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プロフィール
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御坊哲さんのプロフィール

住所
港南区
出身
御坊市

私は禅者ではありません、仏教者でさえありませんが、多少ものを見る目はもっていると自負しております。

ブログタイトル
禅的哲学
ブログURL
https://blog.goo.ne.jp/gorian21
ブログ紹介文
禅的視座から哲学をすると、こんな景色が見えてくるのではないだろうか。
更新頻度(1年)

69回 / 365日(平均1.3回/週)

ブログ村参加:2013/12/07

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ハンドル名
御坊哲さん
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禅的哲学
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御坊哲さんの新着記事

1件〜30件

  • 歌うヴァイオリン

    毎週土曜日の朝8時から、BSテレビ東京で「音楽交差点」という番組が放送されています。進行役の春風亭小朝さんとヴァイオリニストの大谷康子さんが、毎回いろんなジャンルの演奏家を招いて大谷さんとコラボレートする、そういう番組です。大谷さんは本来クラシックの演奏家ですが、ジャズやカントリーだけでなく、世界中のどんなジャンルの音楽でも相手に合わせてヴァイオリンを演奏します。毎回、小朝さんが軽妙な会話を引き出して、和やかな雰囲気の中で楽しい演奏が繰り広げられます。そして、大谷さんはさりげなく超絶技巧を織り交ぜながら、本当に楽しそうに演奏するのです。一度見れば、なぜ彼女が「歌うヴァイオリン」と呼ばれているかが分かります。「弾いて」いるのではなく「歌って」いるのです。まるでヴァイオリンが肉体の一部であるかのように自在に歌ってい...歌うヴァイオリン

  • あるようにあるとしか言いようがない

    私達は言葉を使わなければ思考することが出来ない。なのでつい、言葉によってあらゆることを表現できると思いがちである。言語の限界は思考の限界でもあるが、現実の具体性は言語の限界には収まり切れないのである。所詮、言葉というものは抽象化されたものだからである。先日、「多様性と無差別智」という記事でも取り上げた、はるな愛さんの言葉をもう一度振り返ってみよう。≪私は「トランスジェンダー」と呼ばれますが、その言葉に当てはめられるのはちょっと違うかなという感覚もあります。「LGBT」と呼ばれる人の中でもいろいろなタイプの人がいて、みんな違って当たり前です。4文字ではとても表しきれません。「LGBT」が表す性的少数者のことを、全部知ることは大変で、私もすべてをわかってはいないと思います。わからなくていいとも思っています。≫私達は...あるようにあるとしか言いようがない

  • 日本はどういう国か?

    誰だって自分の国のことを陰湿で冷酷な国であるとは思いたくないし、実際に思ってはいないだろう。しかし、スリランカ人女性ウィシュマ・サンダマリさんに関する仕打ちを見ると、日本は「お・も・て・な・し」の国とはかなりかけ離れていると認めざるを得ないのである。日本に来た頃はふくよかだった女性が、名古屋入管に収容中にすっかりやせ細り、やがて衰弱しついには死んでしまった。体調に問題があったにもかかわらず、十分な医療上の処置がとられていなかったと考えられる。以前から日本の入管のやり方には人道上の問題があるというのは周知の事実であったが、今回のウィシュマさんの事件でそれが一層はっきりした。衰弱したウィシュマさんが飲んだカフェ・オ・レを噴き出した時、職員は「鼻から牛乳や」と言って笑ったという。(参照=>「鼻から牛乳」)この記事の中...日本はどういう国か?

  • 日本のリーダーは最悪の事態を想定したがらない

    日本の政治家も経営者も楽観論に傾きやすい。確率の低い最悪の事態は無視して、手っ取り早く自分の手柄を挙げたがるのだ。東日本大震災の際の福島第一原発事故を思い起こしてみよう。下記の記事によれば、東電自体が設計の想定を超える津波が来る確率を「50年以内に約10%」と予測し、その事を2006年に国際会議で発表していたというものだ。≪想定外の大津波「50年以内に10%」東電06年発表≫50年以内に10%とといえば、500年に1度の確率になる。原発の事故はその性質上過酷なものになる、5百年に1度どころか百万年に一度の確率だとしても見過ごせないはずだ。それまで政府も電力会社も「原発は絶対安全」と呪文のように繰り返していたのだから。真のリーダーたるものは先を見通して最悪の事態を回避しなければならないと思うのだが、その判断は常に...日本のリーダーは最悪の事態を想定したがらない

  • 多様性と無差別智

    朝日新聞デジタルに寄せられた、はるな愛さんの言葉に感じ入るところがあったので、ここで紹介したいと思います。「子どもたちの人生を救うためにはるな愛さんが考える多様性と五輪」≪私は「トランスジェンダー」と呼ばれますが、その言葉に当てはめられるのはちょっと違うかなという感覚もあります。「LGBT」と呼ばれる人の中でもいろいろなタイプの人がいて、みんな違って当たり前です。4文字ではとても表しきれません。「LGBT」が表す性的少数者のことを、全部知ることは大変で、私もすべてをわかってはいないと思います。わからなくていいとも思っています。わからないことをなくすよりも、自分の隣にいる人が、今どうして欲しいと思っているのかを聞ける方がいい。知らなかったり、間違えていたりしたら、それを素直に受け入れる気持ちが大事。一番知らなくて...多様性と無差別智

  • 重症リスクの高い方以外は自宅での療養 それってなに?

    「重症リスクの高い方以外は自宅での療養」というのは、政策でもなければ指針でも何でもない。ただ単に「病床が足りない」ことへの無策をごまかすための弥縫策でしかない。在宅医療に問題があること、病床が足りなくなることはかねてから指摘されていたことだ。40度の高熱でうなされている病人を抱えて、その奥さんが躍起になって「夫を入院させてください」と病院に頼み込む、だけど病床はほとんど埋まっている。すると、病院側は「あなたのご主人はまだ重症化リスクが低いからまだ入院できません。」と断るわけか?重症化リスクの度合いを誰が判定するのか?要するに、政府の無策のつけの責任を医療現場に押し付けているだけのことなのだ。医療現場にしてみれば、「重症化リスク判定の数値基準を示せ」と言いたくなることは十分理解できる。在宅療養者がどんどん増えてい...重症リスクの高い方以外は自宅での療養それってなに?

  • 「やっぱりやって良かったじゃん」とは言いたくない。

    蓮舫さんが、堀米雄斗選手の金メダル獲得について、「素晴らしいです!ワクワクしました!」とtwitしたら、「東京オリ・パラの中止を主張していたのに、ダブルスタンダードだ!」という批判が殺到したらしい。しかし、これは批判する方がおかしい。オリンピックは愚劣だが、スポーツは素晴らしいというだけのこと。競技に人生を賭けてきた選手の健闘に感動するのはとうぜんのことで、それはダブルスタンダードでも何でもない。第一、オリ・パラ実施のためには莫大な資金が投ぜられているが、その一部には蓮舫さんの納めた税金も使われている。日本国民なら誰もが競技を見て楽しむ権利がある。テレビをつけるとオリンピック一色で金メダルラッシュに沸いているが、それほどめでたいことばかりでもないということは心にとどめておく必要がある。次の記事を読んでみて欲しい...「やっぱりやって良かったじゃん」とは言いたくない。

  • 脱構築と中庸について

    哲学を理解することは一般的に容易ではないが、現代フランス哲学というものは際立って難解であるように私には思える。その中でもとりわけジャック・デリダという人の言っていることがとりわけ難しい。というのは、今までになかった概念を作り出して、それ説明する仕方が従来の言葉の意味を逸脱させながら、とても回りくどい表現をするからである。例えば、彼の造語による「差延(différance)」という言葉があるが、それに対するコトバンクの解説を参照してみよう。とても読みにくい文章だが、少し我慢して読んでいただきたい。≪フランスの哲学者J.デリダが作り出し,使用するdifféranceの訳語。これまでの用語である差異différenceに代えて,遅らせる,延期するという意味を新たに加味している。その意味は,存在者が自己自身に現前すると...脱構築と中庸について

  • 匹夫不可奪志と中庸

    「一切皆空」というのは仏教の根本原理であるとされている。前回記事では、言葉即ち概念というものは突き詰めれば、恣意的なして視点の上に成り立っているということを述べた。ものごとすべては関係性の上に成り立っているのであって、「絶対」ということはないということである。だとすると、自分をある種の高みにおいて相手を批判・評価したりすることにも慎重でなくてはならないことになる。自分を是相手を否とする絶対的根拠も見いだせないからである。また、仏教においては、真善美なるものも縁起の中で相対的に浮かび上がってくるものでしかない。だから、仏教においては、自分の論を主張する論争というものは本来ありえないことになる。「法論はどちらか負けても釈迦の恥」というのはそういうところから来ているのだろうと思う。小林秀雄のエッセーに、「匹夫不可奪志...匹夫不可奪志と中庸

  • 言葉の拘束力と中庸ということ

    私はいつもブログを書いた後振り返ってみて、「私は初めからこういうことを書こうと思っていたのだろうか?」と思うのである。人間は言葉で考える。だから言葉にして見なければ、自分が何を考えているかも分からない。言葉にしてみて初めて自分の考えていることが分かる。果たしてそうなのか?これは、私たちの思考が言葉に支配されているということではないのかという気がする。約半世紀前、私が学生であった頃の若者の多くは左翼思想に染まっていた。持てるものが持たざる者を搾取する、その社会的不公正は明らかであり直ちに是正されるべきものである。「マルクス・レーニン主義は正しい。」と私たちは思ったのである。しかし、当時の左翼運動はことごとく挫折した。確かにこの資本主義の世界は不公正である、その事自体は間違っていない。しかし、「正しい」思想を性急に...言葉の拘束力と中庸ということ

  • オリンピック大会の性質

    この頃、丸川珠代オリンピック担当大臣の言葉遣いがとても気になる。なにかインテリを気取っているようで、政治家としてはピントがずれた物言いが多いような気がする。≪丸川珠代五輪相、会場での酒類販売方針に「ステークホルダーの存在がある」≫上記の記事の中で、彼女は次のように述べている。「大会の性質上、ステークホルダーの存在がどうしてもある。組織委員会としては、そのことを念頭において検討されると思う。」彼女はなぜ「ステークホルダー(利害関係者)」という言葉を使ったのだろう?これだと組織委員会が利害調整の場であるかのような印象を受けてしまう。まあ、実際にそうなのだろうけど‥‥。わざわざ「大会の性質上」とことわっているからには、オリンピックが商業五輪であることを堂々と認めているようなものだ。正直かもしれないが、政治家としてのセ...オリンピック大会の性質

  • 理性と理由

    「理由を英語で何というか?」と問われると、大抵の人は"reason"という答えが直ぐに出てくるでしょう。しかし、「理性は?」と問われると、ちょっと答えあぐねるのではないでしょうか。答えは、理由と同じ"reason"です。おそらく、江戸時代の終わりか明治の初めに、reasonの訳語としてつくられた和製漢語ではないかと思います。reasonは明らかに多義語であり、きちんと訳し分けたのは結果的に良かったと思います。理由についてはもともと由(よし)という概念がありましたが、理性に相当する概念が日本にはなかった。コトバンクによれば、理性とは「道理によって物事を判断する心の働き。論理的、概念的に思考する能力」とある。要はものごとの整合性を求める働き(性質)のことでしょう。レストランで食事した時に、その料理が安くておいしかっ...理性と理由

  • 現象の背後になにも探してはならない。現象そのものが理論である。(ゲーテ)

    ゲーテはドイツを代表する文豪であるが、科学者でもあったらしい。本日のタイトルは文言は、科学者としてのゲーテがモットーとしていたことだという。私はゲーテの科学者としての実績についてはほとんど無知であるが、一般・抽象化志向の強い当時の西洋において、このようなことを言い得るというのは、やはりゲーテという人は思想家として偉大な人だと思う。一般に科学的真理というものは、現象の背後にあると考えられがちである。見かけの現象ではなく、隠れた本質を探るのが科学であると考えられる。リンゴが木から落ちるのは万有引力に引かれるからである、と言われるようになった。研ぎ澄まされたナイフの刃はとても稠密で鋭く見えるが、それは原子という粒でできていて、その原子は原子核と電子でできていて、ほとんどが真空でスカスカなのだとか、そのように言われる。...現象の背後になにも探してはならない。現象そのものが理論である。(ゲーテ)

  • 考えるヒント

    本日のタイトルは小林秀雄のエッセーのパクリだが、パクリついでに彼の言葉「美しい花がある、『花』の美しさといふ様なものはない。」について、彼の真意は置いといて、哲学者ならこの言葉をどのように考えるかを簡単に説明したいと思う。それと、小林はカッコつきの「花」としている、これは世阿弥の造語としての「花」のことであるが、とりあえず植物の花の比喩として解釈するものとする。小林が「花の美しさといふ様なものはない。」とわざわざ言うからには、一般的には「花の美しさ」というものがあると信じられているということだろう。つまり、花が美しさを持っている。美しい花には属性としての「美しさ」があるということなのだろう。赤い花は「赤い」色という属性を持っている。匂いの良い花は「良い匂い」という属性を持っている。それらと同様に、美しい花は「美...考えるヒント

  • 私がオリンピックに反対する理由

    一昨日(6/11)の東京新聞の一面を見ると、「コロナで自宅死119人」というタイトルが目に飛び込んできた。今年1月から5月末までの5か月間に、コロナに感染して自宅療養中に119人の方々が亡くなられた。人口1憶二千万の日本では、毎日数千人の人々が亡くなられているのだから、5カ月で119人くらいは大した数字ではないとみる見方もあるかも知れない。人口割にすれば百万人に一人、宝くじに当たるような確立である。大局を見る政治家にしてみれば、取るに足りない数字なのだろう。私はそういう不条理な死は一人でもあってはならないと考える。人はいずれ必ず死ぬものだから、人事を尽くしたのちに死ぬのなら、それは致し方が無いことである。しかし、受け入れ先がないために入院も出来ず、必要な手当てもなされないまま病状が悪化して死ぬ、本来なら生きなが...私がオリンピックに反対する理由

  • おごらざる人も久しからず

    太田道灌は若い頃多少傲慢なところがあったらしく、父親がそれをたしなめる意味で「おごれる人も久しからず」とたしなめたところ、道灌は「おごらざる人も久しからず」と答えたらしい。という逸話が小林秀雄の「私の人生論」で取り上げられていることを、小林の実妹である高見澤潤子の「兄小林秀雄」を読んで知った。道潅とその父親のやり取りの仔細はよく分からないが、理屈としては道灌の方が正しいのである。高見澤も「兄は、『諸行無常』という言葉も昔から誤解されていて、一切の現象は、変転して常住でないと解釈されているが、『常なし』というのは心なしということで、全く心ない理法、非人間的な理法ということだ、それを人間が受け入れることは難しい、まともにみる事が出来ないから、目をそらしてしまったというのである。」と述べている。ここで「心なし」という...おごらざる人も久しからず

  • アネマ・エ・コーレ(魂と心)

    1960年から70年代にかけて、日本にカンツォーネブームが興ったことがある。私が中高生の頃、同級生の多くはビートルズやグループ・サウンドに熱を上げていたが、私はジリオラ・チェンクェッティという美貌の女性歌手により惹かれていた。それ以来今に至るまでカンツォーネは大好きである。そのチンクェッティのレパートリーの中に、「アネマ・エ・コーレ」という歌がある。「魂と心」という意味である。アネマ(anema)はラテン語のanimaが語源で、アニミズムやアニメーションも源を同じくする言葉である。それで、以前から気になっていたのだが、魂と心はどう違うのだろう?どちらも目に見えないものだから、ひとまとめにして「心」とするだけではいけないのだろうか?それで、インターネットで「魂と心違い」で検索してみた。そうすると、なんと9千万件も...アネマ・エ・コーレ(魂と心)

  • 人の命を畏(おそ)れよ

    JOC理事の山口香さんは立派な見識を持った方であると思い、以前からこういう人に日本の指導者になってもらいたいと願っている。その山口さんの言うところによれば、日本はもうオリンピックをやるしかないらしい。開催可否の判断をしないまま、「もう時機を逸した。やめることすらできない状況に追い込まれている」というのだ。さらに彼女はこうも言う。「国民の多くが疑義を感じているのに、国際オリンピック委員会も日本政府も大会組織委も声を聞く気がない。平和構築の基本は対話であり、それを拒否する五輪に意義はない」そもそも、国民から集めた税金を不明朗な賄賂に使い、福島原発は「undercontrolである」という嘘をついてまで、自国開催にこだわるようなオリンピックには、もともと五輪本来の意義などあろうはずはない。そこにあるのはナショナリズム...人の命を畏(おそ)れよ

  • 言語と思考の関係

    あるSNSにおいて、「言語は思考の最小単位ですか?」と問いかけた人がいる。なかなか難しい問題だと思う。一般に、思考は言語によってなされるもの、と考えられているからそのような問いが出てくるのであろう。少なくとも、思考は言語によってしか表現できない、したがって言語以上の思考が表ざたになることは決してない。ヴィトゲンシュタインは彼の生前における唯一の著作「論理哲学論考」の序文で次のように述べている。≪‥‥およそ語られうることは明晰に語られうる。そして、論じえないことについては人は沈黙せねばならない。かくして、本書は思考に限界を引く。いや、むしろ、思考に対してではなく、思考されたことの表現に対してというべきだろう。というのも、思考に限界を引くにはわれわれはその限界の両側を思考できねばならない(それゆえ思考不可能なことを...言語と思考の関係

  • 本当にどうするのか? 政治家は説明責任を果たせ。

    どんな政治家も万能ではない。時には失敗もする。しかし、政治家である限りどんな時も自分のしていることに対する説明責任があるはずだ。なのに、コロナについて、オリンピックについて、どのような見通しを持っているのかが全然伝わってこない。とりあえず、東京、大阪の緊急事態は来月の11日までということになっているが、どういう状況になれば解除するのかしないのかが明確でない。今までのところ、ただ状況に引きずられて宣言と解除を繰り返しているだけのように見える。要するに無定見なのだ。東京五輪・パラリンピック組織委員会が日本看護協会に大会の医療スタッフとして看護師500人の確保を依頼したらしいが、すでに医療スタッフは現状で不足しているのだ。現場では増大する重症患者に対応しきれずにトリアージが始まっているのに、500人もの看護師をオリン...本当にどうするのか?政治家は説明責任を果たせ。

  • 緊急事態宣言には目標が必要

    当たり前の話だが、どんな政策にも実現すべき目標がなければならない。こんなことを言うのは、日本政府のコロナ対策に納得できないからである。4都府県に本日発令される緊急事態宣言のことである。その期間は4月25日から5月11日までの17日間だという。期間が短すぎる。感染症は出来るだけ数を抑え込んでしまった方が、後の対処が楽になるというのは常識である。感染者数が少なければ少ないほど、感染経路のトレースを徹底することができるので、より少ない労力で感染の拡大を防ぐことができる。実際に、台湾やベトナムはそれを徹底することで、コロナの抑え込みに成功している。たった17日間で宣言解除してしまえば、また元通りに感染者数が増大するのは目に見えている。すでに東京と大阪の医療は限界を通り越している。医療施設がもともと貧弱な地方は少し感染者...緊急事態宣言には目標が必要

  • やっぱり、オリンピックやってる場合ではないのでは‥‥

    昨日(4/20)の東京新聞の朝刊によれば、菅首相はバイデン大統領との共同記者会見の場で、記者の質問を無視したらしい。ロイター通信社の記者が、バイデン大統領にはイランの核濃縮問題、菅さんに対してはコロナ禍における五輪開催は「無責任ではないか」と訊ねた。まずバイデンが答え、次に菅首相に答えるよう促したところ、ロイターの質問には答えず、「それでは日本側から」といって共同通信社の記者を指名したというのだ。自分にとって都合の悪い質問は無視するという、官房長時代からの悪い癖がアメリカでも出てしまった。自分の政策について聞かれたことには答える、説明責任は政治家に要請される最低限の誠実さである。アメリカくんだりまで行って、とんだ日本の恥をさらしてくれたものである。二階幹事長の「東京オリンピック・パラリンピックの開催中止も選択肢...やっぱり、オリンピックやってる場合ではないのでは‥‥

  • 想像上の現実

    「サピエンス全史」によれば、われわれホモ・サピエンスは約30万年前に誕生したらしい。その時点において、人類と呼ばれる種はわれわれ以外にもホモ・エレクトスやホモ・ネアンデルターレンシスなど色々いたらしい。われわれホモ・サピエンスは当初は他の種に比べて優越的な立場にいたわけではないらしい。むしろネアンデルタール人などと比べて劣位の時期もあったらしい。それが約7万年前ぐらい前にホモ・サピエンスに大きな変化があったらしく、その他の人類は淘汰されていく。ネアンデルタール人も約3万年前に絶滅したと考えられている。個体レベルではネアンデルタール人に比べて体力的に劣るわれわれが優位に立てたのは、やはり他の種に比べて際立った言語能力を持っていたからだと考えられる。簡単なコミュニケーションなら他の動物にもできる。しかし、物語を語れ...想像上の現実

  • 迷うのは人間だけ

    今、歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリ氏原案の「サピエンス全史」という漫画を読んでいる。それによると、人類が誕生してから200万年(ホモサピエンスは30万年)経つが、そのほとんどの期間が絶滅の危機すれすれの状態であったらしい。人類が食物連鎖の頂点に到達したのは今から約2万年前のことで、進化論的尺度で見ればつい最近のことだというのである。つまり、俗な言葉で言えば、我々人類は成り上がりものだというわけである。ハラリ氏によれば、人間以外の食物連鎖の頂点にある動物はみな堂々としていると言う。そういえば、ライオンや虎は確かに堂々としている。猛禽類が高い梢にとまって辺りを睥睨しているさまも威厳に満ちている。人間は彼らに比べると風格に欠けると言われても仕方がないように思う。いつも辺りをきょろきょろと見まわし、計算高く立ち回ってい...迷うのは人間だけ

  • ブラフマンの夢

    いろんな人と議論する中で、「この世界はブラフマンの夢である」というようなことを言う人がいた。一人だけではなく、二度同じ趣旨のことを聞いたので、そのような通説が流通しているのだろう。しかし、それが夢であるというなら、その夢を見ているのは間違いなく私である。この世界がブラフマンの夢であるなら、ブラフマンとは私のことでなければならない。そのうちの一人が言うには、ブラフマンはわれわれを超越した存在で、その夢の中の登場人物さえも意志を持つのだと言う。だとしたら、夢の中の登場人物に過ぎない我々が、どうしてその超越者について知ることができるのだろうか。そもそも、それを「夢」という言葉で表現すべきではない。「ブラフマンは世界を創造している」というべきだろう。「この世界はブラフマンの夢である」とはロマンチックな表現だが、哲学とは...ブラフマンの夢

  • 後の祭りと自由

    前回記事では、「未来は決定している」という言葉の意味を誰も理解できない、というような直感的にはちょっと受け入れがたいようなことを述べた。御坊哲はまた変な理屈をこねているだけではないのか、と思われた人がいるかもしれない。もう少しそのことを実感できるような例について考えてみよう。大学入試の合否判定は教授会の合否判定会議で決定する。判定はたいてい合格発表の前日以前に決定しているのが通例である。だから、合格発表当日には「既に合否は決定している」わけである。ところが、発表当日に孫娘が掲示板を見に行った時、おばあちゃんは仏壇の前に座って、ご先祖様と仏さまに「どうか孫娘を合格させてやってください。」と、孫娘が電話で結果を知らせてくるまで祈り続けていたのである。おばあちゃんは「既に合否は決定している」ことは知っていたと言う。知...後の祭りと自由

  • 「未来は決定している」という言葉の意味

    日本を代表する哲学者である大森荘蔵は「決定論の論理と自由」という論考の中で「空虚な決定論」ということについて論じている。その一部を引用してみよう。≪伏せて重ねたトランプを見て、「一番上の札がなんであるかは知らないが、なんであるかはきまっている」という時、一体何が言われているのだろうか。この言葉を聞いて、それを聞かない前に比べて、私の知識が些かでも増しただろうか。この言葉はどんな情報を伝えようとしているのだろうか。元来、この言葉にはなんの情報も含まれていないのではないだろうか。私にはそう思える。‥‥‥‥≫ということで、このような言明について大森は「経験的に無内容」であると表現している。一体、哲学者は何を言っているのか?大森は「伏せてあるトランプの一番上の札がなんであるかは開く前から決まっている。」という言葉の意味...「未来は決定している」という言葉の意味

  • そういうふうにできている

    新生児の顔を覗き込むと、「ニカッ」と笑うことがある。その笑顔を見せられると、どんな人も心和ませられるものがある。おそらく、赤ちゃんの笑顔に抵抗できる人などいないだろう。しかし、学者に言わせると、あれは反射なのだそうだ。赤ちゃんは面白くて笑っているわけではなく、大人が顔を覗き込むと反射的に笑うことになっているというのである。「『自分が笑うことで周囲が易しくしてくれる』という、赤ちゃんなりの自己防衛手段だと考えられています。」このような説明の仕方をされると、まるで自分が赤ちゃんにだまされているようである。「反射」と言う言葉には意思を伴わない「機械的」な反応というニュアンスがあるからだろう。進化論的見地から言えば学者は言うことは当たっているのだろうが、私に言わせれば、この「反射」こそが人間の根源ではないかと思うのであ...そういうふうにできている

  • 小林秀雄小論(中原中也)読んで

    中原中也の手による「小林秀雄小論」なるものがある。(原文はこちら==>「青空文庫・小林秀雄小論」)私は自分でも中原のかなりのファンであることを自認しているが、この小論に関しては天才詩人の書いたお粗末な散文としか思えない。内容はまったく意味不明である。ただ小林秀雄に対する悪意だけが明瞭に読み取れる。小林は自分の恋人を寝取った男だから、憎いと思うのは当然だろう。しかし、文学者であるなら、自分の文章に対してはもっと誠実でなくてはならないように思う。小林秀雄を批判したいのならもっと率直に批判すれば良いのであって、ヴァニティがどうたらこうたら小理屈をこねるのは、子供の見え透いた負け惜しみにしか見えない。この文章を、小林の「中原中也の思ひ出」とを比べると、どうしても中原の未熟さが際立っているように見える。もし私が長谷川泰子...小林秀雄小論(中原中也)読んで

  • 無常という気づき

    仏教では無常ということをよく言いますが、これは結局「神さまはいない」ということではないかと思います。神という超越者がいてすべてを差配しているなら、この世はあるべき規矩におさまっているわけです。そして、人間なら人間、犬なら犬、猫なら猫、それなりの本質というものが神から与えられているということになるでしょう。しかし、仏教においてはそういうものを企画する超越者を想定しないのです。つまり、人間も犬も自然が設計図も何もないまま偶然につくりあげたものに過ぎない。設計図がないということは人間の人間たる本質も存在しないということです。永い時間が経過すればどんどん変容していくでしょう。祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。たけき者も遂にはほ...無常という気づき

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