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  • 親鸞聖人の一如宝海論と釈摩訶衍論の性徳円満海論について

    親鸞聖人の一如宝海論は、釈摩訶衍論の不二摩訶衍としての性徳円満海論と同じであるという意見を頂いた。要は、一如宝海と性徳円満海、それらは方便法身を生じさせる基としての法性法身と捉えるのか、それとも、法性法身と方便法身の両方を生じさせる基と捉えるか、そういう議論となります。ただ、性徳円満海の海は、仏だけではなく、一切全てを生み出す根源的な意味合いで用いられていると思われる節が釈論の雰囲気としてはあるのですよね。つまり、仏の法性法身ではないということです。いずれにしても、親鸞聖人の場合は、阿弥陀如来(の法性法身)一尊を絶対視するため(あとの諸仏諸仏説も方便法身としての従果降因的な扱いとなる)、この点で既に一如宝海と性徳円満海は同じではないと拙的には思うのであります。もちろん、性徳円満海のイメージの典拠とされる金...親鸞聖人の一如宝海論と釈摩訶衍論の性徳円満海論について

  • 大智度論に見る親鸞聖人の一如宝海論について

    では、次に、親鸞聖人の一如宝海論は、大智度論のどこに見出すことができるのかというと、般若経系においてもよく出てくる表現とも重なりますが、それぞれ異なってある個々の雨水は、やがて川に集まり、海に入って一つに溶け込む、そのようなありようのことからヒントを得られた可能性が高くあります。雨水=衆生、大海=阿弥陀如来の法性法身(自然の浄土)というわけです。巻92「菩提名諸法實相,是諸佛所得究竟實相,無有變異。一切法入菩提中,皆寂滅相;如一切水入大海,同為一味」巻67「若菩薩於一切法不分別是法、是非法,悉皆是法;如大海水,百川萬流,皆合一味。爾時修般若波羅蜜具足」巻32「如水性下流故會歸於海,合為一味;諸法亦如是,一切總相、別相皆歸法性,同為一相,是名法性」巻35「諸法如,入法性中無有別異;如火各各不同,而滅相無異。...大智度論に見る親鸞聖人の一如宝海論について

  • 大智度論に見る親鸞聖人の二種法身論・還相回向論・従果還因論の根拠について

    親鸞聖人の一如宝海論の依拠する経典、論書を調べていたところ、これかもというのをやっと見つけることができました。ヒントは釈摩訶衍論の不二摩訶衍について考究する中にありました。釈論ではありませんが、やはり同じく龍樹に仮託された論書。ちなみに十住毘婆沙論ではなく、龍樹に仮託された論書となれば、あともう一つとなる「大智度論」です。親鸞聖人の還相回向論、従果還因論の根拠、二種法身論の根拠もおそらくそれになるのだろうと思われます。親鸞聖人は、曇鸞の「論註」や道綽の「安楽集」から二種回向や二種法身の論を引いては来ているものの、その解釈は、曇鸞や道綽とは全く異なるものになっていることに、ずっと違和感がありました。その謎がやっと解けた感じであります。それは、まず、大智度論の仏身論が説かれてある有名な箇所になります。大智度論...大智度論に見る親鸞聖人の二種法身論・還相回向論・従果還因論の根拠について

  • 新しい「領解文」(浄土真宗のみ教え)についての拙見解(追記・ご消息解説・勧学寮)

    浄土真宗本願寺派・西本願寺さんが発布された新しい領解文についての見解について幾人かより聞かれましたので・・まずは、その新しい「領解文」(浄土真宗のみ教え)新しい「領解文」(浄土真宗のみ教え)についての消息[龍谷門主釋専如]令和五年一月十六日https://www.hongwanji.or.jp/message/m_001985.html南無阿弥陀仏「われにまかせよそのまま救う」の弥陀のよび声私の煩悩と仏のさとりは本来一つゆえ「そのまま救う」が弥陀のよび声ありがとうといただいてこの愚身をまかすこのままで救い取られる自然の浄土仏恩報謝のお念仏これもひとえに宗祖親鸞聖人と法灯を伝承された歴代宗主の尊いお導きによるものですみ教えを依りどころに生きる者となり少しずつ執われの心を離れます生かされていることに感謝してむ...新しい「領解文」(浄土真宗のみ教え)についての拙見解(追記・ご消息解説・勧学寮)

  • 釈摩訶衍論の不二摩訶衍とは

    釈摩訶衍論の不二摩訶衍は、まあ、中観思想における自立論証派と帰謬論証派の議論と似ているところがある。依言真如、絶言真如、それらを超える不二摩訶衍。要は、離戯論の議論なのであるが、チベット後期中観思想、ツォンカパ大師の説かれてある離戯論にはやはり遠く及ばない。なぜか?大乗起信論、釈摩訶衍論、起信論周辺における議論においては、空と縁起の理論がかなり疎かになってしまっているのと、ベースにはやはり本覚思想が控えてあるからである。その本覚思想も内実はかなり強烈なもの。この本覚思想に、特に鎌倉仏教は少なからず影響を受けてしまっているのである。釈摩訶衍論の不二摩訶衍とは

  • 親鸞聖人の一如宝海論と釈摩訶衍論の不二摩訶衍における性徳円満海論について

    親鸞聖人の一如宝海論と釈摩訶衍論の不二摩訶衍における性徳円満海論は、意外にも両者に通底してある本覚思想は同じではないかと見ています。両者共に「海」が使われてあることもさることながら、大乗起信論の本覚思想の要諦となる波の喩えとも双方共に関連していると考えます。そして、釈論の性徳円満海は、もともと金剛三昧経の「仏菩提薩般若海」にその原意を伺うことができるのであります。親鸞聖人が阿弥陀如来の本体について、どう考えていたのか、その真意を図るには、やはり本覚思想からアプローチするのが正解となるのでしょう。西本願寺さんの新しい領解文(浄土真宗のみ教え)からは、本覚思想がはっきりと見てとれるわけでもありますから、より核心的であると考えるのであります。親鸞聖人の一如宝海論と釈摩訶衍論の不二摩訶衍における性徳円満海論について

  • 釋摩訶衍論の金剛喩定について・追記

    平岡宏一先生よりご指摘を賜りまして、下記のような説明では、色身を法身より先に獲得するような誤解を与えてしまうため、単純に無上瑜伽タントラの成仏体系と比較するのではなく、あくまでも顕教の成仏体系から、釋摩訶衍論の金剛喩定の「方便」の禅定は、煩悩障断滅のための三摩地、「正体」の禅定は、所知障断滅のための三摩地として、拙生としてはそのような理解に留めておくことと致します。少し「方便」(色身のための資糧)という語の名称に引っ張られ過ぎたのかもです・・・・随分前に頂いていた質問で、釋摩訶衍論の金剛喩定のことがあり、かなり遅れてしまいましたが、、釋摩訶衍論の金剛喩定における方便と正体は、無上瑜伽タントラの成仏体系と比較検討すると分かりやすくなります。方便は、色身の成就のため、正体は、法身の成就のため、そのそれぞれの三...釋摩訶衍論の金剛喩定について・追記

  • 釋摩訶衍論の金剛喩定について

    随分前に頂いていた質問で、釋摩訶衍論の金剛喩定のことがあり、かなり遅れてしまいましたが、、釋摩訶衍論の金剛喩定における方便と正体は、無上瑜伽タントラの成仏体系と比較検討すると分かりやすくなります。方便は、色身の成就のため、正体は、法身の成就のため、そのそれぞれの三摩地を表すものと考えるのであります。要は、煩悩障断滅のための三摩地、所知障断滅のための三摩地ということになります。無上瑜伽タントラにおいては、どちらも清浄なる勝義の光明への等引となりますが、方便は、清浄なる幻身を実現させるための等引であり、その身体はそのまま仏陀の色身へと移行していくことになります。そして、正体は、この清浄なる幻身と勝義の光明のそろってある状態においての等引であり、これは所知障を断滅させるための三摩地で、この等引により、全ての所知...釋摩訶衍論の金剛喩定について

  • 新しい「領解文」(浄土真宗のみ教え)についての拙見解

    浄土真宗本願寺派・西本願寺さんが発布された新しい領解文についての見解について幾人かより聞かれましたので・・まずは、その新しい「領解文」(浄土真宗のみ教え)新しい「領解文」(浄土真宗のみ教え)についての消息[龍谷門主釋専如]令和五年一月十六日https://www.hongwanji.or.jp/message/m_001985.html南無阿弥陀仏「われにまかせよそのまま救う」の弥陀のよび声私の煩悩と仏のさとりは本来一つゆえ「そのまま救う」が弥陀のよび声ありがとうといただいてこの愚身をまかすこのままで救い取られる自然の浄土仏恩報謝のお念仏これもひとえに宗祖親鸞聖人と法灯を伝承された歴代宗主の尊いお導きによるものですみ教えを依りどころに生きる者となり少しずつ執われの心を離れます生かされていることに感謝してむ...新しい「領解文」(浄土真宗のみ教え)についての拙見解

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