わたしなりのグリーフワーク
こころの傷は外からはみえない・・・。自死により遺されたひとびとは大勢います。わたしもそのひとりです。母と親友を喪いました。思いを綴ることはわたしなりのグリーフワークです。
「ああ、あの子はこういう気持ちだったのかな。」時に、とてもとても空しい気持ちに捲かれると一瞬だけあの子の気持ちが「想像」できる。こういう気持ちが日々積もって重なって希望を感じることがなくなっていったら・・・・・・・・・そういう事態になることもあるのか・・・。私は、ならない。だって私は生きることに貪欲だから。次の春がくることも木の芽が膨らんでいくことも桜の舞うのをみることも夕焼けの空が赤く染まることもどれもこれもいとおしいから。あの子を想う時、あの子が置いていった旦那さんを想う。あの子が置いていった子どもたちを想う。ひとりひとりそれぞれのこころにあの子を喪った空洞を抱えてそれでもそれぞれに日々を生きてる。仕事をし、勉強をし、恋をし、笑って生きている。私は、彼らを愛しく想い空の上のあの子に「だいじょうぶだよ。みんな...想う
わたしの、こころの整理整頓法は、歩くこと。目的地を定めず、ただもくもくとこころの向くままに歩く。あるく。アルク。さあ、帰ろうって思うまで。ゆうがたの住宅街。どこからか、甘じょっぱい匂いが流れてきた。どこかの台所で、誰かがしょうゆとお酒と砂糖としょうがを入れて何かをコトコトと煮ている匂い。ひどい懐かしさに捲かれてなみだが出そうになって困る。さあ、家へ帰ろう。いろんなことがあっても現実に生きているひとのいる場所へ。ゆうがたの匂い
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