短冊に 願いを記す 子どもらは 今を見つめて明日に向かって
聴くほどに 昭和を語る 歌謡曲 前を見ていた二十歳の頃の
断捨離を すればするほど 思い出が 逃げて行きますひとつ残らず
あじさいが あちらこちらに 花ひらき まるでこの世の極楽浄土
起きがけに パッフェルベルの カノン聴き 今日がスタートゆるりゆるりと
しなやかな 人のこころに 芯のあり 飾りを捨てるわたしの友は
望郷の 歌が生まれる このところ あれほど嫌っていたはずなのに
信濃川 流れる越後の ふるさとは 米で栄える穀倉地帯
黄昏れる 男五人が 語り合う 今が学生時代のように
ひさびさに 仲間五人と 語り合う 病いのはなし半分以上は^_^
雨落ちる ごとき梅雨空 くちなしの 花のかおりの北口の窓
淹れたての コーヒーかおる リビングに 和らぐ今日の午前六時は
湘南の 四号館の キャンパスの 明日につながる螺旋階段*学生時代に思いを馳せて
わずかでも 詩情があれば いつだって 誰でも詩人誰でも歌人
道行けば 甘くせつない くちなしの かすかに匂うスーパーの裏
色を変え 日々わたくしを 癒します 野辺に咲きたるあじさいの花
午前五時 すべての窓を 開けはなち 部屋に呼び込むみどりの風を
半世紀 超えてつながる 友がいる ありがたきかないついつまでも
朝食は 北海道の お土産を 友の優しさコーヒー添えて
いついつも 老若男女 誰とでも 対等平等人間だから
この朝は 視野を広げて 深呼吸 視野狭窄のわたくしだから
トーストに バターを塗って コーヒーと ともに味わうはつ夏の朝
あじさいの 花咲く道を われは行く 白やピンクを楽しみながら
やわらかに 白き花咲く 立葵 朝を和ます六月六日
楽しみは 池袋にて 明日うたげ ギタークラブの仲間五人と ※学生時代の
なぜかしら 明治維新を 賛美する 小説読めば残る違和感
新しき ノートに記す 望郷歌 アイスコーヒーひとくち飲んで
ふるさとを 捨てたつもりの わたくしが 幾度も詠う望郷の歌
詠むほどに こころの揺れて 次々と 浮かんできます二十歳のわれが
詠むほどに こころの揺れて 次々と 浮かんできますふるさとの歌
六月の 五日の朝は アリア聞き ひと息いれるコーヒー添えて
あじさいの 色の変化を 楽しんで 毎日あゆむ並木通りを
ふるさとの 山に向かえば 答えます 帰ってこいよ越後の里に
あまりにも 爽やかなので 詠むとする あじさいかおる六月朝を
一日が 平穏無事に 過ぎてゆく 今日もあしたもあさってまでも
バス停まで 走ってみます 全力で 胸の鼓動に怯えながらも
このわれを 育ててくれた ふるさとの 信濃の川と弥彦の山よ※新潟県 信濃川 弥彦山
あじさいの 花咲く道を 三千歩 目にて楽しみ目にて安らぐ
ふるさとの 弥彦神社に お参りに 行こうと思う七十過ぎて ※弥彦神社 新潟県
まっすぐに 立ちて花咲く 立葵 赤が目にしむはつ夏の朝
六月の 四日の朝に ブローチの ごとき花咲く矢車菊は
なぜ歌を 詠うのだろう やわらかな みどりの風にこころの揺れて
懐かしの 昭和歌謡を 聞きながら 想いにふける二十歳の頃を
次々と 咲いて色づく 紫陽花の 色の変化を楽しむわれは
雨の日は 部屋に篭りて 声を出し 読んでみようか走れメロスを
雨の日は 昭和歌謡を 聞きながら 思い浮かべる青春の日を
横になり 静かに雨の 音を聞き 思い浮かべるわがふるさとを
ひたすらに 毎日歌を 詠みました 二万五千首十年かけて
ドリップに お湯をそそげぱ 香り立つ いつものコーヒー部屋いっぱいに
くちなしの 花の芽固く ひきしまり 開花待つなり今か今かと
納豆に ねぎとカラシと たまご入れ ご飯にかける今朝は和食で
はやばやと 掃除を終えて 朝食を まるで僧侶の修行のように
パトロンの メジチ家無ければ 成り立たぬ フィレンツェ発祥ルネサンスは
かの人は 聖地巡礼 スペインの 大したものですひとり旅とは
起きがけの 四コマ漫画に 癒される 東京新聞「ねえ、ぴよちゃん」の
バルセロナに 立ちておどろく 佇まい 石の聖書のサグラダファミリア※半世紀前の欧州ひとり旅にて※サグラダファミリア 聖家族贖罪教会
真剣に 今現在を 歴史とは 息づいているこの瞬間も
クレームで 潰れる教師 あまたあり 夢を見るよな仕事のはずが
子の成長 願い仕事を してきたが 結果がすべて世相を観ると
紫陽花の 色の変化の 楽しくて スマホかざしてシャッターを切る
北国の りんごの花は 美しく 白く小さく可憐に咲いて
夏野菜の 花を愛でるも いいものだ 白や黄色やむらさきありて
騎馬戦に 組体操に 棒倒し 忘れ去られる運動会で
かんたんに 三振すれど かんたんに ホームラン打つ大谷翔平
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短冊に 願いを記す 子どもらは 今を見つめて明日に向かって
トーストに バターを塗って ジャムを塗り コーヒー添える日曜の朝
野辺に咲く テッポウユリの 白き花 傘が次々ひらくようにと
短冊に お願いごとを 記します 一病息災七月七日
ドトールの ミラノサンドを 食すとき イタリアもどきのおのれを笑う
純白の テツポウユリを 眺めつつ 夏の夜明けを楽しむわれは
なにひとつ 浮かびやしない こんな時 ひとり静かにコーヒー淹れる
スペインの 巡礼終えた わが友の ありがたきかなブログの歌は
つまらない 歌と言えども 詠います 明日につながるわたしの歌を
七月に 入り歌詠む まず三首 気取ることなく飾ることなく
短冊に 願いを記す この歳で 愛は不滅とやや大げさに
歌を詠み 今日がはじまる この朝は コーヒー添えて更なる一首
陽が昇り 今日の暑さを 予感する 梅雨は開けたか七月一日
短冊を かざる団地の 子どもらは 明日を夢見て願いを記す
たくましき ブログの友に ただ拍手 スペイン巡礼ひとりの旅に
どことなく すがしき大気を 取り入れて 歌でも詠もう午前四時半
ポルトより ブログがとどく 友からの 歌と写真と笑顔を載せて
裏道の ノウゼンカズラは 生き生きと 花を咲かせる夏のにおいの
一輪の 薔薇を見つけた 花散歩 夏のにおいの並木通りで
土曜日の 朝の散歩で 探すのは 明日の希望とあさがおの花
ゆったりと 時が流れる 新聞を 大きく広げる土曜日の朝
さて明日は 7月7日 七夕の 笹の葉揺れて短冊揺れる
短冊に 何を願うか まず平和 ウクライナでもパレスチナでも
作為なく ありのままにて あゆみゆく 凛と咲きたるあじさいのごと
いくさ無き 世の中願い 今日もまた テキストひらく世界の歴史
あじさいは 朽ちていきます ポツポツと 夏のひかりをまともに受けて
見渡せば 素材の無くて なにひとつ 浮かばぬわれは空を見上げる
振り返る ことの多くて 今日もまた 読書にふける「裏の日本史」
なにひとつ 浮かばぬことも あるだろう それでも記す空のこころを
小雨降る 団地の隅の 笹の葉の さらさら揺れる七月一日
健康と 平和やっぱり この二つ 七夕様に願うとすれば
晩年は 生徒指導に 明け暮れて 夕陽がきみのこころをひらく
さくさくと 敷石あゆむ 城下町 小江戸川越日曜の午後
とりあえず ビールではなく とりあえず コーヒーなのですわたしの場合
さて明日は 仲間四人と 散策に 小江戸川越歴史の道を
官能の 声が聞こえる くちなしの 白き花咲く雨の路地裏
若き日に めぐる欧州 ひとり旅 ラインの川の流れにまかせ
ポイントを 教えてくれた 講習会「俳句は切れる」「短歌は述べる」
アイスかな それともホット 週末の 喫茶で迷う梅雨のコーヒー
五十年 内装変わらぬ 喫茶店 たばこの匂う昭和のままに