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空とここの間に https://blog.goo.ne.jp/soratokoko

わたしなりのグリーフワーク

こころの傷は外からはみえない・・・。自死により遺されたひとびとは大勢います。わたしもそのひとりです。母と親友を喪いました。思いを綴ることはわたしなりのグリーフワークです。

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2013/06/11

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  • 自死遺族ブログ卒業します。

    一年ほど前に、ひょんなことから知り合ったCちゃんはご主人をがんで亡くされてまだ一年足らずの未亡人だった。なんとなく心安く、メールを交わすようになったのだけれど全身で悲しみ、全身で亡き夫を愛しみ、想い出を語る彼女がなんだか眩しくて、わたしはやはり、母と親友を亡くしたのが自死だったとはとても言えなかった。大切なひととのたくさんの想い出を胸に彼女がこの一年で次第に顔を上げて、前を向いてどんどん歩き出し始める行程を目の当たりにして「病死」と「自死」の大きな違いを改めて感じ入ってしまった。母を亡くして、今度の6月で10年。親友を亡くして、8月で4年。自分を許せない、納得ができない別れは時間が経っても経ったようには感じないものなのかもしれない。それでもかなしみに、慣れることはできたし、ちゃんと私も、自分の人生と、周りのひと...自死遺族ブログ卒業します。

  • うれしいこと

    先日、亡くした親友のあの子のおかあさんにねこのぬいぐるみを贈った。遠い山里へ電話をかけたら、いつもよりも明るい声。受話器の向こうに笑顔がみえる。「かわいくて、毎日ねこをふとんに入れて寝とります。朝にはふとんから飛んで出てるんやけど(笑)」と、彼女のおかあさん。ふわふわねこのぬいぐるみに名前をつけて可愛がってくれているとわかってすごくすごくほっとする、私。ああよかった。笑顔がちょっともどってよかった。。。あの子も空で喜んでくれてるね、きっと。うれしいこと

  • ふわふわしたもの

    母を亡くした後、毎晩大きめのふわふわのくまのぬいぐるみを抱きしめていないと眠れなかった。当時既に、もうすぐ30代も終わる三児の母だったというのにね~。でも、言葉にできないほど辛い状態にある心にふわふわとした柔らかい「ぬいぐるみ」は思い掛けないほどの安心感と安らぎをもたらしてくれる。それはきっと性別も年齢も関係ないのではないかな・・・。乳幼児期の、親のぬくもりに包まれた安心感を本能が覚えているのだと思う。亡くした親友のあの子の高齢の父親が亡くなられた。時折、電話で話す彼女のおかあさんは・・・とうとう遠い山里でひとりぼっち。何か心を和ませてあげられるもの・・・暫しのかなしみの休憩に・・・とふわふわのねこのぬいぐるみを贈った。あの子は、子どもの頃に猫を飼っていたそうだしもしかしたら、そのねこのぬいぐるみに話しかけてひ...ふわふわしたもの

  • 夜桜の下で

    風に揺れる夜桜の下で。たいせつなひとを想う時その想いはきっと伝わってる。そう信じよう!夜桜の下で

  • サクラの花

    桜が咲くと母を思う。いろんなさくら。あの春の、あの旅の、あの町の。。。桜の幹から直接芽吹いて咲くチビっこの桜がとても好きだったっけね。「ほら、見てみ!ここにも!」ってはしゃいでいた声を今もおぼえてるよ。いろんな花に、おもかげを遺してくれてありがとう。サクラの花

  • ないものねだり

    だんだん、周りでも「介護」の話題が増えてきた。お母さん、お母さんの介護なら、なんぼでもしたかったよ。介護で大変な想いをしているひとには聞かせられないね。バチが当たる。ないものねだり。でも、ほんとうに、お母さんにはたくさん恩返ししたかったんだよ。明日はお母さんの誕生日。79歳になるはずだった日。毎年、母の大好きなフリージアをプレゼントしてた。亡くなってからは、お墓に供えてもらうように遠方の伯父に贈って託していたのだけれど・・・。伯父も認知症になり、お墓へも以前のようには足を運べなくなってしまったので近年は贈るのを止めにした。母とフリージア。すきだったモンブラン・ケーキ。あした、フリージアを買ってこよう。ひとりでモンブラン、食べようかな。おかあさんが食べたがっているのかもね。そういうことにしておこう(^^*)ないものねだり

  • 前の夜

    きっとみんなそうなんだと思う。一番キツイのは、命日の当日ではなくその前夜。前夜は、大切な人が確かにまだこの世にいた最期の時間だから。明日は震災から丸4年。3月11日。。。自死であれ、天災であれ、亡くなり方は違っても逝ってしまったひとを想う気持ちは同じ。どちちが、よりツライとか人と比べてるのは止そう。ひとの心の痛みを測るようなことはもう止めよう。誰だって大切な人を喪えば心に大きな傷を負う。みんなおなじだから。悲しみに優劣も大小もないのだから。我慢しないで自分の心が望むままに、すきなだけ泣いてもいいんだよ。前の夜

  • 想う

    「ああ、あの子はこういう気持ちだったのかな。」時に、とてもとても空しい気持ちに捲かれると一瞬だけあの子の気持ちが「想像」できる。こういう気持ちが日々積もって重なって希望を感じることがなくなっていったら・・・・・・・・・そういう事態になることもあるのか・・・。私は、ならない。だって私は生きることに貪欲だから。次の春がくることも木の芽が膨らんでいくことも桜の舞うのをみることも夕焼けの空が赤く染まることもどれもこれもいとおしいから。あの子を想う時、あの子が置いていった旦那さんを想う。あの子が置いていった子どもたちを想う。ひとりひとりそれぞれのこころにあの子を喪った空洞を抱えてそれでもそれぞれに日々を生きてる。仕事をし、勉強をし、恋をし、笑って生きている。私は、彼らを愛しく想い空の上のあの子に「だいじょうぶだよ。みんな...想う

  • ゆうがたの匂い

    わたしの、こころの整理整頓法は、歩くこと。目的地を定めず、ただもくもくとこころの向くままに歩く。あるく。アルク。さあ、帰ろうって思うまで。ゆうがたの住宅街。どこからか、甘じょっぱい匂いが流れてきた。どこかの台所で、誰かがしょうゆとお酒と砂糖としょうがを入れて何かをコトコトと煮ている匂い。ひどい懐かしさに捲かれてなみだが出そうになって困る。さあ、家へ帰ろう。いろんなことがあっても現実に生きているひとのいる場所へ。ゆうがたの匂い

  • みえないフタ

    こころのなかの開かずの間。普段は、こころの中のある部分にだけフタをしている自分がいることを知っている。時に、みえないフタが勝手に浮き上がって中から抑えられていた感情が霧のようにふわりふわり・・・おっと、危ない。これは、涙雲に成長する霧だ。今ここではダメ。みえないフタを元の位置にそっと戻す。わかってる。いっぱいなのはわかってる。ちゃんとふわふわとすきなように溢れさせてあげるから今はちょっと待とうよ。そうやって自分のココロをなだめすかすことにもだんだん慣れてきたみたい。溢れる感情は、押し込めるだけじゃだめなんだよね。ひとりになって、今ならいいよ。って時にフタを外してさあ、ご自由に。いくらでも出ておいで。みえないフタ

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