3/16 殿海道山の次は、南山が交差点を右折します!南山 八幡車山本宅へ山車を向けました。そんな山本さん宅の玄関先には、お祭り仕様の焼物のタヌキがいました。浅井山の祭犬っていうものも昔、見掛けました。西山 神楽車南山が交差点北側の山本宅で停まっているため、西山
桑名宗社石取御神事を中心に各地の石取祭車、東海三県の山車、だんじりの見学記です!
桑名市周辺の祭礼、上げ馬神事、知多型山車、名古屋型山車、だんじり(地車)の見学記です!
渡祭の続きです!渡祭は桑名宗社への神前奉納の事で、宮入りなどとは言いません。(入江葭町)渡祭は宮通岸野屋前と上本町八間通手前にある渡祭区域の赤提燈を指し、この間の通過時間は8分と定められています。渡祭までの間、青年会が各交差点で付くまでは、少年会と中老会
本楽の整列後、子供たちは祭車で叩き、大人は立宿(待宿)で休憩を取ります。祭車整列場所近くのお宅やお寺などを借り、主に中老会が曳き出しまでの間休憩をします。桑名宗社前では、花車町が渡祭始式のリハーサルを行います。午後4時30分、花車から順に祭車曳き出しです。北
続いて、南並びです!鍜冶町から、(東鍋屋町祭車)東海道の道なりに(田町祭車)新町、(福江町祭車)傳馬町、(清水町祭車)東鍋屋町、(花街川口町祭車)西鍋屋町、 (壽町祭車)東矢田町、(中央通祭車)西矢田町、(上本町祭車)福江町に並びます。(福江町地内に
本楽の整列順路です!北並びは、田町から(新矢田一丁目祭車)殿町、(傳馬町祭車)相生町、(今北町祭車)寺町、(西榮町祭車)コスモ石油角を曲がり、(宮北祭車)堤原、(今中町祭車)今片町、(鍜冶町祭車)今中町、(新矢田一丁目祭車)今北町、(宝町祭車)太一丸、(
本楽の続きです!正午を過ぎると各町祭車は組ごとに集まり、整列場所まで進みます。これを送り込みといい、基本的には子供たちが叩いて行きます。青年会以上の男性は羽織に浴衣、女性は浴衣姿で祭車を曳き、ついていきます。途中、立宿という場所で祭車の通過を確認してもら
本楽(ほんがく)8月第1日曜日、渡祭が行われる日です。午前1時30~50分頃 各組所定の位置で、本楽叩き出し(通称・2時の叩き出し)を迎えるために整列します。(御幣を載せた花街川口町祭車)この時間は音取りを雇わず、青年会が曳くため略装で迎えるところも多いようです。
午後5時30分、保存会役員参列で夕御饌祭が行われます。この時、斎火を各組祭事委員がいただいて、各町祭事長から副祭事長、青年会長などの役提燈に火が分けられます。(祭事委員から斎火をもらい受ける祭事長)斎火が到着すると、祭車も順次点燈を始めます。(山形に上って
明け方曳き廻しを終え、日の出と共に桑名宗社へ各町献石俵を持ち寄ります。 (第九組の献石俵) 午前10時から桑名宗社では、保存会役員と各町祭事長参列の朝御饌祭(あさみけさい)と献石神楽が行われます。午前11時からは、青年連盟と各町青年会長参列の青年会長正式参拝が
お勝っつぁんの続きです!午後8時頃になると各組青年会は肩を組みながら、氏神社や桑名宗社に参拝に来ます。(第八組)昔は適宜参拝にやって来ましたが、その為喧嘩も多く、現在は⑪→⑥→③→⑧→②→⑦→⑤→①→④の順で桑名宗社に来ます。(傳馬町)立坂神社でも東矢田
叩出の夕方、子供たちはお勝っつぁんと称して提燈を持ち、祭唄を唄いながら町内を回り、神社へ参拝します。浴衣を着て巡る姿は、ほとんど見られなくなりました。少子化のため、浴衣の反物単価も高くなり、またこの時しか着ないため作らなくなった町が多いのです。 桑名宗社
叩出準備の続きです!青年会会計はいただいたご祝儀を控え、半紙に書き出します。書き方は町内それぞれで、お名前といただいた物を間違わないように書き出します。貼る順番も順不同な場合と、役職順にする場合とあり、ここも間違う事はできません。祭車の飾り付けも終盤と
叩出準備の続きです!山形に上り、提燈を付けるのも若衆の役目です。燭台を取り付け、配線します。バッテリーも載せ、点灯確認も行います曳綱は祭車の途中にある鐶に通して、取り付けます。天幕に御幣と提燈を付けます。替天幕も準備します。青年会宿では氷を砕き、飲み物
叩出(たたきだし)笹取り翌日の金曜日(本楽2日前)、朝から祭車を出し準備を行います。祭車のジャッキを下ろすのは、暑く狭いため青年会若衆の役目です。高欄は晒布を巻いています。祭車の拭き取りは塗師に依頼します。塗師も祭車の台数が多いため、前週や笹取りから各祭
桟敷席建設(さじきせきけんせつ)本楽の約1週間前、業者により楼門前に桟敷席が作られます。桟敷席土台が組み上がると、下部は板が貼られます。木曜日~金曜日には幕が張られ、提燈が付けられます。桟敷席からの眺めはこんな感じです。しかし、こちらは一般の方は上がれませ
電線張り(でんせんはり)各組、もしくは各町で高所作業車を利用して、祭車曳行路の電線に目印を付ける道検分です。かんな屑を付ける町もあり、かんな付けと言うそうです。モールを用いる町は、モール付けと言います。色は黄色か白色が見やすく、夜の電線の目印なのですから
川原祓式(かわらばらいしき)7月第3月曜日の前日午前10時より、町屋川原で行われる神事です。神職による修祓の後、保存会役員と青年連盟により石拾いが行われます。桑名宗社で2俵、石取祭保存会で2俵、青年連盟で2俵の石を納めます。長年試楽午前中の神事でしたが、祭礼日が
御幣調製(ごへいちょうせい)7月に入ると御幣本体を桑名宗社に持ち込み、紙垂(しで)を新調してもらいます。桑名宗社で新調してもらうほか、提燈屋や表具屋、氏神社で新調してもらう町もあるようです。(紙垂、麻縄の付いた御幣)完成した御幣はお祓いの後、叩出日に桑名宗社
祭車曳廻し会議~祭事長懇親会(さいしゃひきまわしかいぎ~さいじちょうこんしんかい)7月第1日曜日午後、春日会館にて行われます。保存会長が召集し、年番祭事委員が資料を作成、議長が司会を務めます。警察関係から説明や注意事項を聞き、後日年番祭事長が曳き廻し順路を
桑名石取祭は三日三晩行われるお祭りですが、その前後も諸行事が行われています。各組によって行事名や行う事が違うと思いますが、あくまでも一例ですのでご理解ください。 書類提出(しょるいていしゅつ)祭り前に各町の役員名を保存会や青年連盟に届け出を行います。5
雅名(がめい)町名を優雅で風流な名前にし、山形提燈や天幕提燈、半纏などに用います。(掛を華景とした掛樋)(京を洛陽とした京町)町名から連想するものもあります。(斗々を付けた南魚町)地名の字名から付けたものもあります。(字名三反長(さんたんなが)を付けた新矢
半纏(はんてん)伴天、袢纏と書かれる場合も見かけます。桑名では法被とは言いません。各町こだわりデザインの半纏をまとい、太鼓を叩きます。(本楽叩き出し用の西鍋屋町半纏)馬上提燈(ばじょうちょうちん)役提燈とも言い、片手に持つ丸い提燈です。昼間は折り畳んで、
祭事長(さいじちょう)石取祭での各町の最高責任者で、当初の名称は取締長でした。(田町の祭事長と副祭事長)自治会長とは別の人が就きますが、祭車を持たない町では自治会長が兼務する事もあるようです。祭車の前を歩き、進行を取り仕切ります。(羽織袴姿の男性が導く東
本氏子、準氏子(ほんうじこ、じゅんうじこ)現在ではあまり聞かれなくなった言葉です。桑名宗社氏子町を本氏子、別に氏神社を持っていたり自町に崇敬神社がある町は準氏子と呼ばれていました。これは、氏子費などの祭礼負担金を分けるための分別で、現在は本氏子を氏子町内
石取祭独特の言葉はいくつかあります。我々は日常的に使っている言葉も、石取祭を知らない方々にとっては理解しがたいものもある事でしょう。祭車部材名や行事で説明するもの以外で、いくつか順不同で紹介します。組(くみ)現在11の組に分かれており、試楽までの町練りを共
二段台輪水引幕型祭車二段台輪で亀腹がなく(若しくは小型なものがあり)、水引幕を用いるタイプです。(西矢田町祭車)二段台輪隅腕水引幕併用型祭車二段台輪で隅腕彫刻があり、水引幕を取り付ける溝があり、亀腹もあるタイプです。(鍜冶町祭車)二重台輪亀腹水引幕胴幕併
細かく分ければ全ての祭車が違うわけですが、大まかに分けて分類してみました。一段台輪亀腹型祭車一段台輪で亀腹があり、水引幕を取り付ける事が出来ないタイプです。(松一祭車)一段台輪亀腹水引幕併用型祭車一段台輪で水引幕を取り付ける溝があり、亀腹もあるタイプです
提燈(ちょうちん)山形に飾ったり、天幕に吊るしたりするものです。(上本町試楽提燈)山形提燈は前を町名、後ろを紋にする場合が多いです。(吉津屋町新旧山形提燈)蝋燭の火が透けて見える、極薄張提燈を用いる町もあります。(馬道山形提燈)雨天用に油をひいた油提燈も
鉦(かね)喧しい囃子の主旋律を奏でる、青銅(銅と錫の合金)です。祭車には2丁~6丁吊られます。(2丁吊り時の辨天町)(3丁吊りの近江島新田)(4丁吊りの天カ須賀第三組)(6丁吊り時の西鍋屋町)オリジナルの洋銀鉦を作った町もありました。(個人蔵)太鼓(たい
前破魔軸受け(まえはまじくうけ)心棒隠しとも言われる装飾で、鬼板と同じ題材で彫られる事が多い部位です。(西元町祭車)(太一丸祭車)(萱町祭車)(茂福町祭車)(北萱町祭車)内側も彫られているものもあります。(松一祭車)後破魔蓋(うしろはまふた)後破魔車軸先
破魔(はま)車輪の事で前輪を前破魔、後輪を後破魔と言います。(北萱町祭車)その中でも、各部分にも名称があります。(上本町祭車)①端板、大羽(はいた、おおば)②剣(けん)③駒、小羽(こま、こば)④御光、輻(ごこう、や)端板の数で八ッ割、(開勢町破魔)六ッ割
本来なら、桑名石取祭の試楽ですが、コロナウイルス拡散防止により神事のみの開催ですので、祭車部材名編を引き続き行います。鴟尾(とびのお)鬼木の末端部の事です。(宮通祭車)彫刻が施されたものと角形のものがあります。(神戸常盤町祭車)(東洋町祭車)(北萱町祭車
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3/16 殿海道山の次は、南山が交差点を右折します!南山 八幡車山本宅へ山車を向けました。そんな山本さん宅の玄関先には、お祭り仕様の焼物のタヌキがいました。浅井山の祭犬っていうものも昔、見掛けました。西山 神楽車南山が交差点北側の山本宅で停まっているため、西山
3/16 西山の坂下ろしの続きです!西山 神楽車先回りして、サンゴの交差点へ行きました。浅井山 宮本車ここから元薬師までは、子供たちが力強く山車を曳きます。殿海道山 源氏車(この記事の一部画像は、みなゆうくんにご提供いただきました)【お願い】皆様のクリック(
3/16 浅井山の次は、殿山の坂下ろしです!殿海道山 源氏車南山 八幡車西山 神楽車この人はよく山車祭りで見掛けるなぁ。(この記事の一部画像は、みなゆうくんにご提供いただきました)【お願い】皆様のクリック(応援)がランキングに反映されます。私の見学に向かう原動力
3/16 三番叟奉納が済むと本神楽奉納、上山からくり奉納と続きます!浅井山 宮本車(小烏丸夢之助太刀)南山 八幡車(役小角大峯桜)昼休憩も兼ねて、祝い込みが行われます。山本宅への祝い込みです。山本さんより一番楫へご祝儀の御酒が贈られます。八幡社では向山によるとび
3/16 殿海道山の次は、南山の坂上げです!南山 八幡車西山 神楽車四山が定位置に着くと、山車前で若衆が車座になります。南山の一番楫への祝酒です。喜びのハグです。胴上げされます。西山は山車前で伊勢音頭を唄います。最後に一番楫が肩車され、伊勢音頭を唄います。これは
3/16 いよいよ、乙川八幡社への坂上げが始まります!浅井山 宮本車御幣下の楫先を一番楫と言い、その楫棒を若者が死守します。他山の若衆はその楫を奪いにやってきます。人の上を人が歩く…なんて姿は、ここでしか見られない光景です。この楫先を奪い合う様が、喧嘩をしてい
3/16 殿海道山の次は、南山が曳き込みます!南山 八幡車西山 神楽車参道に四山が揃うと、坂上げ用に飾り付けを整えます。向山獅子が先に境内に入ります。向山 獅子館各山山本、先山本、氏子総代、組長(總長)などが鳥居から神事に参列します。(この記事の一部画像は、みなゆ
3/16 乙川八幡社大鳥居前に向山と四山の山車が揃いました!今年は浅井山、南山、西山が西側から、向山と殿山は東側から参道へと入ります。各山の赤法被が向山と挨拶を交わします。向山区の獅子舞と獅子館が、先導し乙川八幡社の参道へ入ります。浅井山 宮本車殿海道山 源氏車
3/16 駅前通りを南進する、西山の続きです!西山 神楽車殿海道山 源氏車山本宅を発ちます。下り坂なので、ハンド綱を効かせます。向山 獅子館(この記事の一部画像は、みなゆうくんにご提供いただきました)【お願い】皆様のクリック(応援)がランキングに反映されます
3/16 乙川八幡社に向かう浅井山の続きです!浅井山 宮本車元薬師前で小休憩をとりました。後ろに西山がやってきたので、出発します。南山 八幡車乙川駅前公園でUターンして、サンゴ交差点南側で浅井山の通過を待ちます。八幡車の後ろで、若衆は宴会です。浅井山の通過後、サ
3/16 山本宅へ山車が曳き込まれ、神事が執り行われます!殿海道山 源氏車山車の前に祭壇が組まれます。午前5時、神社より御幣を授かり、山車の前に持ってきます。浅井山より山祈祷を済ませた神職が、浅井山の使者と共に殿海道山の山本宅へと到着しました。全員で山祈祷を受
3/16 乙川祭り始楽の朝は早く、夜も明けぬ深夜に動き出します!西山 神楽車今年、山本宅が遠かった西山は、午前2時より動き出したとか。前山破風両端に提燈を付け、山車幅がわかるようにして曳き出します。本来は、山本宅で山車を組み上げるのですが、今は夜中に曳き出して
3/10 各山帰路の続きです!浅井山 宮本車元薬師より北進して帰ります。先に帰路に就いた西山が見えてきました。西山鞘前を通ります。右折して、若宮社の前を通ります。殿海道山 源氏車石河屋前から鞘へ戻ります。サヤ前で幕類を外します。土曜早朝に山本宅へ移送するために、
3/10 南山に続いて、殿海道山が秋葉神社前を進みます!殿海道山 源氏車細かく左右に楫を切ります。西山神楽車より帰路に就きました。浅井山 宮本車南山 八幡車殿海道山 源氏車(この記事の一部画像はみなゆうくんに、一部動画は赤地注連縄くんにご提供いただきました)【
3/10 殿海道山の坂下ろしの続きです!殿海道山 源氏車このカーブミラーも難所の一つのようです。殿山が坂下ろしを終えた時、浅井山は秋葉神社手前、南山は乙川八幡社北側にいました。浅井山 宮本車南山 八幡車(この記事の一部画像は、みなゆうくんにご提供いただきました
3/11 浅井山の次は、殿海道山ではなく南山です!南山 八幡車他山の若衆が、助っ人で曳綱に着く珍しい姿も見られました。坂に差し掛かると後楫はかなり高くなります。今後この道を巡行コースに戻すならば、この電線はネックになる事でしょう。殿海道山 源氏車殿(しんがり)は殿
3/10 いよいよ坂下ろし→東側の狭路へと進みます!西山 神楽車若衆が後楫棒に掴まり、スピードを落とします。アスファルト部分で一度止まって、左へ曲がります。昔も止まってから楫を切っていたのか、下りた勢いで楫を切っていたのかわかりませんが、危険を伴う部分ですから
3/10 3台の坂上げの後、最後は西山の坂上げです!西山 神楽車各山の組員が神楽車の曳綱を引きます。乙川八幡社に4台の山車が揃いました。とはいえ、乙川まつりではないので、奉納神事はありません。今年元日に発生した能登半島地震の支援募金も集められていました。休憩を
3/10 浅井山の次は、殿海道山の坂上げです!殿海道山 源氏車サヤ前から坂上げを行いました。南山 八幡車(この記事の一部画像はみなゆうくん、ビンビンカンカン会の皆さん、一部動画は赤地注連縄くんにご提供いただきました)【お願い】皆様のクリック(応援)がランキン
3/10 浅井山と西山は元薬師前から南進します!浅井山 宮本車駅前通りから石河屋前へと左折します。南山 八幡車サンゴ交差点側から北進してきました。浅井山の通過後、右折しました。西山 神楽車南山の通過後、左折します。四山揃うのを待たずして、乙川八幡社へ坂上げを行い
3/19 奉納神事を終えると、坂下ろしです!浅井山 宮本車勢い余って、、、錣格子が外れてしまった!殿海道山 源氏車殿山は鳥居まで下りず、サヤ前に曳き込みます。南山 八幡車西山 神楽車今年の殿海道山は参道を下るという事で、再び曳き出しました。山車の通過に露店の軒が当
3/19 浅井山に続いて、殿山の坂上げです!殿海道山 源氏車�南山 八幡車山本さんが上山に乗り、手を振っています!無事坂上げを終え、殿山の山本と握手をしていました。�西山 神楽車こちらも山本さんが手を大きく振っていました。四山が境内に揃いました。西山若衆は山車前で
3/19 下半田から乙川へ!元薬師に四山が整列していました。この時は順光で彫刻もじっくり見られます。知多半島の山車彫刻の美しさは、東海地方随一と思います。素木彫刻が好きな方は是非、知多地方の山車彫刻を見ていただきたいですね!特に初代彫常さんの作品は数が多く、写
3/19 業葉神社を出た山王車は、いつものルートで山車蔵前に戻ります!半田商工会議所南側を通り、銀座本町二丁目交差点へと向かいます。銀座本町二丁目交差点を左折します。前日まで見ていた乙川のどっしりとした曳き廻しと違い、軽やかに曳き廻されます。ミツカン本社前です
3/19 下半田東組山王車の建造100周年を記念して、高欄彫刻が新調されました!業葉神社に行く前に、前々から気になっていた半田市資料鉄道館の会館日だったので立ち寄りました。C11蒸気機関車の保存に尽力されている若いお兄さんに色々教えていただいて、私の知らない世界を見
3/18 元薬師曳き出しの続きです!南山 八幡車西山 神楽車浅井山は一番車として早くも定位置に着き、殿海道山は微調整をしていました。南山 八幡車境内に埋められている目印に楫方が立ち、そこを目指して楫を切ります。西山 神楽車西山も細かく微調整しつつ約10分以上かけて、
3/18 サンゴの交差点の続きです!西山 神楽車こちらもシートをはずしていました。鋭角の交差点を鋭く楫を切り込みます。と、何か落ちた…よく見ると左後の木鼻獅子が振動で落ちてしまいました。直接地面に落ちず、大幕の掛かった錣格子がクッションになりました。前にも落ち
3/18 乙川八幡社坂下ろしの続きです!南山 八幡車西山 神楽車八幡社を出た山車はサンゴの交差点から元薬師へと向かいます。殿海道山 源氏車南山 八幡車雨が上がり、シートを外しました。【お願い】皆様のクリック(応援)がランキングに反映されます。私の見学に向かう
3/18 四山が乙川八幡社境内に揃いました!南山の若衆は殿山サヤ前で祝います。西山の若衆は山車前で車座になり、伊勢音頭を唄います。最後に一番楫が唄います。肩車をされて一番楫のみ唄える伊勢音頭を唄います。お祝いにいただいた酒を飲みます。宮本である浅井山は前棚三番
3/18 浅井山に続いて殿山の坂上げです!殿海道山 源氏車南山 八幡車山車後部上は特等席です!西山 神楽車他山の一番楫が若衆を支える姿…こういう優しさも備えるのが一番楫の男気でしょう。【お願い】皆様のクリック(応援)がランキングに反映されます。私の見学に向か
3/18 遅れて殿山が八幡社に向かって来ました!殿海道山 源氏車交通規制がかかっていないので、自動車とすれ違いながら進みます。南山の前を通ります。八幡社参道へ曳き込みます。南山 八幡車殿山通過後、参道へ曳き込みます。浅井山を先頭に殿海道山、南山の順で整列します。
3/18 浅井山から順に地離れ(山本宅曳き出し)を行います!浅井山は浜田町2丁目方面の山本宅から乙川天満宮方面へやって来ました。午前8時過ぎ、JR武豊線乙川踏切手前で停まりました。南山山本宅前側から見るとこんな感じです。浅井山が踏切横断する前に南山が山車を北側に
3/18 あいにくの雨模様ですが、4年ぶりに乙川祭りが行われました!殿海道山 源氏車夜が明ける前、山本宅へ山車を持って行きます。ただでさえ寒い3月の深夜、雨が降る中の半裸は大変寒い事でしょう。山本宅へ山車が到着しました。山本宅で山車組み上げをしていた名残で、脇
3/5 サンゴの交差点から元薬師方面へ山車は進みます!どこかでバンド名として聞いた事あるような??町内曳きを終えた西山の皆さんの姿が見えました。若宮神社前を通ります。サヤ前にバックで曳き込みます。到着すると早速飾りを外します。これは前に殿山で説明した事と同じ
3/5 式典も終わり、近くでからくりを見せていただきました!真新しい桐箱です。小烏丸の鞘は梨地のようです。鐺(こじり)も美しい金具です。大蛇は2種類あり、木に登る物と平地用があるようです。一つの蛇で複雑な動きが出来ないのならば、二つで演じればいい…逆転の発想で
3/5 いよいよ上山からくり、小烏丸夢之助太刀が復活します!この上山からくりは、宝暦5年の乙川村祭禮山車絵図には小烏丸夢之助太刀が描かれており、明治末期頃までは演じられていたようです。(半田の山車まつりパンフレットより)そのからくりは、長年半田市博物館に寄託
3/5 乙川八幡社へ向かう淺井山の続きです!南山のサヤも開いており、八幡車がお出迎えしていました。乙川八幡社参道へ曳き込みます。参道の途中で停車しました。コロナ禍での休祭が続いていたので、本番の曳き込み位置の確認をしていました。浅井山は一番車なので四山の基準
3/5 前週に浅井山宮本車の上山からくり披露があると聞き、2週連続で乙川へ向かいました!午後0時、サヤを曳き出し。若宮神社で披露…ではなく、乙川八幡社へ向かいます。西山のサヤも開いている!!というのも、西山はこの日町内曳きを行っていました。コロナ禍によりその
2/26 北の2台は乙川高良公園前でUターンします!浅井山 宮本車西山とすれ違います。西山 神楽車どっしりゆっくりと楫を切ります。浅井山宮本車に付いて行きました。若宮社の横でちょっと粘ってみます。この後、翌週に控えた上山からくり披露の練習が行われるようだったので
2/26 四山は元薬師前まで進みます!ここでしばしの休憩です。その後は特段、行事もなく各サヤへと戻って行きました。殿海道山 源氏車南山 八幡車殿海道山はサヤ北側の細い道を進んで行きました。サヤ前に着くと飾りを外します。1ヶ月後に本祭礼があるのでそのままでも良さそ