この日、7時45分頃に宿舎を出ます。利和広場まで歩き、B1路に乗りました。利和広場と開発区を結ぶBRTは、この時間、かなり出ているようです。利和広場からの乗客はそれほど多くありませんが、次の庫充で、かなりの人が乗って来て、何じゃコリア?と思いました。今回は、天
日本では、1年の最後の夜を、除夜と言います。もっとも、除夜の鐘!という時にしか使わないような気もします。中国では「徐夕」と言います。ただ、中国の「徐夕」は、旧暦の年の最後の日、春節の前の日を指します。もともとは、夜、という意味がありましたが、今ではその日一
昌楽だけではありませんが、やっぱり、爛尾楼がありました。安丘にあり、濰坊にあり、臨朐にあって、昌邑にあり、そして、昌楽にもあるということは、これはもう中国全土どこにでもあるということなのでしょう。恐ろしい話だと思います。昌楽の昌城大酒店に宿泊した翌日です
昌楽では、昌城大酒店に泊まりました。この昌城大酒店、昌楽駅のすぐ近くにあります。私の部屋は南側であったので見えませんでしたが、北側の部屋であれば、昌楽駅が一望できます。ここであれば、駅前!と言っても、怒られないでしょう。通常、この高鉄の駅まで来るのが大変
昌楽では、昌城大酒店に泊まりました。今回は、商務大床房という部屋で、一人分の朝食が付いて、198元でした。一応、一人分ということで、チェックインのときに朝食券を1枚もらったのですが、どういう訳か、外出して戻ってくると、部屋の中に朝食券が2枚置かれていました。も
本日、12月31日より「二九」に入りました。「二九」とは、冬至から数えて2番目の9日間のことです。今年の冬至は、12月22日でした。冬至の日の22日から30日までの9日間を「一九」と言います。12月31日から1月8日までの9日間が「二九」です。中国では「数九」と言い、冬至の日
本日、12月31日は、大みそかです。もっとも、日本での話であり、中国では、特別言い方は無いようで、極々普通の日になります。漢字で「三十日」と書いて「みそか」と読みます。「三(み)十(そ)日(か)」です。「十」を「そ」と読むのは、恐らく「と」が訛ったのでしょう。また
昌楽へは、行くのが目的でした。よって、ホテルにチェックインしてしまうと、ミッションコンプリートです。特にすることはありません。部屋にいても仕方ないので、ホテルの近くをプラプラしてみることにしました。夜は寒くて、歩きたくないので、歩くのであれば、昼間のうち
昌楽へ行った日です。この日の前日は、冬至でした。中国の北方では、冬至の日には、餃子を食べることになっています。なお、ここでの餃子とは、水餃子のことです。日本の餃子は「鍋貼(锅贴)」(guo1 tie1/グオティエ)と言いますが、冬至に鍋貼を食べる風習は、聞いたことはあ
昌楽の昌城大酒店に泊まった日、午後3時頃の話です。私の部屋に、電話がかかって来ました。ホテルの部屋にかかって来る電話と言えば、昔は決まって、ムフフな電話でした。そう言えば、このホテルには、マッサージがあるようです。ただ、ムフフにしては、午後3時は、ちょっと
昌楽では、昌城大酒店に泊まりました。三つ星ホテルであるため、当然、四つ星レベルでは無いことは承知しています。ホテルに入って、おお、こんな感じか!と思いました。やっぱり、三つ星は三つ星であり、四つ星は四つ星のようです。いつものように、パスポートを渡し、携程
昌楽のバスターミナルは、昌盛街と方山路の交わる西南の角にありました。方山路側にある出口で降りたため、まずは、昌盛街側に出ます。ターミナルに入る場合は、こちらからになるようです。ちょうど反対側には、佳楽家がありました。濰坊には、どこにでもありますが、佳楽家
乗った場所は、既に昌楽であったので、昌楽へ行くというのは変な言い方ですが、昌楽の県の中心へ行くということです。県の中心のことを「県城」と言います。G206とS102の交わるところで、昌楽のK61路のバスに乗りました。K61路というぐらいですから、本来は、路線バスなので
そうだ、昌楽、行こう!と思いました。どうやって行くかは、ちゃんと予習しております。宿舎から3㎞ほど先、濰徐北路に、崖頭社区というバス停があります。ここから昌楽のK61路が出ているとありました。地図アプリの情報では、ここから10時出発のバスがあるようです。3㎞であ
ちょっと、面白い話を聞きました、というか、読みました。少し前の話です。中国で、東京にある「中華西太后」という中華料理店が、何じゃコリア?になりました。何でも、中華料理のお店でありながら、中国人お断り!という内容の貼り紙を貼っていたのだそうです。これを知っ
先日、淄博市の博山区にある、お客さんのところへ行きました。大きな会社であり、何じゃコリア?と思ったのは、会社の中に、お客さんを接待するレストランがあったことです。本来、食べる予定では無かったのですが、食べていけ!と言うので、私が決めた訳ではありませんが、
そうだ、昌楽、行こう!と思いました。昌楽へ行けば、これで、濰坊とその仲間たちのスタンプラリーが完成します。完成したからと言って、何かいいことがある訳ではありませんが、一応、濰坊の都市は全部回った!と言うことができます。たいしたことではありませんが、全部行
クリスマスは、中国語で「聖誕節(圣诞节)」(sheng4 dan4 jie2/ションダンジエ)と言います。クリスマスイブは、どういう訳か「平安夜」(ping2 an1ye4/ピンアンイェ)になります。そして、恐らく、リンゴは、中国語で「苹果」(ping2 guo3/ピングオ)と言うからなのでしょう。昔
本当かどうかわかりませんが、今、中国で、こう言われているのは本当です。何でも、一線都市の不動産の、賃貸価格が暴落しているのだそうです。一線都市は、中国語では「一線城市(一线城市)」と言います。たまに、これを「一級都市」と訳す人がいますが、間違いです。「一線
先日、会社の忘年会がありました。これを、中国語では「年会」と言います。中国の企業であれば、通常、春節休みの前に行うのですが、うちの会社は、一応、日系の会社ということで、昔から、12月末に行ってきたようです。変なのと思いましたが、特に異議は唱えず、参加しまし
大変です!広州で、135万元のマンションが、80万元になりました
どうも、広州に住んでいる人の話のようです。具体的な地名や、マンション名の記載が無いので、本当かどうか怪しいのですが、こんな記事を見つけました。この人は、2017年に、マンションを購入したのだそうです。今、中国の不動産価格が下がっていますが、よく2019年頃の価格
先日、12月22日は、二十四節気の冬至でした。冬至の日、北方では、餃子を食べると言われます。中国では、冬至に何を食べるのか?ただ、残念ながら、夕食に餃子は出て来ませんでした。よって、翌日、餃子を食べました。また、四川省では、ヒツジを食べると言われています。
路線バスを使い、昌楽へ行く方法を考えていました。結論から言えば、濰徐北路近くの崖頭社区のバス亭から、昌楽の路線バスK61路に乗れば、昌楽のバスターミナルへ行けるようです。そして、どのようなルートを通るのかを確認すると、営丘鎮を通ることがわかりました。営丘って
どうして、今、中国では、合肥の交通警察が問題になっているのか?
交通警察は、通常「交警」(jiao1 jing3/ジアオジン)と呼ばれます。一応、警察ではありますが、交通違反等を取り締まるのが仕事であり、悪いヤツを見つけても、逮捕したりすることはできないようです。今、中国では、安徽省の省都である合肥の交通警察が問題になっています。
そうだ、昌楽、行こう!と思いました。よって、昌楽には、どんなホテルがあるのか探します。そして、昌楽朶美斯頓酒店というホテルを見つけました。「朶美斯頓(朵美斯顿)」(duo3 mei3 si1 dun4/ドゥメイスドゥン)とは、D.MIESTONの音訳のようです。2022年開業ということで、
濰坊とその仲間たちのスタンプラリーも、残すところ、昌楽のみとなりました。よって、そうだ、昌楽、行こう!となります。実は、安丘の宿舎から一番近い隣町は、濰坊ではありません。蓮花山路を西に進むと、濰徐北路に出ますが、その西側は、もう昌楽です。ただ、昌楽も広く
本日、12月22日は、二十四節気の冬至です。昔、冬至は、元旦に次ぐ重要な日であったと言われています。ただ、ここでの元旦とは、旧暦の1月1日を指します。中国では、中華民国になってから、元旦を、日本と同様、新暦の1月1日としました。すると、旧暦の1月1日の呼び方が無く
本日、12月22日は、二十四節気の冬至です。太陽の黄経が270度に達した日とされ、北半球では、昼間の長さが最も短い日になります。冬至から、次の節気である小寒の前日までの約15日を3つに分けたものを、冬至の三候と言います。そして、それぞれにコメントが付けられました。
本日、12月22日は、二十四節気の冬至です。中国語では「冬至」(dong1 zhi4/ドンジ)と読みます。太陽の黄経が270度に達した日とされます。太陰太陽暦では、冬至のある月を、11月としました。旧暦11月は、通常「冬月」と呼ばれます。冬至を含む月だからだと言われています。ち
昌邑から「濰坊昌邑快速公交」を使い、濰坊に戻りました。「北海路北宮街路口北」のバス停で降りたのは、12時35分です。そして、12時38分に、72路バスがやって来ました。ほとんど待つことなく、72路に乗り換えます。次のバス停は「市交通運輸綜合執法支隊」です。以前、艾維
これから、安丘へ帰ります。昌邑の檸檬四季酒店は、11時15分にチェックアウトしました。フロントで、ルームカードを渡すと、これでいいです!と言われます。何かあった場合は、携程が、私のクレジットカードから引き去るという仕組みになっていました。ここから、天水路を南
たいした話ではありませんが、あのレモンホテルだったのか!と思いました。昌邑では、檸檬四季酒店に泊まりました。「檸檬(柠檬)」(ning2 meng2/ニンモン)とは、レモンのことです。よって、英語では「レモンフォーシーズンホテル」という感じなのかもしれません。で、警察か
昌邑では、檸檬四季酒店に宿泊しました。翌朝、朝食を取り、部屋にいるときです。突然、部屋の電話が鳴りました。まあ、電話が鳴るのは、いつも突然です。昔、中国のホテルでは、よく電話がかかってきました。もっとも、ほとんどウフフな電話です。当時は、鬱陶しく感じてお
先日、12月13日は、アレの日でした。中国では「公祭日」と呼ばれています。そのアレの日に、浙江省の台州で、何じゃコリア?という事件が起こりました。なお、台州は、中国語では「台州」(tai1 zhou1/タイジョウ)と読みます。台湾の「台」は、普通「台」(tai2/タイ)と二声な
今回、昌邑で宿泊した檸檬四季酒店は、朝食付きでした。ということで、朝、12階に上がります。11階からは、1つ上がるだけなので階段を使いました。朝食会場に入ってみて、そうだろうなと思います。簡単な食堂でした。もっとも、二つ星ホテルですから、上等です。思っていた以
全福元とは、たしか、寿光が本部のショッピングセンターだったはずです。寿光で、見かけました。そして、昌邑で泊ったホテル、檸檬四季酒店は、全福元のビルにありました。恐らく、この全福元は、昌邑で一番賑やかなところなのでしょう。ホテルの人に聞くと、確かにここが、
昌邑に泊まった日の夜です。何を食べようかなと、外に出ました。今回、宿泊したホテル、檸檬四季酒店は、ショッピングセンター「全福元」の隣にあります。同じビルなのかもしれません。私は、この全福元の界隈が、昌邑で一番の繁華街では無いかと考えています。とにかくすご
女子大生が主語となって、アレの日になんていうと、別のアレを思い浮かべてしまいますが、そのアレではありません。先日、12月13日は、アレの日でした。安丘では、市政府の中で、イベントがあったのかどうかはわかりませんが、変なサイレンもなく、いつもと変わりません。極
今回、昌邑では、檸檬四季酒店に泊まりました。私の部屋は、1108室で、11階にあります。そして、翌朝の朝食は、12階で食べると聞いていました。ということで、12階に行ってみよう!と思います。朝食会場がそれほど気になった訳ではありませんが、どんなところか見てみようと
昌邑では、檸檬四季酒店に泊まりました。チェックインした後、すぐに、昌邑から、安丘へどうやって帰るかを検討します。高鉄は、もうこりごりです。使えないことがわかったので、絶対に使いません。昌邑駅は、使ってはいけないことがわかっただけでも、収穫だったかもしれま
今回、昌邑では、檸檬四季酒店に泊まりました。フロントのお姉さんが手配してくれたのは、1108の部屋です。よって、11階に上がり、1108を目指しました。携程の写真で見ていたので、ある程度、心の準備はしていましたが、実物を見ると、やっぱり、何じゃコリア?です。バスタ
再度借りた自転車で、平安中街を進みます。何だか立派な公園がありました。文化公園と言うようです。そして、平安中街と解放路の角に、昌邑市人民政府がありました。ここら辺が、昌邑市の中心なのでしょう。その解放路を北に向かい、一生懸命漕いでいきました。利民街の表示
最近、ワンタンに、酢を入れても大丈夫?という動画を見かけるようになりました。本人たちは、面白い!と思って、撮影しているのでしょうが、面白いか、面白くないかは別にして、こういう話を「段子」と言います。そして、最近、中国で起きた事件から、この「段子」は生まれ
浩信工業園の門の前で、公共自転車のスタンドを見つけました。ここで、自転車を借りることにします。昌邑の公共自転車は、安丘と同じで、2時間無料でした。もっとも、走り出してすぐに、サドルがずれ落ちて来ます。直しても、またずれ落ちるので、諦めました。安丘では、こん
昌邑駅には、路線バスが来ないことがわかりました。来るのかもしれませんが、2時間後のようです。よって、歩くことにしました。まずは、駅の東側を走る下小路に出て、北に上がります。この道路は、省道221で、その後、国道206になりました。駅の近くには、高鉄の駅の周りなら
高鉄の、昌邑駅に着きました。濰坊北も、昌邑も、高鉄の専用駅になります。簡単に言えば、列車番号の頭が「G」と「D」のものしか走っていません。駅から出て、まずはトイレに行きました。鉄道の駅や、バスターミナルの外には、必ずと言っていいほど公衆トイレがあります。準
濰坊北駅の構内への突入が完了しました。って、安全検査が無事に終わったということです。まずは、トイレに行きましたが、きれいなところでした。やっぱり、きれいなトイレを使うと、気分がよくなります。ここから2階に上がり、列車を待ちました。今回、私が乗るのは、濰坊北
あらあら、やっちゃいましたね、という感じです。下手な冗談は、言わない方がいいと思いました。台湾の歌手で、楊丞琳(杨丞琳)(yang2cheng2 lin2/ヤンチョンリン)さんという人がいます。以前、テレビ番組の中で、抗日戦争について、たった8年!と言ってしまいました。これに
濰坊北駅から、昌邑へ向かいます。この日、乗る予定の列車は、D8151で、濰坊北を12時に出発予定でした。2階の待合室、というか、待合ホールの8Bのところで待ちます。そして、ふと「青濰空鉄快線」と書かれた待合室を見つけました。何じゃコリア?と思って覗いてみると、お姉
濰坊北駅、初めて来ましたが、なかなか大きな駅でした。ただ、これだけ大きな広場に、人がほとんどいません。これまた、やってしまった感が満載でした。このまま駅構内に進みます。1階は、出口であるため、2階に上がり、私は切符売り場に向かいました。誰もいません。濰坊
安丘10路の路線バスで、新安路坊子界まで来ました。9時5分、濰坊の103路がやって来ます。ここで、20人近くが乗りました。9時10分に発車します。このとき「発車時間到!」のアナウンスが聞こえました。一応、定刻というものがあるのでしょう。9時47分に、崇文中学のバス停で降
濰坊とその仲間たちを回るスタンプラリーも、残すところ、昌邑と昌楽のみになりました。特に、理由はありませんが、昌邑から行こうと思います。そこで、そうだ、昌邑、行こう!となりました。ただ、昌邑へ行って、何をするということもありません。よって、今回は、今まで使
濰坊市の下に、昌邑という市があります。市の下にある市を、県レベルの市ということで、県級市と言います。安丘と同様、濰坊の弟分という感じでしょう。その昌邑について調べていて、へえ!と思ったことがありました。何でも、中国に、昌邑という場所は、4つあるのだそうです
そうだ、昌邑、行こう!と思いました。濰坊の仲間たちには、昌邑と昌楽という、紛らわしい都市があります。昌邑は市であり、濰坊の東側にあります。昌楽は県で、濰坊の西から西南に位置します。今回、行こう!と思ったのは、濰坊の東側にある方です。そして、いろいろ検討し
そうだ、昌邑、行こう!と思いました。泊るところは大体確認できたので、次は、どうやって行くかを考えます。安丘から昌邑まで、バスは出ていると思いますが、これまでの経験から、恐らく、朝早い便か、お昼過ぎの便でしょう。と思って、確認してみると、8時と10時10分と15時
今、実施している、濰坊とその仲間たちのスタンプラリーも、残すところ、昌邑と昌楽の2つになりました。ちなみに、似たような名前ですが、昌邑は、県級市で、濰坊の東側にあります。昌楽は、県で、安丘の西隣に位置します。どちらを先にするか、迷いましたが、まあ、昌邑から
中国では、一文字の姓が一般的です。これを「単姓(单姓)」と言います。これに対し、二文字以上からなる姓は「複姓(复姓)」と言います。日本では、二文字の姓が主流です。それも、中国と同じ姓もありますが、全く異なるものがほとんどです。姓は、中国から入って来たものなの
ロシア東部にある最大の港町は、ウラジオストックです。中国語では「符拉迪沃斯托克」(fu2 la1 di2 wo4si1 tuo1 ke4/フラディウォストゥオカ)と言います。ロシア語で、東方を征服するという意味があるのだそうです。もっとも、もともとは、中国の、というか、清の領土でした
臨朐からの帰りは、ミニバスで、直接、安丘に戻ることにしました。行きは、一度、濰坊へ行き、そこから、臨朐行きのミニバスを使ったので、今度は、直接戻ることにします。前日の段階で、10時40分に安丘行きがあることを確認していました。この日、10時10分に、臨朐のバスタ
臨朐華美達安可酒店をチェックアウトし、バスターミナルに向かいました
この日、臨朐のバスターミナルを10時40分に出発する、安丘行きのミニバスで帰ることにしました。よって、臨朐華美達安可酒店を、1時間前の9時40分頃にチェックアウトします。フロントに行き、お姉さんに「退房!」と言って、ルームカードを渡しました。すると、お姉さんは、
安丘では、見かけたことはないのですが、臨朐には、日本料理屋がありました。まあ、あったところで行かないので、どうでもいいのですが、安丘にないのに、どういうこと?という感じです。もっとも、日本料理というか、鉄板焼きのお店でした。店の表に、日本の赤提灯を掲げて
まあ、こんなことがありました、という話です。臨朐では、臨朐華美達安可酒店に泊まりました。目の前を走る通りは、朐山路と言います。そして、ホテルの周辺を散歩し、この朐山路を渡ろうとしたときでした。中国にも、横断歩道はあります。中国語では「斑馬線(斑马线)」と言
秘密と言っても、私は開けているので、秘密でも何でもないのですが、その奥には、なんか特別な部屋がありました。今回、臨朐では、臨朐華美達安可酒店に泊まりました。このホテルには「観光電梯(观光电梯)」があります。直訳すると「観光エレベーター」ですが、3面がガラス張
別に、何じゃコリア?を楽しんでいるので、怒っている訳ではありません。こんなことがありました!という報告です。今回、臨朐では、臨朐華美達安可酒店に宿泊しました。翌朝、シャワーを浴びているときです。このホテルは、2021年に開業ということで、部屋の設備は新しく、
臨朐華美達安可酒店で、朝食を取りました。今回は、朝食付きでしたが、単独で頼む場合は、38元ということです。38元ということで、それほど種類がたくさんある訳ではないとは想像していました。私の経験から、68元とか、78元とかと言う朝食は、なかなか豪勢です。38元程度だ
臨朐は、西周の頃は、駢邑と呼ばれていました。これで駢邑(骈邑)(pian2 yi4/ピエンイ)と読みます。前漢のとき、この地には、臨朐、朱虚、挍の3県と、缾、臨原の2侯国がありました。その後、後漢の時代、臨朐と朱虚の2県となります。このときは、青州に属していました。南北朝
臨朐に泊まった夜です。何を食べようかな?と思いました。臨朐と言えば、ヒツジのスープ「羊湯」です。もっとも、厳密に言えば、ヒツジのすべての部分を使った料理「全羊宴」という料理が有名なのだそうです。ヒツジを使った、80種類以上の料理で、そのすべての料理名に「羊
臨朐の公共自転車に乗り、ホテルへ向かっているときでした。民主路を走っていると、目の前に、弥河が見えて来ます。これが弥河か!と思い、写真を撮ろうと思いました。ちょうど、景観橋のバス停のところです。道路の端に自転車を置き、橋の方へ行って写真を撮り、また、自転
朐山を下りてから、再度、弥河沿いを歩きます。そこは、公園になっていました。とても立派な公園です。歩道も整備されていて、ぷらぷら歩くには、持って来いの場所だと思いました。やっぱり、天気がよかったのが大きいのでしょう。青州では、曇っていたため、何となく、よど
今回、臨朐では、臨朐華美達安可酒店に泊まりました。このホテルの横には、弥河が流れています。そして、斜め向こうの対岸には、朐山がありました。朐山とは、臨朐の名のもとになった山です。朐山に臨む、ということで、臨朐になりました。臨なんちゃらという地名の場合、大
臨朐では、臨朐華美達安可酒店に泊まりました。英語では、RAMADAencoreと言うようです。ちょっと経済的なラマダホテルなのだと思います。今回、宿泊した部屋は、高級大床房で、一人分の朝食付きで、207元でした。広さは28m2ということでしたが、十分です。2021年に開業しただ
本当?と思うのですが、安丘の同僚は、本当!と言っていました。確かに、天気予報の予想でも、それに近い数字にはなっているので、やっぱり、本当なのかもしれません。先週の金曜日、12月8日、安丘の最高気温は、23度でした。何じゃコリア?です。この日、旧暦の10月27日でし
臨朐華美達安可酒店に着きました。なかなか、お洒落なホテルです。三つ星の割には、いい感じがしました。今回も、携程を使って予約しましたが、高級大床房が、1人分の朝食付きで、207元です。宿泊料は、予約の際には払わず、宿泊前日に、クレジットカードから引かれました。
12時2分に、臨朐のバスターミナルに着きました。一度、ターミナルの建物に入ってから、外に出て行くようです。建物に入ると、すぐに安全検査を受け、その足でトイレに行きました。そして、翌日の安丘行きのバスを確認します。すると、臨朐からは、7時40分、10時40分、16時10
安丘から乗ったミニバスが、濰坊のバスターミナルに着きました。なお、私は勝手にミニバスと呼んでいますが、正確には「客車」と言います。ミニバスから降りると、一度、外に出て、バスターミナルの入り口に回りました。ここで、臨朐行きの切符を買います。中国語では「臨朐(
臨朐に行く日です。この日は、8時48分に電力工業区のバス停に着きました。その前に、天地広場で自転車を返却する際、青雲大街と新安路の交差点に、濰坊行きのミニバスが通るのを見かけました。ああ、行っちゃった!と思いましたが、まあ、いいか、ということで、次のバスを待
そうだ、臨朐、行こう!と思いました。臨朐で泊まるホテルは決めたので、次は、どうやって行くかを考えなければなりません。まあ、安丘には、鉄道が通っていないので、結局はバスになります。安丘バスターミナルから出ている臨朐行きを調べると、8時15分と13時50分というのを
そうだ、臨朐、行こう!と思いました。中国語では「臨朐(临朐)」(lin2 qu2/リンチュ)と読みます。臨朐の華美達安可酒店を予約しました。「華美達(华美达)」(hua2 mei3 da2/フアメイダ)とは、ラマダホテルのことだと思います。以前、厦門で泊まったことがあります。結構、印象
青州を攻略した後は、って、ただ単に行っただけです。今、濰坊とその仲間たち巡りをしています。復習になりますが、濰坊の下には、安丘、寿光、高密、諸城、青州、昌邑の6市と、臨朐、昌楽の2県があります。安丘は、住んでいるので当然ですが、その他、濰坊、寿光、高密、諸
濰坊駅を出てからは、まず、公衆トイレに行かなければなりません。駅の出口付近では、構内にトイレは無いようでした。もっとも、近くには、公衆トイレがあるようで、案内に従って進みます。すると、こんなところにあったのか!という感じのところにありました。どうして先に
青州市から、濰坊へ向かいます。青州市駅のホームに、高鉄のG1845が入ってきました。私は7番のところに並んでいましたが、何だかもたもたしています。そのうち、8番の隣からでも、列車の中に入ることができることに気づきました。よって、8番の隣から入ることにします。8番の
本日は、12月8日です。本当は違うのですが、日本では、一応、臘八(ろうはち)と言われます。臘八とは何かと言えば、臘月初八のことです。臘月とは、旧暦12月のことを指します。今日は、旧暦の12月8日ではないため、本来は、臘八ではないのですが、日本では旧暦をやめてしまっ
青州市から、まずは濰坊へ向かいます。今回、買ったのは、14時45分に青州市を出発予定の、G1845という列車でした。列車番号が「G」で始まっているので、正真正銘の「高鉄」(gao1 tie3/ガオティエ)です。西安北駅が始発のようで、はるばる山東省まで来るようです。西安から、
本日、12月7日は、二十四節気の大雪です。中国語では「大雪」(da4 xue3/ダシュエ)と読みます。日本語では、大雪(おおゆき)と読みたくなりますが、一応、大雪(たいせつ)と読むことになっています。もっとも、大雪(だいせつ)じゃ!と言う人もいるようです。太陽の黄経が255度に
本日、12月7日は、二十四節気の大雪です。中国語では「大雪」(da4 xue3/ダシュエ)と読みます。太陽の黄経が255度に達した日とされ、冬の3番目の節気です。毎年、12月7日頃ということで、たまに、12月6日のこともあります。来年、2024年の大雪は、日本では12月7日ですが、中国
青州市駅に着きました。まずは、切符を買わなければなりません。今回、携程を使って、高鉄の切符を買おうとしたのですが、支払いは完了したものの、すぐに「出票失敗」となって、返金されてしまいました。返金は、中国語で「退款」(tui4 kuan3/トゥイクアン)と言います。以前
青州銀座佳悦酒店から、公共バスに乗り、青州市駅に向かいました
青州から帰る日です。この日は、14時45分の高鉄に乗り、濰坊経由で安丘に帰ろうと思っていました。バスで駅まで行くのに約1時間、駅で切符を買うのに手間取る可能性も考えて、ホテルは2時間に出ることにします。今回、青州で泊った青州銀座佳悦酒店は、チェックアウト時間は1
青州では、青州銀座佳悦酒店に泊まりました。チェックインの際、お姉さんは、17階の1715の部屋を手配してくれたのですが、私が、バスタブのある部屋がいい!と言ったばっかりに、9階の916になったものです。その際、1715は南向きで、916は北向きだと言われていました。916は
青州では、青州銀座佳悦酒店に泊まりました。最近、ホテルを予約する際は、朝食をつけるようにしています。今回、予約した部屋は、高級大床房で、1人分の朝食付きで、246元でした。ということで、翌日、7時半頃、1階の朝食会場に向かいます。ここでは夜、バイキング「自助餐
青州でも、公共自転車に乗ることができました。もともと確認していたのですが、青州の公共自転車も、永安行が運営しているようです。よって、安丘で乗っているのと同様、アリペイ「支付宝」からスキャンすることで、公共自転車に乗ることができました。これまで、安丘、濰坊
どうして銀座佳悦酒店の部屋には、紙コップが置かれていたのか?
青州では、青州銀座佳悦酒店に泊まりました。予約する際に、携程の紹介を見ると、喫煙可となっています。ただ、禁煙階もある!とあったので、予約した後、わざわざ再度、修正し、特別要望欄に、できる限り禁煙部屋で手配して!とお願いしました。そして、チェックインの際に
青州では、青州銀座佳悦酒店に泊まりました。予約した際は、高級大床房で、本来は、バスタブ「浴缸」(yu4 gang1/ユガン)のない部屋だったようです。チェックインの際に、お願い!と言うと、お姉さんが、部屋をアップグレードして、バスタブのある部屋にしてくれました。もと
青州へ行った日、夕方から、あいにく雨が降ってきました。青州では、ヒツジのスープ「羊湯」が有名なのだそうです。よって「羊湯」のお店でも行こうかなと思っていたのですが、この雨で、一気にくじけてしまいました。しばらくして、もう止んでいるかなと思い、下に降りてき
この日、私が安丘に来てから5度目の断水でした。もっとも、夕方の5時頃には、水は流れるようになります。最悪の事態だけは避けることができ、ホッとしました。そして、いつも料理を作ってくれる朱さんから、微信のメッセージが来ます。夕食が作れないので、酸辣粉か、米線に
范公亭西路を、ニンニキニキニキニンと西へ進むと、范公亭公園があります。昔、范仲淹が知青州をしていたとき、自ら薬を作り、疫病を退治してくれたのだそうです。そのとき、湧き出した井戸は、范仲淹のお陰だ!ということで、その死後に、范公井と名付けられました。そして
青州古城の北口を出たところが、范公亭西路です。范公亭西路を突っ切り、更に真っ直ぐ進んだ道は、北門大街と言うようで、決して大きくはありませんが、古めかしい感じの通りが続いていました。そして、北に進んでいくと、河が見えてきます。この河が、青州の「母親河」であ
今回宿泊したホテル、青州銀座佳悦酒店から青州古城の阜財門までは、2㎞ほどあるようです。ということで、青州古城へは、公共自転車で行くことにしました。あらかじめ予習をしており、ホテルの近くと青州古城の近くに、スタンドがあるのは確認済みです。ホテルのすぐ近くで、
青州の公共バス8路に乗り、禄禧新城のバス停で降ります。そして、通りの反対側にあったのが、青州銀座佳悦酒店でした。どうも禄禧新城の中というか、隣接しているホテルだったようです。今回、宿泊先は、青州銀座佳悦酒店を選びました。高級大床房を、1人分の朝食付き254元で
青州市駅に到着しました。これからは、公共バスに乗り、宿泊予定のホテルである青州銀座佳悦酒店に向かいます。構内から出ると、まずは、公衆トイレに行きました。青州でも、バス停の近くにトイレがあり、これはありがたいです。このとき、9路のバスが停まっていました。9路
濰坊駅で、青州市行きの切符、というか、切符もどきを買いました。これから、駅構内に突入します。中国人は、身分証明書でピッとやれば入れますが、外国人は、人のいるところに行かなければなりません。これを「人工通道」と言います。パスポートを差し出し、この日は、マス
ミニバスから降り、すぐに、濰坊站に向かいます。もっとも、勝手は知っているので、悩むことはありません。今いるのが何階なのかわかりませんが、とにかく階段を上がり、切符売り場を目指しました。この日考えていたのは、10時13分か、10時18分か、これがダメなら11時30分の
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この日、7時45分頃に宿舎を出ます。利和広場まで歩き、B1路に乗りました。利和広場と開発区を結ぶBRTは、この時間、かなり出ているようです。利和広場からの乗客はそれほど多くありませんが、次の庫充で、かなりの人が乗って来て、何じゃコリア?と思いました。今回は、天
今、居留証の更新手続きをしています。いろいろ面倒くさいのですが、今回も、趙さんという社長さんの友人がお手伝いしてくれることになりました。趙さんから「体検証明」が必要!と言われます。そして、パスポートの原本とコピー、写真3枚を持って、中山六路2号へ行け!と言
お店の名前はどうでもいいのですが、一応、余記港式焼臘と言うようです。余さんがやっている、香港式のロースト料理を売りにしたお店だったのでしょう。ロースト料理全般を「焼臘(烧腊)」(shao1 la4/シャオラ)と言います。もっとも、主に売っていたのは「快餐」(kuai4 can1
今回、珠海で宿泊するのに、華僑賓館を選びました。もっとも、珠海に華僑賓館は、いくつかあります。チェーン店なのかもしれません。私が泊まるのは「珠海情侶路日月貝店」というところでした。珠海には、情侶路という道路があります。「情侶(情侣)」(qing2 lv3/チンリュ)と
今度の土曜日は、珠海の華僑賓館へ行くことにしました。もっとも、珠海に華僑賓館はいくつかあり、今回は、情侶路日月貝店というところです。そこで、どうやって行くかを検討しました。たいしたことではありませんが、どのルートで行こうか考えるのは、なかなか楽しいもので
そうだ、珠海、行こう!と思います。というか、もともと、次は、南!と考えていました。中山の南は、珠海です。どこに泊まろうか?と、携程で探してみました。すると、四つ星で、244元というところを見つけます。土曜日に泊まるため、若干高くなっていて、平日であれば、197
もう破産したと聞いていたので、何をいまさらと思ったのですが、まだガチャガチャやっていたようです。知りませんでした。電気自動車は「新能源汽車」などと呼ばれます。新エネルギー自動車!という感じでしょうか。電気は別に、新エネルギーでは無いと思うのですが、こう呼
すみません。大変でもなんでもなく、言っているだけです。先日、庫充の老秦人へ行きました。最近、うまい!と言う油潑麵を食べていません。そうだ、老秦人、行こう!と思ったものです。考えてみると、しばらく来ていなかった、というか、この道を通っていませんでした。
中国の大学入試を「高考」(gao1 kao3/ガオカオ)と言います。「全国高等院校招生統一考試」の略です。中国で、高校と言った場合、大学を指します。中国の高校は「高級中学」と言い、略して「高中」になります。この試験は、平日か土日かは関係なく、毎年、6月7日、8日、9日に
うまい!と思うお茶はいろいろありますが、最近、私の中で流行っているのは、台湾の大禹嶺です。これで「大禹嶺(大禹岭)」(da4 yu3 ling3/ダユリン)と読みます。お茶のことはよくわかりませんが、何でも、海抜2,200m以上のところで採れる烏龍茶だそうです。以前、前の前の
へっ?という感じです。先週、食べに行ったばかりなのですが、近くを通った際、無くなっていました。改装なのかもしれませんが、恐らく、つぶれたのだと思います。この日、何を食べよう?と考えた際、重慶小麺のお店に行ってみよう!と思いました。ここに「豌雑麺」があっ
社長さんに「拾壹炉」という韓式焼烤のお店に連れて行ってもらいました。注文は、ほとんど社長さんがします。私は、羊肉串さえあればいいので、特に希望はありません。ただ、ブタニクの五花肉とインゲンだけは、是非!とお願いしました。羊肉串や牛肉串は、テーブルの上に
社長さんが「拾壹炉」という韓式焼烤のお店に連れて行ってくれました。簡単に言えば、羊肉串を中心にした串焼きのお店です。基本的に、肉と野菜しか食べていません。最後は、主食!となりました。中華系であれば、麺とか餃子とか餅とかいろいろあり、迷ってしまいますが、
この日、社長さんと打ち合わせをしていました。社長さんは、次の週ベトナムに出張予定です。ちなみに、出張と書いて、ゴルフと読みます。いつものように、安徽省の仲間たちと一緒でした。終業時間になると、来週いないから!と言い、羊肉串を食べに行こう!と誘ってくれます
中国に滞在するためには、居留証が無ければなりません。1年有効とか、2年有効とか、人によって異なるのですが、私の場合は、前のパスポートの期限が今年の7月であったため、居留証も7月までとなっていました。来月です。よって、更新の準備を始めることにしました。自分でや
先日、大連で、2名の日本人が殺害されました。もっとも、大連と言っても、普蘭店です。これで「普蘭店(普兰店)」(pu3 lan2 dian4/プランディェン)と読みます。普蘭店区と言い、一応、大連市ですが、ただ、市内からは70㎞ほど離れた郊外にありました。大連の北側には、なんち
本日、6月11日の午前、南シナ海で、今年の台風1号「ウーティップ」が発生したのだそうです。台風1号は、毎年平均で3月25日頃に発生するそうですが、今年は、統計開始以来5番目に遅い発生ということでした。13日には、海南島の南部から広東西部一帯の海岸に上陸するのではと言
まあ、大変でもなんでもないのですが、私の予想とは大きく違っていました。考えが甘かったようです。先日、社長さんから、ある会社の工商情報が送られて来ました。秘密でもなんでもありません。中国では、すべての会社の工商情報が公表されているため、会社の名前さえわかれ
ZEROというお店が主催するゴルフコンペ、名付けて「ZEROカップ」に、社長さんが参加しました。先日、社長さんと話をしているときです。社長さんが、このコンペについて、いろいろ文句を言っていました。会場は、珠海国際ゴルフクラブというところです。プレー料金は、980元と
塞翁が馬、という言葉があります。まず、前提の知識として、この言葉の出典が、前漢の劉安が編纂した「淮南子・人間訓」であることを知らないと、大変だ!にならないかもしれません。「塞翁が馬」で検索すると、どこでも、出典は淮南子!と出て来ます。よって、世間では、こ
北京では、北京貫通建徽酒店に泊まりました。友人2人と、このホテルに近い「立春小館」で食事をします。一人が、お酒を持って来ました。今日は、これだ!と言います。レストランでお酒を飲む場合、自分で持っていくのが普通です。中国では、お店側は、客がお酒を持ち込むこ
北京では、北京貫通建徽酒店に泊まりました。ホテルに着くと、友人に、着いた!と連絡します。すると、これからホテルに行くから待っていろ!とメッセージがやって来ました。今回、来てくれる友人は、2人です。4時過ぎに、ここにいる!と写真が送られてきました。今行く!
北京では、北京貫通建徽酒店に泊まりました。附楼特恵大床房という部屋で、朝食なしですが、1泊258元です。特恵というぐらいですから、特別価格なのでしょう。同様のクラスであれば、普段は、366元とか、428元とかで売り出しているようです。やっぱり、北京へ行く!と決めて
北京南站で、交通カードを「激活」してから、北広場出口の案内に従って進んでいきます。地上に出たときは、13時8分でした。ここから、歩いてホテルを目指します。まずは、南站幸福路を探さなければなりません。ただ、目の前が、南站幸福路でした。ここから予習していた通りに
北京南駅の構内から出ると、ここから、北広場に向かいます。北京南駅には、北広場と南広場があります。ただ、その前に、私にはしなければならないことがあります。以前、北京で使っていた交通カードの復活です。これを、活性化させるとう意味で「激活」(ji1 huo2/ジフオ)と言
G1066は、濰坊から北京南へ行く高鉄です。今回、私の席は15号車の8Fという席でした。この列車は、16両編成であり、16号車が一番前です。15号車は2番目の車両であり、ホームでは、奥の方に行かなければなりません。ホームに列車が入って来ました。日本の新幹線をまねた中国の
濰坊駅には、8時25分頃着きました。この日は、やらなければならないことがあります。これを、中国語では「任務(任务)」(ren4 wu4/レンウ)と言います。高鉄に乗るのに、パスポートだけで乗ることができるかどうかの確認です。まずは、濰坊駅の構内に突入します。これまでは、
北京へ行く日です。7時10分頃、宿舎を出ました。私の計算では、7時半頃、青雲大街で濰坊行きのミニバスに乗り、大体1時間かかります。9時23分の高鉄は、9時8分から改札が始まるため、9時には着いていたいですが、余裕をもって8時半着で、ちょうどいいかなと思いました。宿舎
北京では、北京貫通建徽酒店を予約しました。住所は、西城区広安門外鴨子橋路6号です。ここまでどうやって行くかを考えました。北京南駅についてから、どうやって行こう?では、最適の道を選ぶことができません。初めての場所へ行く際は、必ず予習が必要です。なお、北京南駅
中国が、新幹線をまねて作ったのが、高速鉄路です。通常「高鉄(高铁)」(gao1 tie3/ガオティエ)と呼ばれます。高鉄の切符は、駅の切符売り場でも買えますが、多くの人は、インターネット経由で購入します。そして、購入すると、後は、身分証明書をピッとやれば、高鉄に乗る
北京へ行くため、携程で高鉄の切符を購入しました。中国人であれば、身分証明書をピッとやれば、そのまま構内に入ることができますが、外国人は、切符売り場で、切符もどきを発行してもらわなければなりません。これを「取票」と言います。もっとも、後日「取票」は必要ない
濰坊の出入境管理局へ、パスポートを取りに行きました。今回、濰坊の会社に訪問する機会があったため、そのついでに取りに行くことにします。ただ、今回、同行してくれたのは、前回とは別の部長さんです。この部長さんは、最近、来たことが無かったようでした。13時半頃、駐
北京へ行くのに、北京貫通建徽酒店を予約しました。住所は、広安門外鴨子橋路6号です。広安門は、北京の内城の南側に出来た外城の、西側の南にある門でした。外城の南側の一番西側にあったのが、右安門です。北京にあるなんちゃら安門は、あの、行くは苦しい天安門だけではあ
北京には、なんちゃら門がたくさんあります。すぐに思い浮かべるのが、行くは苦しい天安門でしょう。天安門の南側には、前門もあります。これらには、ちゃんとした門がありますが、門が無いのに、なんちゃら門と言っているところもあります。昔は、ちゃんとした門があったの
先日、6月10日、吉林省は吉林市船営区にある北山公園で、4人のアメリカ人教師が襲われました。4人は、アメリカのアイオワ州コーネル学院の先生だったと言われています。犯人は、55歳の男性である崔大鵬さんと報道されていました。何でも、一人のアメリカ人と肩がぶつかり、何
今年の端午節は、6月10日の月曜日ですが、8日の土曜日と9日の日曜日とをあわせて、3連休となりました。せっかくなので、北京へ行くことにします。北京に2泊し、月曜日に戻る計画をしますが、帰りは、G1087という高鉄を選びました。11時22分に北京南を出発し、濰坊には14時39
先日、6月10日は、旧暦5月5日であり、端午節でした。中国では、数少ない法定休日であり、8日の土曜日と9日の日曜日とあわせて3連休になります。よって、北京へ行くことにしました。北京へ行くためには、高鉄か飛行機かで行くことになります。ただ、青島空港まで行くのに2時間
端午節の連休には、北京へ行くことにします。そこで、北京貫通建徽酒店というホテルを予約しました。どんな名前でもいいのですが、どうしてこんな名前になのか、不思議です。よって、調べてみました。北京は、北京にあるからです。北京にあるのに、頭に南京は、さすがの中国
安丘の西南に、留山という山があります。中国語では「留山」(liu2 shan1/リウシャン)と読みます。440mほどの高さの山です。私の宿舎からは、30㎞ほど離れていますが、行ったことはありません。以前、臨朐から安丘に戻ってくる際に通ったS221の南側になるようです。この山、昔
日本では、もうそろそろ梅雨入りでしょうか?梅雨入りしたかどうかは、その頃の天候を見定めて、気象庁の気象予報部が決めていると聞きました。ただ、あくまでも予想であるため、確定するのは、梅雨が終わり切った9月以降になるということです。梅雨入りと似たような言葉に、