「この方は見たこと、また聞いたことをあかしされるが、だれもそのあかしを受け入れない。そのあかしを受け入れた者は、神は真実であるということに確認の印を押したのである。」(ヨハネ3:32-33)---上の聖書箇所は、イエスの公生涯を一言でまとめたものとも言える。弟子たちも含めて、誰一人イエスのあかしを受け入れる者はいなかった。だが、この受け入れることについては、私が受け入れるのではない。復活のイエスが私に受け入れを迫り、確認の印を私に押してくる。信仰は、私が持とうと思って持つものではなく、信仰させられるのである。このことについて、私は毎回あかししている。---イエス様の平安がありますように!にほんブログ村確認の印は私が押すのではない、イエスが私に押しに来る