結局、現在の皇室が、第8代の孝元天皇まで遡れるならば、当然に初代の海村雲までも遡れるということになり、また、武内宿禰大田根からも遡っていけば、母が山下陰姫で、その母方を遡れば、紀伊国造の祖、高倉下となり、高倉下の父は、海部家の五十猛で、母は、大屋姫にて、出雲王国の郷戸家に遡るので、どちらにしても現在の皇室は、東西出雲王家に遡るというわけなのである。記紀は、万世一系にこだわるばかりに、下手にいじくり回して、史実をおかしくしてしまったのである。・・本来の神功皇后の夫となる「仲哀天皇は?」とのことですが、仲哀天皇は、明らかな記紀の創作上の天皇になります。「哀れむ」という可哀そうな名前から言っても、まずありえない命名ですが、記紀編纂者が、わざと創作した天皇であることを暗示したかったのでしょう・・出雲口伝では、神功...神社伝承と出雲口伝の古代史・記紀の矛盾から考える