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2012/12/23

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  • 敵のために心から祈るのは

    「『自分の隣人を愛し、自分の敵を憎め。』と言われたのを、あなたがたは聞いています。しかし、わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。それでこそ、天におられるあなたがたの父の子どもになれるのです。天の父は、悪い人にも良い人にも太陽を上らせ、正しい人にも正しくない人にも雨を降らせてくださるからです。」(マタイ5:43-45)---イエスは次のようなたとえ話をしている。「イエスは、また別のたとえを彼らに示して言われた。「天の御国は、こういう人にたとえることができます。…………。だが、主人は言った。『いやいや。毒麦を抜き集めるうちに、麦もいっしょに抜き取るかもしれない。だから、収穫まで、両方とも育つままにしておきなさい。収穫の時期になったら、私は刈る人たちに、まず、毒麦を集め、焼...敵のために心から祈るのは

  • 目をえぐりだせと言うイエス

    「『姦淫してはならない。』と言われたのを、あなたがたは聞いています。しかし、わたしはあなたがたに言います。だれでも情欲をいだいて女を見る者は、すでに心の中で姦淫を犯したのです。もし、右の目が、あなたをつまずかせるなら、えぐり出して、捨ててしまいなさい。からだの一部を失っても、からだ全体ゲヘナに投げ込まれるよりは、よいからです。もし、右の手があなたをつまずかせるなら、切って、捨ててしまいなさい。からだの一部を失っても、からだ全体ゲヘナに落ちるよりは、よいからです。」(マタイ5:27-30)---シロアムで目の見えない人(ヨハネ9章)を癒やしたイエスは、私たちには目をえぐりだせと言っている。見えなくなれと言っている。イエスの厳格な律法解釈は、「だれでも情欲をいだいて女を見る者は、すでに心の中で姦淫を犯した」と...目をえぐりだせと言うイエス

  • イエスの律法解釈はたいへんに厳しい

    「昔の人々に、『人を殺してはならない。人を殺す者はさばきを受けなければならない。』と言われたのを、あなたがたは聞いています。しかし、わたしはあなたがたに言います。兄弟に向かって腹を立てる者は、だれでもさばきを受けなければなりません。兄弟に向かって『能なし。』と言うような者は、最高議会に引き渡されます。また、『ばか者。』と言うような者は燃えるゲヘナに投げ込まれます。だから、祭壇の上に供え物をささげようとしているとき、もし兄弟に恨まれていることをそこで思い出したなら、供え物はそこに、祭壇の前に置いたままにして、出て行って、まずあなたの兄弟と仲直りをしなさい。それから、来て、その供え物をささげなさい。」(マタイ5:21-24)---「人を殺してはならない」という十戒の中の戒めを形式上守ることは、多くの人にとって...イエスの律法解釈はたいへんに厳しい

  • イエスは律法を成就するために来られた

    「このように、あなたがたの光を人々の前で輝かせ、人々があなたがたの良い行ないを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようにしなさい。わたしが来たのは律法や預言者を廃棄するためだと思ってはなりません。廃棄するためにではなく、成就するために来たのです。まことに、あなたがたに告げます。天地が滅びうせない限り、律法の中の一点一画でも決してすたれることはありません。全部が成就されます。だから、戒めのうち最も小さいものの一つでも、これを破ったり、また破るように人に教えたりする者は、天の御国で、最も小さい者と呼ばれます。しかし、それを守り、また守るように教える者は、天の御国で、偉大な者と呼ばれます。まことに、あなたがたに告げます。もしあなたがたの義が、律法学者やパリサイ人の義にまさるものでないなら、あなたがたは決し...イエスは律法を成就するために来られた

  • 塩気をなくした塩は塩気をつけてもらえる

    「あなたがたは、地の塩です。もし塩が塩けをなくしたら、何によって塩けをつけるのでしょう。もう何の役にも立たず、外に捨てられて、人々に踏みつけられるだけです。」(マタイ5:13)---塩気をなくした塩は、どうなるのであろう。神の御国の役には立っていないようになる。では、どうすれば、あるいは、どうであれば、神の御国の役に立つことができるのだろうか。それは自分一人でできることではなく、このことのためにイエスが受肉して公生涯を開始したのである。塩気はこのイエスがつけてくださるのだ。塩気をなくした私たちに会いに来て、ご自身と同じように私たちを死なせそしてよみがえらせる。罪が赦され義と認められ、御父との和解に至る。こうして、私たちはイエスを介した御父への信仰を与えられ、塩気をつけてもらって地の塩たるを回復する。神の御...塩気をなくした塩は塩気をつけてもらえる

  • 義への飢え乾き

    「義に飢え渇いている者は幸いです。その人は満ち足りるからです。」(マタイ5:6)---ここでいう「義」とは、文脈上、神の義の意。誤解を恐れず言い換えれば、神に認められるということ。さらに誤解を恐れずにいうと、神がお造りになった私たちは、その神から認められていない。アダムの違反のためだ。アダムの子孫でありアダムの肉を持つ私たちは、神の聖なる律法を遵守することができない。それも全くできない。そのことは、山上の説教の中でイエスがこれから明らかにしてゆく。律法に照らして、アダムの子孫である私たちは罪深い存在であり、神の義には到達できない。義を求めてどれだけ熱心に行っても神の水準にははるかに届かず、ここに至って自身の罪深さ、義への飢え乾きはピークに達する。しかし、その到達できない神の義、これを求めてやまない人こそ幸...義への飢え乾き

  • おのれの心に地獄を見出す者は幸いである

    「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人のものだからです。」(マタイ5:3)---ユング心理学者の河合隼雄さんは、「おのれの心に地獄を見出し得ぬ人は、自ら善人であることを確信し、悪人たちを罰するための地獄をこの世につくることになる」と書いている(「影の現象学」,p.169)。この言い方を借用するなら、イエスの上の聖句は、おのれの心に地獄を見出す者は幸いであるという趣旨と言っても差し支えがないと思う。「悪人たちを罰するための地獄をこの世につく」っているのは、福音書の時代ではパリサイ人、律法学者たちであり、彼らは自分たちは律法を守り教える善人だと思いこんでいる。だが、こういう人たちが自分の内面の地獄に目が向くことはまれで、さらに言えば、その内面の地獄から外側に目をそらすために他人様を罰しているところがあるは...おのれの心に地獄を見出す者は幸いである

  • ペテロはなぜイエスに声を掛けられたのか ペテロはなぜすぐ従ったのか

    「イエスがガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、ふたりの兄弟、ペテロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレをご覧になった。彼らは湖で網を打っていた。漁師だったからである。イエスは彼らに言われた。「わたしについて来なさい。あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう。」彼らはすぐに網を捨てて従った。そこからなお行かれると、イエスは、別のふたりの兄弟、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネが、父ゼベダイといっしょに舟の中で網を繕っているのをご覧になり、ふたりをお呼びになった。彼らはすぐに舟も父も残してイエスに従った。」(マタイ4:18-22)---イエスが歩くガリラヤ湖のほとりには、多くの漁船が並び持ち主たちが手入れをしていた。その中で、イエスはペテロ、アンデレとヤコブ、ヨハネに声を掛け、彼らは仕事も何もなげうってイ...ペテロはなぜイエスに声を掛けられたのかペテロはなぜすぐ従ったのか

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