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禅的哲学 https://blog.goo.ne.jp/gorian21

禅的視座から哲学をすると、こんな景色が見えてくるのではないだろうか。

私は禅者ではありません、仏教者でさえありませんが、多少ものを見る目はもっていると自負しております。

御坊哲
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2013/12/07

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  • この世界は信じることによって成り立っている (その2)

    前回記事では科学理論というのは帰納法と演繹法によって組み立てられているというようなことを述べました。確実な事実からの帰納と論理的な演繹からなる科学は正しいもの、そのように18世紀の人々は思っておりました。しかし、イギリスの哲学者(歴史学者でもある)デイヴィッド・ヒュームが、「帰納法は論理的に正しいとは言えない」と言い出したのです。科学というのはいろんな事象を整理して、「こういう場合にはこういうことが起こる」という法則を見出す学問です。具体的に事例から導き出した一般法則を他の事例に適用できるためには、「同じ条件なら同じことが起こる」ということが前提でなければなりません。その前提を自然の斉一性と言います。ウィキペディアには次のように記述されています。≪自然の斉一性原理≫「自然界で起きる出来事は全くデタラメに生...この世界は信じることによって成り立っている(その2)

  • この世界は信じることによって成り立っている (その1)

    ある哲学系のSNSで「私たちは科学を(宗教を信じるように)信じている」と述べたら、ほとんどのメンバーから反発を食らってしまった。「信じる」と言う言葉には“根拠なしに゛とか“盲目的に゛というようなニュアンスを感じるのだろう。そういう意味で科学は「信じる」対象以上のものだと感じているのだと思う。しかし、現代哲学では「私たちのほとんどが科学を信じている」ということは常識と言ってもいいほどなのである。ここで私が「信じる」と言っているのは、「理性的にはそうではないと疑う余地があるにもかかわらず、感性的にはそうであると認めてしまっている」そういう状態を指します。分かりやすい例えで言うと、あなたが道を歩いている時、一歩一歩踏み進むその足をちゃんと地面が支えてくれると信じているはずです。もしかしたら、その歩道のブロックは...この世界は信じることによって成り立っている(その1)

  • 禅的現象学 その5 純粋経験とはなにか? その問題点

    前回記事では、唯一の実在である意識現象が純粋経験であると述べた。しかし、あらためて第一編「純粋経験」を読みだすと多少の戸惑いをおぼえることになる。西田はP.20(※ページ数は岩波文庫版のもの)で次のように述べている。≪元来経験に内外のべつあるのではない。表象であっても感覚と厳密に結合している時には直に一つの経験である。ただ、これが現在の統一を離れて他の意識と関係する時、もはや現在の経験ではなくして意味となるのである。≫文中の「統一」を精神統一というふうなニュアンスに受け止める人もいるかもしれない。そうすると純粋経験というのは、いわゆるマインドフルネスの状態における意識状態であるというような解釈に行きつく。おそらく禅を通じて西田哲学に興味を持った人の中にはそういう受け止め方をする人が多いのではないかと思う。...禅的現象学その5純粋経験とはなにか?その問題点

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