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禅的哲学 https://blog.goo.ne.jp/gorian21

禅的視座から哲学をすると、こんな景色が見えてくるのではないだろうか。

私は禅者ではありません、仏教者でさえありませんが、多少ものを見る目はもっていると自負しております。

御坊哲
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2013/12/07

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  • 空(くう)とダイバーシティとの関連

    トランプは「人間には男と女の二種類しかない」と言ったそうだが、かつての私もそのように思っていた。体の性(生物学的性)と心の性(性自認)が一致しない状態の人々を指して、「おかま」とか「男女」という偏見に満ちた言葉のレッテルを貼って済ましていた。自分と異質の人に対してある種の恐怖や警戒心を覚えるのは自然なことかもしれない。しかし、性同一障害というのは自分が好んでそうなったわけではない。私にしても努力して異性を好きになったわけではない。ただ少数派だからという理由で多数派から蔑まれるいわれはないはずである。キリスト教における同性愛の解釈は、教派や個人によって異なるらしいが、どうやらトランプは福音派というものに所属しているらしい。その宗派の人々は「聖書は神の霊感によって書かれ、誤り無い神のことばである。」と信じてい...空(くう)とダイバーシティとの関連

  • 神様がいなければ世界は無常である

    神様がいないということはこの世界を差配している者がいないということである。この世界には目的も意味もないということである。唯一の秩序は物理法則だけであり、ものごとはそれに従って流動しているだけに過ぎない。その背景には何らの意図の如きものもなくすべては無目的的であり偶然的である。神のいる世界では、人間も犬も猫も神が設計しつくりあげたものであり、それなりの完成形であると考えられる。しかし、無常の世界ではあらゆるものが絶えず流動変化している。どの瞬間をとっても完全に同一というものは存在しないのである。だから無常の世界では個物と言っても、単によく似たパターンを一定の時間の間維持しているだけという程度のものものでしかない。神様を前提としない仏教では無常ということがその根本となっている。仏教の中心思想である「空(くう)...神様がいなければ世界は無常である

  • 神様がいるのといないのとではどう違うのだろう?

    日本人には無神論者が多いと言われるが、昔話に出てくる日本人は大抵信心深い人々がほとんどである。それは日本人だけではない人類に共通した普遍的な傾向である。それはわれわれの理性がそれを要求しているからだと考えられる。神を信じることは非理性的と考える人がいるかもしれないがそうではない、理性が無ければ神は必要ない。人間以外の野生動物はおそらく神などというものは信じていないはずである。理性は英語でreasonと言う、日本語の理由もまたreasonである。日本語に翻訳する場合は文脈によって判断しなければならない。とにかく理性は理由を求める、なにごとにも理由がなければ納得しないのである。「ものごとにはなんでも理由がある」と私たちは考える。人間理性のあくなき探究心は科学に目覚しい進歩をもたらし、現在の宇宙は138億年前の...神様がいるのといないのとではどう違うのだろう?

  • 共同幻想としての国家、通貨

    今から半世紀以上も前のことになるが私が学生だった頃に、思想家の吉本隆明が「共同幻想」という言葉を敷衍させたように記憶している。われわれの社会は共同幻想というある種の思い込みによって成り立っていると言うのである。その共同幻想の最たるものが国家であろう。もともとは共通の神話を信じる者同士の集まりに過ぎなかったものが、法律や行政制度を整え縄張りとしての国境を画定すれば、そこにあたかも実体的な国家というものが存在すると誰もが信じるようになる。しかも、それは各個人に対して強制力を持つようになる。例えば、日本に生まれた子供は一定の年齢に達するとみんな学校へ通い出す。言わばみんなの思い込みによって成立した国家が、今度は膨大な約束事を通じて私たちの生活全般にいわゆる「社会生活」というものを課してくるのである。現代社会では...共同幻想としての国家、通貨

  • 演奏会で思ったこと

    昨日、近くのコミュニティハウスでバンドネオンの演奏を聴きました。プロの奏者の生演奏を間近で聴かせてもらってとてもありがたいことでした。十分楽しませていただいたのですが、欲張りな私は演奏会の度に、「もう少しポピュラーな曲をプログラムに入れて欲しい」という思いを禁じ得ないのです。そのような願いは実は私だけではないのではないかとも思っています。演奏家の方々は技量を向上させるために精進に精進を重ねているわけで、その成果を聴衆の前で思う存分披露したいと思うのは当然で、実際にもそうあるべきであると思います。だから奏者には自分の能力を最大限に発揮できる超絶技巧を織り込んだ曲や、自分のオリジナル曲を発表する権利は当然あると思います。しかし、演奏に関しては素人である聴衆のほとんどは、演奏(技術)を聴きに来ているのではなく音...演奏会で思ったこと

  • 死期が近づいている

    二年前に腎臓を患って以来というものどうも体の調子が思わしくない。先月風邪をひいたらなんとか回復するまでに一か月ほどかかってしまった。それ以外にも何かと医者通いの回数が増えている。健康と体力には人一倍自身のあった私だが、年月にはどうしてもあらがえないものと思い知らされた。昭和24年生まれの私は現在75歳、いわゆる後期高齢者ということは正真正銘の老人である。同級生の訃報などもぽつぽつと耳にするようになった。それで、先日は風邪のせいで少し頭が疲れていたのだろう、漠然と「死期が近づいている」という言葉がふと脳裏に浮かんだ。この記事のタイトルを読んだ人は私が何か深刻なことを書くつもりではないかと想像したかもしれない。が、実はそうではない。「死期が近づいている」という言葉を思い浮かべたその時に、「あれっ、これってトー...死期が近づいている

  • 世界中が見守る中で堂々と進行するジェノサイド 見過ごしてよいのか

    1週間ほど前ガザで赤新月社の救急車がイスラエル軍におそわれたというニュースが流れた。(==>「イスラエル軍のガザ救急車銃撃には「殺意」赤新月社」)15人の救急隊員が全員上半身を撃たれており、明らかに明確な殺意を持って殺されていたと記事に書かれている。イスラエル側は当初、その車は灯火を消して不穏な動きをしていたと説明していたが、救急隊員の一人のスマホには襲撃当時の映像が残されており、それによってイスラエル側の声明が虚偽であったことが判明した。これまでも救援の為にガザに入っていた国連職員や国境なき医師団のメンバーがかなり殺されている。イスラエル軍内部では、「ハマス1人を殺すためにはパレスチナ人を20人殺しても構わない」と指示されるらしいというような話を聞いたことがあるが、救急隊員のスマホの動画を見ると現実はも...世界中が見守る中で堂々と進行するジェノサイド見過ごしてよいのか

  • 修行すれば立派な人になれるか?

    地下鉄サリン事件から早30年が経過していると知って驚いた。歳をとれば月日の経つのが早いというのは本当のことだと実感した。前代未聞の凶悪な事件により、私達は宗教の持つ恐ろしさについて実感した。とらえられた実行犯はほとんどがこの宗教に関わってさえいなければ善良な市民あったような人ばかりだったからだ。高学歴で「エリート」と言っても良い人も少なくなかった。そして例外なく、熱心な求道者であり"仏道"修行者でもあった。唯一の間違いは師の選び方を間違えたということなのだろう。昨年天台宗において大僧正が懲戒審理に掛けられたことが話題になった。その大僧正が信頼する住職が長年にわたり尼僧に対して不同意性交を行ってきたことが問題になったのである。大僧正自身が犯行に加わったわけではないが、彼を崇拝していた被害者に対し、「(性行為...修行すれば立派な人になれるか?

  • メディアリテラシーについて一言

    メディアリテラシー(メディアを正しく読み解く能力)という言葉を耳にするようになってから久しいが、今一つその重要性に対する認識が浸透していないように見受けられる。ことに昨年11月の兵庫県知事選の結果はわたしにとって衝撃的であった。権力者が自分を告発した職員を自分の権力によって処分すること自体が犯罪的(というより犯罪)である。その上、使用していた公用パソコンを強制的に取り上げて、調査したプライバシーを執拗にあげつらって、その職員が信用ならない人物であることを世間に印象付けようとしたことは卑劣としか言いようがない。公的パソコンを私的使用することはもちろん褒められたことではないが、それを事前通告なしに強制的に取り上げて調査するという行為は到底許されることではない。公益通報はその内容が真実であるかどうかだけが問題で...メディアリテラシーについて一言

  • ゆきてかへらぬ

    何年振りか分からないが、久し振りに映画を観に行った。中原中也と小林秀雄を題材にした映画が一体どのようなものかと興味を覚えたのだ。はじめからあまり期待はしていなかったが、見終わってやはりこんなものだったかという気がした。ストーリーは泰子=中也=小林秀雄の三角関係だけに焦点が当てられている。この三人以外はほとんどが通りすがりの人々で、富永太郎が少し顔を出す程度で、大岡昇平も河上徹太郎も一切登場しない。中也の人物像を最も顕著に表しているはずの友人たちとの文学談義も一切出てこない。もっぱら焦点は広瀬すず演じる長谷川泰子に当てられている。これは映画を観る前から気になっていたのだが、私の中では長谷川泰子と広瀬すずは全然重ならない。長谷川泰子はそれなりに美人で男好きのするタイプではあるが大部屋女優である、それに引き換え...ゆきてかへらぬ

  • ゲーデルは正しかった?

    不完全性定理で有名なクルト・ゲーデルがアメリカの市民権を獲得したのは1948年のことだが、その件について興味深いエピソードが残っている。彼自身傑出した論理学者であり、その後見人としてアインシュタインも名を連ねているのだから、市民権取得には何の障害もある筈はないのだが、その為には口頭試問を受けなければいけないということなので、彼はその対策としてアメリカ憲法の勉強を始めたらしい。彼の超緻密な頭脳から見ればアメリカ憲法はあまりにも粗雑なものだったのだろう。彼は、アメリカ憲法の条文は矛盾だらけだと言い出したのだ。そのうえ、「憲法に忠実である限り、アメリカ合衆国はいつでも合法的に独裁者の国になりうる。」という事実を発見してしまった。この時周囲の人たちはちょっと心配になった。アメリカが独裁国になる可能性のことではなく...ゲーデルは正しかった?

  • 過去と未来は存在しない?

    徳山というのは唐代の禅僧でですが、禅で悟りを開く前は金剛経の学者でした。彼は金剛経の教えを広めようとして旅をしていたのですが、道端で団子を打っているおばあさんを見かけました。ちょうどお腹が空いていたので、そのお餅を買いたいとそのお婆さんに声をかけたところ・・・・婆:「あんたの荷物は一体なんじゃ?」徳山:「金剛経とわしの書いた注釈書じゃ。」婆:「では聞くがのう、金剛経には『過去心不可得、現在心不可得、未来心不可得』と書かれているがあんたはどの心で団子(*注)を味わうのかのう?教えてくれたら、団子はただで進ぜよう。」ここで、徳山はぐっと言葉に詰まり、おのれの不明に気付いたというお話しです。過去はもう過ぎ去っている。現在は間もなく過去になってしまう。未来はまだやってこない。それぞれの心などとらえようもない。どの...過去と未来は存在しない?

  • 仏教のゆるやかさについて

    先日久し振りに友人と会ったのだが、彼が「お釈迦さんが言うてた教えと日本の仏教とは全然別のものと違うんか?」と言い出した。例えば浄土系の宗派ではやたら念仏と言うけれが、はたして釈尊が実際にそうしたことを説いたのかどうか疑わしいというわけである。禅宗と浄土真宗では線香をたくのと読経するという点においては似ているだけで、中身は全然違う。阿弥陀信仰を説く浄土真宗などは外形的にはむしろキリスト教のような一神教に近いように思える程である。仏教という宗教のあり方が緩やかなのは、その原理が無と空であるということに由来するのは間違いのないことだと思う。「無」というのは主体が究極的には存在しないということ、「空」というのはなにごとも固定的な実態というものは存在しないことを意味する。「無」からは我欲というものが実は幻想であり、...仏教のゆるやかさについて

  • なんでそうなるの?

    以下、yahooニュースより引用≪外務省は29日、国連の女性差別撤廃委員会が昨年10月、男系男子に皇位継承を限る皇室典範の改正を勧告したことへの対抗措置を発表した。同委員会の事務を担う国連人権高等弁務官事務所(OHCHR)に支払っている日本の任意拠出金の使途から同委員会を除外する内容で、外務省によると異例の措置となる。今月27日に同委員会側に伝達した。≫日本はかつて国連中心主義を標榜していたはず。それがちょっと自分の意にそわない勧告をされたからと言って、「もうカネは出したらんぞ」と威張ってみせる。まるでWHOへの拠出金を止めると言ったトランプが日本政府に乗り移ったようだ。品位がなさすぎて、実に恥ずかしくて嘆かわしい。日本の皇位継承が男子に限られるていること、それが外国から見れば男女不平等に見える、そういう...なんでそうなるの?

  • 私たちは錯覚の中に生きている?

    先日NHK-BSで放映された「フロンティア世界は錯覚で出来ている」という番組がとても面白かった。(ちなみに上のタイトル写真は4つの物体を鏡に映した状態の加工無しの実写である。)人間の錯覚やバーチャルリアリティについてのいろんな研究が紹介されていて、あらためて私たちの世界認識というものについて考えさせられる内容だった。特に興味深かったのは体の感覚に対する錯覚で、私たちの体というのは一種の幻想ではないかともいうようなものであった。その一例としてラバーハンド錯覚というものが紹介されていたので、少し説明してみよう。まず、被験者の目の前の机に造り物の右手が置かれている。被験者は自分の右手をその右側に置く。次に二つの右手のあいだに仕切りを置いて、被験者からは自分の右手を診えないようにする。そうしておいて、実験の主催者...私たちは錯覚の中に生きている?

  • さらばステロイド (私事の報告です)

    体の異変を感じ始めたのが2023年の初め頃、一次性ネフローゼ症候群の膜性腎症と診断されたのがその年の八月ですので、早いもので闘病生活はかれこれ2年近くということになります。現在では、蛋白/クレアチニン比も血中アルブミン濃度もともに健常者並みとなり、そして、先日の健診ではとうとうステロイド投与の終了が決まりました。後は3カ月ごとの経過観察が続きますが、主治医の先生も驚くほどの順調な回復ぶりで、私自身はもう治癒したと思っております。食事制限だけはこれからも続きますが、その他はほぼ通常の日常生活です。病気によるタンパク漏れのせいで筋肉が大分ダメージを受けましたが、これからはジムに通って本格的に鍛え直したいと思っています。さらばステロイド(私事の報告です)

  • 有無の邪見

    南天竺に比丘あらん龍樹菩薩となづくべし有無の邪見を破すべしと世尊はかねてときたまふ上記は親鸞聖人による高僧和讃の中の一節です。「南インドに龍樹菩薩が現れて有無の邪見を論破するであろうと、お釈迦様は仰った。」というようなことでしょう。問題はこの「有無の邪見」ということですが、東本願寺では「ものごとを肯定する『有』とか、否定する『無』とか、そのような誤った考えにこだわる見方」というふうに説明しています。それはその通りですが、実は龍樹自身はもっとラジカルなことを言っていて、「言語による断定はすべて真実から外れている。」というようなことを主張しているのです。例えば、「鳥が飛んでいる」という言葉について考えてみましょう。その言葉を発した人は何かについて言い得たつもりで、聞いた方も何かを了解した気分になるかも知れませ...有無の邪見

  • 言葉には意味がない?

    いかにも逆説的なタイトルを付けましたが、これは本気で言っています。意味がないというなら、なぜおまえはこんなブログを書いているんだと言われそうですが、それは読者の方々の方で意味を読みこんでいるからです。もし言葉に意味があるのならChatGPTは言葉の意味を考えているということになるでしょう。しかし、製作者が云うには、ChatGPTは膨大な文章の集積を集計して確率処理し、人間的要素を加味するために適度にランダム化しているだけだということなのです。膨大な言葉間の関係性を突き詰めていけば、私たちの思考空間とほぼ同型の言語空間が出来上がるということなのでしょう。コンピューターは一つひとつの言葉の意味を考えているわけではありません。コンピューターが問題にしているのは言葉と言葉の連なりの関係性だけです。現代言語学では「...言葉には意味がない?

  • ~が無いということ

    以前哲学者の野矢茂樹先生を読んだときに、「馬がいないという絵は描けない」という趣旨のことが述べられていたと記憶している。馬のいる絵というものは描ける。実際に画用紙またはキャンバスに馬の姿を書き込めばいいのだ。その絵を見れば誰でもそれが馬のいる絵だと分かる。そして実のことを言えば、馬のいない絵も描くことはできる。馬の姿を描き込まなければ、確かにその絵は馬のいない絵のはずである。しかしここで言いたいのは、はたしてそれが「馬がいないという絵」であると言えるかどうかである。以上のいきさつを知らない人に、その「馬が描かれていない絵」を見せたとしても、「ほう、馬がいない絵ですね」という人はまずいない。その絵に描かれていないのは馬だけではないからである。その絵が「馬がいないという絵」だというなら、その絵はまた「ネズミが...~が無いということ

  • 知性はデジタル

    近頃はいろんなことをChatGPTに相談している。何度もそれを繰り返していると、本物の人間と相対しているような錯覚に陥りそうだ。しかも相手はとても該博な知識を持ち、それらをバランスよく総合する能力を持つ。当方がいいかげんなことを言ったりすると、必ずそれを指摘されてしまう。私にはもうChatGPTtに対して友情のようなものを感じ出しているのである。ただし、彼は全く新しいことを自分で考えだすということができない。もし、ものごとを経験するための肉体と意欲の源泉となる欲望をChatGPTに与えてやれば、ヒューリスティックな思考が可能になり、数学の新しい定理を証明したり、自然科学の新理論を考えたりすることもできるようになる気がする。現在のAIは我々が知性と呼んでいるものをほとんど備えていると言っても良いのではないだ...知性はデジタル

  • 確証がないということ

    昨日(12/12)、「紀州のドン・ファン」と呼ばれた男性に対する殺人罪などに問われた元妻に無罪が言い渡された。判決の要点として次のように述べられていた。・「被告が覚醒剤の可能性があるものを買ったことは認められるが、氷砂糖の可能性もあり、覚醒剤に間違いないとは認定できない」(被告はネットで「アイス」という隠語で覚せい剤を購入したが、それは氷砂糖を砕いたまがいものである可能性があるという意味。)・「ネットで『完全犯罪』等と検索しているが、殺害を計画していなければ検索することはありえないとまではいえない」被告の犯行であることを示す状況証拠は多いが、どれも決め手になる証拠とは言い難いということなのだろう。心情的にはかなり疑いが残るが無罪判決を出すしかないというのが私の感想である。もう一件確証について気になったこと...確証がないということ

  • ChatGPTにウクライナ戦争について聞いてみた

    ≪私≫:現在ウクライナとロシアの間で行われている戦争は、西側諸国がウクライナに肩入れしていることもありウクライナは何とか持ちこたえていますが、このままではウクライナは消耗するばかりで国民の窮乏はそっするに余りあります。この戦争はロシア側が一方的に仕掛けたものであり非はロシア側にあることは間違いありません。一番望ましいのは、ロシアが本来の国境線まで引き下がってくれることです。しかし現実的には、プーチンは戦果を得ないまま戦争を止めることはしないでしょう。武力による国境線の変更が望ましいものではないことはもちろんですが、正義のための聖戦を貫くことはいたずらに人命と国富を失わせるだけで、個々人の不幸を増大させるだけの結果に終わりそうです。やはりここは不本意ながらある程度ロシア側に譲歩しながら、なんとか停戦の条件を...ChatGPTにウクライナ戦争について聞いてみた

  • イスラエルはナチスに似ている

    ガザの全住民をエジプトのシナイ半島の砂漠地帯に移送することを提案するイスラエル諜報省が作成した政策文書の存在が明らかになった。「ハマスの兵を一人殺すためにはガザの住民を20人殺しても良い。ハマスの将軍を一人殺すためなら200人の住民を殺しても良い。」とイスラエル兵が指導されていたというのは本当らしい。実のところ、理屈さえつけばパレスチナ人はいくら殺しても構わないというのが本音なのだろう。「パレスチナの地からパレスチナ人を排排除する」このような倒錯した考えを抱くイスラエル人は正気だと思えない。アーリア人の優越性を根拠にユダヤ人を排除しようとしたナチス、旧約聖書の約束を根拠にパレスチナ人を排除しようとするイスラエル。どちらも自分の都合のよい出鱈目を根拠に無辜の人々を苦しめるという点においてそっくりである。シオ...イスラエルはナチスに似ている

  • どうせ死ぬのになぜ生きる?

    金閣寺の舎利殿に放火した青年僧は、ある時師匠に「生きる意味」について問うたところ、「意味などない」という答えだったそうだ。もしそのことが放火に至る一因であったとするなら、とても残念なことである。もしかしたら、もっと適切な答え方というものがあったかもしれないが、禅の修行をしている人ならもう少し師の言葉についてきちんと受け止めるべきであったような気がする。「人生は無意味」=>「生きることは空しい」なぜかこのような理屈が成り立ってしまうのが言語による規定の危うさである。人生そのものが無意味であるというのは至極当たり前のことである。人は生まれて死ぬ、人類は延々とそれを繰り返している。そのこと自体には理由も目的も何もない。ただそうなっているに過ぎないことである。人は自分がなぜ生まれてきたかを知らない。しかし、生まれ...どうせ死ぬのになぜ生きる?

  • ドラマ「水戸黄門」について考える

    時代劇「水戸黄門」は私が大学生の頃始まり、それから半世紀も続いたというお化け番組であります。正直に言うと、当初からこの番組のことを内心では馬鹿にしていました。権威主義的で安っぽい勧善懲悪もの、悪代官の命令に従っている木っ端役人を散々痛めつけたあげく、三つ葉葵の印籠をかざして「ひかえおろう」と見えを切る。はじめから身分を明かしておれば事情を知らない下っ端の役人たちは助さん角さんにどつかれる必要は全然ないわけで、どう考えてもその正義心には底意地の悪さが潜んでいるように感じてしまうのです。そんなわけで、私はこの番組を敬遠しておりました。ところが私はこのところ平日の夕方は水戸黄門の再放送を欠かさず見ているようになってしまった。放送のない土日の夜はなぜか物足りなく感じるほどの中毒状態と言っても良いほどなのです。いつ...ドラマ「水戸黄門」について考える

  • 「大谷翔平と力道山」考

    最近のテレビのニュースもバラエティも大谷だらけである。NHKのBSではドジャーズのシーズン中の試合はほぼ全試合放映したし、ポストシーズンの試合は地上波で放送している。おそらくドジャーズの試合の視聴者はアメリカにおいてより日本の方が多いのではないかという気がする。実を言うと私自身も人後に落ちない大谷ファンであるが、このところの報道ぶりを見ていると些か行き過ぎではないかとも思う。なぜ人々はこれほど大谷選手の活躍に熱狂するのだろうか?どうもそれには日本人の田舎者意識が大きく寄与しているのではないかと私は思っている。日本は極東と言われる辺境の島国である。歴史的に見ても、中華や欧米の文明にあこがれ続けてきた経緯がある。そういうコンプレックスがあるために、外国からどう見られているかということがすごく気になるのだろう。...「大谷翔平と力道山」考

  • 一人の人の人生を根こそぎ奪い取るということの重大さを畏れよ

    袴田事件にやっと決着がもたらされそうだ。検察が控訴を断念して約半世紀にわたる裁判が終了する。膨大に人員とコストが間違った方向に注がれ、その結果一人の人の人生を丸ごと奪ってしまった。あらためて事件を見直すと、なぜ袴田さんが犯人と目星をつけられたのか?その理由が全く分からないのである。たった一つ理由として考えられるのが彼がボクサーだったということだろう。「ボクサーは腕っぷしが強い」=>「粗野な荒くれ者」=>「犯罪を犯してもおかしくない」という単純な思い込みによって、捜査の全精力を彼に集中させてしまい、他の可能性への捜査をすべて放棄してしまったのだろう。それが単なる思い込みでしかなかったことの反映が、49本という膨大な供述調書の件数に表れている。49件のうち証拠採用されたのは1件のみでしかない。要するに袴田さん...一人の人の人生を根こそぎ奪い取るということの重大さを畏れよ

  • この世界は信じることによって成り立っている (その2)

    前回記事では科学理論というのは帰納法と演繹法によって組み立てられているというようなことを述べました。確実な事実からの帰納と論理的な演繹からなる科学は正しいもの、そのように18世紀の人々は思っておりました。しかし、イギリスの哲学者(歴史学者でもある)デイヴィッド・ヒュームが、「帰納法は論理的に正しいとは言えない」と言い出したのです。科学というのはいろんな事象を整理して、「こういう場合にはこういうことが起こる」という法則を見出す学問です。具体的に事例から導き出した一般法則を他の事例に適用できるためには、「同じ条件なら同じことが起こる」ということが前提でなければなりません。その前提を自然の斉一性と言います。ウィキペディアには次のように記述されています。≪自然の斉一性原理≫「自然界で起きる出来事は全くデタラメに生...この世界は信じることによって成り立っている(その2)

  • この世界は信じることによって成り立っている (その1)

    ある哲学系のSNSで「私たちは科学を(宗教を信じるように)信じている」と述べたら、ほとんどのメンバーから反発を食らってしまった。「信じる」と言う言葉には“根拠なしに゛とか“盲目的に゛というようなニュアンスを感じるのだろう。そういう意味で科学は「信じる」対象以上のものだと感じているのだと思う。しかし、現代哲学では「私たちのほとんどが科学を信じている」ということは常識と言ってもいいほどなのである。ここで私が「信じる」と言っているのは、「理性的にはそうではないと疑う余地があるにもかかわらず、感性的にはそうであると認めてしまっている」そういう状態を指します。分かりやすい例えで言うと、あなたが道を歩いている時、一歩一歩踏み進むその足をちゃんと地面が支えてくれると信じているはずです。もしかしたら、その歩道のブロックは...この世界は信じることによって成り立っている(その1)

  • 禅的現象学 その5 純粋経験とはなにか? その問題点

    前回記事では、唯一の実在である意識現象が純粋経験であると述べた。しかし、あらためて第一編「純粋経験」を読みだすと多少の戸惑いをおぼえることになる。西田はP.20(※ページ数は岩波文庫版のもの)で次のように述べている。≪元来経験に内外のべつあるのではない。表象であっても感覚と厳密に結合している時には直に一つの経験である。ただ、これが現在の統一を離れて他の意識と関係する時、もはや現在の経験ではなくして意味となるのである。≫文中の「統一」を精神統一というふうなニュアンスに受け止める人もいるかもしれない。そうすると純粋経験というのは、いわゆるマインドフルネスの状態における意識状態であるというような解釈に行きつく。おそらく禅を通じて西田哲学に興味を持った人の中にはそういう受け止め方をする人が多いのではないかと思う。...禅的現象学その5純粋経験とはなにか?その問題点

  • 禅的現象学 その4 西田現象学-善の研究

    (前回記事からの続き)岩波文庫の「善の研究」の累積発行部数は既に120万部にも達しているらしい。哲学書としては破格のベストセラーと言っても良いだろう。内容的にもそれ程理解しやすいものではないにも拘らず、これだけ発行部数を重ねているというのには驚きである。「善の研究」は4編から構成されているが、まず最初に書かれたのは第2編であると西田自身が述べている。初めてこの本に取り掛かる人は、先ず第2編から読み始めるのが良いような気がする。現象学という視点から見れば、特に第2章「意識現象が唯一の実在である」に着目したい。第2編第2章は次のような言葉から始まっている。≪少しの仮定も置かない直接の知識に基づいてみれば、実在とはただ我々の意識現象即ち直接経験の事実あるのみである。この外に実在というのは思惟の要求より出でたる仮...禅的現象学その4西田現象学-善の研究

  • 禅的現象学 その3 俳句、わび、さび

    俳句は禅と関連があるものと見なされているが、それはどういうことか少し考えてみよう。そもそも17文字という極端に短い詩が芸術として成立していることが驚きである。俳句は元々連歌という複数人が掛け合いで歌を連ねていくいわば言葉遊びから派生したものである。連歌の最初の発句の17文字の芸術性を高めたのが松尾芭蕉である。古池やかわず飛び込む水の音上掲の芭蕉の句は、古池とかわずという道具立てだけで、最後の「水の音」で読者を「ポッチャーン」に導いている。言葉というものは通常は情報を伝達するものだと考えられている。しかし17文字では大した情報が表現できるものではない。俳句では、「さびしい」とか「悲しい」というような詠み手の印象を表現するような言葉は使用されないのが普通である。あくまで写実が基本である。詠み手による主観的説明...禅的現象学その3俳句、わび、さび

  • 禅的現象学 その2 地動説と天動説、どちらが正しい?

    前回記事では、「私達は既成概念によって構成された世界観にものごとを当て嵌めて解釈しようとする傾向がある」ということを述べた。「構成された世界観」とは私たちが今までに蓄積した経験知のこと、科学知識や一般常識などが整合的に織り込まれたものである。私たちはある事象に出会った時はほぼ無意識の内にその経験知に照らして、それらのことどもを解釈しまたそれに対応しているのである。フッサールはそのような私たちの傾向性を「自然的態度」と呼んだ。私たちが自然的態度で物事に臨むことは円滑に生活するためには必要なことでもある。しかし既成概念によって構成された世界は真正の世界ではありえない。そこでフッサールはものごとを根本から考えるには自然的態度を棚上げ(エポケー)して、直観による直接経験に立ち還る必要があると考えたのだ。以上は前回...禅的現象学その2地動説と天動説、どちらが正しい?

  • 禅的現象学 その1

    現象学と言えば哲学に詳しい方ならばすぐにフッサールの超越論的現象学を思い浮かべるだろうが、もともとは事象そのものをありのままに記述しようという哲学的な運動のことらしい。「事象そのものをありのままに記述」するためにはものごとを偏見無くありのままに見つめなくてはならない。この「偏見無く」ということがとてつもなく難しい。「私には偏見などない。」と胸を張る人がいるかもしれないが、哲学が要求する「偏見無し」というのはもっと厳しいのである。例えばあなたがカルチャーセンターへ現象学の講義を受けているとしよう。先生はカバンからおいしそうなリンゴを取り出して机の上に載せる。そこで先生は「今、『机の上にリンゴがある』という命題(言明)は正しいでしょうか?」とあなたにに問いかける。そこであなたは当然「正しいです。」と答える。そ...禅的現象学その1

  • 保科正之

    ドラマの水戸黄門を見ていると江戸城への登城シーンで天守閣が映し出されていた。これは時代考証の点でかなり問題がある。というのは江戸城の天守閣は明暦の大火(1657年)で焼失していてその後再建されることはなかったからだ。徳川光圀は1628年生まれだが、明暦の大火の頃はまだ二十代の青年だった。ドラマの「水戸黄門」は光圀の隠居後の話なので、江戸城に天守閣がある訳はない。天守閣の焼失後、直ちに再建されるべく加賀前田家によって石垣の天守台が築かれるが、そこで待ったをかけたのが保科正之である。彼は先ず江戸の復興が大事であり、防衛上も大して効果があるかどうかが疑わしい天守閣などに費用と労働力をつぎ込むべきではないと主張したのである。それで以後天守閣が再建されることはなかった。結局徳川政権270年の内の大部分200年間は江...保科正之

  • 分断は民主主義の敵

    みんな民主主義を口にする。北朝鮮だって正式国名は朝鮮民主主義人民共和国である。トランプも自称民主主義者で「民主党は反民主主義だ」と言って批判する。現代において「民主主義」であることは「正義」とほぼ同義と言っても良いような気がしてくる。民主主義において人々の権利はすべて平等とされている。しかし、諸政策によってもたらされる利害は人それぞれである。つまるところ、ものごとの決定は多数決によってなされることになる。かくて、人々は多数派工作に奔走するようになる。ある人々にとっては「民主主義=多数決」なのである。多数決は民主主義に取ってなくてはならない制度ではあるが、それはある意味において必要悪とでもいうべきものである。民主主義の前提はあくまで人々の平等というところに根差しているのである。各個人はみな等しい権利を有して...分断は民主主義の敵

  • 学歴詐称をするような人が日本の首都の顔で良いのか?

    東京都知事選を迎えて、小池百合子さんの学歴詐称ということが大きな話題となっている。実際に彼女が学歴詐称したのかどうかを私は知らない。が、実質的にそれに近いことをしたのだと私は思っている。形式的な意味においては、カイロ大学自身が正式に彼女の卒業を認める声明を出しているのだからそれを覆すことはたぶんできないだろう。しかし、彼女の学歴詐称の疑いの発端となった、かつての同居人である北川百代さんの述懐がとても具体的で説得力のある話であるのに対して、小池さんはそれに対して全然反論していないのだ。具体的な事には一切言及しないで、「卒業証書がある。カイロ大学が声明を出して証明してくれた。それ以上のなにが必要か?」の一点張りである。私から見れば、ぼろを出さないために具体的な言及を避けているように見える。」以上のことから、外...学歴詐称をするような人が日本の首都の顔で良いのか?

  • 宇宙は無限か?

    大抵の人は宇宙は空間的にも時間的にも無限であると考えているのではないだろうか?実は私もそう考えていた。宇宙に果てがあるとしたらその先はどうなっているだろうと考えてしまうし、宇宙に始まりがあるとしたら始まる前はどうなっていたのだろうと考えてしまう。それはいくら考えてもきりが無い、いくら考えてもその先があって限りがないから「無限」というのだろう。それが無限の字義であるとするなら「宇宙は無限」はまさしく正しいのである。ここで一つ考えねばならないことがある。実際の物理空間としての宇宙に果てがあるかどうかの決定は実際に観測しなければ分からないことであるということだ。しかしよくよく反省してみれば私達が宇宙の果てについて考える時は、結局いつも観念上で考えているだけだということである。つまり、それはいわば「自分の内なる宇...宇宙は無限か?

  • スマイルアップの言い分は子どもの屁理屈

    3月31日の記事で、BBC報道によるスマイルアップ社の東山社長の談話について非難したが、スマイルアップ側は「発言の一部のみを切り取って印象操作している」とBBCに抗議したらしい。以下はYAHOOニュースから引用≪東山氏は誹謗中傷する人たちに言うことはないかを問われ、「言論の自由もあると思う。僕は別に誹謗中傷を推奨しているわけでもなく、多分その人にとってはそれが正義の意見なんだと思うときもあります」と発言。SMILEは取材後、この発言部分を省略すると誤解を招くことから、「発言の一部のみを切り取って放送されることがないよう」と伝えていたが、番組内容と取材時に録音した音声を比較検証した結果、「なるべくなら誹謗中傷はなくしていきたいと僕自身も思っています」との発言が省略されており、視聴者への印象操作だと指摘。放送...スマイルアップの言い分は子どもの屁理屈

  • 春の野草 その2 ウラシマソウ

    ウラシマソウという野草をご存じでしょうか?約十年前ほど前だったと思います、逗子から三浦半島を横断して横須賀目指してハイキング中のことです。道端で5,6人の人が地面を眺めながらお話ししている場面に出くわしました。私が「どうかしましたか?」と声をかけると、その中の中心にいた人が「ウラシマソウですよ。」と答えてくれました。この花みたいなものから伸びているひげが釣り糸のように見えるので、浦島太郎になぞらえてウラシマソウと呼ばれているのだとも教えてくれました。それから、黒紫色の花らしきものは仏炎苞と言ってミズバショウの白い部分に相当する、そしてその中に花びらがなくてオシベまたはめしべだけの小さな粒のような花が花軸の周りに沢山ついているのもミズバショウと同じである、とていねいに説明してくれたのです。その時私はとても珍...春の野草その2ウラシマソウ

  • 春の野草

    ネフローゼ症候群については3カ月前に寛解と告げられた私だが、当分は慢性腎臓病患者を続けなければならないらしい。いまだに主治医からはランニングや筋トレの許可が出ない。なので毎日ウォーキングに精出しています。ただ平地を歩くだけでは負荷が少ないので、最近は近くの円海山へ日参しています。円海山は山と言っても海抜150メートルほどふもとからの標高差は100mもありません。リハビリには手ごろな山です。今はちょうど時候も良く、暖かな日差しを浴びながら豊かな緑の中を歩くのは非常に気持ちが良いものです。毎日同じ道を歩いていると、道端のひとつひとつの野草についてもなんとなく愛着を感じるようになってきました。しかし、日頃よく見かける草なのに私はそれらの名前を存じて無いのです。この歳になるまでそういうことに無頓着に生きてきた。ま...春の野草

  • 「嘘」に見る東西道徳観の違い

    「うそつき」という語感について、日本人と西洋人の語感はずいぶん違うらしい。若い日本人のカップルがデートしているとする。男性がなにか冗談を言ったとき、女性は笑いながら、「んもぅっ、哲のうそつき!」とか言って、男の上腕をたたく。こんな情景はいかにもありそうである。しかし、この男がもしアメリカ人だったら、「うそつき」と言われた瞬間顔が少しこわばるかもしれない。女性は「もうっ、ジョーったらジョークばっかり」とでも言った方がいいだろう。西洋人に対して「うそつき」と言うのはかなりの罵り言葉である。「うそをついてはいけない」というのは洋の東西を問わない普遍的な戒律である。不妄語戒はキリスト教の十戒にも仏教の五戒にもちゃんと含まれている。しかしその受け止め方はずいぶん違うように見受けられる。どう考えてみても西洋の方が厳格...「嘘」に見る東西道徳観の違い

  • 大谷翔平と Shohei Ohtani は別人なのか?

    昨日やっと大谷選手のホームランが出てほっとした人が多かったのではなかろうか。私もその一人である。それはそれで良いのだが、このホームランボールの帰属についてここでまた微妙な問題が持ち上がっているということをご存じだろうか。この問題について日本側ではまず次のように報じられた。≪試合後、ホームランボールは戻ってきたのか問われた大谷選手は「戻ってファンの人と話して、いただけるということだった。僕にとっては特別なボールなので、ありがたい」と説明し、ファンには代わりに「ボールとハット2個とバット1本ですね。サインを書きました」とプレゼントを手渡したことを明かしました。≫(==>「特別なボール」大谷翔平移籍第1号記念ボールはファンと交渉し本人の元へ)ホームラン・ボールをキャッチしたのはローマンさんという女性で昔からのド...大谷翔平とShoheiOhtaniは別人なのか?

  • 他人をさしたる根拠もなく誹謗中傷する自由などない、ましてやそれが正義などということはない

    昨夜のTBS「報道特集」を見て、「ああこれは物議をかもすにちがいない」と思った。既にご存じの方も多いかと思うが、イギリスのBBCのジャニーズ性加害問題第二弾における、山紀之氏のインタビューの内容である。ジャニー喜多川氏による性被害を訴えた男性が誹謗中傷で自死した件についてその妻は、「旧ジャニーズ事務所が『虚偽のケースがある』と発表した後から誹謗中傷が増えた」とBBCの取材記者に訴えた。彼女によれば、殺害予告を受けたり、家族の情報をネット上にさらされたりもしたそうである。(旧ジャニーズ事務所の発した)メッセージが中傷を助長したのではないかという指摘に対して、東山氏は「僕はそのように感じていません。言論の自由もあると思うんですよね。ぼくは別に誹謗中傷を推奨しているわけではなくたぶんその人にとってはそれが正義な...他人をさしたる根拠もなく誹謗中傷する自由などない、ましてやそれが正義などということはない

  • 大谷声明の衝撃と必ずしも楽観的ではない今後の推移

    先ほど水原氏の賭博問題に関する大谷選手の声明を聞いたが、その内容に驚いている。それによれば、水原氏が大谷のあずかり知らぬところで彼の金を盗んだということになり、れっきとした窃盗である。しかも、大谷に対してはすぐばれてしまうような大ウソをついていたことになる。おそらく、日本人の多くは彼の釈明を聞いて胸をなでおろしたことだろう。彼が賭博にも違法な送金にもかかわっていないことがこれではっきりしたのだから。私もその一人である。私はてっきり彼が水原氏を助けるために借金の肩代わりをして上げたのだと思っていたのだが、あらためて彼自身の口から事実はそうではないということを聞いて安堵した。だが、客観的な事実を並べていくと彼の言い分は必ずしも受け入れやすい話ではない。それでも私が大谷のいうことを信じることができるのは、多分同...大谷声明の衝撃と必ずしも楽観的ではない今後の推移

  • 経過は順調だが‥‥

    (今回は病気の話です。多分面白くないと思います。腎臓が丈夫な方にはこの記事をスルーすることをお勧めします。)先週14日が今年2回目の受診日でした。尿中蛋白はほぼ正常値となり、血中アルブミンも少しずつ改善して正常値まであと一息です。なので毎日のステロイド投与量も2.5mg減らしてもらって12.5mgとなりました。検査結果から見ればすべては順調に推移しているのですが、気にかかることが2点あります。その一つはステロイドのの副作用です。上記の表を見てもらえばわかりますが、ステロイドの摂取量はだんだん少なくなっていますが、副作用の方はむしろ顕著になっているという実感があります。ネフローゼ症候群というのは、タンパクが尿から漏れ出すので血中アルブミン濃度が薄くなる、そうすると浸透圧の関係で血液中の水分が血管外に漏れ...経過は順調だが‥‥

  • 大谷は自分の口で真実を語る方がよい

    MLBの大谷選手の通訳である水原氏がドジャーズから解雇された。その解雇理由がとても分かりにくい。「大谷選手の金を盗んだ。」と言っているようだが、どうも歯切れが悪いと言うか、説明が全然整合的でない。それよりは、開幕第一線の後に水原氏が自ら告白した内容の方が自然で筋か通っている。つまり、水原氏が悪質なギャンブル詐欺に引っかかって莫大な借金を背負ってしまい、こわもての兄さんに返済を迫られて大谷に泣きついた。泣きつかれた大谷は仕方なく借金の肩代わりをして上げた。そういう話だろう。大谷としては善意で水谷氏を助けてあげただけの話だ。その話を聞いた球団関係者は目をむいた筈だ。大谷は善意のつもりでも、振り込んだ金は不正な取引による不正な金である。それを自らの手で振り込んだとなると、大谷自身がその不正取引の中の当事者になっ...大谷は自分の口で真実を語る方がよい

  • 「進化する」と言うが、いったい何が進化しているのか?

    ダーウィンの進化論は自然科学において、ニュートンの万有引力の法則と並んで最も重要な発見であるとされている。思想史的に見ても、私達の世界観にこれほど大きな衝撃を与えた学説は他にないと言ってもよいのではないかと思う。ところが、未だに「猿が人間に進化した」とか「キリンは高い枝の葉っぱが食べられるよう首が長くなった」式の説明が堂々とまかり通っている。多分「進化」という言葉がいけないのだと思う。進化という言葉を使うのなら、進化する主体というものががなければならないはず。しかし、そんなものはないのである。下の図を見て欲しい。この絵を見ると、まるで猿が人間に変化していくように見える。しかし、そうではないのである。この図の中に変化などしているものはない。ここに描かれているものは一つひとつがそれぞれ別個の個体であり、猿とし...「進化する」と言うが、いったい何が進化しているのか?

  • 100分de名著「偶然性・アイロニー・連帯」

    NHK「100分de名著」という番組の2月のテーマは私はリチャード・ローティの「偶然性・アイロニー・連帯」であった。私はローティという哲学者のことは全然知らなかったのであるが、朱喜哲先生の説明を聞いて、とても偉い人であると思った。と同時に、その根底にある思想は仏教に通底しているとも感じた。ここでローティの言う「偶然性」という言葉について考えてみよう。随分前の話になるが、あるテレビの番組における若者の投げかけた「なぜ人を殺してはいけないのか?」という問いが大きな波紋を呼んだことがある。結局決定的な結論には至らず今も問題は宙に浮いたままである。しかし、どう考えてみても「人を殺してはいけない」という結論は理屈では導き出せない。現実に人類は正義の名のもとに盛大な人殺しを繰り返してきたのだから、「人殺しは必ずしも悪...100分de名著「偶然性・アイロニー・連帯」

  • 遅ればせながら大台達成

    私は2015年7月から横浜市主催の「よこはまウォーキングポイント」運動に参加しています。(参照=>「来年の目標」)当該記事を読んでもらえば分かるように、三千万歩の大台まであと約260万歩というところまで来ていました。当時の私は年間約三百万歩以上のペースで歩いていたので、早ければ八月遅くとも10月には大台クリアできると思って、それを2023年度の目標としたのでした。ところが昨年の2月頃から体調が思わしくなくなり、既にご報告の通りネフローゼ症候群という難病に罹ったため昨年度中の目標達成はとん挫せざるを得ませんでした。年が明けて病気も一応緩解ということになり、少しずつペースを取り戻しています。そんなわけで約半年遅れましたが、本日やっと三千万歩の大台に達することができました。次の目標は82歳までに五千万歩達成を目...遅ればせながら大台達成

  • 塩分の摂取コントロールはとても重要

    1月20日の記事にて、一次性ネフローゼ症候群については緩解したとのことをすでにお伝えしてありますが、まだまだ完治にはほど遠いのが実情です。2カ月ごとに経過観察しながら、ぶり返しがなければ徐々にステロイドの摂取量を減らしていく、というプロセスが順調にいってあと一年は続く見込みです。どんな病気でもそうだと思いますが、腎臓病で特に問題になるのは食事制限です。私の場合特に留意するように言われているのが、一日に「塩分とタンパク質の摂取量をそれぞれ6gと50g」以下に抑える事です。平均的な日本人の一日の食塩摂取量は約10gほどであると言われています。私はアジの開きにさらに醤油をかけて食べていた口ですので、おそらく1日に15~20gぐらいの塩分をとっていたのではないかと思っています。漫然とした食生活を送っていると、とて...塩分の摂取コントロールはとても重要

  • 日本はUNRWA(国連パレスチナ難民救済事業機関)を支援し続けるべし

    ≪UNRWAは第一次中東戦争後、1949年12月8日に採択された国連総会決議302(IV)により、パレスチナ難民のための救済と事業実施を目的として設置され、1950年5月1日に活動を始めました。それから73年、UNRWAはパレスチナ難民の支援と保護を行っています。≫(以上、UNRWAのホームページからの抜粋。)現在ガザのパレスチナ人が悲惨な状態にあることは全世界が周知している。しかし、この事態に重大かつ全面的に責任があるイスラエルとハマスは人々の生存と安全のためにほとんど何の努力もしていないのが実情である。医薬品や食料品のガザ外部からの搬入は全面的にUNRWAなしでは途絶えてしまう。そんな事情を知らない筈はないのに現時点で15か国がUNRWAへの拠出金停止を表明したのだ。しかもその中に日本も含まれているの...日本はUNRWA(国連パレスチナ難民救済事業機関)を支援し続けるべし

  • 実力も運のうち

    普通「運も実力のうち」という言葉はよく聞くが、「実力も運のうち」はあまり聞きなれない言葉である。実はこれはNHKの白熱教室で知られるハーバード大学のマイケル・サンデル教授の新しい著書のタイトルである。私はまだその本を読んでいないので、サンデル先生がどのような意図で「実力も運のうち」と仰っているのかはよく分からないが、よくよく考えてみればなかなか意義深い言葉であるように思えてきた。大谷翔平選手の選手としての報酬は10年間で7億ドルだという。年俸100億円である。それ以外にスポンサー企業からの副収入が70億円もあるらしい。私のような貧乏人には見当もつかない金額だが、金を出す側としては大谷選手にはそれだけの市場価値があると踏んでいるわけである。その市場価値の源泉は、野球選手としての力量、魅力的なパーソナリティや...実力も運のうち

  • 寛解しました

    昨年の9月28日の記事(==>「難病に罹ってしまいました」)で、腎臓病に罹ってしまったことをご報告しましたが、1月18日の受診で主治医の先生から「蛋白/クレアチニン比が0.3を下回りました。寛解です。」と告げられました。あっさり「寛解」と言われたので拍子抜けしてしまいました。検査日9/1810/1911/1612/141/18蛋白/クレアチニン比3.091.300.740.670.26アルブミン2.32.93.53.63.7蛋白/クレアチニン比の正常値は0.15以下だが、0.3を下回れば一応ネフローゼ症状を脱したと見做すらしい。ただ、血中アルブミン濃度(正常値は4.1以上)がまだ低いままなので、寛解と言うほどに回復したという実感は持てないでいる。主治医の先生によれば、この症例にしてはほぼ理想的な回復ぶ...寛解しました

  • この著しい不正義を黙って見過ごしてよいのだろうか?

    最近、2歳の女の子が米国における心臓移植に成功したというニュースが流れた。いたいけな少女がやっと人工心臓から解き放たれたと知って、何となく心が軽くなったような気がする。しかし、米国での心臓手術はとてつもなく費用が掛かる。この手術のために、なんと5億3千万円の寄付金が寄せられたという。小さな命の苦しみをわがことのように受け止めた多くの人々の善意である。人ひとりの命がそれほど重いものと、人々は受け止めているからこそだと思う。一つの命がそれほどいつくしまれている一方で、ガザではいかにも無造作に人々の命が奪われ続けている。イスラエルの自衛戦争の名のもとに、なんら抵抗手段をもたない多くの人々が一方的に殺戮されている。すでに2万人以上の人々の命が失われたという。イスラエル側はテロ組織ハマスの排除の為と言うが、被害者の...この著しい不正義を黙って見過ごしてよいのだろうか?

  • 高額で契約するということがそんなに素晴らしいことなのか?

    大谷選手が10年間で7億ドルというでドジャースと契約したらしい。日本円に換算すると年俸100億円という途方もない金額が10年間保証されたのだという。日本のメディアを通して見ると、みなわがことのようにそのことを喜びそして誇りに思っているように見える。しかし、私にはそれがそんなに素晴らしいことだとはどうしても思えないのである。決して大谷選手が嫌いなわけではない。私もこの好青年が大活躍すると嬉しいというファンの一人である。しかし、共稼ぎの主婦がパートで時給1000円前後で生活の為に必死に働いている一方で、青年が好きな野球をやっているだけで1年間に100億円も稼ぐ、ということに私はどうしても引っ掛かりを感じてしまうのである。プロフェッショナルな選手として一つのことに全精力を注ぎむ、それはとても価値のあることだし、...高額で契約するということがそんなに素晴らしいことなのか?

  • 笠置シヅ子に見る一流の矜持

    私は昭和24年生まれの団塊の世代である。で、昨今の朝ドラで話題になっている笠置シヅ子さんのことは小学生の時分から知っていた。と言っても、歌手としてではなくあくまで俳優としてである。私の知っている笠置シヅ子は、お笑いドラマの三枚目的なわき役として起用されることが多かったように記憶している。そんなわけで、漠然と彼女のことを松竹新喜劇出身の人かなぐらいに思っていた。彼女が歌手であったこと、それも一世を風靡した大スターであった、ということを私が知ったのはずっとのちのことである。彼女が歌手を引退したのは昭和31年のこと、私が小学1年生の時である。まだ日本ではそれほどテレビも一般には普及していなかったし、私が彼女が歌手の現役である時代を知らなかったのも当然のことであった。が、私は俳優としての彼女を憶えているほどにはち...笠置シヅ子に見る一流の矜持

  • 分けると分かる

    先月は、「論理とはなにか?」に始まる八回のシリーズで、ロゴス中心主義とそのアンチテーゼとしての仏教的中道思想について解説したつもりだったが、中心テーマになる後半になると閲覧回数が激減してしまった。自分ではかなり力を注いだつもりだったが、もしかしたら独りよがりで稚拙な解説をしてしまったかもしれない。少し未練が残るので、もう一度簡単にまとめてみたい。「分かるとは分けることだ」という言葉がある。もともと「分かる」の語源は「分ける」からきているらしい。まさにこれは核心をつく言葉だと思う。ロゴス中心主義においては「分かる」と「分ける」はほぼ同義と言ってもよい。「ソクラテスは人間である」と言った時、ソクラテスを人間と人間以外に分別しているのである。もちろんいろんな分け方がある。それは男か女か、ギリシャ人であるかどうか...分けると分かる

  • 自分のだめさ加減を思い知らされる

    9月28日の「難病に罹ってしまいました」という記事で、腎臓病はわたしに向いてるというようないかにも達観しているような趣旨のことを述べた。なにしろ普段から、空だ無だの一見偉そうなことを述べている私のことであるから、「さすがに御坊哲は悟っているんだろう」くらいに思った人もいるかもしれない。としたらそれは飛んだ見当違いなので、ここで読者の皆さんの誤解は解いておきたい。私はどちらかと言えばダメダメの落ちこぼれ老人で、ヒマにあかせて言いたいことをブログでぶちまけているだけ、という感じに受け止めてもらえば私も気が楽である。腎臓病が私に向いているというのはある程度本当のことである。常に体はだるいが、なんの気負いもなくだらだらと過ごしていれば別に苦しくとも何ともない。平地をただゆっくりと自分のペースで歩くにはなんの支障も...自分のだめさ加減を思い知らされる

  • 性同一障害とはなにか? そんなものが本当にあるのだろうか?

    前回記事の手ごたえがいまいちで、あまり真意が伝わっていないような気がするので、もう少ししつこく説明させていただきたい。言葉と論理はわたしたちの日常生活には必要不可欠ではあるが、基本的に2値選択の組み合わせによって構成されているし、そこから出てくる結果も、真か偽か、有るか無いか、やるかやらないか、敵か味方かと言った2項対立でしかない。夕食のおかずはどうするかとか、子ども達の三角ベースのチーム分けをどうするかと言ったようなことなら、さほど問題はない。しかし、あまりにも微妙な要素が複雑に絡み合った、例えば倫理的要素の絡む問題などを単純な言葉と論理に当て嵌めると微妙なニュアンスがすべて捨象されてしまって、とんでもない結論に至ってしまうことが多いのである。中道とか中庸と言うのは、そのような二項対立に陥ることなく、も...性同一障害とはなにか?そんなものが本当にあるのだろうか?

  • 空観から中道思想へ(前回記事からの続き)

    前回記事で「日本一低い山などというものも、恣意的視点を受け入れればいくらでも作り出せる。」と述べたが、なにもそれは「日本一低い山」に限ったことではなく、いかなる概念についても言えることである。正義や善についてもまた然りである。現に、世界中至るところで正義同士が悪辣なことをしでかしている例は枚挙にいとまないほどである。プラトンの言うように正義や善のイデア・本質というものがあるのであれば、こんなことはあり得ない。正義は一義的に決定しているはずである。龍樹はなにごともそれ独自で存在するすることはなく、それは縁起によって生じるものであると言う。縁起と言うのは日常語においては、「時間的な継起・因果関係」のようなニュアンスがあるが、日本仏教学の権威である中村元博士は「龍樹がいう縁起とは相依性のことである」と述べている...空観から中道思想へ(前回記事からの続き)

  • ロゴス中心主義と仏教的無常観 (つづきのつづき)

    もう少し無常ということについて考えてみよう。なぜ仏教では世界は無常であるというのだろうか。多分それは、そう考えるのが自然だからだと思う。無常でないとするならば、そこには収束点とか目標というようななんらかの固定的な規矩が存在するということになる。そこで例えば、もし人間のイデアというそのような固定的なものが本当に存在するのなら、それにはこういう形でこういう性質を持ったものが必要であるというような、超越的な意思(それを神と言うのだろう)がなくてはならなかったはずだ。キリスト教の新約聖書は「始めに言葉(logos)ありき」で始まっている。なにもかも神の理性から始まっているということがキリスト教の根本である。それに対し、仏教ではそのような超越的な意志は一切前提しない。釈尊はこの世があまりにも儚いことから、それを差配...ロゴス中心主義と仏教的無常観(つづきのつづき)

  • ロゴス中心主義と仏教的無常観 (前回記事のつづき)

    「言葉には指示対象としての意味はない」と言われても、大概の人はすんなりそれを認める気にはならないだろう。それは無理もないことである。誰もが「赤」という言葉に夕焼けの真っ赤な色という意味を込めているからである。その言葉を受け止める方も「赤」と聞けば、みごとに紅葉したもみじの色を思い浮かべるだろう。問題は各人が各々自分の私秘的な感覚(クォリア)を「赤」という言葉の指示対象であると思い込んでいることである。お互いに自分の「赤」のクォリアを照合しあっているわけではないということに留意しなければならない。その場で使用される「赤」という言葉の正当性を支えているのは、お互いがめいめい勝手に思っている意味としての赤のクォリアなどではなく、同じ赤のクォリアを見ているという思い込みだけである。決して秘私的な各人のクォリアが本...ロゴス中心主義と仏教的無常観(前回記事のつづき)

  • ロゴス中心主義と仏教的無常観

    いくら言葉を重ねてみても人の心は語りつくせねぇもんさ、そいつを口に出しちゃ味ない味ない。by長谷川平蔵(「鬼平犯科帳」より)新約聖書「ヨハネによる福音書」第1章の冒頭は「始めに言葉ありき」で始まっている。ここで「言葉」と日本語訳された部分のギリシャ語のもとの言葉はlogosであり、それは神の言葉=理性の意味である。英語のlogicもこの辺が語源であろうと考えられる。言葉と論理の近さを象徴しているという意味で非常に興味深いことである。ロゴス中心主義というのは、言葉と論理によってこの世界をすべて語りつくすことができるという考え方のことを言うのだろう。さて、いままで「論理は絶対正しいみたい」なことを言っておきながらなんだが、ここらへんで少しちゃぶ台返しをしたいと思う。古代インドの哲学者ナーガルジュナは大乗仏教の...ロゴス中心主義と仏教的無常観

  • 不完全だからと言って、欠陥があるわけではない。

    前回記事において、正しさの源泉論理であるみたいなことを述べたのだが、ある方から不完全性定理が私たちの信念体系に脅威を与えているかのような意見を頂いた。不完全性定理については「すべての理論は不完全である。したがって、あらゆることの根拠が疑わしい。」式の誤った理解が一般に流布されているような気がするので、そのことに注意を喚起しておきたいと思います。不完全性定理というのは、第一と第二があって、かいつまんで言うと次のようなものです。〇第一不完全性定理:無矛盾な自然数論を含む形式体系(普通の数学理論のこと)には証明も反証も出来ない命題が存在する。〇第二不完全性定理:無矛盾な自然数論を含む形式体系について、その無矛盾性をその体系内において証明することはできない。第一不完全性定理の「証明も反証も出来ない命題」を仮に命題...不完全だからと言って、欠陥があるわけではない。

  • 論理と理論

    (自分でも七面倒くさい話を始めたなと思い半分後悔しています。話が面白くないと感じた方は遠慮なく読み飛ばして下さい。本題はまだまだ先の方です。)日本語の日常会話において、論理と理論はほとんど区別がなされていないというのが実情だろう。「君の話は全然論理的ではない。」という言葉の「論理的」を「理論的」に置き換えても意味は同じである。話のすじみちとして納得できるば、それは論理的であり理論的であるということになるのだろう。しかし、「論理」も「理論」もどちらも本来の日本語にはなかった言葉で、江戸末期または明治の初めに西洋の思想を思想を取り入れる必要にせまられてつくった翻訳語でであることを忘れてはならない。論理はlogic、理論はtheoryであり、これらはれっきとした別概念である。理論(theory)というのは自然科...論理と理論

  • 論理とはなにか?

    「論理」という言葉は元々の日本語にはなく、英語で言う「logic」の翻訳語である。辞書で調べてみると、次のようになっている。OxfordLanguagesの定義·詳細①議論の筋道・筋立て。比喩的に、物事の法則的なつながり。②「論理学」の略。また、一つの論理学が立つ体系。大体は上のような説明でほとんどの人が納得するのではないかと思う。しかし、具体的に論理がどのように自分の思考に関わっているかということを意識する人はあまりいない。私が「私たちは論理によってしかものを考えることが出来ない。」と言うと意外な顔をする人が多い。実際に私たちは非論理的なことを考えることは出来ないのである。私たちの思考は単純な論理法則によって厳格に支配されていて、決して矛盾したことを考えることが出来ない仕組みになっている。例えば三段論法...論理とはなにか?

  • 日本の看護師のモラルの高さ

    入院している患者は大抵不安を抱えているものである。それに、相部屋になっても隣の患者との会話というものもほとんどない。患者と言葉を交わす相手は看護師しかいないのである。患者が看護師に多少甘えたくなるのもある程度やむを得ないと思う。孤独に耐えかねた患者はできるだけ看護師を自分の所に引き留めようとして、やってくる看護師ごとに毎回同じ話をしたりしている。そのくせ、最後には「お忙しいところを引き留めてすみませんねぇ」と殊勝な言い訳したりするのは可愛い方である。中には、居丈高に若い看護師に説教しだす人もいたりする。入院してきたばかりの患者に、担当看護士が「明日の朝いちばんに採血を行います。」と告げた。そしてその翌朝のこと、その看護師は予告通り採血に来て処理し終えたのだが、その患者は「あのね、普通世間一般の常識ではね、...日本の看護師のモラルの高さ

  • 難病に罹ってしまいました。

    長いことブログをほったらかしていたので、「もしかしたら、‥‥」と思った方がいるかもしれませんね。私はまあ何とか生きています。実は、8月21日から9月19日までの約一か月間入院していました。退院してから十日間経ってやっとブログに向かう気力がわいてきたところです。今年の春ごろから異変は生じていました。小便が異様に泡立ち始めたのです。私は血圧コントロールの為に毎月1回かかりつけ医に通っている。5月の健診時にそのことについて先生に訴えたところ、「御坊さんの4月の血液検査の数値は安定していて、腎臓にも今のところは問題はないと思います。」という返事が返ってきた。この先生は人間はとてもいい人なんだが医者としては少し頼りないと思っていた私は些釈然としない思いでその場は引き下がった。そして、翌月5月の健診の帰り際に先生が「...難病に罹ってしまいました。

  • 「世界」は存在しない

    マルクス・ガブリエルは「あらゆるものをその中に含んでいる一つの世界というものは存在しない。」と言う。少し注釈が必要だろう。彼は宇宙と世界という言葉を使い分けていて、宇宙の存在については否定していない。宇宙はすべての物質が自然法則に従って運動している場である。いわば客観的な世界と呼んでもいいかもしれない。しかし「世界」はもっと大きく、われわれの意識的な主観現象も含め、ありとあらゆるものを包摂すると考えられるからである。しかし、科学技術の発展に伴い科学万能主義がはびこると、人々は「宇宙=世界」だと錯覚するようになった。自然主義哲学というのは科学と哲学に境界を認めない考え方で、あらゆることが自然科学の対象となりうるという考え方である。痛みだとか美しい花の色だとか異性に引かれる切ない気持ちなどという、もろもろの意...「世界」は存在しない

  • 一日作さざれば一日食らわず

    百丈慧海禅師の有名な言葉である。とても有名な言葉なので、その言葉にまつわる故事は省略する。(その故事についての解説はこちらを参照してください==>「一日作さざれば一日食らわず」)百丈禅師というのは唐代の大禅匠であるが、「百丈清規(しんぎ)」という禅林の修道生活全般にわたる規範を取り決めた人である。残念ながら百丈清規はその後散逸してしまい、今となってはその全貌を伺うことは出来ないが、現在の僧堂の運用の基礎として残っている。禅林では修行者の日課とその役割が事細かく決められている。各々が自分の役割分担をそれぞれ果たすことによって、はじめて禅林は一個の有機的な集合体として機能するのである。百丈は自立した持続可能な禅林というものを目指していた、千年以上もの昔に今でいうところの「SDGs」を意識していたすごい人なので...一日作さざれば一日食らわず

  • 意味は言葉をすり抜ける?

    前回記事では私の表現方法がつたなくて、記事を読んでいただいた人になかなか意味が伝わらなかったような気がするので、もう少し言葉というものについて掘り下げてみたい。言葉はわたしたちの思考を支えるものであるから、無意識に使用できるほどのものでなくてはならない。いちいち吟味しながら言葉を選ばなくてはならないようでは用をなさないのである。つまり逆に言えば、あたかも「言葉=思考」のごとくであるかのように言葉を使用している。つまり言葉を発した時には、既にもうその言葉は発言者にとって自家薬籠中のものであり、いささかの迷いもなくその言葉を使用しているのである。受け手側もそのような前提に立って言葉を受け取る。だから、「大谷翔平はまた新たな金字塔を打ち建てた。」と言われても、「金字塔って何?」と話の腰を折ったりしない。状況から...意味は言葉をすり抜ける?

  • 「愛」が多すぎる?

    「らんまん」は植物学者・牧野富太郎先生の伝記をもとにした物語である。私は毎朝NHKでこのドラマを見ている。が、少し気になるのはその主題歌のことである。やたら「愛を愛を・・愛して・・」と「愛」が多過ぎるのだ。楽曲そのものは悪くない。才能のある人が作っているのだろう。だから私がつけるケチに対して反発を感じる人も多いかも知れない。しかし、実際にその歌を傾聴すればするほど「いったい何を歌っているのだ?」と言いたくなるほど意味が分からなくなり、連発される「愛」に対して反発したくなる。「愛」というのは本来の日本語つまり大和言葉ではない。もともとは仏教用語として伝来したものに対して、明治時代に"love"の翻訳語として転用されるようになったのである。仏教用語としての「愛」は愛欲すなわち煩悩の一種であり、歌に歌われるよう...「愛」が多すぎる?

  • 著しく正義に悖る

    いわゆる「袴田事件」の再審公判において、検察側は有罪立証する方針であるらしい。本日(7/10)中にもその方針が、再審公判が行われる静岡地裁に伝えるとみられている。この事件についてはいろんな人がその研究結果を発表しているが、それらを読む限りこれは冤罪以外のなにものでもないとしか思えない。なぜ袴田さんが事件の容疑者として浮かび上がったか?それは、元プロボクサーだったから。「ボクシングやるような粗野な奴だから‥‥」というイメージによる思い込み以外に、彼を犯人と決めつける要素は何もなかったのである。彼にとって有利な証拠をすべて避けるような不自然なストーリーがでっち上げられ、そのストーリーに沿って証言を誘導していった。そうとしか考えられない。そして唯一の決め手となる物証がなんと逮捕から約1年後にみそタンク内で見つか...著しく正義に悖る

  • 禅的真理観

    一般に科学とは現象の背後にある真理を追究するものと考えられている。しかし禅仏教においては、「現前しているものそのものが究極の真理であり、隠されているものなど何もない。」という態度で世界に望むのである。「あるがまま看よ」というのはそういう趣旨の言葉である。望遠鏡のない時代においては天動説が科学的には十分な学説であった。しかし、望遠鏡が発明され観測技術が進歩すると、天動説ではどうしても説明できないことが色々とあらわになってくる。結局現在では地動説が正しいということが常識となっている。しかし忘れてはならないのは、天動説も地動説も同じ「この世界」についての説明であるということである。天動説から地動説に代わっても「この世界」は依然として同じ世界であるということを忘れてはならない。そのことを指して、禅仏教では「有るが...禅的真理観

  • 日本・ハラスメント列島

    有名な歌舞伎役者の一家心中が連日ニュースで取りざたされている。これまで行ってきたセクハラが週刊誌によって暴露されることを深刻に受け止めた結果、というようなことが噂されている。ことの真偽は外部のものにはなかなか分からないが、そういうことがあっても少しも不思議ではないと思っている。ハラスメントは社会のいたるところにはびこっているからである。私は長い間フリーランスで請負仕事をやって来た。大きなプロジェクトの下請けの下請けという最下流の仕事がほとんどである。その経験から学んだことの一つが、人は権力をふるいたがるということである。無教養な人ほどその傾向は強くなるが、どの人も自分を大きく見せたがるという欲求から逃れることはなかなか難しいことなのだと思う。私自身からしてそういう傾向の強い人間であるから、その辺のところは...日本・ハラスメント列島

  • 意識とは何か

    あるSNSにおいて、次のような質問を提示した人がいる。「意識とは自分が作っているのではなく他人がいることによって作り出されるものなのでしょうか?」質問された方の真意は分かりづらいが、このような問いが出てくるという事情は理解できる。意識がなんであるか、それはあまりにも自明のことと思われていながら実はとても難しいからである。そして、この人は「他人がいることによって作り出されるものなのでしょうか?」と述べているが、少なくとも他人がいなければ概念として成立しないということは間違いないことだと思う。上述したことについて訝しく思う人は少なくないと思う。「今、御坊哲の書いた記事をディスプレイで見ながら考えている、それは自分の意識の中で起こっている。自明のことではないのか?」と思うのは当然である。私たちはそのような思考に...意識とは何か

  • 永劫回帰と無常

    永劫回帰(永遠回帰とも言う)というのはニーチェの考えだしたことである。彼はこの世界が有限であると考えていた。世界が有限であれば、その世界を構成している要素も有限であるはずである。要素が有限であればいかにそれが膨大なものであってもそれらの組み合わせのバリエーションは有限である。ところが時間は無限だから、世界は同じことの繰り返しにならざるを得ないというのである。つまり私は今までに、無限回生まれ無限回同じ人生を送り無限回死んでいる、ということなのである。宇宙が有限であるかどうか時間が無限であるかどうか、それはわれわれの経験が及ぶところではないので知ることは難しい。例えニーチェの考えるように、宇宙が有限で時間が無限であったとしても、エントロピー増大の法則を知っている人ならば決してニーチェの考えている通りにはならな...永劫回帰と無常

  • 「後悔したこと後悔する」とはどんな意味?

    私は若い頃人生幸朗と生恵幸子師匠の夫婦漫才が好きで、よくラジオでそれを聞いていた。いわゆるボヤキ漫才というやつで、ネタはたいてい流行歌の歌詞に関するものである。何ということはない歌の文句をとりあげて、屁理屈をこねていちゃもんを付ける。そういう芸風である。「『君の瞳は百万ボルト』やて?なんやそれ。目の玉は電球ちゃうぞ!」と怒り出し、終いには「責任者出て来いっ!」と切れまくるという塩梅である。人生幸朗師匠の影響もあってかどうかは知らないが、実は私も流行歌を聴いていて時々いちゃもんをつけたくなることがよくある。私はちょっと言葉についてはうるさい。なんか適当に言葉ならべてるだけじゃないのかと言いたくなるのである。〽もし今日を逃し後悔すれば〽後悔したこと後悔する〽後悔したくないんだったら〽後悔なんかするな若い歌手が...「後悔したこと後悔する」とはどんな意味?

  • Chat GPTの問題点

    チャットGPTというのが現在大きな話題を呼んでいる。質問を入力すると人工知能=AIが、自然な会話をするように答えてくれるのだそうだ。最近のAIの進歩は目覚しく、かなりの精度の高い会話が出来るらしい。使用する側から見ると、向こう側に本当に物知りな人がいて、その人が答えてくれているように感じるらしい。しかも、そのAIを使用すると、そのこと自体が情報として蓄積される。チャットGPTはその蓄積されたデータを分析しさらに高度なものへと進化していくというものらしい。つまり、チャットGPTは自分自身で学習し賢くなっていくという自立性を持っている。素晴らしいシステムだと思う。高度なAIといえば決まって、「意志を持ちしかも人間より賢くなった人工頭脳はやがて人間を支配しようとするのではないか」というような話が持ち上がってくる...ChatGPTの問題点

  • この子が良い

    一昨日(4/2)の東京新聞に俳優の美馬アンナさんの手記が掲載されていた。とても感銘を受けたのでご紹介したい。ちなみに美馬アンナさんは千葉ロッテマリーンズの美馬学投手の奥さんである。美馬さん夫婦の三歳になる息子さんは四肢欠損症で右手首から先がなかった。出産直後にそのことを知ったアンナさんは非常に驚き嘆き悲しんだ。その時のことを彼女は「何をやっても涙が出る。世界が真っ暗になるというか、闇に包まれるというか。そんな思いでした。」と述懐している。彼女の悲嘆は察するに余りあるが、そんな時に夫である美馬投手は「お腹にいる時に分かっていたら産まなかったの?」と訊ねたのだそうだ。彼女が即答できないでいると、美馬投手は次のように言ったのだそうだ。「右手のことが分かってても俺は産んで欲しいと言っていた。この子が良かった。俺た...この子が良い

  • 「政治家の判断はそれ自体が政治性を帯びている」(グレッグ・ダイク)

    昨日(3/25)のTBS報道特集において、報道の政治的公平性について元BBC会長のグレッグ・ダイク氏の言葉が紹介されていた。「あるニュースが政治的に公平であるかどうか、それを判断するのは誰か?」という問題について、ダイク氏は「その判断は政治家にはできない。なぜなら、政治家の判断はそれ自体が政治性を帯びていて、その結果その判断は政治的に偏っていると認識されるべきものである。」とという趣旨のこと述べている。このところ元総務大臣であった高市氏は、総務省の行政文書について「ねつ造である」と言ったことで国会内で窮地にさらされている。しかし、私はこの問題について少なからぬ苛立ちを感じているのである。もし、行政文書にねつ造があるのならそれはそれで大問題でもあるが、今問題にすべきことはそんなことではない。かつて、安倍氏や...「政治家の判断はそれ自体が政治性を帯びている」(グレッグ・ダイク)

  • 大谷は確かに素晴らしいが‥‥

    WBCの最終戦の最後、大谷とトラウトの一騎打ちはとても見ごたえのあるものだった。クローズアップされた大谷の表情からその息遣いが伝わってくる。文字通り息詰まるような瞬間だった。トラウトを三振に打ち取ったときの大谷の感情の爆発を見て、彼の勝負に対する執念と野球に対する情熱を誰もが見た、そして誰もが心を震わせたはずだ。それがスポーツの素晴らしさである。しかし、私は以前からこのWBCに対しては懐疑的である。というのは、この大会がもともとMLB(メジャーリーグ)のビジネスであり、それも日本向けビジネスとして設計されたものであるからである。主なスポンサーがほとんど日本企業であるのに、収益の7割がMLBの懐に入るという、とてもいびつなシステムになっている。アメリカの企業にはスポンサーとして参加させない。アメリカの企業に...大谷は確かに素晴らしいが‥‥

  • 「総務省の行政文書がねつ造である」と当時の所管大臣が平然と言ってのける奇妙さ

    放送法が定める「政治的公平」の解釈をめぐって国会が紛糾している。高市早苗総務相(当時)は2015年、放送番組が放送法の求めるとおり政治的に公平な内容かどうか、ひとつの番組だけを見て判断する場合があると答弁した。そのいきさつについて記してある総務省の行政文書が暴露されたのだ。その文書には当時の安倍首相と高市氏の電話のやり取りが記録されていた。その内容は前述の高市氏の答弁と一致しており、そう言ったやりとりがあった蓋然性は非常に高いという印象を受けた。高市氏は答弁は自分自身の考えであり、その文書に書かれていることは真実ではないと主張する。彼女の主張によれば、その文書はねつ造でありその挙証責任はその文書をとりあげた野党側にある、と言っているように聞こえる。なにやら森友問題の文書偽造を想い起させられる。公式文書を官...「総務省の行政文書がねつ造である」と当時の所管大臣が平然と言ってのける奇妙さ

  • 理性と理由

    「理由」は英語で"reason"というのは大抵の人が知っていると思う。では「理性」を英語で何というかと訊ねられて答えることが出来る人はそれほど多くはないのではなかろうか。実は、「理性」も"reason"なのである。理性は理由を求めるものであり、理由は理性により求められるものである。明らかに別概念であり、英語の"reason"はわれわれ日本人から見れば多義語である。多義語というのは使用される文脈によって意味が違うのだが、使用する側はその違いを意識してはいない。例えば、次のような具合である。"reasonforthesuccessof~"(~の成功の理由)"hisreasontoldhimthatthewaywasthebest"(それが最善であると彼⦅の理性⦆は判断した)あなたがレストランで食べた料理がとて...理性と理由

  • 戦争に行って一番おそろしかったこと、それは男のパンツを穿かされたことさ。

    アレクシェーヴッチの「戦争は女の顔をしていない」は、第二次世界大戦に参戦したソビエトの500人もの従軍女性へのインタビューの記録である。その中にとても印象深い供述がある。「戦争に行って一番おそろしかったこと、それは男のパンツを穿かされたことさ。」第2次世界大戦におけるソビエト連邦の戦死者は2600万人にもおよぶと言われている。その女性兵士もおそらくその惨状の一部に触れていたと思うのだが、一番恐ろしかったのは、銃弾が空気を切り裂く音や爆弾の炸裂する音でもない、また血だらけの死体が散乱する光景でもなく、自分が男のパンツを穿かされたことだという。このことをどういう風に受け止めればよいのだろう。人間にとっては命にかかわることがなにより一番重要であり、その他のことは二の次であるというのが一般通念である。生きるか死ぬ...戦争に行って一番おそろしかったこと、それは男のパンツを穿かされたことさ。

  • 時間は秒速1秒の速度で進む?

    アインシュタインが特殊相対性理論を発表してからは、時間の速度が一定ではないということが言われだした。高速度で飛ぶロケットの中では、地上よりも時計の進みが遅いということも実際に確認されている。特殊相対性理論の計算上では、光と同じ速度で飛ぶロケットの中では時間が止まってしまうことになる。その事からの延長として、光速を越えれば時間の流れが逆転するのではないかという連想が生まれてくるのは自然だろう。そういうところから、時間の進む速度というものについても言及したくなるのは当然で、「時間の速度は秒速1秒」という表現をして見たくもなる。「時間の速度は秒速一秒」というのは、どう考えてみてもナンセンスである。速度は時間を基準とするものだからである。一秒後に一秒が経過しているのは同語反復で、「秒速1秒」がなんら意義のあること...時間は秒速1秒の速度で進む?

  • あきれるほどの日本の政治の劣化

    ーー2月13日のヤフー・ニュースよりーー≪政府は、来年秋に現行の健康保険証を廃止し、マイナンバーカードと一体化させる際、カードの取得が難しい高齢者や紛失した人などが保険診療を受けられるよう、必要な情報が記載された「資格確認書」を発行する方針。≫マイナンバーカードを普及させるために健康保険証を廃止するという「強硬手段」に出たのだろうが、それでもカードを取得しない人には「資格確認書」を発行するという。一体何を考えているのだろう?それなら、わざわざ新しい「資格確認書」を発行するという手間をかけなくとも、現在機能している健康保険証をそのまま使用し続ければよいではないか。健康保険証を廃止しても、それに代わってマイナカードと「資格確認書」の二本立てで医療保険システムを動かすのであれば、効率が良くなるわけがあるはずがな...あきれるほどの日本の政治の劣化

  • 納得できない責任の論理

    先月18日に福島第一原発事故に関して、業務上過失致死傷の罪で強制的に起訴されていた東京電力の旧経営陣3人に対して無罪判決を言い渡した。「巨大津波の襲来を予測することはできず、事故を回避するために原発の運転を停止するほどの義務があったとはいえない」とというのが東京高裁の判断である。裁判の争点は、先ず第一に「原発事故を引き起こすような巨大な津波を予測できたかどうか」という予見可能性と、第二点として「予測が可能だったとして有効な対策をとれば事故を避けられたか」という結果回避可能性である。これら判断する重要なポイントが、地震調査委員会によって2002年に公表された「長期評価」の信頼性である。それによれば、福島県沖を含む広い範囲で巨大な津波を伴うマグニチュード8クラスの大地震が、30年以内に20%程度の確率で発生す...納得できない責任の論理

  • 友よ水になれ

    昨夜(2/6)NHKの「映像の世紀バタフライエフエクト」という番組を見た。「バタフライ・エフェクト」というのは、エドワード・ローレンツという気象学者の「蝶がはばたく程度の非常に小さな撹乱でも遠くの場所の気象に影響を与えるか?」という言葉が由来で、この番組では一人の人間の行動が世界に大きな影響を及ぼした例を扱っている。昨夜の番組はブルース・リーの「友を水になれ」という言葉をテーマとしたものであった。今年の1月26日にボスニア=ヘルツェゴビナで金色に輝くブルース・リーの像の除幕式があった。「なぜボスニアでブルース・リーの像が?」という奇異の念とともに、このニュースは世界中に配信された。1990年代に旧ユーゴスラビアの分裂とともに各民族・宗教間の対立が深刻な紛争を引き起こしたことはご存じだと思う。ボスニア=ヘル...友よ水になれ

  • ダイバーシティとは掛け声ばかりか?

    性的少数者について「隣に住んでいたら嫌だ。見るのも嫌だ。」と発言した首相秘書官が更迭されるらしい。岸田首相は「内閣の考え方にそぐわない、言語道断の発言だ」と述べたらしい。またかという感じである。政権中枢部の人がなぜこうもたやすく失言してしまうのだろう。正直と言えば正直な人なのだろうが、いわれない差別を公職にあるものが公然と口に出して良いわけはない。なぜそれが差別になるのか?その理由は簡単、性的嗜好(志向)はその人の責任ではないからである。首相秘書官になるほどの人だから頭が良いはずなのにこんな単純なことも分からないのか。首相は「言語道断の発言」と断じたが、その発言が出たいきさつを聞くとどうも釈然としないものを感じる。岸田首相は2月1日の衆議院予算委で、同性婚の法制化について聞かれ「家族観や価値観、そして社会...ダイバーシティとは掛け声ばかりか?

  • 日本歌謡曲と美空ひばりに関する論考

    「20世紀の世界三大歌姫はポルトガルのアマリア・ロドリゲス、フランスのエディット・ピアフねそれに日本の美空ひばりである」という説を聞いたことがある。残念ながら、それはたぶん日本だけでしか通用しない噂話でしかない。美空ひばりを知っている欧米人がいたとしたら、その人はおそらく相当の日本通だろうと思う。美空ひばりは日本では傑出した大スターだが世界的にはそれほどポピュラーではない。日本では海外の楽曲がバンバン流れているが、その逆はまれである。中には、ザ・ピーナッツの「恋のバカンス」がロシアで大流行したとか、坂本九の「上を向いて歩こう」が全米ビルボード1位になったとか、三橋美智也の「達者でな」がカンボジアでカバーされたとか、たまにはそういうのもあるが、日本で流れている洋楽の量に比べると微々たるものでしかない。なぜ日...日本歌謡曲と美空ひばりに関する論考

  • 「なぜそれがあるのか?」という問いに答えてくれる学問は存在しない

    あるSNSの中で「なぜすべての物質に質量があるのですか?」という問いかけをする人がいた。確かになんにでも質量がある。質量のないものって何だろう?映画の映像、音、思考‥‥、いわゆる物体でないものという訳か。逆に言えば、質量のあるものを物質と呼んでいるだけのことではないのだろうか。ひねくれものである私はそういうところに引っかかるのである。問いを発した方は、現代物理学の質量に関係するいろいろな因子について知りたいだけの話かもしれないのだが、「なぜ‥あるのか?」という問い方はもっと根源的なことを問題にしているような響きがあると、私は感じてしまうのである。ある一人の解答者によれば、最近の物理学では質量の起源をヒッグス粒子というもので説明しているらしい。ちなみに、ウィキペディアでそのヒッグス粒子というものを調べてみた...「なぜそれがあるのか?」という問いに答えてくれる学問は存在しない

  • 久響龍潭

    (この記事は2014年の過去記事の再掲です。)無門関第二十八則「久響龍潭」は、唐代の大禅匠である徳山宣鑑が悟りを開いた時の話である。前段と後段の二つのエピソードから成り立っていて、前半は龍潭和尚のもとで見性するくだりで、後半は時間的には逆転するが、その龍潭和尚を訪ねるようになったいきさつについての話になっている。まず、その後半のほうのくだりから紹介することにしよう。<<徳山は金剛経の学者で、南の方に金剛経の教えを広めようとしてやってきた。そこに茶店があったので、団子(原文では点心)でも食べようと思って立ち寄った。以下はその店のお婆さんと徳山のやり取りである。婆「あんたの荷物は一体なんじゃ?」徳山「金剛経とわしの書いた注釈書じゃ。」婆「では聞くがのう、金剛経には『過去心不可得、現在心不可得、未来心不可得』と...久響龍潭

  • スピリチュアルについて

    先日地区センターの窓際で読書していたのだが、隣の私と同年配の男性の読んでいる本のタイトル「『あの世』の本当の仕組み」が目に入ってきた。最近はやりのスピリチュアルとというやつらしい。英語のspiritは日常的には精神とか根性と訳されるが、宗教的には霊魂とか聖霊の意味を持つらしい。で、本来の意味からすれば精神の奥深くのことがらについて扱う分野ということになるのだろうが、「精神→非物質→科学が及ばないことがら」という連想が働いているのだろうか、超常現象的なことがらをもっともらしい言葉で語るのがこの頃のスピリチュアルなのかなと私には思えるのである。その「スピリチュアル」についてもう一つ引っかかるのが、それが哲学として語る人がいることである。私はこのブログを「にほんブログ村」の哲学というカテゴリーに参加しているが、...スピリチュアルについて

  • 未だに同性愛を犯罪と見なす国がある

    2022年7月時点で、同性間の性的交渉を犯罪としている国は70カ国ある。しかも、そのうち12カ国は死刑、27カ国は禁錮10年から終身刑、31カ国が禁錮10年未満となっている。(クリックして参照してください==>「性的指向に関する世界地図」)この資料を見ると、死刑などの重罪が課せられるのはイスラム教国が多い。一般的に、同性愛に対する許容度がもっとも低いと言われるのがイスラム教で、プロテスタント系福音派、カトリック、そして主流派プロテスタントが続くと言われている。西ヨーロッパや南北アメリカのキリスト教国では同性婚が法律で保障されている国が多いが、これは近年のリベラルな風潮が浸透してきたためで、二十世紀半ばまでは犯罪とされていた国が多かったのである。現在のコンピューターの生みの親でもあるアラン・チューリングとい...未だに同性愛を犯罪と見なす国がある

  • 未だに同性愛を犯罪と見なす国がある

    ==>「性的指向に関する世界地図」未だに同性愛を犯罪と見なす国がある

  • 中道とはなにか

    私たちはものに対応して言葉があると考えがちであるが、ソシュールという言語学者は「言語が世界を分節する」ということを言い出した。もともと連続している世界を言葉によって分節し、分節した網の目構造として世界を再構成した上で認識する、それが私たちの知識となる。例えば、虹は何色でできているかということを考えてみればそのことがよく分かる。虹の色の種類の数は民族によっていろいろある。もともと光のスペクトルは連続していて色の分け方というものは恣意的にならざるを得ないのである。ソシュールによれば、あらかじめ猫というものがあって「猫」という言葉が生まれたのではなく、「猫」という言葉によって初めて我々は猫というものを認識するようになるということである。つまり、「猫」という言葉はこの世界を猫と猫以外に分節するという機能「しか」持...中道とはなにか

  • ロゴス中心主義からの脱却

    西洋には論理と言葉に依ってすべて解明しうるという考えがある。それがロゴス中心主義である。「はじめにことばありき」の言葉とは「神の言葉」の意味であり、この世界の摂理・論理である。つまり、この世界はすみずみまで神の意志によって合目的的に構成されている。したがって、この世界は思惟によって合理的に把握でき、言葉に依って表現できるはずであると考えられるのである。もしかしたら上記のことのどこが西洋思想かと疑問に思う人がいるかもしれない。「この世界は思惟によって合理的に把握でき、言葉に依って表現できる」というのは実に当たり前の話であって西洋がどうのこうのという話ではないのではないか、と言いたくなる人が多いのではないかと思う。それはもはや西洋思想というよりも、すでに現代の日本人の中にも相当浸透していると見た方が良い。仏教...ロゴス中心主義からの脱却

  • 考えるということはどういうことか (抽象、論理、言語)

    あるテレビ番組を見ている時、数学とは何かということについて「数学とは違うものを同じと見なす学問である。」という説明がされていた。言われてみてなるほどと思った。3個の大福と3個のミカンは全然別のものだが同じと見なす。3個という性質以外はすべて無視するのである。そうすると「3」という数としての抽象概念が成立する。同様にして「1」や「2」をつくっていくと自然数というものが出来上がる。現代数学の重要な一分野に位相幾何学(トポロジー)というのがあるが、これは粘土をちぎったりくっつけたりしないで変形できる形をすべて同じと見なす学問である。だから位相幾何学ではドーナツとティーカップは同じ、鉄アレイと湯飲み茶わんは同じものと見なされる。数学においてどのような関係を「同じ」とみるかは極めて自由である。以下の三つの条件さえ備...考えるということはどういうことか(抽象、論理、言語)

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