トランプサイズの手製本を作っている装丁家の、忘れ得ぬ本、出会った人々、作品のエピソードなどを語る。
豆本 ミニチュアブック 手製本
紫のぼかしに短冊を散らし、物憂い横顔の婦人を配した七夕の絵葉書。裏をかえすと、旧字旧仮名の見馴れぬ文字が綴られている。差出人の名前を見て私は驚いた。それが福永武彦先生にはじめて戴いた夢二の絵葉書だった。そのとき、先生の余命があと四年などということを、誰が予測しえただろうか。 「この間はお手紙ありがたう 豆本二冊たのしく拝見しました(中略)今どき 本づくりの好きな人なんてのは珍しいから大いにおやりなさい(中略)これから追分の方に出かけますから 夏の間にこちらに来たらお寄りなさい 原則的には面会謝絶ですから 電話を先にかけるか ちゃんと自己紹介をして下さい」 そして末尾に追分の電話番号が書かれてあ…
*本の装い、商品としての本 これまでに何冊の本を装丁したか、記録もなく、すべてを所蔵してもいないので、書名を覚えていない初期の本はどれだけあるか分らなくなっている。 最初にきちんと印刷して造本をしたのが、学生時代の友人の詩集『海の色』だった。エディトリアルの授業で編集作業は一通り学んでいたので、装丁とレイアウトは出来上がったが、さてどこに頼んでいいのか皆目わからない。友人と二人で、神田猿楽町をうろうろしたあげくに、疲れ切って飛び込んだのが、「矢嶋製本」という製本所だった。社長さんは、学生さんだから破格値でやってあげようと言って下さり、そのかわり本文紙と表紙のクロスは在庫を使うこと、という制約が…
箱のなかに箱があり、それを開けるとまた箱がある。開けても開けても箱があり、少々不安になった頃、ようやく小さな本が顔を出す。このマトリョーシカのような重ね箱のイメージは、絵のなかの絵、そのなかの絵、と限りなく小さくなってゆきながら果てしなく同一という無限の繰り返しにどこか似ている。それは、この世ならぬ異界にいざなってくれる通い路のようだ。 私が本職の装丁の仕事のほかにライフワークとして作り続けている小さな本は、いかなる制約もなく自由なのだが、まず第一に小ささを競うことなく、本文のレイアウトが整っていて、文学書のように文字がきちんと読めるものであること。そしてそこに、箱を開けるときのようなときめき…
目白の東京カテドラル聖マリア大聖堂の近くの日本女子大学のキャンパスで、「詩と童話まつり」が開かれていた時期がある。日本女子大学に児童文学究室があった頃で、「目白児童文学」の姉妹誌として、同人誌「海賊」が発行されていた。アドバイザーに山室静、特別同人に立原えりか、森のぶ子、宮地延江、同人に安房直子、森敦子、生沢あゆむなどが名を連ね、児童文学の関係者たちが、年に一度集まって講演と懇親会を開催していた。同人誌の表紙絵は、立原えりかの夫君だった渡辺藤一。印刷は凸版、本文はまだタイプ印刷という時代だった。 友人が日本女子大に通学していたので、何度かその講演会に誘われたことがある。埴谷雄高、三木卓、久保田…
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