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  • 弁証法で読み解く「天皇制の起源」(弁証法の活用による、天皇制の起源を伝える生駒の神話の復元)

    弁証法とは 弁証法の活用(2-1)に戻る 天皇制に戻る 正〈ナガスネヒコ=殺戮を知らない存在〉(ナガスネヒコが生きた殺戮がないところでは、ナガスネヒコの本然の性である「非戦・避戦の精神」は無価値なものであった〉ー反〈殺戮できるし、する存在であるイワレヒコが正と衝突し、正を「否定=殺戮」しようとした〉ー金の鵄とび(金鵄きんし)(ニギハヤヒの神話的表現とも考えられる)が飛来し、または、ニギハヤヒがが登場し、ナガスネヒコがイワレヒコに反撃してそれを殺戮せんとするのを阻止した、のを契機に合が実現し、正と反が合わさった。つまり、イワレヒコは、ナガスネヒコの意思を受け継いでいくことで、殺戮などしないで平和な国づくりをする存在である天皇に上昇して初代天皇神武として即位し、「非戦・避戦の精神」は最大価値を持つものにアウフヘーベン(ステップアップ)した。 なお、日本書紀に記されている金の鵄とびは「非戦・避戦の精神」が見える化したものである(戦前の軍部は金鵄勲章なるものをつくって、それを正反対のものとした。つまり、記紀がナガスネヒコを賊としたのと同様の改ざんである)。 また、「天皇制の起源」 を弁証法で読み解くことは、 大和王権という国家(殺戮をもいとわない強制力による統治機関)により改ざんされていた生駒の神話を弁証法を活用して復元することである。 国家(=権力)は疎外物である。疎外とは「よそよそしい」ということで、人間がつくったものでありながら、人間にそよそしくなり時には歯向かうこともある、ということである。この権力が殺戮しないように制御する(縄文時代の「非戦・避戦の精神」を継承する)ために成立したのが天皇制である。そのため、殺戮を属性とする権力と「非戦・避戦の精神」を属性とする天皇とは対抗関係にあった。日本の歴史において、多くの時期は前者が後者を抑えてきたが、時には、それが逆転することもあった(その事例が、「非戦・避戦の精神」に記載)。「左大臣巨勢徳陀子が、倭国の実力者になっていた中大兄皇子(後の天智天皇)に新羅征討を進言したが、採用されなかった」「斉明天皇崩御にあたっても(中大兄)皇子は即位せずに称制し、朴市秦造田来津を司令官に任命して全面的に支援した」(いずれも白村江の戦いより/太字強調は引用者)も、この文脈でのことである。殺戮を属性とする国家(=権力) が消滅するとき、天皇制もその役割(ナガスネヒコがイワレヒコに国譲

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