『内村鑑三 所感集』より: 『春陽の来福はキリストの復活について思わしむ。キリストは甦り給えり、しかして万世の救い主となり給えり。復活後の彼は言い給え…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『たえず偉大な思想に生き、ささいなことを顧みないように務めなさい。これは一般的にいって、人生の多くの苦渋と心配事を最もたやす…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『人々の交わりは、なんといってもすっかりやめることはできないが、その正しい交わり方はやはり一つの才能であり、真に有効な作用で…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『われわれは神を喜ばせねばならない。神が喜ばれるように、われわれ自身がならねばならない。それが、あわれな虫けらのようなわれわ…
『内村鑑三 所感集』47頁より:『われは神よりて、われと同時に消えざるの事業をなさん。われは今日の人に聴かざるも後世の人に聴かるるの言を述べん。われはわが事…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『神は永遠に在(いま)す者なり。かれは天地とその中にある万物を造り、これを支えて今日に至り給うも、いまだかって疲労倦怠を感じ…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『こころみと祝福とは密接に関連している。こころみがやって来るのは、そうしなければ祝福が与えられそうにない時である。なぜなら、…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『どうしたら聖霊が与える能力を、また原始キリスト教時代に見られるような霊的能力を、手に入れる(それとも「願い求める」と言った…
スイスの哲人、カール・ヒルティー著『こころみと祝福とは密接に関連している。こころみがやってくるのは、そうしなければ祝福は与えられそうもない時である。なぜなら…
『内村鑑三 所感集』46頁より:『意を事業に注いで事業は成らず、目を神に注いで事業は成る、神は事業のかみなればわれは神を信じて無為の生涯を送らんと欲するもえ…
『内村鑑三 所感集』46頁より:『われ事を作(な)すにあらず、これを作さしめらるるなり、われは神の奴隷なり、機械なり、われはわれの欲する事をなしえずして、欲…
スイスの哲人、カール・ヒルティー著:『詩篇八九の三八から終わりまでは、神のすべてのしもべたちが、その生涯に少なくとも一度か数度、味わわねばならぬ経験であり、…
スイスの哲人、カール・ヒルティー著:『キリスト教の聖職者や神学者に対しては、使徒たちがわれわれに残している基準をもってはかるがよい。彼らのうち、キリストの復…
『内村鑑三 所感集』46頁より:『わが事業と言うなけれ、わが品性と言うなかれ。これをもことごとく神に献げしめよ、われにわれの属(もの)たりもの一つもなからし…
『内村鑑三 所感集』48頁より:『わが名は消ゆるとも可なり、願わくばわが神の聖名(みな)の崇(あが)められんことを。わが教会は失するも可なり、願わくばわが同…
スイスの哲人、カール・ヒルティー著:『私はいずれのキリスト教にも反対する者ではない(カトリック教会、ギリシャ正教の教会やイギリス国教教会にも反対しない)、も…
スイスの哲人、カール・ヒルティー著:『およそ人間の思考というものは、その最上のものでさえ、機械的になろうとする傾向、つまり内容を公式的な言葉で表現しようと…
『内村鑑三 所感集』43頁より:『日に三たびわが身を省みるとは儒教的道徳なり。そのつねに退歩的にして、保守的にして、萎縮的なるは自抑内省をもってその重(…
『内村鑑三 所感集』四五頁より:『吾人にしてもし吾人の同胞を救いずんば吾人自身をも救い得ざるなり。吾人の救済の吾人同胞の救済と相関連するやはなはだ深し。吾人…
『内村鑑三 所感集』44頁:『◯健康のみが善きことではない。病気もまた善きことである、同情と推察とはよりよく病気のときに起こるものであって、多年の怨恨も一…
スイスの哲人、カール・ヒルティー著『なんと多くの人たちが、明らかに彼らの鎖を引きずりまわっていることだろう。このことに気づくならば、われわれにはもっと同情深…
スイスの哲人、カール・ヒルティー著『演劇人たちはよく「うまい引っ込み」という言葉を使うが、これは、人生の過ぎ去った時期について思い出す時にも、また、われわれ…
『内村鑑三 所感集』44頁より:『世を愛すること最も深くして世に憎まるること最もはなはだしき者はキリスト信者なり、世を益する最も多くして世に全く無益物視せら…
『内村鑑三 所感集』43頁より:『外よりするの刺激あり、内よりするの刺激あり、下よりするの刺激、上よりするの刺激あり。世の罪悪を憤りて立つ、これ外よりの刺激…
スイスの哲人、カール・ヒルティー著『今日の療養地のどこかの一個所を観察しただけでも、死に近づきつつある肉体のためにどんなに多くのことがなされ、また、どんなに…
スイスの哲人、カール・ヒルティー著『キリスト教的世界観の本当の、確固とした基礎は、この世の悪と各個人の内なる悪とは「法理上(デ・ジュン)」すでに征服されてお…
『内村鑑三 所感集』43頁より:『キリスト教は政治をかたらず、しかれども偉大なる国家はその上に建設せられたり。キリスト教は美術を語らず、しかれども荘厳なる絵…
『内村鑑三 所感集』43頁より:『キリスト教は貴族の宗教にあらずして平人の宗教なり、富者の宗教のあらずして貧弱の宗教なり、学者の宗教にあらずして愚者の宗教な…
スイスの哲人、カール・ヒルティー著『自己犠牲と克己の偉大な行為は、われわれの場合でも、悪の鎖を断ち切り、善の障害を取り除き、過去の思い出を消し去り、また何か…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『昔から哲学とか神学とか呼ばれてきたすべてのものが、ただ真実めいた言葉を並べ立てるだけで、本当にみずみずしいものに思われるこ…
『内村鑑三 所感集』42頁より:『われらは必ずしもわが国人(くにびと)に聴かれんがために神の正義を唱えず、また必ずしもかれらを救わんがためにその宣伝に従事せ…
『内村鑑三 所感集』42頁より:『神に対しては受動的なれ、人に対しては活動的なれ。なんじの宗教をもって単になんじの身を修むるの要具とのみ見做すなかれ。宗教は…
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『内村鑑三 所感集』より: 『春陽の来福はキリストの復活について思わしむ。キリストは甦り給えり、しかして万世の救い主となり給えり。復活後の彼は言い給え…
『社会主義の最も厭うべき点は、そのためだけでも私がこの主義に賛同しかねるのは、社会主義が嫉妬を人間の行動の主な発条(ばね)としており、また実践活動において…
『出エジプト記二〜四、詩篇一一〇の一〜二。 ある人の生涯において、かなり長い期間にわたって、詩篇一一〇の待てという要求だけが、絶え間ない導きとして役立つ事…
『内村鑑三 所感集』より: 『救済(すくい)は事実なり、意識にあらず。また信仰にあらず。我らは救われて救われるるなり、識りて救わるるにあらず、信ずると…
『真っ先に人間に慰めを求めないで、神にそれを求めなければならない。既に落ち着きをえてから、人間に向かうべきである。このようにしさえすれば、人間は我々に有益な…
『内村鑑三 所感集』より: 『戦捷の結果は何? 国債の激増、投機熱の昇騰、軍備の拡張、しかしてこれに伴う美術、文学、哲学、道徳、宗教の衰退これなり。肉…
『内村鑑三 所感集』より: 『英国はキリスト教国にあらず、しかれでもキリスト教は英国にあり。米国はキリスト教国にあらず、しかれどもキリスト信者は米国人…
『内村鑑三 所感集』より: 『「光は暗きに照り暗きはこれを暁(さと)とざりき」と(ヨハネ伝一章五節)。「かれ己の国に来たりしにその民これを接(う)けざ…
『内村鑑三 所感集』 『国興るもキリストを信じ、国衰うるもまたかれを信ず。時可なるもキリストを信じ、時非なるもまた彼を信ず。業栄うるもキリストを信ず。…
『現在我々がどんな犠牲を払っても手に入れなければならない真のキリスト教は、単にある事実に対する信仰とか、教会の一定の信仰箇条に対する信仰にあるのではない。あ…
『弱い信仰でも、全く信仰がないよりははるかによろしい。最後の信仰の火種をもすっかり消してしまう事のないようにしなさい。そうすれば、またそれを吹き起こすのは、…
『内村鑑三 所感集』より: 『我らキリストの僕(しもべ)となりて一人となりて世に立つの決心なかるべからず。世は我らの主を棄てたり。またその僕たる我らを…
『内村鑑三 所感集』より: 『福音は罪人のための福音なり、弱者のための福音なり。故に我に福音を語りえざるの時あるべからず、また世に福音を信じえざるの人…
『内村鑑三 所感集』 『第二の宗教改革は第一の宗教改革に同じ、すなわち行(おこない)に対する信仰の勃興なり。第一の場合においては行はイタリア国によって…
『内村鑑三 所感集』より: 『今や世界最大の旧教国は北米合衆国なり。旧教の精神をは行(おこない)にあり、米国の精神は事業にあり、しかして事業は行の別名たる…
『内村鑑三 所感集』より: 『ひとり足りてひとり喜び、ひとり喜びて到るところに歓喜の香を放つ、星のごとく、花のごとく、識認を要せず、ひとり輝いてひとり香(…
『内村鑑三 所感集』より: 『人に愛されんと欲するなかれ、ただ愛せよ、十字架の上よりも愛せよ。愛するは愛せらるるよりも、幸福なり。我らは愛せらんと欲するも愛…
『内村鑑三 所感集』より: 『教会を作ること何ぞ易き、教会を作ること何ぞ難き、木と煉瓦との教会を作ること何ぞ易き、人と霊魂との教会を作ること何ぞ難き。余輩無…
『それゆえ旧約聖書は、この関係を常に、双方に権利のある契約にたとえている。自分の方からこの契約を正直に守ろうと思う者は、自分の権利をあまり強く主張する必要は…
『出エジプト記二ー四、詩篇110の1・2。 ある人の生涯において、かなり長い期間にわたって、詩篇110の待てという要求だけが、絶え間ない導きとして役立つこと…
『それゆえ、自分の決心よく確かめて、場合によっては自分の経験に聞き従うことが、信仰に入る第一の条件であるが、しかし元来それは自分の意志行為であって、傍から誰…
『まっさきに人間に慰めを求めないで、神にそれを求めなければならない。すでに落着さを得てから、人間に向かうべきである。このようにしさえすれば、人間はわれわれに…
『この信仰に関する差異は、人間の意志の自由という天性に基ずくのだから、いつまでも続けて消えない。「人間の魂は本来キリスト者である」というテルツリテヌスの言葉…
『弱い信仰でも、全く信仰がないよりはるかによろしい。最後の信仰の火種をもすっかり消してしまうことのないようにしなさい。そうすれば、またそれを吹き起こすのは、…
『一切の存在および生成の根源としての神は、説明することも、証明することもできない。また、そうすべきものでもない。むしろわれわれは、まず第一に神を信じ、その上…
『あまりに多く読みすぎるのは、たとえいわゆる良書やきわめて宗教的な本であっても、まだ本当に自分の考えの固まっていない人にとっては、不健康である。というのは、…
『万物の根源を万物それ自身から説明しようとせずに、むしろ、人生の経験に導かれつつ、世界全体ならびに各個人の創造者であり維持者である真の生気ある霊的存在に、そ…
『われわれがみずから幸福だと感じるためには、常に頭が計画に満ち、心が愛に満ちていなければならないというのは、正しい言葉である。しかしクレルウ“ォーの聖ベルナ…
『世界をそれ自身から、またそれ自身によって説明することは、とうてい不可能である。それでは、最後の根拠はついに見出せないからだ。人間が自分自身を崇拝し、他人か…
『人間の経験などというものは、実つ大きな幻影にすぎない。その滑らかな表面の下に隠されたものを、誰も見ないし、また見ようとしない。ただ時折、この外皮に突然裂け…
『これまで抽象的哲学は実際に、「存在」をも「生成」をも満足に説明することが出来なかった。ましてこの二つの根本概念を結びつけて、一つの統一的な原理からこれを解…
『ヘブル人への手紙一〇の三〇、申命記三二の三六。「主はその民を裁くであろう。」この言葉は、苦難に臨んだ時に、とくに全民族の苦難の時に、われわれが持つことので…
『これは疑問の中の疑問である。非常に浅薄な、あるいは動物的な人でない限り、だれでも少なくとも一生に一度は、この疑問の答えを求めようとする。そしてーー早速こう…
『ブルームハルトや、その他の歴史的に確証されている奇跡を行った人々の「力」に源(みなもと)をなしているのは、おそらくただ「私欲のない」愛であった。このような…
忍耐力と知恵を生む最高の「母胎」 『朗らかな性格は人生の喜びをもたらすもとではあるが、同時にそれは自分の性格が傷つくのを防ぐ大切な役目も果たしている。 「…
『オバデア書一二、ミカ書七の七ー11、ナホム書一の7ー12。これらの古代の預言者の言葉は、職業上これらの章を読むことのない一般の人には親しみがうすいかもしれ…
陽のあたる道を選ぶか、日陰の道を行くか 『陽気で朗らかな性格は生まれつきのものと言えるが、他の習慣と同様に訓練によって開発されていくものである。充実した人…
『マタイによる福音書一八の六・七・一〇、一二の36、二五の四〇、一七の二七、ルカによる福音書六の四五、九の五四・五五・五六、一〇の五、一二の一五・二九、一四…