退職後の生活を北海道道東の地と定めた。エゾ鹿猟を中心に俳句など趣味を充実していきたい。
狩猟シーズンとなり充実している。それ以外にも俳句の会、遺跡探訪など多忙である。道東で同好の士と語り合いたい。
「40にして、迷わずサモン」このフレーズの解る人は同年輩であろう。40になれば迷わずにサモン(栄養剤)を飲め、との製薬会社の宣伝文句だ。もちろん、この宣伝文句には原典がある。論語で為政第二の4がそれである。子日、吾十有五而志于学、三十而立、四十而不惑・・・・・七十而従心所欲、不踰矩一度は目にされた方が多い論語の一節である。製薬会社はさておき、小生も最後の歳となった。「七十歳で思いのままに振舞っても、道理を踏み外す事は無くなった」孔子様はこのように述懐されているが、小生ではなかなかその心境になれない。翌日となると何も思い出せない日々の連続であり、感情の回路が短くなり怒りに走る。・・・・で省略した辺りの年齢で、迷い悩む事が多く天命を知る事もなく、人の話を確りと聞いていなかったのだろう。寅さん同様に、悔悟と反省の日々...40にして、迷わずサモン
甘茶の花が咲きました。地味な花です。梅雨が明ければ、甘茶の作成に取り掛かります。甘茶の花
毎日のように淡竹採集に行っています。採っても、採っても出てきます。今日は友人と7:00に待ち合わせて、採りました。たちまちバックがいっぱいになります。時計を見ると30分しか経過していません。これ以上採ると、荷物(淡竹)が肩に食い込み、ヒイヒイと言わねばなりません。友人も満足して帰りました。淡竹採集の日々
全国には無数の陶器磁器があり、時代によっても盛衰するために、消えて行った窯も多数あります。三重県には万(萬)古焼が連綿と続いています。沼波弄山を開祖とし、射和万古~松阪万古~現代、有節万古~桑名万古~現代、そして有節万古~四日市万古~現代と続きます。古万古は古安東へと続き、再興安東阿漕焼~阿漕焼~現代と続きます。私の所持する時中焼きは陳明焼き、延年山焼きなどと栄えました。親子代々で続く場合もありますが、絶えてしまった窯元も沢山あります。この為に収集も多岐に亘り、系統立てて収集すれば、財産は消えてしまいます。骨董店の店先で納得できる陶器が有れば買って行きたいですね。写真は「時中焼」の布袋像、そして松阪万古の佐久間芳嶙作の龍持羅漢です。錦花山焼き、阿漕焼と思われる陶器もありますが、判明次第紹介します。松阪萬古焼の栄光
昨日、松阪薬剤師会主催の「薬草見学会」に参加させて頂きました。もう50回になる歴史ある見学会です。いつも入念な資料を頂戴し、浅学の徒である小生は目から鱗です。今回は日本新薬KK「山科植物資料館」を見学しました。1919年(大正8年)に創立された会社で、100年となります。創立の頃中国から輸入されていた「支那ヨモギ」、実際はロシア産の蓬から摘出した「サントニン」で作る回虫駆除薬の生産が主でした。支那ヨモギは入手が困難な為、国産化に努力しましたが、フランス産の蓬にもサントニンが含まれることを発見しました。この蓬を改良して作られたのが「ミブヨモギ」です。1934年には山科試験農場(現在の資料館)が開設されました。ところが日本は高度経済成長となり、生活の衛生が行き届くと回虫は激減し、現代では絶滅状態だそうです。なんとも...山科植物資料館の見学
断捨離の逆で何年も開けなかった段ボール箱を開けている。思いがけない品が出てくるが、現金だけは出てこない。スクラップブックが出てきた。其の末尾に新聞の切り抜きがあった。奈良新聞で記事の内容から1月中旬と思われる。当時、奈良市三条通りに「菊岡漢方薬店」があった。老舗の漢方薬店で、民芸品も売っており数点買っていた。ここの御主人は彫刻家としても有名で、仲間からの年賀状を展示していた。無鉄砲にも年賀状を出した。すると私の年賀状が新聞紙上で紹介された。この記事がスクラップブックにあり、版画の年賀状もあった。懐かしさのあまり、ここに紹介した。40年前(?)の年賀状
8日10時15分ごろ大津市で事故は発生した。詳細は新聞などで承知されているから、省略するが交差点で直進車と右折車が衝突、はずみで通園中の保育園児の列に突っ込んだのだ。運転手は52歳と62歳の女性で、最悪の組合せである。安全運転とは速度を落として走る事と心得ているだけで、信号は見ない、前方は見ない、交通法規は知らない、男は自分の車に配慮すると信じている。脇道から本線へ合流する際も、間隙を見つけて直ぐには出ない。危なくなってから飛び出してくる。他の車の速度観察が出来ない。52歳と62歳の女ならば最高に「横着な女」である。他人の車にぶっつけても、謝罪するより相手の非を探す。優しい言葉をかければ、甘く見てつけ上がる。怒鳴り付ければ泣いて誤魔化す。無言で押し通し、全て保険屋に丸投げする。だから前に女運転車が有れば、距離を...園児の列に車大津市
TVや新聞では、10連休は長すぎた、と嘆いている。ピイチク雀の事とは言え、通年のバカンスを論議しない。政府が休めと言えば休み、働けと言えば働く。一億総火の玉だ。1か月以上のバカンスを取り、静養したり知識を深める習慣がない。これじゃあ、退職後365日の連休となればどうするのだ。だから政府は年金を安く設定し、働く喜びを死ぬまで与えているのか?貧乏でも心に余裕のある「知識の粥」を啜る生活をしよう。10連休は長すぎた!!??
これこそ北海道の珍味です。友人から送ってくれた「行者ニンニク」を出汁の素に漬けました。今回は、サッと湯に通してからうどん出汁に漬けています。1週間で食べられます。少し隣の人にも差し上げました。行者ニンニクの醤油漬け
昭和22年5月3日から施行された憲法も72年となる。総理大臣が憲法改正を唱える時代である。72年も経れば時代は大きく変わり、周辺諸国も当時の様子はない。米ソの2大国による冷戦、そして朝鮮戦争やベトナム戦争などアジアに限定しても幾多の戦争があった。だが米ソの冷戦が終わり、中国の台頭、韓国の反日=愛国、北朝鮮の核開発、スザマシイ程の変化である。憲法には「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われわれの安全と生存を保持しようと決意した」涙さえ出てくるような前文である。涙さえ出て来るような瞳で周辺を俯瞰すると、工船の領海侵犯、信義や約束を踏みにじる要求、あまりにも憲法を作成した先輩たちの顔に泥を塗る事がある。それならばと、年金や福祉を1/3に落とし、軍備を増強するのが日本国の道だろうか?それをすれば人権のない周辺国...憲法記念日
戦後の暫くで「筍生活」が流行った。戦前のお金持ちが、生活に困って衣類などを売って生活費にした事だ。今日は天気が良かったし、2日ほど雨天が続いたので筍に期待して出かけた。竹林に入るが、人の足跡は無く一番乗りのようである。猪の食み後は沢山あり、彼らの残飯を探しに行くようである。今日は30キロ入りのバックに3杯収穫した。写真の容器に満載されていたが、4軒分は差し上げた。今からはアク抜きをして保存する。苦しい年金生活にとっては神様の贈り物である。筍生活
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