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子宮頸癌 重粒子線治療記 (代筆) https://zyuryusi-tiryou.blog.ss-blog.jp/

子宮頸部腺癌ステージ2bで重粒子線治療を受けた妻の治療記を代筆しました。

子宮頸部腺癌の治療に重粒子線+抗がん剤併用治療を行いました。重粒子線治療自体には痛みもなく、治療中、治療後もごく普通に過ごせるなどメリットの多い治療となります。これから治療の方への参考になればと思います。子宮癌治療に関して調べたサイトは、関連情報サイトとしてhttp://zyuryusi-tiryou.blog.so-net.ne.jp/2012-07-06-1にまとめてあります。

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2012/07/09

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  • B’zはまだ聞けない

    妻はB'zが好きでした。 娘がお腹にいるときもコンサートに行っていました。 車での音楽もB'zの曲をかけることが多かったです。 B'zのCDは全て持っていましたし、今でも新譜が出た時はCDを買って手元供養台に備えます。 Walkmanにも楽曲を落としますが、未だ車の中でも、通勤時のWalkmanでも聞くことができません。 どうしても妻の事を思い出してしまうので・・・ いつか聞けるようになります様に。 子宮がん ブログ紹介サイト にほんブログ村 子宮がん ブログランキングへ 子宮頸がん ブログランキングへ

  • 近況

    最後の更新から1年以上空いてしまいましたが、近況を綴りたいと思います。 2018年4月11日で妻が亡くなって丸2年が経ちました。辛い痛みのようなものは和らぎましたが、寂しさは相変わらずです・・・ 4月1日に3回忌的な食事会を行いました。今回は親族だけで人数も少なかったので、妻も良く行ったイタリアンで日曜休日の所をお願いして開けてもらいました。無宗教、海洋葬でしたので宗教的なことは無しに、妻の生前の話をしながら美味しい食事をいただきました。また命日前後には多くの妻の友人から、花束等をいただきました。多くの月日が経ったにもかかわらず妻を慕っていただき感謝の気持ちでいっぱいです。 4月の終わりには、娘、妻のご両親と愛犬二匹、私の母を連れ、妻とも良く行った那須に旅行に行きました。妻が見つけたNANIWA FARMチーズケーキ工房でチーズケーキを食べました。那須は思い出も沢山あるところでもあり..

  • 近況:命日と偲ぶ会

    4月11日(火)は妻の命日でした。 平日であったので、帰宅後の19:30から妻の父、母、私の母、娘の5人でいつもの中華のお店で食事会をしました。お店で用意してくれた妻の席に写真を飾り、皆で食事を楽しみました。店主から妻にはビールが供されました。私は10年紹興酒と共に食事を楽しみました。 4月16日(日)に生前の妻と親しい方々と偲ぶ会を開催しました。自宅近く、いつものイタリアンで開催とも思ったのですが、グループは最大10名位までしか対応できず、参加人数が16名となったので、いつものイタリアンができる前まで、妻とも良く行った、車移動で自宅からは少し離れたイタリアンで開催しました。皆妻の事を良く知っている方々であったので、亡き妻を偲びつつ、でも暗くなること無く、美味しいお酒と食事、明るく笑いの絶えない会となりました。きっと天国の妻も喜んでくれたのではないかと思います。食後は店の前で、セルフタ..

  • 近況:8回目の月命日

    今日は妻の8回目の月命日でした。 これまでも月命日、若しくはその前後で良くいくイタリアンか、中華のお店で食事をしています。お店も妻の事を知っているので、人数プラス妻の席を確保してくれており、妻の席にはLサイズの写真フレームに入れた遺影写真を飾って一緒に食事を楽しみます。 ここ数ヶ月のトピックスは、9月に父のお骨を実兄の建てた墓に納骨しました。妻の実家では、将来墓守がいなくても困らないように寺に買ってあった墓(場所のみ)は返却し、両親と飼っている柴犬2匹が入れる樹木葬墓地を購入しました。私は分骨して妻の実家にある骨も納められるように両親の隣の樹木葬場所を購入しました。その隣には独身の妻の弟用の場所をご両親が購入しました。娘には私が亡くなったら、妻同様分骨して妻と同じ鴨川の海に散骨し、残りは妻のお骨とともに樹木葬にしてもらうようにお願いしました。 11月下旬に、娘、私の母、妻の両親、..

  • 近況

    一昨日、新盆見舞いに来てくれた方への返礼の品を購入するため妻と良く行ったデパートに行きました。無宗教なので特段、新盆自体何をするわけでは無いのですが、慣例的に来てくださる方々もいるので、用意することにしました。実際にデパートに行くと、返礼品だけではなく、妻が好きであったユーハイムの切りたてバームクーヘン、和菓子のすあま、三和の焼鳥、山梨の一宮産、大糖領桃を購入してしましました。デパートのトイレの前で妻を待つことが多かったのですが、いつものトイレの前では妻が歩いて出てくるのではないかと思いました。亡くなったことは判っているのですが、ふとした折に生前の姿を思い出したり、本当に最善を尽くすことができたのだろうか?等々思いだけが巡ってしまう事もしばしばです。早くも4ヶ月、まだまだ4ヶ月と言うところでしょうか。 父のお骨はまだ家にあるのですが、最終的に実兄が墓を購入することとなり、その墓に父を埋葬..

  • 父永眠

    妻の海洋散骨から1週間後の6月26日に私の父が永眠いたしました。 去年の夏から施設と病院の間を誤嚥性肺炎で3回入退院を繰り返して、入院の度に主治医には今回はかなり悪いと言われながらも、妻が亡くなるまでの間頑張っておりましたが、6月3日に4回目の入院では、抗生物質の効きも悪く、体力も落ちてきており、やはり先生からは厳しい話をされておりましたが、何とか妻の海洋散骨が終わるまでは頑張ってくれました。特に信仰していたわけでは無いのですが、父が生れた際にギリシア正教で洗礼を受けていたので、ギリシア正教の司祭をお呼びして通夜、告別式、火葬を行ないました。非常にあわただしい日々でした。諸々はまたの機会にお話しできればと思います。 子宮がん ブログ紹介サイト にほんブログ村 子宮がん ブログランキングへ 子宮頸がん ブログランキングへ

  • 散骨旅行

    6月19日(日)~6月20日(月)にかけて妻の両親と犬達、娘と1泊で散骨に行きました。 前日6月18日(土)の午前中に今回海洋散骨をお願いした海洋散骨めぐるさんの方にお骨を持ち帰っていただき散骨用に粉骨してもらう事と、事前にめぐるさんで購入してもらってあった手元供養の九谷焼骨壺用のアッシュボトルに粉骨を入れてもらうように依頼しました。 6月19日(日)朝、妻の実家に両親&犬達を迎えに行き、まずはマザー牧場に行きました。マザー牧場に来たのは娘が小学校の時以来でしょうか・・・、 2万5千本のペチュニア桃色吐息を眺めつつ、 ドックランの道のりを歩いて行ったのですが、まきばゲートからドッグランの道のりが意外と遠く、ドックランに着いたころには、犬もお疲れで結局ドックランで犬は走りませんでした。混み合う前にバーベキューテラスでお決まりのラム肉でジンギスカンを食べました。 犬も一緒に居られる場所があ..

  • 四十九日

    昨日5月29日が丁度四十九日でした。無宗教で仏教徒ではないのですが、生前妻も四十九日が過ぎたら散骨してほしいと言っていたように、一つの区切りとして近親者で集まり故人を偲んで、食事をしました。自宅にはプリザーブドフラワー教室でお世話になっていた花屋さんに、前日に生花のアレンジメントフラワーが届くように注文しておきました。届いた成果は白のトルコキキョウ、バラを中心に妻の好きであった青色の生花も織り交ぜて素敵なアレンジメントが届きました。霊前で故人を偲んだ後、祝い事で良く利用して、妻も好きであった「梅の花」に行って会席料理ををいただきました。予約の際に四十九日で故人を偲ぶ会であることを伝え、持参した写真を飾る場所を作っていただきました。陰膳は用意せずに、妻が好きであった豆腐焼売と鳥の唐揚げ、クリームコロッケ、梅ジュースをお供えしました。ひとまず一区切りで、来月散骨を予定しておりますが、精神的には..

  • 初めての月命日

    5月11日が初めての月命日となりました。妻のお母さんも夕方花を持って来てくれたり、以前自宅前のアパートに居て懇意にさせてもらった方や、妻が通っていたプリザーブドフラワーの先生から貰った花束などで、妻の周りは再び賑やかな感じになりました。夜は近所の居酒屋で献杯をしました。あっという間の1ヶ月でしたが、まだ始めて知って、訪問してくれる人が妻の事を偲んでくれるのはありがたい限りです。 来月の散骨は、妻が入院前、行ければ妻の両親と犬を連れて泊まりに行こうと言っていた鴨川の宿に宿泊することにしました。散骨をお願いする会社は、海洋散骨に長けていそうな勝浦港出発で鴨川沖まで南下してくれる会社に依頼することにしました。鴨川市観光協会で紹介していただいた地元の葬儀社は鯛の浦から出向するプランがあるものの、名古屋にある会社の海洋散骨プランをそのまま取り扱うだけで海洋散骨の実績に乏しいことと、散骨前の粉骨も送..

  • これから

    妻が生前Webで見つけて、これに俗名で自宅と実家用の2つ用意してほしいと言っていた位牌、輪島塗プルーム・エメラルドを俗名入りで2つ発注しました。仕上がりは連休があるので5月中旬以降になりそうです。 生前妻が海洋散骨の場所として希望していた安房鴨川で海洋散骨の段取りをしようとWeb検索で鴨川での散骨記載があった会社2社に問い合わせたところ、現在鴨川での散骨は行っていないとの事でした。(一社は提携船が無くなった為とのこと)娘と妻の両親、愛犬を連れて鴨川に前泊して、散骨中は宿で犬を預かってもらうつもりでしたが、根本的に散骨をしてくれる業者が見つかりません。そんな中、一つの会社は現在、近隣の勝浦での散骨を行なっており、勝浦出港であるもののオプションで鴨川沖まで南下して散骨が可能との事であったので、現在勝浦周辺で実家の愛犬と泊まれて、散骨中は愛犬を預かってくれる宿、またはペットホテルを検討しています..

  • その後

    お骨とともに自宅に戻りましたが、事前に折りたたみテーブルに白いクロスを敷いておいたのでひとまずお骨を安置しました。40分後位に葬儀社の担当者が喪主花と供物、返礼品の残りを自宅に運んできてくれましたので早速飾り付けたのですが、元々妻は線香の煙と匂いが好きではなかったので、さぁどうしたものかと・・・式に列席していただいた方の供物の中に、デパートの包みで桐箱入りの線香があったので、それを試してみましたが火をつけない状態では良い香りなのですが、火をつけるとそれなりに線香の匂いもするので、代わりに家にあったお香を焚いてみましたがやはり今一つであるという事と、6畳の和室で焚くとそれなりにこもるので、どうしようかと考え込んでいました。葬儀では焼香ではなく献花にしたことから、花のポプリを献花すれば香りも良いし、訪ねてくれた方にも、葬儀も献花で行ったので、こちらでもお花の代わりにポプリを献花してくださいと伝..

  • 通夜・告別式

    4月12日の12時以降に実際に葬儀を挙げる斎場に戻ってくることから、14時頃に家族で会いに行きました。式場の控室に安置されており、エンバーミング処理を施されていることから顔色や鼻筋、髪型等も良くなっており、今にも起きだしそうな感じがしました。友引で他の式が無いことからゆっくりと対面することができました。その後担当者と式の打ち合わせを実施。役所の手続きは葬儀社で実施してくれるとの事で、死亡診断書を渡し依頼。葬儀の内容について打ち合わせ。生前妻の依頼で一度打ち合わせを行なっていたので確認と変更点を詰めていくのですが・・・内容的には祭壇の大きさと内容、こちらは花祭壇のデザインタイプで、青い花が好きであったので青い花を混ぜてくれるようにお願いしました。式のタイプは無宗教で自然葬となるため読経の代わりにシンセサイザーによる献奏となるため、明日までに妻が好きであった曲目を10曲程度ピックアップしてほし..

  • ご報告

    ご報告 妻は4月11日午前5時頃、痛みや辛さの無い世界に旅立ちました。 担当医が不在であったため強力な鎮痛薬(麻酔系)は使うことができず、既存の薬品点滴のままでした。AM2時過ぎまでは、様子を見ながらアイスノンの交換や体の向きを看護士さんに変えてもらうため数回にわたり看護士さんを呼びに行ったりナースコールをしたりしていましたが、その後様子が落ち着いていたので一旦仮眠していたところ、4時過ぎに看護士さんが様子を見てくれ辛そうであったので身体をさすったりクッションの位置を調整などしてくれていて、また落ち着いてきたので私に「また様子を見に来ますね」と言って看護士さんが部屋を出ようとした4時半頃、嘔吐が始まり大量の嘔吐物が呼吸障害を起こしたことと、一気に吐瀉物が増え血圧が下がったからか、呼吸が止まってしまい、応援の看護士さんも呼んで吸引をしましたが、吸引量も1ℓを超え看護士さんから「直ぐに親し..

  • 4月10日の様子

    昨夜は、鎮静剤ロヒプノールを23時頃に点滴し、1時30分位までは眠れましたが、その後は身体の置場がない状態が続きました。担当の看護士さんが何度も身体の位置と向きを変えて何とか痛みの少ない状態を作ろうとして努力してくれました。4時頃の嘔吐対応後二人になったときには「どうして早く死ねないんだろう」とボソッと呟きましたが、辛いのを見ているだけに返す言葉がみつかりませんでした。嘔吐も吐く力が弱くなったせいか、量もすくなく、半分くらいは胃腸液ではなく、透明な唾液のようでした。素人考えでは、嘔吐できなかった分がお腹に残り、腹圧をあげ悪循環になっているのではないかと思えました。6時頃には痛みが酷く、「もう限界、早く楽にしてほしい」との言葉を受けて、鎮静剤で少し眠ろうか?との問いに頷いたので、看護士さんに就寝時に使用した鎮静剤のロヒプノールの点滴を落としてもららいました。そのせいか、午前中はほぼ寝ている状..

  • 4月9日の様子

    昨夜は、鎮静剤の効きが悪く点滴後1時間位は寝ることが出来ましたが、その後は目が覚めて、嘔吐も朝までに3回くらい繰り返しました。都度背中をさすり、終わり頃にナースコールをして、吐瀉物の処理と、氷、氷水の手配をお願いしました。看護士さんから、痛み止めか、鎮静剤かどちらかを点滴しましょうかとの提案で、AM2:30頃に痛み止も点滴しましたが、思うような効果がありませんでした。5時半の嘔吐のあとは、8時位までは少し落ち着きました。但し酸素濃度が、92迄低下していたため、軽めの酸素吸入を行うことになりました。落ち着いたのを見計らってコンビニへ朝食を買いに行き、部屋の前のベンチスペースで食事をしました。口の中の渋みが、気になるらしく、可能であれば、ベッドの上ではなく洗面所で歯磨きがしたいとの希望を看護師さんに伝えたところ、暫くしてから、部屋の洗面所はユニットバス一体で、段差もあり幅的にも車椅子で入ること..

  • 4月8日の様子

    今日は、夜までに10回くらい嘔吐を繰り返しました。午前中に訪れたさいには、嘔吐直後であったこともあり、「早く楽になりたい」と言っていました。氷や水を含んでも後で吐いてしまう状況で、夜にリンゴジュース(透き通った)が飲んでみたいとのことであったので、ドラッグストアで、バヤリースの果汁100%1.5リットルと介護用マグカップを購入して20cc位飲むことができましたが、直後に吐いてしまいました。腹部の張りと圧迫がかなりあるらしく、おう吐の原因ともなっている様ですし、身体の置場がない状況の一因でもありそうです。少しでも身体の置場をサポートするため、ビーズクッションを探しましたが、近所のスーパーや、ホームセンター、しまむら等に行きましたが無くて、ネットで調べるとニトリにあったので、病院近くの店舗に赴き、全色となる4個を購入して持ち込みました。通常のクッションよりも変形しやすく身体にフィットさせること..

  • 4月7日の様子

    今日は朝8:30から12:30迄、葬儀会社2社に自宅に来ていただき、色々な話を伺いながら、概算見積もりをいただきました。内1社は、こちらが希望している宗教色のない自然葬にあまり見識が無いことと、会場にモニターの設置が不可能で、写真を流すなどの演出ができない事から、見識もありそうで、モニターの設置可能なもう1社にしようと思います。 昨晩は、PM10:30頃に鎮静剤を点滴で落としてもらいAM2:00位まで睡眠はできたようですが、その後は薬を使わず起きている事が多かったようです。昼過ぎと夕方に嘔吐があり、吐瀉物の色は緑色で、以前腸閉塞で大学病院でのイレウス管を使っての吸引時に吸引されていた液体と同様の色合いでした。昨日までは何とか手で支えながら半身を起こして氷を食べられておりましたが、今日は身体を起こすこともままならず、寝ている状態でスプーンを口に持って行き食べさせる状況でした。張りと痛みのあ..

  • 4月6日の様子

    昨晩は、PM10:30とAM3:00頃に鎮静剤を点滴で落としてもらい睡眠はできたようですが、薬での睡眠の為、必要な睡眠中の寝返りが打てず、起きてから身体が固まってかなりの疲労感がでてしまった様です。お実母さんが9分咲の桜の枝を持ってきてくれ花瓶に飾ってくれてので、部屋に居ながらにして桜を見ることができました。午後着替えをしてもらっている際に気分が悪くなり1ℓ程度の嘔吐をしてしまった様です。今日は寝ていても中々身体の治まる位置が見つからず、身体の置き場が無い感じで、絶えずタオルやクッションで身体の位置を調整している状態でした。今日も昨晩と同様、水分点滴は無しで、寝る前に鎮静剤の点滴を行い、今晩は寝ている最中に看護士さんが身体を動かしていただける予定となっております。本日会社に介護のための休暇を願い出て了解をいただいたので、明日からはより多くの時間一緒にいられることと、この先の葬儀等の事も検討..

  • 4月5日の様子

    昨晩も、ベットの横に立ち上がったまま動けなくなった所を看護士さんに発見され、事なきを得たとの事でした。今日は半身を起こすのにもサポートが必要な状況でした。回診の後、先生に状況を伺ったところ、最終章に入りつつあること、週単位ではあるものの、人それぞれの生命力であることから当然いつ日単位の状況に入ってもおかしくない事、そろそろ痛み止めの点滴(モルヒネ)の効果が薄れていることから、鎮静剤をまずは寝る前に併用して、夜寝られるようにしていき、様子を見ながら最終的には日中にも使用して苦痛の無いようにしていきましょうとの話がありました。夕方娘が「20年間育ててくれてありがとう」と自身の誕生日には20日間ほど早いですが、妻と私にバラのプリザーブドフラワーをプレゼントしてくれました。夜には私の兄と兄嫁、姪が見舞いに来てくれ、これで最後となることを前提とし3人それぞれとお別れのハグをすることができました。3人..

  • 4月4日の様子

    今日見舞いに行った際、妻より「もうダメかも知れない。どこか葬儀屋さんにコンタクトを取って簡単な式を挙げられるようにしておいてほしい」との話がありました。朝歯磨きの際に洗面台まで行ったところもう自分の体重を足で支えられずに動けなくなり、呼び出しボタンで看護士さんにヘルプをお願いしたことからもう自力では動けないと悟ったようです。その後「お骨は2つに分けてもらい1つはお実母さんに渡して、もう一つは49日が過ぎたら散骨してもらいたい」、海?山?と尋ねると「海が良い」との事。多分腸閉塞以降、思うように水分摂取ができなかった事から「海」にしてほしい、となったものと思われます。位牌は以前ネットで見つけた現代位牌輪島塗(曲面位牌)プルーム・エメラルドにしてほしいとの事でした。式に参列してもらいたい友人、知人についても言及しておりました。緩和ケアにお世話になっていることから、いつかはこのような時が来るとは思..

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