『人間同士の交わりにおいては、内的確信が非常に大きな意味を持っている。何故なら、大抵の人は、彼らを指導してくれるような他人を求め、そういう自信に満ちた指導…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『「高ぶった思いを抱かず、かえって低い者たちと交わるがよい」(ローマ人への手紙十二の十六)。しかsじ、このきわめて真実な言葉…
スイスの哲人、カール・ヒルティ『 嘆息 ああ、主よ、わがここの安らぎよ、 あなたの祝福をお授けください。 道をはやめて私を導き、 気高いもくひへお連れ下さ…
スイスの哲人、カール・ヒルティ『 嘆息 ああ、主よ、わがここの安らぎよ、 あなたの祝福をお授けください。 道をはやめて私を導き、 気高いもくひへお連れ下さ…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『もはやいかなる我意も享楽も念頭にないということは、思いもかけぬ素晴らしい境地である。そうなてば、毎日のように、何か新しい善…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『神に導かれる人たちの一つの特色は、彼らが学ばねばならぬ幾多の事柄を、夢の中でも体験し、知りうることである。これによって彼ら…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『イザヤ書四九の一五⭐️は、誰でもみな自分のものとすることができる聖約であって、その人が神に対して誠実でいくらか辛抱づよけ…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『自分の周りの社会的水準よりほんのわずか抜きん出た者だけが、人気があり、一般に好かれる。そういう人は、生きている間に、最大の…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『ほんのもう少しの辛抱だ。「光は正しい人のために現われ、喜びは心の正しい君のためにあらわれる」(詩篇九七の一一)。 忍耐づよ…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『われわれが人生において人の憎しみを受けるとき、その大部分は、相手の嫉妬か、報いられなかって愛のためである。 われわれが公然…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『愛がなければ、この世界は、どんなに多くの自然美や芸術や学問が存在していても、まことに惨めな、不満足なものにすぎないだろう。…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『私はこれまでの生涯に、怒りや憎しみを抱き続けることはできなかった。さし迫った事情の処理のために、常に、そのような感情を捨て…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『せいぜい中くらいの人生目的よりももっと高いものを追求し、しかもそれをよく達成する人がどんなに少ないかということは、まことに…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『毎朝、まず目を覚ましたらすぐに、今日も善を行う新しい機会が与えられたことに対して、神に感謝しなさい。そして一日中、その機会…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『たとえどんな種類の事柄でも、そのことであなたが恐れを感じるかぎり、その事柄に関してあなたの内部にまだ欠けている何かがあるわ…
『武士の切腹は宣教師の殉教に通じる。『義』は『愛』に呼応するーー武士道とキリスト教の根幹には、驚くべき共通点があった。牧師である著者は、日本屈指の剣術家とい…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『キリスト教が人間の魂の深い要求に適合しないならば、千五百年以上の永きにわたって行われてきたように、たとえ不十分ながらもその…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『預言の能力は、しっかりした信仰と結びつく場合にのみ、願わしいものとなる。そうでなければ、その能力は悪に対して、あまりに臆病…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『自分でものを考え、自分の意見を持つ人がもっと数多くいさえすれば、世の中は限りなく良くなるであろう。たとえこのような人が反対…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『道徳的世界秩序については、われわれの及び難いものであるが、あえてその二、三の法則をあげれば、次のようなものである。 一、悪…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『信仰は、それ自体すでに一つの幸福である。あるものをやがて手に入れることができるという十分な確信は、鑑賞している樹の花のよう…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『いま私の言うことをよく聞いてもらいたい。あなたの心の中で、まことの善が比較的善いものの敵となる時がやって来る。これこそ人生…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『イザヤ書三〇の一五・一八⭐️。主はあなたに恵みを施される日を待っていられる。だから、あなたはいやずれに心配したり、いろいろ…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『人間はしばしばその生まれながらの性質や身分に従ってではなく、そればかりか、自分の本来の意図の従ってでもなく、行動することが…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『ダンテ『神曲』煉獄篇第21歌58−69行。あなたが善への道を歩もうとするとき、まず目の前にある課題は、あなた自身の意志をす…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『「あなたは心をつくし、精神をつくし、力をつくして、あなたの神、主を愛さなければならない」(申命記六の4・5)。これに対して…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『どんな幸福な生活にも数多く起る試煉や心労を、堪え難い重荷だと考えるか、それとも自分の生活原則を実行し修練するために、神から…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『キリストがニコデモとの対話(ヨハネによる福音書3の8⭐️)の中で語っているように、神の霊は思いのままの時に、思いのままのと…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『朝から晩まで、常の神の御心だけを行いなさい。そうすれば、あなたはすでにこの地上で、繁忙な世の営みの迷路から天国へ導いてくれ…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『もし人々が、いわゆる「近代的世界観」、正確にいえば、無神論をすてて、真のキリスト教に移ることによって、得るところがどんなに…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『生活を(肉体生活をも)、十分健康で力強いものにしたければ、生活に喜びがなくてはならない。だから、なんらかの正しい喜びを持つ…
スイスの哲人、カールヒルティ著『人々からは決してあまり多くのものを、あなた自身に期待してはならない。 経験に照らしてみても。われわれが人々から何も求めなくな…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『この世には、少なくとも見たところ罰せられもせずに、数多くの不正が行われているということは、深くものを考えない多くの人たちに…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『たしかに些か張り切りすぎた人間がいるもので、彼らは単純なキリスト教では満足できない。もっとも、たいてい彼らはキリスト教を正…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『真理と永遠の生命とに到る道は、今日では、唯物論と迷信という二つの死の淵の間をぬける、極めて狭い、しかしなお歩くとことのでき…
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『人間同士の交わりにおいては、内的確信が非常に大きな意味を持っている。何故なら、大抵の人は、彼らを指導してくれるような他人を求め、そういう自信に満ちた指導…
『人間同士交わりにおいては、内的確信が非常に大きな意味を持っている。何故なら、大抵の人は、彼らを指導してくれるような他人を求め、そういう自身に満ちて指導者…
『内村鑑三 所感集』より: 『余輩を隠遁者と見做す者あり、しからず余輩は隠遁者あらず、罪の世と交わらざるのみ。余輩の頭上に穹蒼(おおぞら)の天幕のごと…
『内村鑑三 所感集』より: 『聖書智識のみは人を救わず、聖書智識に加うるに聖霊の能力(ちから)をもってして人の霊魂は救わるるなり。聖書そのものは死せる…
『内村鑑三 所感集』より: 『マタイ伝はマタイ伝として研究せよ、マルコ伝はマルコ伝として研究せよ、ルカ伝はルカ伝として研究せよ、ヨハネ伝はヨハネ伝と…
『内村鑑三 所感集』より: 『春陽の来福はキリストの復活について思わしむ。キリストは甦り給えり、しかして万世の救い主となり給えり。復活後の彼は言い給え…
『社会主義の最も厭うべき点は、そのためだけでも私がこの主義に賛同しかねるのは、社会主義が嫉妬を人間の行動の主な発条(ばね)としており、また実践活動において…
『出エジプト記二〜四、詩篇一一〇の一〜二。 ある人の生涯において、かなり長い期間にわたって、詩篇一一〇の待てという要求だけが、絶え間ない導きとして役立つ事…
『内村鑑三 所感集』より: 『救済(すくい)は事実なり、意識にあらず。また信仰にあらず。我らは救われて救われるるなり、識りて救わるるにあらず、信ずると…
『真っ先に人間に慰めを求めないで、神にそれを求めなければならない。既に落ち着きをえてから、人間に向かうべきである。このようにしさえすれば、人間は我々に有益な…
『内村鑑三 所感集』より: 『戦捷の結果は何? 国債の激増、投機熱の昇騰、軍備の拡張、しかしてこれに伴う美術、文学、哲学、道徳、宗教の衰退これなり。肉…
『内村鑑三 所感集』より: 『英国はキリスト教国にあらず、しかれでもキリスト教は英国にあり。米国はキリスト教国にあらず、しかれどもキリスト信者は米国人…
『内村鑑三 所感集』より: 『「光は暗きに照り暗きはこれを暁(さと)とざりき」と(ヨハネ伝一章五節)。「かれ己の国に来たりしにその民これを接(う)けざ…
『内村鑑三 所感集』 『国興るもキリストを信じ、国衰うるもまたかれを信ず。時可なるもキリストを信じ、時非なるもまた彼を信ず。業栄うるもキリストを信ず。…
『現在我々がどんな犠牲を払っても手に入れなければならない真のキリスト教は、単にある事実に対する信仰とか、教会の一定の信仰箇条に対する信仰にあるのではない。あ…
『弱い信仰でも、全く信仰がないよりははるかによろしい。最後の信仰の火種をもすっかり消してしまう事のないようにしなさい。そうすれば、またそれを吹き起こすのは、…
『内村鑑三 所感集』より: 『我らキリストの僕(しもべ)となりて一人となりて世に立つの決心なかるべからず。世は我らの主を棄てたり。またその僕たる我らを…
『内村鑑三 所感集』より: 『福音は罪人のための福音なり、弱者のための福音なり。故に我に福音を語りえざるの時あるべからず、また世に福音を信じえざるの人…
『そこでまた、われわれの心になお何物かが残って、時々こう抗議するだろう。おそらく一切は感覚的の知覚できない単なる「形而上学」であり、要するに人間とまたその生…
『人間同士の交わりにおいては、内的確信が非常にお大きな意味を持っている。なぜなら、たいていの人は、彼らを指導してくれる他人を求め、そういう自信に満ちた指導者…
『それゆえ旧約聖書は、この関係を常に、双方に権利のある契約にたとえている。自分の方からこの契約を正直に守ろうと思う者は、自分の権利をあまり強く主張する必要は…
『出エジプト記二ー四、詩篇110の1・2。 ある人の生涯において、かなり長い期間にわたって、詩篇110の待てという要求だけが、絶え間ない導きとして役立つこと…
『それゆえ、自分の決心よく確かめて、場合によっては自分の経験に聞き従うことが、信仰に入る第一の条件であるが、しかし元来それは自分の意志行為であって、傍から誰…
『まっさきに人間に慰めを求めないで、神にそれを求めなければならない。すでに落着さを得てから、人間に向かうべきである。このようにしさえすれば、人間はわれわれに…
『この信仰に関する差異は、人間の意志の自由という天性に基ずくのだから、いつまでも続けて消えない。「人間の魂は本来キリスト者である」というテルツリテヌスの言葉…
『弱い信仰でも、全く信仰がないよりはるかによろしい。最後の信仰の火種をもすっかり消してしまうことのないようにしなさい。そうすれば、またそれを吹き起こすのは、…
『一切の存在および生成の根源としての神は、説明することも、証明することもできない。また、そうすべきものでもない。むしろわれわれは、まず第一に神を信じ、その上…
『あまりに多く読みすぎるのは、たとえいわゆる良書やきわめて宗教的な本であっても、まだ本当に自分の考えの固まっていない人にとっては、不健康である。というのは、…
『万物の根源を万物それ自身から説明しようとせずに、むしろ、人生の経験に導かれつつ、世界全体ならびに各個人の創造者であり維持者である真の生気ある霊的存在に、そ…
『われわれがみずから幸福だと感じるためには、常に頭が計画に満ち、心が愛に満ちていなければならないというのは、正しい言葉である。しかしクレルウ“ォーの聖ベルナ…
『世界をそれ自身から、またそれ自身によって説明することは、とうてい不可能である。それでは、最後の根拠はついに見出せないからだ。人間が自分自身を崇拝し、他人か…
『人間の経験などというものは、実つ大きな幻影にすぎない。その滑らかな表面の下に隠されたものを、誰も見ないし、また見ようとしない。ただ時折、この外皮に突然裂け…
『これまで抽象的哲学は実際に、「存在」をも「生成」をも満足に説明することが出来なかった。ましてこの二つの根本概念を結びつけて、一つの統一的な原理からこれを解…
『ヘブル人への手紙一〇の三〇、申命記三二の三六。「主はその民を裁くであろう。」この言葉は、苦難に臨んだ時に、とくに全民族の苦難の時に、われわれが持つことので…
『これは疑問の中の疑問である。非常に浅薄な、あるいは動物的な人でない限り、だれでも少なくとも一生に一度は、この疑問の答えを求めようとする。そしてーー早速こう…
『ブルームハルトや、その他の歴史的に確証されている奇跡を行った人々の「力」に源(みなもと)をなしているのは、おそらくただ「私欲のない」愛であった。このような…
忍耐力と知恵を生む最高の「母胎」 『朗らかな性格は人生の喜びをもたらすもとではあるが、同時にそれは自分の性格が傷つくのを防ぐ大切な役目も果たしている。 「…
『オバデア書一二、ミカ書七の七ー11、ナホム書一の7ー12。これらの古代の預言者の言葉は、職業上これらの章を読むことのない一般の人には親しみがうすいかもしれ…