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2012/12/23

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  • 恵みという名の種

    「イエスは多くのことを、彼らにたとえで話して聞かされた。「種を蒔く人が種蒔きに出かけた。蒔いているとき、道ばたに落ちた種があった。すると鳥が来て食べてしまった。また、別の種が土の薄い岩地に落ちた。土が深くなかったので、すぐに芽を出した。しかし、日が上ると、焼けて、根がないために枯れてしまった。また、別の種はいばらの中に落ちたが、いばらが伸びて、ふさいでしまった。別の種は良い地に落ちて、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結んだ。耳のある者は聞きなさい。」(マタイ13:3-9)---種がさまざまな場所に蒔かれた。ちなみに蒔いたのは「種を蒔く人」だ。種を蒔く人は場所を選ばずどんなところにも蒔いている。日の当たらないところ、雨の降らないところにもまんべんなく種は蒔かれた。この種には名前がある...恵みという名の種

  • しるしを見て納得できれば信仰に至るのか

    「そのとき、律法学者、パリサイ人たちのうちのある者がイエスに答えて言った。「先生。私たちは、あなたからしるしを見せていただきたいのです。」しかし、イエスは答えて言われた。「悪い、姦淫の時代はしるしを求めています。だが預言者ヨナのしるしのほかには、しるしは与えられません。ヨナは三日三晩大魚の腹の中にいましたが、同様に、人の子も三日三晩、地の中にいるからです。」(マタイ12:38-40)---現代に生きる私たちは、何かが正しい(または正しくない)ことを言うために、証拠によって根拠づける。だからパリサイ人たちが、しるし(証拠)をみせてほしいとイエスに頼むのも、全く分からないでもないのだが、彼らがしるしを見せて欲しいというのは、何かを確かめるためではなく、しるしが与えられればイエスを信じるというものである。しかし...しるしを見て納得できれば信仰に至るのか

  • イエスは私にもまむしのすえと言っているんじゃないか?

    「まむしのすえたち。おまえたち悪い者に、どうして良いことが言えましょう。心に満ちていることを口が話すのです。良い人は、良い倉から良い物を取り出し、悪い人は、悪い倉から悪い物を取り出すものです。わたしはあなたがたに、こう言いましょう。人はその口にするあらゆるむだなことばについて、さばきの日には言い開きをしなければなりません。あなたが正しいとされるのは、あなたのことばによるのであり、罪に定められるのも、あなたのことばによるのです。」(マタイ12:34-37)---人はその肉に、よい倉も悪い倉も宿しており、良い物も取り出せれば悪い物も吹き出てしまう。ことばによって罪に定められるのならば、ことばでの失敗のない人間などいないのだから、全ての人間が神の御前に有罪なのである。私たちもまた、まむしのすえなのである。そのよ...イエスは私にもまむしのすえと言っているんじゃないか?

  • 重荷を背負い続けるすべての人へのイエスの招待

    「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」(マタイ11:28-30)---今日はたまたま祝日・スポーツの日だが、休んで汗かいて気分転換しろよというのとは根本的に異なるイエスのこの招きは、人の根っこの部分をがらりと変えようとするものだ。そもそも、私たちはなぜ重荷を背負い続け疲労感に苛まれることになるのか。それは、世慣れていないのに世に身を置いているからなのかもしれない。イエスが変えようとしているのは、世慣れていない私たちを世慣れさせることではなく、世慣れてい...重荷を背負い続けるすべての人へのイエスの招待

  • 周囲の評価より天との和解

    「この時代は何にたとえたらよいでしょう。市場にすわっている子どもたちのようです。彼らは、ほかの子どもたちに呼びかけて、こう言うのです。『笛を吹いてやっても、君たちは踊らなかった。弔いの歌を歌ってやっても、悲しまなかった。』ヨハネが来て、食べも飲みもしないと、人々は『あれは悪霊につかれているのだ。』と言い、人の子が来て食べたり飲んだりしていると、『あれ見よ。食いしんぼうの大酒飲み、取税人や罪人の仲間だ。』と言います。でも、知恵の正しいことは、その行ないが証明します。」(マタイ11:16-19)---バステスマのヨハネやイエスは悔い改めを説き、当時のパリサイ人の世と鋭く対立した。ヨハネは飲み食いしないというので悪口をいわれ、イエスは大いに飲み食いして悪口を言われる。飲み食いについての善し悪しで言われているので...周囲の評価より天との和解

  • イエスとは

    「さて、獄中でキリストのみわざについて聞いたヨハネは、その弟子たちに託して、イエスにこう言い送った。「おいでになるはずの方は、あなたですか。それとも、私たちは別の方を待つべきでしょうか。」(マタイ11:2-3)---イエスはバステスマのヨハネについて、「きたるべきエリヤ」と言っている(14節)。その預言者エリヤにたとえられるヨハネが、イエスについて確信が持てない。イエスがキリストなのかどうなのか。自分が教会の門を叩いて聖書を読み始めた頃、神は分かるし聖霊も分かった。もっともそれは、神はいると頭で思い描いたという程度でしかなかったが、イエスというこの人はどういう人なのだろうと、どうにもうまく飲み込めなかった。バステスマのヨハネですら迷ったのだから、分からなくても寧ろ当たり前かもしれない。ところが、復活のイエ...イエスとは

  • 自分の十字架を負ってというのは文字どおり十字架を負うこと

    「自分の十字架を負ってわたしについて来ない者は、わたしにふさわしい者ではありません。自分のいのちを自分のものとした者はそれを失い、わたしのために自分のいのちを失った者は、それを自分のものとします。」(マタイ10:38-39)---イエスはこの世に来て、どのような役割を果たしただろうか。一言でいうと、「肉において罪を処罰」するため(ローマ8:3)である。そのために、十字架に架かり、そしてよみがえった。そして、私たちが自分自身の罪を処罰して御父と和解するための道筋をつけたのである。これがイエスの役割であり十字架であった。イエスにある者、また、イエスに従おうとする者もまた、自分なりの十字架を気づくと負っている。それはイエスがつけたこの道筋を歩むことに他ならない。だから、イエスが「自分の十字架を負って」とここで言...自分の十字架を負ってというのは文字どおり十字架を負うこと

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