メンテナンスの仕事で鴻巣を訪れ午前10時に仕事終了。て事で鴻巣の街並みを散策しました。鴻巣は今年5月、横浜で飲んだ帰りに乗り過ごし、気づいたら鴻巣で終電終わって絶望した事があります。唯一のネットカフェが国道17号線沿いで20分以上歩かされた記憶も。その道す
都内、近郊の古い街並みや建造物、路地裏などの写真を中心に国内の寂れた観光地や温泉なども紹介。
建設関係の仕事のため首都圏の様々な街に通っており、暇を見つけては建物や街角の写真を撮り続けています。また旅好きで、特にマイナーな寂れた観光地や温泉、地方都市などを巡ってます。
今年2月、帝都を歩く様で紹介された千葉県柏市根戸にある陸軍高射砲第二連隊跡地にある謎の廃屋群がずっと気になっいて、自分もこの目で見てみたい!と思っていたものだから行ってしまいました。ネタを被せちゃってごめんなさい!JR常磐線を北柏駅で下車。駅は歩道橋が
成田は2020年の夏と2021年の秋に訪れましたが、最初に訪れた際航空科学博物館が休館日だったと言う苦い思い出があります。(1)空港シャトルシステムと成田駅周辺(2)東成田駅(旧・成田空港駅)成田空港は出航と到着それぞれ1回ずつ利用していますが、LCCで一番端っこに着い
実は3月から5月末までの間、一身上の都合により久米川市に住んでいました。なかなか縁(エン)の無い地域ですが、気になる場所も幾つかあったと言う事で、ちょっとまとめます。まずは西武新宿線久米川駅、北口を出て右手に伸びる商店街。商店街のアーチ看板かと思いきや
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メンテナンスの仕事で鴻巣を訪れ午前10時に仕事終了。て事で鴻巣の街並みを散策しました。鴻巣は今年5月、横浜で飲んだ帰りに乗り過ごし、気づいたら鴻巣で終電終わって絶望した事があります。唯一のネットカフェが国道17号線沿いで20分以上歩かされた記憶も。その道す
国分寺駅と立川駅の間、国分寺と立川それぞれの最初一文字目を繋げた国立駅の北側に、公益財団法人鉄道総合技術研究所があります。ちなみに国立市の名前もこの駅名から採られており、また鉄道総合技術研究所より北は国分寺市になります。公益財団法人鉄道総合技術研究
座間市と言えば米陸軍キャンプ座間と日産座間工場ですね。小田急江ノ島線南林間駅と小田原線相武台前駅の間辺りに日産座間工場があります。この工場は昭和41年(1966年)に操業を開始し、バブル崩壊後の1995年、リストラに伴い自動車工場としては閉鎖されました。しかしその
やっと涼しくなりましたが、仕事は忙しくなるばかり。写真撮り歩きたい季節なのですが……仕事で2年ぶりに東急東横線自由が丘駅に降りたところ、北口駅前右手の一帯が大規模再開発されていました。ごちゃごちゃした路地裏も含めて一つの街が丸ごと消滅してしまつた。当
今月、仕事で東逗子に通っております。車内放送において「東逗子」のイントネーションが「チラシズシ」に聞こえてしまうのですが、まぁ北鎌倉が北キャバクラと聞こえてしまうと言う話もありますし。何はさておき逗子と言えば6年前、田浦を訪れた帰りに海へと延びる軌道を撮
ちょっと涼しくなって来たって事だし、横浜市保土ヶ谷区の山の中に残る火薬工場跡地に行って来ました。相鉄星川駅は久々に降りましたが、いつの間に高架化されていたようで。しかし広々とした駅前は閑散としていました。ここから新桜ヶ丘団地行きのバスに乗って行きます。
この夏はあまりにも暑いので、たまにはブログ記事の事も考えずに冷房の効いた所でゆっくりしたい。と言う事で、いつか行こうと思いながら何年も先送りにし続けて来た大宮の鉄道博物館に行って来ました。まず最初に迎えてくれたのはEF5851。私らの世代で言えばまさに昭
大日影トンネルを歩き塩山で昼食を摂った後、中央東線のスイッチバック跡地を巡りました。勝沼の跡地スルーしながらww各駅停車の昼のダイヤは上り下り共に1時間に1本。その間、通過する松本行き特急「あずさ」が1本と甲府行き特急「かいじ」が1本。分かり易いです。
トンネルの中なら涼しかろう、そう思って中央東線旧線の廃線跡である旧・大日影トンネルに行って来ました。中央東線が甲府盆地に抜けた所。葡萄畑に覆われた斜面に勝沼ぶどう郷駅(旧・勝沼駅)はあります。この駅はかつてスイッチバック駅でしたが、昭和43年(1968年)にスイ
千葉県は房総半島の先端近く、廃墟としては有名な南房総市富浦の大房岬(たいぶさみさき)の戦争遺跡群に行ってまいりました。以前より行こう行こうと思いつつ、館山の手前の富浦駅はいかんせん遠い。最近は2両編成の新型車両が内房線から外房線まで通しで走っているみたい
つくばエクスプレス終点のつくば駅から北へ向かってバスに乗り筑波山口へ。ここはかつての筑波鉄道筑波駅跡になります。筑波鉄道は大正7年(1918年)に開業、途中関東鉄道に吸収されつつも国鉄が分割民営化された昭和62年(1987年)3月末日に廃止となりました。1981年頃と
牛久と言えば牛久シャトーと大仏ぐらいしかないと言ったイメージを持ってました。実際、駅前には何も無いです。水戸街道の宿場町として栄えた牛久は西南側の外れにありますが、今回そっちには行きませんでした。線路の東側を並走する幹線道路の花水木通り沿いに
今年2月、帝都を歩く様で紹介された千葉県柏市根戸にある陸軍高射砲第二連隊跡地にある謎の廃屋群がずっと気になっいて、自分もこの目で見てみたい!と思っていたものだから行ってしまいました。ネタを被せちゃってごめんなさい!JR常磐線を北柏駅で下車。駅は歩道橋が
成田は2020年の夏と2021年の秋に訪れましたが、最初に訪れた際航空科学博物館が休館日だったと言う苦い思い出があります。(1)空港シャトルシステムと成田駅周辺(2)東成田駅(旧・成田空港駅)成田空港は出航と到着それぞれ1回ずつ利用していますが、LCCで一番端っこに着い
実は3月から5月末までの間、一身上の都合により久米川市に住んでいました。なかなか縁(エン)の無い地域ですが、気になる場所も幾つかあったと言う事で、ちょっとまとめます。まずは西武新宿線久米川駅、北口を出て右手に伸びる商店街。商店街のアーチ看板かと思いきや
およそ8年ぶりに大塚での仕事となり毎日通うようになりました。歩いてみれば変わった物、変わらぬ物、そして新たな発見などもあったので、改めて散策します。過去の記事はこちら↓(1)北大塚の歓楽街(2)南大塚の三業通り(3)北大塚の飲食事情大塚駅が大きく変わったのは
西武新宿線本川越駅からひとつ手前、南大塚駅から入間川河川敷まで、かつて3.2キロにわたって貨物線が走っていました。南大塚駅構内。かつての敷地はそのままで、レールも一部残っています。線路跡はしばらく住宅街の中を抜けます。最近まで線路がそのまま残って
さて、後半はスナック街や旧青線地帯跡など、ディープな路地を歩いて行きます。実はこちらがメインディッシュ。駅から宮川を渡って1本目を左に。寂れた飲み屋街と言った感じの街並みを歩いてゆくと、右手にミリオン通りと言う路地裏飲食店街が見えてきます。入り
※2024年3月末訪問。昭和な街並み系や赤線地帯系のブログなどを巡っているとよく見かけるのが富士吉田市の月江寺。それだけそっち界隈では有名であり紹介され尽くされている感がある故に行くのは永らく後回し、と言う扱いでした。とは言えいずれ訪れたいと思っていたし、
ブログを開設してから早いもので10年。飲食店は3年続けば安泰、ブログなら5年続けば安泰(多分)と言う事ですが、よくモチベーションが続いたものだと思います。全国的に見れば行きたい場所なんて腐るほどありますが、それを限られた時間とお金でどれだけ消化していけるか。私
利根川北岸からの帰り道として考えた時、東武伊勢崎線の境町から電車に乗って館林と久喜で乗り換えて帰るより、岡部まで戻って高崎線で帰る方が断然早い。しかし自転車で走る距離が倍以上ありもう足が限界なので、近くの境町を選びました。自転車で楽しようと思っても。結局
利根川中流域の南は埼玉県、北は群馬県ですが、群馬県伊勢崎市の南端にあたる利根川の南岸に一部群馬県の飛び地があります。こう言うのを河川飛び地と言うそうです。その飛び地である島村集落の西南側に田島弥平旧宅があります。蚕の種を作る養蚕農家なのですが、ここが世
浅草橋にある行き付けの居酒屋の常連仲間の方から折り畳み自転車をいただきました。パンクした状態で何年も放置していたそうで、多少整備が必要なのですが、とりあえずタイヤのチューブを交換しブレーキを調整して潤滑油を差して走らせてみようかと思います。本当は錆びたチ
先月末辺りから急に仕事が忙しくなり、全く写真撮りに行けません。今年は月最低でも3記事と決めて来ましたが、今月は無理そうです。なので日記でも書いて一応更新はしときます。上野、首都高の向こう側にあるコリアタウンの一角へ焼き肉食いに行くのはコロナ前以来で、も
お盆休みに訪れた東京健康ランドが今月頭に閉店となり、テレビなどでちょっと話題になりました。東京江戸川区の東京健康ランドは近頃増えたスーパー銭湯とは違う昔ながらの健康ランドでしたが、とうとう都内に於ける健康ランドは全滅してしまったと思われます。しかし他県に
旧日本海軍における飛行学校の中枢が以前訪れた土浦海軍航空隊予科練であるのに対し、旧日本陸軍における飛行学校が所沢陸軍飛行学校および熊谷陸軍飛行学校などになります。ちなみに予科練と言う言い方は海軍でしか使わないようです。その熊谷陸軍飛行学校の分校が保存さ
前回はつくば駅を中心に歩き回りましたが、続編と言うことで今回は観光協会でレンタルサイクルを借りて郊外まで足を延ばして見ました。H-2Aロケット打ち上げ延期で今話題のジャクサ!宇宙航空研究開発機構、通称JAXAの研究施設はつくば駅の南東3キロ弱に位置します。午前
以前から気になっていた日本のモスク、東京ジャーミイに入って見ました。東京のモスクは昭和13年(1938年)に建造され、現在の建物は2000年に建て替えられた物です。日本におけるイスラム教の歴史は浅く昭和10年代に名古屋、神戸、東京(代々木上原)にモスクが建設された
仕事が早く終わり、たまには温泉に浸かりたいとランダムに検査してみました。すると江戸川区に「スーパー銭湯」ではない「健康ランド」の文字が。都営地下鉄新宿線で荒川を越えて江戸川区へ。船堀駅周辺は都営や公団(UR)の団地街です。奥に聳える展望塔は江戸川区のコミュ
ドリーム号の保存車両が目的で訪れたつくば市。しかし街を歩いているとその違和感に気づきました。こちらは地下駅であるつくば駅からそのまま線路と同じ方向、北東へと伸びるメインストリートを駅方向に見た所。商業施設は駅周辺にショッピングセンターの形態で集中してお
いや暑い。今の時期外を出歩くもんじゃ無いですね。2006年に開通したつくばエキスプレスの終点、つくば駅に参りました。開業からもう17年も経ちますが、最高時速130キロ近く(表定速度103km/h)で秋葉原まで快速で45分と言う利便性から沿線も発展し、開業に掛かった費用を前
あっつい。仕事が忙しくてどこにも行けなかったのですが、たとえ時間が出来たとしても出かける気にならないんじゃないだろうか。しかしブログの更新はしなければ!と言う義務感と危機感、そして強迫観念があります。そんな訳でブログのネタにもならないスナップショット
今年は月3回以上の更新を目指していましたが忙しい時は忙しく、なかなか出かけられないので5月に秩父へ行った際に立ち寄った秩父銘仙を記事にします。2018年10月に秩父銘仙に関連する史跡を訪れたのに、なぜ当時「ちちぶ銘仙館」に行かなかったのか!ちちぶ銘仙館は西
真名団地から八丁寺団地へ向かう途中、約2年半前に訪れた国府関団地の現状も見て来ました。徒歩10分少々なので立ち寄っては見ましたが、結論から言って何も変わっていませんでした。改めて見ると真名団地よりも5年古い昭和40年完成の市営住宅だけあり、木造一戸建てが
2020年10月、素掘り隧道群を撮りに行った際に偶然ゴーストタウン化している国府関団地を見つけたのですが、実はそのさらに奥、西側にもっと巨大でゴーストタウン化している真名団地があったと言う事を知りました。今回は以前からちょいちょいチェックしているブログ埼玉発
※学生時代のバイトの先輩で幾度か一緒に旅をした方が、上武鉄道廃止直後の廃線跡を訪れていました。その時代の貴重な写真をお借りする事が出来たので、記事に追記いたします。(6月6日)日本ニッケル専用線(上武鉄道日丹線)廃線跡を訪れました。ここ最近、自分的にも何か
飯能市から秩父へ抜ける正丸峠、その周辺の廃校跡を巡りました。ここは先月、地下ベルトコンベアのYルートと併せて訪れました。高麗川の上流、西吾野駅の辺りで川は北川と南川に分かれます。北川流域は林業が盛んで、現在でもキャンプ用の薪を中心に杉材が出荷されており
今年は4年ぶりに神田祭開催です。こちらはコロナ前に開催された2019年の神田祭。当時は神田ガード下の神田小路もまだ残っていました。そう考えるとコロナ禍はつくづく長かった。こちらは2023年5月12日、夕方に霊入れをして夜に町内を練り歩く、前夜祭のようなもの。