京都に(2024/4/8~4/10)
鎌倉幕府御家人「畠山重忠」終焉の地である相模鉄道霧ヶ峰駅周辺には、重忠最後に関わる史跡が多い。今回はその遺跡を巡った。経路は、相模鉄道霧ヶ峰駅から、「首塚」→「重忠公碑・古戦場跡」→「薬王寺・六つ塚」→「駕籠塚」→「重忠公硯水の跡」、約3㎞の行程。最後は帰り道で見かけた江戸時代の仏塔。歴史散歩(霧ヶ峰駅周辺古跡巡り)(2024/3/28)
今回の歴史散歩は、曇り空が少々気になったが、「横浜の富士塚巡り」に出かけた。経路は、相模鉄道西谷駅から西谷富士(富士山神社)、西谷駅に戻り羽沢横浜国大前駅へ移動。堅老神塔・大田道灌所縁の硯松等を途中見て、住宅街の「羽沢富士」へ。この後、上り下りの約2㎞歩いて最勝寺傍の「熊野堂富士」へ。危なっかしい熊野堂登山道を下り最勝寺見学の後、バスで横浜駅に移動。横浜駅西口から、富士山(芝生富士)に見立てた丘の上の浅間神社へ。この後、相模鉄道平沼駅まで歩き、この日前半の歴史散歩は終了。後半は相模鉄道霧ヶ峰駅周辺の歴史散歩。歴史散歩(横浜富士塚巡り)(2024/3/28)
府中市には、国内最大・最古の上円下方墳である「武蔵府中熊野神社古墳」を代表とする多数の古墳群、1900年の歴史を持つ「大國魂神社」、奈良時代から平安時代中期までおかれていた「国府(国衙)跡」、鎌倉時代末の合戦跡、甲州街道の宿場(府中宿)等歴史的な遺跡が多く、比較的狭い範囲に集まっている街。今回、南武線・京王線分倍河原駅周辺の史跡の歴史散歩に出かけた。経路と主な立ち寄り先は、京王線多磨霊園前駅から「常久一里塚」→「武蔵国府八幡宮」→「大國魂神社」→「武蔵国府跡」→「府中高札場跡」→「善明寺」→「高安寺」→「首塚古墳と天王塚古墳」→「分倍河原古戦場碑」→「三千人塚」→「坪宮」→「国司館と家康御殿史跡跡広場と府中御殿井戸跡」→南武線府中本町駅まで、約10㎞の行程。分倍河原駅前は50年以上前に、新婚時代にアパート...歴史散歩(東京都府中市分倍河原駅周辺)(2024/3/21)
今回の歴史散歩は常磐線沿い、六ケ所の富士塚巡りと、途中で見かけた歴史を感じさせる遺物の探索。経路は、常磐線綾瀬駅→綾瀬富士(綾瀬稲荷神社)→綾瀬駅→金町駅→飯塚富士(飯塚富士神社)→金町富士(葛西神社)→金町駅→北千住駅→千住宿・安養院→大川富士(氷川神社)→千住富士(千住神社)→慈眼寺・一里塚跡→富士塚(柳原稲荷神社)→十一面観世音堂→京成関屋駅予定では12㎞程の距離だが、相変わらず道に迷ったり寄り道をしたりで、約15㎞、2万歩ほど。歴史散歩:都内常磐線沿線富士塚巡り(2024/3/14)
今回は、小田急線町田駅北西・本町田地区の鎌倉街道沿周辺の神社仏閣と、駅南東・原町田地区の石器時代遺跡・七福神・版画美術館等を訪ねる散策。経路は、町田駅からバス移動→「養運寺」→「宏善寺」→「菅原神社(井出の沢の碑)」→バス移動で町田駅に戻り→カリヨン広場・「「絹の道」の碑」→「淨運寺(町田七福神の毘沙門天)」→「商工会議所前の福禄寿」→「勝楽寺(寿老人)」→「高ヶ坂石器時代遺跡(牢場遺跡)」→「高ヶ坂石器時代遺跡(八幡平遺跡)」→「芹ヶ谷公園・町田市立国際版画美術館」→「母智丘神社(弁財天)」→町田駅近くの「馬頭観世音」で本日の散策終了。歴史散歩(東京都町田駅周辺)(2024/3/7)
今回の歴史散歩は、江戸川区と江東区の「富士塚」巡り。江戸川区には富士塚が15カ所と非常に多く残っているが、多くの塚が明治以降に造られたものの様だ。何れも小振りで高さも、4m以下。今回唯一の江東区の「砂町の富士塚」は、江戸時代後期に造られたもので、今回のなかではいちばんの大型。歩いた経路は、都営新宿線瑞江駅→豊田神社(下鎌田の富士塚)→上今井香取神社(今井富士)→日枝神社(船堀の富士塚)→桑川神社(桑川の富士塚)→香取神社(長島の富士塚)→天祖神社(中割の富士塚)→東西線葛西駅→南砂町駅→富賀岡八幡宮(砂町の富士塚)→南砂町駅まで。途中に見られた不動尊、神社仏閣等の歴史遺物を楽しみながら歩いた約10㎞。歴史散歩「江戸川・江東区富士塚探索」(2024/02/28)
東京・神奈川の「富士塚」巡りを再開。先ず、東武伊勢崎線沿いの富士塚から。経路は、東武線谷塚駅→富士浅間神社・小御嶽神社(瀬崎富士)→県境の毛長川を渡り→花畑浅間神社(花畑富士)→花畑記念庭園桜花亭→保木間氷川神社(保木間富士)→旧日光街道→島根鷲神社(島根富士)→将軍家御成橋・御成道松並木跡→徳川将軍日光墓参途中立ち寄った「国土安穏寺」→小右衛門稲荷神社(小右衛門富士)→西新井駅→五反野駅→西ノ宮稲荷神社五反野駅。この地域の、富士塚は、比較的近い昔に造られたものが多く、全体的に小振り。計画した歩行距離は8㎞程の筈だが、道に迷ったりして遠回りをしたので、歩数的には10㎞以上歩いたと万歩計の数値。暖冬の影響か、春一番の強風下、気温20度近く、疲れた散策だった。歴史散歩(東京足立区富士塚等)(2024/2/15)
神奈川の伝統文化の継承を目的に、海老名市文化会館で開催された「カナガワり・古典プロジェクトin海老名」に出掛け、地域の古典芸能を満喫。内容は、1.海老名市の大谷地区で江戸時代から続く「大谷歌舞伎」内容は、「御所桜堀川夜討」の三段目「弁慶上使」。弁慶生涯一度の一度の恋を描いた義太夫狂言(らしい)。一旦途絶えたものが、戦後復員青年によって復活させられ、今も大谷八幡宮の祭典などで上演されているとのこと。本格的な歌舞伎に見えた。2.高校生による創作ダンス:少々ついていけない。3.湯河原町吉浜地区素鷲神社に伝わる「吉浜鹿島踊り」元は茨城鹿島神宮の芸能だったが、伊豆半島東岸の石材・木材運搬の海上安全や、疫病送り払い、大漁豊作を祈る呪芸とのこと。4.山北町共和地区に伝承されている「山北のお峰入り」700年前から伝承の民...「カナガワり・古典プロジェクトin海老名」に出掛けた(2024/2/11)
伊東温泉一泊旅行の帰りに、来宮駅で下車し糸川遊歩道の早咲き桜「あたみ桜」を楽しんだ。「あたみ桜」は、明治初期にイタリア人が熱海に伝えたとのことで、1つの枝に早期開花の芽と後期開花の芽の2種類が形成されるので、開花期間が長く、ソメイヨシノ等が1~2週間で散ってしまうのに、あたみ桜は1カ月以上も咲き続けるとのこと。途中、あたみ桜に交じって、真っ赤に咲いた花を見つけた、後で調べるとブーゲンビリアとのこと。約300mの遊歩道を下った後、海岸遊歩道を散策。最後の、海岸から熱海駅までの急坂には参った。「あたみ桜」(2024/2/7)
秦野市内で未訪の古跡を、奥津国道美術館見学の序に巡った。順路は、秦野駅→(バス利用)→<御嶽神社・八坂神社>→<出雲大社相模分祀>→国道246号線を歩き→<曾屋神社・護国神社>→奥津国道美術館→(バス利用)→秦野駅→<岐神(ふなとのかみ)庚申塔>→<今泉名水桜公園>→<太岳院>→<弘法の清水>→秦野駅今回の散策で興味を持ったのは、「名水」と「岐神(ふなと(くなど)のかみ)の道祖神」。秦野は名水の里としても知られており、名水に関係する場所が多い。又、秦野駅南側の今泉地区では、昔男子の生まれることが少なかったので男子が授かるように祈願して祀ったという岐神が祀れていた。<岐の神(ふなと、くなどかみ)とは、ネットから>岐神とは、伊弉諾尊(いざなきのみこと)が黄泉(よみ)の国から逃れて禊(みそぎ)をした時、投げ捨て...歴史散歩秦野古跡巡り(2024/1/30)
秦野市(神奈川県)の古跡巡りの途中で訪れた美術館。ネットで偶然見つけたが、多くの水彩画が展示されていると知り興味を持っていた。秦野市郊外の”くずは峡谷公園”の外れに、カフェが主体(?)のこじんまりとした美術館。散策途中の小休憩だった。奥津国道美術館(2024/1/30)
越中五箇山から移築されたの‘合掌造り‘の古民家を含めて多くの古民家が点在する料亭で会食。料理も良かったが、古民家に癒された半日だった。法事で古民家利用の料亭へ(八王子・高尾山麓)(2024/1/27)
今回の歴史散歩は、相模国二ノ宮「川匂神社」のある二宮町の古跡巡り。経路は、東海道線二宮駅→旧東海道を<押切坂一里塚跡>まで→薬師堂→密巖院→<面光寺>→<川匂神社>(頼朝が妻北条政子の安産祈願した神社)→吾妻山公園梅沢登り口→<吾妻神社>(祭神は、日本武尊と弟橘媛命(おとたちばなひめ))→<吾妻山公園>→<曽我兄弟の墓>(記録では17世紀末に再建されたものとのこと)→<知足寺>→堂面バス停から秦野駅まで。大体は平坦な行程だが、吾妻山公園梅沢口から吾妻神社への登り道は、非常に急で険しく、歳を感じざるを得ない厳しい道だった。歩行距離は今回も約10㎞。歴史散歩神奈川県「二宮町古跡」巡り(2024/1/25)
本年最初の歴史散歩は、箱根町から小田原市を箱根登山鉄道沿いに。特に箱根湯本駅、風祭駅、箱根板橋駅周辺。入生田駅近くにも紹太寺(しょうだいじ)等もあるが、以前訪れたことがあるので今回はパス。経路は、箱根湯本駅→町立郷土資料館(残念ながら休館日)→旧東海道上り坂→「白山神社」→「早雲寺」→箱根湯本街中→箱根湯本駅→電車で風祭駅→「一里塚」→「宝泉寺」→「万松院」→「日蓮上人思親の地」→「宗福院地蔵堂(板橋地蔵尊)」→「秋葉山量覚院」→「松永記念館」→「香林寺」→旧東海道(旧家内野邸)→箱根板橋駅約10㎞強の行程。この辺りは、大部分が小田原北条氏関連の寺社が大部分。歴史散歩箱根登山鉄道沿い(2024/1/17)