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禅的哲学 https://blog.goo.ne.jp/gorian21

禅的視座から哲学をすると、こんな景色が見えてくるのではないだろうか。

私は禅者ではありません、仏教者でさえありませんが、多少ものを見る目はもっていると自負しております。

御坊哲
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2013/12/07

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  • 「なぜそれがあるのか?」という問いに答えてくれる学問は存在しない

    あるSNSの中で「なぜすべての物質に質量があるのですか?」という問いかけをする人がいた。確かになんにでも質量がある。質量のないものって何だろう?映画の映像、音、思考‥‥、いわゆる物体でないものという訳か。逆に言えば、質量のあるものを物質と呼んでいるだけのことではないのだろうか。ひねくれものである私はそういうところに引っかかるのである。問いを発した方は、現代物理学の質量に関係するいろいろな因子について知りたいだけの話かもしれないのだが、「なぜ‥あるのか?」という問い方はもっと根源的なことを問題にしているような響きがあると、私は感じてしまうのである。ある一人の解答者によれば、最近の物理学では質量の起源をヒッグス粒子というもので説明しているらしい。ちなみに、ウィキペディアでそのヒッグス粒子というものを調べてみた...「なぜそれがあるのか?」という問いに答えてくれる学問は存在しない

  • 久響龍潭

    (この記事は2014年の過去記事の再掲です。)無門関第二十八則「久響龍潭」は、唐代の大禅匠である徳山宣鑑が悟りを開いた時の話である。前段と後段の二つのエピソードから成り立っていて、前半は龍潭和尚のもとで見性するくだりで、後半は時間的には逆転するが、その龍潭和尚を訪ねるようになったいきさつについての話になっている。まず、その後半のほうのくだりから紹介することにしよう。<<徳山は金剛経の学者で、南の方に金剛経の教えを広めようとしてやってきた。そこに茶店があったので、団子(原文では点心)でも食べようと思って立ち寄った。以下はその店のお婆さんと徳山のやり取りである。婆「あんたの荷物は一体なんじゃ?」徳山「金剛経とわしの書いた注釈書じゃ。」婆「では聞くがのう、金剛経には『過去心不可得、現在心不可得、未来心不可得』と...久響龍潭

  • スピリチュアルについて

    先日地区センターの窓際で読書していたのだが、隣の私と同年配の男性の読んでいる本のタイトル「『あの世』の本当の仕組み」が目に入ってきた。最近はやりのスピリチュアルとというやつらしい。英語のspiritは日常的には精神とか根性と訳されるが、宗教的には霊魂とか聖霊の意味を持つらしい。で、本来の意味からすれば精神の奥深くのことがらについて扱う分野ということになるのだろうが、「精神→非物質→科学が及ばないことがら」という連想が働いているのだろうか、超常現象的なことがらをもっともらしい言葉で語るのがこの頃のスピリチュアルなのかなと私には思えるのである。その「スピリチュアル」についてもう一つ引っかかるのが、それが哲学として語る人がいることである。私はこのブログを「にほんブログ村」の哲学というカテゴリーに参加しているが、...スピリチュアルについて

  • 未だに同性愛を犯罪と見なす国がある

    2022年7月時点で、同性間の性的交渉を犯罪としている国は70カ国ある。しかも、そのうち12カ国は死刑、27カ国は禁錮10年から終身刑、31カ国が禁錮10年未満となっている。(クリックして参照してください==>「性的指向に関する世界地図」)この資料を見ると、死刑などの重罪が課せられるのはイスラム教国が多い。一般的に、同性愛に対する許容度がもっとも低いと言われるのがイスラム教で、プロテスタント系福音派、カトリック、そして主流派プロテスタントが続くと言われている。西ヨーロッパや南北アメリカのキリスト教国では同性婚が法律で保障されている国が多いが、これは近年のリベラルな風潮が浸透してきたためで、二十世紀半ばまでは犯罪とされていた国が多かったのである。現在のコンピューターの生みの親でもあるアラン・チューリングとい...未だに同性愛を犯罪と見なす国がある

  • 未だに同性愛を犯罪と見なす国がある

    ==>「性的指向に関する世界地図」未だに同性愛を犯罪と見なす国がある

  • 中道とはなにか

    私たちはものに対応して言葉があると考えがちであるが、ソシュールという言語学者は「言語が世界を分節する」ということを言い出した。もともと連続している世界を言葉によって分節し、分節した網の目構造として世界を再構成した上で認識する、それが私たちの知識となる。例えば、虹は何色でできているかということを考えてみればそのことがよく分かる。虹の色の種類の数は民族によっていろいろある。もともと光のスペクトルは連続していて色の分け方というものは恣意的にならざるを得ないのである。ソシュールによれば、あらかじめ猫というものがあって「猫」という言葉が生まれたのではなく、「猫」という言葉によって初めて我々は猫というものを認識するようになるということである。つまり、「猫」という言葉はこの世界を猫と猫以外に分節するという機能「しか」持...中道とはなにか

  • ロゴス中心主義からの脱却

    西洋には論理と言葉に依ってすべて解明しうるという考えがある。それがロゴス中心主義である。「はじめにことばありき」の言葉とは「神の言葉」の意味であり、この世界の摂理・論理である。つまり、この世界はすみずみまで神の意志によって合目的的に構成されている。したがって、この世界は思惟によって合理的に把握でき、言葉に依って表現できるはずであると考えられるのである。もしかしたら上記のことのどこが西洋思想かと疑問に思う人がいるかもしれない。「この世界は思惟によって合理的に把握でき、言葉に依って表現できる」というのは実に当たり前の話であって西洋がどうのこうのという話ではないのではないか、と言いたくなる人が多いのではないかと思う。それはもはや西洋思想というよりも、すでに現代の日本人の中にも相当浸透していると見た方が良い。仏教...ロゴス中心主義からの脱却

  • 考えるということはどういうことか (抽象、論理、言語)

    あるテレビ番組を見ている時、数学とは何かということについて「数学とは違うものを同じと見なす学問である。」という説明がされていた。言われてみてなるほどと思った。3個の大福と3個のミカンは全然別のものだが同じと見なす。3個という性質以外はすべて無視するのである。そうすると「3」という数としての抽象概念が成立する。同様にして「1」や「2」をつくっていくと自然数というものが出来上がる。現代数学の重要な一分野に位相幾何学(トポロジー)というのがあるが、これは粘土をちぎったりくっつけたりしないで変形できる形をすべて同じと見なす学問である。だから位相幾何学ではドーナツとティーカップは同じ、鉄アレイと湯飲み茶わんは同じものと見なされる。数学においてどのような関係を「同じ」とみるかは極めて自由である。以下の三つの条件さえ備...考えるということはどういうことか(抽象、論理、言語)

  • 自然の妙

    下の写真がなんであるかお分かりだろうか?おそらくこれを見ただけでそれが何だか分かる人はいないと思う。妻には、「自転車置き場の間のくぼ地にたまった水たまりの写真」というふうに、言葉で説明したのだが全然理解できないようだった。水色の部分は空が映っており、その他の部分は水の中の草と落ち葉と土である。なんでもない水たまりだが、とても美しい。思わず心惹かれて写真に撮った。家に戻って私は考えた。「なぜこの変哲もない光景が私の心をこれほどとらえるのだろうか?」よくよく考えてみれば、この写真の中には私たちに必要なものの全てが映っていると気がついた。透き通ったきれいな水、鮮やかな緑の草、黒い土、それと水色の空(つまり光)、それらはわたしたちの命を支えるすべてのものの象徴である。美しいのも道理であると合点した。下の写真は別の...自然の妙

  • 来年の目標 「目指せ3千万歩」

    2015年から今まで約7年半の間「よこはまウォーキングポイント」というのに参加していて、12月25日現在で27,418,192歩に達しています。歩くと頭の血流が良くなるような気がして、いつも歩きながら考えています。あと260万歩ほどで3千万歩の大台に乗るので、これを来年度中に達成させようと思っています。最近は体力の衰えから少しペースが落ちていますが、割と楽に達成できそうです。目標と言うより単なる区切りという感じかな。来年の目標「目指せ3千万歩」

  • ジョニィへの伝言

    作詞家の阿久悠さんが、自分の作った歌出一番気に入っているのはどれかを尋ねられて、それは「ジョニィへの伝言」であると答えたらしい。それを聞いて私はとても腑に落ちた。私も彼の作品の中でそれが一番好きだったからである。私が高橋真梨子さんの大ファンであるということもあるのかも知れないが、歌謡曲の歌詞にしてはわりとまじめに作っているという気がする。♪ジョニィが来たなら伝えてよ二時間待ってたと♪わりと元気よく出て行ったよとお酒のついでに話してよ♪友だちならそこのところうまく伝えて♪ジョニィが来たなら伝えてよわたしは大丈夫♪もとの踊り子でまた稼げるわ根っから陽気にできてるの♪友だちならそこのところうまく伝えて明らかにこの歌詞の主人公はまだジョニィに未練があるのだろう。それで、二時間「も」待っていたと伝えて欲しいと言って...ジョニィへの伝言

  • 不殺生戒について考えてみた

    一般に宗教は神秘的なものと考えられている。人間の生死に関わることや世界の成り立ちに関わることを扱うからだろう。仏教においても、葬式を執り行ったり加持祈祷をしたりするので、なにか神秘的なことに通じているのではないかという印象を持っている人も多いのではないかと思う。しかし、私の知る限りでは(というより、「私の考えている仏教では」と言うべきかもしれないが)、釈尊が説かれたことの中には神秘的なことはなに一つない。釈尊は、生まれる前と死んだあとそれからこの世界の成り立ちについてはなにも言及しておられない。そのような形而上のことがらについてはすべて無記なのである。思うに、釈尊の唱えられた教えというものはシャーマニズムの支配する当時においては余りにもラジカル過ぎたのかも知れない。人々はどうしても宗教に神秘的な力を求めて...不殺生戒について考えてみた

  • どんなくだらない平和であっても戦争よりまし

    一昨日(12/16)国家安全保障戦略などの安保3文書の改訂が閣議決定された。中国や北朝鮮を名指しでその脅威を謳っている。そして、解釈次第で「反撃能力」という名の先制攻撃を敵基地に与えることもできるようになったらしい。明らかな憲法違反である。言うまでもなく憲法は政権への歯止めとしてあるのである。その歯止めを無視して政策を推し進めようとするそんな政府を大半の日本国民は許容しているように見える。悲しいことだが、現在の日本の立憲主義とか民主主義というのは単なる空念仏以上のものではないらしい。野球の日本代表はサムライ・ジャパンと呼ばれている、サッカーの方はサムライ・ブルーである。そういう所から見てもやはり日本人は武士道精神というものに誇りを持っているのだろう。私自身は武士も武士道もあんまり好きではないが、それなりの...どんなくだらない平和であっても戦争よりまし

  • こんなことでええのか?

    NHKの調査によれば防衛費増額に対する賛成は55%、それに対し反対は29%だという。その他の調査でも国民の大半は増額に賛成であるとの結果がでている。しかし、ちょっと理解しがたいのが、その財源としての増税には90%以上の国民が反対だという。(参照~>「夕刊フジ」)外国の脅威を現実的なものと受け止めているのなら、増税反対どころではないのではなかろうかと思う。防衛力は必要であるが、それに必要な経費の負担を自分はしたくない。まるで他人事である。おそらく人々は「自分は外国の脅威を感じいる」と言葉の上だけで思っているだけで、そこにはリアリティなどないのだと私は考える。もし、他国のミサイル攻撃にリアリティを感じているなら、それが原子力発電所に命中したらどうなるかを想像しなければならない。そういうことを抜きにして防衛力増...こんなことでええのか?

  • 流れ圜悟

    先日上野の国立東京博物館に見学に行こうとして果たせなかったことを記事にした(参照=>「久し振りの東京見物」)が、それは「流れ圜悟」というものを見てみたいと思ったからである。それは一体何かと言うと、宋の禅僧である圜悟克勤(えんごこくごん)が弟子の虎丘紹隆(くきゅうじょうりゅう)に与えた印可状であるという。印可というのは師家が弟子に与える禅における免許皆伝のようなもので、師が自分と同等以上の悟境に到達したと認めた場合に初めて与えられる。禅僧はこの印可状を与えられてはじめて師家として後進を指導することができ、年齢にかかわらず「老師」と呼ばれるようになるのである。圜悟克勤という人は日本臨済宗にとってはとても重要な人物である。まず、禅をかじったことのある人なら誰でもその名を知っている「碧巌録」の編纂者であることと、...流れ圜悟

  • 人は必ず死ぬ?

    今年はいつもの年に比べて喪中はがきが良く届く。先日2軒隣に住んでいた私と同じ歳の方が亡くなられた。以前はよく街で出会う人が最近はあまり顔を見ないと思っていたら、実は亡くなられていたという話を耳にした。同級生の訃報もぽつぽつと入ってくる。日本人の平均寿命は男性が81.47歳、女性が87.57歳だという。私は今73歳だから、ざっと見てあと10年以内に同世代の男性は半分くらい死ぬのだろう。男性は70歳を越えればいつ死んでも不自然ではないと言える。私自身自分が遠くない将来に死ぬのだろうと思っている。しかし、私が自分の死の意味を知っているのかどうかということには問題がある。私たちの知っている「死」の概念はあくまでも客観的な死または生物学的な死、心臓が止まり脳波がなくなり動くこともしゃべることもしなくなる、そういう死...人は必ず死ぬ?

  • 国民の税金使って、そんなことをやってええのか?

    ツイッターの中を覗いたら、共同通信の「防衛省、世論工作の研究に着手AI活用、SNSで誘導」というニュースが大きな話題になっていた。これのなにが問題かという人もいるかもしれないが、本来は番犬であるに過ぎない防衛省が飼い主である国民の税金を使って、国民を無意識のうちに番犬の思い通りに誘導しようとしているということが問題である。しかし、よくよく考えてみると、こんな研究は以前から実施されていてすでにその効果が表れていると見るべきではなかろうかと思いついた。昔の話をすれば防衛予算がGNPの1%に達する時点で大問題視された。それが今や、なんの根拠も示されず2%という金額目標がまず設定されていることが不思議だ。近年は本当に効果があるかどうかが疑わしいミサイル迎撃システムや1機で100億円以上(いろんな資料を読んでも正確...国民の税金使って、そんなことをやってええのか?

  • サッカーは人の心を揺さぶる

    サッカーほどいろんな能力を要求されるスポーツはないような気がする。力、スピード、技術はもちろんだが、広い視野を保ちながらダイナミックな状況判断を常に要求される。しかも得点が入りにくい。細心の注意技術をもってパスをつないでゴールを狙っても、そこには唯一自由に手を使えるキーパーがいる。意表を突く工夫がなければなかなか得点には結びつかないのである。それ故ゴールが決まったときのカタルシスは大きいものとなる。ドイツ戦の浅野、スペイン戦の田中のそれぞれの決勝ゴールはその最たるものではなかったかと思う。浅野はその前にもすでにシュートを放っていたが、それは枠内には飛ばなかった。そのプレーを見る限り、浅野は走力には優れているがそれ程決定力のある選手には見えなかった。その浅野が後方からのパスを巧みにトラップし、前に立ちふさが...サッカーは人の心を揺さぶる

  • 東京見物PARTⅡ(皇居編)

    仕事で東京に通っていた頃は味もそっけもない殺伐とした大都会だと思っていたが、先日神宮外苑や上野界隈を訪れて、東京はいろいろな風土に恵まれた美しい街であることを再確認した。というわけで、東京見物に味をしめて、一昨日(11/27)は皇居へ行ってきました。今までに皇居前広場とか桜田門付近には何度も言ったことがあるけれど、天守台の辺りは一度も言ったことがなかったので、この際見に行ってみようと思い立ったのです。街路樹の黄葉とモダンなオフィスビルが美しいお堀端。皇居前に来ると何やらすごい人だかりです。ちょうど乾通りの公開が行われているということで、大勢の人々が詰めかけていました。ということで、私も参加することにしました。ここが宮内庁庁舎だそうです。皇居には様々な樹種の木々が植わっていて、紅葉のバリエーションも多彩で華...東京見物PARTⅡ(皇居編)

  • 久し振りの東京見物

    昨日は急に東京国立博物館を見に行こうと思い立ち電車に乗り込んだ。この前に東京へ行ったのかいつか思い出せないほど久し振りのことである。この日は晴れのち曇りの天気予報でもあったので、博物館に行く前に神宮外苑の銀杏並木を見に行こうと思った。明るい陽光の中で見る黄葉は美しかろうと思ったのである。銀杏の黄葉は美しかった。ただし人も多かった。できれば光に満ちた静かな秋の日を満喫したかったが、それは贅沢というものだろう。外国から観光に来られた方も多いようだ。特に中国語らしい響きがあちこちで聞こえる。まだ中国からの来日は本格化していないようだが、それでもやはり中国のプレゼンスは大きいと感じる。昨日は日差しが強かった。陽の光と黄葉が戯れるというのはこういう様を言うのだろう。時折風が吹くたびにおびただしい葉っぱがひらひらと光...久し振りの東京見物

  • 「消費税上げるな」はワガママか?

    ホリエモンこと堀江貴文さんが「消費税を下げろ」と言う人に対して次のように言ったらしい。「消費税あげるな、富裕層が負担しろ、移民は嫌だ。中国怖いから防衛費は上げろ、予防とかしたくないけど病気になったら医療費は保険でカバーしろ、年金はちゃんとくれ、とかみんなワガママすぎるんだよな」(yahooニュース)「消費税を上げるな」という主張は本当にワガママだろうか?もともと税金というものは所得の再配分であるという考えに立つなら、消費税そのものが税金の趣旨に反しているという考えも成り立つ。堀江さんは若いから消費税が導入された経緯をたぶん御存じないのだろう。消費税が必要になったのは所得税と法人税の度重なる減税のせいであることを忘れてはならない。ちなみに昭和49年度の所得税の最高税率は75%で住民税と併せると93%もの高額...「消費税上げるな」はワガママか?

  • 歌の橋と実朝

    先日、鎌倉の鶴岡八幡宮から杉本寺まで歩いていく途中で面白いなまえの橋を見つけた。下の写真を見て欲しい。「歌の橋」とある。なんの変哲もない橋だがなかなか優雅な名前の橋である。私はてっきり「歌」を唱歌のことだと思い、この近くに音楽関係の学校でもあったのだろうかと思ったのだが、このそばに立っている碑の由緒書きによればどうやらそれは和歌のことらしい。「渋川刑部兼守謀殺の罪により誅せられんとせし時悲の餘り和歌十首を詠じて荏柄社頭に奉献せしに翌朝将軍実朝伝聞せられ御感ありて兼守の罪を赦されしによりその報賽として此の所に橋を造立し以て神徳を謝したりと伝えられこの名あり」とある。インターネットで調べたところ、この「謀殺の罪」というのは、頼家の子である千寿丸を鎌倉殿に擁立しようとした謀反「泉親衡の乱」に渋川兼守が加担してい...歌の橋と実朝

  • 百丈野鴨子

    前々回と前回記事において実存的視点というものをとりあげたのだが、そういう観点から過去に取り上げたこともある禅宗の公案「百丈野鴨子」について再度検討してみたい。公案というのはいわゆる禅問答のお題のことと思ってもらって差し支えない。禅問答というと一般には訳のわからないことを指す、確かにそのようにとられても仕方のないようなやり取りが多いのだが、禅はあくまで宗教であり学問ではない。論理的な正確さよりも、修行者を導くための実感を重視する。その為に意表を突くようなやり取りが多くなるのである。しかし、そのような奇妙なやり取りの中にも、哲学的な普遍性があるということについて、できる限り論理的に説明したいと思う。私たちはエッフェル塔の写真を見て、「あっ、パリだ。」と言う。自由の女神なら「ニューヨーク」である。しかしエッフェ...百丈野鴨子

  • 素朴にものを見るということ、比較しないということ

    前回記事において実存的視点と客観的視点について述べたが、その違いは比較するかしないかということにあると思う。実存的視点というのはただ素朴に世界を見つめる視点である。それに対して客観的視点というのは、架空の視点から自分自身をも含めてあらゆるものを客観的世界の中に位置づけようとする視点であり、それは比較という操作がなければできないことである。例えば「平等」という言葉について言うと、一般的な平等というのは人と人を比較しての平等であるが、仏教でいう平等は比較しない平等ということになる。客観的な位置づけというものをしないのである。だから当然のことだが「親ガチャ」などという概念も、実存的視点からは生まれようがないのである。禅寺で雲水たちの生活を見ていると、掃除でも食事でもとにかく早く一心不乱にやっていることに気がつく...素朴にものを見るということ、比較しないということ

  • 今、ここ、私、そして実存

    「私は今ここにいる」という言葉は、誰がいつどこで言っても正しい言葉すなわちトートロジーである。トートロジーは情報としてはなんの意味をも含んでいない。試しに、そばに居る誰かに向かって「私は今ここにいる」と言ってみよう。多分相手はけげんな顔をして「そんなこと分かっている」と返してくるだろう。その言葉は無意味だが「私が今ここにいる」ということは、ある意味なによりも重大な意義があることでもある。それは私が今ここに現実に生きているということだからである。哲学用語ではそれを「現実存在」略して「実存」と呼ぶ。それで、「私が今ここから」ものごとを見る視点を実存的視点と言う。それに対し、客観的視点というのはこの世界の全体を正確に見渡せるような高みにある架空の視点のことを言う。客観的視点というのはわたしたちが生きていくうえで...今、ここ、私、そして実存

  • 祭りの喪失

    韓国の梨泰院(イテウォン)で154人もの若者が圧死してしまうという恐ろしい事故が起きてしまった。現代の若者は他人とのかかわりを持ちたがらないようにも見受けられるが、一方で人の集まる所へ引き寄せられる。おそらく彼らは祭りのエロスを求めているのだろう。どこの民族どこの地域にも祭りというものがある。日本の祭りではたいていみこしを担いだり、笛や太鼓に合わせて踊ったりする。半裸の男たちが重厚なみこしを担ぎあげ汗をほとばしらせる。荒々しい男たちの中でみこしを担ぐ、その経験を通して一人前の男であることを自覚する、それが若い男の通過儀礼である。また、その喧騒の中で思いを寄せる男を見つけて若い女は胸をときめかせる。それが正しい祭りのあり方だと思う。祭りに喧嘩や事故はつきものだということはある程度言える。しかし、154人もの...祭りの喪失

  • 自分で何を言っているか分からない時がある

    ヴィトゲンシュタインによれば「哲学上の問題のほとんどは言語に対する無理解からきている」らしい。彼の投げた一石はやがて「言語哲学」となって20世紀後半の哲学界を席巻することとなった。自分の言葉を反省するのはとても難しい。私たちは通常言葉で考えているので、言葉そのものが思考であるという思い込みからなかなか抜けられないのである。なにか言葉として発した時点で何かが言えた気になってしまうのである。例えば、次のような言葉はどうだろうか?「ビッグバンによって宇宙は誕生した。それ以前には空間も時間もなかった。」「空間も時間もない」と訳知り顔に言ってしまうことに問題は無いのだろうか?あなたは「空間も時間もない」事態を想像できるだろうか?無理やり想像しようと思っても、ただの暗黒を想像するのがオチであると思う。しかし空間が無け...自分で何を言っているか分からない時がある

  • 著作権と表現者の問題

    音楽教室のレッスンで講師や生徒の楽曲演奏から著作権使用料を徴収するのは不当だという判決が最高裁で下された。ヤマハ音楽教室などの事業者が日本音楽著作権協会(JASRAC)を相手取り訴えていたものである。というのは、JASRACが音楽教室に対し年間受講料収入の2・5%を楽曲使用料として要求していたからである。この訴えに対し、判決は「生徒の演奏については教師から指導を受けて技術向上を図ることが目的で、課題曲を演奏するのはその手段に過ぎない」と指摘し、音楽教室側の言い分を認める結果となった。この問題に違和感を覚えた人は少なくないのではなかろうか。少なくとも私はある種のけち臭さを感じた。先生が生徒に楽器の演奏を教える、その時使用された楽曲の作者はその使用料を本当に欲しいと思っているのか?いやしくも表現者ならばそんな...著作権と表現者の問題

  • 朝令暮改のなにがいけないのか?

    【岸田首相は18日の衆院予算委員会で、世界平和統一家庭連合(旧統一教会)を巡る問題に言及。宗教法人法に基づく「質問権」を行使することについて、解散命令請求が認められる法令違反の要件として「民法の不法行為は入らない」という認識を示した。しかし翌19日の参院予算委員会では、「民法の不法行為も入りうると整理した」と一夜にして答弁を一転。これにより野党から、〝朝令暮改にもほどがある〟と批判の声が上がった。】(以上、yahooニュースより引用)朝令暮改は言うまでもなく望ましいものではない。総理大臣の言っていることが一夜にして頃っと逆転すること等あっていいわけがない。しかし、「過ちては改むるに憚ること勿れ」という言葉もある。間違いを犯したならば、ためらわずに直ちに改めるべきである。問題は最初の発言の「民法の不法行為は...朝令暮改のなにがいけないのか?

  • 源実朝と興国寺

    興国寺というのは紀州・由良にあるかつて日本三大禅道場とも謳われた臨済宗の鷲峰山興国寺のことである。もとは高野山の金剛三昧院の別当である願生が源実朝の菩提を弔うために当初は西方寺として建立したが、後に開山として心地覚信禅師を迎え入れて寺号も興国寺とあらためたものである。ちなみに由良は私の故郷である御坊市の隣町でもある。ここで、金剛三昧院と願生と心地覚信の関係性について触れておこう。金剛三昧院の前身は禅定院という禅蜜兼修の道場であった。北条政子が夫の源頼朝を弔うために立てたものである。三代将軍源実朝が非業の死を遂げた後政子は実朝の菩提を弔うために、政子は禅定院を大幅に改築し金剛三昧院と名を改め、鎌倉将軍家の菩提寺としたのである。そして金剛三昧院の経営のために紀伊の国由良の荘が領地として与えられた。願生はもとは...源実朝と興国寺

  • 天才子役

    最近は毎朝NHKの朝ドラを視ては泣いている。「舞い上がれ」の主人公を演じている9歳の子役・浅田芭路(あさだ・はろ)さんがとても可愛くて演技が上手だ。演技と言うより完全に劇中の少女役に入り込んでいるような気がする。それで見ているこちらもつい引き込まれてしまうのである。彼女が涙ぐんでいると、つい自分の孫娘が悲しんでいるような気になってしまう。最近の子役それも特に少女役の俳優はどの人もとても上手だと思う。何年か前に「義母と私のブルース」というドラマが放映されたが、この時も子役の横溝菜帆さんがとても魅力的で見入ってしまった。少女役に要求されるひたむきさ、可愛らしさをそなえており、感情表現も実にスムースである。悲しみの場面ではごく自然に目に涙を讃えている。昔も天才子役と言われる人はいた。しかし現代の子役と比較すれば...天才子役

  • Jアラートって、なんだかちょっと恥ずかしい

    昨日Jアラートが発信されたが、最初に北海道と東京都の島しょ部に発信されたのが午前7時27分のことだという。私の記憶では、かなり長い間テレビのアナウンサーが何度も「北朝鮮からミサイルが発射されたものとみられます。建物の中、または地下に避難してください」とアナウンスを繰り返していた。ところが、実際には7時29分には青森県上空を通過していたのだという。私たちはその後も無意味な警報音と同じ文言のアナウンスを繰り返し聴かされ続けていたわけだ。なんともおかしい話ではないか。日本にはアメリカから購入したミサイル迎撃システムがあるのではなかったか?飛んでくるミサイルを打ち落とすというほど精密なシステムなのだから、瞬時に日本に着弾するおそれがあるかどうかぐらいは判断できるくらいでなければ用をなさないのではないか。もし日本の...Jアラートって、なんだかちょっと恥ずかしい

  • 仏教と呪術

    呪術というのは「超自然的な方法によって意図する現象を起こそうとする行為,信仰,観念の体系の総称。(コトバンクより)」である。宗教と呪術の位置はとても近い。それは前回記事でも述べたが、この世界の根源的な問題が理屈では割り切れないということにあるのだろうと思う。それで宗教にはどうしても呪術的要素が入り込みやすいのである。そのことについては仏教も例外ではない。地獄・極楽だとか六道輪廻だとか、誰も見たことのないはずのものが仏教的説話にはいくらでもある。かつては鎮護国家というような考え方もあった。私は子どもの頃「蒙古襲来」(インターネットで確認したところ、正確には「日蓮と蒙古大襲来」が正しいらしい)という映画のポスターを見かけたことを覚えている。日蓮が「南無妙法蓮華経」を唱えて、モンゴル軍を撃退したというお話しであ...仏教と呪術

  • 信仰は必要か?

    結論から言うと必要だと思う。と言うか、人は必ず何らかのことを既に信じている。誰もがなにかを信じないでは生きられないのである。「私は唯物論者だから非科学的なことは信じない。」と言う人もいるが、それだって一つの信仰(注1)である。アインシュタインやニュートンのように超一流の科学者でありながら、神さまを信じている人はいくらでもいる。唯物論と科学で満足できる人はある意味幸せであるが、悩む人はたいていもっと根本的な不安を抱えているものである。この世界というものが信用できないという不安に駆られているからだ。そもそもなぜこのような世界があって私はここにいるのだろう?という問いには科学も答えることが出来ない。「ビッグ・バンで世界は生まれた。その前は無である。」なんて答えはダメである。なんで無からビッグ・バンが生じたのかを...信仰は必要か?

  • テロは絶対に許してはいけない‥‥

    安倍銃撃事件が発生した時、「民主主義への挑戦」という言葉が飛び交った。事件直後には自民党の政治家は口々にその言葉を発していたように記憶している。彼らはこの事件をテロだと見做したのだろう。しかし、これはテロとは言えない。テロとはウィキペディアによれば次のように説明されている。『日本大百科全書』によると、テロリズムとは「政治的目的を達成するために、暗殺、殺害、破壊、監禁や拉致による自由束縛など過酷な手段で、敵対する当事者、さらには無関係な一般市民や建造物などを攻撃し、攻撃の物理的な成果よりもそこで生ずる心理的威圧や恐怖心を通して、譲歩や抑圧などを図るもの」山上被告を事件に駆り立てた動機はあくまで統一教会に対する個人的な怨恨であり、政治的意図はないのは明らかで、彼の行為をテロというのは当たらないように思う。しか...テロは絶対に許してはいけない‥‥

  • 去るものは去らず

    「去るものは去らず」とは、古代インドの哲学者龍樹(ナーガルジュナ)の著書「中論」の中に出てくる文言です。龍樹は大乗仏教の祖ともいうべき人で、大乗仏教の広まった地域では第二の釈迦とも呼ばれています。龍樹の思想の特徴は、あらゆる固定的な概念規定を否定するほどに、空観を徹底していることです。親鸞は高僧和讃の中で龍樹を次のように称えています。南天竺に比丘あらん龍樹菩薩となづくべし有無の邪見を破すべしと世尊はかねてときたまふ(龍樹に関する10首中の2首目)龍樹は、あらゆるものは相依性によって成立すると説きます。相依性というのは、「善があって悪がある、また悪があって善がある。」というように、関係性によってものごとが成立しているということを指します。それはなにものもそのもの独自によって成立しているものはない、つまりあら...去るものは去らず

  • 統一教会と日本の政治の闇

    自民党の旧統一教会との関係の「自主点検リスト」が物議をかもしているが、問題となっていることのポイントがずれているような気がしてならない。茂木幹事長によれば、接点があった議員の9割近くが、相手が教団と関係しているとの認識がなかったらしい。「社会的な問題に対する我々の認識が不足していたのだろう」などと空とぼけたことを述べている。そもそも社会的な問題に対する認識が欠けているような人は政治家になるべきではない。そんなことは当たり前の話ではないか。重要なのは、旧統一教会のような組織に対して政治家としてどのような態度で臨むべきかということなのだ。1980年代から90年代にかけて霊感商法であれほど話題になった組織がなぜ今も生き残っているのかということが問題にされなければならないのではなかろうか。「旧統一教会の関連団体だ...統一教会と日本の政治の闇

  • 美について

    日本人は西洋人に比べて抽象的な思考が苦手である、というようなことが言われることがある。本当のところはどうかということはなかなか言えないような気がするが、江戸末期から明治にかけてそれまで日本語にはなかった多くの抽象概念が西洋からもたらされたことは間違いのないことのようだ。数ある外来語の中でもとりわけ意外なのが、「美」という概念である。実はこれがオランダ語の"schoonheid"の翻訳語であらしい。多和田葉子氏の「エクソフォニー」というエッセーで、そのことが柳父章氏の「翻訳語成立事情」の中で紹介されているということを知ったのである。私にとってそのことはちょっとしたショックであった。「美」という言葉はいたるところで見聞きするし、これほどポピュラーな概念もないのではないかと思っていたからである。「立てば芍薬、座...美について

  • 人は老いると小さくなる?

    就学や就職で一旦故郷を離れた後に久し振りに帰省すると生まれ育った町が小さくなったと感じる、それはほとんど誰もが経験することらしい。道幅は狭く、通い慣れた学校は「もう少し遠くにあると思っていたが、案外近かったんだな。」という感慨を抱く。ところが今回久々に信州を訪れて、私はこれとは全く逆の経験をしたのである。私は学生時代の五年間(1年落第)を松本で過ごした。その内の大部分を思誠寮というところで暮らしたのだが、そこは現在は「あがたの森公園」の一部となっている。あがたの森は松本駅から一直線の目抜き通りの終点にあり、駅を出ると正面に見えるヒマラヤスギの森がそれである。駅近くのホテルに荷物を置いて、早速私はあがたの森を目指したて歩き出した。「松本の街も昔に比べて随分小ぎれいになったなぁ」などという感慨に浸りながら歩い...人は老いると小さくなる?

    地域タグ:松本市

  • 脱構築と中庸

    前回記事ではジャック・デリダという哲学者をとり上げたが、彼の哲学は脱構築であると言われている。一般に西洋思想は言語と論理により真理を究めようとするロゴス中心主義であると言われる。それは、真と偽や善と悪というような二項対立的な発想を積み重ねることによって成り立っているが,こういった発想に潜む自己矛盾を暴くことによって、それまでのロゴス中心主義を解体していこうとする、それが『脱構築』という試みである。デリダの著作はとても難解で私にはハードルが高すぎるのだが、それでも魅力的に感じるのはその主張するところが仏教の空観や中庸に通じるような気がするからである。「ロゴス」というのはもともとギリシャ語の「言う」という動詞の名詞形で「言われたこと」を意味する。そこから「言葉」・「論理」を含む多義的なニュアンスを持つ言葉とな...脱構築と中庸

  • 思考と言葉について

    あるSNSで「言語は思考の最小単位ですか?」というようなことを誰かが言い出した。私たちが普段ものを考える時には言葉で考えているように思えるから、このような問いが生じてくることは理解できる。私たちは考えていることを必ず言葉によって表現するのである。つまり、言語以上の思考が表ざたになることは決してないので、「思考は言葉でできている」つまり「言葉=思考の最小単位」と考えたくなるのも当然のことかもしれない。しかし、もし言葉が思考の最小単位なら、【言葉の連なり=思考】ということになってしまう。すると、どんな難解な書物であってもそれを丸暗記しさえすればその書物を完全理解したことになってしまうのではないだろうか。もし、人間が言語以上のことを考えることができないのであれば、言語は永久に固定されたままで、新しい概念など生ま...思考と言葉について

  • 永劫回帰と無常

    永劫回帰(永遠回帰とも言う)というのはニーチェの考えだしたことである。彼はこの世界が有限であると考えていた。世界が有限であれば、その世界を構成している要素も有限であるはずである。要素が有限であればいかにそれが膨大なものであってもそれらの組み合わせのバリエーションは有限である。ところが時間は無限だから、世界は同じことの繰り返しにならざるを得ないというのである。つまり私は今までに、無限回生まれ無限回同じ人生を送り無限回死んでいる、ということなのである。宇宙が有限であるかどうか時間が無限であるかどうか、それはわれわれの経験が及ぶところではないので知ることは難しい。例えニーチェの考えるように、宇宙が有限で時間が無限であったとしても、エントロピー増大の法則を知っている人ならば決してニーチェの考えている通りにはならないと考...永劫回帰と無常

  • 世界はなぜ無常なのか

    この世はなぜ無常なのか?その問いに答えることは簡単である。それは神様がいないからだ。もし、ユダヤ・キリスト教のいうような超越神があるならば、神の意志による世界のあるべき姿というものが存在する。しかし、仏教ではそのような超越的な神様を認めない。であるから、仏教においてはこの世のあるべき姿というものが存在しない。つまり、あらかじめ約束されているものがないので、すべては偶然的な成り行き次第ということになる。超越的なものの意志と力がない限り、全ては自然法則に従って流動していくだけ、当然そうなる。それが無常ということである。だから、本当なら仏教には「神頼み」というものはない。仏教徒の本来の祈りはおのれの計らいを捨て自然(じねん)に従うというところにあるのである。唯一神を信じる西洋と無常観に基づく東洋の世界観の違いは庭園の...世界はなぜ無常なのか

  • 不立文字の現代的な意義について再考してみる

    禅仏教では不立文字とか教外別伝ということがよく言われる。それでWikipediaで調べてみたのだが、その説明の中の次の一文が少し気になった。【「文字(で書かれたもの)は解釈いかんではどのようにも変わってしまうので、そこに真実の仏法はない。したがって、悟りのためにはあえて文字を立てない」という戒めである。】なるほどそういう見方も成り立つのかも知れないけれど、仏教の教えが無常や空というところから成り立っていることからすればむしろ逆ではないのかと思うのである。いったん言葉にしてしまうと、そのことは概念として固定されてしまう。いかなる概念(言葉)にも本質というものは備わっていないというのが一切皆空ということである。釈尊の言葉であるとされる経典のその精神は尊重されなければならないとしても、それに束縛されてはならないという...不立文字の現代的な意義について再考してみる

  • 最後の手段

    ロシア軍によるキエフ総攻撃は時間の問題であると言われている。このままウクライナ側が徹底抗戦を続ければ、280万都市が焼け野原になってしまう。今までとは別次元の悲惨な状況に陥ることは疑う余地がない。ロシアに対していくら経済制裁を加えてもプーチンにおもいとどまらせることはできない。かといって、第3次世界大戦を避けるには欧米も直接戦争への介入はできない。となればどうすれば良いのだろうか?素人考えと言われるかもしれないが、白旗を揚げるべきではないのかと思う。一度は自由な空気を吸ったウクライナ国民にとって、ロシアの傀儡政権の支配下で暮らすのは苦痛以外のなにものでもないと思うが、このまま抵抗を続ければ何十万どころか何百万の人命が失われかねない。祖国の栄光の為に最後まで戦っても、死んだら元も子もない、死んだらその人にとってな...最後の手段

  • ロシア 虚偽報道禁止法案を可決 - 空しい言葉の持つ力について

    言葉はいい加減なものである。いい加減だが力を持つのでやっかいなものでもある。言葉は時には論理と一体であるかのごとく振舞うが、実のところ論理に言葉を矯正する力はない。言葉は恣意的に運用される。早い話が人間はいくらでも嘘を付けるのである。しかもその嘘が効力を発揮するということに人間の不条理が存在する。4,5日前に、ロシア議会では虚偽報道禁止法案なるものが可決された。「ロシアの軍事行動について『虚偽』とみなされる報道を行うと最大で15年の禁錮や懲役を科す」という内容です。この法案がもし厳格に適用されるならば、屁理屈並べてウクライナ侵攻を命令しているプーチン自身が真っ先に監獄へ送られねばならないはずだ。しかし、皮肉としか言いようがないが、実のところは真逆の話でウクライナに関する真実の報道を禁止するためにこの法案は作られ...ロシア虚偽報道禁止法案を可決-空しい言葉の持つ力について

  • プーチンの本当の狙い

    世界中の人々が固唾を飲んで見守っている最中、恐るべき非道な蛮行が正義の名において堂々と行われている。目の前で多くの人々が大変な難儀に見舞われているのに、私たちにはどうすることもできない。世界中にごまめの歯ぎしりが響き渡っているような気がする。なぜプーチンはこんなことができるのか?という疑問とともに、彼のこのような行為を許容しているロシア国民に対して怒りを覚えている人も多いのではなかろうかと思う。ロシア国民の中にも戦争に反対している人々は少なからずいるが、情報が遮断されていることもあって大半のロシア人は国外の事情に疎い。今回の侵略についてプーチンを支持している方が多数派であるらしい。なぜプーチンはこのような暴挙に出たのか?NATOの東進に対する不安?それとも大ロシアへのロマンチシズム?私はどちらも主たる要因ではな...プーチンの本当の狙い

  • ロシアの良心を信じたい

    30年ほど前、フランシス・フクヤマの「歴史の終わり」という本が世界中で話題になったことがある。政治イデオロギー面の対立においてはすでに決着がつき、「リベラルな民主主義以外のどんな政治体制も正統性(legitimacy)を持ちえない」ということが白日のものとなった、というような内容であったように記憶している。ソビエト社会主義共和国連邦が崩壊し、中国では天安門事件が起こった。そういう当時の世界の雰囲気を反映した論文であった。そのとおりであれば、インターネットの普及による情報網の充実と、活発な経済交流により、世界の「リベラルな民主主義」化は一層促進されるはずだった。私の生きているうちにロシアも中国も民主化されることは間違いないとさえ思えた。ところがどうだろう、プーチンはドンバス地方の反政府グループを背後からコントロー...ロシアの良心を信じたい

  • 自分を超えることは出来ない

    自分が馬鹿か利巧かと自問すれば、大抵の人はどちらかと言えば利巧であると思っているのではないだろうか。それは至極当然と言えば当然のことである。人は自分が分かることは分かる。逆に言えば自分が分からないことは分からない。実に当たり前のトートロジーであるが、このことをわきまえておくことはとても重要である。自分の思考力を客観的に把握するためには、自分の分かることだけではなく分からないことも分からなければならない。分かることと分からないことの両方が分からなければ、本当の意味で自分の限界を知ったことにはならないのである。「分からないことを分かる」というのは矛盾したもの言いである。「それまで分からなかったことが分かるようになる」ということはあり得るが、それは単に「分かる」領域が広がっただけであり、あえて言うなら「分かり得ること...自分を超えることは出来ない

  • カブトムシの箱

    月曜日の9時からのドラマで「ミステリと言う勿れ」というのがある。ストーリーの展開がちょっとミステリアスで面白いので毎週見ているのだが、今回の話の中で「カブトムシの箱」という哲学の思考実験の話が出てきた。ちょっと感動したとともに違和感をいだいた、というのはなかなかこれはドラマにアクセントをつけるだけのものとしては少し難解な話だからである。これはヴィトゲンシュタインの「哲学探究」という本の第293節に出てくる話だが、その一部を引用してみよう。≪--そこで、人は皆ある箱をもっている、としよう。その中には、我々が「カブトムシ」と呼ぶあるものが入っているのである。しかし誰も他人のその箱の中を覗くことはできない。そして、皆、自分自身のカブトムシを見ることによってのみ、カブトムシの何たるかを知るのだ、と言うのである。--≫自...カブトムシの箱

  • 中庸ということの大切さ

    私は1960年代の終わりから70年代の前半にかけて学生時代を過ごしている。いわゆる学生運動が盛んな時代でもあった。私自身は典型的なノンポリ学生であったが、おそらくそれは私が怠惰な人間であったからだと思う。学生でありながら勉強は全然せず、かといってアルバイトに打ち込むというほどのことはしない。日がな一日部屋でごろごろと転がって日向ぼっこをしているような毎日であった。私はその頃学生寮に住んでいたが、寮にはいろんな人が住んでいた。思想的にはいわゆる左がかった人も多く、日共系、反日共系のどちら側の学生も住んでいた。そして、活動らしいことはしていなくとも、いわゆるシンパ系の学生は相当いたはずである。何気ない雑談中に思想的な話題になると、普段は温厚で気弱そうな人の口調が急に変わって過激なことを口走りだす。そんな経験があって...中庸ということの大切さ

  • 石原慎太郎氏逝く

    このブログを読み続けてくれている人なら、私が石原氏とは相容れない信条の持ち主であることをご存じだろうと思う。思想信条だけでなく、いろんな面で彼と私は対照的である。慎太郎氏は男前で豪放磊落おまけに金持ちで女性にも持てる。不細工で小心翼々として貧乏で女性にも持てない私とはまるで正反対である。そんなわけで、普通は死んだ人のことを悪く言うのは慎むべきだが、ヒガミから少しケチをつけさせてもらおうと思う。どうせマスコミには称賛する声が溢れているだろうから。石原氏は問題のある放言が多いことで知られている。「(障碍者について)ああいう人ってのは人格あるのかね」とか「女性が生殖能力を失っても生きているってのは無駄」とか「俺はオカマとナマコは大嫌いなんだよ」とか、通底しているのは弱い立場の人々や女性に対して寄り添う姿勢が見られない...石原慎太郎氏逝く

  • 「私」の概念規定は?

    「私」とは何だろう?問うている意味がわかりにくい問でもある。「『私』って私に決まっているじゃない?」と言いたくなるのも分かる。辞書で引けば、「〖代〗自分自身を指す語。第一人称単数の代名詞‥」となっている。それで今度は「自分」を引いてみると、「その人自身」となっている。つまり、「私」とは私自身のことを指す代名詞だということになる。もうこれ以上追及できないらしい。どうやら私自身は私にとって自明であるということなのだろう。私自身はもう他の言葉では説明できない。デカルトは「私は考える。だから私は存在する。」と言った。すべてが疑わしいと考えたデカルトも「私が存在する」ということだけは確実であると考えた。この言葉は非常に説得力があった。あらゆることに先立って「私が有る」と、多くの人々が考えるようになった。ここで小話を一つ。...「私」の概念規定は?

  • 即非の論理再考

    即非の論理とは、鈴木大拙博士が次のように定式化したものである。「AはAにあらず、ゆえにAなり」これはもともと金剛般若経の次の一節をもとにしたものである。「仏説般若波羅密、即非般若波羅密、是名般若波羅密」これだと本来は「AはAにあらず、これをAと名づく」とならねばならないはずだが、あえて「ゆえにAなり」としたのは、禅の大家でもある大拙居士が体空観による実感をもとに、そのように定式化したのであろう。(体空観については以前記事にしたことがあるので参照していただきたい。==>「析空観と体空観」)禅を実践している人には大拙居士の言うことが腑に落ちるのだろうが、そういう人にはそもそもそういう定式化は必要ない。一般人には「ゆえにAなり」は余りにも論理を無視した言い方なので神秘的過ぎる。論理を無視した説明は所詮説明にはなり得な...即非の論理再考

  • 空とは概念の解体である

    海の景色はどこもよく似ている。砂浜や磯があって、そこに常に波が打ち寄せている。波打ち際では、海水がひいては打ち返すということが延々と繰り返されている。この同じことが反復されるということから「波」という概念が成立する。もう一度概念の定義って見よう。「同類のもののそれぞれについての表象から共通部分をぬき出して得た表象」つまり、抽象ということである。「概念はすべて抽象されたものである」ことを忘れてはならない。そこで問題となるのが、「同類のもの」というがどの程度似ていれば同類と見なすか、その客観的な基準がないことである。どの波も似ているように見えるが、どれ一つとして同じものというものはないのである。水の動き方は実は無限にあり、厳密に見れば全く同じものというのはどこにもない。つまり、なにも反復などしていない。「波」と呼ば...空とは概念の解体である

  • 「概念」について考えてみた

    「概念」でググってみると次のように説明されていた、同類のもののそれぞれについての表象から共通部分をぬき出して得た表象。対象を表す用語について、内容がはっきり決められ、適用範囲も明確な、意味。この説明ですっと理解できる人は、ある程度言語操作に慣れている人に違いない。私が初めてこの言葉を教えられたのは中学校の国語の授業だったと思う。おそらく先生は上のような説明をしてくれたのだと思う。しかし、よく理解出来なかった。不審顔の私達を見て、先生は「まあ、言葉の意味やと思っとけ」と言ったように記憶している。正三角形と正四角形の違いは誰にでも分かるだろう。図示されたものを見ても直感的に分かるし、「角が三つ」と「角が四つ」の違いは歴然としている。しかし、正一万角形と正一万一角形についてはどうだろう?図形を頭の中で思い浮かべること...「概念」について考えてみた

  • 何を信じるかそれが問題だ

    私たちは何かを信じて生きている。それは間違いのないことである。デカルトは「少しでも疑いうるものはすべて偽りとみなしたうえで,まったく疑いえない絶対に確実なものが残らないかどうかを探るべき」と言ったそうだが、そんなことは不可能だと思う。デカルトは「私が今夢を見ている可能性を否定することは出来ない。」と言うが、何もかも疑うなら、夢だとか現実だとかいう枠組みさえも無くなりカオスになってしまう。なにかを信じていなければ疑うことさえできないのである。なにかを信じているという土台があってこそ疑うこともできるのである。もしかしたら、「私は根拠のないものは信じない。だから科学的なもの以外は信じない。」と言う人もいるかもしれない。しかし哲学的視点から見れば、科学でさえ一種の信仰に過ぎないのである。「宇宙に斉一な秩序が存在する」と...何を信じるかそれが問題だ

  • 男のロマンか金持ちの道楽か?

    昨年の暮れに前澤友作さんという人が宇宙旅行をしたということが世間の話題となった。民間人が自費で宇宙旅行することの意義についてだが、とても夢のある話として評価する人がいる一方で、金持ちの道楽と冷ややかに見る人もいる。私はどちらかと言えば後者の側で、宇宙開発は純然たる研究に限るべきだと考えている。自分で稼いだ金を自由に使ってなにが悪い?と言いたくなる気持ちは分かるが、人ひとりを宇宙空間に到達させるためにあまりにも膨大なエネルギーが必要となる。当然排出される二酸化炭素も膨大なものになる。宇宙旅行を観光事業にするというなら、排出される二酸化炭素を分解させるに見合うコストも払って欲しいと思うのである。前澤さんが滞在した国際宇宙ステーション(ISS)は米国を中心とする15か国で運営されているが、この20数年間の総投資額は1...男のロマンか金持ちの道楽か?

  • 疑似問題について

    前回記事では疑似問題というものをとり上げた。問題としての体裁は整っているが、実はそれには回答がない。なにを問うているかが分からないのである。なぜそのような問題が生じるのか?おそらくそれは私たちが言葉で考えるからだろう。私が幼稚園の頃、次のような歌を教わった。〽朝はどこから来るかしらあの山越えて谷越えて光の国から来るかしら〽いえいえそうではありませんそれは明るい家庭から〽朝が来る来る朝が来るおはようおはよう一体朝はどこから来るのか?幼い私は結構一生懸命考えた。今から思えば、考えたというより不思議がっていただけと表現した方が良いだろう。どう考えても、朝がどこから来るかを考えるのは不可能だ。「朝はどこから来るのか?」という問いは言葉としては成立していても、実は何を問うているのかがよく分からない。それが何を問うているか...疑似問題について

  • 実存の不安と無記

    実存とは「現実存在」のことである。端的に言えば、私が今現実にここにこうしていることである。それがどうして不安なのか?不安など感じたこともないという人もいるかもしれない。そうであれば、それはそれで素晴らしいことでありなにも問題は無いが、大抵の人はこの大宇宙にただ一人取り残されているような感覚に襲われたことがあるのではないかと想像している。他人の心の内は分からないので、それはあくまで私の想像でしかないが、‥‥。とにかく私は子供の頃はとても怖がり屋であった。毎晩眠る前に恐ろしい妄想にとらわれるのが常であった。障子を開けるとその外には何もなく、私はこの部屋とともに一人だけこの世界に取り残されているのではないだろうか?天井を眺めていると、木目がぐにゃりと渦を巻き、そこから鬼が出て来て私を地獄へ引きずり込むのではないか?嘘...実存の不安と無記

  • 思いを言葉にする。思いが言葉に引きずられてはならない。

    昨夜のNHKの「プロフェッショナル/仕事の流儀」という番組を見たら、俳句の夏井いつき先生が次のようなことを仰っていた。≪自分の為に俳句を書くんだから、俳句の為に自分の思いをゆがめるのは違うと思う。頭で空想で作ってると、かっこいい言葉みつけたから、じゃ本当はこっち表現したかったんだけど、でもかっこいい言葉見つかったから、いやいいやそっちでもとかって、最初の思いを捨てて言葉のほうに酔ってしまう。心が無かったら言葉さがしてもしょうがないから‥‥‥≫このようなことは俳句に限らず、ブログを書く場合にも心掛けておかなければならないことである。思いを言葉にする。思いが言葉に引きずられてはならない。

  • お詫びと愚痴

    前回記事の最後に続編として「経験あって個人ある」という記事を書くという予告をしていましたが、既に2年前に全く同じタイトルで同じ趣旨のことを記事にしていることが分かりました。わざわざ当記事を読んで下さった方にはおわび申し上げます。その上で、なお興味がある方は下記の記事を読んでいただければ幸いです。経験あって個人ある(1)経験あって個人ある(2)人間は歳を取ると繰り言が多くなると言われます。私も70歳を超えて知的能力が衰えていることを、はっきりと目に見える形で如実に知らされました。記事の題名まで予告したのですから、本来なら過去記事に新たな知見を付け加えて新たな記事として発表すべきところですが、全然新しいアイデアが浮かんでこない。どうやら私の思考はこの二年間というもの堂々巡りを繰り返していただけのようです。本来なら読...お詫びと愚痴

  • 純粋経験論について

    前々回の記事「全てが私であるなら、私というものは存在しない」において私は次のように述べた。≪ただ素朴に山があるという原事実、それが「純粋な実在論」の意味である。≫ここで私は「原事実」という言葉を使っているが、このことについて少し説明をしたい。今、目の前のテーブルにリンゴが置かれているとする。すると、科学教育を受けた現代人は、「リンゴから反射された可視光線が、私の目に入ることによってそのリンゴが私に見える。」と考える。つまり、「リンゴが有るから、赤くて丸いものが見えている。」と考えている。しかし、哲学者に言わせれば、これは実は逆で「赤くて丸いものが見えているから、そこにリンゴが有ると(推論によって)想定している。」ということになる。このことについて、西田幾多郎の「善の研究」を参照してみたい。≪我々は意識現象と物体...純粋経験論について

  • 天然ワクチン仮説

    新型コロナの感染者数の激減の原因が分からない。「人流の減少」「感染対策の徹底」「ワクチンの効果」「天候」など、いろいろ言われているが、どれも決定的な根拠としては物足りない。なかには、「変異することによって感染力が弱まった。」という説もあるが、これほど大規模な感染を起こしたウィルスでは変異タイプが常に並行的に存在するので、感染力の弱いタイプは単純に淘汰されるだけなので、そういうことは考えにくい。パンデミックにおいては、感染力に有意な差があるウィルスが併存した場合、必ず感染力の強い方が弱い方を駆逐することになる。例えば、従来のウィルスの2倍の感染力を持つ変異ウィルスが出現したと想定してみよう。2倍の感染力が2倍の実行再生産数を意味するとしたら、感染力の強い方はネズミ算式に従来型を凌駕していくことは理解できると思う。...天然ワクチン仮説

  • 全てが私であるなら、私というものは存在しない。

    独我論というものの見方がある。コトバンクによる解説を見てみよう。≪真に実在するのは自我とその所産だけであり、他我やその他すべてのものはただ自己の意識内容にすぎないとする立場。≫私は他人の意識の中には入れない。ひょさとしたら、私が他人と見ている人たちは意識を持たないゾンビかまたはロボットのようなものかもしれない。この世界には私一人、つまり「独我」というわけである。よくよく考えてみれば、すべては私の感覚器官を通して認識されるのである。ということは、この世界は私の感覚、眼耳鼻舌身意による感覚データ以外には何もない。すべて私の感覚によって満たされているのである。理詰めで考えていくと結局そういうことになる。理詰めで考えていくとと言ったが、実はこの「理詰め」はあやしい。すべては「私の感覚」と言っているが、全てが「私の感覚」...全てが私であるなら、私というものは存在しない。

  • 反知性主義というには無知過ぎるよ、麻生さん

    麻生太郎氏は学習院大学政治経済学部を卒業したらしいが、おそらく勉強などせずにマンガばっかり読んでいたのだろう。あまりにもトンチンカンな発言が多すぎる。昔から「失言が多い」とよく言われてきたが、多分、無知蒙昧から出た本音を語っているだけと考えた方がつじつまが合う。次の記事を見て欲しい。年金の株への投資をまるで手柄のように自慢しているが、やっていることは公金による株の買い支えである。年金基金と日銀で何十兆円も株式市場に投資すれば株価は上がるのは当たり前で、そんなものは見せかけの好況感に過ぎない。いうまでもないことだが、株式投資は現金化しなければ利益は確定しない。麻生さんは「年金は80兆円増えている。」と言っているが、それは単なる絵に描いた餅でしかない。公的資金を株式市場から引き揚げにかかった時点で、日本株は大暴落す...反知性主義というには無知過ぎるよ、麻生さん

  • 日本の人々は、いつもお互いのことを気にしている

    本日のタイトルは、今年度のノーベル物理学賞を受賞した真鍋叔郎博士の言葉から引用した。受賞に際して、「なぜ日本国籍を捨ててアメリカ国籍を選んだのか?」という質問に答えて、博士は次のように答えた。「日本の人々は、非常に調和を重んじる関係性を築きます。お互いが良い関係を維持するためにこれが重要です。他人を気にして、他人を邪魔するようなことは一切やりません。‥‥‥アメリカでは、他人の気持ちを気にする必要がありません。私も他人の気持ちを傷つけたくはありませんが、私は他の人のことを気にすることが得意ではない。‥‥‥私はまわりと協調して生きることができない。それが日本に帰りたくない理由の一つです」調和を重んじるのは日本の美風かも知れないが、博士にとってはそれが息苦しかったのだろう。それと、博士は「他人を気にして、他人を邪魔す...日本の人々は、いつもお互いのことを気にしている

  • 人の恋路を邪魔する奴は馬に蹴られて死んじまえ

    昨日(10/2)の朝刊によれば、秋篠宮家の内親王である真子さんが複雑性PTSDに陥っているという。結婚相手の親の金銭トラブルがもとで、「皇族の結婚相手としてふさわしくない」という風潮が日本中に満ちているからだろう。もし近所の娘さんが小室圭さんと結婚すると分かっても、その結婚にとやかく言う人はそう多くはあるまい。ところが皇族が結婚するとなると、一般人がテレビの前で堂々と「それはちょっと・・」と言ってのける。SNSの中だともっと露骨に相手をぼろくそにけなす。その果てに、真子さんのことを「皇族としての義務をわきまえておられない。」というような、昔なら不敬罪で逮捕されかねないようなことまで言う。金銭トラブルと言っても、誰も犯罪を犯しているわけではない。単なるもめごとに過ぎない。当事者間で解決すべき問題である。なんらの責...人の恋路を邪魔する奴は馬に蹴られて死んじまえ

  • 言葉の意味と使い方

    「ニワトリが先か卵が先か?」というのは原因と結果が循環している場合の例えだが、どんなことでも無限に循環しているということはない。ニワトリは人間が家畜化したものに違いないから、はじめて「ニワトリ」と呼ばれた鳥が必ずあったはずである。そこで、Aさんはこう言う。「どんなニワトリも鳥である限り、卵として生まれたはずである。だから卵が先である。」と。しかし、それに対してBさんはこう言う。「Aさんの言うその最初の卵はニワトリ以外の鳥が生んだものである。それが卵のままであるときは、あくまでニワトリ以外の鳥の卵でしかない。それが成鳥となってはじめて『ニワトリ』の概念が成立するのであるから、ニワトリが先というべきである。」AさんとBさんの言い分のどちらが正しいのだろうか?どちらの言い分にも一理ありそうである。そして重要なことは、...言葉の意味と使い方

  • 私、ボーッと生きてます。

    人間はわりと迂闊なもので、ごく身近なことなのに何十年も気が付かないことがある。例えば、左右の鼻の穴はいつも同時に通じているわけではなく、大抵は何時間かおきに交替で働いている、というふうなあまり知っていても知らなくてもよいような知識を、この歳になって知ったりする。なんだかチコちゃんに叱られそうだが、あらためてそういうことを知ると、人間の盲点に気づいたような気がして、なんだか私は楽しくなるのである。「日本語はウラル・アルタイ語族に属する。」ということはよく言われていることで、知っている方も多いと思う。しかし、そもそもウラル・アルタイ語がどんなものかを知らないのだから知識としては余り有意義ではない。それで今、言語学者の田中克彦先生の「ことばは国家を超える」という本を読み始めたのだが。それによると「アルタイ語には『ラ』...私、ボーッと生きてます。

  • ウィルスは弱毒化する?

    「長期的にはウィルスは弱毒化する。」と言われているが、この「長期的」がどの程度のものかが問題である。「感染者が皆死んでしまえばウィルス自体も生き残れない」というような、進化論的な話であるならば、人間の何世代にもわたる超長期であると考えた方が良い。つまり、「長期的にウィルスは弱毒化する」のは、私もあなたも死んだ後の話である。現実的には、ウィルスは弱毒化する可能性も強毒化する可能性もある。遺伝子の変異は無作為だからである。一般的に言って、現在生きている生物(ここではウィルスも生物とする)の遺伝子は「生存している」という意味で相当洗練されていると見るべきである。今「生きている」ということは、既に淘汰のフィルターを通り抜けてきたということだからである。だから一般に、変異すなわち遺伝子のコピーミスのほとんどは生存に有利に...ウィルスは弱毒化する?

  • 親ガチャ

    「〇〇ガチャ」という言葉を最近よく聞く。ガチャというのは、お金(硬貨)入れてレバーを回すとカプセルが出てくる、小さな自動販売機のことである。カプセルの中身はいろいろで、何が出てくるかは分からない。そういうところから、自分の意志で選択できないことがらについて、「〇〇ガチャ」と表現するらしい。つまり、親を選んで生まれてきたわけではない、そういう意味で「親ガチャ」だというのである。それを口にする本人は単なる軽口のつもりかもしれないが、自分の子に十分なことをしてやれなかったかもしれないという親にとっては、あまり耳障りの言い言葉ではないだろう。子は親を選べない、当たり前である、なにをいまさらという気がする。親も子を選べないのだ。それ以前に、そもそもなぜこのような世界があるのかということが分からない。要するに、何もかもみん...親ガチャ

  • 「海」 (長沢延子)

    2,3カ月前の新聞の読書欄に、17歳で自死した天才詩人として長沢は紹介されていた。昭和24年6月に彼女は亡くなっている。私(御坊哲)が生まれたのはその年の10月である。生きていれば私をよく可愛がってくれた叔母と同い年である。なにか因縁めいたものを感じてこの本を読んでみる気になったのだが、正直に言うと、読み通すにはかなり苦痛が伴った。天才はなかなか理解しがたいものである。副題には「友よ私が死んだからとて」とある。彼女の書きためた詩と友人の高村瑛子さんに宛てた書簡を集めたものである。「私は死ぬために生まれてきた。」というように、彼女の文章のいたるところに死への意志がちりばめられている。形状のし難い「激しさ」と幼い理屈っぽさが同居していて、生硬さを感じさせる。文学者として未完成なのだろう、もっと長生きして成熟した作品...「海」(長沢延子)

  • 歌うヴァイオリン

    毎週土曜日の朝8時から、BSテレビ東京で「音楽交差点」という番組が放送されています。進行役の春風亭小朝さんとヴァイオリニストの大谷康子さんが、毎回いろんなジャンルの演奏家を招いて大谷さんとコラボレートする、そういう番組です。大谷さんは本来クラシックの演奏家ですが、ジャズやカントリーだけでなく、世界中のどんなジャンルの音楽でも相手に合わせてヴァイオリンを演奏します。毎回、小朝さんが軽妙な会話を引き出して、和やかな雰囲気の中で楽しい演奏が繰り広げられます。そして、大谷さんはさりげなく超絶技巧を織り交ぜながら、本当に楽しそうに演奏するのです。一度見れば、なぜ彼女が「歌うヴァイオリン」と呼ばれているかが分かります。「弾いて」いるのではなく「歌って」いるのです。まるでヴァイオリンが肉体の一部であるかのように自在に歌ってい...歌うヴァイオリン

  • あるようにあるとしか言いようがない

    私達は言葉を使わなければ思考することが出来ない。なのでつい、言葉によってあらゆることを表現できると思いがちである。言語の限界は思考の限界でもあるが、現実の具体性は言語の限界には収まり切れないのである。所詮、言葉というものは抽象化されたものだからである。先日、「多様性と無差別智」という記事でも取り上げた、はるな愛さんの言葉をもう一度振り返ってみよう。≪私は「トランスジェンダー」と呼ばれますが、その言葉に当てはめられるのはちょっと違うかなという感覚もあります。「LGBT」と呼ばれる人の中でもいろいろなタイプの人がいて、みんな違って当たり前です。4文字ではとても表しきれません。「LGBT」が表す性的少数者のことを、全部知ることは大変で、私もすべてをわかってはいないと思います。わからなくていいとも思っています。≫私達は...あるようにあるとしか言いようがない

  • 日本はどういう国か?

    誰だって自分の国のことを陰湿で冷酷な国であるとは思いたくないし、実際に思ってはいないだろう。しかし、スリランカ人女性ウィシュマ・サンダマリさんに関する仕打ちを見ると、日本は「お・も・て・な・し」の国とはかなりかけ離れていると認めざるを得ないのである。日本に来た頃はふくよかだった女性が、名古屋入管に収容中にすっかりやせ細り、やがて衰弱しついには死んでしまった。体調に問題があったにもかかわらず、十分な医療上の処置がとられていなかったと考えられる。以前から日本の入管のやり方には人道上の問題があるというのは周知の事実であったが、今回のウィシュマさんの事件でそれが一層はっきりした。衰弱したウィシュマさんが飲んだカフェ・オ・レを噴き出した時、職員は「鼻から牛乳や」と言って笑ったという。(参照=>「鼻から牛乳」)この記事の中...日本はどういう国か?

  • 日本のリーダーは最悪の事態を想定したがらない

    日本の政治家も経営者も楽観論に傾きやすい。確率の低い最悪の事態は無視して、手っ取り早く自分の手柄を挙げたがるのだ。東日本大震災の際の福島第一原発事故を思い起こしてみよう。下記の記事によれば、東電自体が設計の想定を超える津波が来る確率を「50年以内に約10%」と予測し、その事を2006年に国際会議で発表していたというものだ。≪想定外の大津波「50年以内に10%」東電06年発表≫50年以内に10%とといえば、500年に1度の確率になる。原発の事故はその性質上過酷なものになる、5百年に1度どころか百万年に一度の確率だとしても見過ごせないはずだ。それまで政府も電力会社も「原発は絶対安全」と呪文のように繰り返していたのだから。真のリーダーたるものは先を見通して最悪の事態を回避しなければならないと思うのだが、その判断は常に...日本のリーダーは最悪の事態を想定したがらない

  • 多様性と無差別智

    朝日新聞デジタルに寄せられた、はるな愛さんの言葉に感じ入るところがあったので、ここで紹介したいと思います。「子どもたちの人生を救うためにはるな愛さんが考える多様性と五輪」≪私は「トランスジェンダー」と呼ばれますが、その言葉に当てはめられるのはちょっと違うかなという感覚もあります。「LGBT」と呼ばれる人の中でもいろいろなタイプの人がいて、みんな違って当たり前です。4文字ではとても表しきれません。「LGBT」が表す性的少数者のことを、全部知ることは大変で、私もすべてをわかってはいないと思います。わからなくていいとも思っています。わからないことをなくすよりも、自分の隣にいる人が、今どうして欲しいと思っているのかを聞ける方がいい。知らなかったり、間違えていたりしたら、それを素直に受け入れる気持ちが大事。一番知らなくて...多様性と無差別智

  • 重症リスクの高い方以外は自宅での療養 それってなに?

    「重症リスクの高い方以外は自宅での療養」というのは、政策でもなければ指針でも何でもない。ただ単に「病床が足りない」ことへの無策をごまかすための弥縫策でしかない。在宅医療に問題があること、病床が足りなくなることはかねてから指摘されていたことだ。40度の高熱でうなされている病人を抱えて、その奥さんが躍起になって「夫を入院させてください」と病院に頼み込む、だけど病床はほとんど埋まっている。すると、病院側は「あなたのご主人はまだ重症化リスクが低いからまだ入院できません。」と断るわけか?重症化リスクの度合いを誰が判定するのか?要するに、政府の無策のつけの責任を医療現場に押し付けているだけのことなのだ。医療現場にしてみれば、「重症化リスク判定の数値基準を示せ」と言いたくなることは十分理解できる。在宅療養者がどんどん増えてい...重症リスクの高い方以外は自宅での療養それってなに?

  • 「やっぱりやって良かったじゃん」とは言いたくない。

    蓮舫さんが、堀米雄斗選手の金メダル獲得について、「素晴らしいです!ワクワクしました!」とtwitしたら、「東京オリ・パラの中止を主張していたのに、ダブルスタンダードだ!」という批判が殺到したらしい。しかし、これは批判する方がおかしい。オリンピックは愚劣だが、スポーツは素晴らしいというだけのこと。競技に人生を賭けてきた選手の健闘に感動するのはとうぜんのことで、それはダブルスタンダードでも何でもない。第一、オリ・パラ実施のためには莫大な資金が投ぜられているが、その一部には蓮舫さんの納めた税金も使われている。日本国民なら誰もが競技を見て楽しむ権利がある。テレビをつけるとオリンピック一色で金メダルラッシュに沸いているが、それほどめでたいことばかりでもないということは心にとどめておく必要がある。次の記事を読んでみて欲しい...「やっぱりやって良かったじゃん」とは言いたくない。

  • 脱構築と中庸について

    哲学を理解することは一般的に容易ではないが、現代フランス哲学というものは際立って難解であるように私には思える。その中でもとりわけジャック・デリダという人の言っていることがとりわけ難しい。というのは、今までになかった概念を作り出して、それ説明する仕方が従来の言葉の意味を逸脱させながら、とても回りくどい表現をするからである。例えば、彼の造語による「差延(différance)」という言葉があるが、それに対するコトバンクの解説を参照してみよう。とても読みにくい文章だが、少し我慢して読んでいただきたい。≪フランスの哲学者J.デリダが作り出し,使用するdifféranceの訳語。これまでの用語である差異différenceに代えて,遅らせる,延期するという意味を新たに加味している。その意味は,存在者が自己自身に現前すると...脱構築と中庸について

  • 匹夫不可奪志と中庸

    「一切皆空」というのは仏教の根本原理であるとされている。前回記事では、言葉即ち概念というものは突き詰めれば、恣意的なして視点の上に成り立っているということを述べた。ものごとすべては関係性の上に成り立っているのであって、「絶対」ということはないということである。だとすると、自分をある種の高みにおいて相手を批判・評価したりすることにも慎重でなくてはならないことになる。自分を是相手を否とする絶対的根拠も見いだせないからである。また、仏教においては、真善美なるものも縁起の中で相対的に浮かび上がってくるものでしかない。だから、仏教においては、自分の論を主張する論争というものは本来ありえないことになる。「法論はどちらか負けても釈迦の恥」というのはそういうところから来ているのだろうと思う。小林秀雄のエッセーに、「匹夫不可奪志...匹夫不可奪志と中庸

  • 言葉の拘束力と中庸ということ

    私はいつもブログを書いた後振り返ってみて、「私は初めからこういうことを書こうと思っていたのだろうか?」と思うのである。人間は言葉で考える。だから言葉にして見なければ、自分が何を考えているかも分からない。言葉にしてみて初めて自分の考えていることが分かる。果たしてそうなのか?これは、私たちの思考が言葉に支配されているということではないのかという気がする。約半世紀前、私が学生であった頃の若者の多くは左翼思想に染まっていた。持てるものが持たざる者を搾取する、その社会的不公正は明らかであり直ちに是正されるべきものである。「マルクス・レーニン主義は正しい。」と私たちは思ったのである。しかし、当時の左翼運動はことごとく挫折した。確かにこの資本主義の世界は不公正である、その事自体は間違っていない。しかし、「正しい」思想を性急に...言葉の拘束力と中庸ということ

  • オリンピック大会の性質

    この頃、丸川珠代オリンピック担当大臣の言葉遣いがとても気になる。なにかインテリを気取っているようで、政治家としてはピントがずれた物言いが多いような気がする。≪丸川珠代五輪相、会場での酒類販売方針に「ステークホルダーの存在がある」≫上記の記事の中で、彼女は次のように述べている。「大会の性質上、ステークホルダーの存在がどうしてもある。組織委員会としては、そのことを念頭において検討されると思う。」彼女はなぜ「ステークホルダー(利害関係者)」という言葉を使ったのだろう?これだと組織委員会が利害調整の場であるかのような印象を受けてしまう。まあ、実際にそうなのだろうけど‥‥。わざわざ「大会の性質上」とことわっているからには、オリンピックが商業五輪であることを堂々と認めているようなものだ。正直かもしれないが、政治家としてのセ...オリンピック大会の性質

  • 理性と理由

    「理由を英語で何というか?」と問われると、大抵の人は"reason"という答えが直ぐに出てくるでしょう。しかし、「理性は?」と問われると、ちょっと答えあぐねるのではないでしょうか。答えは、理由と同じ"reason"です。おそらく、江戸時代の終わりか明治の初めに、reasonの訳語としてつくられた和製漢語ではないかと思います。reasonは明らかに多義語であり、きちんと訳し分けたのは結果的に良かったと思います。理由についてはもともと由(よし)という概念がありましたが、理性に相当する概念が日本にはなかった。コトバンクによれば、理性とは「道理によって物事を判断する心の働き。論理的、概念的に思考する能力」とある。要はものごとの整合性を求める働き(性質)のことでしょう。レストランで食事した時に、その料理が安くておいしかっ...理性と理由

  • 現象の背後になにも探してはならない。現象そのものが理論である。(ゲーテ)

    ゲーテはドイツを代表する文豪であるが、科学者でもあったらしい。本日のタイトルは文言は、科学者としてのゲーテがモットーとしていたことだという。私はゲーテの科学者としての実績についてはほとんど無知であるが、一般・抽象化志向の強い当時の西洋において、このようなことを言い得るというのは、やはりゲーテという人は思想家として偉大な人だと思う。一般に科学的真理というものは、現象の背後にあると考えられがちである。見かけの現象ではなく、隠れた本質を探るのが科学であると考えられる。リンゴが木から落ちるのは万有引力に引かれるからである、と言われるようになった。研ぎ澄まされたナイフの刃はとても稠密で鋭く見えるが、それは原子という粒でできていて、その原子は原子核と電子でできていて、ほとんどが真空でスカスカなのだとか、そのように言われる。...現象の背後になにも探してはならない。現象そのものが理論である。(ゲーテ)

  • 考えるヒント

    本日のタイトルは小林秀雄のエッセーのパクリだが、パクリついでに彼の言葉「美しい花がある、『花』の美しさといふ様なものはない。」について、彼の真意は置いといて、哲学者ならこの言葉をどのように考えるかを簡単に説明したいと思う。それと、小林はカッコつきの「花」としている、これは世阿弥の造語としての「花」のことであるが、とりあえず植物の花の比喩として解釈するものとする。小林が「花の美しさといふ様なものはない。」とわざわざ言うからには、一般的には「花の美しさ」というものがあると信じられているということだろう。つまり、花が美しさを持っている。美しい花には属性としての「美しさ」があるということなのだろう。赤い花は「赤い」色という属性を持っている。匂いの良い花は「良い匂い」という属性を持っている。それらと同様に、美しい花は「美...考えるヒント

  • 私がオリンピックに反対する理由

    一昨日(6/11)の東京新聞の一面を見ると、「コロナで自宅死119人」というタイトルが目に飛び込んできた。今年1月から5月末までの5か月間に、コロナに感染して自宅療養中に119人の方々が亡くなられた。人口1憶二千万の日本では、毎日数千人の人々が亡くなられているのだから、5カ月で119人くらいは大した数字ではないとみる見方もあるかも知れない。人口割にすれば百万人に一人、宝くじに当たるような確立である。大局を見る政治家にしてみれば、取るに足りない数字なのだろう。私はそういう不条理な死は一人でもあってはならないと考える。人はいずれ必ず死ぬものだから、人事を尽くしたのちに死ぬのなら、それは致し方が無いことである。しかし、受け入れ先がないために入院も出来ず、必要な手当てもなされないまま病状が悪化して死ぬ、本来なら生きなが...私がオリンピックに反対する理由

  • おごらざる人も久しからず

    太田道灌は若い頃多少傲慢なところがあったらしく、父親がそれをたしなめる意味で「おごれる人も久しからず」とたしなめたところ、道灌は「おごらざる人も久しからず」と答えたらしい。という逸話が小林秀雄の「私の人生論」で取り上げられていることを、小林の実妹である高見澤潤子の「兄小林秀雄」を読んで知った。道潅とその父親のやり取りの仔細はよく分からないが、理屈としては道灌の方が正しいのである。高見澤も「兄は、『諸行無常』という言葉も昔から誤解されていて、一切の現象は、変転して常住でないと解釈されているが、『常なし』というのは心なしということで、全く心ない理法、非人間的な理法ということだ、それを人間が受け入れることは難しい、まともにみる事が出来ないから、目をそらしてしまったというのである。」と述べている。ここで「心なし」という...おごらざる人も久しからず

  • アネマ・エ・コーレ(魂と心)

    1960年から70年代にかけて、日本にカンツォーネブームが興ったことがある。私が中高生の頃、同級生の多くはビートルズやグループ・サウンドに熱を上げていたが、私はジリオラ・チェンクェッティという美貌の女性歌手により惹かれていた。それ以来今に至るまでカンツォーネは大好きである。そのチンクェッティのレパートリーの中に、「アネマ・エ・コーレ」という歌がある。「魂と心」という意味である。アネマ(anema)はラテン語のanimaが語源で、アニミズムやアニメーションも源を同じくする言葉である。それで、以前から気になっていたのだが、魂と心はどう違うのだろう?どちらも目に見えないものだから、ひとまとめにして「心」とするだけではいけないのだろうか?それで、インターネットで「魂と心違い」で検索してみた。そうすると、なんと9千万件も...アネマ・エ・コーレ(魂と心)

  • 人の命を畏(おそ)れよ

    JOC理事の山口香さんは立派な見識を持った方であると思い、以前からこういう人に日本の指導者になってもらいたいと願っている。その山口さんの言うところによれば、日本はもうオリンピックをやるしかないらしい。開催可否の判断をしないまま、「もう時機を逸した。やめることすらできない状況に追い込まれている」というのだ。さらに彼女はこうも言う。「国民の多くが疑義を感じているのに、国際オリンピック委員会も日本政府も大会組織委も声を聞く気がない。平和構築の基本は対話であり、それを拒否する五輪に意義はない」そもそも、国民から集めた税金を不明朗な賄賂に使い、福島原発は「undercontrolである」という嘘をついてまで、自国開催にこだわるようなオリンピックには、もともと五輪本来の意義などあろうはずはない。そこにあるのはナショナリズム...人の命を畏(おそ)れよ

  • 言語と思考の関係

    あるSNSにおいて、「言語は思考の最小単位ですか?」と問いかけた人がいる。なかなか難しい問題だと思う。一般に、思考は言語によってなされるもの、と考えられているからそのような問いが出てくるのであろう。少なくとも、思考は言語によってしか表現できない、したがって言語以上の思考が表ざたになることは決してない。ヴィトゲンシュタインは彼の生前における唯一の著作「論理哲学論考」の序文で次のように述べている。≪‥‥およそ語られうることは明晰に語られうる。そして、論じえないことについては人は沈黙せねばならない。かくして、本書は思考に限界を引く。いや、むしろ、思考に対してではなく、思考されたことの表現に対してというべきだろう。というのも、思考に限界を引くにはわれわれはその限界の両側を思考できねばならない(それゆえ思考不可能なことを...言語と思考の関係

  • 本当にどうするのか? 政治家は説明責任を果たせ。

    どんな政治家も万能ではない。時には失敗もする。しかし、政治家である限りどんな時も自分のしていることに対する説明責任があるはずだ。なのに、コロナについて、オリンピックについて、どのような見通しを持っているのかが全然伝わってこない。とりあえず、東京、大阪の緊急事態は来月の11日までということになっているが、どういう状況になれば解除するのかしないのかが明確でない。今までのところ、ただ状況に引きずられて宣言と解除を繰り返しているだけのように見える。要するに無定見なのだ。東京五輪・パラリンピック組織委員会が日本看護協会に大会の医療スタッフとして看護師500人の確保を依頼したらしいが、すでに医療スタッフは現状で不足しているのだ。現場では増大する重症患者に対応しきれずにトリアージが始まっているのに、500人もの看護師をオリン...本当にどうするのか?政治家は説明責任を果たせ。

  • 緊急事態宣言には目標が必要

    当たり前の話だが、どんな政策にも実現すべき目標がなければならない。こんなことを言うのは、日本政府のコロナ対策に納得できないからである。4都府県に本日発令される緊急事態宣言のことである。その期間は4月25日から5月11日までの17日間だという。期間が短すぎる。感染症は出来るだけ数を抑え込んでしまった方が、後の対処が楽になるというのは常識である。感染者数が少なければ少ないほど、感染経路のトレースを徹底することができるので、より少ない労力で感染の拡大を防ぐことができる。実際に、台湾やベトナムはそれを徹底することで、コロナの抑え込みに成功している。たった17日間で宣言解除してしまえば、また元通りに感染者数が増大するのは目に見えている。すでに東京と大阪の医療は限界を通り越している。医療施設がもともと貧弱な地方は少し感染者...緊急事態宣言には目標が必要

  • やっぱり、オリンピックやってる場合ではないのでは‥‥

    昨日(4/20)の東京新聞の朝刊によれば、菅首相はバイデン大統領との共同記者会見の場で、記者の質問を無視したらしい。ロイター通信社の記者が、バイデン大統領にはイランの核濃縮問題、菅さんに対してはコロナ禍における五輪開催は「無責任ではないか」と訊ねた。まずバイデンが答え、次に菅首相に答えるよう促したところ、ロイターの質問には答えず、「それでは日本側から」といって共同通信社の記者を指名したというのだ。自分にとって都合の悪い質問は無視するという、官房長時代からの悪い癖がアメリカでも出てしまった。自分の政策について聞かれたことには答える、説明責任は政治家に要請される最低限の誠実さである。アメリカくんだりまで行って、とんだ日本の恥をさらしてくれたものである。二階幹事長の「東京オリンピック・パラリンピックの開催中止も選択肢...やっぱり、オリンピックやってる場合ではないのでは‥‥

  • 想像上の現実

    「サピエンス全史」によれば、われわれホモ・サピエンスは約30万年前に誕生したらしい。その時点において、人類と呼ばれる種はわれわれ以外にもホモ・エレクトスやホモ・ネアンデルターレンシスなど色々いたらしい。われわれホモ・サピエンスは当初は他の種に比べて優越的な立場にいたわけではないらしい。むしろネアンデルタール人などと比べて劣位の時期もあったらしい。それが約7万年前ぐらい前にホモ・サピエンスに大きな変化があったらしく、その他の人類は淘汰されていく。ネアンデルタール人も約3万年前に絶滅したと考えられている。個体レベルではネアンデルタール人に比べて体力的に劣るわれわれが優位に立てたのは、やはり他の種に比べて際立った言語能力を持っていたからだと考えられる。簡単なコミュニケーションなら他の動物にもできる。しかし、物語を語れ...想像上の現実

  • 迷うのは人間だけ

    今、歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリ氏原案の「サピエンス全史」という漫画を読んでいる。それによると、人類が誕生してから200万年(ホモサピエンスは30万年)経つが、そのほとんどの期間が絶滅の危機すれすれの状態であったらしい。人類が食物連鎖の頂点に到達したのは今から約2万年前のことで、進化論的尺度で見ればつい最近のことだというのである。つまり、俗な言葉で言えば、我々人類は成り上がりものだというわけである。ハラリ氏によれば、人間以外の食物連鎖の頂点にある動物はみな堂々としていると言う。そういえば、ライオンや虎は確かに堂々としている。猛禽類が高い梢にとまって辺りを睥睨しているさまも威厳に満ちている。人間は彼らに比べると風格に欠けると言われても仕方がないように思う。いつも辺りをきょろきょろと見まわし、計算高く立ち回ってい...迷うのは人間だけ

  • ブラフマンの夢

    いろんな人と議論する中で、「この世界はブラフマンの夢である」というようなことを言う人がいた。一人だけではなく、二度同じ趣旨のことを聞いたので、そのような通説が流通しているのだろう。しかし、それが夢であるというなら、その夢を見ているのは間違いなく私である。この世界がブラフマンの夢であるなら、ブラフマンとは私のことでなければならない。そのうちの一人が言うには、ブラフマンはわれわれを超越した存在で、その夢の中の登場人物さえも意志を持つのだと言う。だとしたら、夢の中の登場人物に過ぎない我々が、どうしてその超越者について知ることができるのだろうか。そもそも、それを「夢」という言葉で表現すべきではない。「ブラフマンは世界を創造している」というべきだろう。「この世界はブラフマンの夢である」とはロマンチックな表現だが、哲学とは...ブラフマンの夢

  • 後の祭りと自由

    前回記事では、「未来は決定している」という言葉の意味を誰も理解できない、というような直感的にはちょっと受け入れがたいようなことを述べた。御坊哲はまた変な理屈をこねているだけではないのか、と思われた人がいるかもしれない。もう少しそのことを実感できるような例について考えてみよう。大学入試の合否判定は教授会の合否判定会議で決定する。判定はたいてい合格発表の前日以前に決定しているのが通例である。だから、合格発表当日には「既に合否は決定している」わけである。ところが、発表当日に孫娘が掲示板を見に行った時、おばあちゃんは仏壇の前に座って、ご先祖様と仏さまに「どうか孫娘を合格させてやってください。」と、孫娘が電話で結果を知らせてくるまで祈り続けていたのである。おばあちゃんは「既に合否は決定している」ことは知っていたと言う。知...後の祭りと自由

  • 「未来は決定している」という言葉の意味

    日本を代表する哲学者である大森荘蔵は「決定論の論理と自由」という論考の中で「空虚な決定論」ということについて論じている。その一部を引用してみよう。≪伏せて重ねたトランプを見て、「一番上の札がなんであるかは知らないが、なんであるかはきまっている」という時、一体何が言われているのだろうか。この言葉を聞いて、それを聞かない前に比べて、私の知識が些かでも増しただろうか。この言葉はどんな情報を伝えようとしているのだろうか。元来、この言葉にはなんの情報も含まれていないのではないだろうか。私にはそう思える。‥‥‥‥≫ということで、このような言明について大森は「経験的に無内容」であると表現している。一体、哲学者は何を言っているのか?大森は「伏せてあるトランプの一番上の札がなんであるかは開く前から決まっている。」という言葉の意味...「未来は決定している」という言葉の意味

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