ブレイキーは、リーダーでありながら、バンドの演奏トレンド、演奏志向には口を出さなかった。ジャズ・メッセンジャーズ(JM)のそれぞれの時代で、メンバーの中から「音楽監督」的立場のメンバーを選び出し、バンドの演奏トレンド、演奏志向は、この「音楽監督」に任せて、一切、口を挟むことは無かった。『Art Blakey and the Jazz Messengers(1961 album, Impulse!...
ジャズ喫茶『松和』は仮想喫茶店。大好きなジャズや70年代ロックの話題など、音楽三昧な日々をどうぞ。
名盤請負人の異名を持つ、根っからのバップ・ピアニスト「トミー・フラナガン(Tommy Flanagan・以下「トミフラ」と略)」。1970年代後半から、ドイツのレーベル「Enja(エンヤ)」に7枚のリーダー作を残している。トミフラの、米国ジャズらしからぬ「流麗で典雅」な、テクニック確かなピアノの個性が、ホルスト・ウェーバーに響いたのだろう。Tommy Flanagan『Confirmation』...
名盤請負人の異名を持つ「トミー・フラナガン(Tommy Flanagan・以下「トミフラ」と略)」。トミフラのピアノは伴奏に回ってこそ際立つ、なんて「ピントのズレた」評価もあるが、トミフラは元々はバップなピアニスト。ビ・バップからの流れを汲む「テクニック秀逸、ばりばりピアノを弾きまくる」が、フラナガンの本質。加えて、トミフラは応用力抜群の職人肌テクニックの持ち主でもある。「伴奏に回ってこそ際立つ...
グローヴァー・ワシントンJr.(Grover Washington Jr.、以下「ワシントンJr.」と略)は、スムース・ジャズの父、フュージョン・ジャズにおけるサックスの帝王と呼ばれていたが、それ故、彼の名前を出すと「ああ、コマーシャルでソフト&メロウな、フュージョン・サックスね」と、結構、低く見られることが多かった。大体、そういう輩は、ワシントンJr. のサックスをちゃんと聴いていない。失礼千万...
フュージョン・ジャズとか、スムース・ジャズについて語ると、どうもウケが悪い。でも、ウケ狙いでブログ記事をアップしている訳では無いのだが、フュージョン・ジャズにも、スムース・ジャズにも「良い音楽」という類の好盤が沢山ある。我がヴァーチャル音楽喫茶『松和』では、フュージョン・ジャズ、スムース・ジャズも、きっちり「守備範囲内」なので、適宜、好盤をご紹介している。グローヴァー・ワシントンJr.(Grov...
漆黒ブルージーな、黒い情感のレジェンド・ピアニスト、マル・ウォルドロン。初期の「マル4部作」を聴くことで、マルの個性の基本部分が理解できる。そんな、マルの個性を理解する上で”便利”な「マル4部作」。今日は、そんな4部作のラスト盤を取り上げる。Mal Waldron『Mal/4; Trio』(写真左)。1958年9月26日の録音。ちなみにパーソネルは、Mal Waldron (p), Addiso...
マル・ウォルドロン(Mal Waldron)は、漆黒ブルージーな、黒い情感のレジェンド・ピアニスト。2002年12月に逝去しているので、逝去後、既に20年以上が経過したことになる。もう、そんなになるのか。マルのピアノは個性的。硬質なタッチの底に、もやっとした黒いブルージーな雰囲気が横たわっている。そして、端正な弾きこなしの端々にラフな指さばきが見え隠れする。この「黒い情感と適度なラフさ」がマルの...
ブレッカー兄弟が立ち上げ、エレ・ジャズ・ファンクの代表的バンドとして、一世を風靡した「ブレッカー・ブラザーズ」。1994年にて活動を停止、2007年には、弟のマイケルが骨髄異形性症候群から進行した白血病によって逝去。このマイケルの逝去によって、「ブレッカー・ブラザーズ」は永久に活動停止となった。The Brecker Brothers『Out of the Loop』(写真左)。1992年4月〜...
そろそろ、日野皓正の「渡米後」のフュージョン・ジャズからコンテンポラリー・ジャズについて、このブログでコメントせんとなあ、と最近、思い始めた。和フュージョン・ジャズを語る上では、日野皓正のフュージョン・ジャズ盤は避けて通れない。日野皓正『Daydream』(写真左)。1980年の作品。ちなみにパーソネルは、日野皓正 (cor, flh), Dave Liebman (ts), John Trop...
初代「John Abercrombie Quartet」について、昨日の続きを。ECMレーベルの総帥プロデューサー、マンフレッド・アイヒャーとリッチー・バイラークとの喧嘩の件、この双方が最終的に決別したのが、初代「John Abercrombie Quartet」の3枚目のアルバムの録音時のことであったらしい。John Abercrombie Quartet 『M』(写真左)。1980年11月...
ジョン・アバークロンビー(以降「ジョンアバ」と略)のリーダー作のディスコグラフィーと、このブログでのジョンアバのリーダー作の記事化の有無をチェックしていて、あるパーソネルのECMレーベルでのリーダー作のみが廃盤になっているのに気がついた。ジョンアバは長年、ECMレーベルのハウス・ギタリストの位置付けだっただけに不思議なことである。どうも、よくよく見てると、リッチー・バイラークが入っているパーソネ...
ジュリアン・ラージの『View with a Room』は傑作だった。ラージとフリゼールのギター2本の絡みが素晴らしく、官能的な「くすんだ音色」と「前のめりでアグレッシブなフレーズ」というラージのギターの独特な個性全開。フォーキーで、どこか懐かしい、哀愁感漂う米国ルーツ・ミュージックの音要素を融合して、ジャズのフォーマットに乗せる「アメリカーナ」でジャジーな音世界は見事だった。Julian L...
ドナルド・バードは「機を見て敏なる」トランペッターだった。トランペッターとして、テクニックは優秀、端正でブリリアントで理知的な吹奏。破綻無く、激情に駆られて吹きまくることなく、理知的な自己コントロールの下、常に水準以上のバップなトランペットを吹き上げる。そんなドナルド・バード、ハードバップ初期の頭角を表し、ハードバップの優れた内容のリーダー作を幾枚もリリース、その後、ファンキー・ジャズに手を染め...
ジョン・アバークロンビー(以降「ジョンアバ」と略)のギターの音世界が好きで、1970年代から、ずっとジョンアバのアルバムを追いかけている。欧州ジャズらしい、彼しか出せない叙情的なサスティーン・サウンドが、とにかく気持ち良い。特に、ECMレーベルでの、ECM独特の深いエコーに乗ったジョンアバのギターシンセには、聴くたびに惚れ惚れである。John Abercrombie『Current Event...
僕は「チック者」である。チックを初めて聴いたのが、1970年代半ばだったから、2021年2月9日に逝去するまで、かれこれ既に半世紀、チックをずっとリアルタイムで聴き続けてきたことになる。よって、チックのリーダー作については、当ブログで全てについて記事にしようと思っている。現時点で、あと十数枚、記事にしていないアルバムがある。今日は、その中の「異色作」について語ろうと思う。Chick Corea...
チック・コリアのリーダー作の「落穂拾い」。当ブログに、まだ記事化していないチックのリーダー作を順に聴き直している。意外とソロ・ピアノ集が多く、記事化されていない。あまり興味が湧かなかったかとも思ったのだが、聴き直してみると、どのアルバムもチックの個性が散りばめられていて、聴き応えのあるものばかりである。Chick Corea『Children's Songs』(写真左)。1983年7月の録音。E...
チック・コリアのピアノとゲイリー・バートンのヴァイブは凄く相性が良い。ジャズ特有のファンキー色を限りなく押さえ、ブルージーでマイナーな展開を限りなく押さえ、硬質でクラシカルな響きを前面に押し出し、現代音楽の様なアブストラクトな面を覗かせながら、メロディアスで流麗なフレーズを展開する。楽器は違えど、音の性質は同類の二人。Chick Corea & Gary Burton『Lyric Sui...
向井滋春は、和ジャズを代表するトロンボーン奏者の一人。1976年に初リーダー作『For My Little Bird』でデビュー。当初は、コンテンポラリーな純ジャズがメイン。しかし、1979年、約1年間、NYに在住した折にフュージョン・ジャズに触発される。そして、いきなり、フュージョン・ジャズに転身する。向井滋春『Spacing Out』(写真左)。1977年9月28日、日本コロムビア第1スタジ...
月刊誌「レコード・コレクターズ」2024年6月号の特集、「フュージョン・ベスト100 邦楽編」を眺めていて、向井滋春のアルバムが目に入った。懐かしい。和フュージョン全盛時、もともと、トロンボーンの音色が好きなこともあって、向井滋春のフュージョン盤はよく聴いた。意外とトロンボーンって、フュージョン・ジャズに向いているんですよね。向井滋春『Hip Cruiser』(写真左)。1978年10月2~6日...
月刊誌「レコード・コレクターズ」2024年6月号の特集、「フュージョン・ベスト100 邦楽編」に挙がったアルバムを聴き直している。当時、ヘビロテで聴いたアルバムも多くある。当ブログに記事としてアップしていないアルバムも結構ある。当時の耳で聴いた感覚と今の耳で聴いた感覚、意外と変わらないのが面白い。松岡 直也 &ウィシング 『The Wind Whispers』(写真)。1979年の作品。...
1973年の再結成後、順調に内容のあるアルバムを2枚、リリースしてきた、マンハッタン・トランスファー(The Manhattan Transfer=以下「マントラ」と略)。そろそろ「マントラの音志向」を確立するタイミングでもあった。The Manhattan Transfer『Pastiche』(写真左)。1976年12月から1977年9月の録音。1978年のリリース。ちなみにパーソネルは、Ti...
1973年、一旦解散したマンハッタン・トランスファー(The Manhattan Transfer=以下「マントラ」と略)。その後、まもなく、リーダーのティム・ハウザーは、ローレル・マッセ、ジャニス・シーゲルと出会う。そして、アラン・ポールを紹介され、新生マントラを立ち上げることを決意、『The Manhattan Transfer (Atlantic, 1975) 』(左をクリック)で再デビュー...
マンハッタン・トランスファー(The Manhattan Transfer=以下「マントラ」と略)は、1969年にティム・ハウザー(Tim Hauser)が中心となり結成したジャズ・コーラス・グループ。マントラと言えば、1973年にティム・ハウザーをリーダーとして、アラン・ポール、ジャニス・シーゲル(1979年からシェリル・ベンティーン)、ローレル・マッセーの4人組という印象だが、これは再結成後...
シビアで硬派で「即興が命」の純ジャズを聴き続けた合間、耳休めにウエストコースト・ジャズを聴くことが多い。ウエストコースト・ジャズは、1950年代後半から1960年代全般にかけて、米国西海岸、ロスアンゼルス、サンフランシスコを中心に流行ったジャズの演奏トレンド。ハイテクニックを駆使して流麗で聴き心地の良いパフォーマンス、聴き手に訴求するキャッチーなアレンジ。「聴かせる」ジャズを旨とした、ジャズの演...
リッチー・バイラークはNY生まれ。当初、クラシック音楽とジャズの両方を学び始め、バークリー音楽大学に入学。1年後、バークリーを離れ、マンハッタン音楽学校に移り、彼はマンハッタン音楽学校を音楽理論と作曲の修士号を取得して卒業した才人。確かに、バイラークのアレンジは、学者然とした「理詰め」の雰囲気が強い。ピアノの個性は、リリカルで耽美的、そして「多弁」。ハイテクニックを駆使して、多弁なフレーズを弾き...
ジャズ・インストを聴き続けた合間、耳休めに女性ジャズ・ボーカルを聴くことが多い。もともとジャズ・ボーカルは得意では無い。流石に、レジェンド級の、低めの声で唸るような、こぶし豊かな、日本で言う「演歌系」のような本格派の女性ボーカルは得意では無い。聴くには聴くが、申し訳ないが、ジャズ・ボーカルの勉強の為に聴くことがほとんどで、ジャズ・インストの合間の「耳休め」に聴くことは無い。合間の「耳休め...
現代のジャズ・シーンにおいては、ギタリスト人材が豊富に感じる。そんな中でも、突出した存在の一人が、ジュリアン・ラージ。数々の有望新人を発掘してきた、ヴァイブのゲイリー・バートンが新たに発掘した天才ギタリストである。音の志向は、現代のコンテンポラリーなジャズ・ギターで、パット・メセニーの様な「ネイチャーな響き」もあり、ジョンスコに「くすんで捻れる」ところもあり、過去のレジェンド級のコンテンポラリー...
ボブ・ジェームスは、クロスオーバー〜フュージョン〜スムース・ジャズにおける、僕の一番のお気に入りアーティスト。10歳代半ばから、ずっとリアルタイムで、ボブ・ジェームスを聴き続けている。彼自身のキャリアは、60年を越える。フォープレイが解散状態に陥ってからは、自身のピアノ・トリオでの活動が目立っていた感がある。Bob James『Jazz Hands』(写真左)。2023年10月のリリース。ボブ・...
今までなら中堅どころだった、40〜50歳代の「ニューフェース」。ヴィジェイ・アイヤー(Vijay Iyer)もそんな「ニューフェース」の一人。ヴィジェイ・アイヤーは、1971年10月生まれ。初リーダー作が1995年。アイヤーが24歳の頃。以降、アイヤーのリーダー作は、20枚以上を超える。が、我が国では、なかなか人気が出ない。僕は全く知らなかった。アイヤーの名前を知るようになったのは、2014年か...
コロナ禍をやり過ごし、現代のジャズについては、順調にニューリリースを継続している。安堵である。この5年ほどの傾向として、今までなら中堅どころだった、40〜50歳代の「ニューフェース」の好盤リリースが目につく。そんな「遅れてきた」ニューフェースなジャズマン達は、20歳代後半から30歳台にも、コンスタントにリーダー作をリリースしたりと、ジャズの第一線で活動していた。が、その情報が何故か埋もれていたみ...
ジャズの楽器の中での「絶滅危惧種」の一つ、ヴァイブ(ヴィブラフォン)。スイング時代には、ライオネル・ハンプトン。ハードバップ期には、ミルト・ジャクソンがモダン・ジャズ・ヴァイブを確立した。エディ・コスタ、デイブ・パイク、ヴィクター・フェルドマン、レッド・ノーヴォらが後に続く。そして、ハードバップ後期には、レム・ウィンチェスター、ゲイリー・バートン、ボビー・ハッチャーソンが継ぎ、ジャズの多様化の時...
ドナルド・バードは、ジャズ・トランペットのレジェンド。バードのトランペットは、端正で流麗でブリリアント、ピッチやフレーズにブレは無く、アドリブ・フレーズのイマージネーション豊か、ジャズ・トランペットの教科書の様なパフォーマンスが個性。この端正で流麗で「教科書の様なパフォーマンス」が良くないらしく、我が国では、ドナルド・バードの人気はイマイチ。綺麗すぎる、うますぎる、破綻がなくて面白くない、と、何...
ドナルド・バード(Donald Byrd)は、デトロイト出身のモダン・ジャズ・トランペッターのレジェンド。ハードバップ初期から頭角を表し、1958年には、バリトン・サックス奏者のペッパー・アダムスと共同でレギュラー・グループを持っている。ハードバップから始まり、ファンキー・ジャズ、ソウル・ジャズ、ジャズ・ファンクと演奏スタイルを変えつつ、ジャズ・シーンの第一線を走り続けた。バードのトランペットは...
さて、ハンク・モブレーの「録音リアタイ〜アルバム化」の盤については「あと1枚」。最後の一枚はサヴォイ盤。しかも、モブレー単独のリーダー作ではない。モブレーと無名に近いアルト・サックス奏者との、やっつけ感満載のカップリング盤で人気が無い。恐らくこの盤が、モブレーのリーダー作コレクションのラストになるだろうと、ずっと気にかけていたのだが、なかなか入手できなかった。『The Jazz Message ...
ハンク・モブレーのリーダー作の「落穂拾い」。録音リアタイ〜アルバム化の盤については「あと2枚」。一枚はサヴォイ盤でなかなかCDで入手できなかった、僕にとっての難物。もう一枚は、プレスティッジ盤なのだが、ハンク・モブレーとしては、マイナーな存在みたいで、なかなか現物を見つけることができなかった難物。どちらも、今ではやっと音源確保できて、時々、引きずり出して来ては聴く「好盤」。Hank Mobley...
しっかりと芯の入った骨太なブロウ。テクニック良く流れる様なアドリブ・フレーズ。ハンク・モブレーは、フレーズの密度が濃い、バップなテナー・マンだった。そんな愛すべきバップなテナー・マンのハンク・モブレーのリーダー作の「落穂拾い」をしている。正式にリリースされたリーダー作の中で、まだ、当ブログの記事でご紹介していないものが3枚。1972年以降、引退後、発掘リリースされた盤が6枚。今年中には全9枚を記...
月刊誌「レコード・コレクターズ」2024年6月号の特集が「フュージョン・ベスト100 邦楽編」を眺めていて、久しぶりに「日野皓正」の存在に気がついた。元々は、限りなく自由度の高いモード・ジャズ志向のエモーショナルなバップなトランペットで、ブイブイ言わせていたのだが、いきなり、NYに渡って、思いっきりイメージチェンジ。フュージョン・ジャズに転身して、何枚かのヒット盤をリリースした訳だが、そういえば...
月刊誌「レコード・コレクターズ」の 2024年6月号の特集が「フュージョン・ベスト100 邦楽編」。先月が「フュージョン・ベスト100 洋楽編」だったのだが、今月はさらにマニアック度が増して、我が国のフュージョンの名盤・好盤のベスト100。早速、チェックしてみたが、さすがに、80%程度は聴いたことがある。しかし、残りの20%は聴いたことが無い盤で、フュージョンのアルバムについても「裾野が広いなあ...
A&Mレコードの 3000 series のカタログを見渡していて、感心するのは「ミルトン・ナシメント(Milton Nascimento)の存在である。A&Mレコードは、ハードバップ時代から第一線で活躍してきたジャズマンを重用、一流ジャズマンで固めたリズム・セクション、そして、バックに豪華なジャズオケやオーケストラを配備して、「上質でコンテンポラリーなイージーリスニング志向のジ...
A&Mレコードの 3000 series の諸作は、リーダーを務めるジャズマンについては、錚々たるメンバーである。ハードバップ時代から活躍してきたジャズマンが、こぞって、このA&Mレコードの目指す「上質でコンテンポラリーなイージーリスニング志向のジャズ」を実現する為に集ってきた。バックを司るサイドマンも、ハードバップ時代からの一流どころが参加していて、若手のスタジオ・ミュージシャ...
「K. and J.J. 」とは、ジャズ・トロンボーンの名手の二人、J.J.ジョンソンとカイ・ウィンディング。ハードバップ時代には「KAI & J.J.」というユニットを組んで、聴き心地の良いファンキー・ジャズの好盤を連発していた。その「KAI & J.J.」の再結成風のA&M盤。単なる「懐メロ同窓会」的雰囲気で終わるのではないか、という危惧を覚える。K. and J.J. 『I...
故あって、A&Mレコードの3000 series のアルバムを聴き直している。A&Mレコードの3000 series の諸作は、クロスオーバー・ジャズの範疇だと思うが、それぞれのアルバムのパーソネルを見渡すと、大方、ハードバップ時代から活躍してきた一流ジャズマンを起用している。ハードバップ時代から活躍してきた一流ジャズマンが、優れたアレンジに乗って、エレ・ジャズをバックに、ジャズ...
ジャズ・ベーシストの「生けるレジェンド」であるロン・カーター。1970年代は、クロスオーバー&フュージョン・ジャズの老舗レーベルであるCTIレコードに所属して、リーダーにサイドマンに大活躍。1970年代後半、ハービーの「V.S.O,P.」に参加、純ジャズに回帰するが、CTIレコードでの、クロスオーバー&フュージョン・ジャズのロンもなかなか良い。 Ron Carter『Blues Farm』(写真)...
ジャズの世界で、ソロ演奏にあんまり向かないフルートを専門楽器に、数々の名演を残した、ジャズ・フルート演奏家の一人がハービー・マン。フルートという楽器は、音色が甘く、音の強弱・濃淡がつけにくくて、演奏の幅とバリエーションが限定されてしまう傾向にあり、ジャズの世界では、あんまり、ソロ演奏に向かない楽器。ただし、フルートは、息をちょっと強く吹くことで、エモーショナルで、ファンキーな音色を出すことがで...
フュージョン・ジャズの源はどの辺りにあるのだろう。僕は、1960年代後半、A&Mレコードの諸作が、その源の一つだと思っている。A&Mレコードは、元々は1962年にハーブ・アルパートとジェリー・モスが設立したレコード・レーベル。ジャズのジャンルについては、ファンキー&ソウル・ジャズのエレ化をメインに、当時、ポピュラーな楽曲のカヴァーなど、ポップでジャジーなフュージョン・ジャズの先駆...
キースのアメリカン・カルテット。『The Survivors' Suite(邦題:残氓)』を録音した時点で、グループとして終わっていた。続く、ライヴ盤『Eyes of the Heart(邦題:心の瞳)』では、もうカルテットの演奏としても終わっている。キースの曲をキースの指示通り演奏することに「痺れを切らした」レッドマンが、完全にキースのカルテットから離反した。このアメリカン・カルテットの終焉を...
ザ・スクエア(1989年から「T-スクエア」)は、我が国が世界に誇るフュージョン・バンドの一つ。バンド・メンバーは自身を「ポップ・インストゥルメンタル・バンド」と称している。独特の「融合音楽」志向、独特のアレンジや引用・カヴァーは、米国フュージョン・ジャズを志向していない、我が国のフュージョン・ジャズとしても、ユニークな存在。ポップでキャッチーな音世界は、通常のフュージョン・ジャズではない、唯一...
我が国のフュージョン・ジャズ・バンドの代表格が、「CASIOPEA(カシオペア)」と「T-SQUARE(T-スクエア)」(デビューから1988年までは「THE SQUARE」)。この2つのバンドが、我が国のフュージョン・ブームを牽引していた様に思う。「T-スクエア」は、純国産フュージョン・ジャズの音作り。我が国の音楽シーンから引用される独特のアレンジや展開、他のジャンルとの融合のバリエーションが...
カシオペアは、結成時からリーダー兼ギタリストの野呂が書くオリジナル曲を中心に演奏してきた。バンドの方針なんで、良いも悪いも無いのだが、長年、その音楽性を継続してくると、演奏側からすると「慣れ」、聴く方からすると「マンネリ感」が芽生えてくる。カシオペアとて例外では無かった様である。CASIOPEA『SUN SUN』(写真左)。1986年6月8日 - 6月29日、NYでの録音。1986年9月のリリー...
CASIOPEA(カシオペア)。世界に誇る、我が国の老舗フュージョン・ジャズ・バンド。1977年に結成。1979年にデビュー。2006年に全ての活動を一旦休止。6年後の2012年、CASIOPEA 3rd(カシオペア・サード)の名義で活動を再開、2022年7月からは、CASIOPEA-P4(カシオペア・ピーフォー)に名義を再々度変更して活動を継続している。カシオペアのデビューが、僕がちょうどジャ...
聴くたびに思うのだが、キース・ジャレット率いる「アメリカン・カルテット」って何だったんだろう。モードからフリー、スピリチュアルから、アフリカン・ネイティヴなビートから、アーシーでフォーキーなアメリカン・サウンドから、キースのやりたかった音をごった煮にした音世界。キースは一体、何を表現したかったのか。Keith Jarrett『Eyes of the Heart』(写真)。邦題「心の瞳」。1976...
今までのキースのアメリカン・カルテットの評価って、どうなんだろう、と思うことがある。同一日、同一メンバーによる2枚のアルバム、『Death and the Flower』と『Back Hand』。『Death and the Flower』は、我が国では大受けで、スイングジャーナルでゴールド・ディスク賞まで受賞している。しかし、『Back Hand』については、全くの低評価。しかし、ちゃんと聴い...
Monty Alexander(モンティ・アレキサンダー)。1944年6月6日生まれ。ジャマイカ系アメリカ人のジャズ・ピアニストである。ジャズ・ピアニストのスタイルとしては オスカー・ピーターソンの直系とされる。テクニック抜群、力強いタッチ、スケールの大きい弾きっぷり、下世話な位判り易い展開。さしずめ「細めのピーターソン」といったところだろうか。鑑賞に耐えるレベルで止まってはいるが、笑える位にピ...
ブラジリアン・フュージョンの雄、未だに愛され続ける人気グループ「アジムス」。現代においても、レアグルーヴ、サイケ、ヒップホップなど様々なシーンからリスペクトされている唯一無二の音世界。ソフト&メロウなフレーズに、スペーシーな音の広がりとサイケデリックなブレイクダウン、ライトなファンクネスを忍ばせつつ、しなやかでソリッドにうねるようなグルーヴは独特の個性。Azymuth『Light As A Fe...
『The Flip』のリリースにて、ブルーノートを離れたハンク・モブレー。『The Flip』の録音は1969年7月12日。それから2年7か月、モブレーは短命のコブルストーン・レーベルにリーダー作を吹き込む。しかし、このリーダー作が、録音リアルタイムでリリースされた最後のモブレーのリーダー作になってしまった。Hank Mobley『Breakthrough!』(写真)。1972年2月22日の録音...
ブルーノートでの初リーダー作が、1955年3月録音のブルーノートの5066番『Hank Mobley Quartet』。以来14年間で、録音リアルタイムでリリースされたリーダー作が17枚。ほぼ1年に一枚のペースでリーダー作をリリースし、サイドマンでの参加も多数。今回、ご紹介するアルバムは、ブルーノートのハウス・テナー奏者の位置付けだったモブレーのブルーノート最終作である。Hank Mobley『...
確か、1965年リリースの『The Turnaround!』から、ジャズロックに手を染め出したモブレー。ジャズロックに加えて、ポップなハードバップにも取り組み出したモブレー。巷では、硬派なジャズ者の方々中心に「軟弱なモブレー」「ダサいモブレー」などと、すこぶる評判がよろしくない。しかし、モブレーは、ロックやソウルを意識したクロスオーバーなジャズに適応することでジャズ人気を維持する為、「コッテコテ...
ハンク・モブレーは、ハードバップ・ジャズの中では中堅をなすテナーマンで、その歌心溢れるテナーで人気のジャズマンである。初期の頃は、バリバリのハード・バップを演っていたが、 1960年代に入ると、ジャズ・ロックやモード・ジャズの時流に乗って、ジャズ・ロックあり、ボサノバあり、モード・ジャズあり、と変幻自在の演奏を繰り広げるようになる。H...
ケニー・ドーハムは、1924年8月生まれ、1972年9月に48歳で逝去。リリースしたリーダー作は20枚。最後のリーダー作は1965年だから、その後7年間は引退状態。初リーダー作が1953年なので、ドーハムの活動期間は12年と短いものだった。ドーハムはちょっと不思議なトランペッターで、ジャズマン同士の中で、米国評論家の間では何故か評価が高い。しかし、人気はイマイチで、アルバムの売り上げも芳しいもの...
哀愁のトランペッター、ケニー・ドーハム。キャッチフレーズの「哀愁の」については、ドーハムのワンホーンの名盤『Quiet Kenny』の印象が強くて、彼のキャッチ・フレーズには、頭に「哀愁の」が付くことが多い。しかし、ドーハムって、もともとはビ・バップ時代から活躍する、筋金入りのバップ・トランペッターであって、基本は「溌剌とした、ビ・バップなトランペット」が身上。バリバリとビ・バップなフレーズを吹...
『A Funky Thide of Sings』(1975)のリリース後、ブレッカー兄弟が抜けて、エレクトリックなジャズ・ファンクの橋頭堡が不在となったビリー・コブハムのバンド。クロスオーバーなエレ・ジャズ・ファンクを捨てて、次作では、いきなりハードで硬派なクロスオーバー・ジャズに転身した。Billy Cobham『Life & Times』(写真左)。1976年の作品。ちなみにパーソネ...
レコード・コレクターズ 2024年5月号の「【特集】フュージョン・ベスト100 洋楽編」を読んでいて、しばらくその名前に触れることの無かった、お気に入りのジャズマンの幾人かを思い出した。感謝である。Lonnie Liston Smith(ロニー・リストン・スミス)。米国リッチモンド出身のピアニスト&キーボーディスト。大学卒業後、プロの道を進み、サンダースやブレイキー、カーク、バルビエリ、マイルス...
米国ウエストコースト・ジャズは、洒脱に小粋に「聴かせる」ジャズである。この盤では、米国のウエストコースト・ジャズの真骨頂を聴く様な、どこから聴いても「ウエストコースト・ジャズ」な演奏がズラリと並んでいる。洒落たアレンジ、響きの美しいアンサンブル、テクニック溢れる洒脱なアドリブ展開、グループサウンズ優先の整った演奏。そんな、ウエストコースト・ジャズの個性をバッチリ反映した演奏がこの盤に詰まっている...
マイケル・ブレッカーを聴きたくなった。マイケルが白血病で急逝したのが、2007年1月。57歳の早すぎる逝去だった訳だが、当時、とても驚いた。人生の中間点の50歳を過ぎて、マイケルのテナーには円熟味が増し、スタイル・フレーズ共に、マイケルならではの個性を揺るぎないものにした矢先の逝去だったので、実に残念な思いをしたことを記憶している。Michael Brecker 『Now You See It....
ロン・カーターはジャズ・ベーシストのレジェンド。リーダー作については、ベーシストとしては珍しく、かなりの数に上る。リーダー作というのは、まずテクニックがあって積極性があって、そして、プロデュース力があって、統率力がなければ出来ない。加えて、サイドマンとして、他のジャズマンのリーダー作のセッションに参加した数は膨大な数にのぼる。「演奏内容と共演メンバーを活かすも殺すもベーシスト次第」という面からす...
ジャズ演奏におけるベースの役割は大きい。まず、演奏全体の曲のボトムをしっかり支える。次に、曲のルート音をしっかり押さえて、曲全体の調性を整える。そして、リズム隊として、ドラムとピアノと共同で、曲のリズム&ビートを供給する。「演奏内容と共演メンバーを活かすも殺すもドラマー次第」というが、ベースもドラマーと同様に、ジャズ演奏における役割は大きい。「演奏内容と共演メンバーを活かすも殺すもベーシスト次第...
米国ウエストコースト・ジャズは「小粋に聴かせるジャズ」。演奏の基本はハードバップだが、優れたアレンジを施し、演奏テクニックは極上、個の演奏よりグループサウンズを優先。アンサンブルとインタープレイがメイン、聴き手にしっかりと訴求する、聴き応えがあって、聴き味の良いジャズ演奏を「聴かせる」。そんなウエストコースト・ジャズにおいて、ドラマーの役割は重要。演奏内容と共演メンバーを活かすも殺すもドラマー次...
我がバーチャル音楽喫茶「松和」は、フュージョン・ジャズも分け隔てせず範疇に入れて、ジャズ盤の感想を掲載している。フュージョン・ジャズも「良い音楽」と「悪い音楽」とがあって、当然、「良い音楽」なアルバムも沢山ある。決して、「時代の徒花」などと突き放すことはしていない。今月の最新号、レコード・コレクターズ 2024年5月号の「【特集】 フュージョン・ベスト100 洋楽編」を読んでいて、ベスト100に...
ジャック・デジョネット(Jack DeJohnette)。John Abercrombieの『Timeless』(1974)辺りから、サイドマンとしては、ECMレーベルのハウス・ドラマーとして、数々のアルバムのドラムを務めている。1983年からは、キース・ジャレット率いる「スタンダーズ」の専任ドラマーとして、キースが引退状態になる2018年まで継続した。特に、ECMサウンドには欠かせない「臨機応...
ラーズ・ヤンソンは、1951年、スウェーデン生まれ。1975年、プロとしての活動がスタート。自己のトリオを結成した1979年以後は、北欧ジャズの第一線で活躍している「古参」の存在。1980年代に優れた内容のリーダー作を連発、国際的にも北欧ジャズの担い手なる一流ジャズ・ピアニストとして認知されている。Lars Jansson Trio 『The Time We Have』(写真左)。1996年3月...
バーニー・ケッセルのギターは、チャーリー・クリスチャンを源とするビ・バップ・ギターを洗練させ、ビ・バップ・ギターの奏法を取りまとめて、ひとつのスタイルとして完成させたもの。コード弾きを織り交ぜたシングル・トーンの旋律弾き、伴奏に回った時のクールなコード弾きのカッティング、太いトーンでホーンライクに弾きまくるアドリブ・フレーズ。バーニー・ケッセルのギター奏法は、源にチャーリー・クリスチャンのモダン...
歴代のファースト・コールなドラマーのレジェンドの一人、ジャック・ディジョネット。ディジョネットもリーダーとして優れたリーダー作を多数リリースしている。ディジョネットのドラミングは「ポリリズム」。ファンクネスはかなり控えめで、品が良く切れ味の良い、クールなポリリズムが身上。1969年、帝王マイルスがディジョネットを見初めて、「ロスト・クインテット」でドラムを叩いたが、ツアーに出るのが嫌で、マイルス...
Bill Bruford 『Feels Good to Me』
ジャズを本格的に聴き出す前は「ロック小僧」だった。高校に入って、いきなりプログレッシブ・ロック(略して「プログレ」)に嵌った。EL&Pから始まって、イエス、キング・クリムゾン、ピンク・フロイド、フォーカス、ジェネシス、ムーディー・ブルース等々、クラブの先輩達とガッツリ聴きまくった。このプログレ好き、バカテク+インスト中心の楽曲好きが昂じて、即興演奏がメインのインストの「ジャズ」に興味が移...
クロスオーバー・ファンクに音楽性が変化した「クルセイダーズ」。『サザン・コンフォート』(1974年) から、徐々に米国南部の粘りのあるファンクネスが抜けて、洗練されたアーバンな雰囲気のファンクネスに変化、同時に、当時流行し始めていたフュージョン・ジャズにいち早く、適応していった時期が1970年代半ばの頃。そんな時期に、いよいよ、フュージョン・ファンクな音を整えたクルセイダーズの好盤がリリースされる...
オスカー・ピーターソンは、ジャズを本格的に聴き始めた頃からの「お気に入りピアニスト」。「鍵盤の皇帝」と呼ばれるほどの超絶技巧とスイング感。高速フレーズをバリバリ弾きまくる。ドライブ感&グルーヴ感抜群。歌心溢れるバラード表現も秀逸。『Con Alma: The Oscar Peterson Trio – Live in Lugano, 1964』(写真左)。1964年5月26日のライヴ録音。ちなみ...
ジョナサン・ブレイク(Johnathan Blake)。1976年7月生まれ。今年で48歳。現代ジャズにおけるファースト・コール・ドラマーの一人。ブレイクのドラムは伝統的なハードバップ〜モード・ジャズのドラミングの継承。テクニックが高い分、彼のドラミングには幅と余裕があるが、叩きだすビートはポジティヴで「攻めのドラミング」である。Johnathan Blake『Passage』(写真左)。202...
現代のファースト・コール・ドラマーの一人、アントニオ・サンチェスのリーダー作を聴いていて、他のファースト・コール・ドラマーのリーダー作を聴き直してみたくなった。まずは「ブライアン・ブレイド(Brian Blade)」。1970年生まれだから、今年54歳。ジャズ界では引っ張りだこのドラマーの一人である。ブレイドのドラムは、多彩かつ大胆かつ繊細。非常に味のあるドラミングを披露してくれる。聴いていて惚...
昨日、アントニオ・サンチェス(Antonio Sánchez)の『Three Times Three』(2014年)を聴いて、彼は現代ジャズの先端を行くドラマーの一人だということを再認識。そういえば、まだ、当ブログで、彼の初リーダー作を記事にしていないことに気がついた。と言うことで、早急に彼の初リーダー作を聴き直してみた。Antonio Sánchez 『Migration』(写真左)。2007...
現代の一流ドラマーの一人、アントニオ・サンチェス(Antonio Sanchez)。1971年11月1日生まれ。今年で53歳、バリバリの中堅ドラマー。2002年の作品『Speaking of Now』にて、パット・メセニー・グループ(PMG)に参加。初リーダー作は、2007年の『Migration』。これまで9枚のリーダー作をリリース。現在では、押しも押されぬ、現代のジャズ・ドラマーの代表格の一人...
Lee Konitz(リー・コニッツ)。1927年10月13日、米国シカゴ生まれ。2020年4月15日、米国NYにて逝去。享年92歳。コロナ感染が起因の合併症での逝去であった。トリスターノ門下生として「クール・ジャズ」推進の旗手の一人として活躍。その後、即興演奏の極みを求めて、様々な演奏フォーマットにチャレンジ。70年余の活動期間の中で、自らのスタイルを貫き通した「サックスの仙人」である。Lee...
ビル・エヴァンスはジャズ界最高のピアニストの一人。活動期間は、初リーダー作が1956年。第一線で活躍の中、1980年9月に急死。約25年の活動期間だった。約25年の第一線の活動期間の中で、ハードバップからモード・ジャズを自家薬籠のものとし、1970年代のクロスオーバー〜フュージョン・ジャズの時代にも、自らのスタイルを変えること無く、メインストリーム志向のビル・エヴァンス流の純ジャズなピアノを深化...
クルセイダーズは息の長いバンド。1961年にジャズ・クルセイダーズとしてアルバム『フリーダム・サウンド』でメジャー・デビュー。以降、R&Bやソウル・ミュージックの要素を取り込んだ、粘るビートの効いたファンキー・ジャズをメインとし活動。そして、1971年にグループ名を「ザ・クルセイダーズ」に改名。エレ楽器メインのクロスオーバー志向のジャズ・ファンクに音楽性を変えながら、1970年代半ばには、フュー...
アトランティック・レコード時代のジョン・コルトレーン。リーダー作の記事化の最後のアルバムになる。ブログの右下のカテゴリーの欄に、「ジョン・コルトレーン on Atlantic」にてまとめているので、ご興味あれば、ここからブログ記事を参照されたい。さて、僕はアトランティック・レコード時代のコルトレーンのリーダー作は、どれもが自らの「鍛錬」を最優先にしたリーダー作だと感じている。コルトレーンのアトラ...
『Coltrane Plays the Blues』 です。
以前から、コルトレーンは意外と「聴き手」のことは気にしていない様に感じている。バラード表現にしろ、シーツ・オブ・サウンドにしろ、モード・ジャズにしろ、どれもがコルトレーンが独自に考え出した「コルトレーン流」の表現であり、「コルトレーン流」の奏法であり、そのコルトレーン流の表現や奏法について、自らの「鍛錬」を最優先にリーダー作を吹き込んでいたふしがある。『Giant Steps』は、コードチェンジ...
コルトレーンは、1964年辺りから、モード・ジャズから、急速にフリー・ジャズ、そして、スピリチュアル・ジャズへと進化を遂げていった。1965年リリースのリーダー作には、もはやハードバップの欠片も無い。それでも、ハードバップ時代の、ハードバップな吹奏のコルトレーンは絶品だった訳で、聴き手側からのニーズとして、「鑑賞音楽」としてハードバップなコルトレーンが聴きたい、というのは、いつの時代も聴き手から...
1959年、プレスティッジ・レーベルから、アトランティック・レーベルに移籍したコルトレーン。移籍後、いきなり『Giant Steps』なる問題作を吹き込む。コルトレーン流のモード・ジャズ、そして、コルトレーンの十八番「シーツ・オブ・サウンド」に本格的に取り組んだセッションの記録。しかし、コルトレーン流のモード・ジャズとシーツ・オブ・サウンドは、共演するジャズマンをシビアに選ぶ、そして、今までのジ...
当ブログでの未記事のジョン・コルトレーンのリーダー作の「落穂拾い」は順調に進んでいる。先週、コルトレーンのディスコグラフィーを基に、当ブログで既に記事にしたリーダー作をチェック。リーダー作はあと7〜8枚程度残っているだけ、パブロ・レーベルのライヴ盤については、もともと今までノーマークだったので、未聴のライヴ盤が5枚。いよいよ、今年はコンプリートに向けて、ラストスパートである。John Coltr...
デクスター・ゴードン(以降、デックス)は、1962年に渡欧、主にパリとコペンハーゲンで活動している(1976年には米国に戻るが)。米国でのレーベル契約を "ブルーノート" から "プレスティッジ" に切り替えていた為、この盤は、プレスティッジ・レーベルでの録音になっている。プレスティッジでの録音と聞くと、お得意の「ジャムセッション一発録り」と「複数セッションからの直感的な選曲」を想起して、内容につ...
1970年代後半から1980年代前半は「フュージョン・ジャズの時代」。電気楽器をメインに基本のビートは8ビート、テクニック優秀、聴き応えと聴き心地を優先したジャズ。1950年代から培われてきた、生楽器をメインに基本のビートは4ビート、テクニック優秀、即興演奏の妙とインタープレイを主とした「ハードバップな純ジャズ」とは正反対の音楽性。しかし、1979年、このフュージョン・ジャズとハードバップな純ジ...
1970年代後半から1980年代前半のフュージョン・ブームの真っ只中、後に伝説となる人気グループが多く出た。パッと頭に浮かんだだけでも、「スタッフ」「ジェントル・ソウツ」「クルセイダーズ」「ブレッカー・ブラザーズ」「ステップス・アヘッド」「スパイロ・ジャイラ」「イエロージャケッツ」など、個性溢れるバカテク集団がずらり。Yellowjackets『Samurai Samba』(写真左)。1985年...
ベーシストがリーダーのアルバムは難しい。ベースという楽器自体、リズム&ビートと演奏のベースライン’を供給するのがメインの楽器なので、管楽器などの様に旋律を奏でるのが「得手」ではない。つまり、演奏する旋律をメインに、演奏の個性や特徴を全面に出すのが難しい。それでも、ベーシストがリーダーのアルバムには、リーダーのベーシストの個性や特徴、テクニックを全面に押し出したアルバムもある。しかし、これは後が続...
創り出す音世界は、フュージョン・ジャズの音世界の代表的イメージの一つで、フュージョン・ジャズを語る上で、スパイロ・ジャイラは避けては通れない存在。そんなスパイロ・ジャイラの1980年代のアルバムの一気聴きである。フュージョン・ジャズ人気の後期は1980年代前半。それも大体、1982年くらいまでが、フュージョン・ジャズが「ウケていた」期間で、1983年以降、その人気はガタッと落ちていく。Spyr...
スパイロ・ジャイラ(Spyro Gyra)は、フュージョン系バンドの代表格。1977年に米国にて結成、トロピカルな電気サウンドをメインに『Morning Dance』『Catching the Sun』『Carnaval』などのヒット盤を量産。現在まで、20枚以上のアルバムを制作、累計1,000万枚以上のアルバムを売り上げ、フュージョン系バンドの中でもかなりの成功を収めている。活動の中、スムース...
1950年代から1960年代のブルーノート・レーベルは、プロデュースが大変優れていると感じる。セッションのジャズマンのブッキングなど、その対象となるリーダー作が、どの様な「志向」の演奏内容にするかによって、メンバーを厳選している。そして、その演奏の「志向」に則った演奏を実現する。このブルーノートの優れたプロデュースが数々の名盤を生み出している。『Jimmy Smith Trio + LD』(写真...
1976年、ソロ活動に入り、初リーダー作をリリース。以降、クロスオーバー&フュージョン・シーンのど真ん中で活躍を続けている、超絶技巧ジャズ・ギタリストの人気者、アル・ディ・メオラ(以降、ディメオラ)。意外とディメオラのライヴ盤は少なく、1週間ほど前にご紹介した、1982年2月4日、フィラデルフィアの「Tower Theatre」でのライヴ演奏を収録、1982年リリースの『Tour De Forc...
米国ではジャズマンの扱いが粗雑で、人種差別もあり、生活も苦しい中、1960年代には、ジャズマンの渡欧が相次いだ。ジャズについては、欧州では「音楽芸術」として評価され、その演奏の担い手のジャズマンは「アーティスト」として、一目置かれて扱われた。ジャズマンにとって、欧州の方が活躍の場があり、生活の糧も得やすかった。米国東海岸ジャズマンの「渡欧組」の演奏拠点としてはパリ、ロンドン、ミュンヘン、そして、...
バップの如く弾きまくり、ソフト&メロウにR&Bに唄いまくるギタリスト、ジョージ・ベンソン。バップの如く弾きまくるギタリストは沢山いるが、「ギターをバップの如く弾きまくり、R&Bに唄いまくる」ジャズ・ギタリストは、ジョージ・ベンソンしかいない。George Benson『The Other Side of Abbey Road』(写真左)。1970年の作品。1969年10月と11月の2セッションの...
ソフト&メロウに、R&Bに唄いまくるが如く、バップの如く弾来まくるギタリスト、ジョージ・ベンソン。これが凄い。弾きまくるギタリストや、バップの如く弾きまくるギタリストは沢山いるが、「唄いまくるが如く弾きまくる」ジャズ・ギタリストは、ジョージ・ベンソンしかいない。George Benson『Shape of Things to Come』(写真左)。1968年8-10月の録音。ちなみにパーソネルは...
チック・コリアは「リターン・トゥ・フォーエヴァー(Return to Forever・以降、RTFと略)」を結成、それまでのジャズのトレンドを集約し、最先端のコンテンポラリーなメインストリーム志向の純ジャズを実現した。いわゆる「第1期RTF」である。そして、チックは次の展開として「エレ・ジャズ」を選択。親分マイルスは、ファンクなエレ・ジャズでブイブイ言わせている。チックは「ハードなインスト・ロッ...
アート・ペッパーは、僕のお気に入りのアルト・サックス奏者の一人。ジャズを本格的に聴き始めた頃、 『Art Pepper Meets The Rhythm Section』に出会って以来、長年、ずっと「お気に入り」。最近、当ブログにアルバム評をアップしたリーダー作を、ディスコグラフィーに照らし合わせてチェック。今回、この盤で、ペッパー前期(麻薬禍で収監され活動を停止した時期以前)の盤をほぼ押さえる...
エリック・ドルフィーはアルト・サックス奏者。この人の吹くフレーズは、一聴すればすぐに「これは変だ」と感じるはずだ。この「これは変だ」は、ジャズ者初心者の方々のみならず、音楽を趣味で聴く人ならば感じるはず。それだけ、このドルフィーの吹くアルトは「並外れた」個性の塊である。このドルフィーの「これは変だ」は、オーネット・コールマンの類の「変だ」では無い。オーネットは、従来ジャズの決め事の反対をやること...
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ブレイキーは、リーダーでありながら、バンドの演奏トレンド、演奏志向には口を出さなかった。ジャズ・メッセンジャーズ(JM)のそれぞれの時代で、メンバーの中から「音楽監督」的立場のメンバーを選び出し、バンドの演奏トレンド、演奏志向は、この「音楽監督」に任せて、一切、口を挟むことは無かった。『Art Blakey and the Jazz Messengers(1961 album, Impulse!...
ジャズを本格的に聴き始めた頃から「アート・ブレイキー&ザ・ジャズ・メッセンジャーズ」はお気に入り。アート・ブレイキー&ザ・ジャズ・メッセンジャーズのアルバムを聴き通すだけで、ジャズの演奏トレンド、演奏志向の歴史が判る。ブレイキーは、リーダーでありながら、バンドの演奏トレンド、演奏志向には口を出さなかった。ジャズ・メッセンジャーズのそれぞれの時代で、メンバーの中から「音楽監督」的立...
ホレス・シルヴァーと袂を分かって、ブレイキー単独となったメッセンジャーズ。ブルーノートに移籍してブレイクする前のアルバム群。以前のジャズ盤評論としては「ブレイク前のメッセンジャーズの暗黒時代」とされる時代のアルバム達。しかし、そうだろうか。僕はこのアルバムを実際に自分の耳で聴いて、この盤は決して「暗黒時代」の音では無い、と判断している。Art Blakey & The Jazz Mess...
レコード・コレクターズ 2024年11月号の特集「ECMレコーズ」にある「今聴きたいECMアルバム45選」。この「今聴きたいECMアルバム45選」のアルバム・セレクトが気に入って、掲載されているアルバムを順番に聴き直し&初聴きしている。今回のアルバムは、実は初めて聴く「初聴き」盤である。Barre Phillips『Three Day Moon』(写真左)。1978年3月の録音。ECM 1123...
今月発売の「レコード・コレクターズ 11月号」の特集「ECMレコーズ」にある「今聴きたいECMアルバム45選」。この「今聴きたいECMアルバム45選」のアルバム・セレクトが実に気に入って、掲載されているアルバムを順番に聴いている。以前聴いたことがあって、今回聴き直しのアルバムもあれば、初めて聴くアルバムもある。どちらも「今の耳」で聴くので、意外と新鮮に感じるから面白い。Enrico Rava『...
今月発売の「レコード・コレクターズ 11月号」の特集に「ECMレコーズ」があった。これは「創設者マンフレート・アイヒャーのコンセプトと55年の歴史の概説」と「今聴きたいECMアルバム45選」の2本立ての特集。特に、後半の「今聴きたいECMアルバム45選」のアルバム・セレクトが実に気に入った。ということで、この45枚のアルバムについて、ブログ記事としてアップしようと思い立った。Wolfgang D...
今日で「僕なりのジャズ超名盤研究」シリーズの三日連続の記事化。小川隆夫さん著の『ジャズ超名盤研究』の超名盤を参考にさせていただきつつ、「僕なりのジャズ超名盤研究」をまとめてみようと思い立って、はや3年。やっと第1巻の終わりである。ジャズを本格的に聴き始めたのが1978年の春。フュージョン・ジャズの名盤の何枚かと、純ジャズのアルバム、MJQ『Pylamid』、 Herbie Hancock『Mai...
小川隆夫さん著の『ジャズ超名盤研究』を参考にさせていただきつつ、「僕なりのジャズ超名盤研究」をまとめてみようと思い立って、今回までで32枚の「超名盤」について聴き直して、聴き直した時点での感想をブログ記事に綴ってきた。そして、いよいよ、残すは2枚。今回はキース・ジャレットの登場。 Keith Jarrett『The Köln Concert』(写真左)。1975年1月24日、当時の西ドイツ、ケル...
この歳になると、なかなか「超名盤」について聴き直す機会が無いだけに、楽しみながらの聴き直しになっている。小川隆夫さん著の『ジャズ超名盤研究』を参考にさせていただきつつ、「僕なりのジャズ超名盤研究」をまとめてみようと思い立って、今回までで31枚の「超名盤」について聴き直して、聴き直した時点での感想をブログ記事に綴ってきた。そして、いよいよ、残すは3枚。Chick Corea『Return to F...
まだまだ夏日が顔を出す、暖かいというか、蒸し暑い日が続く10月だが、真夏日以上という「酷暑」は去ったので、様々な類のジャズを聴く時間が増えた。特に、この10月は、何故だか判らないが、和フュージョンと合わせて、和ジャズの名盤・好盤を探索したり、聴き直したり。特に、学生時代から、若き社会人時代に聴きまくった盤を聴くことが多い。古澤良治郎『キジムナ』(写真左)。1979年10月16~20日、東京、日本...
フュージョン・ジャズ時代、そのアルバムの成り立ちが変わっている例として、高中正義『オン・ギター』をご紹介した(2024年10月10日 のブログ記事・左をクリック)。この『オン・ギター』は、ギター教則本の付属レコードとして発表されたものだった。ゼロ戦『アスファルト』(写真左)。1976年の作品。ちなみにパーソネルは、大谷和夫 (key), 長岡道夫 (b), 鈴木正夫 (ds), 佐野光利 (g)...
フュージョン・ジャズの時代、インスト中心のアルバム作りが主流で、ボーカルがメインのアルバムは少なかった。ボーカル入りのアルバムはあったが、どちらかと言えば、ファンクネスな要素の彩りが欲しい時の「ソウル、R&B志向のボーカル」で、フュージョン・ジャズとして、「ボーカリストの歌を聴かせる」盤は希少だった。阿川泰子『Lady September』(写真左)。1985年6~7月、東京での録音。ちなみにパ...
我が国を代表するクロスオーバー&フュージョン・バンドである「カシオペア」。意外と超ストイックなバンドで、結成時(1976年)から1989年までの野呂一生・櫻井哲夫・向谷実・神保彰によるメンバーでの第1期の活動の中で、10年以上、常にカシオペアはグループとしての活動を優先、ソロ活動は一切御法度という厳しい規律の上でバンド運営されていた。1985年〜1986年、当初から期間を厳格に定めてソロ活動を容...
ジャズの演奏で大切なものは色々あるが、リーダーのフロント楽器の特性に応じた「アレンジ」は特に重要な要素。そして、その「アレンジ」に適したリズム・セクションの手配。この「アレンジ」と「適したリズム・セクション」がバッチリ合ったセッションは優れた結果になる。J.J. Johnson and Kai Winding『Jay & Kai + 6: The Jay and Kai Trombone...
ここヴァーチャル音楽喫茶「松和」では、「夏だ、海だ、高中だ」ではなく、「秋だ、爽快だ、高中だ」というキャッチが蔓延している(笑)。とにかく、この2〜3日前から、ググッと涼しくなった関東地方。涼しくなって、空気が爽快になって、高中正義のアルバムの聞き直しの続きである。高中正義『Brasilian Skies』(写真左)。1978年のリリース。リオデジャネイロの「PolyGram Studios」と...
この2〜3日、関東地方では気温がグッと下がって、昨日などは、11月中旬の陽気になって、ちょっと寒いくらい。慌てて、合物の服を出して、夏物のほとんどを衣替えである。これだけ涼しくなると、音楽を聴くのにも良い環境になって、夏には聴くのを憚られたハードなジャズやロックなども聴くことが出来る。高中正義『オン・ギター』(写真左)。1978年の作品。ちなみにパーソネルは、高中正義 (g), 石川清澄 (ke...
「Jay&Kai」のアルバムを聴いていて、改めて「トロンボーンの音色ってええなあ」と思った。もちろん、トロンボーンを吹く上でのテクニックが優れていることが前提なんだが...。テクニックに優れたトロンボーンの音色って、ブリリアントで、エモーショナルで、ニュアンス豊かで、柔らかで優しい。そんなトロンボーンの音色が好きで、今でも時々、ジャズ・トロンボーンの好盤を引っ張り出してきては聴き直している。K...
「A&Mレコード」が牽引役を担ったのが、聴き易さと分かり易さと適度な刺激を追求した「クロスオーバーなイージーリスニング・ジャズ」。そのカラクリは「聴き易さと分かり易さと適度な刺激を追求した、ロック&ポップスとジャズとの融合」と考えると、A&Mの諸作は実に興味深く聴くことが出来る。J. J. Johnson & Kai Winding『J&K: Stonebone』(写真左...
1960年代半ば以降、ビートルズをはじめとするロック・ミュージックの台頭によって、ジャズのシェアは下降線を辿り始めた。一般聴衆は、聴き易く分かり易く適度な刺激のある「ロック&ポップス」を好んで聴くようになる。ジャズは「古い時代の音楽」として、その人気は徐々に衰え始めていた。一方、ジャズは多様化の中で、ハードバップから派生した大衆志向なファンキー&ソウル・ジャズ、そして、ハードバップの反動から派生...
ブラウン~ローチ・クインテットの始動後、『Clifford Brown & Max Roach』と『Brown and Roach Incorporated』の直後、同一日、同一メンバーでのジャム・セッションの『Clifford Brown All Stars』と『Best Coast Jazz』は、ブラウニー(クリフォード・ブラウンの愛称)にとって、1954年8月のロスでの、怒涛の「名演...
名盤請負人の異名を持つ、根っからのバップ・ピアニスト「トミー・フラナガン(Tommy Flanagan・以下「トミフラ」と略)」。1970年代後半から、ドイツのレーベル「Enja(エンヤ)」に7枚のリーダー作を残している。トミフラの、米国ジャズらしからぬ「流麗で典雅」な、テクニック確かなピアノの個性が、ホルスト・ウェーバーに響いたのだろう。Tommy Flanagan『Confirmation』...
名盤請負人の異名を持つ「トミー・フラナガン(Tommy Flanagan・以下「トミフラ」と略)」。トミフラのピアノは伴奏に回ってこそ際立つ、なんて「ピントのズレた」評価もあるが、トミフラは元々はバップなピアニスト。ビ・バップからの流れを汲む「テクニック秀逸、ばりばりピアノを弾きまくる」が、フラナガンの本質。加えて、トミフラは応用力抜群の職人肌テクニックの持ち主でもある。「伴奏に回ってこそ際立つ...
グローヴァー・ワシントンJr.(Grover Washington Jr.、以下「ワシントンJr.」と略)は、スムース・ジャズの父、フュージョン・ジャズにおけるサックスの帝王と呼ばれていたが、それ故、彼の名前を出すと「ああ、コマーシャルでソフト&メロウな、フュージョン・サックスね」と、結構、低く見られることが多かった。大体、そういう輩は、ワシントンJr. のサックスをちゃんと聴いていない。失礼千万...
フュージョン・ジャズとか、スムース・ジャズについて語ると、どうもウケが悪い。でも、ウケ狙いでブログ記事をアップしている訳では無いのだが、フュージョン・ジャズにも、スムース・ジャズにも「良い音楽」という類の好盤が沢山ある。我がヴァーチャル音楽喫茶『松和』では、フュージョン・ジャズ、スムース・ジャズも、きっちり「守備範囲内」なので、適宜、好盤をご紹介している。グローヴァー・ワシントンJr.(Grov...
漆黒ブルージーな、黒い情感のレジェンド・ピアニスト、マル・ウォルドロン。初期の「マル4部作」を聴くことで、マルの個性の基本部分が理解できる。そんな、マルの個性を理解する上で”便利”な「マル4部作」。今日は、そんな4部作のラスト盤を取り上げる。Mal Waldron『Mal/4; Trio』(写真左)。1958年9月26日の録音。ちなみにパーソネルは、Mal Waldron (p), Addiso...
マル・ウォルドロン(Mal Waldron)は、漆黒ブルージーな、黒い情感のレジェンド・ピアニスト。2002年12月に逝去しているので、逝去後、既に20年以上が経過したことになる。もう、そんなになるのか。マルのピアノは個性的。硬質なタッチの底に、もやっとした黒いブルージーな雰囲気が横たわっている。そして、端正な弾きこなしの端々にラフな指さばきが見え隠れする。この「黒い情感と適度なラフさ」がマルの...
ブレッカー兄弟が立ち上げ、エレ・ジャズ・ファンクの代表的バンドとして、一世を風靡した「ブレッカー・ブラザーズ」。1994年にて活動を停止、2007年には、弟のマイケルが骨髄異形性症候群から進行した白血病によって逝去。このマイケルの逝去によって、「ブレッカー・ブラザーズ」は永久に活動停止となった。The Brecker Brothers『Out of the Loop』(写真左)。1992年4月〜...
そろそろ、日野皓正の「渡米後」のフュージョン・ジャズからコンテンポラリー・ジャズについて、このブログでコメントせんとなあ、と最近、思い始めた。和フュージョン・ジャズを語る上では、日野皓正のフュージョン・ジャズ盤は避けて通れない。日野皓正『Daydream』(写真左)。1980年の作品。ちなみにパーソネルは、日野皓正 (cor, flh), Dave Liebman (ts), John Trop...
初代「John Abercrombie Quartet」について、昨日の続きを。ECMレーベルの総帥プロデューサー、マンフレッド・アイヒャーとリッチー・バイラークとの喧嘩の件、この双方が最終的に決別したのが、初代「John Abercrombie Quartet」の3枚目のアルバムの録音時のことであったらしい。John Abercrombie Quartet 『M』(写真左)。1980年11月...
ジョン・アバークロンビー(以降「ジョンアバ」と略)のリーダー作のディスコグラフィーと、このブログでのジョンアバのリーダー作の記事化の有無をチェックしていて、あるパーソネルのECMレーベルでのリーダー作のみが廃盤になっているのに気がついた。ジョンアバは長年、ECMレーベルのハウス・ギタリストの位置付けだっただけに不思議なことである。どうも、よくよく見てると、リッチー・バイラークが入っているパーソネ...
ジュリアン・ラージの『View with a Room』は傑作だった。ラージとフリゼールのギター2本の絡みが素晴らしく、官能的な「くすんだ音色」と「前のめりでアグレッシブなフレーズ」というラージのギターの独特な個性全開。フォーキーで、どこか懐かしい、哀愁感漂う米国ルーツ・ミュージックの音要素を融合して、ジャズのフォーマットに乗せる「アメリカーナ」でジャジーな音世界は見事だった。Julian L...
ドナルド・バードは「機を見て敏なる」トランペッターだった。トランペッターとして、テクニックは優秀、端正でブリリアントで理知的な吹奏。破綻無く、激情に駆られて吹きまくることなく、理知的な自己コントロールの下、常に水準以上のバップなトランペットを吹き上げる。そんなドナルド・バード、ハードバップ初期の頭角を表し、ハードバップの優れた内容のリーダー作を幾枚もリリース、その後、ファンキー・ジャズに手を染め...
ジョン・アバークロンビー(以降「ジョンアバ」と略)のギターの音世界が好きで、1970年代から、ずっとジョンアバのアルバムを追いかけている。欧州ジャズらしい、彼しか出せない叙情的なサスティーン・サウンドが、とにかく気持ち良い。特に、ECMレーベルでの、ECM独特の深いエコーに乗ったジョンアバのギターシンセには、聴くたびに惚れ惚れである。John Abercrombie『Current Event...
僕は「チック者」である。チックを初めて聴いたのが、1970年代半ばだったから、2021年2月9日に逝去するまで、かれこれ既に半世紀、チックをずっとリアルタイムで聴き続けてきたことになる。よって、チックのリーダー作については、当ブログで全てについて記事にしようと思っている。現時点で、あと十数枚、記事にしていないアルバムがある。今日は、その中の「異色作」について語ろうと思う。Chick Corea...
チック・コリアのリーダー作の「落穂拾い」。当ブログに、まだ記事化していないチックのリーダー作を順に聴き直している。意外とソロ・ピアノ集が多く、記事化されていない。あまり興味が湧かなかったかとも思ったのだが、聴き直してみると、どのアルバムもチックの個性が散りばめられていて、聴き応えのあるものばかりである。Chick Corea『Children's Songs』(写真左)。1983年7月の録音。E...
チック・コリアのピアノとゲイリー・バートンのヴァイブは凄く相性が良い。ジャズ特有のファンキー色を限りなく押さえ、ブルージーでマイナーな展開を限りなく押さえ、硬質でクラシカルな響きを前面に押し出し、現代音楽の様なアブストラクトな面を覗かせながら、メロディアスで流麗なフレーズを展開する。楽器は違えど、音の性質は同類の二人。Chick Corea & Gary Burton『Lyric Sui...
向井滋春は、和ジャズを代表するトロンボーン奏者の一人。1976年に初リーダー作『For My Little Bird』でデビュー。当初は、コンテンポラリーな純ジャズがメイン。しかし、1979年、約1年間、NYに在住した折にフュージョン・ジャズに触発される。そして、いきなり、フュージョン・ジャズに転身する。向井滋春『Spacing Out』(写真左)。1977年9月28日、日本コロムビア第1スタジ...
月刊誌「レコード・コレクターズ」2024年6月号の特集、「フュージョン・ベスト100 邦楽編」を眺めていて、向井滋春のアルバムが目に入った。懐かしい。和フュージョン全盛時、もともと、トロンボーンの音色が好きなこともあって、向井滋春のフュージョン盤はよく聴いた。意外とトロンボーンって、フュージョン・ジャズに向いているんですよね。向井滋春『Hip Cruiser』(写真左)。1978年10月2~6日...
月刊誌「レコード・コレクターズ」2024年6月号の特集、「フュージョン・ベスト100 邦楽編」に挙がったアルバムを聴き直している。当時、ヘビロテで聴いたアルバムも多くある。当ブログに記事としてアップしていないアルバムも結構ある。当時の耳で聴いた感覚と今の耳で聴いた感覚、意外と変わらないのが面白い。松岡 直也 &ウィシング 『The Wind Whispers』(写真)。1979年の作品。...
1973年の再結成後、順調に内容のあるアルバムを2枚、リリースしてきた、マンハッタン・トランスファー(The Manhattan Transfer=以下「マントラ」と略)。そろそろ「マントラの音志向」を確立するタイミングでもあった。The Manhattan Transfer『Pastiche』(写真左)。1976年12月から1977年9月の録音。1978年のリリース。ちなみにパーソネルは、Ti...