chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
禅的哲学 https://blog.goo.ne.jp/gorian21

禅的視座から哲学をすると、こんな景色が見えてくるのではないだろうか。

私は禅者ではありません、仏教者でさえありませんが、多少ものを見る目はもっていると自負しております。

御坊哲
フォロー
住所
港南区
出身
御坊市
ブログ村参加

2013/12/07

  • 宇宙は無限か?

    大抵の人は宇宙は空間的にも時間的にも無限であると考えているのではないだろうか?実は私もそう考えていた。宇宙に果てがあるとしたらその先はどうなっているだろうと考えてしまうし、宇宙に始まりがあるとしたら始まる前はどうなっていたのだろうと考えてしまう。それはいくら考えてもきりが無い、いくら考えてもその先があって限りがないから「無限」というのだろう。それが無限の字義であるとするなら「宇宙は無限」はまさしく正しいのである。ここで一つ考えねばならないことがある。実際の物理空間としての宇宙に果てがあるかどうかの決定は実際に観測しなければ分からないことであるということだ。しかしよくよく反省してみれば私達が宇宙の果てについて考える時は、結局いつも観念上で考えているだけだということである。つまり、それはいわば「自分の内なる宇...宇宙は無限か?

  • スマイルアップの言い分は子どもの屁理屈

    3月31日の記事で、BBC報道によるスマイルアップ社の東山社長の談話について非難したが、スマイルアップ側は「発言の一部のみを切り取って印象操作している」とBBCに抗議したらしい。以下はYAHOOニュースから引用≪東山氏は誹謗中傷する人たちに言うことはないかを問われ、「言論の自由もあると思う。僕は別に誹謗中傷を推奨しているわけでもなく、多分その人にとってはそれが正義の意見なんだと思うときもあります」と発言。SMILEは取材後、この発言部分を省略すると誤解を招くことから、「発言の一部のみを切り取って放送されることがないよう」と伝えていたが、番組内容と取材時に録音した音声を比較検証した結果、「なるべくなら誹謗中傷はなくしていきたいと僕自身も思っています」との発言が省略されており、視聴者への印象操作だと指摘。放送...スマイルアップの言い分は子どもの屁理屈

  • 春の野草 その2 ウラシマソウ

    ウラシマソウという野草をご存じでしょうか?約十年前ほど前だったと思います、逗子から三浦半島を横断して横須賀目指してハイキング中のことです。道端で5,6人の人が地面を眺めながらお話ししている場面に出くわしました。私が「どうかしましたか?」と声をかけると、その中の中心にいた人が「ウラシマソウですよ。」と答えてくれました。この花みたいなものから伸びているひげが釣り糸のように見えるので、浦島太郎になぞらえてウラシマソウと呼ばれているのだとも教えてくれました。それから、黒紫色の花らしきものは仏炎苞と言ってミズバショウの白い部分に相当する、そしてその中に花びらがなくてオシベまたはめしべだけの小さな粒のような花が花軸の周りに沢山ついているのもミズバショウと同じである、とていねいに説明してくれたのです。その時私はとても珍...春の野草その2ウラシマソウ

  • 春の野草

    ネフローゼ症候群については3カ月前に寛解と告げられた私だが、当分は慢性腎臓病患者を続けなければならないらしい。いまだに主治医からはランニングや筋トレの許可が出ない。なので毎日ウォーキングに精出しています。ただ平地を歩くだけでは負荷が少ないので、最近は近くの円海山へ日参しています。円海山は山と言っても海抜150メートルほどふもとからの標高差は100mもありません。リハビリには手ごろな山です。今はちょうど時候も良く、暖かな日差しを浴びながら豊かな緑の中を歩くのは非常に気持ちが良いものです。毎日同じ道を歩いていると、道端のひとつひとつの野草についてもなんとなく愛着を感じるようになってきました。しかし、日頃よく見かける草なのに私はそれらの名前を存じて無いのです。この歳になるまでそういうことに無頓着に生きてきた。ま...春の野草

  • 「嘘」に見る東西道徳観の違い

    「うそつき」という語感について、日本人と西洋人の語感はずいぶん違うらしい。若い日本人のカップルがデートしているとする。男性がなにか冗談を言ったとき、女性は笑いながら、「んもぅっ、哲のうそつき!」とか言って、男の上腕をたたく。こんな情景はいかにもありそうである。しかし、この男がもしアメリカ人だったら、「うそつき」と言われた瞬間顔が少しこわばるかもしれない。女性は「もうっ、ジョーったらジョークばっかり」とでも言った方がいいだろう。西洋人に対して「うそつき」と言うのはかなりの罵り言葉である。「うそをついてはいけない」というのは洋の東西を問わない普遍的な戒律である。不妄語戒はキリスト教の十戒にも仏教の五戒にもちゃんと含まれている。しかしその受け止め方はずいぶん違うように見受けられる。どう考えてみても西洋の方が厳格...「嘘」に見る東西道徳観の違い

  • 大谷翔平と Shohei Ohtani は別人なのか?

    昨日やっと大谷選手のホームランが出てほっとした人が多かったのではなかろうか。私もその一人である。それはそれで良いのだが、このホームランボールの帰属についてここでまた微妙な問題が持ち上がっているということをご存じだろうか。この問題について日本側ではまず次のように報じられた。≪試合後、ホームランボールは戻ってきたのか問われた大谷選手は「戻ってファンの人と話して、いただけるということだった。僕にとっては特別なボールなので、ありがたい」と説明し、ファンには代わりに「ボールとハット2個とバット1本ですね。サインを書きました」とプレゼントを手渡したことを明かしました。≫(==>「特別なボール」大谷翔平移籍第1号記念ボールはファンと交渉し本人の元へ)ホームラン・ボールをキャッチしたのはローマンさんという女性で昔からのド...大谷翔平とShoheiOhtaniは別人なのか?

  • 他人をさしたる根拠もなく誹謗中傷する自由などない、ましてやそれが正義などということはない

    昨夜のTBS「報道特集」を見て、「ああこれは物議をかもすにちがいない」と思った。既にご存じの方も多いかと思うが、イギリスのBBCのジャニーズ性加害問題第二弾における、山紀之氏のインタビューの内容である。ジャニー喜多川氏による性被害を訴えた男性が誹謗中傷で自死した件についてその妻は、「旧ジャニーズ事務所が『虚偽のケースがある』と発表した後から誹謗中傷が増えた」とBBCの取材記者に訴えた。彼女によれば、殺害予告を受けたり、家族の情報をネット上にさらされたりもしたそうである。(旧ジャニーズ事務所の発した)メッセージが中傷を助長したのではないかという指摘に対して、東山氏は「僕はそのように感じていません。言論の自由もあると思うんですよね。ぼくは別に誹謗中傷を推奨しているわけではなくたぶんその人にとってはそれが正義な...他人をさしたる根拠もなく誹謗中傷する自由などない、ましてやそれが正義などということはない

  • 大谷声明の衝撃と必ずしも楽観的ではない今後の推移

    先ほど水原氏の賭博問題に関する大谷選手の声明を聞いたが、その内容に驚いている。それによれば、水原氏が大谷のあずかり知らぬところで彼の金を盗んだということになり、れっきとした窃盗である。しかも、大谷に対してはすぐばれてしまうような大ウソをついていたことになる。おそらく、日本人の多くは彼の釈明を聞いて胸をなでおろしたことだろう。彼が賭博にも違法な送金にもかかわっていないことがこれではっきりしたのだから。私もその一人である。私はてっきり彼が水原氏を助けるために借金の肩代わりをして上げたのだと思っていたのだが、あらためて彼自身の口から事実はそうではないということを聞いて安堵した。だが、客観的な事実を並べていくと彼の言い分は必ずしも受け入れやすい話ではない。それでも私が大谷のいうことを信じることができるのは、多分同...大谷声明の衝撃と必ずしも楽観的ではない今後の推移

  • 経過は順調だが‥‥

    (今回は病気の話です。多分面白くないと思います。腎臓が丈夫な方にはこの記事をスルーすることをお勧めします。)先週14日が今年2回目の受診日でした。尿中蛋白はほぼ正常値となり、血中アルブミンも少しずつ改善して正常値まであと一息です。なので毎日のステロイド投与量も2.5mg減らしてもらって12.5mgとなりました。検査結果から見ればすべては順調に推移しているのですが、気にかかることが2点あります。その一つはステロイドのの副作用です。上記の表を見てもらえばわかりますが、ステロイドの摂取量はだんだん少なくなっていますが、副作用の方はむしろ顕著になっているという実感があります。ネフローゼ症候群というのは、タンパクが尿から漏れ出すので血中アルブミン濃度が薄くなる、そうすると浸透圧の関係で血液中の水分が血管外に漏れ...経過は順調だが‥‥

  • 大谷は自分の口で真実を語る方がよい

    MLBの大谷選手の通訳である水原氏がドジャーズから解雇された。その解雇理由がとても分かりにくい。「大谷選手の金を盗んだ。」と言っているようだが、どうも歯切れが悪いと言うか、説明が全然整合的でない。それよりは、開幕第一線の後に水原氏が自ら告白した内容の方が自然で筋か通っている。つまり、水原氏が悪質なギャンブル詐欺に引っかかって莫大な借金を背負ってしまい、こわもての兄さんに返済を迫られて大谷に泣きついた。泣きつかれた大谷は仕方なく借金の肩代わりをして上げた。そういう話だろう。大谷としては善意で水谷氏を助けてあげただけの話だ。その話を聞いた球団関係者は目をむいた筈だ。大谷は善意のつもりでも、振り込んだ金は不正な取引による不正な金である。それを自らの手で振り込んだとなると、大谷自身がその不正取引の中の当事者になっ...大谷は自分の口で真実を語る方がよい

  • 「進化する」と言うが、いったい何が進化しているのか?

    ダーウィンの進化論は自然科学において、ニュートンの万有引力の法則と並んで最も重要な発見であるとされている。思想史的に見ても、私達の世界観にこれほど大きな衝撃を与えた学説は他にないと言ってもよいのではないかと思う。ところが、未だに「猿が人間に進化した」とか「キリンは高い枝の葉っぱが食べられるよう首が長くなった」式の説明が堂々とまかり通っている。多分「進化」という言葉がいけないのだと思う。進化という言葉を使うのなら、進化する主体というものががなければならないはず。しかし、そんなものはないのである。下の図を見て欲しい。この絵を見ると、まるで猿が人間に変化していくように見える。しかし、そうではないのである。この図の中に変化などしているものはない。ここに描かれているものは一つひとつがそれぞれ別個の個体であり、猿とし...「進化する」と言うが、いったい何が進化しているのか?

  • 100分de名著「偶然性・アイロニー・連帯」

    NHK「100分de名著」という番組の2月のテーマは私はリチャード・ローティの「偶然性・アイロニー・連帯」であった。私はローティという哲学者のことは全然知らなかったのであるが、朱喜哲先生の説明を聞いて、とても偉い人であると思った。と同時に、その根底にある思想は仏教に通底しているとも感じた。ここでローティの言う「偶然性」という言葉について考えてみよう。随分前の話になるが、あるテレビの番組における若者の投げかけた「なぜ人を殺してはいけないのか?」という問いが大きな波紋を呼んだことがある。結局決定的な結論には至らず今も問題は宙に浮いたままである。しかし、どう考えてみても「人を殺してはいけない」という結論は理屈では導き出せない。現実に人類は正義の名のもとに盛大な人殺しを繰り返してきたのだから、「人殺しは必ずしも悪...100分de名著「偶然性・アイロニー・連帯」

  • 遅ればせながら大台達成

    私は2015年7月から横浜市主催の「よこはまウォーキングポイント」運動に参加しています。(参照=>「来年の目標」)当該記事を読んでもらえば分かるように、三千万歩の大台まであと約260万歩というところまで来ていました。当時の私は年間約三百万歩以上のペースで歩いていたので、早ければ八月遅くとも10月には大台クリアできると思って、それを2023年度の目標としたのでした。ところが昨年の2月頃から体調が思わしくなくなり、既にご報告の通りネフローゼ症候群という難病に罹ったため昨年度中の目標達成はとん挫せざるを得ませんでした。年が明けて病気も一応緩解ということになり、少しずつペースを取り戻しています。そんなわけで約半年遅れましたが、本日やっと三千万歩の大台に達することができました。次の目標は82歳までに五千万歩達成を目...遅ればせながら大台達成

  • 塩分の摂取コントロールはとても重要

    1月20日の記事にて、一次性ネフローゼ症候群については緩解したとのことをすでにお伝えしてありますが、まだまだ完治にはほど遠いのが実情です。2カ月ごとに経過観察しながら、ぶり返しがなければ徐々にステロイドの摂取量を減らしていく、というプロセスが順調にいってあと一年は続く見込みです。どんな病気でもそうだと思いますが、腎臓病で特に問題になるのは食事制限です。私の場合特に留意するように言われているのが、一日に「塩分とタンパク質の摂取量をそれぞれ6gと50g」以下に抑える事です。平均的な日本人の一日の食塩摂取量は約10gほどであると言われています。私はアジの開きにさらに醤油をかけて食べていた口ですので、おそらく1日に15~20gぐらいの塩分をとっていたのではないかと思っています。漫然とした食生活を送っていると、とて...塩分の摂取コントロールはとても重要

  • 日本はUNRWA(国連パレスチナ難民救済事業機関)を支援し続けるべし

    ≪UNRWAは第一次中東戦争後、1949年12月8日に採択された国連総会決議302(IV)により、パレスチナ難民のための救済と事業実施を目的として設置され、1950年5月1日に活動を始めました。それから73年、UNRWAはパレスチナ難民の支援と保護を行っています。≫(以上、UNRWAのホームページからの抜粋。)現在ガザのパレスチナ人が悲惨な状態にあることは全世界が周知している。しかし、この事態に重大かつ全面的に責任があるイスラエルとハマスは人々の生存と安全のためにほとんど何の努力もしていないのが実情である。医薬品や食料品のガザ外部からの搬入は全面的にUNRWAなしでは途絶えてしまう。そんな事情を知らない筈はないのに現時点で15か国がUNRWAへの拠出金停止を表明したのだ。しかもその中に日本も含まれているの...日本はUNRWA(国連パレスチナ難民救済事業機関)を支援し続けるべし

  • 実力も運のうち

    普通「運も実力のうち」という言葉はよく聞くが、「実力も運のうち」はあまり聞きなれない言葉である。実はこれはNHKの白熱教室で知られるハーバード大学のマイケル・サンデル教授の新しい著書のタイトルである。私はまだその本を読んでいないので、サンデル先生がどのような意図で「実力も運のうち」と仰っているのかはよく分からないが、よくよく考えてみればなかなか意義深い言葉であるように思えてきた。大谷翔平選手の選手としての報酬は10年間で7億ドルだという。年俸100億円である。それ以外にスポンサー企業からの副収入が70億円もあるらしい。私のような貧乏人には見当もつかない金額だが、金を出す側としては大谷選手にはそれだけの市場価値があると踏んでいるわけである。その市場価値の源泉は、野球選手としての力量、魅力的なパーソナリティや...実力も運のうち

  • 寛解しました

    昨年の9月28日の記事(==>「難病に罹ってしまいました」)で、腎臓病に罹ってしまったことをご報告しましたが、1月18日の受診で主治医の先生から「蛋白/クレアチニン比が0.3を下回りました。寛解です。」と告げられました。あっさり「寛解」と言われたので拍子抜けしてしまいました。検査日9/1810/1911/1612/141/18蛋白/クレアチニン比3.091.300.740.670.26アルブミン2.32.93.53.63.7蛋白/クレアチニン比の正常値は0.15以下だが、0.3を下回れば一応ネフローゼ症状を脱したと見做すらしい。ただ、血中アルブミン濃度(正常値は4.1以上)がまだ低いままなので、寛解と言うほどに回復したという実感は持てないでいる。主治医の先生によれば、この症例にしてはほぼ理想的な回復ぶ...寛解しました

  • この著しい不正義を黙って見過ごしてよいのだろうか?

    最近、2歳の女の子が米国における心臓移植に成功したというニュースが流れた。いたいけな少女がやっと人工心臓から解き放たれたと知って、何となく心が軽くなったような気がする。しかし、米国での心臓手術はとてつもなく費用が掛かる。この手術のために、なんと5億3千万円の寄付金が寄せられたという。小さな命の苦しみをわがことのように受け止めた多くの人々の善意である。人ひとりの命がそれほど重いものと、人々は受け止めているからこそだと思う。一つの命がそれほどいつくしまれている一方で、ガザではいかにも無造作に人々の命が奪われ続けている。イスラエルの自衛戦争の名のもとに、なんら抵抗手段をもたない多くの人々が一方的に殺戮されている。すでに2万人以上の人々の命が失われたという。イスラエル側はテロ組織ハマスの排除の為と言うが、被害者の...この著しい不正義を黙って見過ごしてよいのだろうか?

  • 高額で契約するということがそんなに素晴らしいことなのか?

    大谷選手が10年間で7億ドルというでドジャースと契約したらしい。日本円に換算すると年俸100億円という途方もない金額が10年間保証されたのだという。日本のメディアを通して見ると、みなわがことのようにそのことを喜びそして誇りに思っているように見える。しかし、私にはそれがそんなに素晴らしいことだとはどうしても思えないのである。決して大谷選手が嫌いなわけではない。私もこの好青年が大活躍すると嬉しいというファンの一人である。しかし、共稼ぎの主婦がパートで時給1000円前後で生活の為に必死に働いている一方で、青年が好きな野球をやっているだけで1年間に100億円も稼ぐ、ということに私はどうしても引っ掛かりを感じてしまうのである。プロフェッショナルな選手として一つのことに全精力を注ぎむ、それはとても価値のあることだし、...高額で契約するということがそんなに素晴らしいことなのか?

  • 笠置シヅ子に見る一流の矜持

    私は昭和24年生まれの団塊の世代である。で、昨今の朝ドラで話題になっている笠置シヅ子さんのことは小学生の時分から知っていた。と言っても、歌手としてではなくあくまで俳優としてである。私の知っている笠置シヅ子は、お笑いドラマの三枚目的なわき役として起用されることが多かったように記憶している。そんなわけで、漠然と彼女のことを松竹新喜劇出身の人かなぐらいに思っていた。彼女が歌手であったこと、それも一世を風靡した大スターであった、ということを私が知ったのはずっとのちのことである。彼女が歌手を引退したのは昭和31年のこと、私が小学1年生の時である。まだ日本ではそれほどテレビも一般には普及していなかったし、私が彼女が歌手の現役である時代を知らなかったのも当然のことであった。が、私は俳優としての彼女を憶えているほどにはち...笠置シヅ子に見る一流の矜持

  • 分けると分かる

    先月は、「論理とはなにか?」に始まる八回のシリーズで、ロゴス中心主義とそのアンチテーゼとしての仏教的中道思想について解説したつもりだったが、中心テーマになる後半になると閲覧回数が激減してしまった。自分ではかなり力を注いだつもりだったが、もしかしたら独りよがりで稚拙な解説をしてしまったかもしれない。少し未練が残るので、もう一度簡単にまとめてみたい。「分かるとは分けることだ」という言葉がある。もともと「分かる」の語源は「分ける」からきているらしい。まさにこれは核心をつく言葉だと思う。ロゴス中心主義においては「分かる」と「分ける」はほぼ同義と言ってもよい。「ソクラテスは人間である」と言った時、ソクラテスを人間と人間以外に分別しているのである。もちろんいろんな分け方がある。それは男か女か、ギリシャ人であるかどうか...分けると分かる

  • 自分のだめさ加減を思い知らされる

    9月28日の「難病に罹ってしまいました」という記事で、腎臓病はわたしに向いてるというようないかにも達観しているような趣旨のことを述べた。なにしろ普段から、空だ無だの一見偉そうなことを述べている私のことであるから、「さすがに御坊哲は悟っているんだろう」くらいに思った人もいるかもしれない。としたらそれは飛んだ見当違いなので、ここで読者の皆さんの誤解は解いておきたい。私はどちらかと言えばダメダメの落ちこぼれ老人で、ヒマにあかせて言いたいことをブログでぶちまけているだけ、という感じに受け止めてもらえば私も気が楽である。腎臓病が私に向いているというのはある程度本当のことである。常に体はだるいが、なんの気負いもなくだらだらと過ごしていれば別に苦しくとも何ともない。平地をただゆっくりと自分のペースで歩くにはなんの支障も...自分のだめさ加減を思い知らされる

  • 性同一障害とはなにか? そんなものが本当にあるのだろうか?

    前回記事の手ごたえがいまいちで、あまり真意が伝わっていないような気がするので、もう少ししつこく説明させていただきたい。言葉と論理はわたしたちの日常生活には必要不可欠ではあるが、基本的に2値選択の組み合わせによって構成されているし、そこから出てくる結果も、真か偽か、有るか無いか、やるかやらないか、敵か味方かと言った2項対立でしかない。夕食のおかずはどうするかとか、子ども達の三角ベースのチーム分けをどうするかと言ったようなことなら、さほど問題はない。しかし、あまりにも微妙な要素が複雑に絡み合った、例えば倫理的要素の絡む問題などを単純な言葉と論理に当て嵌めると微妙なニュアンスがすべて捨象されてしまって、とんでもない結論に至ってしまうことが多いのである。中道とか中庸と言うのは、そのような二項対立に陥ることなく、も...性同一障害とはなにか?そんなものが本当にあるのだろうか?

  • 空観から中道思想へ(前回記事からの続き)

    前回記事で「日本一低い山などというものも、恣意的視点を受け入れればいくらでも作り出せる。」と述べたが、なにもそれは「日本一低い山」に限ったことではなく、いかなる概念についても言えることである。正義や善についてもまた然りである。現に、世界中至るところで正義同士が悪辣なことをしでかしている例は枚挙にいとまないほどである。プラトンの言うように正義や善のイデア・本質というものがあるのであれば、こんなことはあり得ない。正義は一義的に決定しているはずである。龍樹はなにごともそれ独自で存在するすることはなく、それは縁起によって生じるものであると言う。縁起と言うのは日常語においては、「時間的な継起・因果関係」のようなニュアンスがあるが、日本仏教学の権威である中村元博士は「龍樹がいう縁起とは相依性のことである」と述べている...空観から中道思想へ(前回記事からの続き)

  • ロゴス中心主義と仏教的無常観 (つづきのつづき)

    もう少し無常ということについて考えてみよう。なぜ仏教では世界は無常であるというのだろうか。多分それは、そう考えるのが自然だからだと思う。無常でないとするならば、そこには収束点とか目標というようななんらかの固定的な規矩が存在するということになる。そこで例えば、もし人間のイデアというそのような固定的なものが本当に存在するのなら、それにはこういう形でこういう性質を持ったものが必要であるというような、超越的な意思(それを神と言うのだろう)がなくてはならなかったはずだ。キリスト教の新約聖書は「始めに言葉(logos)ありき」で始まっている。なにもかも神の理性から始まっているということがキリスト教の根本である。それに対し、仏教ではそのような超越的な意志は一切前提しない。釈尊はこの世があまりにも儚いことから、それを差配...ロゴス中心主義と仏教的無常観(つづきのつづき)

  • ロゴス中心主義と仏教的無常観 (前回記事のつづき)

    「言葉には指示対象としての意味はない」と言われても、大概の人はすんなりそれを認める気にはならないだろう。それは無理もないことである。誰もが「赤」という言葉に夕焼けの真っ赤な色という意味を込めているからである。その言葉を受け止める方も「赤」と聞けば、みごとに紅葉したもみじの色を思い浮かべるだろう。問題は各人が各々自分の私秘的な感覚(クォリア)を「赤」という言葉の指示対象であると思い込んでいることである。お互いに自分の「赤」のクォリアを照合しあっているわけではないということに留意しなければならない。その場で使用される「赤」という言葉の正当性を支えているのは、お互いがめいめい勝手に思っている意味としての赤のクォリアなどではなく、同じ赤のクォリアを見ているという思い込みだけである。決して秘私的な各人のクォリアが本...ロゴス中心主義と仏教的無常観(前回記事のつづき)

  • ロゴス中心主義と仏教的無常観

    いくら言葉を重ねてみても人の心は語りつくせねぇもんさ、そいつを口に出しちゃ味ない味ない。by長谷川平蔵(「鬼平犯科帳」より)新約聖書「ヨハネによる福音書」第1章の冒頭は「始めに言葉ありき」で始まっている。ここで「言葉」と日本語訳された部分のギリシャ語のもとの言葉はlogosであり、それは神の言葉=理性の意味である。英語のlogicもこの辺が語源であろうと考えられる。言葉と論理の近さを象徴しているという意味で非常に興味深いことである。ロゴス中心主義というのは、言葉と論理によってこの世界をすべて語りつくすことができるという考え方のことを言うのだろう。さて、いままで「論理は絶対正しいみたい」なことを言っておきながらなんだが、ここらへんで少しちゃぶ台返しをしたいと思う。古代インドの哲学者ナーガルジュナは大乗仏教の...ロゴス中心主義と仏教的無常観

  • 不完全だからと言って、欠陥があるわけではない。

    前回記事において、正しさの源泉論理であるみたいなことを述べたのだが、ある方から不完全性定理が私たちの信念体系に脅威を与えているかのような意見を頂いた。不完全性定理については「すべての理論は不完全である。したがって、あらゆることの根拠が疑わしい。」式の誤った理解が一般に流布されているような気がするので、そのことに注意を喚起しておきたいと思います。不完全性定理というのは、第一と第二があって、かいつまんで言うと次のようなものです。〇第一不完全性定理:無矛盾な自然数論を含む形式体系(普通の数学理論のこと)には証明も反証も出来ない命題が存在する。〇第二不完全性定理:無矛盾な自然数論を含む形式体系について、その無矛盾性をその体系内において証明することはできない。第一不完全性定理の「証明も反証も出来ない命題」を仮に命題...不完全だからと言って、欠陥があるわけではない。

  • 論理と理論

    (自分でも七面倒くさい話を始めたなと思い半分後悔しています。話が面白くないと感じた方は遠慮なく読み飛ばして下さい。本題はまだまだ先の方です。)日本語の日常会話において、論理と理論はほとんど区別がなされていないというのが実情だろう。「君の話は全然論理的ではない。」という言葉の「論理的」を「理論的」に置き換えても意味は同じである。話のすじみちとして納得できるば、それは論理的であり理論的であるということになるのだろう。しかし、「論理」も「理論」もどちらも本来の日本語にはなかった言葉で、江戸末期または明治の初めに西洋の思想を思想を取り入れる必要にせまられてつくった翻訳語でであることを忘れてはならない。論理はlogic、理論はtheoryであり、これらはれっきとした別概念である。理論(theory)というのは自然科...論理と理論

  • 論理とはなにか?

    「論理」という言葉は元々の日本語にはなく、英語で言う「logic」の翻訳語である。辞書で調べてみると、次のようになっている。OxfordLanguagesの定義·詳細①議論の筋道・筋立て。比喩的に、物事の法則的なつながり。②「論理学」の略。また、一つの論理学が立つ体系。大体は上のような説明でほとんどの人が納得するのではないかと思う。しかし、具体的に論理がどのように自分の思考に関わっているかということを意識する人はあまりいない。私が「私たちは論理によってしかものを考えることが出来ない。」と言うと意外な顔をする人が多い。実際に私たちは非論理的なことを考えることは出来ないのである。私たちの思考は単純な論理法則によって厳格に支配されていて、決して矛盾したことを考えることが出来ない仕組みになっている。例えば三段論法...論理とはなにか?

  • 日本の看護師のモラルの高さ

    入院している患者は大抵不安を抱えているものである。それに、相部屋になっても隣の患者との会話というものもほとんどない。患者と言葉を交わす相手は看護師しかいないのである。患者が看護師に多少甘えたくなるのもある程度やむを得ないと思う。孤独に耐えかねた患者はできるだけ看護師を自分の所に引き留めようとして、やってくる看護師ごとに毎回同じ話をしたりしている。そのくせ、最後には「お忙しいところを引き留めてすみませんねぇ」と殊勝な言い訳したりするのは可愛い方である。中には、居丈高に若い看護師に説教しだす人もいたりする。入院してきたばかりの患者に、担当看護士が「明日の朝いちばんに採血を行います。」と告げた。そしてその翌朝のこと、その看護師は予告通り採血に来て処理し終えたのだが、その患者は「あのね、普通世間一般の常識ではね、...日本の看護師のモラルの高さ

  • 難病に罹ってしまいました。

    長いことブログをほったらかしていたので、「もしかしたら、‥‥」と思った方がいるかもしれませんね。私はまあ何とか生きています。実は、8月21日から9月19日までの約一か月間入院していました。退院してから十日間経ってやっとブログに向かう気力がわいてきたところです。今年の春ごろから異変は生じていました。小便が異様に泡立ち始めたのです。私は血圧コントロールの為に毎月1回かかりつけ医に通っている。5月の健診時にそのことについて先生に訴えたところ、「御坊さんの4月の血液検査の数値は安定していて、腎臓にも今のところは問題はないと思います。」という返事が返ってきた。この先生は人間はとてもいい人なんだが医者としては少し頼りないと思っていた私は些釈然としない思いでその場は引き下がった。そして、翌月5月の健診の帰り際に先生が「...難病に罹ってしまいました。

  • 「世界」は存在しない

    マルクス・ガブリエルは「あらゆるものをその中に含んでいる一つの世界というものは存在しない。」と言う。少し注釈が必要だろう。彼は宇宙と世界という言葉を使い分けていて、宇宙の存在については否定していない。宇宙はすべての物質が自然法則に従って運動している場である。いわば客観的な世界と呼んでもいいかもしれない。しかし「世界」はもっと大きく、われわれの意識的な主観現象も含め、ありとあらゆるものを包摂すると考えられるからである。しかし、科学技術の発展に伴い科学万能主義がはびこると、人々は「宇宙=世界」だと錯覚するようになった。自然主義哲学というのは科学と哲学に境界を認めない考え方で、あらゆることが自然科学の対象となりうるという考え方である。痛みだとか美しい花の色だとか異性に引かれる切ない気持ちなどという、もろもろの意...「世界」は存在しない

  • 一日作さざれば一日食らわず

    百丈慧海禅師の有名な言葉である。とても有名な言葉なので、その言葉にまつわる故事は省略する。(その故事についての解説はこちらを参照してください==>「一日作さざれば一日食らわず」)百丈禅師というのは唐代の大禅匠であるが、「百丈清規(しんぎ)」という禅林の修道生活全般にわたる規範を取り決めた人である。残念ながら百丈清規はその後散逸してしまい、今となってはその全貌を伺うことは出来ないが、現在の僧堂の運用の基礎として残っている。禅林では修行者の日課とその役割が事細かく決められている。各々が自分の役割分担をそれぞれ果たすことによって、はじめて禅林は一個の有機的な集合体として機能するのである。百丈は自立した持続可能な禅林というものを目指していた、千年以上もの昔に今でいうところの「SDGs」を意識していたすごい人なので...一日作さざれば一日食らわず

  • 意味は言葉をすり抜ける?

    前回記事では私の表現方法がつたなくて、記事を読んでいただいた人になかなか意味が伝わらなかったような気がするので、もう少し言葉というものについて掘り下げてみたい。言葉はわたしたちの思考を支えるものであるから、無意識に使用できるほどのものでなくてはならない。いちいち吟味しながら言葉を選ばなくてはならないようでは用をなさないのである。つまり逆に言えば、あたかも「言葉=思考」のごとくであるかのように言葉を使用している。つまり言葉を発した時には、既にもうその言葉は発言者にとって自家薬籠中のものであり、いささかの迷いもなくその言葉を使用しているのである。受け手側もそのような前提に立って言葉を受け取る。だから、「大谷翔平はまた新たな金字塔を打ち建てた。」と言われても、「金字塔って何?」と話の腰を折ったりしない。状況から...意味は言葉をすり抜ける?

  • 「愛」が多すぎる?

    「らんまん」は植物学者・牧野富太郎先生の伝記をもとにした物語である。私は毎朝NHKでこのドラマを見ている。が、少し気になるのはその主題歌のことである。やたら「愛を愛を・・愛して・・」と「愛」が多過ぎるのだ。楽曲そのものは悪くない。才能のある人が作っているのだろう。だから私がつけるケチに対して反発を感じる人も多いかも知れない。しかし、実際にその歌を傾聴すればするほど「いったい何を歌っているのだ?」と言いたくなるほど意味が分からなくなり、連発される「愛」に対して反発したくなる。「愛」というのは本来の日本語つまり大和言葉ではない。もともとは仏教用語として伝来したものに対して、明治時代に"love"の翻訳語として転用されるようになったのである。仏教用語としての「愛」は愛欲すなわち煩悩の一種であり、歌に歌われるよう...「愛」が多すぎる?

  • 著しく正義に悖る

    いわゆる「袴田事件」の再審公判において、検察側は有罪立証する方針であるらしい。本日(7/10)中にもその方針が、再審公判が行われる静岡地裁に伝えるとみられている。この事件についてはいろんな人がその研究結果を発表しているが、それらを読む限りこれは冤罪以外のなにものでもないとしか思えない。なぜ袴田さんが事件の容疑者として浮かび上がったか?それは、元プロボクサーだったから。「ボクシングやるような粗野な奴だから‥‥」というイメージによる思い込み以外に、彼を犯人と決めつける要素は何もなかったのである。彼にとって有利な証拠をすべて避けるような不自然なストーリーがでっち上げられ、そのストーリーに沿って証言を誘導していった。そうとしか考えられない。そして唯一の決め手となる物証がなんと逮捕から約1年後にみそタンク内で見つか...著しく正義に悖る

  • 禅的真理観

    一般に科学とは現象の背後にある真理を追究するものと考えられている。しかし禅仏教においては、「現前しているものそのものが究極の真理であり、隠されているものなど何もない。」という態度で世界に望むのである。「あるがまま看よ」というのはそういう趣旨の言葉である。望遠鏡のない時代においては天動説が科学的には十分な学説であった。しかし、望遠鏡が発明され観測技術が進歩すると、天動説ではどうしても説明できないことが色々とあらわになってくる。結局現在では地動説が正しいということが常識となっている。しかし忘れてはならないのは、天動説も地動説も同じ「この世界」についての説明であるということである。天動説から地動説に代わっても「この世界」は依然として同じ世界であるということを忘れてはならない。そのことを指して、禅仏教では「有るが...禅的真理観

ブログリーダー」を活用して、御坊哲さんをフォローしませんか?

ハンドル名
御坊哲さん
ブログタイトル
禅的哲学
フォロー
禅的哲学

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用