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2012/12/23

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  • 信仰はあるかないかのどちらか

    「そのとき、弟子たちはそっとイエスのもとに来て、言った。「なぜ、私たちには悪霊を追い出せなかったのですか。」イエスは言われた。「あなたがたの信仰が薄いからです。まことに、あなたがたに告げます。もし、からし種ほどの信仰があったら、この山に、『ここからあそこに移れ。』と言えば移るのです。どんなことでも、あなたがたにできないことはありません。」(マタイ17:19-20)---イエスは言う、「からし種ほどの信仰」。つまりそれは信仰があるのである。信仰とはあるかないかのどちらかしかない。たとえば「信仰が30%ある」というようなことはない。信仰の成長ということもない。違う言い方をすると、信仰とは獲得するものではなく与えられるものである。罪を自覚し、背負わされた十字架を背負って死に至り、そしてよみがえって与えられる。こ...信仰はあるかないかのどちらか

  • いのちを見出す / いのちを見失う

    「それから、イエスは弟子たちに言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。いのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしのためにいのちを失う者は、それを見いだすのです。人は、たとい全世界を手に入れても、まことのいのちを損じたら、何の得がありましょう。そのいのちを買い戻すのには、人はいったい何を差し出せばよいでしょう。」(マタイ16:24-26)---ソロモンは賢王で、イスラエル王国に繁栄をもたらした。いわゆるソロモンの栄華というやつだが、一方で彼は、伝道者の書(コヘレトの言葉)で「空の空。伝道者は言う。空の空。すべては空」(1:2)と虚しさをむき出しにする。ソロモンは全世界を手に入れたかも知れないが、まことのいのちを見失ってしまったのである...いのちを見出す/いのちを見失う

  • 求め続ければ救いの方からやってくる

    「すると、その地方のカナン人の女が出て来て、叫び声をあげて言った。「主よ。ダビデの子よ。私をあわれんでください。娘が、ひどく悪霊に取りつかれているのです。」しかし、イエスは彼女に一言もお答えにならなかった。そこで、弟子たちはみもとに来て、「あの女を帰してやってください。叫びながらあとについて来るのです。」と言ってイエスに願った。しかし、イエスは答えて、「わたしは、イスラエルの家の滅びた羊以外のところには遣わされていません。」と言われた。しかし、その女は来て、イエスの前にひれ伏して、「主よ。私をお助けください。」と言った。すると、イエスは答えて、「子どもたちのパンを取り上げて、小犬に投げてやるのはよくないことです。」と言われた。しかし、女は言った。「主よ。そのとおりです。ただ、小犬でも主人の食卓から落ちるパ...求め続ければ救いの方からやってくる

  • 神を利用するのか、神を信じるのか

    「すると、夜中の三時ごろ、イエスは湖の上を歩いて、彼らのところに行かれた。弟子たちは、イエスが湖の上を歩いておられるのを見て、「あれは幽霊だ。」と言って、おびえてしまい、恐ろしさのあまり、叫び声を上げた。しかし、イエスはすぐに彼らに話しかけ、「しっかりしなさい。わたしだ。恐れることはない。」と言われた。すると、ペテロが答えて言った。「主よ。もし、あなたでしたら、私に、水の上を歩いてここまで来い、とお命じになってください。」イエスは「来なさい。」と言われた。そこで、ペテロは舟から出て、水の上を歩いてイエスのほうに行った。ところが、風を見て、こわくなり、沈みかけたので叫び出し、「主よ。助けてください。」と言った。そこで、イエスはすぐに手を伸ばして、彼をつかんで言われた。「信仰の薄い人だな。なぜ疑うのか。」そし...神を利用するのか、神を信じるのか

  • イエスはいつでも食わせるパン屋のおやじなのだろうか

    「そしてイエスは、群衆に命じて草の上にすわらせ、五つのパンと二匹の魚を取り、天を見上げて、それらを祝福し、パンを裂いてそれを弟子たちに与えられたので、弟子たちは群衆に配った。人々はみな、食べて満腹した。そして、パン切れの余りを取り集めると、十二のかごにいっぱいあった。食べた者は、女と子どもを除いて、男五千人ほどであった。それからすぐ、イエスは弟子たちを強いて舟に乗り込ませて、自分より先に向こう岸へ行かせ、その間に群衆を帰してしまわれた。」(マタイ14:19-22)---前々から不思議なのだが、どこまでもしつこくイエスを追いかけてくる群集は、給食の奇跡で満腹するや実にあっさりとイエスから離れてくれる。四千人の給食(マタイ15:32-39)でも全く同様に、満腹するや、あっさりとイエスから離れる。次から次へと飛...イエスはいつでも食わせるパン屋のおやじなのだろうか

  • 世のものなど惜しみなく売っ払うほどの宝

    「天の御国は、畑に隠された宝のようなものです。人はその宝を見つけると、それを隠しておいて、大喜びで帰り、持ち物を全部売り払ってその畑を買います。」(マタイ13:44)---この聖書箇所を初めて読んだときの自分は、持ち物を全部売り払うことのあまりのもったいなさに、まだ見つけてもいないのに後ろ髪を引かれる思いでいっぱいだった。賛美歌「キリストにはかえられません」の歌詞にある「世の楽しみよ、去れ、世のほまれよ、行け」も、当時は同じ思いで歌っていた。だが、そんな自分もこの宝を見つけたときにはすべてを大喜びで売ってこの畑を買うのである。なにしろこの世に死んですばらしいいのちに生まれ変わったのだから、世のものなど惜しみなく売っ払えるのである。---[一版]2022年5月28日[二版]2024年11月4日イエス様の平安...世のものなど惜しみなく売っ払うほどの宝

  • 隠されていた宝

    「天の御国は、畑に隠された宝のようなものです。人はその宝を見つけると、それを隠しておいて、大喜びで帰り、持ち物を全部売り払ってその畑を買います。」(マタイ13:44)---私はカネを求めていたようで、そうではなかった。人からの栄誉を求めていたようで、そうではなかった。ほんとうに求めていたもの、それが実に、聖書にあった。「わたしはいのちのパンです。」(ヨハネ6:48)まさしくイエス御自身こそが、いのちのパン、わき出る泉(ヨハネ4:14)、また永遠のいのち(ヨハネ6:27)そのものであったとは!今の私は、特に何かを失ったわけでもない。明日からも、今まで通り、ごく普通に売り買いするだろう。今まで通りに、怒り、泣き、笑うだろう。ストレスも、依然として大きいだろう。人としての営みには、さほどの変化があるとは思えない...隠されていた宝

  • イエスのいう豊かさとは

    「すると、弟子たちが近寄って来て、イエスに言った。「なぜ、彼らにたとえでお話しになったのですか。」イエスは答えて言われた。「あなたがたには、天の御国の奥義を知ることが許されているが、彼らには許されていません。というのは、持っている者はさらに与えられて豊かになり、持たない者は持っているものまでも取り上げられてしまうからです。」(マタイ13:10-12)---「持っている者はさらに与えられて豊かになり、持たない者は持っているものまでも取り上げられてしまう」、これをマタイ効果と名付けている人々がいるそうだ。富を持つ者はさらに大きな富を持ち、という意味で、多くの人もこの意味を想起すると思うが、イエスは「あなたがたは、神にも仕え、また富にも仕えるということはできません。」(マタイ6:24)とも言っているのであるから...イエスのいう豊かさとは

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