心の病。鬱、リスカ、OD、希望をもてない2人の切なくても悲しい恋愛。
「あの時、死んでいたらいいのか今でも分からない。ただ今生きているのは、君を想う人を存在させるだけかもしれない」
ルカ、君がいなくなってから、もう18度目の夏が来る。僕の机の上は、その時々の気分で本棚から取り出された書物で埋まっている。写真立ての中の君は、いつまでも18歳の、あのときの笑顔のままだ。人生で一番可能性があって、輝いている時。そして横にはシルバーの指輪がある。 僕はもう30代も後半になってしまった。空は君と裏山で見た時と同じように、今日も晴れている。誰かが、「空に手を伸ばせば、離れていてもいつもつながっている。」と歌っていたけど、18年の年月が流れていても、僕達はつながれることが出来るのだろうか。君と出逢うまでの僕は仕事もできず、社会ともつながれず、不安と恐怖で誰にも気付かれない下水溝の中で、…
高校3年の時、僕は殆ど不登校であったが、2年の時の素行の良さと最低限の出席日数で、なんとか高校を卒業できた。大学に受かる自信も無く、専門学校でやりたい事も無いので、僕は進学をせずに、何をやっているのかもよく分からない会社で、アルバイトとして働くことにした。職種は営業職で、とある制度の会員を募集するというものだった。この制度、実は一般の人には殆ど知られていないものなのだが、当時の高卒には魅力的な18 万円という月給に惹かれて、入社したのだった。僕の家は両親が離婚をしていて、父子家庭である。食費は父が出してくれたが、給料は自分の欲しい本や生活費に使い、そして最低賃金で働いて、苦労をしている母親に仕…
僕は7月の終わりの昼頃、新しい仕事を探さなければならないのに、また同じような経験をするかもしれないと二の足を踏み、求人に応募することが出来なかった。 ある日の夕食中、父に「早く仕事を見つけろ!」と怒鳴られた。僕は精一杯の気持ちで、「出来ないんだよ、仕事。それ以外にも、人付き合いや、今までできなかった事、全部何もかも出来ないんだ。」と涙ぐみながら言った。「出来ないんじゃないんだよ。やる気を出せ、と言っているんだ。家にいても部屋に閉じこもって、寝ているだけじゃないか!せっかくバイトを始めたと思ったら3カ月も経たないで辞めて、いったい何がしたいんだ。」そう言うと、父はウイスキーを飲みほして、「それか…
僕達が出会ったのは、北海道の短い夏の8月の初め。青空をキャンパスにして、大きな綿菓子の様な雲と太陽の光のコントラストでとても天気の良い、大きな病院の開放病棟だった。普通、自傷他害のある患者は閉鎖病棟に入れられる。しかし僕が入院した病院は、管理が甘かった。それと、空いている病床が開放病棟にしかなかった。僕は3階の開放病棟、ルカは緊急で入院したので3階に空き部屋がなく、6階の開放病棟に入院した。医師に入院する時、「絶対、リストカットはしないでください。」と言われた。そう言われたが、それで止められるのならば入院などしていない。 本当に止めさせたければ、何としても閉鎖病棟に入れるはずなのに、と僕はこの…
ある時、僕は6階で陣取ってテレビを見ているルカに会いに行って話していた事がある。中学生だった時の事。僕の中学の時はね……。 僕は、授業が終われば、サッカー部の副キャプテンとして部活にでて、休みの日は、友達と遊ぶ毎日だった。今思えば、あの頃は何も悩みが無く、また、あまりにも世間のことを知らなさすぎた。心が一番平和だった。でも、部活も終わって、本を読むようになって、次第に内向的になっていった。僕は、今まで読まなかった、太宰治やドストエフスキーなどの著書を好んで読んでいたのも、 その性格になっていったからだろう。遊びもスポーツから、友達と見よう見まねで覚えたマージャンをした。マージャンはすぐに学年中…
ある日、曽根さんに、「ルカちゃんもアムカするの?」と聞かれた。「いや、しないよ。」と僕が言うと、「腕に包帯巻いていたよ。アムカじゃないのかな?」と言った。ルカはOD をしても、アームカットはしていない。僕は確かめる為に会いに行くと、「結構すっきりするね。びっくりした。」と、ルカは言った。ルカは僕のまねをして、アームカットをしていた。僕は複雑な気分になり、「もうしちゃ駄目だよ。」と言うと、「うん。やらない。だってOD の方がすっきりするもん。」と、笑顔を見せた。彼女のOD癖は、もう後戻りの出来ない状況になっていたのだった。僕は、そんな無邪気な笑顔の裏にあるルカの心に、気付いてあげられなかった。「…
僕とルカは一緒にいるときは精神的に健康だった。これは恋愛の高揚感が根付いている「鬱」の症状を隠しているのであろう。そして、帰ってきて1人になるとまた調子が悪くなる。僕はその気分をブログで吐き出す。 9月3日12時30分「最近、ダメです。時間を持て余していて、希死念慮強いし。クスリなんて眠剤あれば寝られるから、眠剤しか飲んでない。クスリを飲んだってACには効かない。たんまり残るクスリはODする気もないんで捨てています。税金でクスリもらって来て、捨てているのは、じいちゃんが年金もらっていて、警察にスピード違反でつかまって金払うのと矛盾しますか?とにかく、虚しい。刹那的に切って、犯罪起こして、死んで…
鬱病は適切な治療を受けないと、なかなか治らない。治療をしてさえも、半数近くの患者は慢性化してしまう。僕の記憶が正しければ、哲学者キルケゴールは「死にいたる病」という本を書いた。内容はわからないが、まさに「鬱」は「死にいたる病」だと思った。僕の場合は、「AC」や「ボーダー」という背景もある。一筋縄にはいかない。10月になり、季節はすっかり秋になっていた。トンボも飛び始め、夕焼け空がオレンジになっていた。暖かい間、僕は半袖のシャツを着て、右腕にロングリストバンドをしているのだが、もう長袖を着る季節になっていた。ルカは半袖の時もリストバンドをしておらず、傷もなかった。「アームカットは入院中の一度だけ…
結局のところ、僕は生きることも、死ぬと言う事も知らないで生きてきたんだ。「守ってやる。」だの「生きていこう。」だの考えてみたところで、好きな女の子一人満足に生きる事すら、させてやることが出来なかった。ただ周りの目ばかり気にして、格好つけて生きているだけで、何十億人もいる世界の中で、自分が中心にいると思い込んで、ルカと初めて会った時、数日前に自殺未遂をしたことなんてちっとも覚えてなくて、何かこころに光が差したように感じた。 ルカが退院するときにこっちを見て目が合ったこと、初めて言葉を交わして自己紹介をした時の君の声、手を繋いで行った裏山、初めて触れた唇、幸せな日々……加速度的に仲良くなっていたと…
ルカ、あれから18 年経った。僕は36 歳になった。どんどん君との年齢が離れていく。もう君から見たら、おじさんの歳だろう。僕は君の誕生日は知らない。君も僕の誕生日を知らなかったろう。長い付き合いではなかったから、誕生日すら聞くことも無かった。2ヶ月間という、短い付き合いだった。でもそれは僕の中では、人生で最も尊い2ヵ月だった。 そして10月に君が亡くなったことだけは忘れない。あの景色を覚えている?病院の裏山から、高台を上がって見下ろせる札幌の景色。もう2度と見ることのないあの景色。僕は君の彼氏でふさわしいように、18歳で亡くなった君を後悔させることが出来るように歳を重ねることが出来ただろうか。…
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