『人間同士の交わりにおいては、内的確信が非常に大きな意味を持っている。何故なら、大抵の人は、彼らを指導してくれるような他人を求め、そういう自信に満ちた指導…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『申命記第二八章に記された神の祝福は、ただイスラエルの民に対してのみ語られたものではなかった。なるほどこの祝福は、この民の苦…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『真理と永遠の生命とに到る道は、今日では、唯物論と迷信という二つの死の淵の間を抜ける、きわめて狭い、しかしなお歩くことのでき…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『申命記第二十八書に記された神の祝福は、ただイスラエルの民に対してのみ語られたものではなかった。なるほどこの祝福は、この民の…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『キリスト教会の歴史を綿密に、また公平に観察するとき、われわれは、この教団はその創始者の思想に完全に適合した正しい完成に達し…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『前日のところで述べた考えは、たしかに完全に「正統的」とはいえないし、教理問答の教えの一致するものでもない。けれども、これは…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『力の許すかぎり、中絶せずに有益な仕事をすることは、たえず神の近くにあることと並んで、およそ人生が与えうる一切のうちで。最も…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『あらゆる人間がその本性の中の動物的部分のために、またその「遺伝的負荷」のために、必ず官能的な、怒りやすい、虚栄的で貪欲的な…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『厭世感は、決してよい徴候ではない。これをいだく人には、肉体的か精神的に、かならず何かが欠けている。たいてい、こういう人は、…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『聖書がわれわれの歴史的な神の信仰への基礎となっていることは、いつまでも変わらないであろう。従って、この神の信仰は単なる哲学…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『つねにもっぱら正しい、善良な人であるように努めなさい。かならず世間の人はそれを認めるものである。世間は決して人を見る明に欠…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『たしかに「夜はなにびとの友でもない」。夜になると、眼前に立ちふさがるすべてのものが真っ黒に見え、だれの生活にも必ず伴うさま…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『われわれは完全に健康でなければ、立派な仕事はできない、だからなによりもまず、健康でなければならぬ、という見解を信じ込んでは…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『思案したり、心配したりせずに、祈りかつ働くことが、どんな時代にあって、正しいやり方である。 諸民族も、その間違った道から神…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『人生のどんな境遇においても、神の導きと助けとをかたく信じることができ、ヨハネにより福音書15の7にいわれていることをしばし…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『人々の交わりにおいては(従ってとりわけ教育の場合でも)、本当に大切なことは、相手の好意を得ることである。ところが、このこと…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『夢は、ある人の主な生活内容をなすものが何であるかを示す目印である。夢がただ肉体的な事柄だけの限られず、もっと精神的になりは…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『人間の真の偉大さは、その人が善の完き道具、あるいはーーもっと明確のいえばーー彼を通して語りかつ行い給う、神の霊の完き道具で…
スイスの哲人、カールヒルティ著『エゴイズムは何にもまして宗教と一致しないものである。したがって、われわれが何でもすべてを正しく、また心安らかに所有しようとす…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『一分か二分のほんのわずかな時間でも、なにか善い事や有益なことに使いことができるものだ。最も大きな決心や行為をするのでさえ、…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『われわれは、心の中に起るどんな善い衝動でも、例えば物を整理しようとするような、ごく些細な善い衝動であっても、いつもそれに従…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『いわゆる「内的戦い」とは、実にしばしば、人間の我意が、それと対立する神の意志をはっきり知りながら、なお逆らう戦い以外のなに…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『「神は、私たちを怒りにあわせるように定められたのではなく、私たちの主イエス・キリストによって救いを得るように定められたので…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『ある事柄がまだ完全に克服されていないということは、われわれがそれについて考えたり、語ったりしたがらないことからも分かる。と…
スイスの哲人、カールヒルティ著『常に心静かに神に信頼して自分の義務を果たそうと固く決心していれば、われわれは多くの心痛や憂いをまぬがれることができよう。こう…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『人間のあらゆる性質のなかで、最良のものは誠実である。この性質は、ほかのどんな性質の不足をも補うことができるが、この性質が欠…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『あなたが今自分の信仰が弱まっているとか、実行に疲れたり、あるいはその虚しさを感じたりしているならば、イザヤ書第五十四章、同…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『上を仰ぐここからなる愛の一瞥は、それを受けられる神の側からは、たしかに最も綺麗な型通りの祈りより、もっと値打ちのあるもので…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『キリスト教の信仰の全体は、さしあたり、キリスト自身の次の三つの言葉、すなわち、ヨハネによる福音書十七の三⭐️、一四の二十一…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『人間の間の友情と愛とは、こうした関係の最良のものにさえしばしば起こりがちなように、上品なお楽しみに堕してはならない。むしろ…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『人はどんな人生の楽しみに対しても、神に感謝しなければならないし、また感謝することができねばならない。これが真の楽しみと、た…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『今日、純然たる唯物主義を信じ得ない教養人の間に大いに広まっている不可知論は、結局のところゲーテの人生論であったし、一般の彼…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『愛に対しては、人はただいつも心を開いてさえすればよい。愛は神の霊としてこの世界に満ちている。ところがわれわれは、愛に対して…
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『人間同士の交わりにおいては、内的確信が非常に大きな意味を持っている。何故なら、大抵の人は、彼らを指導してくれるような他人を求め、そういう自信に満ちた指導…
『人間同士交わりにおいては、内的確信が非常に大きな意味を持っている。何故なら、大抵の人は、彼らを指導してくれるような他人を求め、そういう自身に満ちて指導者…
『内村鑑三 所感集』より: 『余輩を隠遁者と見做す者あり、しからず余輩は隠遁者あらず、罪の世と交わらざるのみ。余輩の頭上に穹蒼(おおぞら)の天幕のごと…
『内村鑑三 所感集』より: 『聖書智識のみは人を救わず、聖書智識に加うるに聖霊の能力(ちから)をもってして人の霊魂は救わるるなり。聖書そのものは死せる…
『内村鑑三 所感集』より: 『マタイ伝はマタイ伝として研究せよ、マルコ伝はマルコ伝として研究せよ、ルカ伝はルカ伝として研究せよ、ヨハネ伝はヨハネ伝と…
『内村鑑三 所感集』より: 『春陽の来福はキリストの復活について思わしむ。キリストは甦り給えり、しかして万世の救い主となり給えり。復活後の彼は言い給え…
『社会主義の最も厭うべき点は、そのためだけでも私がこの主義に賛同しかねるのは、社会主義が嫉妬を人間の行動の主な発条(ばね)としており、また実践活動において…
『出エジプト記二〜四、詩篇一一〇の一〜二。 ある人の生涯において、かなり長い期間にわたって、詩篇一一〇の待てという要求だけが、絶え間ない導きとして役立つ事…
『内村鑑三 所感集』より: 『救済(すくい)は事実なり、意識にあらず。また信仰にあらず。我らは救われて救われるるなり、識りて救わるるにあらず、信ずると…
『真っ先に人間に慰めを求めないで、神にそれを求めなければならない。既に落ち着きをえてから、人間に向かうべきである。このようにしさえすれば、人間は我々に有益な…
『内村鑑三 所感集』より: 『戦捷の結果は何? 国債の激増、投機熱の昇騰、軍備の拡張、しかしてこれに伴う美術、文学、哲学、道徳、宗教の衰退これなり。肉…
『内村鑑三 所感集』より: 『英国はキリスト教国にあらず、しかれでもキリスト教は英国にあり。米国はキリスト教国にあらず、しかれどもキリスト信者は米国人…
『内村鑑三 所感集』より: 『「光は暗きに照り暗きはこれを暁(さと)とざりき」と(ヨハネ伝一章五節)。「かれ己の国に来たりしにその民これを接(う)けざ…
『内村鑑三 所感集』 『国興るもキリストを信じ、国衰うるもまたかれを信ず。時可なるもキリストを信じ、時非なるもまた彼を信ず。業栄うるもキリストを信ず。…
『現在我々がどんな犠牲を払っても手に入れなければならない真のキリスト教は、単にある事実に対する信仰とか、教会の一定の信仰箇条に対する信仰にあるのではない。あ…
『弱い信仰でも、全く信仰がないよりははるかによろしい。最後の信仰の火種をもすっかり消してしまう事のないようにしなさい。そうすれば、またそれを吹き起こすのは、…
『内村鑑三 所感集』より: 『我らキリストの僕(しもべ)となりて一人となりて世に立つの決心なかるべからず。世は我らの主を棄てたり。またその僕たる我らを…
『内村鑑三 所感集』より: 『福音は罪人のための福音なり、弱者のための福音なり。故に我に福音を語りえざるの時あるべからず、また世に福音を信じえざるの人…
『そこでまた、われわれの心になお何物かが残って、時々こう抗議するだろう。おそらく一切は感覚的の知覚できない単なる「形而上学」であり、要するに人間とまたその生…
『人間同士の交わりにおいては、内的確信が非常にお大きな意味を持っている。なぜなら、たいていの人は、彼らを指導してくれる他人を求め、そういう自信に満ちた指導者…
『それゆえ旧約聖書は、この関係を常に、双方に権利のある契約にたとえている。自分の方からこの契約を正直に守ろうと思う者は、自分の権利をあまり強く主張する必要は…
『出エジプト記二ー四、詩篇110の1・2。 ある人の生涯において、かなり長い期間にわたって、詩篇110の待てという要求だけが、絶え間ない導きとして役立つこと…
『それゆえ、自分の決心よく確かめて、場合によっては自分の経験に聞き従うことが、信仰に入る第一の条件であるが、しかし元来それは自分の意志行為であって、傍から誰…
『まっさきに人間に慰めを求めないで、神にそれを求めなければならない。すでに落着さを得てから、人間に向かうべきである。このようにしさえすれば、人間はわれわれに…
『この信仰に関する差異は、人間の意志の自由という天性に基ずくのだから、いつまでも続けて消えない。「人間の魂は本来キリスト者である」というテルツリテヌスの言葉…
『弱い信仰でも、全く信仰がないよりはるかによろしい。最後の信仰の火種をもすっかり消してしまうことのないようにしなさい。そうすれば、またそれを吹き起こすのは、…
『一切の存在および生成の根源としての神は、説明することも、証明することもできない。また、そうすべきものでもない。むしろわれわれは、まず第一に神を信じ、その上…
『あまりに多く読みすぎるのは、たとえいわゆる良書やきわめて宗教的な本であっても、まだ本当に自分の考えの固まっていない人にとっては、不健康である。というのは、…
『万物の根源を万物それ自身から説明しようとせずに、むしろ、人生の経験に導かれつつ、世界全体ならびに各個人の創造者であり維持者である真の生気ある霊的存在に、そ…
『われわれがみずから幸福だと感じるためには、常に頭が計画に満ち、心が愛に満ちていなければならないというのは、正しい言葉である。しかしクレルウ“ォーの聖ベルナ…
『世界をそれ自身から、またそれ自身によって説明することは、とうてい不可能である。それでは、最後の根拠はついに見出せないからだ。人間が自分自身を崇拝し、他人か…
『人間の経験などというものは、実つ大きな幻影にすぎない。その滑らかな表面の下に隠されたものを、誰も見ないし、また見ようとしない。ただ時折、この外皮に突然裂け…
『これまで抽象的哲学は実際に、「存在」をも「生成」をも満足に説明することが出来なかった。ましてこの二つの根本概念を結びつけて、一つの統一的な原理からこれを解…
『ヘブル人への手紙一〇の三〇、申命記三二の三六。「主はその民を裁くであろう。」この言葉は、苦難に臨んだ時に、とくに全民族の苦難の時に、われわれが持つことので…
『これは疑問の中の疑問である。非常に浅薄な、あるいは動物的な人でない限り、だれでも少なくとも一生に一度は、この疑問の答えを求めようとする。そしてーー早速こう…
『ブルームハルトや、その他の歴史的に確証されている奇跡を行った人々の「力」に源(みなもと)をなしているのは、おそらくただ「私欲のない」愛であった。このような…
忍耐力と知恵を生む最高の「母胎」 『朗らかな性格は人生の喜びをもたらすもとではあるが、同時にそれは自分の性格が傷つくのを防ぐ大切な役目も果たしている。 「…
『オバデア書一二、ミカ書七の七ー11、ナホム書一の7ー12。これらの古代の預言者の言葉は、職業上これらの章を読むことのない一般の人には親しみがうすいかもしれ…